暫くの間は泥のように過ごしていた。
 裁きの鎌に首を払われないように、極力頭を低くしていた。
 そうやって息を潜めて、たどり着けるところなどないというのに。
 抵抗した、という証がほしかっただけなのかもしれない。結局のところ、文字通りにちっぽけな僕の意思など無駄でしかないのだった。

 *

 留守番というのはヒマである。監禁されているわけではないが、外出などもってのほかだ。パーテーションの中で毛布に包まって寝て過ごすにも限界がある。
 僕にとっては大きなベッドほどもある大きさの居間のソファーで再放送のドラマなどを見ていた。リモコンはかろうじて僕にも操作できる。
 これはニートという人種の生態なのでは、と思わなくもない。とはいえ、六十センチあまりの身長の小人にできることなんてほとんどない。働くことも遊ぶことも困難である。
 この先どう生きていくのか、という不安からは現状目をそらしている。

 この病気が治療できた例というのは非常に少ない。というよりも、厳密に完治と判断出来る例はほぼ皆無らしい。
 治療どころか、僕の病気はまだまだ進行中らしい。
 最悪の場合、2ミリメートル近くまで縮んでしまう例が報告されている。それはもう死んだようなものではないだろうか。
 
 *

 雪が帰ってきたのは、ドラマがちょうど終わった頃だった。玄関のほうでドアが開く音がした。びくり、とする。
 出迎えに行ってあげようかな、という考えもあった。いかにもご主人様の帰りを待ちわびたペットのような挙動である、というのは卑屈な連想だろうか。
 しかし、僕は雪と顔を合わせたくなかった。
 雪のことが嫌いだから、というわけではない。

 ともあれ、僕は雪が居間へとやってくるのを待つことにした。 
 さすがにゴロゴロしているのもきまりが悪いので、ソファーに腰掛ける形に佇まいを改める。腰掛けた足は床に着かず、ぶらぶらと揺れる。
「ただいま~」
「おかえり」
 帰ってきた雪はワイシャツに男物のブレザー(雪はブレザーを男女両方持っているのだ)、スラックスという格好である。学校に通うには特に問題の起こらない服装といえよう。色気のある長い髪が、男物の服とはミスマッチだった。
 雪の姿を見ると無用に胸が高まるのがわかる。そのことを悟られまいと、僕はできるだけ平静を装うことにしていた。

「いやー、参ったね。だいぶ授業に遅れちゃってたよ」
 通学カバンをそのあたりに放り、身を投げ出すようにソファーの僕の隣に座る。ずしん、ソファーとともに僕の身体が揺さぶられる。
 そして、雪は制服の上を脱ぐ。薄い胸板とそれを覆う黒いインナーが顕になる。そしてベルトに手をかけ……
「ちょ、ちょっと!」
 慌てて目を背ける。
「ああ、ごめん、気にする?」
 雪はへらっと笑うと、脱ぎかけのまま自室へと向かっていった。居間に残されたのは僕と脱ぎ捨てられたシャツだけだ。だらしない、せめてソファーかテーブルの上に置いておきたい。
 ソファーからカーペット敷の床に降りて、シャツを拾ってみると、まだ雪の温度が残っていた。

「……」
 よせばいいのに、なんとなく、袖を通してみた。いや、通したというには不適切だ。僕の腕の長さでは、袖の半分ぐらいにしかならない。裾もずるずると引きずっている。
 匂いをかいで見る。ほのかな雪の体臭がする。洗剤と汗が混ざった、なんともいえない匂い。雪に抱かれているような、そんな安心感と……多幸感。
 まずいとは思いつつ、鼻を鳴らして、丸まるようになりながら心地いい部分を探してしまう。僕は少し正気を失っていたのかもしれない。

「何夢中になってんのさ」
 いつのまに来たのか、淡い色のワンピースに着替えた雪が、僕の痴態を眺めていた。
「ああ、いや、これは恥ずかしいね」
 ごまかすこともできずにしどろもどろになっている僕に、雪が近づいてくる。ソファーの上からでも感じていたが、お互い床に立っていると雪はとても大きく感じられる。僕の目線は、雪の膝よりすこし上ぐらい。

 緊張から心臓の鼓動が激しくなる。
 巨大な人間――つまり普通の人間と接するときは否が応でも緊張する。僕のような小さい人間は、小さな子供にすらどうやっても力でかなわないということは散々思い知らされた。
 例え本人に害するつもりがなかったとしても、身は固くなる。ただ前に立たれて見下されるという、それだけでプレッシャーになるのだ。

