ハンド・トゥ・ハンド

※先輩(女の子)が後輩(女の子)に五センチぐらいにされたあげく<censored>。
※特殊な嗜好向けの過激かつ不愉快な表現が、今回あります。



3.宇宙的恐怖、そして一時的狂気

 一年ほど前、今と同じ季節。

 *

 先輩と後輩が出会ったのは、ちょうど後輩が女神に目をつけられた公園でのことだった。
 ある日、先輩は学校からのいつもの帰宅ルートになっている公園を通過しようとすると、制服姿の少女がベンチに腰かけ、突っ伏して泣いているのを目にしてしまった。
 なんとなく放っておけなかった先輩は、後輩の隣に座りそっとハンカチを差し出した。
「その学年章と制服、私の後輩か。何かあったのかい、後輩」
 後輩は突如現れた少女にとまどった様子を見せながらもハンカチを受けとり、あふれる涙を拭き、最後に洟をぶびーっと噛んだ。
「ずびません……洗って返します」
「……いや、君にやるよ。何かあったなら、話だけなら聞くが」
 先輩が背中を撫でて言うと、少女は若干落ち着きを取り戻しとつとつと顛末を語った。憧れの男子生徒に告白し、OKを貰って後輩はうきうきだった。じっくりと仲を深めてラブラブ(本人談)になりたかった後輩は、しかし三日目のデートで強引にホテルへと連れ込まれそうになる。
『そういうことがしたかったんだろ?』
 驚いた彼女は男の手を振り払い、ここまで必死に走って逃げて来たということだった。
「ホテルに入っていいのは三回目ですよね? 三日目じゃないですよね? どうして男の子って、こんなにいやらしいの……?」
「別にそんなルールはないが……まあ、何か飲んで落ち着くといい。おごってやろう、何がいい?」
「うずっ……じゃあコーラで」
 リクエストに応えるべくベンチを立って自販機へ向かおうとしたとき、公園内に一人の学生服の男が駆け込んできた。彼はあたりを見渡し、後輩の姿を見つけると眼をぎらつかせて詰め寄ってきた。
「おいっ!」
「汚い手で私の後輩に触るんじゃないよ」
 びくっと肩をすくめて怯える後輩を男から守るように、先輩は立ちはだかった。
「いいことを教えてやろう。制服ではラブホテルに入場お断りされるぞ」
「うっせえ! おれはそいつに用があるんだ。お前は何なんだよ」
「私が何かって?」
 先輩は、ごく自然な動きで後輩の肩へ手をまわした。後輩が驚いて先輩を見るが、それには気にしないふりをする。
「この子の彼女だよ」
 後輩の顔は沈みゆく夕陽のように赤く染まっていた。

 *

「私は昔演劇部にいてね、ああいう役をよくやらされていたものさ。さっきなんて、昔演じたシーンまんまだったから思わず笑っちゃうところだったよ」
「演劇……ですか」
 はあ、と落胆とも感嘆ともとれそうな息を後輩はついて、奢ってもらったコーラのプルタブを開ける。いまさら照れを覚えたのか、先輩はそっぽを向いて頭を掻いている。
「ははは……困るよね。女に彼女とか言われても嬉しくなかろう」
「いえ……」
 後輩は顔をあげた。
「困ってません。とても……嬉しかったです」
 後輩は先輩をじっと見つめて、真っ赤な顔でほほ笑んでいた。

