旅はおまかせ!シルフィナ観光!!

−虹の入り江 周遊コース−

BY まんまる

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「出発」
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とある山中、深い霧の中を青年はさまよっていた。
水場を探しているうちに、連れのドラゴンともはぐれてしまったのだ。

「困ったなあ、こんな山の中で道に迷うなんて。」

バシャ。
前方で水音が聞こえた。少し進むと大きな湖に辿り着いた。

「やれやれ助かったか、でも今の水音は?」

バシャ。バシャ。バシャ。
水音は霧の向こう、湖の中央付近から聞こえてくる。
魚のたてた水音ではなさそうだ。
(誰かいるのだろうか?こんな人里離れた山の中に・・・)

風が吹いて霧を左右に押し流した。

「おおお・・・」
彼の目に映ったもの。
広々とした湖の真ん中あたり。
2リムル(約200メートル)はあろうかという人影。
いや、半身を水面下に沈めているのだから5リムルはあろうか?
透けるような白い肌。銀色の滝を思わせる長い髪。時折煌くライトグリーンの瞳。
そして彼女たちの種族に特徴的な長い、先の尖った耳。
まるで天にそびえる伝説の塔のようにそそり立つ、巨大で美しい全裸のエルフの娘。
青年はボウッとなって娘の姿を見つめた。

ふと、振り返ったエルフの娘と視線があった。
エルフの娘はニッコリ笑った。つられて青年も微笑み返した。
娘は手の平で水をすくった。小さな池なら満たせそうなくらいの水量だ。

「この痴漢!」
「うわあああ!誤解で・・・」
怒りの罵声と弓矢に匹敵するスピードの大量の水の直撃を受け、青年は吹き飛ばされ・・・
ハンモックから床板へと落下した。

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「あいたた・・・夢か。」
ギシギシと軋む床板の上で半身を起こしかけた時だった。

「どしたのかな?デューク君。」
「わっ!?」
いきなり彼の顔を覗き込んだ者がいた。
先程の夢と同じく銀色の長い髪と尖った耳を持つ娘が不思議そうに彼を見つめている。
まんまる眼鏡の下のライトグリーンの瞳も同じだが、こちらの身長は人間並み。

「あっ・・・シルフィナ・・・社長。お、おはよう・・・ございます。」
「オハヨウ!デューク営業部長君!」
子供っぽい笑顔で答えるシルフィナ社長。

「また、事務所で寝てたのかな?」
「ええ、パンフの下書きを朝までに仕上げて、観光協会へ持って行かなきゃならないし。」
「仕事熱心ねぇ、いいことよ。でもたまには家に帰って寝なさいよ!」
「はい。」
笑いながら彼は立ち上がった。

「さて、朝飯食って歯を磨いたら波止場へ行かなきゃ。
観光協会へ寄らなきゃいけないし、今日のお客様もお着きになる頃だ。」
固いパンをほおばり、ミルクで流し込みながら外へ出た。
朝日を眩しく思いながら、煉瓦造りの建物が雑然と並ぶ朝もやにつつまれた商店街を見回した。この街の名はブロサム市。西ロマリアでも有数の港町だ。

「オーイ!」
古い雑貨屋の建物の2階に事務所はあった。その屋根の上から声をかけてきた者がいた。

「オハッヨー!あら、またパンとミルクだけなの?お父さん。」
「余計なお世話だよ、フレイナ!それから『お父さん』と呼ぶのはやめてくれないか!」
「でも、あたしの保護者なんでしょ?お父さんみたいなモンじゃない。」
ケラケラと笑う声は女の子の声だ。しかし・・・

「あのな、俺はでっかいドラゴンの娘を持った覚えはないの!」
屋根の上にいるのは馬車よりも大きな立派なドラゴンだった。
青みを帯びた鱗が朝日にキラキラと輝いている。

「冷たいなあ、10年もあたしを育ててくれたのに。」
「そりゃ、お前が言葉を解する高等ドラゴンとは誰も気づかなかったからで・・・」
家畜として飼われている知能の低いドラゴンならともかく、高度な知性を持ったドラゴンには人間並みの扱いが必要になる。
このドラゴン・フレイナはさる貴族の屋敷へ騎龍として売られてきたのだが、10年の間、本人(本龍?)も高等ドラゴンであることに気づかずに過ごしてきた。
持ち主の貴族がギャンブルがもとで破産した時に、飼育係だったデュークに退職金が払えず、現物支給として彼にしかなつかなかったフレイナが払い下げられたのである。

「ふぅ・・・もういいよ。後で観光協会に行くから支度しとけよ。」
「はーい!」
バサッ、バサッ!
フレイナは屋根から路上に軽やかに舞い下りた。

「じゃあ、お父さん早く支度・・・あっ、レビィちゃん!オハヨー!」
フレイナは屋根の上を見上げて挨拶した。

「オハヨゴザイマス、フレイナちゃん、部長サン!」
屋根の上からこちらを見下ろしている巨大な女の顔があった。
短い黒髪にツリ目ぎみの瞳が朗らかな笑みをみせる。
ちょっとキツい目の顔つきだがまあ美人の部類に入るだろう、ただし彼女が人間であったらの話だが。

「アラ?部長サン、またパンと牛乳だけデスカ?」
言いながら彼女は黒い巨大な翼を広げた。
通りの端から端までを軽く覆ってしまいそうな大きな漆黒の翼だ。
だが彼女がただの怪鳥ではない証拠に、翼の間に位置する胴体には女性らしいフォルムを演出する二つの大きな膨らみがあった。
キング・ハーピー=超大型種の女面鳥。それがレビィの種族名である。
人間の女の顔と胴体に黒い怪鳥の翼と鉤爪になった脚。
人間サイズの普通種のハーピーは人を襲うモンスターとして有名だが、ロマリア高地山間部に棲息する超大型種は高い知能と穏やかな気性の持ち主である。
高地の少数民族は彼女等を人間や木材の輸送に古くから使い、川も道もない奥地とも容易に行き来してきた。近年は飼育数の多いドラゴンに取って代わられつつあるが、それでもロマリア世界には重要な『交通機関』である。
とはいえ、街中に住み着いているキング・ハーピーはレビィくらいなものだろう。

「部長サン、朝食の栄養ばらんす、よくナイ!コレも食べル!」
彼女は足元の木箱から何かくわえあげた。それをデュークの目の前に落とす。

ドシャッ!ピチピチピチ・・・
人間の子供くらいの大きさのイワシが一匹、彼の目の前で元気よく飛び跳ねていた。

「・・・気持ちは分かるけど、生はちょっと・・・」
「何言ってるカ!ナマで食うのが一番栄養にナル!」
ニコニコ笑っている彼女にどうやって断わろうか?と悩むデューク部長サンだった。

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ヒュゥゥゥゥ・・・・・
「ウーーーン!やっぱ朝の空気って気持ちいーわぁー!」
「おいおい安全運転で頼むぞ。」
翼が風を切る音が澄んだ空気を震わせる。
朝の爽やかな風の中をフレイナは飛んだ、背中にデュークを乗せて。

「着いたわよぉ!」
観光協会の事務所は波止場の近くにあった。
その少し手前の突堤に彼女は音もなく着地した。同時にデュークも背から降りた。

「よう!おはよう。フレイナちゃんにデュークの旦那!」
「今朝も仕事かい?頑張りなよ!」
近くで働いていた男たちが親しげに声をかけた。

「あっ、皆さんおはようございます!」
「オッハヨーゴザイマース!」
この街で観光会社を始めて数ヶ月、ようやくなじんできた頃だ。

「じゃあ、俺はお客様を迎えにいってくる。そろそろ船でお着きになる頃だ。」
「あたしはこのパンフの原版を協会長さんへ渡せばいいのね?」
ドラゴンはヨタヨタと観光協会の建物に向かって歩き始めた。
ドラゴンの体は『飛ぶ』ためのものであって『歩く』のにはあまりむいていない、

「待て待て!ドラゴンの姿で行く気か!」
「あっ、そうか。人間の姿に『変身』しなきゃ・・・んっ、んんっ!」
フレイナが気合を込めると、彼女の肉体が劇的に変化し始めた。
体表を覆う鱗が溶けるように消え失せ、滑らかな肌色の皮膚が生じた。
骨格は軋み、短い前足は伸び繊細な指を持つ手となった。
太く頑丈な後ろ足はスラリと真っ直ぐになり、大地を踏みしめた。
背中のたてがみは美しい青い巻き毛となり、胸は成長中ながら形のよい二つの丸みを形成した。

