股多尾小判(またたび・こばん)は幼い頃から、優れた魔力を現しました。指先ひとつで空を切り裂き、遥か遠くの見知らぬ世界へ、一瞬で繋げてしまうのです。稀有なる空間転移の使い手、それも破格の才であります。
 ですが、どれほど素質があろうと、最初から上手くはゆきません。忘れもしない5歳の初春、彼女の力が暴発しました。突如足元がざっくりと割れ、わたくしと小判は裂け目へコロリ、転がり落ちてしまったのです。転がり落ちた向こうの世界は、何千光年も彼方の地、こびとの星でありました。

 ずずううううん!どっしゃあああん!

 我々は猫の亜人であります。ニンゲンと同じ程度の体格、それも5歳の女の子です。早熟、大柄な小判でさえも、120センチに届くか否か。わたくしなどは更に小柄で、100センチ足らずのおチビであります。そんなふたりもこの星ならば、それぞれ120メートルと100メートルの巨大怪獣。なにせこの星の原住民は、体長2センチ未満であります。百分の一のこびとが暮らす、百分の一の都にめがけ、ふたつの巨体が墜落しました。大地は激しく縦に揺れ、衝撃が街を駆け巡りました。ことごとく窓は砕け散り、車は吹き飛び電車は横転、ビルは傾き家屋が崩れ、こびとなど木っ端同然であります。
 小判はたくみに身を翻し、身長の半分近く、約50センチのビルへとひらり、見事に着地しておりました。ビルは圧縮され尽くされて、中のこびとは死にすら気づかず、瓦礫と混ざり合ったでしょう。小判は軽やかに隣のビルへ、更に隣と飛び渡り、やがて最も高くそびえる、200センチほどのビルに君臨いたしますと、ぐるりとあたりを見渡しました。

 「ふふん、吾輩の魔法はどうじゃ。こびとの国へと迷い込んだわ。おぬしも起きて、見るが良い」

 無様なことにわたくしは、顔から真っ逆さまであります。柔らかな公園の上でしたので、怪我は無くとも泥まみれ。わたくしの顔を一瞥すると、小判はけらけら爆笑しながら、ズシンとビルから飛び降りました。

 「クロが益々、真っ黒じゃ。吾輩の一の子分がそれでは、格好がつかぬではないか」

 クロは、わたくしのあだ名であります。毛色が夜の闇より深く、肌も人より浅黒いため、皆そのように呼ぶのです。耳は小さく、だらしなく垂れ、真っ青な瞳は三白眼。尻尾の根性曲がりときたら、複雑怪奇の極致であります。一方、小判は見目麗しく、ぴん、と尖った大きな耳と、金色に輝くどんぐり眼。ふわふわとした茶虎の髪は、日差しの下では麦畑のよう。おまけに大変稀有なることに、長くしなやかで綺麗な尻尾が、2本も生えているのです。古来より猫の亜人に伝わる、強大な魔力の証であります。美しき巨大な暴れん坊は、わたくしの顔をハンカチでゴシゴシ、更にガシガシ、とどめにグシグシ、情け容赦なく拭ったのです。

 「うむ、これでよし。ではクロ、さっそく探検じゃ。吾輩についてまいれ」

 小判はわたくしの腕を掴むと、引っ張り歩き始めました。体格の差があるものですから、小判に怪力をふるわれたなら、わたくしは抵抗できないのです。19センチの靴ふたつ、14センチの靴ふたつ、愛らしい二対の圧殺兵器が、屍山血河を産み出しました。動けない車、動けないこびと。びっしりと路上に転がるそれらを、すべて避けるのは不可能であります。気の毒なことに動ける者ほど、小判の餌食となりました。どれほど素早く動けようとも、人の歩みに蟻では勝てず。靴跡がひとつ刻まれるたび、小さな命が真っ赤にはじけて、2本の尻尾が生き物のように、ご機嫌な踊りを披露しました。