 *

「いやらしいってどの口が言ったァー!」
 数分後、後輩が性別誰これ構わずハグやセクハラを働く淫乱娘だと知り、先輩は思いっきり頭をはたいた。

 *

 物語は現代に戻る。
 話し合った結果、ひとまずは後輩宅に泊まって様子を見ることになった。今日は土曜日なので、明日を原因究明のための時間に費やすことができるだろう。
 先輩の家族に事情を話すという案は後輩によって棄却された。そんなもの信じてくれるわけがない、と後輩は断じた。確かにそうなのだが、先輩の家族——特に妹は幼いころに兄があのおぞましい事件で亡くなって以降姉である自分にべったりなので、心配されているだろうと思うと胸が苦しい。せめて何らかの形で無事を知らせておきたいところではあった。
 あのドレスはさすがに動きにくいということで、後輩にはセーラーワンピースで我慢してもらった。それでもカワイイカワイイとうるさくてかなわなかったが。着替えを済ませてからのことは、いままで先輩が後輩宅で過ごすときとほとんど変わらなかった。
 中間試験が近いということで、先輩は後輩に苦手な数学を指導してあげた。三角関数がよくわからないとのことだったので、先輩が机の上に乗って高跳びに使う棒よりも太く長い棒で必死に図解してやった。後輩が式を間違えるたびに、先輩がちょこちょことペンを追って指摘する姿はとても愛おしい。
 夕食には後輩手製のカレーが出た。この家では月のうち一週間はカレーが出ることを先輩は知っていた。
 小皿にささやかな量のご飯とルーが盛られて出たのだが、当然先輩に扱える食器などなかったので犬のように貪ることになってしまうのを見かねた後輩がティースプーンでカレーをすくって「あーん」させていた。はずかしそうに口を開ける先輩はひな鳥みたいで可愛かった。
 そして今は浴室にいた。