「おおーっ・・・・・」
港で働く男たちからどよめきが上がった。
お尻の尻尾と背中の翼と頭の角を除けば、どこから見ても、14〜5才の美少女の姿だ。

「じゃあ、行ってきま・・・」
「・・・まだだろうが!」
「あっそうか!小さくなるの忘れてた!」
彼女の体躯はドラゴンの時と変わっていなかった。観光協会の事務所が広いとは言っても3階建ての建物よりも背の高い女の子が入室可能なドアなどない。

「えっとぉ、むぅ〜・・・・・」
再び気合をこめると彼女の体は見る見るうちに縮み始めた。
断わっておくが全てのドラゴンがこのように人間型への変身ができるわけではない。
極めて強い魔力を持つドラゴンの場合は魔法で変身する事もできるが、彼女の場合は魔法ではない。
数種類の全く違う姿に変形できるという特異体質によるものである。
この体質のドラゴンはフレイナ以外には発見されていない。

「さあて、行ってくるかな?」
「待ちなさい・・・・・」
「もお、今度は何なのよ、お父さん!」
「服ぐらい着てから行きなさい!」
ドラゴンというのは、もちろん服なんか着てない。
人間型に変身するときだって別に魔法ではないから服を空中から取り出せる事もない。
つまり、フレイナは素っ裸のままなのだ。

「面倒くさいなぁ、人間はなんでこんな物着るのかしら?」
「仕方ないだろ、人間型の姿の時は・・・」
「俺たちゃ、構わねぇぜ!」
「目の保養にもなるしな!」
いつのまにやら、港中の労働者が集まってニヤニヤしながら着替えを見物していた。

「ホラホラ、あんたらもドラゴン娘の裸なんぞ覗いてないで仕事しな!」
「ケチだなぁ・・・『お父さん』は。」
デュークに追い立てられて男たちは散っていった。

「じゃあ、あたしもう行くから・・・」
「・・・スカートもはきなさい・・・せめてパンティだけでも・・・」
朝から早くも疲れを感じ始めたデューク営業部長(兼雑用係)であった。

「ふう、子育ても大変だよ・・・おっ、あの船だな。」
港の側に注ぎ込む河口の方から、オンボロの貨物船がゆっくりやってくる。
間もなくボロ船は接岸し、貨物と乗客を降ろし始めた。
その乗客の中に数組の家族、合計18名がいた。

「とうちゃん、船酔いは納まったケ?」
「兄ちゃん、スゲーよ。こったらデッケエ池初めて見たデ!」
「阿呆!これは『うみ』っちゅーモンだ!・・・『うみ』でいいんだよな、おっかあ。」
「あまりキョロキョロすんでねえ!田舎モンだと思われるじゃろうが。」
今日のお客様はヤーマタ村の木工業者組合の方々とその御家族だ。
海を見る事無く一生を終える人も多い山奥の村で、一度だけでも海を見たい。これが今回のお客様のご希望である。

「思い出すなぁ、俺も初めて海を見たのは11才の時だったっけ・・・」
独り言を言いながらデュークは彼等に向かって小旗を振った。

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「・・・・・いいお天気ねー・・・・・」
「そですネ、社長サン。」
流れ行く雲を見ながら、シルフィナとレビィはボンヤリとしていた。

「社長サン、ソロソロお客サン来る頃違うカ?」
「・・・そーねー・・・、そろそろ支度しとこうか。」
レビィと一緒にボーッと雲を見上げていたシルフィナは大きな倉庫(=レビィとフレイナの住む社員寮)の裏手へ回った。

「よいしょぉっと!」
驚いた事に馬車5台分くらいの大きなゴンドラを彼女は一人で担いできた!
軽量素材製とはいえ大の男が10人がかりで持ち上げるのがやっとの重量である。
一見、華奢な彼女の肢体には驚くべきパワーが隠されているらしい。

「じゃあ、レビィ!しばらくじっとしててね。」
シルフィナはこれまた重そうな太い鎖を軽々と背負って、レビィの肩にヒョイヒョイとよじ登った。
そしてゴンドラをレビィの胸の位置まで引き上げ、固定する。

「社長サン!今日のお客サン、来たみたいダヨ!」
「えっ?あっ、ホントだ!」
レビィの頭の上に乗っかって見下ろすと、通りの向こうに小旗を掲げたデュークと彼の後に続く行列が見えた。

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「皆様、本日はシルフィナ観光をご利用いただき、まことにありがとうございます。
わたくしはガイドのシルフィナと申します、どうかよろしく・・・」
メガホンを口に社長みずからの挨拶である。

「社長さん、いやガイドさん、あんたホンマに美人じゃのう・・・」
「まあ、ありがとうございます!」
「どうじゃ?ワシの息子の嫁にならんかね?」
「うふふふ、お戯れを・・・アラ?デューク君どうかしたの?」
シラけた視線を送るデュークの方を彼女は見た。

「別に何でも・・・それより出発の時間です!」
言いながら彼はフレイナの背に飛び乗った。

「何を怒ってるのかしら?まあいいわ。
紹介します。水先案内人のデュークと愛竜フレイナちゃんです。」
「みなさま〜、はじめまして!」
フレイナは大仰な身振りで一礼した。

「ヨロシクね、ドラゴンのおねえちゃん!」
小さな男の子が元気よく返事した。

「では、そろそろ出発いたしまぁす!
本日、皆様の足、いえ『翼』を務めますレビィちゃんでぇす!」
バサッ、バサッ!
「皆サン、オハヨゴザイマス!」
こちらも巨大な翼を軽やかに振って、優雅に一礼する。

「オオッ、こりゃ立派なハーピーじゃわい!」
「うちらの山にもこんな大きいハーピーはおらんのう!」
漆黒の翼を広げたレビィにお客さんは感嘆の声を上げた。

「では、皆様。レビィの胸元のゴンドラにお乗り下さい。」
シルフィナが合図すると、レビィは上半身をかがめてゴンドラを地表につけた。
お客さんたちはゾロゾロとゴンドラに乗り込んでいく。
最後にシルフィナも乗り込んでゴンドラの扉を閉めた。

「それではこれより世界で最も美しい海岸『虹の入り江』へ出発します!
では皆様、発車オーライ!」
シルフィナの掛け声とともにドラゴンと巨鳥は突風を巻き起こして舞い上がった。


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「到着」
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「皆様、眼下に見えてまいりましたのが名高き『虹の入り江』でございます。
日の出から日没に至るまでに七度その色を変えると言われ、西ロマリアでも屈指の美しさを誇る景勝地でございます。
この入り江は古来より人魚が集う海として知られ、昼夜を問わず魂をとろけさせる美しい歌声を聞く事ができます。

伝説ではかつてここに悪徳貴族の館があったといいます。
その貴族は人間の男に恋した人魚の娘を騙して、毎夜、大勢の客の前で歌わせておりました。
やがて貴族は人魚を逃がそうとした、その男を殺してしまいました。
それを知った人魚の娘は悲しみのあまり大津波を呼び、全てを海底に沈めてしまいました。
彼女はそのまま海の底に姿を消してしまったと言い伝えられております。」
シルフィナの解説の間にレビィは着陸体勢に入っていた。

ヒュゥゥゥゥ・・・
風を切る音が聞こえる。

トン。ドン。
一羽と一匹は一陣の旋風をおこして広々とした砂地に着地した。
ゴンドラからシルフィナが先にたってお客さんたちを降ろしている。
デュークは一足先に小さな船着き場へと走っていった。
チケット売り場には白髭の老人が居眠りをしている。

「爺さん、起きてくれ!」
「んっ?おおっ、デュークじゃないか。久しぶりじゃのう。」
「そっちも元気そうだな。今日は『渡し』はOKかい?」
「ふっ・・・きれいどころが揃っておるよ。」
老人が手で示す方向、向かいの島の岸辺に彼女たちはいた。

