ロマリア王国史異聞−ある少年兵の帰還−

by まんまる


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戦場にて
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ロマリア王国ドラゴン騎士団と超巨大妖精=ジャイアント・ピクシーとの緒戦は、ロマリア側の一方的敗北で終了した。
戦場には数十匹のドラゴンと百数十人の兵士と騎士の、無残な死体が転がっていた。
ある者は焼かれ、ある者は引き裂かれ、ある者は潰され、最強とうたわれた騎士団の1個師団は完膚なきまでに敗北していた。
対するピクシーの死体は一つもない。いや、かすり傷負わすことなく騎士団は敗北したのだ。
ドラゴンの炎は山のような巨大ピクシーには火傷ひとつつけられず、逆にピクシーたちの吐息は騎士もドラゴンも木の葉のように吹き飛ばし、地に叩き付けた。
戦争というより一方的な屠殺というべき戦いであった。

戦いの終わった血染めの大地の上空を一人のピクシーがパタパタと飛んでいた。
丸顔に大きな愛らしい緑色の瞳、風に翻る緑の髪、背中の羽は丸みを帯びた短いものであり、長い大きな透明の大人の羽ではない。
その幼児体型からしても子供である事はハッキリしていた。
しかし、その大きさたるやドラゴンの数倍。

「あーあ、ニンゲンってバカよねー。負けるの分かってもまだ戦おうとするんだから。」
彼女は呆れたように、眼下に広がる地獄絵を鑑賞していた。

「しかも、向こうからイキナリ襲い掛かってくるんだもの。ひょっとして『死にたい』っていう本能でもあるのかしら?」
巨体にも関わらず、彼女は物音一つたてずに着地した。
そしてキョロキョロあたりを見回した。

「ふうっ!丸一日たっても救援部隊もよこさないんだから・・・人間って冷たいよねー!
まっ、これで生きてる人間なんかいるワケないから救援に来なくても仕方ないか?
・・・・・おや?」
その時何か、かすかに動いている気配に彼女は気づいた。
引き裂かれたドラゴンの翼の下で何者かが呻き声を上げている。
ドラゴンの死骸をどけると、兵士が一人倒れていた。

「あれ?生き残り・・・運がいいのか悪いのか・・・」
半死半生の兵士を手の平に乗せて彼女は呟いた。苦しげな様子だが意識はないようだ。

「女王様は侵入者は全て滅せと言ってたし、どうせ救援も来ないんじゃ、後1時間ももたないもんね。苦しめるのも可哀相だし。」
とどめを加えるべく彼女は指先に力を込めた。しかし何を思ったか急に力を緩める。

「せめて死に顔くらい見てあげなきゃ・・・」
巨大ピクシーの少女は血のこびりついた甲冑を剥がし始めた。

「・・・えっ、まだ子供じゃない!」
兜の下からあらわれてのは、まだ年端もゆかぬ少年の顔。

「あきれた!こんな子供を戦争に駆り出すなんて!ニンゲンって何考えてんのかしら?」
彼女自身どうみても『子供』なのだが、自分の事は棚に上げているらしい。

「ええっと、傷薬は・・・あれ?忘れてきちゃった?」
手当てをしようとしている所をみるとどうやら、とどめを刺そうとしていた事も奇麗さっぱり忘れたようだ。

「急がなきゃ!確かあたしたちの秘密基地に『万年杉のばあちゃん』に貰った薬草が・・・」
意識を失った少年を手の平に包むようにして、巨大ピクシーはかすかな羽音を残して飛び立った。後には生ある者は既になかった。


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『秘密基地』にて
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彼は赤く染まった大空の中にいた。
耳元でゴウゴウと風の鳴る音がした。

「ロイ!ボサッとするな。次の矢を放て!」
「はっ?ハイ!」
ドラゴンの首にぶら下げられたゴンドラの中に彼はいた。
彼は2メートル近い大きな矢を巨大な弓へつがえる。
そして、前方を見た。

巨大な女の顔。
顔だけでも自分たちが駆る巨大なドラゴンを遥かに凌ぐ。
しかし、その美しさはどうだろう!
たなびく緑の髪はそよ風のごとく優雅。怒りに染まった真紅の瞳はまるで紅玉のよう。
そして、身に鎧をまとった巨大な勇姿にも関わらず、蝶のような軽快な身のこなし。
彼は一瞬そこが戦場であることさえ忘れた。

「来るぞ!気をつけろ!!」
ピクシーの巨体の周囲の広大な空間に、銀色の波紋のような物が幾つも発生した。

「下がれ!」
号令は間に合う事無く、銀色の波紋は無音で炸裂した。
彼の体は塵のように吹き飛ばされ、空中へ投げ出された・・・

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「はっ!?」
少年は飛び起きた。全身が汗でびっしょりだ。

「こ・ここは?」
そこは戦場ではなかった。壁はどうやらむき出しの木肌。
まるで巨大な木の洞にでもいるような場所だ。
体には大きな木の葉が何枚も掛けられている。布団の代わりらしい。
傷口には・・・くさい匂いのする薬草を練った物が大量に押し当てられている。

「誰が手当てを・・・それにここは?」
「手当てしたのはあたしだよ!それにここは、妖精界『万年杉のばあちゃん』の洞の中、あたしたち子供の『秘密基地』!」
声は頭上からした。少年は恐る恐る上を見上げた。

「うわぁっ!」
少年は悲鳴を上げて後ずさった。数十メートルの高みに大きな少女の笑顔があった。

「お・お前はピクシーの仲間だな!じゃあ僕は捕虜にされたのか?」
「ホリョ?ホリョていうのはなーに?何かの遊び?」
どうやらピクシーの少女は捕虜という言葉を知らないらしい。

「とにかく、あんたが怪我してたから連れてきて手当てしただけだよ?」
少女は少年の顔を覗き込んだ。
大きな緑の瞳が湖のように少年の姿を映し出す。

「とにかく、ここは敵地なんだ!手当てなどお断り・・・イテテ!」
「ホラホラ傷口塞がってないのに無理するから・・・
それに断わっとくけど、あんたたちニンゲンが先に攻め込んできたんだからね!」
「なにを!・・・あいたたた・・・」
折角の勇ましさにガタのきた体がついていけないようだ。

「ああっと、ちょっと大人しくしてね。包帯かえるから。」
そいうと巨大ピクシーの少女は彼をお人形のように手の平に乗せて、自分の顔の高さまで持ち上げた。
そして不器用な手付きで包帯を外し、大雑把な巻き方で新しい包帯に取り替えた。

「これでよし!」
そう言って、少年の体を小さなベッド(といっても少年なら10人くらい寝られそうな大きさだが)に戻した。

「・・・僕の仲間は?部隊の皆はどうなったんだ?」
「さあ?半分くらいは死んで、残り半分は逃げてったみたいよ?」
「そうか・・・」
少年の全身から力が抜けていった。

「知り合い、いたの?」
「ああ・・・生きていてくれればいいけど・・・」
「あたしたちの事が、さぞ憎いでしょうね?でも・・・」
「いいや。」
「・・・・・どうして?お母様は『ニンゲンは仲間を殺されると敵を憎む』って・・・」
「仲間は誇り高い騎士だ。戦場において正々堂々の戦いで倒されることはむしろ名誉!
『敵を憎むのは誇りなき愚か者だけだ』と父上からも教わった!
僕も騎士・・・の見習いだけど、騎士道に背く事はしない。」
少女は2・3度目をパチパチさせた。
瞳をキラキラさせた少年は眩しく輝いているように見えた。

「手当てしてくれてありがとう。僕の名はロイ!ロイフォード=スタン。」
「あたしの名前はルゥ。親衛隊長エルリアの娘のルゥリアだよ!」
視界一杯に広がる妖精娘の微笑みは少年の心を和ませるに十分なものだった。

「ねえ、えっと・・・ルゥリア?」
「ルゥでいいよ。みんなそう呼ぶから!」
「じゃあ、ルゥ・・・君も戦いに出ていたのかい?」
「えっ?」
「あっ、いや悪いというわけじゃないけど、出ていたなら僕は君を攻撃してたかもしれないし・・・」
「・・・出ていないよ。あたしまだ子供だから・・・」
彼女は自分でも理由が分からないまま嘘をついた。
本当は母親と共に彼女も出撃していた。

「そうか、ならいいや。」
ロイは目を閉じた。
そのまま深い眠りに落ちていった。

「ニンゲンって変わった生き物なんだなあ?」
この日、ルゥは初めてニンゲンという生き物を知った。


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お茶会にて
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「それでね、そのパン屋の主人がなんて言ったと思う?」
ロイはここでちょっと声をひそめて全員の顔を見回した。

「何て言ったの?」
頭上を飛び回る小さな蝶のような姿の花の精霊が、興味津々といった顔で彼の言葉を待つ。

「オイラにゃ分からないや!」
真っ赤な髪に真っ赤な肌の火の精霊も話の続きを聞きたそうだ。
彼等だけではない。10人ほどの妖精の子供たちがロイの語る『人間界の話』を聞くために『秘密基地』に集まっていた。

「こう言ったんだ。
『しまった、自分の晩飯のパンまで売っちまった!隣町までパンを買いに行くから今日はこれで店じまいだ!』ってさ。」
一瞬の間をおいて爆笑の渦が巻き起こった。(何が可笑しかったのかは作者にも不明。)
大して面白い話でもなさそうだが、ここにいる子供は妖精界から出た事がない。
ましてや人間界の話など生まれて初めてなのである。
そういう訳でここ数日は彼の話を聞く為に子供たちは、大人に内緒でお茶会を開いていたのだ。

「やれやれ、傷に障りがなきゃいいけど・・・」
ルゥは仲間に加わらず、お茶の準備をしていた。
ちょっぴり複雑な心境だった。喩えれば『お気に入りのペットが皆に人気があるのは嬉しいが、おかげで自分がペットに近づけなくて悔しい。』といったところか。

