『小人料金』 僕と雪はデート(雪の使った表現だ)の途中で映画館に寄ることになった。映画館ならそう恥ずかしいことも起こるまい、というのは僕の考えが甘かった。 * 若い女性の受付スタッフがメジャーを出し、慣れた手つきで僕の身長を測るその様子を、後ろでブレザー姿の雪が興味深そうに眺めていた。 僕はとても逃げ出したかった。僕を見下ろす女性スタッフと目が合うと、彼女は微笑んだ。怯えている様子がわかり、安心させようとしたのだろう。 彼女は五メートルほどもある巨人である。もちろんそれは僕の感覚の話であり、おそらくは二十代の女性としての平均的な身長なのだろう。 後ろで計測を待つ雪も少し小さいぐらいで、大きさのレベルは同じだ。 「はーい、六十一センチですねー。この大きさですと八〇〇円をいただきますねー」 六十一センチ。 僕は呻くのをこらえる。 この間の診断より明らかに数字が小さい。 僕の動揺をよそに、雪は僕の分まで料金を支払う。 * 『小人料金』なるものがほとんどの公共施設に新設された。 十年ほど前は小学生の児童が対象の料金だったのだが、現在は紛らわしいとの理由で一律『子供料金』と改称されている。 なにと紛らわしいか、というのはもちろん……本物の『小人』が存在するからだ。 * 僕は成人男性である。半年ほど前までは教師をやっていた。 だが、お金や財産を持つことはできない。厳密にいうと、可能ではあるが、リスクが高過ぎるのだ。少し考えてみればわかるだろう。 「はい、二〇〇〇円ですね。二〇〇円のおつりになります」 天井近くの料金表を見上げる。子供一〇〇〇円。お前は子供以下の存在なのだよと言われた気がした。 * 「……その、もう帰らない?」 「だーめ、デートはこれからなんだから」 映画を観終わったあと、僕は雪に連れられて昼の街を歩いていた。雪は僕と手をつないでいるが、これは別に恋人同士だから、というわけではない。 つないでいると言っても、雪の手が僕の手をすっぽりと包んでいるのだが。 「デートってねえ……」 ショーウィンドウに小人用の簡素な服を着た僕と、女子制服姿の雪が映る。デートしている恋人同士……には、とても見えない。 もちろん、教師と中学生でもない。お姉さんに連れられている幼児、といった表現が適切だろうか? だが、連れられているのは幼児ではなく、雪の一回りも歳が上の男性である。 「あいてっ!」 そうやってよそ見をしていたら、通りすがった人の膝がぶつかった。雪ががっちりと僕の手を握っていてくれたおかげで転ばずにはすんだ。 今日は日曜で人が多いので、小人がそれに混ざって歩いているとこういうこともある。 ぶつかって転んだりしなくても、手をつないでいなければ雪とはぐれてしまうだろう。以前そういうことが実際にあってから、雪と僕は外出するときは必ず手をつないでいる。 「大丈夫?」 「う、うん、ありがとう」 「だからぼくがだっこしてあげるって言ってるのに」 ひょいっ。雪が屈みこむと、僕の両腕の後ろに手を回し、そのまま何の苦もない様子で抱え上げた。 「わわっ」 視界が高くなる。落ち着かない。脚をばたつかせてみるが、何か意味があるわけでもない。僕は雪に赤ちゃんのように抱きしめられていた。 「ちょっと、暴れないで。ブレザーが汚れちゃうでしょ」 言いながら雪は僕の頭を撫でた。意識がふにゃあっとなる。 「や、やめて……やめて……」 「しょーがないなあ」 必死に懇願を絞りだすと、不承不承と言った感じで雪は僕を地面におろした。ふたたび雪を見上げる形となる。 この大きさになると雪のような常人と目線の高さが合うことは少ない。抱え上げてもらうか、屈みこんでもらうか……どちらも、幼児に対して行う所作だ。 * そうして二人で歩いていると、一人の女の子が道の向こうから歩いてきた。年の頃は雪よりも幼い。小学生だろうか? 髪を頭部の両サイドでくくっている。 彼女は雪の姿を目にすると、近づいてきた。 「おーっす、雪くんじゃん久しぶりー」 どうやら雪の知り合いであるらしい。 