健康的な素肌の上半身と日の光に煌く鱗におおわれた下半身。
軍船の数倍はあろうかという雄大で優美な肢体。
10人程の美人ぞろいの巨大人魚がこちらを笑顔で見つめている。
彼女たちはここでアルバイトをやってる人魚の姉妹たちである。

「この入り江から沖合いの小島まで『人魚の渡し』で行くことになっております。
大きな木箱の様な船に乗ると、大きな人魚たちが曳航してくれるのです。
でも彼女たちに気に入られすぎるとそのまま人魚たちの国へ連れて行かれる事もあるのでご注意ください。
デューク、用意できてる?」
シルフィナがお客様を引き連れてやってきた。

「おっと、お客さんが着いたようだ。
さっそくだけど右から2番めの・・・サクリフスちゃんだったけ?彼女に・・・」
「待ちなよ、デュークの旦那。ここのしきたりは守ってもらわにゃ。」
意地悪げに爺さんが笑った。

「誰に乗っけてもらうかはお客様が決める。お前さんじゃないぜ。」
「でも、爺さん・・・分かったよ!
お客様、見ての通り粒ぞろいの美女があなた方を島へとお送りします!
どの人魚姫に渡してもらうかお決めください!」
少し焦りながら、デュークは言った。

「スゲェよな、ウチのカカァとは比べモンにならねえ美人ばっかだ・・・イテテテッ!」
「アンタ!子供の前で変な事いうでねぇ!」
「ボク、あっちの髪の長いお姉ちゃんがいい!」
「あたし、真ん中の首飾りした人魚さん!」
「オラァ、あっちのぐらまーな・・・いやなんでもねぇ。」
意見は全然まとまりそうにない。
デュークの表情に焦りの色が濃くなってきた。

「あの、皆様・・・出来るだけ早く・・・」
「ざーんねーん、残念!時間切れでぇーす!」
海の中から快活な声がした。

バッシャーーーン!
景気よく水柱がデュークの鼻先で上がった!
水柱が散った後にはブルーの髪を真珠の帯で束ねた、可愛い人魚の娘が1リムル以上の高みから彼等を見下ろしていた。

「や、やあマリーネちゃん・・・」
「ハロー、デュークちゃん、元気だったぁ?
おっ客さーん、渡し守の役はあたしでどうかなあ?」
明るいニコニコ顔につられて子供たちも笑う。

「うん、いーよ。」
「まあ、子供らがいいんなら・・・」
あっさりと決まった瞬間、デューク君の表情がひきつった。
客が人魚を選んだならば、規定の料金を払えばよいのだが、人魚のほうからの申し出を受け入れた場合は・・・
不意に突き刺さるような視線を背中に感じた。
振り返るとシルフィナが彼を見つめていた。
営業スマイルを崩すことなく、無言の怒りのオーラを身に纏って。
彼女の眼鏡の丸いレンズが冷たく光った。

「よぉーしっ、決まりだね。さあ、乗った乗ったあ!」
大きな桶のような船をマリーネは取り出して、海面に浮かべた。

「あの、あの、シルフィナ・・・じゃなかった社長・・・」
「さあ、皆様急ぎましょう。」
デュークを無視してシルフィナはさっさと船に乗り込んだ。
その後に続いて、お客さんたちも乗り込んでゆく。

「さあ、デュークちゃんもどーぞ!」
「いや、俺はその・・・そう、フレイナに乗っていくから!」
何故かデュークは乗船を断わりたいらしい。

「あら、フレイナちゃんなら、ほら・・・」
マリーネの指差す先、向かいの島の上空にフレイナとレビィの姿はあった。

「さっさと乗れば?デューク営業部長。」
異様に冷たい言葉が背中を向けたシルフィナから投げつけられた。

「・・・いや・・・でも。」
「じれったいなあ!」
「うわわわっ!」
マリーネがいきなり手を伸ばしてきた!
デュークの体をまるで玩具の人形のようにつかむと『たらい船』に放り込む!

「乱暴だなぁ・・・」
「さあ皆様、出発いたしまーす!」
バシャバシャと元気よく波を蹴立てて、マリーネは泳ぎ始めた。

「わーっ!速いなー!」
「すごいすごぉい!もう陸地があんなに遠いよー!」
「わあ、おさかな、おサカナ!!」
子供たちがはしゃぎまくっている。

「皆様、只今、船の前方に見えます島が名高いロオオ島、別名『恋島』でございます。
入り江の人魚の悲恋は先程お話したとおり悲しい結末でしたが、この『恋島』にも人魚と人間の青年の恋の物語が伝わっております。
この世で最も大きくて歌の上手な人魚と船乗りの青年は月が満ちる度に島で逢瀬を繰り返し、無事に結ばれたと伝説は伝えております。
以来この島は『恋島』と呼ばれ、恋愛成就の祈願所となっております。」
シルフィナの語りに子供たちは目を輝かせて聞き入った。
大人たちはどこからか酒瓶を取り出しワイワイやり始めた。

「おーい、シルフィナにデュークじゃないか?」
何時の間にかマリーネに一隻の遊覧船が併走していた。その船上からの声だった。

「お久しぶりです、キャプテン・カーク!」
「あら!船長、御無沙汰しております。」
遊覧船の帆には「エンタープライズ号」とデカデカと名前が描かれていた。

「ここんとこ見かけなかったが、仕事がなかったのかい?」
「まあ、山のほうの仕事ばっかりだったのですよ。」
シルフィナをからかいつつも、見事な操船でマリーナの横にピタリとつける。
30代前半のこの男、元は海軍の艦隊司令官だったと噂される生っ粋の海の男である。
それがどうして遊覧船の船長兼操舵手なんぞやってるのかは謎だ。

「あたしのお客さんをからかわないでちょうだい!」
そっぽを向いたマリーネが不機嫌な声を出した。

「おおこわ!じゃあな、俺も仕事があるからよ!
ガキども、後で島の船着き場に来な。特別にタダで乗せてやっからよ!」
男らしい笑顔と笑い声を残して、海の男は去っていった。

「ヘン!ガサツな男ってキライ!」
マリーネはご機嫌ナナメになったようだ。
だが彼女の視線は、なぜか離れ行く遊覧船を追っていた。

**********

「では、皆様・・・足元に気をつけて下船してください。」
シルフィナは子供たちの手を取って船から下ろしていた。
大人たちも続けて下りていく。最後にデュークの順番がきた。

「さてと、デュークちゃん・・・渡し賃をいただこうかしら?」
マリーネは少し悪戯っぽい声で言った。

「あははは・・・お、おいくらだったかな。」
「とぼけないでよ。構わないでしょ、シルフィナさん?」
意味ありげにシルフィナをチラリと見た。

「さっさと払ってあげたら?減るモンじゃないし。」
異様に冷たい態度でシルフィナは歩き出した。デュークを残して・・・

「ちょっと待って・・・うわっ?!」
彼の体はマリーネの巨大な手に捕まった!
そのまま巨大で可愛い瞳の高さまで持ち上げられる。

「じゃあ、お支払い頂きます。」
「あのね、マリーネちゃん!俺はもう・・・!!」
「・・・んっ・・・」
巨大な顔面が迫ってきた、と思った瞬間彼の全身は柔らかな圧力に押さえつけられて動けなくなった。
全身を覆い尽くす広大な唇での熱烈なキス。
これが人魚側からの申し出を受け入れた場合の『渡し賃』である。

「わあ・・・・・」
見上げる観光客からどよめきが起こった。

「人魚渡し舟をご利用いただき、ありがとうございました。
次回もよろしくね、デュークちゃん。
・・・ホントは繁殖期にもご協力頂きたいんだけど・・・ネ!」
いいながら彼女はデュークを降ろして・・・

ザブーン!
大きな水柱を残して水中に消えた。

「やるねえ、あんちゃん!」
「かっこいー!お兄さん」
「意外とモテるでねえか、イヨッ!色男!」
地上に降ろされたと同時にお客さんがデュークを取り囲んでからかった。だが・・・
背後から突き刺さる無言の視線を感じた。

「・・・・・」
振り返ると微笑みを浮かべたシルフィナがいた。
彼女の背後に燃え盛る地獄の業火がチラリと見えた・・・ような気がした。
無言のまま彼女はクルリと背を向けてスタスタと歩き去った。