「じゃあ、今度は俺が取っときの話をしてやろうか!
その昔、妖精族の勇者がドワーフの鍛冶屋を訪れた時の・・・」
黒い肌の土の精霊が喋り始めたときだった。

「はーい、ストーーーップ!お茶が入ったわよ!」
家の2・3軒は乗っかりそうな大きな盆にティーカップを乗せてルゥがやってきた。
そのまま妖精仲間を押しのけて、ちゃっかりロイの側に腰を下ろす。
次々とティーカップを妖精たちに渡して、最後にロイの前にもティーカップを置いた。

「ルゥ!僕こんなに飲めないよ!」
目の前のティーカップは、彼がこれまで見たうちで最大の樽をさらにふたまわりでかくした程の大きさだった。

「仕方ないでしょ!家から持ってきたうちで一番小さいカップがそれなんだから・・・」
「それじゃ仕方ないか・・・」
ロイはティーカップに登ると池の水でも飲むように、水面に口をつけて飲み始めた。
それを見ながらルゥも自分のティーカップに口をつける。

「クスクスクス・・・」
頭の上で花の精が含み笑いをしている。彼女だけは気づいたのだ。
ロイのティーカップだけがルゥの手にしたカップと『おそろい』であることに。

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ここ数日でロイと妖精の子供たちは、すっかり仲良くなった。
騎士見習いの少年も、ここでは子供の一人にすぎない。
本来なら剣や弓矢ではなく、玩具を手にして遊んでいて当然の年頃なのだ。
ましてや大人たちの戦争など子供同士には関係ない話であった。

「さあ、お茶も飲み終わったことだし、俺の話の続きを始めようか。
勇者が鍛冶屋を訪問した夜の事だ・・・」
土の精が話を再開しようとしたときだった。

「話の続きは今度になさい!」
洞の入口から大人の声がした。
振り返ると人間と同じ大きさの妖精族の大人が一人立っていた。
鎧を身につけた緑の長髪と美しい緑の瞳の女性だった。

「あっ!親衛隊隊長の・・・」
「・・・エルリア様!」
子供たちが驚く中でルゥは(ヤバイ!)という表情になった。
ロイを背後に隠し、とってつけたような笑顔を浮かべる。

「ハ・ハ〜イ!何か御用かしら、ママ?」
(ママってこの奇麗な人、いや妖精が?)
ロイも少なからず驚いた。

「隠している人間はそこですね?」
「な・何の事かなぁ?みんな知ってる?」
「さあ?」
火の精がとぼける。

「あたし知らない!」
花の精も知らないフリをする。

「俺も見たことない!」
土の精もごまかそうと必死に演技する。

「ほら、みんなもそんな男の子なんか知らないって・・・」
「私はその人間が『男の子』だなどとは言っておらぬが?」
皆の冷たい視線がルゥに集中する。彼女も『しまった!』という表情をした。

「いいよ、みんな。とっくにばれてるみたいだし・・・」
ルゥの背後からロイが姿を見せた。

「お前が迷い込んだ人間の子か?」
感情のない親衛隊隊長エルリアの声が少年を詰問する。

「騎士見習い、ロイフォード=スタンであります!」
ロイは礼儀正しく名乗った。

「ふむ、私は親衛隊長エルリアと申す者!女王陛下の命によりここへ参った。
ただちにお前を女王陛下の元へ連れて参れとの事。御同行願いたい!」
「分かりました。では今すぐに参りましょう。・・・クッ。」
立ち上がろうとして、彼は顔をしかめた。

「待ってよ、ママ!」
「ママではない!鎧を身につけている間は親衛隊長と呼びなさい!」
「親衛隊長様!私も共に参ります。」
「・・・・・女王陛下は貴方まで呼んではいませんよ。」
「彼は負傷しており、まだ私の元で静養中であります。回復するまでは責任があります。」
「・・・仕方ありませんね。陛下の前では礼儀正しくするのですよ。」
「了解致しました!」
そう答えると、ルゥはロイの体を手の平に乗せた。

「では、参りましょう。我らが陛下は『雲上の広間』にてお待ちかねです。」


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雲上の広間にて
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人間大の妖精の戦士に先導されて、手の平に少年を乗せた巨大な妖精が何処までも上昇していく。

「寒くない?」
「平気だよ!でも女王様の城って雲の上にあるのかい?」
「ううん、違うわ。人間が言うような『お城』ではないの。
この妖精界そのものがお城みたいなものだから。謁見する者は雲の上で会うのよ。
ママは、いえ親衛隊長様はお仕事だから、いつもは女王様のお側にいるけど。」
ロイはエルリアの方を見て、それからルゥの顔を見た。

「そう言えば君のお母さんって人間と同じくらいの大きさしかないんだね。」
「大人になったら、いろいろな魔法も使えるようになるの。体の大きさを変えるくらい朝飯前だそうよ。」
「君はまだそういう魔法は使えないの?」
「うん・・・ずっと長いこと待ってるのに・・・ママが言うには
『貴方にはまだ足りない物があります。それに気がつかなくては大人にはなれません。』
って言うんだけど。」
「ふうん・・・」
言いながらロイは先を飛ぶエルリアの顔を見つめた。

「人間の少年よ、私の顔がどうかしたか?」
「あ・・・いえ・・・奇麗な人・・・じゃなかった妖精さんだな、って思って・・・」
「奇麗?私がか?」
「はい。」
「化粧もせず、ドレスを着たこともない私が?」
「はい!とても奇麗です!」
エルリアは最初ポカンとしていた。

「ふむ、そう言われたのは初めてだが・・・悪い気はせんな。」
この時エルリアは無表情だった顔に、初めて微笑みを浮かべた。
ロイも少し赤面しながら、笑った。

「ロイ!風があたって寒いでしょ!」
「えっ?あっ!おい、ちょっと・・・」
いきなりルゥは戸惑うロイを自分の胸元へ放り込んだ。
慌ててルゥの服の中から首だけ出すロイ。

「は・恥ずかしいよ!ここから出してよ!」
「えーっ、なんでよ?どーして恥ずかしがるのよ?」
まあ『断崖絶壁』がちょっぴり腫れた程度とはいえ、女の子の素肌に触れるのは初めてであったのだろう。

「・・・・・くっ・くっくっ・・・はははははは!」
しばらく二人のやり取りを眺めていたエルリアがいきなり笑い出した。

「あっ、いやすまぬ。笑うつもりはなかったのだが。」
「・・・・・ねえ、君のお母さんっていつもあんなに大声で笑うの?」
「いいえ、仕事中には笑った事がないって聞いたんだけど・・・ロイのママは違うの?」
「えっ?」
その瞬間、何故か少年は言葉を詰まらせた。

「・・・・・知らない。」
「どうして?」
「母上はいないんだ。僕の家は名前ばかりの貧乏名家だから、父上の剣術指導の収入だけじゃ親子3人じゃ食べていけなくてさ。
僕が赤ん坊の頃に離婚して実家に帰ったって父上がおっしゃってた。」
「ゴメン!悪い事聞いちゃったみたいね。」
「気にしなくていいよ。僕が立派な騎士になれば母上もきっと戻ってきてくれる!」
少年は明るい表情で、そう断言した。
エルリアも少年を優しいまなざしで見つめながらいった。

「親衛隊の隊長としての立場上、敵に所属するお前に『頑張れ!』とは言えぬが、早く一人前になって父上と母上を喜ばせるのだぞ。」
「はい!」
元気のよい返事が空中に響いた。

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「ここが・・・『雲上の広間』なのか?」
ロイは心奪われたかのような気分で呟いた。
頭上には見たこともないくらい青い空が広がり、眼下には雲の海が広がるだけである。
力強い太陽の輝きが雲に複雑な陰影を生み出し、美しい自然の彫像のように演出している。
ロマリア王都の城の大広間といえど、美しさでも神秘性でも足元に及ばぬであろう。

「女王陛下、人間の少年を連れてまいりました。」
「ご苦労でした。」
声のした方向を見て、ロイは言葉を失った。
地平線(いや雲平線というべきか)から中天にかかる程の巨大な人影が何時の間にか出現していた。
カールした髪を雲の下まで垂らし、夜を思わせる黒い衣に、星々を思わせる宝玉を散りばめた優雅な女性がそこにいた。
両肩に小鳥を止まらせ、慈愛溢れる眼差しで見つめる威厳に満ちた姿。

(これが、妖精界の女王陛下・・・そして僕たち人間の・・・敵?)
ポカンと口を開いたままのロイに女王は静かな、優しい、しかし厳かな声をかけた。

「始めまして、私が妖精界を統べる女王。
残念ながら貴方がたのいうような意味での『名前』というものがありませんので、名乗ることはできませんが。」
「こちらこそ、よろしく!わたくしはロ・ロ・ロイフォー・・・」
「ロイフォードですね?剣士セイロード=スタンの息子の・・・」
「?!どうして僕の名前を、それに父上の名前まで?」
ロイの疑問に女王は笑顔で答える。

「私は具現化した妖精界そのもの。ゆえに妖精界での出来事は全て知る事が出来るのです。
怪我をした貴方が『万年杉の婆様』の元へ運び込まれたのも、子供たちだけでお茶会を開いて楽しいお話をしていたのも全て私には伝わってくるのです。
でも、『内緒話を盗み聞きした、はしたない奴』なんて思わないで下さいね。」
「は・はあ・・・?それでわたくしに一体何をお望みなのです?」
その時ルゥは身構えた。

(もしロイを殺せと言われたら逃げよう!全速力でも逃げ切れるか分かんないけど。)
ルゥの心中を察しているのかいないのか、女王は話を続けた。

「いえ、貴方のお話を直接聞いてみたいと思っただけなのです。特にパン屋さんがその後どうなったか気になってしまって・・・」
「パン屋の話ですか?あの後パン屋は隣町まで行こうとしたのですが・・・」
その後、数時間に渡りロイと女王は楽しく世間話を続けてた。
気がつくと、太陽は大きく西に傾き、あたりは薄暗くなりはじめた。

「もう帰らなくちゃ!傷がせっかく治りかけてるのに。」
ルゥが心配そうに声をかけた。

「ふむ、そうだな?少年よ、今夜は私とルゥの家に泊まるがよい。」
エルリアがロイにそう言った時だった。

「いいえ、それはいけません。」
女王陛下は重々しく言い放った。

「えーっ、どうしてよ?」
ルゥは抗議した。エルリアも意外そうな顔をした。

「人間の子供はやはり人間の親の元へ返さねばいけません。
ロイ、あなたも父上の身を案じているのではありませんか?」
「・・・・・・・・・・はい。」
ロイの顔につらそうな表情が浮かんだ。
いつまでもここに留まることができないのは最初から分かっていた。

「人間界までは私の腹心の者に遅らせましょう。
ルフ、彼を人間の街の近くまで連れていってあげなさい。」
女王は右肩にとまった小鳥に話しかけた。

「心得ました、女王陛下。」
小鳥は肩の上から羽ばたいた。そしてルゥたちのそばまでやってきた。
近くまで来ると『小鳥』どころか、街の1区画ぐらいありそうな巨大な鷹である!

