◆プロローグ

「はーはっはっは! ほーら、早く逃げないと踏みつぶしちゃうぞー!」
 巨大都市《陸中市》に侵略者が現れた。
 並木の桜が舞散る公園で人々が昼飯をしようと集まる中、甲高く、澄んでいて、幼さを感じさせる声が大気を響かせた。広場のステージで誰かが発したものでも、ビル壁掛けの巨大ディスプレイのものでもなかった。見上げれば太陽を遮る大きな何かががいた。広場から離れた人々がその正体を目にして戦慄く。
 この辺りでは一番高い70mのビルより、2倍大きい赤い髪のヒト──巨人が、右足らしき巨大な黒い柱を高く上げていた。
「そこのみなさん! 走って逃げてください!」
 巨人は、人々で賑わう広場に、重機よりも巨大な足を勢い良く落とした。
 着地点にいた人たちは青年のかけ声のおかげで、全員無事にかわすことができた。だが、侵略者の足の下にあった、たくさんのテーブルやベンチが、無惨に破壊された。その様子を、間近で見てしまった住人たちは、恐怖に怯えるしかなかった。
「ふふふ、みんなわたしのことが怖いんだ。でも心配しなくてもいいよ。この街を侵略したら、みんな、ぺしゃんこにしてあげるから♪」
 巨人はもう片方の足を持ち上げる。人々は踏みつぶされたくない、死にたくないと、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
 住民たちは、最近大ヒットした映画を思い出した。突然現れた巨大怪獣によって、街は砂山のように破壊され、人類は害虫のように駆除され、世界の約半分が滅ぼされたものだった。その光景をまさに目の前に照らし出され、もはや世界の終わり、人類の滅亡を予感した。 
 だが、それでも希望があるような気がしていた。
 その映画は結末は、人類が作り出した究極人型兵器“デビルZ”と、それを操る少年が、巨大怪獣と激闘を繰り広げ、退治したという。フィクションと照らし合わせてしまった彼らは、それを求めるしかなかった。
「ハハハ! ペシャンコになっちゃえー!」
 頭上に響く侵略者の宣告に、小さな人々は最後の希望が現れることを祈った。
 ──その時。

 ワンワンワンッ!

「ひゃっ!?」
 巨人は、どこからか現れた野良犬の吠えに驚き、左足を上げたままバランスを崩した。
「わっわっわわわっ」
 何故か巨人は、両足立ちに戻そうとせず、慌てて腕を振り回して体勢を維持しようとした。しかし、犬の出現に動揺が止まらず、ヤジロベエのように保ってたバランスを崩して、後ろにあった林に倒れ込んで、
「わー!」
 大きな地響きを起こすほど、巨大な尻餅を付いてしまった。
「ぅおおっ!」
 足下にいた青年はとっさに揺れに反応できた。とはいえ、避難訓練ぐらいしか体験してない動きでは、何模できず後ろに転んでしまった。巨人から離れていた、人々の大半も転んでいた。
 だが四足立ちの野良犬は少ししか怯まず、敵意が最高潮に達したのか、もっと激しく吠えだした。さらにそれに呼応して、草むらの蔭や建物の隙間から続々と犬が現れ、巨人の声量と同じぐらいの、大群の吠えが広場を響かせた。
「こ、こないでよ~」
 犬に吠え続けられ涙目を浮かべる侵略者。逃げまどっていた人々は、思いにもよらなかった出来事に、再び視線を戻した。先ほどまで太陽を背にしていた、侵略者の全貌を窺うことができた。
 人形のように可愛らしい女の子の顔だった。カーネーションのように真っ赤で、先端が外に生き生きとした感じがするミドルヘア。服装は胸元の髪と同じ色のリボンを始めに、いたるところにひらひらのフリルが生えた黒ずくめの格好で、ノースリーブにミニスカート、ニーソックスにパンプスと、簡略されたロリータファッションのようだった。
 その中でも、唯一太陽の光を眩しく麗しく反射する物があった、雲のようにようにふわりとした丸みや、マシュマロのように柔らかさを感じさせる、白と水色のしましま模様の壮大なパンツが、そこにあった。
 オオォォーー!
 その縞模様は、仕事や新しい生活のプレッシャーによって押さえられていた、男たちの性欲を、見事に起爆させた。
「……あ。み、みないで~……きゃあ!」
 侵略者は歓声の意味に気づき、スカートを掴んで隠そうとする。犬たちは反対にアジられたようで、一層吠えが激しくなった。
「あぅぅぅぅ~…………やめてぇぇぇ……ぅっ」
 涙が頬を伝ってこぼれてきた。女性たちも、秘められた母性が駆り出され「かわいい……」と呟きだし、遂に先程まで恐怖に襲われていたはずの人々までもが、記念撮影で写メを撮り始めた。それにも関わらず、犬群の吠えラッシュは終わる気配もなく続いていた。
「やぁぁぁぁ~…………ぇっぐ」
 もはや、この侵略者は住人にとって、ただ怪獣のように大きいだけの、健気な幼女にか見えなくなった。そして、とうとう息が詰まって、
「うえ~~~~~~~~~~ん」
 盛大に泣き出した。
 ──世界は野生を逞しく生きる、犬たちによって救われたのだった。