「あの、シルフィナ・・・社長ちょっと・・・」
「お父さん!」「部長サン!」
怒りをはらんだ声に彼は凍りついた。
フレイナとレビィが何時の間にか彼の両脇に立っていた。

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「・・・・・浮気者!」
静かな波打ちぎわを見つめてシルフィナは呟いた。
眼鏡のレンズが涙で曇ってしまった。
彼女は砂浜に座り込み、小さな貝殻を拾った。

「エイッ!」
貝殻を海に投げた。すると・・・

「あれ?」
貝殻が沈んでいったあたりで小魚が跳ね始めたのだ。
小魚の数は急速に増え、その場にドンドン積み重なっていき、魚の山ができた。
魚の山はモゾモゾと形を変え、色を変え、物静かな印象の美しい女性の上半身を形成した。

「久しぶりですね。シルフィナちゃん。」
「あ・・・アクア様、お久しぶりです。」
入り江一帯の人魚の長・アクア。正確にはその分身であった。
本体の彼女は15リムル(約1500メートル)超す超々巨大人魚であり、年齢は既に100レムル(約1万年)を超えているとも言われている。
たかだか2〜3レムルのシルフィナやマリーネなど子供、いや赤子と変わらない。

「我が一族の末っ子がまた迷惑をかけたようですね。ごめんなさいね。」
「マリーネちゃんの事ですか?気になさらないでください。
私もちょっと大げなかったかな、って思ってたんですから。」
シルフィナもちょっと赤面した。

「でもあの娘もあれなりに必死なのですよ。
シルフィナ、あなたも知っての通り我が入り江の一族にはここ3レムル以上の間、人間の血が入ってきていないのです。」
「妖精族に属する者は長い寿命と強い力を持つが、種としての生命力はむしろ弱い。
一族によっては時折、妖精族以外の強い命を持つ種族、例えば人間の血を入れないと、やがて子供が生まれなくなって滅びてしまう・・・」
シルフィナは−−−まるで自分に言い聞かせるように−−−後を続けた。

「だが人間なら誰でもいいという訳ではありません。
我らと人間ではあらゆる面で違いすぎます。
それを乗り越えられる強い魂の持ち主でなくてはなりません。
デュークさんは妖精に近い魂を持つ極めて少ない人間の一人です。
マリーネが執心なのも無理からぬ事なのです。」
「分かっています。」
「しかしこれ以上、シルフィナさんを悩ませるようであれば私からも・・・
おや?誰かこちらへ来ますよ。話はまた後ほど・・・」
長老・アクアの姿は崩れ、バラバラの小魚になって波間に散っていった。
見ると砂浜の向こうから誰か駆け寄ってくる。

「しゃ〜ちょ〜、たーいーへーんでぇーす!」
「噂をすればなんとやら・・・どうしたのぉ、デューク!!」
「お客様の乗った遊覧船がまだ戻ってきません!」


**********
「海賊」
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「まだ戻らないの!ウチの子どうなったの?」
「はい・・・ですから・・・落ち着いて・・・」
島の船着き場は大騒ぎになっていた。
遊覧船の受付嬢が数十人の客に取り囲まれて半泣きになって応対している。

「どういう状況なの?」
険しい目でシルフィナが尋ねる。

「帰港していないのは、キャプテン・カークのエンタープライズ号です。
ウチのお客様のお子様が2名乗っているようです!」
デュークの顔にも不安の色が浮かんでいる。

「キャプテンは口は悪いが腕は超一流です、遭難はまず有り得ない。
実は今、漁師さんに聞いたのですが・・・
昔、この辺を根城にしていた海賊が戻ってきているらしいと・・・」
「何よそれ!観光協会からはそんな連絡きてないわよ!」
シルフィナは憤慨したがそれどころではない。

「とにかく捜索のために、遊覧船『コメット号』を出すそうです。
社長はレビィと一緒に捜索して下さい。」
「デューク、貴方は?」
「フレイナと空から捜索します!レビィ!フレイナ!準備はいいか?」
「OKよ、お父さん!」「任せテ、社長サン!」
数分後、一羽の怪鳥と一匹のドラゴンが島から飛び立った。

**********

青い空と青い海の間を一匹のドラゴンが飛ぶ。
潮風に乗り、上空からの捜索が続く。成果は・・・ない。

「まだ見つからないか・・・シルフィナたちは見つけたかな?」
「あっ、お父さん!あれ、マリーネちゃんじゃないかしら?」
水面下を巨大な影、鯨の10倍はあろうかという何かが泳いでいる。
高度を下げて影に合わせて低空飛行に移る。
すると影の方もフレイナに気がついたようで、その場に停止した。

ザバァーンン・・・
フレイナの高度よりも遥かに高い水柱が上がった。

「デュークちゃん、大変よ!カークの船が海賊に襲われているらしいわ!」
海を二つに割るほどの勢いで飛び出したマリーネが息継ぎもせずに叫んだ。

「なんだって!どこで?!」
「魚たちの話だと、ここから西へ進んだ三日月珊瑚礁の近くよ!
幻術師の目くらましにかかって航路を外れたらしいわ!」
「フレイナ、急ごう!」

ドラゴンの翼にかすかな青い輝きが宿った。
首は長く伸び、手足は逆に縮んで胴体に収納された。
翼は大きく広げた形から、半ば折りたたまれた三角形に変化した。
フレイナの高速飛翔形態。
変形と同時にフレイナの体は風よりも弓矢よりも速く、空気を貫通して突き進んだ。

**********

カン、カン、カン!
「くっそぉ、ただでさえボロい俺の船をボロボロにしやがって!」
「ケッ!無駄な抵抗はやめて、そこのジジィとババァを渡しな!」
「だぁれがテメエらなんぞに客を渡すかよ!」
カーク船長は悪態をつきながら、海賊の剣を小さな手斧で受け止めた!
反撃したいところなのだが、背後に子供を二人かばいながらなので動きがとれない。

「すまん!わしらのせいでこんな事に・・・」
客室の隅で老夫婦が震えながら船長にあやまった。
聞く所によると、引退した大商人らしい。
彼等を誘拐して身の代金をせしめるために、この船は襲われたのだ。
遊覧船エンタープライズ号は数本の鎖とロープで海賊船に繋がれていた。
乗り込んで来た海賊たちと船長一人で渡り合っていくのも限界だ。
しかも、マストをへし折られて逃げる事もできない。

「船長さん、何かこちらへ飛んでくるよ!」
背後の男の子が空を見上げて大声を上げた。

「おおっ!ありゃあフレイナちゃんとデュークの旦那か!」
雲を突き抜けて、一匹のドラゴンが急降下してくる!
高速飛翔形態を解除しながら、舞い下りてくるのはフレイナだ!

「フレイナ、分かってるな?」
「うん。お父さんこそ気をつけて!」
バシュバシュバシュバシュバシュッ!
海賊船から矢が放たれた。
避けようとしてバランスを崩したのか、フレイナは錐揉み状態で落下した!

「ヤアッ!」ドスン!
間一髪、デュークは墜落するフレイナから遊覧船の甲板に飛び降りた。

「オイ、デューク!フレイナちゃんが沈んじまうぜ?!」
船長が指差す先には波に呑まれていくフレイナが見えた。

「大丈夫です!それよりお客さんを!」
怒鳴りながら、デュークは立てかけてあったモップをつかんだ。

「やぁーっ!」
勇ましく海賊たちに突進したデュークだったが・・・・・

バキッ。
「なんだ、この弱っちいのは?」
頼みのモップを真っ二つにされ、蹴飛ばされて無様に甲板を転がった。

「クッ・・・」
ドカッ!
立ち上がろうとしたところを、再び蹴り倒され数人の海賊に囲まれた。

ドカッ!バキッ!ボゴォッ!
後は好き放題に殴られ蹴られ、顔面を血まみれにされてのたうちまわった。

「おい!デューク,しっかりしろ!」
カークの声がエコーがかかったように遠くに聞こえた。

「ケッ、弱ぇクセにでしゃばりやがって・・・」
海賊のひとり、不精髭の男が幅広の剣を振り上げた。絶体絶命・・・

バシュッ。
「なんだぁ!」
海賊たちの背後で何かが吹き上げるような音がした。
振り返ると海賊船と遊覧船の間から、細い水柱のようなものが吹き上がっていた。

キン、キィィィン!
真横に移動していく水流はロープはおろか鋼鉄の鎖をも切断した。

「お父さん、上手くいったわ!お父さん?」
呆気に取られる海賊たちの目の前に水飛沫を上げて、大きな女の子の顔が飛び出した。

「人魚?いや、それにしては小さすぎ・・・」
カーク船長も初めて見る生き物の姿だった。
小さいと言っても、遊覧船の半分程の大きさのあるそいつは・・・フレイナだった。
顔とむき出しの胸は間違いなく人間の女の子の物だが・・・
両手両足は海竜のような大きなヒレに変形し、背びれと長く平べったい尻尾が生えている。
海竜形態と呼ばれる姿であった。

