深夜、薄暗い道を手持ちのライトで照らして歩く。静かな廊下に私の足音が響いている。私の名前は朝霧鈴。研究所で警備員のバイトをしている。
侵入者が出て来れば応援を呼び、捕まえるのが仕事だ。

一階の巡回を終え、次は檻がある地下へと続く階段を降りる。檻では捕獲された怪獣が入れられている。
そう、この研究所は普通の研究所ではない。宇宙から来た敵性怪獣を研究する特別な施設なのだ。

10年前、全長60メートルもの怪獣が出現して多数の被害が出た。それを皮切りに頻繁に怪獣が出現してその度に軍隊が出動し、住民は避難して被害も出た。
それが10年も続いており、現在人類は疲弊しているというのが正しいだろう。
怪獣という未知の生物を研究して新しい技術を発見し、そのような現状を打破したいという希望を持ってこの研究所が設立された。ただ、大した開発もできずに予算が徐々に削られているというのが現状である。

階段を降り、怪獣どもの不快な寝息を聞きながら檻のある階層を見回っていく。そういえば今日来た時に所長が今日から新しいのが入ったから仲良くしてやってくれと言っていた。なぜ私にそれを言ったのかよくわからない。怪獣なんて増えても私には関係のない話だろう。
頭の良い人間の言うことは一般人の私にはよくわからないなあと思いながら昨日まで空だった檻のエリアに差し掛かると、新人の怪獣がどんな見た目なのかを確かめるべく檻にライトを向けた。

予想外の風貌に私は唖然とした。贅肉のあまりついていない細い腕、手入れされていない緑がかった長い髪、薄い胸、ボロボロの服から覗かせる細い足。
間違いなく人間の、それも中学生位の年齢に見える女の子であった。ただし、大きさは他の怪獣よりは小さいが40メートルもの大きさがある。

それを認識した瞬間に背筋が凍った。その細いが大きな腕は怪獣サイズの大きな檻の隙間よりも細かった。
彼女が私を潰そうと思えば檻から手を伸ばして握り潰せることは明らかだった。私はすぐさま檻から距離を取ろうとした。
が、遅かった。腕がものすごい速さで私を捕捉し、がっちりと掴まれた。少しの間必死に暴れたが、大きな手から全く逃げられる気配すらない。
私は死を覚悟し、一思いにやってくれと目を瞑った。

…だが、数分経っても死の瞬間は訪れなかった。恐る恐る目を開くと、視界の殆どに大きな顔が映っていた。
その顔はすっぴんだがとても整っていて、お化粧をして街を歩いていれば女の私でも振り返ってしまいそうだ。そんな美しい顔は悲しげな顔をしていた。
命の危険を感じてそれを回避しようとしただけなのに、まるで私が悪い事をしたみたいだ。

彼女はゆっくりと口を開き、言葉を紡いだ。
「どうか、逃げようとしないでください。私はあなたを傷つけたりしません。…絶対に」
声が震えていた。まるで私に逃げられたら死んでしまうような雰囲気だ。

私はこくこくと頷くと彼女の表情がぱぁっと明るくなった。
「それで、あなたにお願いがありまして」
真剣な表情になった。整った顔の表情がコロコロと変わるのは目の保養になる。それで、逃げようとする私を捕まえてまでお願いしたいこととは一体何なのだろうか。
「私の話し相手になって欲しいんです!」
「…それだけ?」
拍子抜けだ。たったそれだけでいいのだろうか。
「…ダメですか?」
「いいよ」

そう答えると彼女の表情は今日で一番の笑顔を浮かべ、嬉しさのあまり私を持っている手をぐっと身体に押さえつける。彼女にとっては抱きしめているような感じなのだろうか。私は彼女の柔らかくもあるが、細く脂肪も少ない身体に押さえつけられて肺は女の子の香りに満たされた。

