『つまさきの囚人』

 生徒会に所属する人間だろうがなんだろうが、普段の生活が平民とは劇的に違うことはない。何もないときはせいぜい教室の鍵を管理したり、書類を整理したり、業務日誌をつけたりするぐらいだ。
 パンと牛乳で昼の食事を済ませて、生徒会室のソファにもたれかかっていると、引き戸を開けて小さな人影が入ってきた。

「こんにちはー」

 学校指定の紺のベストにカーキ色の半ズボン。中等部の里兎だ。生徒会では最年少の彼は雑用を担当している。生徒会自体が雑用なので、雑用の雑用だ。ふわふわとした栗色の髪の毛と、柔らかそうな中性的な容姿は、仔犬を思わせる。かわいらしい風貌は生徒会全員に受け入れられ、かわいがられていた。
 それぞれの時間の過ごし方をしていた他の生徒会員数名は適当に彼に挨拶を返す。しかし、僕は里兎の半ズボンから伸びる脚に視線を奪われていた。

 彼は黒いストッキングを履いていた。

 それは別に初めてのことではない。男性がストッキングを履く、というのは珍しいことではあったが、生徒会員はとっくにそれに慣れていた。
 だが、僕にとって、彼が黒い肌着を履いて僕の前に現れる、ということには重大な意味があるのだ。
 心拍数が上がる。

「先輩、眠いんですか? ぼーっとしてますけど」
 里兎は中等部の一年、僕は高等部の二年。学年にして四つは離れていることになる。
 何でもないことのように、あくまで日常的に、里兎が僕に声をかける。砂糖菓子のような、甘ったるい印象の少年。しかし、その瞳には期待と欲望が燃えていた。
「……なんでもない」
 僕も、つとめて日常的に返す。僕の目の色は、きっと里兎と同じだったろう。なにしろこちらは、ずっとそれを待ち続けていたのだ。彼を。

 *

 黒い肌着、というのは二人の間で決められた符丁だ。ソックスでもストッキングでもタイツでもいい。どちらかがしたくなった時、それを申し出るのはシラフの状態ではお互いどうにも気恥ずかしい。そこで、里兎がその気になったときは黒い肌着を着用して僕の前に現れる、という決まりを作っていた。

 僕からの符丁は決まっていない、というか出さない。この遊びの全権は里兎にあるからだ。

 *

 放課後の生徒会室。授業と雑務は終わり、この部屋には僕と里兎しか残っていない。カーテンは引かれ、鍵は内側からかけられている。完全な密室だ。
 僕と里兎は、お互い緊張した面持ちでパイプ椅子に座って対面している。

「じゃ、じゃあその……早速だけどはじめましょうか。始めちゃっていいんですよね?」
 里兎が口火を切る。この行為は三回目になるが、テンションの乗り切らないはじめはどうしても照れてしまう。それは僕にしても同じだった。
「あ、ああ。よろしく頼むよ」
 僕は服を脱ぎ、下着だけの姿になる。別にセックスをしようというわけではない。似たようなものではあるかも知れないが。

 里兎はポケットから小さなスプーンを取り出し、口を開いてつう、と唾液を垂らす。たちまちスプーンに彼の唾液が満たされた。エロティックな光景に、少し胸が高鳴る。
「どうぞ」
 里兎はそれを座る僕の目の前に突き出す。僕は餌を待つ小鳥のように口を開く。里兎は若干の躊躇ののち、開いた口の中に、スプーンを入れ唾液を飲ませる。生ぬるい味がする。この工程をもう一度繰り返す。
 これ自体、普通に考えて変態的な行為なのだが、これは手段でしかないのだ。里兎は、唾液を飲み下した僕の顔を、というか僕の存在自体をじっと見つめている。

 そして数十秒後、目的となる現象が起こる。めまいに似た、視界のぼやけ。身体の中心に全身が吸い込まれるような感触。意識の喪失。

 *

 覚醒後しばらくは、全身の感覚が不明瞭になる。寝かされていた身体を起こし、周囲を見渡すと、肌色のなめらかな、少し隆起した地面が広がっていた。
 地平線の向こうも、空も、灰色にぼやけて不明瞭な、現実にはありえない不気味な生物的な世界だ。何も知らずにここに来てしまったなら、頭が少しおかしくなっているかもしれない。