「あんたたち・・・よくも・・・父さんを!」
もう一個所、人間的でない部分があった。
燃える瞳は憎悪と凶暴さを剥き出しにした爬虫類の眼であった。
彼女は遊覧船によっかかった姿勢でカッと口を開けた。

「殺すんじゃない!」
デュークのこの言葉を聞いたフレイナは一瞬、不機嫌な表情をした後、口から太い水流を吹き出した。

「ギャッ!」「ウオォォッ?」
デュークに群がっていた海賊たちは強烈な水流に弾き飛ばされて、海に落ちた。
カーク船長と戦っていた海賊もフレイナに気を取られた一瞬、船長に蹴飛ばされて甲板から転がり落ちた。

「父さん、大丈夫?・・・酷い、こんなに怪我して・・・」
フレイナが心配するようにデュークは思いのほか重傷を負っていた。
顔も手足も痣だらけ、おまけに肋骨をやられたらしく呼吸も苦しげで、顔色は真っ青だ。

「あいつら、沈めてやる!」
「待て・・・・・フレイナ!」
海賊船を睨みつけるフレイナをデュークは止めた。

「なんで止めるのよ?!」
「お前が・・・海賊船を沈める前に・・・この遊覧船・が沈められちまう。
それより・・・奴等が海に落ちた仲間を・・救助・してる間に・・・・・逃げるんだ。」
「デュークの旦那の言うとおりだ。
この船はマストをやられているから、フレイナちゃんに曳航してもらうしかないんだよ。」
「わかったわよ・・・」
船長の投げたロープを首にかけると、フレイナは力強く泳ぎ始めた。

**********

「奴等、もう追いついて来やがった!」
後方を見た船長が悪態をついた。
戦闘用に設計された海賊船と重い荷物を曳航するフレイナとでは船足が違いすぎるのだ。

「どうする?このままじゃ港につく前に追いつかれちまうぜ。」
「大丈夫だよ・・・船長。ここまでくれば・・・・・」
デュークは懐から何かを取り出した。それは一枚の古ぼけた手鏡だった。

「おい、あんた!そんな物でどうすると・・・」
「なるほど!そいつがあったか!」
客の疑問を船長が遮った。
デュークから手鏡を受け取ると、船長は海に投げ込んだ。
手鏡はキラキラと光を反射しながら海中に沈んでいった。

「船長さん、今のは何の意味が・・・?」
「まあ見てなって。今すぐ最強の『救援部隊』が到着するから!」
だがその間にも海賊船は真後ろに迫っていた!
停止を考えていないスピードからすると、今回は体当たりで遊覧船を沈めてしまうつもりらしい。

「船長さん、なんとかならんか?」
「・・・・・来た!救援だ!」
遊覧船の左右が激しく泡立った!
そして左右に5本ずつ計10本の柱のような物が海面から突き出した。

「一体あれは何です?!」
「救援部隊の指ですよ、お客さん。」
「指?!おおっと!」
遊覧船は激しく揺れた。巨大な指が遊覧船を両脇からつかんだのだ。
そのまま船体は海面から持ち上げられた。

「ヒャア?!」
驚きながら、海面を見下ろしていた少年が声を上げた。
海面からこちらを見上げる大きな顔と視線が合ったのだ。

「よう、マリーネ。案外早かったじゃねえか。」
「カーク!無事だった?」
「ああ、俺はな・・・だがデュークの旦那が大怪我だ。」
「何ですってぇ?!あんたがついててこのザマなの!」
「怒るなよ、それより早く港まで頼む!」
「分かってるわよ、この役立たずのボケナス船長!」
マリーネの背泳ぎが一気に加速した!
フレイナもそれに遅れず泳ぎを加速する。

「くそっ、人魚相手じゃ・・・」
海賊の親分らしき男は船を止めた。
全速で泳ぐ人魚に追いつくのは難しい、というより不可能だ。
第一、近づきすぎれば人魚が発生する大波で転覆してしまう危険があった。
今回の獲物は諦めるしかないのだ。

**********

「・・・・・・・・・・ここは?」
デュークは宿屋のベッドで意識を取り戻した。
手足がズキズキと傷んだ。息をするたびに胸に激痛が走った。
あたりに人はいなかったが、階下からシルフィナの声が聞こえてきた。

「どーゆー事なんですか、組合長!!海賊が出るなんて聞いてませんよ!」
「まあ、落ち着いてくれ、シルフィナさん。」
「落ち着け?ウチのお客さんが巻き込まれた上に、営業部長まで重傷なんですよ!」
「そんな事言ってもわしらも困っとるじゃ。
海軍が出てくれば海賊どもは逃げちまって捕まらんし。
それにしても入り江の中の船まで狙うとは・・・」
「仕方在りませんね。この話は後日・・・」
階段を昇ってくる足音が聞こえた。
ガチャリとドアが開いてシルフィナが入ってきた。

「あら、気がついたの?よかったわ。」
「社長・・・お客さんは?」
「無事よ、貴方の怪我をとても心配してたわ。」
「そうですか、よかった。」
彼は涙を流した。痛みのせいだけではない。
よかったとは言ったものの、自分が情けなかったのだ。
彼は少年の頃から勇者ラングのような冒険家に憧れていた。
カーク船長のようなかっこいい男になりたいと願ってきた。
しかし現実は・・・・・下っ端海賊相手にこのザマである。

「傷が傷むの?」
「・・・・・いいえ。」
「大丈夫よ、このあたりで一番腕のいいお医者様に診察して頂いて、一番高価な薬を塗ってもらったから、明日の朝には治っているわ。」
「社長・・・」
暖かい言葉に、デュークの目から涙がこぼれた。

「大丈夫よ、治療費は貴方のお給料から差し引いておくから。」
「社長・・・」
デュークの目から再び涙がこぼれた。さっきと微妙に違う意味で・・・

「それから・・・今は勤務時間外よ。『社長』じゃないわ。」
「シル・・・」
優しいキスが彼の言葉を止めた。

「おやすみなさい、マイ・ダーリン・・・」
魔法のキスで安らかな寝息を立て始めたデュークを残してシルフィナはベッドから離れた。

ストン。
窓から身軽に月明かりの路上に着地すると彼女は船着き場に歩き始めた。

**********

船着き場にはレビィと飛竜の姿のフレイナがいた。
マリーネも海から半身を乗り出して待っていた。

「社長サン、やっぱりヤルのカ?」
「当然よ、父さんをあんな目に会わされて・・・」
物静かなレビィと、激昂しているフレイナ。

「海賊どもの巣窟は分かったわ。あたしも手伝うよ。
あたしの姉さんたちも協力してくれるって。」
マリーネも最初から喧嘩腰だ。

「勘違いしないでね、私は話し合いに行くだけなんだから。」
「話し合い?ふーん『皆殺しのシルフィナ』が話し合いねえ?」
「いやねぇ・・・マリーネちゃんたら。物騒な昔のニックネーム出さないでよ。」
ちょっと恥ずかしげに微笑むシルフィナ。

「じゃあ、フレイナちゃん。私を乗せて行ってちょうだい。
マリーナちゃんはお姉さんたちと、海賊さんのアジトのまわりを包囲して待機ね。」
「社長サン、ワタシ何すればいいカ?」
「レビィ、貴方は悪いけどお留守番よ。」
「でもワタシも・・・」
「貴方は鳥目でしょ?月明かりくらいじゃ飛ぶのも大変よ。」
そう言うと、シルフィナはヒラリとフレイナの背に飛び乗った。