「く…苦しい…」
そう言うと手はすぐに離された。
「ご…ごめんなさい…」
「いいよ」
すぐに謝ってくれた。とてもいい子だ。
「じゃあ早速おしゃべりする?」
「はい!」

彼女の元気な返事から巨人との始めてのおしゃべりは開始された。
「じゃあ改めて、私は朝霧鈴。見ての通りここで警備員ののバイトをやってるの。あなたは?」
「私は…名前はありません。ここに来る前は番号で呼ばれていました」
…最初から聞いちゃいけないことに踏み込んでしまったかもしれない。
「…ごめん」
「いえ、大丈夫です」
2人の間に沈黙が流れ、少し気まずくなる。でもこれは回避不可能だと思う。

だが気になることもある。私は話題を切り出していく。
「どうしてこんな所に?」
「私は…地球に捨てられました。その時怪獣が来たってすぐに軍隊さんが来ましたけど、交戦前に私が空腹で気を失いました。
それで捕獲された怪獣という扱いでここに連れてこられたみたいです。今思えばあの時気を失ってなかったら生きていないかもしれません」
「捨てられた?」
「私の母星は私が生まれる前に侵略されました。なので生まれた時から奴隷なんです。でもドジだったこともあり、奴隷としても使えないと適当な星に捨てられたんです。」
彼女は淡々と言った。
酷い。彼女の想像よりも遥かに残酷な境遇に言葉を失った。

…楽しい話をしよう。今の自分の感情が憐れみでも同情でも構わない。彼女には今からでも笑顔になって欲しい。その一心で私は遊園地や映画館などの娯楽施設の話をした。
スマホの画像を最大限拡大して見せた。多分小さくて全然見えなかったと思う。それでも彼女は人間を楽しませるためだけに作られた施設の話に目を輝かせた。
街でも怪獣に疲弊して曇った顔が目立つ今の地球でも彼女を笑顔にすることができて安心した。

スマホを見るともうすぐ夜勤が終わる時間だ。結局全然仕事をしていなかった。
「あ、今日はここまでかな」
「今日は本当に楽しかったです。ここに入る時、所長さんが深夜に女の警備員がきたら話しかけるといいよと言った通りにして良かったです。
奴隷の時は私語禁止で、上流階級の人が友達と楽しそうに話すのを見て、ずっと憧れてました。夢が、叶ってしまいました」

彼女はそう言いつつこの時間が終わるのが淋しそうにしている。

「これで終わりじゃないから!明日も!明後日も!明々後日も!絶対来るから!楽しい話を持ってくるから!絶対!私達!友達だから!」
私は彼女の子指を全身で抱きしめた。指切り…のつもりだ。
「はい!」
そう言って大きな手を振る彼女のいる後ろをを時折振り返りながら階段を登った。

事務室に戻ると所長がいた。仕事をしていないことを後ろめたく感じていると、所長が声をかけてきた。
「一晩中喋っていたみたいだけど、彼女と友達にはなれたかな?」
…バレてた。苦々しい顔で「はい」とだけ答える。
「それは良かった。警備員は新しく雇うから今後は彼女の担当を頼むよ」
その言葉に驚いて私はまた「はい」としか答えられなかった。

そういえば所長は昼勤のはずなのだが、夜勤の出勤時にも今も研究所にいる事に気がついた。
「所長、まさか朝から今までずっと研究してたんですか?」
「いやあ、なかなか熱中しちゃってね」
「今度はどんな研究を?」
「巨大化薬さ。今までの怪獣の体液から生物を巨大化させる効能のものが検出されたんだ。でも今の技術じゃあ25倍になる効能しかない。この倍率だと丸腰でクマに挑むようなものだ。まだ研究が必要だね」
「へー、おつかれさまでした~」
自分で聞いておきながら明日の話題で頭がいっぱいで話半分に聞いて所長に挨拶した。

彼女の楽しい話題を探さなければならない。タイムカードを押して着替え、研究所を出た。