<起きた?>

 里兎の声が天空から響く。聞きなれたその声は、スピーカーを何重にも通したかのように低く響く。声のほうを向き、意識を集中させる。すると、そこには里兎がいた。
 正確には、こちらを見る里兎の紅潮した顔があった。
 それも、ビルのように巨大な、里兎の顔が。

 あどけない小さな少年は、身体のバランスを保ったままにとてつもない大巨人になっていた。
 僕は狂ってはいない。幻覚を見ているわけではない。そして、厳密に言うと里兎は巨大にはなっていない。

 *

 ベストに半ズボン、黒いストッキングという姿の中性的な雰囲気の少年が誰もいない生徒会室でパイプ椅子に座り、掌に向かって何か語りかけている。
 まるでそこに誰かがいるかのように。

 *

<ねえ、ぼくのこと、どう見えます?>
「……とても、大きい」
<違いますよ。先輩が小さくなったんですよ>
 お約束と化したやり取りをすませ、里兎は上機嫌に笑う。
<何度見ても、ほんとうに小さい。ぼくの指よりも、ちっちゃい>
 彼の言うとおり、僕は全身を縮小され、意識を失っている間に里兎の掌に乗せられていた。
 今の僕にとって、少年の手の上は先程までいた生徒会室よりも広い。

<今日は、どんなことをされたいです、先輩? ……やっぱり、今日は気が進まない、とかだったら、何もしませんから言ってくださいね>
「……」
 僕は答えられない。これは二人の合意の上での行為だ。何もされたくないわけではない。だが、恐怖と緊張が、僕に物を言えなくさせていた。

 想像したことがあるだろうか。自分が、もし超常の力で虫のように小さくされてしまったら。そして、そんな状態で、性的な行為への興味があり、また情緒不安定な思春期の少年や少女に囚われてしまったら。
 僕は、これから里兎の思うまま、その圧倒的な力を持って欲望のはけ口にされる。どんな恐ろしいことをされても、逆らうことなんてできないし、誰も助けてはくれないのだ。命と尊厳が、目の前の十三歳の少年に掌中に握られている。文字通りの意味で。

<リクエストは、なしか。じゃ、ぼくの好きにやらせてもらいますよ。覚悟してくださいね。やめてって言っても、絶対やめませんから>
 里兎がタイムアップの宣告をし、先輩と後輩の関係は一時的に消える。自分で望んだことなのに、怖くて仕方がない。里兎がなんとなく掌の向きを変えただけで、僕は消滅するのだ。
 しかし、恐怖しているだけではないのも事実だ。肌着(なぜか僕と一緒に小さくされている)の下で、男性自身が自己主張をしていた。

「元気にしちゃって。先輩、彼女いましたよね。男の子とこんなことしてるって知ったら、どう思うでしょうね」
 にやにやと笑う里兎。そう、僕には彼女がいる。裏切り行為にほかならない。だが、その背徳感が、僕たちの興奮をより高めているのも確かな事実だった。
 掌がゆっくりと、リフトのように床を目指し降下していく。

 *

 僕は端的に言えばマゾヒストで、変態だ。里兎と出会ったこと、そしてその不思議な能力を知るに至ったのはほんの偶然だった。運命の出会いだとすら思っている。
 少年趣味の自覚はない。里兎がたとえば女性であったとしてもこうなっていただろう。
 ただ、僕をいじめているときの里兎はたまらなく愛らしい。それは認める。

 *

 僕は生徒会室のリノリウムの大地に下ろされる。小さい体では見慣れた場所もまるで別世界のように感じる。埃が雪のように積る、どこか幻想的な風景だった。
<そこからの眺めはどう?>
 目の前には黒い、鯨のような大きさの右足が鎮座していた。里兎の脚だ。上靴は、いつのまにか脱いでいた。
 奥のほう、かかと部分からは塔のごとくに脚が伸びている。伸びた脚は膝で折れ曲がり、横に倒れた太腿がチェアへと消えて行く。巨大な筋肉と脂肪の構造体を薄布が包み隠している。上半身は彼の身体と椅子に遮られて見えない。僕は、里兎の足元に立っていた。