「マリーネちゃん、誘導御願いね。」
「OK、フレイナちゃん。こっちよ。」
音もなく泳ぎ始めた海中の巨大な影を、やはり音もなく飛び立った飛竜が追っていった。


**********
「報復」
**********

海賊たちのアジトは入り江から遠く離れた小島にあった。
周囲は1リムル以上の崖に囲まれた岩ばかりの島だった。
小島というより海に突き出した巨岩といったほうがよかった。
島のあちこちに倉庫や高い見張り台が立てられ、蟻の巣状に掘りぬかれた洞窟は海面に通じ、数隻の海賊船が隠されていた。

「暇だよなぁ、ふぁぁぁ・・・」
見張り台の男はあくびをした。
敵襲に備えろと命令されていても、敵なんぞくる筈もない。
第一、海軍や巨大人魚が攻めてきたら、全員でさっさとトンズラするだけの事だ。

「んっ?」
頭上で微かな羽ばたきが聞こえたような気がしたのだ。
見上げると、女を乗せたドラゴンが一匹、空中静止している。

「夜分、恐れ入ります。」
「あ・・・はい?」
「海賊さんの住所はここでよろしいのでしょうか?」
「えっ?ええ・・・そうですが。」
「私、シルフィナ観光の社長でシルフィナと申します。お見知りおきを。」
「あ?ああ・・・俺は見張りのゲインって言います、よろしく。」
「申し訳ないのですが、ここの代表の方に取り次いでいただきたいのです。」
「ウチの親分に?どのような御用件で・・・」
「はい、実はそちらの昼間のお仕事で当方に多大な被害が出てしまいましたので・・・」
「あの・・・まさか・・・弁償しろとか?」
「はい!お分かりいただけましたか!」
数秒間の沈黙があった。

「ブワッハハハハハ!」
見張りの男は笑い転げた。

「何を笑ってんだ!この野郎!」
フレイナが凄んだが男は笑い続けた。

「だってよ、ヒヒヒヒヒ・・・海賊相手に損害賠償を求めにきたボケは初めて見たぜ!」
「こいつぅ!」
「およしなさい、フレイナ。こういう時は誠意をもって接する事が商売の基本なのよ。」
一見、落ち着いた対応をしているシルフィナだったが・・・額には血管が浮き出ていた。

「では、『最大』の誠意をもってこの事態に対処しましょう!」
シルフィナはそう言うと、眼鏡をはずして・・・フレイナの背中から飛び降りた!

「なんだあ?!」
驚く男の眼下で、落下してゆくシルフィナの体が金色の光に包まれた。
固く目を閉じて体を丸めた彼女の肉体の落下速度はだんだんと減速し、海面ギリギリで静止した。

パッ!
彼女が体を伸ばした瞬間に彼女の服が、サンダルが、ヘアバンドが、下着さえも、引き裂けて分解し、空中に消滅した。
輝く白い裸体が暗い海の上で翻った。ゆっくりした回転のたびに輝きが強まった。

グン!
相変わらず目を閉じたままの彼女の体がいきなり倍の大きさに拡大した。

グォォォォ・・・
まるでビデオの高速再生での植物の成長のように彼女の体は巨大化していった。
呆然とする見張りの男の目の前を小山のような大きな乳房が通過していった。
彼女の体は海面からゆうに1.5リムルはある見張り台を見下ろす大きさに達していた。

輝きの中から霧のような物が生じ、シルフィナの体に貼りついた。
全身の輝きが消えると霧はエルフ族の伝統的な銀色の鎧と短剣に変化した。
左手には細かい細工を施した細い木の杖が現れた。
だがその杖でさえ樹齢40レムル以上はありそうな古代杉の巨木で作られていた。

「ふふふ・・・人前で着替えるなんて恥ずかしいわね。
ところで見張りのお兄さん!私のお肌、堪能したようね?」
「は・・・い、どうも、えへへへ・・・。」
「じゃあ、これが拝観料ね。」
グォォォン!ドガン!
弾みのついた右腕が見張り台を直撃、木っ端微塵にした。
見張りのお兄さんは、可哀相にどこかへすっ飛んでいなくなってしまった。

「くぉら出てきやがれ、マヌケ海賊どもがぁ!」
甲高い罵声が島を揺るがした!
文字どおり、声だけで地面がビリビリと振動したのだ。
ボロ小屋のいくつかはそれだけで倒れてしまった。

「な・なんだ!」
「何が起こったんだ?」
「・・・見ろ、あれは・・・あいつは?」
洞穴から慌てて駆け出してきた海賊たちは、頭上から見下ろす巨大なエルフ美人を驚きの目で見上げた。

「おぅ、よーやく出てきやがったか・・・
チビども、踏み潰されたくなきゃあ今すぐ払うモン払いな!」
やたら横柄な態度で要求する女エルフに、最初驚いていた海賊たちも怒った。

「なんだと?この野郎・・・」
「誰に物を言ってやがる!」
「構わねえ、こんなデカブツぶっ殺しちまえ!」
怒りに燃える海賊たちが戦闘態勢に入った!
あちこちに据え付けられた魔力大砲や大型銛撃ち器がシルフィナに向けられた。

「おう、どでかいネエちゃんよぉ。もう逃げ場はねえぜ!」
海の方からも声がした。
何時の間にかシルフィナの背後に2隻の海賊船が回り込んでいた!
四方から向けられた武器と敵意にシルフィナは・・・・・

「やかましい!弁償しねえ、ってぇんならこっちにも考えがあるわよ!」
・・・全然、意に介してなかった。海賊たちもカチンときた。

「ブチ殺してやるぜ!」
バシュッ!バシュッ!バシュッ!
矢が放たれた!
ドカン!ドカン!ドカン!
大砲が火を吹いた!

「集い来れ、風の精霊よ・・・」
杖を高々とかかげて唱えるシルフィナを、そよ風が優しく取り巻いた。
そして・・・矢も大砲の火線も、頼りないそよ風に包まれるや力を失って海に落ちた。

「誰かしら?」
「だあれ?」
「誰なの、私たちを呼んだのは?」
風の中から姿なき少女たちの声が響いた。

「あら、シルフィナ?」
「お久しぶりね、シルフィナ!」
「何か御用かしら?」
「お久しぶりね、風の精霊さんたち。」
風に向かってシルフィナは微笑んだ。

「ここにいる人間たちを懲らしめて欲しいの。私の大事な人にひどい事をしたから。」
「そうなの!」
「ヒドイ人たちね。」
「懲らしめるのね。」
「懲らしめてあげる。」
ビョォォォォ・・・
そよ風は烈風となり島を吹き荒れた。

「ウワアアア!」
「かっ、風に、とっ、飛ばされる?!」
叩き付けるような風が海賊たちを吹き飛ばしてゆく。

「オラオラオラ!ぶっ飛ばされたくなかったらとっとと弁償せんかい!」
ドッカーン!
シルフィナが振り上げた拳を地面に叩き付けのだ。
巨大な地割れが島を真っ二つに引き裂いた!

「それともマジでケチな島ごと海に沈めてやろーか!」
バゴォーン!ズゴゴゴゴゴ・・・
続く膝蹴りで島が斜めに傾いてしまった!

「ヤクザだ・・・エルフのヤクザの取り立て屋だったんだ!」
横風で転覆寸前の海賊船上で一人が呟いた。そのとたんに!