「少年よ、私の姿が見えるか?」
ロイが黙って頷くと、巨大な鷹は楽しそうな声を出した。

「ほう、無神経な人間には我が姿は単なる風としか見えぬのにな。
おぬしはなかなか見所があるぞ!では我が背に乗るがよい!」
鷹の言葉に従ってロイはルゥの手の平から飛び降りた。

「お別れだね、ルゥ。」
「・・・うん。」
「短い間だったけど、楽しかったよ。君の事は一生忘れないから。」
「・・・・・」
「さあ、出発だ。日が落ちきる前に送り届けてしんぜよう!」
「待って、ルフ!」
ルフは首をかしげた。ルゥが呼び止めたのだ。

「別れる前に一言だけ、あたしあの戦いの時、戦場にはいなかったって言ったけど・・・嘘なの。」
「!」
「ママと一緒に戦いに出てたの。何匹かドラゴンを落としたから・・・ひょっとしたら貴方の友達を殺していたかも・・・」
「知ってたよ。」
少年は気軽に答えていた。

「さっきエルリアさんの顔を見て思い出したんだ。
ルゥはあの時、エルリアさんの側を飛んでたろ?」
「じゃあ・・・あたしの嘘・・・知ってて・・・」
「うん、でも・・・口にしたら友達じゃいられなくなるかもしれないって思って。」
ロイはしばらくの間、頭上数十メートルのルゥの目を見つめていた。

「友達だよ、これまでも、これからも。」
ロイが何気なく口にしたその言葉が、ルゥの心に染みとおるように広がった。

「さあ、もうゆくぞ。」
「ルゥ、元気でね!」
「また・・・会えるといいね。」
ルフの声で我に帰った二人は別れの挨拶を交わした。
巨鳥は羽ばたき、あっと言う間に雲の彼方へ消えた。
ルゥはそれをボンヤリと見送った。

「人間にしては変わった少年でしたね。」
エルリアはかすかに口元をほころばせてそう呟いた。

「エルリア、貴方が人間を気に入るなんて私も初めて見ましたよ。」
「お戯れを・・・陛下。」
少し照れくさそうにエルリアは答えた。

「さあ、私たちも帰りましょう、ルゥ。」
「・・・・・」
「ルゥ?」
「・・・痛い・・・体中が燃えるように熱い。」
ルゥはその場にしゃがみこんだ。
炎が駆け巡るような、稲妻が飛び跳ねるような不可思議な激痛が全身を走った。
女王もエルリアも黙って彼女を見つめるだけだった。

「うううっ!」
苦鳴がルゥの口から漏れる。

ジッ、ジジッ。
いきなり彼女の腕が伸びた。同時に脚も髪も急速に伸びていく。

ベリッ、ベリッ、ベリッ。
膨らみ行く胸の膨張速度に耐え切れず、服が裂け始める。

シャン、シャン、シャン・・・・・
ガラスが震えるような音とともに、半透明な銀色の楕円形の羽は4枚とも長く美しいものへと変わってゆく。

「キャァァァァ・・・」
全身を襲う痛みと変化に耐え切れなかったのか、ルゥは気絶した。
子供の肉体だった頃の服は全て破れ落ち、後には山脈にも匹敵する、雄大で美しい妖精の姿だけがそこに残った。

「エルリア、まずは『おめでとう』と言うべきでしょうね。」
「ありがとうございます、陛下。しかし皮肉なものです。
あれほど待ち望んだ娘の成長が人間のお陰だとは・・・」
見違えるほどに成長した自分の娘を見る思いは複雑だった。

「ひたすら他者を想う気持ちとそれに応える心・・・
それを妖精に与えるとは人間もまだ捨てたものではないかもしれませんね・・・」
女王もまた複雑な心境のようだ。


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牢獄にて
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「えっと、ここね。ロイの家は。」
夕刻の薄暗がりの中、一軒のこじんまりした家の前にマントとフードで姿を隠した一人の女が立った。
軽く大地を蹴っただけで、その体はヒラリと空中に舞い上がった。
塀を軽々飛び越えて、その家の庭に音もなく着地する。
そしてマントを投げ捨てる。

「ふぅ・・・暑かった!ニンゲンに気づかれないように変装すんのも楽じゃないわね。」
薄い水色のワンピースに、それとおそろいの帽子。青いサンダルを履いたうら若き娘は緑の髪と瞳を持っていた。先日成人したばかりのルゥリアであった。

「ふふっ、ロイのやつ驚くぞぉ。一気に『大人の女性』だもんね!
おっと時間がないんだった、急がなきゃ。」
ルゥは家の方に歩き始めた。

「この家に何の用かな?妖精のお嬢さん。」
背後から声がした。
驚いて振り返るルゥの目に入ったのは・・・一羽のフクロウ。

「あんた・・・姿を変えてるけど・・・ルフ?!」
「左様。」
フクロウはうなずいた。

「何してんのよ、女王陛下の側近のあんたが?」
「ちょっと陛下から御用を仰せつかってな。第一それはこっちの台詞だよ。」
「あたしは・・・その・・・」
「大方、あの少年に『明後日、妖精界からの大攻撃があるから逃げろ』とでも言いにきたのだろう。重大な裏切り行為だぞ。」
「ふん、あたしはただピクニックの誘いに来ただけよ。
2・3日ちょっと、この国の外に出かけるだけじゃない!何がいけないのよ?」
フクロウ=ルフはニヤリと笑った。

「まあ、お前さんが何をしようと確かに私には関係ないな。」
「だったらどっかへ行きなさいよ!」
「だが、あの少年に会うつもりなら、ここにはおらんぞ。」
「エッ?」
「近所の者の話では、王都の北にある牢獄に囚われているそうだ。」
ルゥは耳を疑った。なぜ彼が牢獄に?

「まあ詳しい事は分からんが、何かするなら急いだ方がいいぞ。明日処刑されるそうだ。」
ルフの言葉が終わるまでもなく彼女の姿は消えていた。

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ジメジメした空気と冷たい石の感触。
広い牢獄の屋上でルゥは辺りの様子を探った。
何人かの見張りはいるが、今の彼女にしてみれば目くらましぐらいわけはない。

「夜風の精霊さん、御願い!ロイっていう男の子の居場所を教えて!」
吹き抜ける風の中に、やがて忘れられない匂いが漂ってきた。
太陽を一杯に浴びた元気な草の香り。ロイの体に染み込んだ元気の匂い。
数秒後、彼女は鉄格子のはまった小さな窓の前にいた。

「うっ、うっ、うっ・・・」
微かな泣き声が中から聞こえてくる。聞き覚えのある声だ。

「ロイ,そこにいるのね?」
「誰?」
「あたしよ、あ・た・し!」
「?」
月明かりで窓から覗く女の人の顔は見えた。だが見覚えはない。
ただ声は知っている人に似ている。

「もしかしてルゥ?」
「ピンポ〜ン。そうあたしよ!待ってね、中に入るわ。」
ルゥの姿がゆっくり霞むと一匹の蝶に変化した。
鉄格子の間ををすり抜けて中に入ると、再び変化して女性の姿に戻った。
緑の瞳と緑の髪の奇麗さは相変わらずだが、スラリとした体は人間サイズの今でさえ頭一つロイよりも高い。

「見違えちゃったよ!本当にルゥなの?」
「ふふふっ、ちょっとした事で女は変わるものなのよ、坊や。」
「ムッ・・・」
坊や呼ばわりされて、ロイはムスッとした。しかしすぐに笑顔になった。

「会いたかったよ、牢屋の中でずっとそう思ってた。」
「・・・ねえ、ロイ?あたしとあたしのママと・・・どっちが奇麗かな?」
「エッ・・・」
いきなり真顔でそう聞かれてロイは戸惑った。

「ねぇ、どっち?」
「・・・・・・・ルゥの方が・・・ちょっぴり・・・キレイか・・・な。」
「ホント!」
「うん、それにそのワンピースもスゴク似合ってる。妖精界にもそんな服があるんだね。」
「ううん、人間界で見つけたの!
街に入った時に、大きなガラス板のはまった家の中に人形が置いてあったのを見つけたの。
その人形に着せてあったんだけど、やっぱり人形に着せるのはもったいないって思ったから私が着てみたの。」
「それって・・・」
泥棒だよ、と言いかけロイは苦笑した。彼女の次の台詞は、泥棒って何?だろうから。

「ずっと・・・ロイに会いたかったよ!」
「ワア!?」
いきなりルゥがロイに抱きついてきたのだ。
大きな乳房に顔面がめり込みロイは呼吸もできなくなった。
少年の顔が林檎のように赤く染まる。
抱き合ったまま二人は暫くの間、黙っていた。

「ねえ、ロイ?どうして貴方は牢屋に入れられたの?何か悪い事をしたの?」
「・・・いや。」
「じゃあ、どうして・・・」
「スパイの容疑だってさ。」
「?!」
「無敵のドラゴン騎士団が敗北する事はありえない。負けたのは裏切り者が情報を流したからだってさ。
何日もたってから生還した僕は怪しいというわけさ。明日、公開裁判が開かれるんだ。」
ルゥにはロイの言う意味が分からなかった。

「あたしたちスパイなんか使ってないわよ!
そもそも問題にならないくらい実力差があったじゃない!」
「そうだけど・・・上官殿はそう思ってはいない。」
「とにかく、明日の裁判で無実を証明すればいいのね!あたしも証言する!」
しかし、ロイは悲しそうに微笑んだ。