 「クロよ、競争してみぬか。たくさん潰したほうの勝ち」

 いささか辟易いたしましたが、かわいそう、では止めないでしょう。わたくしは必死で無い知恵を絞り、ここは危ない、よそに行きたいと申しました。事実、ふたりの落ちた周囲は、細かく鋭い破片が飛び散り、いくつものビルが崩壊寸前、火の手もいくつか出ておりました。小判は不満気ではありましたが、どうにかこうにかなだめすかして、方向転換させたのであります。郊外に向けて伸びていく路上は、こびともいくらか少なかったうえ、そのうち小判が飽きてきたので、犠牲者の数は減りました。何せ初めて見る世界、目に映るすべてが新鮮であります。足元ばかりに目を向けるのは、勿体ないことでありました。
 ただ、気掛かりがありました。わたくしと小判をこの地に落とした、裂け目が消えていたのであります。あれが小判の魔力によるとは、ふたりとも気づいておりました。ですがもう一度出来るだろうか、ちゃんとお家に帰れるだろうか、定かではありませんでした。小判は気にすらしませんでしたが、わたくしはもやもやしておりました。どれほど歩いた頃でしょうか。田畑がぽつぽつ目立ち始めた、見通しの良い交差点上で、わたくしの不安が溢れたのです。帰り方すら解らぬ場所で、手掛かりもなしに歩き続ける。それがどれほど、心細いか。途方に暮れておりました。わたくしはその場にお尻を落とし、しくしく泣き出してしまったのです。小判もこれには困りましたが、いくら脇腹をくすぐりだそうが、変てこな顔を見せ付けようが、泣き止むわけがないのであります。

 「ええい、泣くな。クロの泣き顔はブサイクじゃ」

 あんまりであります。

 「心配するな、吾輩の力を見たじゃろう。いつでも帰れるわ、ほれ・・・あれ?」

 先程は偶然、発現しただけ。いかに彼女が天才であれ、力に目覚めたばかりの身です。あれこれ腕を振り回しても、何にも起こりはしなかったのです。わたくしはすっかり絶望し、大声をあげて泣き喚きました。あたりの家がビリビリ震え、こびとは耳から血を噴出して、ばたばたと倒れておりました。そんなわたくしに小判は怒り、拳骨を落として黙らせました。

 「ああ、もう!だから泣くなと言うのに。帰れないなら、どうだと言うのじゃ。むしろ清々したではないか。吾輩たちの帰りを待つものが、元の世界にどれほどいたのじゃ」

 わたくしは孤児院生まれであります。その時は親の顔すら知らず、内気な性格も相まって、いつもひとりでありました。一方の小判はお城に暮らす、正真正銘のお姫様ですが、二股尻尾の異形ゆえ、みなに避けられておりました。強大な魔力の証と言うのは、危険の象徴でもありました。幼少期における魔力の暴発は、時に犠牲者を生み出すのです。巻き込まれたのがわたくしひとり、なおかつ命長らえたこと。まさしく僥倖でありました。

 「どうせならここにふたりで住まぬか?面倒なことはこびとにさせて、案外、快適かも知れぬ。十年も経てば結婚できるぞ。吾輩がクロに嫁いでやるから、おぬしも吾輩の嫁になれ。良いな、だからもう泣くな、ブサイクな嫁は捨ててしまうぞ」

 ふたりぼっちの身の上であります。お互いを失いたくないのです。自分勝手な乱暴者で、大変に困ったお姫様ですが、小判の側を離れようとは、考えたこともありません。小判も小判で、わたくしが大切だったようであります。このように慰め、励ましてくれることもありましたし、わたくしを助け、庇ってくれることもありました。折しもわたくしがぐずる間に、こびとは反撃の態勢を整えていたのです。

 ぱたぱたぱた、きゅらきゅらきゅら。

 陸には無数の戦車が押し寄せ、空から数多のヘリに囲まれ、遠くからは飛行機の群れが、こちらへと近付いておりました。いずれも掌に収まる程度の、玩具のような大きさでした。ヘリからは拡声器のようなもので話しかけられましたが、まったく聞こえませんでした。おそらく投降を勧めていたのでしょうが、小判には逆効果でありました。

 「なんじゃ、おぬしら。向こうへ行け、見世物ではないぞ」

 夜道に蔓延るゴロツキの如く、剣呑な面持ちで、しっしっと手を払っておりました。このとき故意ではないにせよ、手の風圧に煽られてしまい、ヘリが墜落したのであります。これを宣戦布告とみなし、また報復の口実として、こびとの攻撃が始まりました。