「なあんだとぉ?コラ、そこのボケ!」
しっかりシルフィナの耳に届いていたらしい。
大波を立てながら、ズカズカと海賊船の近くまで寄ってきた。

「テメエェか。いま人の事をヤクザだとかぬかしやがったのは?」
「はわわわ・・・・!」
ガシッ。
片手で海賊船をつかみ、そのまま頭上へ2リムル以上持ち上げた。

「堅気の会社社長をつかまえて、こともあろうに『ヤクザの取り立て屋』だとォ?!」
ブン!ドガッ!
手にした海賊船をもう一隻の上に叩き付けた!
哀れな海賊船は粉々に砕けてあっという間に沈んでしまった。

***********

「何の騒ぎだ、これは!」
騒ぎに目を覚ました海賊の首領が、地面に這いつくばっている部下の胸座をつかんで問いただした。

「大変です、親分・・・どでかいエルフの女ヤクザがカツアゲにきたんですぅ・・・」
「なんだと?ええい、この腰抜けどもが・・・頼りにならん!
やはり、この場は御願いしますぜ、用心棒の先生方。」
傍らに立つ5人の人影に顔を向ける。

「任せておきたまえ、親分さん。
我ら5人にかかれば巨大人魚だろうが巨大エルフだろうがものの数ではないわい。」
暗闇から余裕の笑い声が聞こえてきた。

ピカッ!
島の一角から閃光が走った。

「なにかしら?」
眩しい光にシルフィナは思わず手で顔をおおった。
白い光が一瞬、視界の全てを塞いだ。

「えっ?!」
光が消え去ったとき、彼女は鬱蒼と茂る真昼のジャングルの中にいた!
それも人間サイズで・・・

**********

どこからか獣の鳴き声が聞こえてくる。
頭上は空も見えないほど木々が繁っている。

「幻術ね・・・」
真夜中の海から一瞬で真昼の密林に運べるような都合のいい魔法などない。
そもそも今の自分より背の高い木などこの世界にはありえない。
彼女自身の感覚が自分が今だ巨人の状態にある事を示していた。
全てはまやかしに過ぎない。
だが・・・彼女は手近な椰子の木に触れてみた。
固いゴツゴツした木の感触だ。
葉に触れてみるとツリリとした、紛れもない葉の表面の感触だ。

「これは・・・かなりヤバイなあ。」
極めてリアルな幻の中にいるのは、実はかなり危険なのだ。

ガサガサ・・・
薮の中からノソリと姿をあらわした動物がいた。

「サーベルタイガーか。」
幻の虎と知りつつもシルフィナは身構えた。

ガアァオォォォ!
大きな牙を持つ虎はシルフィナに襲いかかった!
一瞬早く身をかわすシルフィナの肩に熱い痛みが走った!

ヒラリと着地し、振り向くサーベルタイガー!
シルフィナの右腕の裾から赤い血が滴り落ちた。
幻ではない、現実の血が!

深い催眠術にかかった人間に『熱い火箸だ。』と言ってただの万年筆を握らせると、本当に火傷を負ってしまう場合がある。
それと同じ現象がリアル過ぎる幻覚の中では起こるのだ。
この場合、幻の虎に引き裂かれれば大怪我をし、噛みつかれれば実際に重傷を負う。

バッ!
サーベルタイガーが再度跳躍した!
シルフィナは今度は完璧に攻撃をかわし、引き抜いた短剣で切りつけた!手応えあり!
だが・・・虎は何事もなかったかのように着地し牙を剥いた。
幻相手では傷つける事も攻撃する事もできないのだ。

「そして幻覚世界での死は現実の死となるか・・・」
シルフィナは杖をかかげた。

「集い来れ、風の精霊たちよ!」
何の反応もない。

「我が呼び声に答えよ、雷の精!」
やはり何も起こらない。幻覚世界には精霊の力が及ばないのだ。
シルフィナの表情に焦りの色が浮かんだ。

**********

「こうなっては強大な魔力を誇るエルフも木偶の坊よな。」
小気味よさそうに海賊の親分は言った。
こちらからはシルフィナの姿は濃霧の中で動き回る影にしか見えない。
魔法陣を囲む5人の幻術師が作り出す幻覚の世界にシルフィナは封じ込められているのだ。

「そちらからこっちは見えまい。このまま、一斉攻撃でとどめを・・・」
「余計な真似はやめてもらおう。我らの秘技・ファントム・ワールドが崩れてしまう。」
リーダー格の幻術師が海賊の親分を制止した。

「心配には及ばぬ、あのエルフは生きてファントム・ワールドを脱することはできぬ。」
「内側からは絶対に破れねえってことか。」
「その通り・・・もっとも・・・・」
「外側からはどうなのかしら?」
彼等の背後から女の子の声がした!

「!?!?誰・・・ギャア!」
「グォォォ!?」
「ヒイィィィ・・・!!」
3人の幻術師の悲鳴が響いた!

「どうした!」
答えはない。カンテラを掲げて3人がいたあたりを照らした。
・・・・・誰もいない。いや・・・

「な・なんだこいつは・・・」
幻術師のリーダーはたじろいだ。
人間に似ていなくはない、翼と角と尻尾を除けば・・・
そして人間の10倍はありそうな巨体を除けば・・・
左右の手には部下の幻術師を握り締めていた。
二人とも手足がおかしな方向に曲がり、悶絶していた。
もう一人は上下の牙の間から両足だけ出して、バタバタしていたがやがて動かなくなった。

「ぺっ・・・」
そいつは口にくわえた一人を吐き出し、両手の二人を無造作に投げ捨てた。

「人間のお肉ってヤッパ不味いわ・・・キャベツのほうが美味しいわね。」
シルフィナは囮・・・フレイナが物陰に隠れて背後を突いたのだ。

ブォン!
「ギャッ!」
尻尾の一振で残る幻術師は短い叫びを残して吹き飛ばされ、崖から暗い海に落ちていった。

「くそっ!高い金払って雇った用心棒を!」
海賊の親分は剣を抜いてフレイナに切りかかった!・・・だが!

「グェッ!???」
背後から何か大きな物に押し倒され、押さえつけられて動けなくなった。
幻覚世界を脱したシルフィナが人差し指1本で背中を押さえつけていた。

「ちょっと、お話を聞いていただきたいんですの。よろしいかしら?」
天使の様な微笑みを浮かべた巨大エルフ。
だが海賊たちには地獄の使者に等しかった。
親分の背骨が圧迫されてギシギシと音をたてた。

「わ・・・わかった!」
「まあ、よかった!やっぱり誠意って通じるものなのね!」
嬉しそうなシルフィナの顔に海賊たちは心底恐怖した。


**********
「交渉」
**********

「とにかくだ、俺たちのせいでお前んトコの社員が怪我したから弁償しろと言うんだな?」
「はい!」
朗らかな笑顔で答えるシルフィナ。

「冗談じゃねえ!どこの世界に獲物に弁償する海賊なんて・・・」
バコッ!
フレイナが爪先で軽く蹴飛ばすと親分は地面に顔を突っ込んで沈黙した。

「・・・いかほどお支払いすればよろしいのでしょうか?」
顔を泥だらけにして立ち上がった親分は、驚くほど素直な性格になっていた。

「支払えぬ程払え、などとは言いませんわ。支払える範囲で構いません。」
「あの、つ、つまり・・・」
「有り金全部。」
「ふざけんな!」
シルフィナの法外な『要求』にさすがの海賊も激昂した。

バキィッ!
シルフィナは微笑みを絶やす事なく握り拳を手近の崖に叩き付けた!

ガラガラガラ・・・
轟音をたてながら崖は崩れ落ちていった。

「あら、ごめんなさい。崖崩れの音がやかましくてよく聞こえなかったわ。
もう一度おっしゃってくださるかしら?」
「はい!ただちに有り金全部持ってまいります!」
とても素直な海賊さんだった。
ちょっぴり涙を浮かべてたけど・・・

しばらくしてシルフィナの前に宝箱が一つ置かれた。
中は金貨と銀貨がぎっしりだ。
フレイナは中を確かめると、何処からか算盤を取り出し計算を始めた。

「えーと、お客様への慰謝料・・・カーク船長の船の修理費・・・父さんの治療費・・・」
フレイナが算盤をはじいている間、暇を持て余したシルフィナは小石でお手玉遊びをしていた。(ただし小石とは彼女の感覚であって、現実には家より大きな巨岩。)

「足りないわねえ、全然・・・」
フレイナが溜息をついた。

「貴様等、俺たちの足元を見るのもいい加減に・・・」
バコッ!
シルフィナの手の中で巨岩は握り潰され、砂と小石のかけらとなって海賊たちの頭上に降ってきた。

「あら、ごめんなさいね。手元が狂ってしまって・・・
ところで、今なにかおっしゃいましたかしら?」
「忘れておりました。俺の寝室に宝石類が多少隠してありました!」
泣き顔で親分はへそくりを取り出しにいった。

小さな宝石箱にはダイヤモンドとルビーが納められていた。
光物好きのドラゴンらしく宝石鑑定士の資格も持つフレイナが調べる。
そして一言。

「やっぱ足んないわ!」
「そんな事言ったってぇ、これ以上は本当にもう・・・」
海賊たちの泣き顔を冷ややかに見つめるフレイナ。
突然、彼女は海賊の親分の腰を指さした。