雪は彼女のことをルリカと呼んでいた。ルリカは歓談に花を咲かせる。最近どう? 学校には行ってないの? その制服まだ着てるんだー似合うよー。そんなような言葉に、雪は適当に返事をしていた。 僕はといえば、情けないことに彼女が近づいてきたときに雪の陰に隠れていた。正確には、雪の右脚の後ろに。スカートのおしりの部分が、ちょうど顔のあたりに当たる。 「あれ? そこにいるの何?」 いくら僕が小さいと言っても、それで雪の華奢な身体の陰に隠れきれるわけではなく、あっさりとルリカに見つかってしまった。 「怖くないよー出てきなよー」 出て行きたくはなかった。僕にとって知らない人というのはそれだけで怖い。それが雪の知り合いだというのならなおさらである。 しかし、逃げるわけにもいかない。おずおずと僕は、死刑囚のような足取りで彼女の前へと歩いた。 「わー、小人じゃん。生で見るのはじめて」 ルリカの小さな腕に、やはりさほど苦労する様子もなく僕の全身は抱き抱え上げられた。 「ちっちゃいなあ。雪くん飼い始めたの?」 「ん、まあ……」 「……って、こいつ」 ルリカは僕の顔を眺めて、何かに気づいたのか険しい顔にする。嫌な予感しかしない。 「……ちょっと向こう行こうか」 「……そろそろ、ぼくに返してくれない?」 雪の声は少し不安げだ。 「だめ」 * ルリカは僕を抱きかかえたまま路地裏まで連れて行かれた。 そして、僕をおもいっきり地面に叩きつけた。 「うあっ!」 痛い。全身をしたたかに打つ。子供の力とは思えない。いや、僕が弱すぎるのだ。 「なんでこのヘンタイと仲良く歩いてたの?」 ルリカの鋭い言葉が雪に向けられた。僕は動けずに、路地のビルの間に見える曇り空を眺めていた。 「雪くんはこいつを許すの? こいつとおなじヘンタイなの?」 「……違うよ」 「じゃあ、こいつのこと、ルリカがいじめてもいいよね」 剣呑な言葉に、僕は立ち上がろうとして……腹を思い切り踏まれた。 「ぐぼえっ!」 すさまじい重量だった。再び手足が地面に投げ出される。腕に力を込めて、なんとかルリカの脚から逃れようとするが、まったく動かない。 「よわ~い。ルリカ、全然力入れてないんですけど」 言いながら、ルリカはフェルト地の子供っぽいデザインの靴を、僕の腹部にめり込ませていく。身体がきしむ音が聞こえる。吐きそうだ。 女子小学生の重さと力に、全く抵抗できない自分がいた。 「ルリカ、やめて! それ以上はケガしちゃう」 雪が駆け寄ってきた。腹部にかかる重さが少し和らぐ。 「うるさい! こんなやつ、死んじゃえばいいんだよ」 「ルリカ。罰っていうのはね」 雪の声のトーンが落ちる。 「ゆっくりと与えることに意味があるんだ」 * 日が落ちかけようとしている。人もまばらになっていた。 結論から言うと僕は無事に解放された。ルリカは納得が言っていないようだった。 無事とは言ってもかなりこっぴどくやられてしまったので、僕は帰路の間はおとなしく雪に抱かれて過ごすことにした。 全身が痛む。雪のいい匂いがする。あたたかい。 「……僕のことを恨んでいる?」 「当たり前じゃんそんなの」 恐る恐る聞いてみたが、あっさりと肯定されてしまった。愚問だった。 「きみの病気、まだ進行段階なんでしょ?」 「……ああ」 「そのうち、いっしょには歩けなくなるんだろうねえ」 その言葉は残念そうでもあり、愉しそうでもあった。 「ぼくのことが怖い?」 「怖い。怖いけど……怖いから、好きだよ」 笑みを作ってみせた。 「反省してないな、この淫行教師」 呆れた、と言った口調。 「……降ろしてくれないか。自分で歩きたい」 「いいけど、大丈夫なの?」 慣れた手つきで、雪は僕を地面に下ろす。 「っつつ」 ふらつきながらも、雪の後を歩いて行く。歩幅の違いすぎる雪は、ゆっくりと歩いて僕の速度に合わせていた。 「全然大丈夫そうじゃないけど」 「歩けるうちに歩いておきたいでしょう」 「好きにすれば」 雪は、はあ、と溜息を付いた。 (了) |