 *

「はい、じゃあ先輩はこれで」
 先輩に渡されたのは、小さく切られたガーゼと石鹸のかけらだった。これで体を洗えということらしい。
「自分で洗えます?」
「小さいからって子どもあつかいするんじゃない」
「ふへー」
 後輩は先輩の身体を洗うことをしきりに提案したのだが、先輩はそれをことごとく却下していた。本当は一人で入りたかったが、浴室の扉を開けられないどころか入口の段差すら登るのが難しい自分の身を鑑みると先輩は何も言えなかった。いくら同性同士でも、あまり裸をさらしたくはなかったのだった。
 先輩を乗せている後輩の手が重機のように動き、先輩を床におろす。先輩がタイルにぺたりと足を延ばして座るのを見届けると、屈んだ体勢を元に戻して立つ。
(うわあ……)
 体が縮んでから先輩は、今まで後輩の巨体を眺めていたのは机の上や手のひらの上といった地上からそれなりに高さのある場所だけで、こうやって地上零メートルから眺めるのは初めてだったことに気づいた。百五十センチとさほど背の高くなかった後輩が、今や四十五メートルの大巨人となってそびえたっているのを壮観と感じてよいのか、自らの矮小さを恥じればいいのかよくわからなかった。後輩の顔は、この角度では大きな乳房にさえぎられてうかがうことはできない。目線を下に移してこんもりと毛の生えた陰部にさしかかったところで、自分が後輩の裸体に見とれていることに気づき、あわてて視線をそらす。
(背は低……低かったのに、おっぱいは大きいのだよなあ、後輩)
 別に縮小したから大きく感じられるわけではなく、同じサイズだったころから後輩の乳はそれなりにあったのだ。大して先輩は同年代の少女に比べるとややささやかと言える。コンプレックスと言えるほど気になっているわけではないが、こうしてあからさまに見せつけられると少しへこまないでもない。
 ぼーっと自由の女神の四倍は大きい後輩の全裸を眺めていると、急にその上半身がこちらに向かって倒れてきた。
「?!」
 上半身に続いて、それだけでもちょっとしたビル程度はある膝が折れ曲がった。ゆっくりと、ゆっくりと一万トンの重量を秘める後輩の巨体は迫ってくる。先輩の身体は後輩の身体の作り出す影にすっぽりと覆われている。とっさに逃げ出そうとするが、腰が抜けて立つことすらかなわない。
(つぶされるっ……)
 後輩の身体を凝視することしかできないでいると、後輩の動きはぴたりと急に止まった。手に何かをつまんで持っている。
「はい、これ。洗面器がわりにしてくださいね」
 後輩の指がクレーンのように降りてきて、お湯がなみなみと入った白いタライのようなものを置いた。周囲に走るギザギザから、それがペットボトルのふただということがわかった。
「先輩? どうしたんですか?」
「あ、いや、なんでも……」
「はは〜ん。さては私の魅力的なボデーに魅惑されちゃったんですね」
 確かにいろいろな意味で先輩は後輩の肢体に見とれていた。後輩はにやっと笑う。
「ほらほら〜うりうりぃ」
 そして、膝をつき身を屈めて両手で乳房をがっしりとつかみ、ぐにぐにと見せつけるように揺らした。先輩はあおむけのまま唖然としてそれを眺めるしかできなかった。
「あれー、反応悪いなあ。せっかくサービスしているのに」
 後輩は先輩のなんともいえない表情に眉を寄せる。悲しいかな、この至近距離で肉が揺れてもただ気色悪いだけでしかなかったのだ。
(しかし……これには慣れそうもないな)
 運が悪ければ長い間彼女に世話をされることになるので、後輩の何でもない動作にいちいちおびえているようではいけないのだが。圧倒的なサイズ差があるとはいえ、先輩は自分が少し情けない。
 そんな先輩の懊悩などどこ吹く風の後輩は、体を洗うため体育館ほどもある風呂用の椅子に尻を落とす。びりびりと風呂場のタイルが振動した。
(尻もでかいなあ……って、いちいち乳や尻を注視してどうするんだ。私はオヤジか……)
 後輩の所作に怯えているのも確かなら、その雄大さに感動しているのもまた事実だった。
 気を取り直して、自分も体を洗おうとする。が、ガーゼはもともとそういう用途に作られていないため石鹸で泡を立てるのに苦労する。数分かけて、ようやくガーゼを泡まみれにすることに成功する。さて体を洗うか、と思ったその時、とっくに全身を泡だらけにしていた後輩が洗面器のお湯を頭からかぶった。
 当然、足もとに座っていた先輩へとすさまじい量の石鹸まじりのお湯が滝のように襲いかかった。
「うわああーっ」
 激しい水圧に先輩の身体は吹き飛ばされ、浴室の壁に激突することは免れないところだったが、間一髪のところでシャッターのように降ってきた肌色の壁が彼女を受け止めた。先輩の身長と同じぐらいの高さのその壁は、悲鳴を耳にした後輩が下した右手のひらだった。
「だ、大丈夫ですか。何もあんなところで体を洗わなくても……」
 別にどこで洗おうが運命は同じだったような気もしなくはない。せっかく泡を立てたガーゼはどこかに飛ばされてしまっていた。落胆する先輩の様子に気づいた後輩は得意げに笑った。
「ね? ひとりじゃ洗えなかったでしょ?」
 悔しいが、その言葉を認めざるを得なかった。
「私は優しいですから、安心してくださいね。ひとりじゃ体も洗えない先輩の身体を私が洗ってあげますよ」
 言うや否や、肌色の壁の左方が折り曲がりだした。握るな! そう先輩が叫ぶ前に後輩の右手は彼女を捕えていた。右手はそのまま先輩を上空へと連れ去り、後輩の閉じられた太ももの上に落とす。
「そろそろ先輩、そこ慣れたんじゃないですか?」
 相も変わらず上空から声が響く。後輩は小さいボートぐらいの大きさの石鹸を手にとってこすり、たちまち両手を泡だらけにさせた。
「さ、きれいきれいしましょうねー」
 太ももの上に逃げる場所などあるはずもない。先輩は再び両手の虜囚になった。石鹸が眼に痛い。
「やめ……」
 後輩は優しく、時に凶暴な手つきで先輩の身体をなすった。脚。腕。一本一本が先輩の頭よりも太い大蛇のような指が繊細な小人の肌を洗っていく。恐怖に暴れたが、握りしめられるだけで終わった。
「く、くすぐった……」
 にゅるにゅるした指が腹を、胸を、尻を触る。
 そして迷える後輩の指は、股間へと狙いを定めた。
「やめ……!」
「やめませんよお。ここはちゃんときれいにしなくちゃ」
「やめろっ!!」
 後輩の無慈悲な指が動きを止めた。
「ここだけはやめろ! 飛び降りるぞっ!」
 泡まみれの中、涙が出そうなほど先輩は大きな声で叫んだ。
 後輩はしばらくのあいだあっ気にとられていたが、数秒たってようやく口を動かした。
「……ごめん、なさい」