「ありがとう、でも判決はもう決まっているんだ。」
「どういうことよ!」
「罪を認めるか、勇気を示すことで身の証をたてるかさ。」
「勇気を示す?」
「簡単な事さ。罪を認めるなら毒杯を受け取りそれを飲む。」
「当然、あんたは身の証をたてるのよね。でもどうするの?」
「潔白を証明する事を望むなら、裏切りなど犯すはずがない程の勇気を示す為に・・・
獅子と戦うんだ、素手でね・・・」
「・・・・・無茶苦茶じゃない!」
ルゥの心に怒りが湧いてきた。理不尽にも限度がある。

「ここから出よう!こんな馬鹿げたトコに貴方みたいな人がいるのは間違ってる!」
「駄目だよ。」
「あなたのお父さんも一緒に連れて行けばいいわ、無理矢理にでも一緒に!」
「・・・・・無理だよ、父上はもう死んでいるから。」
ロイはポケットから小さな紙包みを取り出した。開くと中には少しばかりの髪の毛が入っていた。

「さっき、近所のおばさんが持ってきてくれたんだ。」
「・・・・・」
「君たちとの戦いで墜落したドラゴンの下敷きになってた、って言ってた。」
「そんな・・・・・」
「君のせいじゃないよ。」
「じゃあ貴方のお母さんはどうなるの?貴方が死んだら悲しむよ!」
「・・・・・」
ロイは黙ってもう一房の髪の毛−先ほどの髪よりも細く長い−を取り出した。

「これもさっき教えてもらったんだけど・・・母上も僕が赤ん坊の頃に死んでるだって。」
「えっ?でも離婚して実家に帰ったって・・・」
「将来、僕をドラゴン騎士団に入団させる為に、生まれる前からずっと働きづめでさ。
僕が生まれた後も、働いて・・・働きすぎて・・・体壊して・・・」
この時代、ドラゴン騎士団への入団は名誉というだけでなく、財産も地位もない平民や貧乏貴族の子供たちにも一生を保証するエリートへの道であった。
厳しい試験や長く辛い訓練を耐え抜いて入団し、そこそこの武勲を上げれば裕福な貴族との縁組みや、地方領主への任命も望むまま。
しかし、そこに行き着くまでは養成所に納める多額の授業料や有力者の推薦が必要となる。

息子の推薦状を得る為に、自分の妻や娘を大貴族に差し出したという話も少なくない。
ロイの家庭では、推薦状は父親が剣術の指導をしていた貴族のコネでなんとかなったのだが、高額な授業料の工面はそうはいかない。
その金を貯めるべく、無理をしすぎて寿命を縮めた親の話はロイの家庭だけではなかった。

「父上や母上がそんなに苦労していたなんて知らなかった。
それなのに、僕は家名を汚した者として処刑されようとしている。
僕が天国の両親にしてあげられる事は・・・名誉と誇りを守ることだけなんだ。」
すでにロイの表情は少年らしい弱々しいものでなかった。
瞳に強い輝きを宿した、そして悲しみに満ちた男の表情だった。

「じゃあ・・・最後に、何かあたしに出来る事はない?
かなえてあげる!どんな望みでも・・・・・」
ルゥは思った、言ってちょうだい、ただ一言『死にたくない。』と・・・

「もう、君にかなえてもらったよ。」
「えっ?」
ルゥはまだ何もしてはいない。

「牢屋の中でずっと考えてた。『死ぬ前に大人になったルゥに会いたい。』ってさ。」
「そんな!」
「かなうはずがないと思ってた。でもかなえてくれた。」
「・・・・・」
「だから、もう何も思い残すことはない。ありがとう・・・・・」
コツコツコツ・・・
そのとき扉の鉄格子の向こうから足音が聞こえてきた。
ロイは鉄格子の間から暗い廊下を覗いた。

「看守の見回りだ!君は逃げた方がいい!」
振り返ると、ルゥの姿はもうなかった。

**********

月明かりの下、夜風の中をルゥは飛んだ。泣きながら飛んだ。

「何を考えている?ルゥリアよ!」
風の中から姿なきルフの声だけが聞こえる。

「お前が何をしようが無駄だ。
彼の過去は全て奪われた。彼の未来は永遠に失われた。
山をも砕く守護妖精の力をもってしても、彼を救うことなど出来はしない!」


**********
闘技場にて
**********

円形闘技場は王都の中心に建設されている石造りの壮大な建築物である。
直径1200メートル、高さ80メートルに及ぶすり鉢状の構造は、当時の王都の全人口10%に相当する10万人以上の観客を収容できる。
休日には腕自慢の強者たちの対決や、獰猛な野獣同士の戦いが観客を楽しませる。

だが、今日の主役は腕自慢の男でもなければ野獣でもない。
『裁判』にかけられる一人の少年だった。
スパイの嫌疑をかけられたのが年端もいかぬ少年とあって観客席は超満員の盛況だ。

「オッ、オオッ!・・・」
大観衆の前に上半身を裸にされた少年が引き出された。

「おい、どう思う?ほんとにアイツがスパイなのかな?」
「知るかよ、大事なのは奴がこれからどうするかさ。」
観客のヒソヒソ話をよそに、喪服に身を包み覆面で顔を隠した女が、同じく喪服の男たちを引き連れて少年に近づいてゆく。

「・・・・・」
女は無言のまま、手にした盆を少年に差し出した。
透明な液体で満たされた杯が一つだけ載っている。毒杯である。

「結構。」
ロイは杯を下げさせた。

「おおーっ!」
「チクショー!」
ブーイング混じりの賞賛が観客席から上がる。
ちなみにブーイングは『罪を認める』に大金を賭けていた観客のものだ。

「・・・・・」
喪服の女は再び無言で背後にならべた、鎧・兜・盾・剣を示した。
武器はどれもこれも華美と言っていいほど、豪華な装飾を施されている。

「無用。」
ロイは儀礼に従い、これも拒絶する。

「いいぞぉ、小僧!」
「カッコイイや、あのお兄ちゃん!」
「さすが、王国の騎士!」
またも賞賛の声があちこちであがる。素手をもって戦う事が勇気の証明とされるからだ。
喪服の女も、うやうやしく一礼すると毒杯を持って退出する。
同時に喪服の男たちも、見かけばかり豪華な装備を片づけて頑丈な柵の外に避難する。

『ロイの勝利』に98%の観客が賭け金を投じた。
これはロイの力量を信じてではない。このような場合は勇敢なる死刑囚に賭けるのが礼儀とされるからだ。
死刑囚が敗北した場合は集められた賭け金で盛大な葬式と、勇敢な魂をたたえる賑やかな祭りが催される。
ロイ自身も幼少の頃は父に連れられてこの闘技場にやってきて、勇敢な死刑囚に拍手と、お小遣い全額を捧げたものである。
ちなみに、『死刑囚が勝った』という記録は王国が始まって以来一度もない。

「アレが僕の対戦相手・・・いや死刑執行人か。」
ロイは自分が出てきたのと反対側の出口を見た。
巨大な檻があった。中にいるのは魔法医術で作り出された体長5メートルの三つ首の獅子。
数日間の餌抜きによる空腹に耐え兼ねて、さかんに唸り声を上げている。

カーーーーーン!
鐘の音が響き渡った!
正面貴賓席の背後に設置された壮麗な聖火台に、天をも焦がす勢いの炎が燃え上がる。
同時に猛獣、いや魔獣を封じ込めていた檻が溶けるように消えた。

「フゥッ、フッ、フッ・・・」
ノソリ、ノソリ。
魔獣は最初うかがうような仕種でロイへ接近してきた。
ロイは拳を構えた。そして・・・

「ガアァウウゥゥ!」
そして、数日ぶりの食事がお気に召したのだろう、一直線に飛び掛かってきた!

(一瞬で終わるんだな・・・)
鋭い爪が、牙が、立ち尽くすロイの目前に迫る!

ヒュッ!ドガッ!
「グアァァァ・・・!?」
ロイの眼前に迫っていた筈の魔獣が消えた!

「ど・どこだ?どこへ行った?」
キョロキョロと見回すロイの視界に飛び込んできたのは、観客席に叩き込まれてピクピクと痙攣している魔獣の情けない姿と、驚いて大騒ぎする観客と、目の前に立つ・・・先程の喪服の女だった。

「ヤッホー、ロイ!お元気?」
女は覆面と喪服を脱ぎ捨てた。
現れたのは空色のワンピースに空色の帽子、そして空色のサンダルを履いて、緑の髪をたなびかせる明るい笑顔のお元気妖精娘!

**********
闘技場にて VS 泣き男
**********

「ルゥ?!どうして・・・」
「うーん、あれから一晩考えた・・・
考えたけどさあ、やっぱこーゆーのって間違ってるのよね!」
「でも、それじゃ、僕や父上の名誉が・・・」
「そうそう、それそれ!その名誉ってヤツ!『スパイのおかげで勝てました』なーんてデマ流されたら妖精族の名誉に傷がついちゃうのよね!」
「へっ?」
「というワケで、こっちの名誉の為にちょっとどいててね!」
「うわぁ?」
言いつつ、彼女はロイの首根っこをつかみ、軽々と闘技場の端まで放り投げた。
続いて彼女の背中から美しい4枚の銀色の羽が出現する。

「なんだ、アイツは?」
「妖精だ!妖精族だ!」
「警備は何をやってたんだ?」
うろたえる観客。

「静まれ!脆弱なるニンゲンどもよ!」
ルゥの声が堂々と響き渡る。場内は一瞬で静まりかえった。

「我ら誇り高き妖精族がスパイなどという卑劣な手段で勝ったなどという言いがかり!
今、この場で打ち砕いて見せよう!我と思わん者はどこからでもかかってこい!」
観客は再び騒ぎ始めた。どんな力を持っているか知らないが、最強兵力を備えるこの王都でたかが妖精一匹、何ができると言うのか?

