歌は好きだが、さえずるだけなら、鳥かごの中で満足できた。
窓の向こうに広がる景色。あなたが求め、恋焦がれ、その手に収めた美しい星。
そのわりに、滅茶苦茶しているけど…とにかく、私は憧れていた。
空も飛べない雛鳥だけど、私はあなたの巣を離れ、浮世を漂う楽師となった。

何の因果か、気まぐれなのか。あなたは私を育ててくれた。
血も繋がらぬニンゲンを、不器用なりに真剣に、今でも愛してくれている。
時々、喧嘩もするけれど…私はあなたのことが好き。この世の誰の歌声よりも、あなたの声が愛おしい。

あなたは偉大な人。
家を飛び出し、一年あまり。世界を巡り、方々で、あなたの噂が耳に届いた。
どこもかしこも、足跡だらけ。あなたは多くの事をなし、その功績が遺されていた。
誰も彼もがあなたのことを、伝え、語り、話していた。
世界はあなたの、掌の上。私にとっての長い旅路も、あなたの魔の手はいつでも届く。

あなたは邪悪な人。
家を飛び出し、一年あまり。世界を巡り、方々で、あなたの力を目に焼き付けた。
どこもかしこも、足跡だらけ。人を潰して、街を潰して、山を潰して、国をも潰す。
誰も彼もがあなたのことを、慄き、嘆き、恐怖していた。
世界はあなたの、掌の上。その気になればこの星ひとつ、いつでも握り潰せたろうに。

私はきっと、地獄に落ちる。
こんなに非道いあなたのことを、海より深く愛しているから。
悪行を知り、胸を痛めて、それでもあなたを愛しているから。
あなたに愛されるということは、何より素敵で、罪深いから。

今朝も私は、罪を犯した。
友を救うために捕らえた、山賊まがいの人攫いども。今頃、この世にいないと思う。
私の顔を傷つけた…ただそれだけの些細なことで、あなたは人を殺めてしまう。
決して許されることではない、それでもあなたのことが好き。

仲直りがしたい。
私の旅が始まったのは、あなたと喧嘩をしたからだ。成長しすぎた体のことを、からかわれたのが腹立たしくて。
確かに私の背は高すぎる。並のおとなの男より、頭ふたつは大きかったから。
…あれからまた、伸びたんだよ。一年ぶりに計ってみれば、225センチになってた。こんなに大きな女の子、恥ずかしいよね。
それに、まだまだ伸びると思う。驚くかしら、笑うかな。
とうに頭は冷えている。思えば酷い言葉も吐いた。ちゃんと謝るから、あなたにも謝って欲しい。
土産話や覚えた歌が、星の数ほど頭に浮ぶ。千夜一夜とあなたの傍で、あなたのために歌いたい。
なぜなら私は。旅の楽師は…

…魔王(あなた)の娘なのだから。

勿論、誰にも教えていない。魔王の娘と知られてしまえば、みんな驚くだろうから。
時に偽名を語りながらも、秘密は守り、隠し通した。誰かに名前を教えるときが、私の旅も終わるとき。
そして、旅はもうすぐ終わる。傍らに眠る、兎の亜人。彼女の瞼が開いた後に。
旅先で得た、奴隷の娘。
旅先で得た、亜人の娘。
旅先で得た、小柄な娘。
旅先で得た、大事な友達。
隠す気はない。どのみちここまで来た以上、隠せないから。
彼女が私の傷を癒して、疲れ眠った後のこと。
ふたり旅も悪くはないが、家族を亡くした小さな子どもを、連れ回す気にはなれなくて。
魔王軍の連中に頼み込み、遥か彼方の鳥かごへ…魔王城の私の部屋へ、運んでもらった。
世界で一番、安全な場所…母の機嫌が良いうちは。