「す、すごい……」
 脛などの部位は繊維の密度が高く真っ黒いのだが、逆にくるぶしや指の付け根、太ももなど力の集中する箇所や引っ張られる場所は繊維が伸ばされより薄くなっている。格子状の模様の向こうに透けて見える肌の白さを、ストッキングの黒さがより強調しているのだ。
 異世界の大樹を思わせるこの巨柱だが、子供の身体の一部分に過ぎない。少年の瑞々しさと、黒ストッキングの創りだす女性的なシルエットの艶めかしさ、そして高層建築物のような巨大さが合わさり、神秘的とも言える魔性の魅力を、里兎の脚は放っていた。ただそこにあるだけで、圧倒的な迫力だ。
 僕は、すっかり同性の身体に魅了されていたのだ。

 巨大な足が地鳴りを立てながら床を滑り、つま先が僕の正面を向いた。ストッキングを内側から突っ張らせた爪が、僕の目線ぐらいの高さにある。
 ぼうっと眺めていると、里兎のつま先がぐおっと上がり、鎌首をもたげた。足の影となり、周囲が暗くなる。
「うわっ」
 僕の身体は、下ろされた里兎のつま先の下に隠されてしまった。正確に言えば、親指と人差指の下に。指の一本すら抱えきれないほどの今の僕を隠すには、それだけで十分だった。

 靴の中で熱された足と床の間に出来た空間は、呼吸すらままならないほどに湿り、暑苦しい。
 少年の足独特の臭気が、口と鼻から肺へと侵入してくる。そして、重い。全身の骨が軋む痛み、潰されてしまいそうな恐怖に、叫び声を上げる気力すら奪い取られる。

「くるし、い……」
 僕は少しでも苦しさを紛らわせるために、精一杯の力を込めて身動ぎする。すると里兎はその抵抗を感じ取ったのか、わずかに足の天蓋を浮かせる。重石から解放された僕は、身体を起こすためにまず横に向ける。
 すると、すぐさま足が再び僕の身体にのしかかるのだ。

<つま先って、人間の身体で一番敏感な部分だから、ちっちゃいキミでもいるのがわかるよ>
 里兎の穏やかな声とは対照的に、僕は蛙が轢き潰された時のような声を上げる。咳き込むような笑い声が、遠くから聞こえた。
 中途半端に角度を変えた身体はそのまま固定され、先ほどとは違う新鮮な重さと痛さ、苦しさが僕を苛む。
 たまらず再度もがくと、再び足が浮き、仰向けに転がった所で再び抑えつけられる。ダイレクトに響いてくる、潮騒のような血液と筋肉の脈動が、上に乗っかっているものが無機物ではないと教えてくれた。
 足裏の温かさと、自身の体温が同化していく。

 かと思えば抱えきれないほどの大きさの指先を細かく動かして、粘土のようにリノリウムの上を転がしたりする。
 粘土は転がせば丸くなるが、人間は丸くならない。露出した肌や顔面がストッキングの繊維でこすれ、真っ赤になっていく。ひりひりと痛い。

 指の腹が凹凸の多い顔面とこすれる感触が楽しいのか、里兎の指は重点的にそこを狙ってくる。もちろん顔面を削られれば命は無いので、僕は必死に両手でかばう。
 そういった抵抗が、里兎を喜ばせる以上の意味がないと知っていながらも。
 指先や土踏まず、指の付け根などで十分ほど消しゴムか虫けらのように弄ばれた後、足が身体から離れ、僕の身体は一時的に解放される。身体は満足に動かせず、呼吸をしているだけで痛い。
 だがこれはほんの序盤戦にすぎない。

 *

 わずかな休憩時間は終わる。里兎は椅子に座ったまま屈み込むと、僕を器用につまみ上げ、反対側の手の指の腹に乗せる。またたくまに僕の身体は、目も眩むほどの高度にまで達する。
 ちょうど、里兎の股間の正面だ。半ズボンが小山のように盛り上がり、その頂点には染みさえできていた。中身がどうなっているかは明らかだった。
 ゴミのように小さな僕を踏みつけにして、興奮していたのだ。

