アンバーチャライズ① 座面百景

反り立った崖の下から、僕たちは黙々と階段を上っていった。
高低差は約87 m。崖下から崖上に伸びる仮設の階段はお世辞にもしっかりしたものではなく、薄い鉄板の隙間から見える遠い地面が、僕たちの脚を震えさせた。
万が一にでも足を滑らせれば、ただでは済まない。
時折吹く強風にバランスを崩して、何度か冷や汗をかいた。
バクバクと暴れる心臓を押さえながら、なんとか足を運び続けた。
ようやく最後の階段をのぼりきると、ついに目の前に視界が開けた。大地の白い輝きがへとへとになった僕たちの目を刺す。

「皆さん、お疲れさまでした。今、皆さんが立っているのが、女性用トイレの便座になります。」





僕たちは今、あるツアーに参加している。行程は危険極まりないが、決して「秘境巡りツアー」などではない。「女性用トイレ」の見学ツアーである。
身長170cm前後で成長が止まってしまう僕たち男性と違い、一部の女性は遥かに大きく、僕らの230倍ほどの巨躯へと成長する。
彼女たちは僕らと同じ社会で暮らしてはいるが、実際上の都合から生活圏は異にしている。
男性は巨大な女性と結婚するか、巨大女性付きの専門職にでもつかない限り、彼女たちのプライベートを直接目撃する機会はほとんどない。
大変残念ではあるが、男性が安全に、女性がのびのびと暮らすためには仕方のないことである。

しかしながら、多少の危険を冒せば、一般男性が巨大な女性の生活領域に合法的に入り込む方法が存在する。
それがこのツアーだ。政府は男性サイズの社会と巨大女性社会の分断を防止するため、”男性の扱いに長けた女性ツアーガイドがいる”などの条件を満たす一部企業に対して、女性生活圏内の見学ツアーを催行することを認可している。
そして、「命を捨てても構わない」ことを公的な書類で表明した男性に限り、ツアーに参加することが許可されている。

僕はサイズフェチなので、迷わず参加を決めた。
この世の何よりも大きな女性を愛し、巨大な女性と結婚することをいつか夢見ている自分にとっては、命の危険なんぞちっちゃな話である。
今回参加を決めた「女性用トイレ」の見学ツアーは僕が最も参加したかったツアーの一つである。決して下衆な下心からなどではなく、女性社会を支える極めて高度な治水技術・建築技術・材料技術の集大成から学びを得ることが目的であって、決して下心などはなかった。





ツアーの参加者は当然全員男性で、6人ほどだった。ツアーガイドの男性一人が僕らを引率していた。
「皆さんが今まで登ってきたのが、洋式トイレ右手側の外壁になります。そして、いま立っているこの場所が便座の端の部分になります。ちょうど女性の方が腰を掛ける部分ですね。」
「すごい」
思わず声が漏れてしまった。なんてスケールの大きさだろう。

大空から僕たちを照らす太陽は、電灯だった。

白く輝く地平線の向こう側には、僕の視界を縦に切り取るベージュ色が、天高くまで伸びていた。
途中に浮いているものが見知ったドアノブの形とよく似ていることに気づくまで、それが扉であるとわからなかった。

白く輝く石の大路を歩くと、まるで空の中を進んでいるようだった。
大路の左端がついさっきまで登ってきた崖で、右端もまたせり出した崖になっていた。
その右側の崖の下は這ってでも登れないほどの急斜面になっていて、中央には湖がとうとうと水をたたえていた。
湖の水面は僅かに波立っていて底はよく見えなかったが、恐ろしく深いことは容易に想像できた。
僕は湖の水深が深いことを知っていた。

そうだ、これはトイレなのだ。

右後ろを見上げれば、天高くそびえるトイレのフタと、巨大なT〇TOのロゴが確かにあった。
さらに振り向けば、握りやすい形状に設計された金属製のノブがあり、丸みの向こう側からわずかにこちらにはみ出した塗装には、自分の体ほどの大きさの文字で、「大▼」と印刷されていることがすぐにわかった。
僕は体がすくむのを感じ、それを嚙み締めた。

最高だ。

僕が天を仰ぎ、胸いっぱいに息を吸い込むと、芳香剤のいい香りがした。
いい香りの風が僕の頭をなでた。
僕たちが中央の岬に向かって歩いていく道中、かわいらしい花柄のタオル生地があしらわれたトイレットペーパーホルダーが、どこまで歩いても形を変えずに視界の右中央に浮かび続けていた。
なにもかも壮大だった。



そうだ。ここはトイレなのだ。
見渡す限りに広がるこの広大な空間は、女性がただちょっと用を足すための、小さな空間なのだ。
この部屋の主が、バーチャル空間で友人たちとオンライントークを楽しんだ後で、ふとお花を摘みたくなってここで腰を下ろせば、
湖も、その堤防である白く輝く大路も、すべてが彼女のやわらかな臀部の下に沈んでしまうのだ。
もし僕がここにいると気づいてもらえなければ、天界から僕を見下ろす雄大なエデンの園が、自ら直々に僕のところへ迎えに降りてくるのを、ただただ受け入れるほかない。

「まるで蟻ンコになったみてぇだなぁ」
ツアーに参加していた中年の男性がつぶやいた。
そうだ。僕たちは元来蟻ンコなのだ。
力自慢の大男も、豪邸に暮らす大富豪も、大企業の社長も、大統領も、生身の女の子の前では何の意味もない。
ひとえに巨象の前の蟻ンコに同じ、である。

さっきまで急な階段と落下の恐怖のせいでバクバクと脈打っていた僕の心臓は、今は感動と興奮で高鳴っていた。
最高に気持ちがいい。
もう参加してよかった。
ほかのツアー参加者も興奮気味にしゃべりだした。みんな巨大な女性が大好きだった。僕たちは仲良くなった。