 雪は屈みこむと、僕の股間を撫で上げた。僕は身体を反らせて反応してしまう。
「ほんと恥ずかしいよ、こんなふうに大きくしちゃってさ」
「よせって!」
 実際、僕のものは破裂寸前というひどい有様だった。

 *

 まあその……仕方ないのだ。
 僕の生活スペースは雪の私室の隅にある。パーテーションを立てて、その陰に毛布や飲料水のペットボトル、ティッシュなどを用意してもらって、普段はそこで寝たりしている。
 衣食住に関しては何一つ問題がない。
 問題は性欲の解消方法だった。

 食べ物や飲み物、寝るところだけでは若い男は生きていけないというところに異論を差し挟む余地はないだろう。
 雪は「えっちな雑誌とかなくて大丈夫?」とかわざわざ訊いてきてくれたが、その時に首を縦に振ってしまったことを少し公開している。大丈夫ではなかった。
 だが例えばグラビアなどを買ってきてもらったとして、僕の身体ではページをめくるだけで疲れてしまうだろうが。そして処理したものをどう始末すればいいのか?
 僕には負い目がある。雪に性欲の面倒を見てもらうのは気が引けた。

 そうやって悶々としているところに、パーテーション越しに毎日衣擦れの音が聞こえてくる。雪の部屋なので当然だ。
 僕は自慰を行うこともできずに、ひたすら悶々としていた。この数日は、ずっと雪のあられもない姿と、それとまぐわう自分のことしか考えられなかった。

 *

「大きく……っていっても、きみのよりは」
 そこまで言ったところで、雪はスカート部分を手で広げ、それを僕に覆い被せた。蛍光灯の白い光が遮られ、薄暗くなる。
「わわっ」
 そして、僕の身体をスカートの上から掴んで持ち上げ……僕の身体は、雪の胸部に押し当てられた。
「おっぱい吸ってもいいよ」
 雪の声が響く。
 僕は雪の服の内側に、抱きかかえられたまま閉じ込められてしまっていた。
「赤ちゃんみたい……だけど、赤ちゃんよりは軽いね。華奢だから」
 服の内側は、さっきのシャツなんかとは比べ物にならないぐらい濃い匂いがする。雪の熱が、ダイレクトに僕の周囲を包み込んでいた。薄暗くて、あたたかくて、雪に抱かれていて……ひどく、心安らぐ場所だった。眠気すら感じてくる。
 雪の指が、下側から伸びてくる。僕の太ももや尻、背中を突いたりした後、股間へと向かう……
「あ、……や……」
 抵抗を失った僕の身体を、しなやかかつ巨大な指がつつく。僕はあっさりと果ててしまった。
「ええ、ちょっと早すぎるんじゃない」
 雪は苦笑いを浮かべて、指に付着したしずく程度の量のそれを舐めとった。
 僕はといえば、ぐったりとして雪に抱かれたままだ。しばらくして、僕は本当に腕の中で眠りこけてしまった。疲れたのだ。

 *

「やっぱ変だと思ったんだよねえ。ぼくのことを見る目がなんかギラついてたんだもん」
 雪は珈琲を入れながらそう言った。隠せていると思っていたのは自分だけだったらしい。変な汗が流れる。
「そりゃキミも男だしねえ。我慢はよくないよーたまには発散しなきゃー」
 僕はソファーで、雪の隣に座っていた。雪の重さでソファーの表面が傾き(僕が軽すぎるのだ)、雪に寄りかかるような体勢になっている。
「別にぼくをおかずにしてくれてもいいよ」
「あのなぁ」
「むしろ抜け」
「命令かよ」
「身体によくないんだって」
 雪はスプーンで熱い珈琲をすくって、僕の口に運んでくれた。
 温かいものは、雪がいないと摂ることができない。

 *

 その後は、雪の予習復習に付き合ってあげたりもした。面倒を見てもらっている対価、ということだ。
 しかしどうにも僕は真面目な教師ではなかったため、教える前に自身の予習ができないというのは不安が残る。小人が使える教材はまあ、ないわけではないのだが……。
 そのうち僕は雪に教えを乞う立場になってしまうのかもしれない。

 *

 夜が更けて、いつもどおりパーテーションの中に戻ろうとするとパジャマ姿の雪に引き止められた。
 ベッドに寝転がる雪に、赤子のように抱え上げられる。
「ねえねえ、ぼくのオナニーも手伝ってよ」
 咳き込んだ。
「夕方に処理してあげたじゃん」
「自分でやれよそんなの……」
 雪はバカにするように笑った。
「へえ、自分でやっていいの?」


『この後めちゃくちゃオナニーした』