 *

 先輩は浴槽の蓋に置かれた茶碗に湯を張って、目玉おやじのようにそこに浸かっていた。立ち上る湯気の幕の向こうには、普通の人間用の湯船に浸かる後輩の上半身がぼんやりと見える。
「どうですか先輩? 湯加減は」
「ま、まあまあかな。……ところで、後輩」
 先輩はちょっとした問題を抱えていた。……さっきから尿意がするのだ。先ほど後輩の丸太のような指で陰部をなぞられたり、お湯につかってあったかくなったりしたせいかもしれない。取り返しのつかないことになる前に早めに後輩に相談するべきなのだが、
「なんですか先輩?」
「……やっぱり何でもない」
 後輩がきらきらした目で答えてくるのを見ると、それは後回しにしたほうが安全な気がした。時と場所を選べ——第六感が先輩にそう告げていた。さっき辱めを受けたばかりなのだ。
「しかし、こうして後輩を眺めてるとまるで湖の霧に浮かぶ伝説の首長竜か何かと対面してるみたいだ」
 湯気で空気がゆらぎ、それが後輩の姿をより遠いものへ、より風景じみて顕現させていた。風景と会話している奇妙な感覚に先輩は戸惑う。
「女の子を怪獣扱いしないでくださーい。たべちゃうぞ、がおー!」
 怪獣扱いしてほしいのかしてほしくないのかわからないせりふとともに、後輩は大蛇のように長大な両腕を伸ばして先輩の浸かる茶碗を捕らえた。
「あわれ、先輩は首長竜に捕まってしまいました」
 それを後輩の浸かる巨大な浴槽に運び、逆さにした。こびとの尺度で水深二十メートル以上の湯に先輩は放り出された。
「わっぷ!」
 巨人の湯船の水面はより濃密な湯気に覆われていた。五里霧中とはこのことだろう、もはや数メートルから先は白い霧に包まれていて見渡すことが出来ない。茶碗風呂から俯瞰していたときはせいぜい大きな湖だったのが、今やとんでもない大海原に放り込まれてしまったような気分だ。
 あたりを見渡して、ひとつ重要なことに気づいた。
 あまりに視界が悪すぎて、同じ湯船にいるはずの後輩の巨体すら見えないのだ。
<クスクス……>
 どこかからか後輩の笑い声が聞こえた。
「あれ……どこにいるんだ、後輩!」
 大海にただ一人ぽつりと残されたに等しい先輩は、いるはずの後輩の姿を求めて湯船を泳いだ。
<私はこっちですよー、せんぱーい>
 先輩の精一杯の小さな叫びは後輩に届いていたが、後輩の声は必ずしも正しくは届かない。声量は十分すぎたが、この浴室は後輩にとって狭すぎたのだ。
「声が、声が反響してどっちにいるかわからないんだ!」
 先輩はそれなりに泳ぎは達者だったが、ここは海とは違い、泳いでいるのは四十度のお湯だ。さらに濃密な湯気という高温、高湿度の環境。さまざまな要素が先輩から体力と判断力を奪っていく。
 じっとしているだけでもきつい先輩は、どことも知れぬ後輩にたどり着くためにむちゃくちゃに泳いだ。
(そっちは反対方向だよ、先輩)
 後輩は焦燥する先輩の醜態を特等席で眺められてご満悦だった。数十センチ先にいる自分を、先輩は見つけることが出来ない。なんて滑稽なのか。虫は人間のようにあまりに巨大すぎる存在を正しく認識できないというが、先輩もちょうどそんな感じなのだろう。
 先輩が大海のように感じている場所も、後輩にとっては手足を伸ばしきれるだけの狭い湯船にすぎない。この狭いユニットバスの奥行きは後輩の身長にすら満たないのだ。そんな事実に後輩の動悸は激しくなり、思わず湯の底の股間に手を当てた。手のひらで踊る孫悟空を眺める仏もこんな気持ちだったのかも知れない。
 先輩は泳ぎ続けた末、何かにごんと頭をぶつけた。見上げてみると、霧でかすんで上端を確認することは出来なかったが、それは真っ白い壁であることがわかった。
 はい上がろうと試みてはみたが、先輩の小さな体では、九十度に近い、しかも濡れて滑るなんのとっかかりもない抗菌仕様の壁をクライミングするのは不可能だった。
 一メートル(本当は三センチ)程度上ってずり落ちてを三度繰り返したところで先輩はあきらめ、後ろを向いたがそこにはやはり霧に包まれた大海しか広がっていなかった。
 先輩の胸中に絶望がことりと音を立てて落ちる。
 自分はまさかこんなところで溺れ死ぬのか……と思いかけたそのとき、霧のかなたから大波が押し寄せてきた。
「?!」
 実際は見かねた後輩が座ったまま尻で先輩へと迫っただけなのだが、その動作が作った波は浴槽の壁によりかかった先輩を押し流し、湯の中に沈めるに十分だった。