気だるい時間が流れ、気づけば、小さな寝息が止んでいた。
純白のシーツに絡みつく、色素の欠けた華奢な肢体。私の片脚とそう変わらない、小さな小さな女の子。
温かく柔らかい雪原に、二輪の赤い花が咲く。兎の亜人の赤眼が、こちらをじっと窺っている。
軽く挨拶を済ませると、ゆっくり、ひとつ深呼吸して、それからすべて話し聞かせた。私の正体、今後の予定。
正直に言って、怖かった。こんなに勇気を振り絞るのは、生まれて初めてだったと思う。
『実は魔王の娘』だなんて、怖がられても無理はない。
だから彼女があっさりと、みんなまとめて受け入れたとき、私はすっかり力が抜けた。
安堵と申し訳なさと、何とも言えぬ脱力感。一世一代の告白が、さらりと受け流されてしまった。
へたり込む私の頭を、小さな掌が優しく撫でる。こんな子供に慰められて、情けないことこの上ない。
…君の前では、素敵なお姉さんのままでいたかったのにな。

兎の亜人が首を傾げて、迷惑かけても知らないからね?と笑う。
聞けば、強くなりたいと言う。一から魔法を学びたい、己の無力を思い知った、と。
魔法使いを一人前にするには、莫大な時間と金が要るが、一人前では満足しない。
あなたの財産、地位、家族。みんなまとめて踏み台にして、誰よりも強くなってやる。
止めても無駄だよ、と呟く彼女の、赤い瞳が激しく燃える。
私も、彼女の望みは叶えてあげたい。
だが、それなら直接、母と交渉するべき。いずれにせよ城で暮らすなら、遅かれ早かれ顔を合わせる。
私は部屋の奥、黒い扉を指差した。
扉の向こうに、魔王がいる。下種、鬼、悪魔、スットコドッコイ。どう言い換えても、構わないけど。
兎の亜人はコクリと頷き、ベッドを飛び降り、迷わず…私の足元に跪いた。
どうやら私を『魔王』に見立て、練習しておきたいらしい。まあ、いきなりは怖いよね。
よろしい、お姉さんに任せなさい。見事に演じきってみせよう。
ふんぞり返った私の前で、彼女はたどたどしく、稽古を始めた。
芸人一座に身を寄せていた、兎の亜人でございます。歳は、今年で13歳。名前は…

…聞き間違いだろうか。13歳と、聞こえたけれど。
定かではないらしい。元々、彼女は捨て子だったから。正確な歳は解らない。
ただ、拾われたのが13年前。だから少なくとも13歳だ、と。
歳のわりに背が低いから、恥ずかしくて言い出せなかった、と。
そういえば、一緒に旅していたときも、上手くはぐらかされていた。
それは、凄く良くわかる。私も随分、身に染みている。
秘密にしたいこと。言い出せないこと。体の発育で悩むこと。これでもかって共感できる。
人を見た目で判断するなと、母にも言われたことがある。
でも。
目の前の女の子、身長130センチくらい。せいぜい10歳くらいって、思うじゃない。


年上だなんて、思わないじゃない。


兎の亜人が驚愕している。私が魔王の娘と知っても、そんなに驚かなかったくせに。
こんなに大きいというだけでも、恥ずかしいのに。実はまだ12歳でしたって、言えないよ。
気まずい沈黙がしばらく続き…二人揃って、笑い始めた。
お互いの歳さえ知らなかったのが、なんだかとってもおかしくて。
考えてみれば、出会ったばかり。一年に及ぶ長い家出の、最後の最後、一緒にいただけ。
荷馬車の上で、焚き火の傍で、いっぱい楽しくお喋りしたけど…あれだけじゃ、足りないね。
もっと、仲良くなりたいな。今よりもっと、深く知りたい。
お菓子と飲み物、用意させますね。お口に合うといいけれど。
魔王?ああ、いいの。放っておいて。そのうち、あっちから会いに来ますよ。





「…メイド長、あの子達お茶会始めるみたい。クッキーと紅茶、一番良いの。早く」

「既にこちらに、魔王様。ですが、コップで聞き耳立てるのは、はしたないのでお止めください。
 気になるなら、参加なさっては?仲直りも捗りますよ」

「二人きりで話したいのでしょう。私がいたら台無しじゃない。
 それに、私を誰だと?魔王はね、頭を下げたりなんかしないの」

「…不器用なお人」

「何か言った?」

「いいえ、何も。そこどいてください。邪魔です」