幼馴染の股多尾小判(またたび・こばん)には、飛び抜けた魔法の才があります。指先ひとつで空を切り裂き、遠く離れたふたつの世界を、容易く繋ぎ合わせるのです。例え見知らぬ土地であろうと、禁断の扉の先であろうと。数万光年離れた星さえ、彼女は楽々舞い降りるのです。そのうえ小判の性根ときたら、我侭気侭で自由奔放、冒険と危険をこよなく愛する、野良猫の如きおてんばなのです。あちらこちらへ引っ張り回され、幾度命を落としかけたか。
 10歳の夏に訪れた星など、紛争のさなかでありました。溢れんばかりに兵士が集い、絶えず火花と血飛沫を散らす、凄惨極まる地獄絵図。そのような場所で小判ときたら、昼寝をすると言い出したのです。襲われたところで怖くない、痛くも痒くも無いのだから、と。

 「・・・ふにゃあぁ~」

 何しろそこは、こびとの惑星。彼らは僅か2ミリに満たぬ、1000分の1の大きさなのです。小判はわたくしに膝枕させ、呑気にあくびをしておりました。わたくしも身動きできませんので、ぼんやり、うとうとしておりました。わたくしのお尻や小判の背中は、こびとを街ごと潰していました。地上の嘆きを気にも留めずに、ぽかぽか気分の女の子たち。はたから見れば滑稽極まる、醜悪なひなたぼっこであります。

 「クロの太股は柔らかいのう。極楽、極楽」

 わたくしはクロと呼ばれております。毛色が夜の闇より深く、肌も人より浅黒いのです。耳は小さく、だらしなく垂れ、真っ青な瞳は三白眼。尻尾の根性曲がりときたら、複雑怪奇の極みであります。発育も遅く10歳にして、ようやく125、6センチほど。一方、小判はすくすくと育ち、160センチに達しておりました。もはや小猫とは呼べない体躯、大人の女性顔負けであります。ぴん、と尖った大きな耳に、金色に光り輝く眼。ふわふわとした茶虎の髪が日差しを浴びて黄金に染まり、とても珍しい2本の尻尾は、長くしなやかですらりとしていて、まことに羨ましい限り。同じ猫の亜人とは思えません。
 もっともこびとからすれば、1000倍の巨人ふたりに多少体格や美醜の差があったとしても、引き起こす事態に大差は無いのですから、気にかける余裕は無かったでしょう。ふたりのどちらに踏まれたところで、生き残ることはできないのです。蹴り飛ばされても圧し掛かられても、助かることは無いでしょう。一般市民は勿論のこと、軍隊も相手になりませんでした。

 「ほれ、ん」

 小判が口に咥えていたのは、精々2センチの戦闘機。機内に逃げ遅れがおりました。食え、と言うのです。躊躇うわたくしを意にも介さず、小判は少し上体をあげて、わたくしの頭を引き寄せました。初めてのキスは鉄と油と、ひどく生臭い味がしました。唇同士の触れ合う刹那、機体が潰れ果てたのです。慌てて吐き出すわたくしを尻目に、小判は悪戯成功とばかり、ケラケラ笑っておりました。さすがのわたくしも怒りましたが、敵う相手ではありません。あっという間に組伏せられて、学校の上へと押し倒されました。
 2度目のキスは、乱暴に。わたくしの必死の抵抗虚しく、逞しい舌にこじ開けられて、ことごとく蹂躙され尽くしました。こびとには決して真似のできない、強大な力の奔流であります。やがて長かった嵐が過ぎ去り、息も絶え絶え、半死半生、茫然自失のわたくしの胸を、小判がぽんぽんと撫でました。

 「揉めぬ」

 あんまりであります。

 「そう怒るでない。嫁に貰ってやる」

 うつ伏せに寝転び肘をつき、頭にやまほど瓦礫をのせて。そんな恰好で誓われたって、説得力など皆無であります。膨らみ始めた胸の谷間が、あてつけのようにビルを挟み潰していたのも気に入りませんでした。
 そもそも、どうしてわたくしなのか。孤児院生まれのこのわたくしと、千年続く名家の娘。釣り合うわけがありません。友達のままでいられるだけでも、奇跡のようだと感じていたのに。友達のままでは駄目なのでしょうか。

 「何が悪い?ほれ、こやつらでさえ仲良くしておる」

 立ち上がった小判に促され、わたくしはあたりを見渡しました。足元に這い寄る戦車の大群、海上に浮かぶ戦艦の群れ、空を埋め尽くす戦闘機たち。夥しい数のこびとに囲まれておりました。しかし、統一感がありませんでした。規格も意匠もバラバラだったのは、複数の軍隊が寄り集まっていたからです。元よりこの地は紛争地帯。殺しあっていた国はいくつもあって、それら全てが団結したのです。巨人を倒す、そのためだけに。

 「ふふん、素晴らしいではないか。矛を収めて、手を取り合うか。これは困ったのう」

 小判は見下し、嘲りました。こびとがいくら増えたところで、この体格差で負けたりしません。ですが困っていたのも事実。あまりにも数が多すぎるのです。全てのこびとを退治するには、相当、骨が折れるでしょう。こんな時には、どうするべきか。