 水中に潜った先輩だが、ここなら波に揉まれる恐れはない。だが、いつまでもこんなところにもいられない。先輩は再び水面を目指そうとして周囲に目を向けて、衝撃的なことに気づいた。
(後輩がいる……!)
 十五メートルほど先に、後輩の下半身がはっきりと見えた。とても雄大な光景だった。折り曲げられた両足はまるで肌色の岩山だ。
(そうか、湯の中にまで霧はない……なんでそんなことに気がつけなかったんだ)
 そんなことに考えが及ぶほど彼女に余裕は残されていなかったので仕方ないことではある。
 水面に浮上して酸素を補給し、先輩は反対側へと泳ぎだした。
<先輩、がんばってー>
 はるか天上から後輩ののんきな声が響く。余力を振り絞って確かにいるはずの後輩へと泳ぐ。
 そうして数十秒泳いだ末に、先輩は今度は白い岸辺にたどり着いた。ぷにぷにと柔らかい陸地に全身を上陸させてへばりついた。
(助かった……のか)
「先輩、くすぐったいですよお」
 はっとして上を見上げると、後輩がくりくりと大きな瞳で、岸辺で休む先輩をのぞき込んでいた。
「こんなに広いところで泳いだことないから楽しかったですよねー。私も昔は、小さくなったらおなかいっぱいケーキを食べたり、プールみたいなお風呂で泳ぎ回りたかったんですよ。ちょっとうらやましいなあ」
「……」
 後輩は、股間を弄っていない方の左手で、先輩の体をお湯ごとすくい上げ、自分の顔の前まで持っていった。 
「それにしても、先輩っておっぱいが好きなんですね。そんなに全身でくっつくなんて」
 言われてみて、自分がさっきまで島か何かだと思ってしがみついていたものは後輩の乳房だったことに先輩はようやく気づいた。
「ははは……う、うっ」
 緊張がほぐれ、気がつくと先輩はぼろぼろと涙をこぼしていた。
「せ、先輩どうしたんです」
「……だ、だって……ずっとお風呂の中に取り残されたままかと思って……」
 先輩は後輩の手の中で、ぐすっ、えっぐとらしくもない泣き声をあげていた。よっぽど心細かったのだろう。
「そんな大げさな」
「だって……後輩はどこにいるかわからなかったし、一人で、怖かったんだもん……」
「ご、ごめんなさい……」
 後輩はしゅん、という申し訳なさそうな表情を顔に貼り付けた。
(だもん! あの先輩がだもん、だって! 生きててよかった……)
 もちろん表情の裏で考えていることといえばそんなことである。
「そこまで恐ろしかったなんて……。五センチの世界って、端から見てるよりも大変なんですね……」
 自分でも白々しい言い分だとは自覚していた。小さくてわかりづらいとはいえ、焦りあわてる先輩の克明な様子はしっかりと観察していた。動画として撮影したかったぐらいである。
 もちろん、今の先輩に後輩の発言の虚実を確かめる精神的ゆとりなどない。
(……ん)
 後輩は、先輩を乗せる左手の平がお湯以外で濡れるのを感じた。
「あ、あっ、ごめん、実はがまんしてて……」
 先輩もそれに気づき、あわてて股間を押さえるが出始めてしまったものは止まらない。緊張が解けて、そこも緩んでしまったのだろう。
「いいですよ、先輩のなら。ふふっ、先輩ったら本当にかわいい……」
 悩ましい顔で両手を使って股間をふさごうと努力している先輩を、後輩は自分の頭上まで運んだ。首を上に向け、舌を出し、先輩の股を両手の上からぺろりと嘗める。
「ひっ!」
 布団のように巨大な軟体生物の襲来に恐怖して先輩は手を放すと、黄色い滴が迸り後輩の顔や口に飛ぶが、後輩はそれを意に介する様子もない。
 あわてて再び手で陰部を抑えようとするが、それより早く後輩が舌先で舐める。
「ひあっ、だから、やめてって……」
 ぺろり、ぺろり。舐められるたびに先輩は味わったことのない不思議な気分に支配されていく。息が荒くなる。それは後輩も同じことで、後輩の湿った吐息を浴びるたびにおかしな気分は加速していく。お互いがお互いをおかしくさせていた。
(気持ちいい……?)
 それは間違いなく快楽と呼べるものだった。
「ひ、いひっ……」
「どうですか? 先輩、もっとしてほしいですよね」
「もう……やめて、くれ、後輩……」
 後輩は怪訝な顔になった。まだ拒否できる理性が残っているとは思わなかったからだ。
「してほしいですよね?」
(さっき先輩に止められて、お預け食らってる状態なんですよ、こっちは)
 後輩は今度は返答を待たなかった。
 生ける洞窟のような口をぽっかりと開き、その中に先輩を放り込んだ。