「ルゥ、駄目だ・・・クッ、体が動かない?」
「しばらくジッとしてて!空気の精に頼んで貴方をガードしてもらってるの!」
耳元でルゥの声が聞こえる。どうやらロイにしか聞こえないように話しているようだ。

「無茶だ・・・君たちが強いのは知っているけど、王都駐留のドラゴン騎士団は君らが戦った部隊とはレベルが違うんだ!」
「遅いわ。誰か出てきた。」
「駄目だ!戦っちゃ駄目だ!」
「心配しないで!手加減はするから!」
何時の間にか2頭だての馬車が2台、闘技場内に出てきていた。
チャリオットと呼ばれる古代の戦車である。
ただしこの古代戦車も、実用性より装飾性を重視した造りらしい。
その古代戦車の上に、きらびやかな長槍を構えたチョビ髭の男たちが立ち上がった。

「おのれ、神聖なる裁判の場を汚す不届きな妖精め!我らシザー兄弟が成敗してくれる!」
大袈裟な身振りと台詞で年長とおぼしき男が一喝する。

「・・・・・何よ、あれは?」
「『泣き男』だよ。」
「『泣き虫男』?」
「違う、『泣き男』!僕が獅子に食い殺された後で、獅子を退治して僕の死を悼む詩を泣きながら朗読してくれるんだ。」
「?・・・ニンゲンって変わった仕事もするのね。」
「失礼だよ!シザー兄弟と言えばこの道30年のスター『泣き男』なんだよ!」
ルゥは『泣き男』ブラザースの方を向いた。

「ふーん、出番がなくなってトサカにきたワケね?」
「なんじゃと!」
「今日はもう、出番ないんだから帰ればよかったのに・・・」
「重ね重ねの暴言、もはや許せぬ!わが愛槍グンニグルの切れ味を見るがよい!」
「なら、相手したげようか!」
ルゥの周囲に突風が渦を巻いた!土煙で目を開けていることさえできない。

「・・・・・オオッ?!」
土煙がおさまった時、人々が目にしたもの。
巨大な空色のサンダルを履いた、灯台程の太さの巨大な脚線美。
サーカステントより壮大な頭上の空色のワンピース。
さらに上空には王宮の屋根よりも大きな空色の帽子が似合うかわいい顔。
人々が初めて目にした超巨大妖精の勇姿。
高さ80メートルに位置する観客席最上段でさえ彼女の膝までもない!

「すごいや!それに・・・とても奇麗だ。」
何度かジャイアント・ピクシーたちを目撃したロイにも衝撃的な光景だった。

「ねえ、ロイ!」
「な・なんだい?」
「今さ、『本人が巨大化したのは分かるけど、どうして人間界製の服まで大きくなったんだ?』とか思わなかった?」
「えっ?いや、あの、その・・・」
「ロイ君たら、服が破れてあたしが素っ裸になるシーンが見たかったんだ?」
「いや?そんなことは絶対!・・・ないと思う・・・」
意地悪く微笑むルゥにドギマギするロイ。妖精娘は純情少年の反応を結構楽しんでるようだ。

「兄上、ほうけている場合ではありませぬぞ!」
「オッ?オオッ!そうだった。
おのれバケモノめ、そのようなこけおどしが我らに通じると思うたか!」
「ハイヨォッ!」
勇ましい掛け声とともに2台の古代戦車は突進した!

ガシャン!ガシャン!
ルゥの両足の踵あたりに激しい体当たりを食らわせた!

「ヤァッ!エイ!トオリャッ!!」
気合のこもった突きがサンダルの紐の隙間から素肌に突き刺さる。

「・・・・・?」
ルゥは(こいつら何してるんだろう?)と思いつつ様子をみていた。
攻撃は確かに命中しているのだが、人間の腕力では、彼女の薄皮一枚貫けないのだ。
ようするに『蚊が刺した程にも感じない。』ということだ。

パキィィィン。
耳障りな音を残して、泣き男ブラザースの槍はへし折れてしまった。

「おのれ、・・・?!」
悔しげにルゥを見上げた泣き男ブラザースの動きが、なぜか停止した。

「ふふふ・・・ようやく身の程が分かったようね・・・」
得意満面のルゥだが・・・

「違う、違うんだ、ルゥ!」
「何よ?何が違うのよロイ!」
「言いにくいだけど、その・・・見えてるんだよ!」
「だから何が?」
「その・・・君の・・・ぱんつ・・・」
「・・・・・スケベ!」
「僕じゃないよ!泣き男さんたちだよ!」
ルゥは足元の泣き男ブラザースを怒りの表情でギロッとにらみつけた。

「・・・はっ?ぬううっ、バケモノ娘め!少年ばかりか我らまで色香で惑わそうとは!」
「ぱんつ覗いて喜んでたオッサンが、えばるんじゃないわよ!」
ズドン!
怒れるルゥが大地を踏み鳴らした!
広大な闘技場はグラグラと揺れ、王都全体が振動した。

「ワァァァッ!?」
「キャァァァ!」
観客たちも不安定に揺れる観客席で右往左往した。

ガシャッ!
泣き男ブラザースの戦車は空中に放り出されて、横転した。
戦車を引いていた馬も解き放たれて逃げ出した。

「クッ、なんのこれしき・・・」
どぉん!
泣き男・兄貴の鼻先数センチに巨大なサンダルを履いた足が降ってきた。

「・・・・・」
足がゆっくりと、どけられた後に硬直した泣き男・兄の見開かれた目に飛び込んできた物。
深さ3メートルの『足跡』の底にキラキラ光る奇麗な金属板。
厚さ1センチに圧縮された彼の『愛車』であった。

「・・・おい、弟よ。」
呼びかけに返事はない。
弟の戦車をチラリと見るが、もう弟の姿はない。
兄貴を見捨てて、さっさと逃げ出したようだ。

「おぼぼぼ・・・えてえて・・・おおおれ・・・」
覚えておれ!と言いたいらしいが、腰を抜かしてへたり込んだまま後ずさりして下がっていくので、かなり格好の悪い退場となった。

「・・・・・何だったのよ、あいつらは?」
「・・・・・さあ?」
しらけきった会話をルゥとロイは交わしていた。


**********
闘技場にて VS 龍王騎兵隊
**********

「これも片づけとくか。」
乗り捨てられた古代戦車にルゥは近づいた。
そして軽く爪先で蹴り上げる。

ヒュゥゥゥ・・・
重量5〜600キロの車体は玩具みたいに宙を飛び、観客の頭上を飛び越えて・・・

ドッゴーーーン!
古代戦車は聖火台に激突した。
荘厳な聖火台は基礎部分から崩壊し、闘技場の外の大広場に落下した。
それが合図であったかのように、観衆はパニックしながら逃げ出した!

「逃げろぉ!」
「ヒイィィィ!」
「お助けぇぇぇぇ!」
数分の内に、満員だった観客席は誰ひとりいない無人地帯となってしまった。

「これで終わりかしら?つまんない・・・帰ろうかな。」
「待て、逃がしはせぬぞ!」
空中から怒気をはらんだ声がした。
見ると大型のドラゴンに乗った精悍な若者がルゥを睨みすえている。

「誰よ、あんたは?」
「我ら、ドラゴン騎士団中最強の精鋭部隊『龍王騎兵隊』!
王都を荒らす無法者め!我らが成敗してくれる!」
若者が片手をサッと上げると、闘技場の影から、街の建物の死角から、遠くの山の裏から数十匹のドラゴンが舞い上がった!
そして闘技場はたちまち包囲された。

「攻撃準備!」
号令とともにドラゴンにまたがる白銀の鎧を纏った騎士たちが一斉に剣を抜いた!
さらにドラゴンの腹の下にぶら下がったゴンドラの中で、従者が大きな弓を引き絞る!

「何やってんの?あいつら・・・」
ルゥは目を丸くした。無理もなかった。
抜かれた剣は刀身がない柄だけだし、弓には肝心の矢がつがえられていない。
間の抜けた光景だった。

「逃げろ、逃げるんだルゥ!」
必死でロイが呼びかける。

「なんでよ?あんな間の抜けた連中・・・」
「そうじゃない!あれは全て魔法の武器なんだ。
刀身のない剣はカマイタチを発生させて鋼も切り裂く『真空剣』!
矢のない弓は魔力の矢で山をも貫通する『光の強弓』!
当たれば君でも無事じゃすまない!」
ルゥはもう一度あたりを見回した。
完全に包囲されているので、攻撃を避けきるのは至難の技だろう。

「うーん、確かにヤバイかな?」
「だから、早く逃げて!」
「やーよ!」
悪戯っぽくルゥは笑ってみせた。

「でも避けるのは無理みたいだし・・・」
「構え!」
騎士たちが頭上に剣をかざす!
弓が限界まで引かれる!
剣の周囲に陽炎のような揺らぎが生じ、弓の中に光の矢が発生する!

「当たったら痛そうだし・・・ということは・・・」
「撃て!」
剣が振り下ろされた!矢が放たれた!
空気を切り裂く音と、無数の光条が巨大な妖精に集中する!

「当たらなきゃいいんだ!」
バシュゥゥゥ!
その時、ルゥの背の4枚の羽が巨大な風車のように翻った。
そよ風になびく花弁のように緩やかに、荒鷲の羽ばたきのように力強く!

グォォォッ・・・
巨大な銀色の羽から凄まじい乱気流が発生した。
剣から放たれた見えざる大気の刃が、輝く光の矢がたちまち吹き散らされる!