目的地である岬、便座の中央部分までたどりつくと、ガイドさんは休憩時間だと告げた。
トイレはないので我慢して下さい、とガイドさんが言ったので、僕たちは子供みたいに大騒ぎで抗議した。
ここはトイレじゃないか!
ガイドさんは何かを見透かしたように、ちゃんと後で対応するので待っていてくれといい放ち、ニヤッと笑った。

休憩中、ガイドさんは携帯でほかのガイドと連絡を取っているようだった。
歩き疲れた僕たちは地面にぺたんと座り込んだ。
女性の巨大な臀部を温めるための便座ヒーターが、6個の小さな男の尻を温めた。





しばらくして、ハーネスを装着してロープの先を固定しておくように、とガイドさんから指示があった。
船止めのような大きな金属製の杭が、何本か便座の中央部分に埋め込まれていた。
杭に取り付けられた金具にロープを接続できるようになっているようだった。
僕たちは言われた通りハーネスを体に巻き、ロープを接続した。命綱である。

「ハーネスはつけられましたか?問題ないですね。ここからは、ガイドを交代させていただきます。まもなく次のガイドが到着いたしますので、今しばらくお待ちください。」
ということは、そういうことである。
「地面が揺れますので、立っておられると大変危険です。必ず座った体制で、地面に手を付けてお待ちください。」
ついに来た。胸がまた高鳴る。
「わくわくするねぇ。」中年のおじさんが言った。

『…準備できてますので、早めにお願いします。あ、でもそっと、ゆっくりですよ。』
ガイドさんが電話に向かって小声で話している。
『『はぁい。もうちょっとお茶飲んでました。今行きます。』』
受話器越しに聞こえる声が、僕たちのいる空間全体にかすかに響いて聞こえる。若い女性の声だ。
そのすぐあと、地面が少しずつ震え始めた。

かすかに感じられるその揺れは、5秒ほどの間隔で断続的に起こった。
遠くで女性が歩いている振動だ。
揺れに気を使ってか、本当にゆっくり歩いてくれているらしい。

しかし、揺れは、一回ごとに着実に、みるみる大きくなっていった。
はじめはかすかに感じられる程度だったゆれが、すぐに電車内ほどのゆれになった。

次の一歩では、ドスウゥゥゥゥゥゥン…という重い音がはっきりと聞こえた。
となりのお兄さんの傍らに置いてあるカメラがカタカタと鳴った。

次の一歩では、ドスウゥゥゥゥゥゥゥン…という重低音がさらに大きくなった。
ドンッという瞬間的な揺れが最初に届いた。
お兄さんのカメラがガタッと倒れた。
お兄さんが慌ててカメラをリュックにしまおうとする。

次の一歩では、突き上げるような揺れで僕のお尻が一瞬浮いた。
その後に、ゆさゆさと立ってはいられないほどの揺れがつづいた。
お兄さんはカメラをしまうのが間に合わず、転んでしまった。
重低音がびりびりと胸の奥に響いた。

そこからの3歩は、お尻が痛いのでもう誰も座ってはいられなかった。
とはいえ立ってもいられないので、みんな四つん這いで耐えた。
お兄さんはカメラを仕舞うのをやめ、首にかけて必死に守っていた。
誰かが落とした飲みかけのお茶のペットボトルが、転がって便器側の崖に落ちていった。
「男性の方が来られることを想定していないので、防振設計がされていないのです」男性ガイドがよろけながら言った。

姿の見えないところで女性がそっと足を地面に置くだけで、7人の成人男子が地面から引き剝がされ、立っている権利すら剥奪されていた。
かわいらしい声をした女の子は、自分の無意識の行為がそんな災害を引き起こしているなんて気づきもしないのだろう。
僕は興奮した。

その3波のあとには、つかの間の静寂が訪れた。
地面にくっついていないものが細かい振動でまだチリチリとかすかな音を立て、転がるペットボトルが遠くでコーンコーンと音を響かせていた。
揺れの余韻を味わいながら、静けさのなかで僕たちはゴクリと唾をのんだ。





ドアノブがゆっくりと回転し、天まで伸びる扉が大仰な音を立てて後ずさりしていった。
扉が大気をひきずったために起こった突風は、僕たちをこの世界ごと吸い込んでしまうかのようだった。
とてつもない力が働いていることがわかった。


 その日、僕たちは思い出した。
 女の子の本当の大きさを。
 天から与えられた恵みの、屈辱的とすら言わせぬほどの差を。
 そしてその、喜びを。


天まで届く扉の隙間から、その扉を使うのにふさわしい身長の女が現れ、遥かな高みから僕たちを見下ろした。
レーススカートの隙間から白い巨塔のような脚がぬうと伸び、艶めかしくその置き場を探した。
紺色のソックスに包まれたおみ足がつま先から順番にゆっくりと着地し、最後にかかとが地面に鎮座した。
その時、僕らの体は跳ねとんだ。
僕たちはここでようやく、これまでの天災がこの若い女神の御業であることを体で理解した。

もう一柱の脚が地に降り立ち、開いていた扉が閉じると、女神のまとっていた暖かな大気が風となって僕らを祝福した。
ナチュラルボブの女神はこちらに向き直ると、豊満な胸のふくらみの向こう側から、岬の上でうずくまる僕らを見下ろし、挨拶をした。

 『はじめまして。今日のガイドを務めさせていただきます、上条めぐむといいます。
 皆さん、どうぞよろしくお願いします!』

(次回、「実は彼女もサイズフェチ」 デュエルスタンバイ!)