 公園が警告灯を載せた車と白テントで賑わいだした。そこにはけが人の治療、耳を痛めた人の保養、警察や軍隊の聞き込みや調査、マスコミの取材で溢れかえっている。ただ、異常事態にも関わらず、事件の前よりも和気藹々としたムードになっていた。
 先ほどまで座り込んで、泣きじゃくっていた侵略者はもういなくなっている。野良犬が一部の被害者の情けによって追い払われて、しばらくすると、「次こそ……っぐ……みんな……えっぐ……ぺしゃんこに……して……ずーっ…………やるんだから……」と泣きながら宣言した後、「覚えてなさいよ~」と言い残して、泣きながら逃げていった。
 侵略中に避難を呼びかけた青年は、テントから離れたところにいた。体中の老廃物を吐き出すように、溜め息をしながら、布団のようにベンチにもたれ掛かっていた。水色のワイシャツとスラックスが土埃にがかっている。
(……さっきは大変だったなぁ)
 禁止線で囲まれている、侵略者の足跡や尻跡を見ながら、彼は事件を回想していた。
 最初は小さな揺れだった。それが次第に大きくなって、気づくとビルの隙間から巨人がそびえ立っていた。広場に居た人たちは、慣れない地揺れに微動だにできず、彼の呼びかけによってようやく動くことができた。そして、巨人が倒れ込んだとき、彼はその間近に居たため、しがみつく間もなく地揺れを受け、倒れてしまった。そして目の前の景色を制圧したふっくらとした白と水色の……。
(って何を思い出そうとしてるのか……)
「すいません。先ほど避難の先導を、してくれた方でしょうか?」
「うん? ああ、そうだよ」
 危うく妄想に浸かるところだった青年に、青い制服を着た警察官が話しかけてきた。
「……あれっ?」
 若い警察官は男の顔をまじまじ見つめて、すぐに「あっ」と驚いた。
「もしかして、あなたは羽白煉瓦(はしろ れんが)刑事ではありませんか?」
「……うん」
「やっぱり! まさか、あの“鬼神”羽白刑事に出会えるなんて……自分、カンゲキであります!」
「…………」
 煉瓦は“鬼神”の一言に不愉快そうに反応したが、警察官は気づかない。
「いや~なるほど! 羽白さんの先導なら、誰一人死者が出ないのは納得の結果でありますね!」
「ん? 死者が出てない?」
「はい。けが人は十何名かは出ていますが、全員軽傷で、だれ一人として命に別状はありません!」
 警察官は付け加えるように続けた。
「それと物的被害に関しても、この広場以外は道路に駐車してあった車や電柱が壊されたり、コンクリートが陥没した程度で、建物の方はガラスが割れたぐらいしか聞いていません!」
「へぇ、けっこう壊されたような気がしたんだけど……思いこみだったかな?」
「ともかく、羽白刑事のおかげで死者を1人も出さずにすみました。あんなのが来てもこうなるのが一番いい結果です! それでは、自分はこれで」
 と、敬礼をしたあと踵を返し、満足した顔でテントの方に走っていった。煉瓦は見届け、物寂しく呟く。
「一番いい結果か……」
 突如、嵐のように現れ、去っていった、謎の巨大侵略者。侵略者は文字通り足跡を街の中に残していった。
 その跡を見て、煉瓦は“本来、あるべきであった自分の姿”を思い出す。
「僕一人、殉職できれば一番よかったさ……」