「うわぁ!」
「ふっ、吹き飛ばされる?!」
「ギャァァツ!」
乱気流は空中で待機中のドラゴンたちも襲った。
ある者は街の外まで吹き飛ばされ、ある者は墜落して地面に叩き付けられた。

「あーらら、全滅とまではいかなかったかしら?」
ルゥはうんざりしたように言った。
十数匹のドラゴンが密集陣形を取り、バリアらしきものを展開して身を守ったのである。

「隊長!今の攻撃で半数以上をやられました!」
「一時退却しますか?」
「馬鹿者!我ら龍王騎兵隊に『退却』の2文字はない!」
動揺する部下を先程の若者が一喝する。

「陣形を組め!『火炎龍の吐息』収束攻撃陣だ!」
「あれは対都市殲滅用ですよ?!王都内で使うのは・・・」
「急げ!」
「はい!」
整然と陣形を組んだドラゴンたちの口の中で赤い炎が踊り始めた。

「ふーん、ファイア・ブレスで攻撃する気ね。
じゃあ、こちらも『妖精の吐息』をお見舞いするわ!」
ルゥはゆっくりと息を吸い込んだ。

ごぉぉぉぉ・・・・・
一帯の空気がスゴイ勢いで彼女の唇に集まり、吸い込まれていく。

「ファイア・ブレス・トルネード,発射!」
十数本の火線がドラゴンの顎から吐き出された!
火線は一つに合流し、炎の大河が空中に出現する。

「フゥーッ!」
そびえ立つ巨大妖精の唇からは金色の粒子を含んだ風が吹き出した。
風と炎が衝突した!

どかぁん!
爆発音が響き、炎の大河は一瞬で消し飛んだ。
金色のそよ風はそのまま進んで、ドラゴンたちを押し包む。

「オオオオオッ!!」
「グワァァァァッ!!」
大して力のある風と見えないのに、ドラゴンたちは弾き飛ばされた。

「た、体勢を立て直せ!」
バシッ、バシイッ!
「ギャァァァ・・・」
「どうした?」
そのとき隊長は見た。仲間のドラゴンが平手打ち一発で次々撃墜されていく様を。
まるで、ハエか蚊を退治するように。
何時の間にか巨大妖精が目の前まで飛んできていたのだ。

「信じられない・・・」
その瞬間、隊長の目とルゥの緑の瞳の視線があった。
しばらくお互いに見つめ合っていたが、やがて・・・

ぱちん。
ギャオォォォ・・・
ルゥの手の平の間で、隊長のドラゴンは叩き潰されて悲鳴を上げながら地上に落ちた。

「よぉーし!ロイ、全部片付いたわよぉ!」
元気の良い声でルゥは大きな胸を張って自慢した。

「・・・・・やりすぎじゃないのか?」
「そんなことない!ちゃんと手加減したんだよ。ホラ、みんな『半殺し』で済んでるし!」
『半殺し』どころか『9割殺し』までいってそうだが、確かに手加減はしてくれたようだ。
もっともロイにしてみれば複雑な心境だった。
少年の憧れだったドラゴン騎士団精鋭部隊がボロ負けしたのだから。

「そうだね。とにかく君に怪我がなくてよかった。」
とりあえず・・・・・彼は笑うことにした。


**********
闘技場にて VS 魔龍騎士団
**********

「ロイ,王都の守備隊ってこれだけなの?」
「うん、そのはずだよ。もっとスゴイのもいるって言う人もいるけど、あくまで噂だし。」
「ふうん、じゃあもう帰ろうっと・・・」
ロイの金縛りは解けた。
立ち上がり、ルゥの足元に行こうとしたときだった。

「いや、帰る前に我々の相手もしてもらおうか・・・」
老人の声が元聖火台のあったあたりで聞こえた。
振り返ると古びた杖を手にした白髪の老人がたたずんでいた。

「誰よ、あんたは?」
「魔龍騎士団団長の白髭将軍とでも呼んでいただこう。無礼な浸入者よ。」
キョトンとするルゥに老人は悠然と答える。
だがロイの顔には恐怖の表情が浮かんだ、。

「魔龍騎士団・・・ウワサだけだと思っていたのに?」
「何なのよ、その・・・まりゅうナントカって?」
「ドラゴン騎士の中でも最強のメンバーから選ばれた騎士を生体改造を施して作り出された、人間兵器だとしか・・・」
魔龍騎士・・・当時最盛期を迎えていたロマリア魔法医術の粋をこらした最高機密『生きている兵器』である。
岩山を瞬時に蒸発させ、海を煮えたぎる溶岩地獄と変える、神の力とも悪魔の兵器と言われていていた。
しかし当時の記録の大半が失われているため、その実態は現在では不明である。

「我らが集った以上、もはや無法は許さぬ。出でよ、魔龍三人衆!」
老人=白髭将軍の言葉と同時に闘技場を囲むように、赤・青・黒の大型のドラゴンが出現した。

「まずは我、赤騎士がお相手つかまつる!」
レッド・ドラゴンの背で男の声がした。
背に乗っている・・・わけではなかった。
赤い鎧の男とおぼしき姿には下半身がなかった。
ドラゴンの背から生えてきたように、一体化している。
上半身もよく見れば、赤い鎧をまとっているのではなく、硬そうな赤い鱗で覆われている。
どうやら、人間とドラゴンを合成した生き物らしい。

「ゆくぞ、バケモノ娘!」
「どっちが、バケモノなのよ?」
確かに、巨大さを除けばルゥの方がまだ人間に近い。

カッ!
レッド・ドラゴンの口から、真珠くらいの大きさの赤い光点が吐き出された。
高速で飛来した光点はルゥの足元に命中する。

ボンッ!
爆発音とともにルゥの姿は天にも届きそうな炎の柱に呑み込まれた!

「ギャァァァァァ!」
「ルゥ!」
炎の中から壮絶な悲鳴が響く!
ロイは駆け寄ろうとしたが、猛烈な熱気に阻まれて近づくこともできない!

「ふはははは・・・鋼も蒸発する六千度の超高温の炎よ。灰も残さず燃え尽きるがよい。」
赤騎士の高笑いが響く。だがその時!

バンッ!
「いきなり何て事するのよ、この野蛮人!」
炎の壁を両腕で吹き飛ばして、ルゥが姿をあらわした!
着ていた服は燃え上がっているのだが、本人は火傷ひとつ負っていない。

「な・なんと、あの超高温の炎の中で無傷とは?!」
「ああ〜っ!お気に入りのワンピースだったのに・・・弁償してよね!」
かっぱらってきたワンピースだという事は棚に上げて、ルゥは怒りにまかせて燃える帽子を赤騎士にぶっつけた!

「クッ!!」
レッド・ドラゴンは飛んでくる巨大な帽子をすんでのところでかわした。
しかし・・・・・

「なんだ?!」
彼の視界は大きな壁のような物で遮られた!
それが巨代な『足の裏』だと気づいた時には、衝撃が全身を打ち砕いた後だった。

ヒュウウウウン・・・ドカン・ドカンドカン・・ドカン・ドカーン!
レッド・ドラゴンの体はスゴイ勢いで蹴り飛ばされ、煉瓦造りの建物を十数軒ぶち抜いて、石畳の歩道にめり込んでようやく止まった。

「無念・・・後は頼むぞ・・・妹よ!」
それだけ言うと赤騎士は気絶した。

「おのれ、よくも兄上を!」
ブルー・ドラゴンの背中、青い鱗に見を包む女が声を震わせた。

「大丈夫・・・かい、ルゥ?」
「大丈夫じゃないわよ、せっかくお洒落してきたのにぃ!
あれ?ロイなんでこっち見ないの?」
「・・・・・」
ロイはルゥに背を向けて硬直していた。
確かにルゥは無傷だったのだが・・・人間界製の服は全て燃え尽きていた。もちろん下着まで。
妖精族は裸で生活してる連中も多いので、人間の考えるような羞恥心というものはない。
だが純情少年ロイ君はそうもいかないようだ。

「ねえ、こっち向きなさいよぉ!ねえ、ねえ、ねえったら、ねえ!」
「・・・・・」
騎士道一筋、ママのおっぱいさえ覚えていない少年には全裸のルゥは眩しすぎた。

(僕、どうしちゃったんだ?心臓はドキドキしっぱなしだし、顔は真っ赤でルゥをまともに見られないよ!?)

「少々、熱くなりすぎてしまったな。少し涼しくしてやろう。」
氷の冷酷さを秘めた青騎士の声がした。
空中から白い綿のようなものがたくさん舞い下りてきた。

「これは・・・雪?」
「そんな?冬でもないのに?」
ルゥとロイが驚いているうちに、あたりは雪景色へと変わってしまった!

「ウウッ、さ・寒い・・・」
「ロイ?!しっかりして!」
気温は一気に氷点下数十度、吹雪の中で上半身裸のままのロイが倒れた!
助けようとして一歩踏み出そうとするルゥ。

「なによ、これは?」
ルゥは一歩も動けなかった。両足は地面に凍り付いていたのだ!

「・・・・・ルゥ、危ない・・・上・・だ・・・」
ロイの言葉で頭上を見上げるルゥ。
上空には、ルゥの超巨体よりも巨大な氷塊が浮かんでいた。

「ダイヤモンドより固く凍てついた氷山じゃ!兄上の仇、砕け散れい!」
青騎士の怒号!氷塊は魔力による支えを失った。そして動けないルゥの上に落下した!

ガゴォォォンン・・・・・
轟音を響かせて、氷山がルゥの脳天を直撃した。

「ふふふふふ・・・対要塞用究極魔法の前にはいかなバケモノと言えど・・・んっ?」
ピキピキピキピキ・・・・・
氷塊に無数の亀裂が入ったかと思うと、粉々に砕けてルゥの足元に落下した。

「あいたたた・・・ひどいじゃない!タンコブできちゃったわ!」
「・・・・・」
「・・・・・」
ロイも青騎士も何の言葉もでない。

「あったまにきたぁ!そっちが氷なら、こっちは雪をお見舞いしてやる!」
ルゥは足元の雪をかき集めて雪玉を作り始めた。たちまち家の2・3軒はありそうな巨大な雪玉が完成する。

「フッフッフッ・・・雪合戦の女王と呼ばれたルゥリア様の豪速球を受けてみよ!」
ブォォォン!唸りをあげて雪玉が飛ぶ!