 *

 先輩は、自分がどこにいるか見失っていた。真っ暗で狭く、じめじめと蒸し暑い危険な香りのする場所だという理解だけがあった。
(後輩、どこに……)
 まずしなければいけないことは後輩の姿を探すことだった。あの巨大な後輩なら、どんな危険な場所からだって自分を助けてくれるはずだった。
 出口を求めて密閉された空間を這いまわると、地面が動いた。
「うひゃあ!」
 地面だと思っていたのは、自分の背丈ほどもある太く巨大な触手だった。触手は、その巨大さで先輩を翻弄する。お腹をおおざっぱになぞられ、左が右へと変わった。背中を嬲るように触手が跳ね、上が下へと転じた。ひたすら撫でまわされ、触手とこの洞窟が分泌する粘液にまみれた先輩には、今自分がどこを向いているのかすらわからなくなっていた。
「後輩、後輩、どこだっ」
 本当に自分はさっきまで風呂場にいたのだろうか。何かの陰謀で宇宙的恐怖の支配する洞窟へと転送されてしまったのではないか、そんな想像すらした。
 やがて、触手が先ほどまでの愛撫はただ狙いを定めていただけだったとでも言わんばかりに、正確に、執拗に先輩の恥部を責め始めた。時にはゆっくりと撫で、時には鋭くつついた。さっき少し放出したことで止まっていた小水は再び決壊した。しょろしょろしょろ。触手は、樹液を舐めとる昆虫のように先輩の下半身を貪る。放水が終わると、触手はもうそこに用はないとばかりに秘部をねぶることをやめ、ふたたび全身を弄びはじめた。荒波に揉まれるように翻弄され、先輩はすっかり全身を自分自身のおしっこにまみれさせていた。酸素の不足と、認めたくないが快楽によって、先輩の意識は薄れていく。
(息が……)
 先輩が絶望に目を閉じかけたとき、何の前触れもなく光が差し込んできた。
(出口……!)
 それは希望だった。この狂った世界から逃げ出せる蜘蛛の糸のように先輩は感じ、動かない体に鞭を入れてそれを目指そうとする。
 しかしそれはすぐに絶望に変わった。
 光が照らしだしたのは、肉色の洞窟。
 上下に見えるのは、自分の頭をたやすく噛み砕けそうな白い歯。
 そして、光の射す出口から見えるのは、もはや見慣れた、後輩の手のひらだった。
 