 ぱんぱん、ぱららら。ぽんぽん、どかん。

 戦車の大砲が一斉に火を噴き、ヘリからも銃弾を撃ち込まれました。いかに小さな弾であろうと、人を殺す兵器であります。100倍程度の体格差では、結構、油断できないものです。服の上からならばまだしも、肌に直接着弾すると、ぴりりと痺れておりました。万一目玉に直撃したなら、障碍が残ったかもしれません。わたくしはしゃがんで頭を抱え、かたく瞼を閉じ、耐えました。地上の戦車はこれ幸いと、わたくしに集中砲火を浴びせてきました。すると120センチの巨体が立ちはだかり、弾幕を遮ってくれたのであります。

 「無礼者!クロに何をしておるか、いじめて良いのは吾輩だけじゃ!」

 あんまりであります。

 「もう許さぬぞ、まとめて踏み潰してくれる!」

 怒り狂った小判の靴が、戦車に襲い掛かります。小判の19センチの靴が、潰し、蹴飛ばし、薙ぎ払います。しかしこびとの手際もさるもの、小判が地上に意識を向ければ、空からチクチクと攻め立てるのです。ならばとヘリを追い掛け回せば、その隙に戦車が態勢を立て直し、砲撃を再開するのであります。あちらこちらと振り回されて、小判がすっかり疲れた頃には、戦車もヘリも戦場を離れ、代わりに飛行機の群れが頭上に、いつの間にやらおりました。爆撃機でありました。わたくしたちの手も届かない、高い高い空の上から、爆弾がぽんぽん落ちてきました。
 
 どかん!ぼかん!ずがん!

 これまでよりも遥かに痛く、熱く、重い一撃が、まるで霰や雹のように、何十発も降り注ぐのです。わたくしは一発脳天にくらい、くらりと昏倒したのであります。小判がわたくしの身を抱き抱え、尻尾を巻いて逃げ出さなければ、絨毯爆撃の餌食であります。小判自身も爆撃を浴びつつ、必死で逃げ回っておりました。街中は建物が多く、素早く走り回れないため避け、たくさんの田畑や森林を蹴散らし、多くの生き物を踏み潰しながら、逃げて、逃げて、逃げ惑って、そして追い詰められました。20メートルあまりの山脈、こびとからみれば、2000メートルほどでしょうか。いかに小判が身軽であっても、背丈の十倍以上の壁は、そう軽々とは登れません。しかもお荷物が一匹、おります。追い詰められた彼女は、一か八かの賭けに出ました。今一度魔法を試みたのです。ここ一番の集中力を以って、指先に魔力を集め放ちました。今度は上手くいきました、景色がざっくりと裂け、新たな世界へと繋がったのです。その先がどこであるかなど、小判は考えもしませんでした。わたくしをむんずと掴みあげると、裂け目の向こうへ飛び込んだのです。

 「やった、やった!クロや、逃げ切ったぞ!しっかりせい、もう安心じゃ」

 小判に肩を叩かれて、わたくしは瞼を開けました。わたくしと小判は石畳の上、見たこともない場所であります。裂け目の向こうの知らない世界へ、無事に逃げ込んだのであります。振り返ってみれば裂け目が縮まり、すぐ、完璧に消え失せました。しかし消えるその直前に、飛行機が一機飛び込んできました。わたくしと小判を追いかけるあまり、こちらの世界まで着いてきたのであります。

 「あ、こいつめ!一匹なら怖くないぞ。かかって・・・あ」

 突然あたりが影を指し、小判が何かに気づいたように、頭上を見つめておりました。わたくしもつられて空を見上げ、『それ』に気づいてしまったのです。

 ずしいいいいいいいいいいいいいいいいんんんんんんんんんんん!!!!!!!!!

 空から落ちる、25メートルの靴底に、飛行機は一瞬も耐えられませんでした。衝撃で大地は縦に揺れ、わたくしと小判は木っ端同然、虫けらのように吹き飛びました。わたくしはまたも無様なことに、顔から真っ逆さまであります。小判が尻尾を掴まなければ、石畳へと一直線、頭骨が砕けたことでしょう。くまさんパンツを覗かれたのは、幸い中の不幸であります。

 「逃げるぞ、クロ!ここに来たのは失敗じゃ!」

 小判はわたくしの腕を引っ張り、尻尾を巻いて逃げ出しました。遥か彼方、160メートル上空には、10代半ばの少女の顔が浮かんでおりました。こびとより百倍大きな我々の、さらに百倍大きな瞳が、こちらを覗いていたのであります。面白いものを見つけたようで、珍しいものを見つけたようで、とてもとても、楽しそうでした。


 「なんたることじゃ、なんたることじゃ!こっちは巨人の国ではないか!」