「おのれ、そんな小細工!」
青騎士の呪文でブルー・ドラゴンの周囲に氷の槍が発生する。

ドッカァーーーン!
超雪玉はあっさり迎撃されたが・・・

バキッ、ボゴォッ!グキィッ!
「ドギャァァァ!?!?!?」
砕けた雪ダマから数十個の石塊が飛び出し、青騎士を撃墜した。

「ふっふっふっ、こんなこともあろうかと思って雪に石を混ぜておいたのよ・・・」
「ルゥ・・・それって反則だよ・・・」
「そういえば、あたしのコト『雪合戦の反則帝王』って呼ぶヤツもいたわね。」
ロイはどうコメントすべきか真剣に悩んだ。

**********

「白髭将軍、後は頼みますぞ。」
「うむ!」
「ではこの俺、黒騎士が貴様の相手だ!」
ブラック・ドラゴンの背で小太りな男が叫ぶ。

ブォォォォ・・・
ブラック・ドラゴンの羽ばたきが、巨大な竜巻を生み出した!

グォォォォ・・・・・ン!
「クッ、ものすごい風だわ・・・」
雲の彼方へと届く大竜巻がルゥの体を、いや円形闘技場全体を包み込んだ!

「そのまま、風に切り裂かれ果てるがよい!」
轟然と眼下のルゥを見下ろす黒騎士。

「ヒュウゥゥゥゥゥ・・・」
「何の真似だ?」
ルゥが深呼吸を始めたのだ。
いぶかる黒騎士を無視して深呼吸は続く。

「なんだとぉぉぉ!」
黒騎士は驚いた。
ルゥの胸が、腹が、まるで肌色の風船のように膨らんでいく。
なんと彼女は竜巻を吸い込んでいたのだ!

「馬鹿な・・・そんなことが・・・信じられん・・・」
茫然自失する黒騎士に直径300メートルの、巨大なボールみたいに真ん丸な体型となったルゥが顔を向けた。

「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・・」
凄まじい風が巨大ピクシーの唇から放出された。
風、というより衝撃波と化した空気の直撃を受けて、円形闘技場の半分が消滅した!
さらにその向こうにあった商店街も頑丈な煉瓦造りの家屋敷も風化するように消滅した!
ちなみに黒騎士は、吹っ飛ばれるのがチラリと見えたきりで・・・どうやら地平線の彼方へ飛んでいってしまったようだ。

「あ〜あっ・・・今の技、カッコ悪いからやりたくなかったのに・・・」
ルゥの独り言に、ロイは答えるべき言葉がなかった。

**********

「後はお爺さん一人よ。大人しく帰るなら怪我しないですむと思うよ?」
「ふん!この世に生を受けて二百と五十年・・・お主のような無礼な小娘は初めてじゃ。」
「あら、お爺さん250才なの?なーんだ、あたしよかよっぽど年下じゃない!
お年寄りは大事にしなきゃって気を使って損したわ。」
ルゥはつまらなそうに言った。

「えっ!?ルゥ、それじゃ君の年齢って一体・・・」
「ロイ!礼儀正しい騎士様はレディに年齢なんか聞いちゃいけないのよ!」
まずった、という表情でルゥはごまかそうと必死になった。

「だが体同様でかい態度もここまでにしてもらおう!
魔龍騎士三人衆は何のために戦っていたと思う?
炎で上昇気流を起こし、冷気で雲を呼び、風で嵐を作り出したのは、全てこの最後の切り札への布石!見よ天の怒りを!」
天を覆い尽くす暗雲の中で閃光が走り、雷鳴が響いた。

「いかに強大なパワーを誇るお前たちでも天の力の前には無力に等しい!
受けよ!神の怒りを!」
白髭将軍の宣言と同時に数百の雷光が地上の一点めがけて突進した!
狙いは・・・巨大ピクシー・ルゥリア!

「ルゥ!!」
「・・・・・」
ルゥは黙って右手を高々と上げた。手の平を上にしてじっとしている。

「ルゥ!?」
ピカアッ!
無数の雷がルゥの手の平に収束した。ルゥの巨体を青白いスパークが跳ね回る!
雷光に照らし出された周囲は青と黒だけの色のない世界へと一変した。

「エーーーーーイ!!」
ルゥの気合一閃!稲妻は弾き飛ばされ王都中に撒き散らされた!
あちこちで爆発音が響き、王都は炎と煙に包まれた。

「ふぅぅぅ、あちちち・・・手の平腫れちゃった。」
ルゥは手の平にフーフー息を吹きかけている。
それから何事もなかったかのように、白髭将軍の方を見た。

「・・・・・」
将軍の目の前には落雷でできた直径数十メートルの黒焦げの大穴があいていた。
腰が抜けたのか、杖も落としてへたり込んでいる。

「・・・・・バッカじゃないの、あんたたち。」
「・・・・・」
ルゥは脅える老人を見下ろして、軽蔑するような口調で言った。

「炎だの氷だの風だの雷だの・・・みんな自然の力を借りただけじゃない。」
「・・・・・」
老人は口もきけぬほど震え上がっている。

「自然の化身であるあたしたち妖精族に通じるわけないでしょ!」
「ヒィィィッ!」
悲鳴を残して魔龍騎士団団長・白髭将軍は退場、いや逃走した。
かくしてロマリア王国・ドラゴン騎士団王都駐留部隊は完全に壊滅した。

**********
闘技場にて 狂える妖精
**********

「終わったよ、ロイ。」
「そうだね・・・」
「貴方はまだ・・・死にたいの?」
「いいや。」
「これから・・・どうするの?」
「分からない・・・分からないけど・・・生きていこうと思う。」
ルゥは微笑んだ。彼女がもっとも聞きたかった言葉だった。

「行こう、ロイ!ここは貴方に相応しい場所じゃなかった!相応しい場所を捜そう!」
彼女は手を差し出した。何十人も乗れそうな巨大な手が彼一人のために差し出された。

「・・・うん。」
丸太のような指先に向かって彼も手を伸ばした。

**********

瓦礫と化した街の空に一羽の雀が飛んでいた。
やがて倒れかけた石の柱にとまると、半分吹き飛ばされた闘技場を見下ろした。

「やれやれ、母親に似て派手好きな娘だな。」
見事に壊れまくった街を一瞥して雀は言った。妖精界の女王の側近・ルフの声で。

「まあ、とにかくあの少年を助けることはできたようだしな。
こちらの役目を譲ったことになるが正解だったとするか!・・・・・おや?」
そのときルフは視界の片隅で動くものに気づいた。

「いかん!」
そう叫ぶと雀の姿は溶けるように消え、ルフの体は烈風と化した!

**********

「グウウウ・・・お前さえ・・・いなけれ・・・ば・・・」
先程、ルゥにはたき落とされた龍王騎兵隊の隊長である。
朦朧とする意識の中で、放り出されていた『光の強弓』に這い進んでいく。
両足は骨折しているようで、下半身を引き摺りながら執念だけで持ちこたえている。

「・・・・・許さぬ・・・・・」
恐ろしい形相で弦をを引き絞る。光の矢が生じ始めた。

「死ね!」
ドォン!
弦から手を放すのと、烈風に弾き飛ばされるのは同時だった。

「しまった!」
姿なきルフの声が響く。一瞬の差で矢は放たれていた!

「危ないぞ、少年よ!」

**********

「えっ?」
ロイは危険を知らせる叫びを聞いた。身をよじって声のした方をむこうとした。
一瞬の出来事だった。

ボン!
右肩のあたりで軽い音がした。
右肩に焼けるような感覚が生まれ、全身を衝撃が走った。
体が玩具の人形のように軽々と飛ばされるのを感じた。
ゆっくり、放物線を描いて彼は地面に落ちた。
痛みは感じなかった、全身が痺れきっていたから。

(何が起こったんだろう?)
濡れた地面の上にうつぶせになりながらロイは思った。
地面を濡らしていたのは鮮血だった。肉片も飛び散っている。

(誰か怪我をしたのかな?)
少し先の地面に棒の様な物が落ちていた。
棒ではなかった。5本の指がついていた。人間の右腕だった。

(誰の腕だろう?)
自分の右腕を見た、いや見ようとした。肩から先は何もなくなっていた。
ただ、壊れた樽からワインが流れ出すように、赤い血がどくどくと流出してた。

(そうか、僕の腕なのか。)
自分でも驚くほど冷静にそう考えた。感情まで麻痺してしまったかのようだ。
傷口を左手で押さえて、彼は立ち上がろうとした。

(あれ、地面が傾いてるぞ?)
立つこともできずに今度はあおむけに倒れ込んだ。
空が見えた。透き通るように真っ青な空だ。

(奇麗だなあ・・・でも『雲上の広間』で見た空には及ばないや!)
ふいに空が隠れた。
ルゥの大きな顔が空を覆い隠してしまったのだ。
驚いたような表情で彼を見つめている。
さかんに口をパクパクさせて、何か喋っているようなのだが声は聞こえない。

(どうして声を出さないんだろう?戦いで喉を傷めたのかな?)
「どうしたんだい?」
そう声をかけようとしたが、彼も口をパクパクさせるばかりで声は出なかった。

(あれ?暗くなってきたぞ。まだ昼前だと思ってたのに、もう夕方なのかな?)
景色もルゥの顔もゆっくりと暗闇に溶け込んでいく。

(ああ、もう・・・すっかり夜・・・だ。寒・・・くなって・・・・・・・・・)
全てが闇に溶けて消えた。

**********

「ロイ?・・・ロイ!」
ルゥは地面に倒れたロイに呼びかけた。答えはない。

「何よ、こんな怪我くらいで!」
ロイの体を手の平に乗せた。手の平の上に赤い水溜まりがドンドン広がってっゆく。

「とにかく止血しなきゃ・・・」
精神集中を始めたルゥだが、戦闘用の魔法はともかく治癒の魔法はあまり得意ではない。
しかも集中力も欠いている。
何度かの失敗の後、ようやく薬草の蔦の葉を生み出すことができた。
蔦の葉が傷口に巻き付くと、出血は止まった。
だがロイは動かなかった。

「ロイ!治療は済んだのよ。じっとしてなくても大丈夫だよ!」
反応はない。

「勇敢な騎士様は死んだフリなんかしちゃ駄目じゃない!」
少年のキラキラ輝く瞳は、ガラス玉に変わり果てていた。

「さっさと起きなさい、お寝坊お坊ちゃん!」
絶叫に近いルゥの涙声。だがロイは起きようはとしない。
ルゥは、少年の体に耳を近づけた。
息遣いは聞こえなかった。

「嘘だよ・・・ね?」
ロイの体を半ば、自分の耳の穴に入れた。心臓の鼓動も聞こえない。

「・・・・・!?」
ルゥの手の平で少年の体から体温が消えつつあった。
死を見るのも、与えるのもはルゥにとって初めてではない。
だが今、この少年の死を信じることも理解することも、彼女には出来なかった。

「気持ち悪い・・・」
ルゥは膝をついた。大地に小さな揺れが生じた。
巨体がガクガクと震えた。振動はあたりの家々を震わせた。
吐き気がした。

「なんでよ?」
なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?
どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?
殺した!殺した!殺した!殺した!殺した!
殺された?殺された?殺された?殺された?殺された?