「その剣、中古で買ってくれる店があるんだけど。」
「・・・そこまでやるのか?」
海賊たちは蒼白になった。

「あら、フレイナちゃん。古着もそこそこのお値段で引き取ってくれるわよ。」
相変わらず天使のような微笑みを見せる巨大エルフの背後に、高笑いする悪魔の影が見えた・・・ような気がした。

**********

数分後、靴も帽子も剥ぎ取られてパンツ一丁にされた海賊たちは呆然と突っ立っていた。
シルフィナは人間サイズに、フレイナは飛竜の姿に戻って荷造りを終えていた。
大きな唐草模様の風呂敷きに海賊たちの全財産を詰め込んで・・・

「ねえ、シルフィナ・ママ・・・シケた海賊だったわね。」
「そんな言い方しちゃいけないわ、少ないけど貧しい中からお支払い頂いたんですもの。」
この言い草に、海賊の親分の顔が怒りで真っ赤に染まった!
傍らにいた手下にそっと耳打ちする。

「おい、そこの岩陰に対巨大人魚用の毒銛発射機が隠してある。」
「へい。」
「あいつらが飛び立ったら・・・背中にぶち込んでやれ!」
「へい!」
憎悪が海賊たちの間に広がっていった。

「さあ、帰りましょう。」
ヒラリとフレイナの背に飛び乗るシルフィナ。

「おっと、帰る前に・・・きたれ!雷の精霊よ!」
「な・何をする?」
空は一瞬にして暗雲が立ち込めて真っ暗になった!

ドーン!!
稲妻が岩陰を直撃した!隠された武器は一瞬で木っ端微塵になった。

「狙われているのに気づいていたのか!」
「今のは・・・船をめちゃくちゃに壊されたカーク船長の分ね。」
シルフィナは冷たく言い放った。

「そしてこれは・・・大怪我をした父さんの分!」
ゴォォォォ・・・
フレイナの口から紅蓮の炎が吹き出し、海賊たちを襲った。

「うあわっちちち!」
「ひええええええ!」
絶叫があちこちで響いた!
今や唯一の財産となったパンツまでもが火災に見舞われたのだ!

「貴様らぁ!見逃してくれるんじゃなかったのか?!」
「あら、私そんな事言ってないけど・・・フレイナ、あなた言ったの?」
「いーえ、絶対言ってないよぉ!ねえシルフィナ・ママ!」
「そう言う事ですから・・・次はとっても恐い恐ーい思いをしたお客様の分!
集い来れ!風の精霊たちよ!」
ブォォォォォ!
ハリケーンに匹敵する強風が渦巻いた!

「おっ,お助けぇ〜!」
「ヒイイイィィィィィ・・・」
ある者は風に吹き飛ばされ、ある者はしがみついた場所から一歩も動けなくなった。
さらに風は炎を煽り立て、島は灼熱地獄へと一変した!

「もう、いいんじゃないのシルフィナ・ママ。」
「そうねえ、それじゃ・・・そろそろ、トドメを刺しておきましょう。」
燃え上がる島からフレイナは飛び立った、真上へ、雲の上を目指して。

「やばいぞ、全員脱出だ!」
「で・でも親分!船は全部ぶっ壊されて・・・」
「ボートでも板切れでも何でもいい!とにかくこの島から逃げるんだ!」
海賊たちがオロオロしていると雲の上からシルフィナの声が響いた!

「最後に・・・これは。」
同時に真上の雲が鈍い赤い輝きを発した。

「逃げろォ!なんでもいいから海に飛び込めェ!」
親分の絶叫に手下は素っ裸のまま荒狂う海へと飛び込んだ!

「これは・・・あなたたちによって楽しい『夫婦の旅先の一夜』を失った私の・・・」
空の赤い輝きは島全体を覆うように広がった。

「来るぞォ!」
「このあたしの怒りなのよォォォォォ!」
ゴォォォォォン!
空一面を覆う暗雲が吹き飛んだ!そしてあらわれたのは!

「エ・・・エルフが・・・落ちてくる?」
真っ赤な光に包まれて、今や島よりも一回りも二回りも巨大化した全裸のシルフィナ!

「必殺!エルフ・ストライク!!」
ピカアッ!!
シルフィナの超巨体が島に激突する瞬間、閃光が走った!

ドゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴーーーーーーーーーーー・・・・・・・ンンンン!
この世の終わりを思わせる低く重い長い轟音が轟いた。
島のあった場所から、山よりも高い津波がリング状に生じて広がっていった。
島は何の痕跡もなく消滅し、海水さえ一時的にすり鉢状に押しのけられて、クレーター状に陥没した海底がむき出しになっていた。

エルフ・ストライク。目一杯巨大化したエルフが上空から目標物に向かって飛び降りる。
ただそれだけの技だが、これを防げる技術も魔法もこの世には存在しない。

「・・・・・ふう、ちょっと派手だったかナ?」
クレーターの中心でシルフィナは立ち上がった。
5リムル(500メートル)を超える豊満な裸体からは灼熱の輝きが消えつつあった。

ドドドドドド・・・・・
激突の衝撃で押しのけられていた海水が渦を巻いて戻ってきた。
熱くなった彼女の体を優しく冷却するかのように。

「シルフィナーーー!随分派手にやったじゃない!」
波間から声がした。マリーネと数名の人魚が見え隠れしている。

「あらあら、マリーネちゃん!」
「津波は消しといたからね!でもやっぱり『皆殺しのシルフィナ』健在ね!」
「ヤダ・・・でもデュークには内緒にしといてね?」
かくして、『虹の入り江』周辺で海賊が出没する事はなくなったのである。


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「お祭りの朝」
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「あれ?夫はもう出かけたんですか?」
宿の主人にシルフィナは尋ねた。

「ん?ああ、旦那さんならもう神殿の方へ出かけたよ。
祭りの準備が人出不足じゃからなあ。」
ロオオ島の祭り、季節の変わり目に催される四季祭の一つ『秋恋祭』の準備のためだ。

「ところで、聞いたかね。例の海賊ども、海軍に捕まったそうじゃ!」
「えっ?」
「今朝、素っ裸で漂流中のところを演習中の軍艦に拾われたらしい。」
「まあ、どうしたんでしょう.(チッ!トドメを刺し損ねたか・・・)」
「いやあ、それがよっぽど恐ろしい目にあったみたいで・・・
全員、髪が真っ白になって口もきけん有様じゃったそうじゃ!」
「そうですか・・・(ホッ、デュークにはバレないで済みそうね。)」
シルフィナは宿の外へ出て、神殿へと足を向けた。
眩しい朝の日差しが心地よい。

「あら、デューク?こんな所で何してるの?」
デュークは神殿への道の途中、歩道の側の岩陰にいた。
岩に隠れて、島の裏手の沖の方をうかがっているようだ。

「あっ、おはよう、シル!・・・ちょっとあれを。」
「?・・・・まあ!」
マリーネが水面から顔だけだしてジッとしている。
彼女の前には応急修理した遊覧船『エンタープライズ号』が停泊していた。

「僕の目じゃよく見えないけど・・・あれはカーク船長だね。」
「・・・・・うん。」
船長は船のへさきに立ち、大きなリング状の物体を背負って、盛んにマリーネに話しかけている。
対するマリーネは黙ったままだ。

「何を話しているか分かるかい?」
「・・・・・うん。」
鋭いエルフの耳には二人の会話がハッキリ聞き取れた。
もっとも・・・夕日のように赤く染まるマリーネの顔を見れば、話は聞こえずとも内容は誰にでも分かる事ではあった。

「上手くいくかしら?」
「上手くいくさ。」
最後に・・・マリーネは船長の手から珊瑚で作ったリングを受け取り、自分の指にはめた。

「オーイ、社長サン!部長サーン!早ク手伝ってくだサーイ!」
神殿の方からレビィの呼ぶ声が聞こえた。

「おとーさぁーん、マーマー!お祭りの準備が終わんないのよォ!早く手伝ってよぉ!」
「行こうか、シル。」
「うん!」
もうマリーネたちの物語の続きを見る必要はなかった。
二人は立ち上がると祭りの会場に向かって歩き始めた。