<どうしたの? ボクのズボンの中身がどうなってるか、気になるの?>
 僕の視線に気づいた里兎が挑発するように言う。いつの間にか彼の言葉からは僕に対する敬意が消え失せていた。対等な人間として、僕を扱っていないのだ。いや、人間として見ているかどうかすらも怪しい。
 僕は何も言えず押し黙る。男性器の収まる場所を正面で見せつけられているのだから気にならないはずがない。それも、自分を簡単に乗せられてしまうほど巨大なのだ。

<それだけ小さいと何でもできそうだよね。どこにだって入れるし、何にでも使える>
 里兎は意味有りげな言葉を吐く。股間を注視されているというのに、縮小前に見せていたような照れた様子は微塵も見られない。
 それどころか更に興奮したらしく、下半身に作られたテントが目の前でぴくぴくと動いた。その下では、少年の獣じみた本能が解き放たれることをせがんでいる。
 里兎は、もっとも性欲が高まる年頃だ。あどけないすまし顔をしていても、下半身に操られていると言っていい。そんな少年の欲求の目標は今、僕という玩具に向いている。

<……ま、今回はそれはなしで>
 里兎は股間を押さえ、ポジションを整える。そして一度立ち上がると、空いている手でズボンをまくりあげ、右脚のストッキングを横に引っ張って広げ、空間を作る。そしてそこに僕を乗せた指を近づけていく。薄暗い闇へと続く穴が、そこには広がってた。
 心の準備が終わる前に、飛び込み台めいた指が傾いていく。思わずしがみつくが、あっけなく僕は振り落とされる。そして、ストッキングがぴちりと閉じられる。

 脚の柔肌に激突し、ストッキングの繊維に引っかかりそうになりながら、僕は下へ下へと落下し、太腿の部分で一度止まる。ストッキングに貼付けられた状態だ。そうとう惨めになっている。
<ほら。早く下に行ってよ>
 僕の尻を、里兎の細い、しかし胴体よりも太い指がつついて急かす。僕は必死に、這うようにして自ら牢獄の奥へ奥へ、下へ下へと潜っていく。
 着用していたトランクスはいつの間にか脱いでいた。股間に、璃都のすべすべのふとももがこすれて意識が飛びそうなほど気持ちがいい。だが歯を食いしばってこらえる。里兎の許可なく射精することは禁じられているのだ。

 外側から、里兎が苦闘する僕の様子を無表情に眺めている。苦行だが、脚の外側のフリークライミングを命じられるよりはマシである。昔、運動会の障害物競走で網をくぐり抜けたことがある。
 人間の身体と被服でそれをやらされているというのは、とても奇妙だ。

 尺取虫の真似事を数十分続けたが、人間の尺度では十センチほどしか進めていなかった。ストッキングの粗い繊維が、皮膚に食い込んで痛い。黒い繊維の向こうには外界が広がっている。足の一本ぐらいなら出せそうだが、全身を脱出させるのは無理そうだった。出られたからといって、何かできるわけでもないのだが。

<じれったいなあ>
 痺れを切らした里兎が指を伸ばし、僕のいる位置のすぐ下のストッキングを引っ張ったのだ。支えるものがなくなった僕の身体はストッキングをゆっくりと滑り落ち、岩のような膝小僧を通り過ぎ、瞬く間に足の甲にぺたりと降り立つ。少年の甘ったるい体臭に、つんとした汗の臭いが混ざり始める。
 里兎はさらに僕を指で追い立て、つまさきまで移動させる。
 指が蠢き、為す術もなく親指と人差指の間に挟まれる。
 第二次成長期の少年の素足は、ハリと艶に富み、柔らくすべすべしている。しかし、虫のような小さな存在にとって、小さな子供の足指ですら鋼の硬さと重さだ。そんなものに全身を挟まれ、呼吸が止まりそうなほど苦しい。ぎしぎしと身体が軋む。

 咳き込む。ストッキング越しではなく、しかも足指の間。最も臭いがきつい場所だ。上靴とストッキングに二重に閉じ込められた素足はじっとりと蒸れていて、サウナのように暑苦しい。遠くなりそうな意識を、目の前の肌色の柱に力いっぱいしがみつくことでつなぎとめる。
 僕の身体がつま先に固定されたまま、世界が動き始める。ストッキング越しに見えていたリノリウムの大地が遠ざかっていく。視界が上方へ百八十度近く回転する。