 我々亜人は、知っております。


千年前から、知っております。


 栄華を極めたニンゲンを下し、星を手にしたひとりの女。魔王と呼ばれるその怪物は、迫害されてきた亜人にとって、まさしく救世主でありました。多くの亜人が彼女のもとに、自ら膝を屈したのです。小判の先祖もそんなひとりで、忠実に仕え続けた報いに、数々の栄誉を賜りました。領地に民草、臣下に居城。それからひとつ、魔法の品を。小判の先祖は、魔王の力を良く知っておりました。例え遊び半分で創られたものだったとしても、決してみだりに触れてはならぬと、城の奥深くに隠し、厳重に封じてしまったのです。
 おてんば、ここに極まれり。小判の左腕に巻かれたものこそ、封印されし家宝なのです。禁断の扉があると知ったら、入ってみるのが小判であります。一見すれば古ぼけ壊れた、さかさまに時を刻む腕時計。しかしその正体は、魔王の力を蓄えてしまった、呪われし『魔道具』なのです。小判は時計をいじった後で、わたくしの額にデコピンしました。呪いの発動。わたくしの体に魔王の力が、『ものの大きさを変える』力が、惜しげも無く注ぎ込まれました。

 ズズズ・・・ズズズ!

 見る見るうちにわたくしの体は、山より大きくなっていました。少し遅れて小判の体も、同じだけ大きくなってゆきます。展開していた軍隊の群れは、膨張する体に押し退けられて、恐らく全滅してしまったのでしょう。というのも、あまりに大きくなりすぎたため、彼らが見えなくなってしまったのです。わたくしと小判は元の1000倍、1000メートルを超える超巨人となりました。こびとからすれば更に1000倍。1000キロメートル以上の巨体であります。目玉の大きさだけでも、彼らの暮らす街より大きいのです。そこに暮らすこびとなど、見えるわけがありません。

 「確かにこれほどの力があれば、世界征服も余裕じゃろうて。ふふん、大勢を相手する時はな。いっぺんに倒せるくらい、大きくなれば良いのじゃ」

 小判は時計をうっとりと眺め、納得とばかりに呟きました。やがて足元を一瞥すると、踏み荒らされ、押し退けられ、それでも僅かに街の残骸が残っておりました。こびとがその時生き残っていたのか、それは定かではありませんが。

 ずしいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいんんんん!!!!!!

 とどめとばかりに260キロメートルの右足が、紛争地帯を踏み躙りました。長きにわたる戦争の歴史が、こうして幕を下ろしたのです。この地で戦禍に怯えるこびとは、二度と現れないことでしょう。さも満足げに頷きながら、平和って良いのう、と嘯く小判。わたくしは小判と関わる限り、平和は来ないと確信しました。

 「さあ、昼寝の続きじゃ。クロもさっさと横にならんか」

 小判は広大な平原の上に、ごろりと寝転びました。これだけの動作で、どれほどの命が失われたか。懺悔をするのも今更と思い、わたくしも横になりました。大の字になった小判の右腕が、枕に丁度良い塩梅でした。これくらいの役得は許されましょう。わたくしは毎日小判に付き合い、胃袋を痛めていたのですから。金色の瞳に睨まれようと、わたくしは動きませんでした。無礼者めと呟きながらも、小判は抵抗しませんでした。夢の世界へ旅立つ前に、ふたりで夢を語り合いました。
 小判の夢は、魔王になること。ひとつの星を、手に入れること。この日のように圧倒的に、異星を蹂躙してしまうこと。馬鹿馬鹿しいとは思いながらも、困ったことに力はあります。惑星探索はお手の物ですし、原住民が弱ければ、征服することは可能でしょう。左腕の時計を使えば、充分に叶う夢であります。

 「いや、これはもう使わぬ。三丁目の質屋にでも売りつけてやろう」

 家宝を何だと思っているのか。小判曰く、使わず隠しておくのは無駄だ。必要な者の手にあることこそ、正しいこの世の理である、と。小判は必要ないかと聞けば、魔王の力を借りるのは癪だ、と。終いにはわたくしがこの位の巨大化魔法を覚えればよいと、とんでもない無理難題を命じてきました。

 「あちらは千年、生きておる。支配下に置いた植民星も、それこそ星の数ほどじゃ。ふふん、吾輩も負けてはおれぬ。毎日襲って、毎日獲るぞ」

 襲われる側は、いい迷惑です。小判の頭の中は、大航海時代の海賊となんら変わりません。毎年わたくしの誕生日には、一等綺麗な星をやるとも言われましたが、丁重に断りました。そんなもの貰っても困ります。管理するのも面倒ですし、クロの物は吾輩の物とばかり、踏み荒らすのが目に見えるから。小判は少々不服そうに、わたくしの顔を引き寄せました。
 3度目のキスは、そっと優しく。

 「目覚めたら証を刻んでおこう。ふたりの領地という、証をな。ふふん、本当は昼寝に来ただけなのじゃが、折角じゃ。こびとども、嫌なら抵抗するが良い。出来るものならな」

 小判は意地悪くニヤリと笑いました。手形、足形、名前に、絵。魔王もそのようにして、決して消えない傷を残すのだそうです。彼女の力を、知らしめるために。その星が誰のものであるのか、決して忘れさせないために。


 知らなかったのです。わたくしも、小判も。星の裏側に刻まれていた、わたくし達より遥かに巨大な、あまりに巨大なくちづけの跡に。