ドス黒い感情がルゥの心の中に広がり始めた。
嫌!嫌!嫌!嫌!嫌!
酷い!酷い!酷い!酷い!酷い!
キタナイ!キタナイ!キタナイ!キタナイ!キタナイ!
ニクイ!ニクイ!ニクイ!ニクイ!ニクイ!

ルゥは顔を上げた。涙が地上100メートルの高さから滝のように地面に流れ落ちていた。
真っ赤な血の涙が!
そして緑色の瞳は、急速に赤く染まっていく。

「壊シテヤル・・・コンナ汚イ世界ナンカ!」
ド・・・ン!
鈍い音がした。ルゥの体の周囲で風が爆発した!
円形闘技場は跡形もなく吹き飛んだ!
周囲の建物も土台すら残さず、吹き飛ばされた。

「失セロ・・・消エロ・・・薄汚イ・・・ニンゲンドモ・・・」
荒れ狂う暴風の中で人々は見た。風の中に立ち尽くす巨大な凶々しい影を。
ゴウゴウという大気の唸りの中に聞いた。悲しい咆哮を。

「よすのだ、ルゥリア!」
ルフの声すら怒りと悲しみに染まった『紅の妖精』に届くことはなかった。

キシュン。
巨大な妖精の影の周囲に銀色に輝く波紋が生じた。

キシュン!キシュン!キシュン!
波紋は急速に広がって行く。やがて王都全体が銀色の波紋に捕らわれた。
ピクシーを知る者は、それが死を告げる輝きであることを思い出して覚悟した。
ピクシーを知らぬ者も、理由などなくとも死を予感した。
波紋がはじけた時、王都は全滅、いや地上から蒸発してしまうであろう。

「・・・・・滅ビヨ!」
「駄目だよ、ルゥ!」
間近で聞きなれた声がした。
思わずルゥは手の平の上のロイの死体を見つめた。

「さっき約束したろ?『手加減する!』ってさ・・・」
死体ではなかった。ロイは−激痛に顔をしかめながらも−笑いかけようとしていた。

「生きて・・・たの?」
「なんとかね・・・イテテ・・・」
ルゥの瞳が赤から緑へ戻っていく。王都を覆う銀の波紋も消滅する。

「よかった・・・」
ルゥの透き通った涙とともに暴風は優しいそよ風へと変わった。

「ルゥ、さあ行こうぜ!」
「えっ?」
「僕に相応しい場所!捜すの手伝ってくれるんだろ?」
「ええ・・そうだったわね。ちょっと待ってて・・・」
ロイは緑の暖かな光に包まれた。
傷口を塞いでいた蔦が成長し、葉の球体となってロイの体を保護した。

「しばらく眠っていなさい。もう安心していいわ。」
優しく球体の中の少年に語りかけるとルゥは飛び立とうとした。
しかし、何を思ったのか飛ぶのを止めた。

「貧弱で無知なくせに傲慢なニンゲンども、よく聞きなさい!
明日の朝、あたしの仲間があんたたちを一匹残らず駆除しに来るわ!
空を覆い尽くすほどの大軍で、この国を地上から永遠に消し去ってしまうのよ!
死にたいならば戦いなさい.生きたいならば・・・無様に逃げ出すがいいわ!」
それだけ叫ぶと巨大な妖精は軽やかに宙に浮かび、飛び去ってしまった。


**********
渚にて
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海岸線近くを急ぎ飛ぶルゥ。
大事に抱えた蔦の葉の球体をさかんに気にしている。

「応急手当はしたけど・・・ちゃんと傷を癒せる場所を早く捜さないと・・・」
ロイは眠ったままだが、容体は安定している。だが余裕がないのも事実だった。

「お待ちなさい、ルゥリア!」
「!・・・・ママ?」
彼女の行く手を塞いだ者がいた。彼女同様ジャイアント・ピクシーだが完全武装している。
親衛隊長にしてルゥの母親・エルリア。

「どいてよ、ママ!」
「許可もなく人間界に入りましたね。」
「お説教なら後にして!」
「しかも、人間の少年一人のために大騒動を引き起こした。」
「あたしは急いでるの!」
「その上、明朝の奇襲のことまで人間に洩らしましたね。」
「ロイが危ないの!死んじゃうかもしれないの!」
「貴方を妖精界追放とします!」
エルリアは感情のない声と表情で言い渡した。

「そんな?・・・ママ?」
「その少年が原因のようですから、刑期は少年の寿命が尽きるまでとします。」
「・・・・・」
呆然とする自分の娘にさらに冷たい口調でエルリアは付け加えた。

「早く戻ってきたいのなら、その少年を殺しなさい。そうすれば罪は許しましょう。」
「・・・・・分かりました。刑に服します。・・・・・ママのバカ!」
一瞬、ルゥは涙と怒りでクシャクシャの顔で無表情な母親を睨み、それから悲しそうな表情で北の方角に飛び去って行った。

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娘が飛び去った方角から視線を戻さずエルリアは留まっていた。
握り締めた手はブルブルと震えていた。

「なぜです?女王陛下・・・なぜ、あのような形で少年を蘇生させたのです?
本来なら我らに近しい彼の魂は妖精界に導かれ、妖精族の一員として転生したはず!
そうすれば、ルゥリアと添い遂げさせることができたというのに・・・
それを・・・もはや剣も握れぬ体で蘇生させるとは・・・あまりにひどすぎる!」
彼女は生まれて初めて、女王陛下に怒りを向けていた。

「人間にも、そして妖精にもこの世で果たすべき役割があります。」
水平線の向こうから、天頂に届く程巨大な、女王の姿が現れていた。

「あの少年も、貴方の娘もその役割を自ら選びました。
もはや我々が口を挟むことはできません。」
「しかし・・・」
エルリアの怒りはおさまらなかった。

「エルリア殿、責められるべきはこの私だ。」
女王の肩で、つむじ風が鳥の姿に実体化した。

「陛下の御命令通りに、私が少年を救出していればこんなことには・・・」
「・・・いえ、ルフ殿。あなたの判断は適切でした。あれは我が娘の役目でした。」
エルリアは既に冷徹な親衛隊長に戻っていた。

「それより陛下。明朝の奇襲を人間に知られてしまいました。
予定を繰り上げて今夜のうちに奇襲を・・・」
「いえ、なりません。」
「・・・多数の人間の逃亡を許すことになりますが。」
疑問を口にしながらもエルリアは意外とは思っていないらしかった。

「逃げ出す人間の中にもあの少年のように我らと通ずる魂がいるやも知れません。
99の危険の芽の中に一つでも希望の芽があるならば、全てを滅ぼすわけにはいかないのです。」
「・・・御心のままに。」
「エルリア・・・人間の寿命は花のように短くはかない。
貴方の娘もあの少年の魂も、いつか貴方の元へ帰ってきます。
待ちましょう・・・我らにとって大した時間ではない。」
エルリアが顔をあげると、女王の姿もルフの姿もそこにはなかった。
一人残された彼女は、再び娘が飛び去った北の空を見た。

「せめて・・・元気で・・・」
日が落ちて、星が瞬く頃になっても、彼女は北の空を見つめていた。


*********
時の果てにて
*********

翌日、一大勢力を誇った王国は消滅し、生き残った者たちは苦難の放浪の旅を始めた。
国を失った少年と追放された妖精の、その後の運命を知る記録も焼失し存在しない。
ただ、次のような逸話が残されている。

ロマリア第一王朝滅亡より千年も後、妖精界を訪問した勇者が妖精界の王女の前で、神技と謳われた剣技を披露したことがあった。

「見事な剣技ですね!特に最後に見せた・・・左腕のみで完璧に攻防をこなす技!
あれはどうして左手しか使わないのですか?」
手の平の上の勇者に王女は話しかけた。

「俺の祖母から修行させられた技でしてね、我が遠い祖先の一人が会得した剣技なのです。
利き腕を子供の頃なくした男だそうですが、この剣技で『北海の荒鷲』と呼ばれる凄腕の剣士と呼ばれたと聞いております。
そして後には北の海に一大王国を建国したそうです。」
楽しそうに勇者も答える。

「まあ、凄い方だったのですね、貴方の祖先は!」
「祖母もその国で王女として育ったんですが、家出して女剣士として勇名をはせたそうですよ。
そういえば祖母の若い頃の肖像画が1枚だけその国の山奥の修道院に残ってるんですが、これがなかなかの美人でね。俺の祖父が3年がかりで口説いたのもうなずける。」
「まあ、本当ですか?」
その時、勇者はちょっと考え込むような仕種をした。

「それと今、思い出したのですが、その肖像画に描かれた祖母の髪の色はまるで妖精族のような見事な緑色でね。俺が生まれた頃はとっくに白髪頭でしたが。
その国では時折、妖精のような緑の髪や緑の瞳を持つ子供が生まれるらしいんですよ。」
「そうですか、では本当に妖精族の血が残っているのかもしれませんね。」
王女は記憶をたぐるような、遠い目をした。

「ところで勇者殿、明日の模範試合への出場、お引き受け願えますか?
親衛隊長を務めるルゥリアの息子さんが貴方との手合わせを望んでいるのです。
ルゥリアの夫も妖精界№1の剣士ですが、息子さんも父親仕込みの素晴らしい剣技の使い手だそうですよ・・・」
「それは楽しみだ、ぜひ・・・」

全ては歴史の彼方に忘れ去られた物語・・・・・されど人の心に忘れじの物語。

−完−