 上昇は数秒で止まった。どうやら、僕のいる右脚を座った左膝の上に乗せたようだ。裏返り上を向けた足裏からは、里兎の興奮した顔を仰ぎ見ることができる。
 僕の支配者が、ストッキング越しに足にくっついている僕のことを見下ろしていた。片手にはケータイを持ち、僕……といよりは僕のいる足に向けている。撮影しているのだ。
<ゴミみたいだね>
 里兎は目を細めて、淡々と感想を口にする。

 ストッキングを履いて行為に臨む、というのはなかなか理にかなったアイデアだと思う。もしここから何かの拍子で落下しても大事には至らないし、それでいて僕が喘ぐ様をストッキングを挟んで観察できる。毎度行為の時はストッキングを履いてくるのは、これが理由の半分だ。
 前に裸足で同じようなことをされて落下しかけ、本当に死ぬかと思った。汗ばんだ足裏に僕の身体が張り付いたため、最悪の事態は免れたが。

 里兎がにっこりと笑う。
「――!」
 悲鳴を上げてしまった。僕を包む親指と人差指が――里兎の尺度で――わずかに動いたのだ。上半身と下半身がばらばらに引き裂かれる、一瞬本気でそう思った。今日一番の苦痛に、全身に脂汗がにじむ。
<ごめんごめん。今のキミはこれだけでもつらいんだね>
 里兎の声。耐性外の痛みを与えたことへの侘びなのだろうが、僕の状況とはギャップがありすぎる軽いトーンだった。それも仕方ない。ストッキングの中と外は別世界なのだから。
<もう少し、マイルドにするね>

 ぎゅっ、ぎゅっ、ぎし、ぎし。
 里兎は、小刻みに指を動かして僕を責める。一定の間隔で圧迫を与え、時々テンポを外すのがいつものやり方だ。いきなり止めて困惑させたり。唐突に力を強くして声を搾り出させたり。力を入れるペースを早くしたり。まるで指の一本一本が意思を持った生き物のように動き、僕を責めた。
 転調のたびに、僕の上げる声、というよりは肺から空気が絞り出される音が変わるのが面白いのだという。そんなことを以前ケータイに録画された僕の醜態を見せながら笑って話していた。実際、今の里兎は優越感と征服感の混ざった、実に楽しそうな顔をしている。

 里兎に言わせれば、小人は消しゴムや人形、虫とは比べ物にならないほど踏みがいがあるらしい。それらよりも圧倒的に柔らかいし、少し力を入れるだけで面白い反応をするから、だそうだ。そして、少しでも力の加減を間違えると壊してしまう、というスリルがスパイスになっている、らしい。

 肌色の竜の動きがぴたりと止める。僕はつかのまの休息の時間に呼吸を整える。僕を挟む親指と人差指は汗がにじみ、ぬるぬるとし更に臭いが刺激的になっている。身体はべたべたに濡れている。僕の汗と里兎の汗の区別がもはやつかない。
<ねえ、苦しい?>
 女の子のような顔をした少年が、舌で下唇をぺろりと舐めて問う。顔が近い。息がかかりそうなほどだ。
 苦しい。そう返事をしようとしたが、声が出ない。しゃべろうとして、押し付けられている肌色の壁面を伝う汗が口に入った。塩辛い。
 少年の姿をした神のご尊顔が上へと遠ざかる。より見下すような、冷酷な目付きとなる。口角が上がる。

<ぼくがこのまま少し力を入れたら、潰れちゃうね>

 心臓が跳ねる。いたずらっぽく笑って発された言葉は刺激的すぎて、胸の内を鷲掴みにされたような気分だった。

 ゆっくりと、指の力が強まる。再び、万力のような力で全身を締め上げられる。指の間で小さくもがくと、里兎はくすぐったそうに笑う。
 里兎は、僕を虐めるときにほとんど力を込めていない。鉛筆を少し持つような程度だ。もし里兎がその気になって、消しゴムを握るよりほんの少し強く力を込めれば。