 *

「なんで……」
 後輩の唾液と、自身のおしっこと、ついでに多少の愛液に濡れた先輩が、後輩の手のひらの上でうずくまっていた。
「なんでこんなことするの? ひどいよ」
 言葉使いが幼くなっていた。ショックによる一時的な精神的幼児退行だろう。
「先輩がかわいすぎるのが悪いんですよ」
「わたしが……?」
「ええ、食べちゃいたいくらいにね」
 あーん。後輩はそう嘯いて口を大きく開けてみた。無論冗談のつもりだったが、口と先輩の大きさを比べてみてそれは冗談にはならないことに気づいた。その禁断の発想に、背筋がぞくりとするのを後輩は禁じえなかった。
「先輩の、おいしかったです」
 先輩は、大きく広がった怪物のような大きな後輩の口しか視界にはない。ぐねぐねとあの恐ろしい舌がその中でうごめいている。大きな口を見つめていると、自分がその中に吸い込まれてしまいそうな……そんな錯覚を先輩は覚えて、たとえようもない恐怖に襲われた。

  『また、食べられる』

「やだやだっ!」
 先輩は突如自分を乗せている巨大な手の中指に抱きついて、涙をこぼしながら哀願した。
「たべないでくださいっ! たべないでくださいっ! おねがいします! なんでもしますからあっ!」
「先輩は、おいしかったです」
 もう一度繰り返すそれは催眠の本心だった。先輩の出すものなら(もちろん先輩自身でも)後輩はなんだって満足できた。なんだって受け止める覚悟があった。きれいなところも、汚いものも。
 先輩は、背後の後輩——の口——に怯えながら、必死に許しを乞うていた。舌が触れるたび、ぴくぴくと震えるのが面白くてたまらない。ぽたり、ぽたりと洗い場の白いタイルに赤い斑点ができる。興奮のあまり、後輩は鼻血を出していた。
「先輩、いっぱい出しましたね。もう今日はしませんから、楽にしていいですよ」
「たべないで……たべないで」
「先輩……?」
 口を閉じても、声をかけても、指でつついても、手のひらを傾けても、先輩は後輩の指にしがみついたまま離れる気配はなかった。まさに抱きつき虫だった。
「だれか……だれか……たすけて……たべられる」
 うわごとのようにつぶやく先輩は、後輩を認識できていないようだった。……人間としては。
 後輩は思わず両手を合わせたくなったが、先輩がいるのでそれもできなかった。
(はあ……壊れちゃったか)
 これでも必死に自制してきたのだが、どうにも今回はハメを外し過ぎてしまったらしい。さすがに後悔する。
 後輩は掌から先輩をひきはがし、空の洗面器の中央に置いてさらにその洗面器を蛇口の直下に置き、青い冷水が出るほうの蛇口をひねって先輩に滝のように冷水を浴びせた。
「ウワップ!」
 数秒浴びせたところで後輩は蛇口を止めた。
「ひいっ冷たい……あれ? 後輩? どうした。鼻血が出ているぞ」
 冷水を浴びた先輩はすっかり正気を取り戻していて、後輩は心の底からの安閑を得る。
(……よかった、直った)
「のぼせてたんですよ、私も先輩も。さ、出ましょう」
「う、うん……?」
 納得いかないままうなずき、先輩は差し出された後輩の手に乗った。
 後輩としても、先輩を壊すつもりはなかったのだ。この時点では、まだ。
「また私は、夢を見ていたのか……?」
「そうです、夢ですよ。ええ」
 今は夢ということにしておいてやろう。だが、そのうちに先輩を夢から引きずり出す。悪夢みたいな現実を見せつけてやろう。先輩は庇護されているのではなく、ただ快楽のみを目的にこれから永い間ずっと囚われ続けるのだということを。目の前の人物が先輩の思うような優しく快活な少女などではなく、甘美な責め苦を与える看守なのだということを。逃げ場がないと知った時、先輩は自分の指先でどんなかわいい声で喘ぐのか。自分の手のひらの上でどんな許しを乞うのか。自分の口の中でどんな味になってくれるのか。
「あは、あはははははははっ」
 それを想像すると、甲高い笑い声が浴室に響いてしまうのを後輩は止めることができなかった。
  
(続く)