<それとも、潰れたい? ぼくの足の指の間で>

 僕の主人がにやにやと笑っている。力は徐々に、しかし確実に強まっている。
 わかっている。これはロールプレイ、一種の儀式なのだ。里兎も最初に言っていた。『先輩は大事だから、決して壊したり潰したりはしないように加減する』と。
 だけど、そんな約束を破棄するのは向こうは勝手にできる。僕の成れの果ては、適当にティッシュにくるんで土にでも埋めればいい。誰も気づくことはないだろう。そして、新たなカモを見つけて再び情事に励めばいい。

<ねえ、答えてよ>
「……潰さないで」
<……え? 小さくて、よく聞こえないなあ>
 わざとらしい口調。柔軟な身体を持つ里兎は座したまま身体を折り曲げ、足の裏に顔を近づける。映画館のスクリーンに映したような、少年の巨大な顔が視界を埋め尽くす。今や五感のすべてを、里兎という一人の小さな少年に満たされていた。
 自分が自分でなくなるような感覚。自分が自分以外のものに置き換わっていくような、屈辱、快楽。

<もう一回言ってみなよ。どうされたいの?>

「……潰さないでください。……潰さないでください!」
 いつの間にか、僕は敬語で懇願している。これもロールプレイだ。……だけど、半分は本気だった。高校生の男が、年下の子供みたいな少年に命乞いをしている。屈辱感に胸が張り裂けそうだった。
 本当に恐ろしかった。ストッキングの中で短い一生を終えてしまうことだけではない。

 ほんのわずかに、「潰してほしい」、と心のどこかで願ってしまっていた自分が。

<あはは、かわいい。潰したりするわけないじゃない。キミは、ぼくの最高のおもちゃなんだから>
 ぱっと、僕を拘束していた指の力が抜ける。その拍子にぬめった指の間から足裏へと滑り落ちそうになり、慌てて人差し指へとしがみつく。その様子がおもしろいのか、里兎はまた笑う。

<かわいいなぁ>
「……」
<何か不服?>
「……いや」
<顔、赤くなってるよ>

 小さくなった僕のことを、里兎はかわいいと言う。からかい混じりではあるが、本心でもあるらしい。年下の人間に言われるセリフではないし、どう考えても里兎のほうがかわいい。……しかし、彼にかわいいと言われるのは悪くない、最近はそう思うようになってきてしまっていた。

 恋をしているのかも知れない。里兎に一言、かわいい、そう言われるだけで、どんな仕打ちの辛さも吹き飛んでしまうのだから。彼の笑顔だけで、全ては救われ、満たされる。

 里兎は自分のことを、どう思っているのだろうか。たまたま利害が一致しているだけのパートナーなのか、代替不可能な大切な存在なのか。それを読み取ることは僕にはできなかった。
 でもそれは、知ろうとしないほうがいいのかも、と僕は思う。

<ふふ、今日のところはこのへんにしてあげようかな>
 景色が動き始める。再び足が降下していくのだ。リノリウムの地表と、僕のいる足指が接する。
<残り時間でぼくの足、好きにしていいよ>
 ご褒美が与えられる。それと同時に、上のほうで、衣擦れの音がした。

 *

 そのしばらく後、僕は里兎の足から解放され、里兎が用意していたステンレスの水筒のお湯で身体を洗う。元の大きさに戻る前に綺麗にしておかないと、いろいろと面倒なのだ。
 更にしばらくして、僕の大きさはもとの人間サイズになる。僕よりも小さい里兎がそこにいた。里兎のクスリの効果が切れ、普通の世界に戻ってきたのだ。

「小さじ二杯でこの前が一時間半、今日は二時間で戻りましたね、先輩。少しづつ元に戻るのに時間がかかってますよ」
「……ひょっとして、そのうち戻れなくなったりしてな」
「その時は、ぼくが責任持ってお世話してあげますよ。なーんちゃって」
 里兎は冗談めかして笑う。
「は、は……これ以上、後輩に負担を掛けるわけにはいかないな」
「……でも、そうされたいんでしょ」

 見上げる里兎と視線が合う。小さな少年の瞳には、息を呑む僕が囚われていた。
 
(了)