結衣とたかし(兄)は、たかしが入院する前までは二人でランニングをするのが日課であった。たかしも結衣もバレーの日本トップクラスの選手であり、基礎体力作りの一環としてほぼ毎日夜にランニングをしていた。
たかしは男子のトップ選手で結衣は女子のトップ選手であり、実際は結衣のランニングのペースにたかしが合わせて走るというものであった。身長196cmとはいえ、高校生の女の子を夜遅くに一人で走らせるわけにもいかないというのもたかしが結衣のランニングに付き合ってやった理由でもある。
そのため、たかしは走りながら結衣に応援の声をかける余裕すらあった。

そしてたかしが帰国した今、結衣は再びたかしをランニングに誘おうとしていた。たかしが海外で治療を受けていた間は結衣一人でランニングをしていたが、たかしが一緒にいないとどうも調子がでなかったようである。
もちろん先ほどの一件でたかしとの力の差を実感していた結衣はたかしとランニングをしても自分の方が圧倒的に早いだろうし、体力づくりのためのランニングとしては成り立たないことは分かっていた。しかし、たかしは昔のような感覚で兄としての意地を見せようとする。すると、ついつい結衣はいたずら心を抱いてしまい、兄を昔のような「強い兄」であるかのように扱った後、力の差を見せつけてショックを受けているたかしの姿を見たくなるのである。

「お兄ちゃ~ん。今からランニングにつきあってよ。」
結衣は甘えたような声でたかしの薄い両肩に後ろから大きな手を置きながらに頼む。ずっしりとした重量感をたかしは感じる。

「えー。もう夜だしこんな時間に走るのは危ないぞ?明日にしようよ。」
たかしは断った。夜だから危ないとは言ったものの、もちろんたかしも結衣との力の差を痛感している。たかしが断った真の理由は結衣と一緒にスポーツをして力の差を見せつけられるのが嫌だったからである。

「大丈夫だよ!何かあってもお兄ちゃんがいるんだもん。変な人が襲って来てもお兄ちゃんが守ってくれるでしょ?」
結衣はそういいながら肩に置いた手を首に回し、後ろから抱きつく。もちろん結衣は全くそんなことは思っていない。明らかに自分の方がたかしより力は強いことはさきほどの件で分かっている。首に回した腕すらたかしには振りほどけないだろう。それに、結衣は並の男よりは力が強く、そのへんの男が襲ってきても返り討ちにあう。変質者が襲ってきても結衣がたかしを守ることになるだろう。

「う。。。まあそうだけど。。。あ、でも俺のサイズに合うランニングシューズをまだ買ってないんだよ。」
妹に「お兄ちゃんが守ってくれるんでしょ」と言われて、断れる兄はいない。たかしも当然その点については納得するしかなかった。
そして、なんとかランニングを断る口実はないかと考えた結果、シューズを持ってないことを思い出したのである。

「えー。シューズがないのー?お兄ちゃん靴のサイズいくつなのー?」
結衣のこの質問には全く悪意はこめられていなかった。ただ純粋に足のサイズを聞いて、自分やはるなの靴が代わりに使えないかを聞きたかっただけであった。

「え。まあ。あのー。22cmだよ。。。」
結衣の質問によって自分の小さな足のサイズを言わされてしまい、非常に恥ずかしい思いをしながらたかしは答えた。

「ええっ!そんなにちっちゃいんだ!!うーん。。。私は29cmだし、はるなも確か26cmだったよね。。。困ったなぁ。はるなの昔の靴とかないかな。ちょっとはるなに聞いてくる。」
そう言って結衣ははるなの部屋に行きはるなに古い靴がないかを聞きに行った。たかしは結衣に足が「ちっちゃい」と言われ、さらにたかしの足が小さすぎて困っている姿を見せつけられ、非常に恥ずかしい思いをしながら結衣が戻ってくるのを待った。

しばらくして結衣が戻ってきた。
「お兄ちゃん!あったよ!はるなが小3のときの靴が捨てずに靴箱の奥の方にあったんだって!22.5cmだからちょっと大きいかもしれないけど、試しに履いてみてよ!」
小三の女の子よりも足のサイズが小さいことが恥ずかしすぎて、たかしは顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしている。結衣はそんなたかしの手を引っ張って玄関まで連れて行った。このとき結衣はわざと大股で歩幅を最大にして玄関まで歩いてみた。たかしが手を振りほどこうとしているのを感じながらも、あえてたかしのほうは見ずにぐいぐいと玄関へ向かって歩く。振りほどこうする感覚がなくなったので、たかしのほうをちらっと見ると、たかしは小走りになって着いてきているようである。

お兄ちゃん足短すぎでしょ(笑)これじゃあランニングは絶対私に着いてこれないなぁ(笑)

結衣は心の中でそんなことを思いながら靴を玄関に置いた。
「じゃあ、この靴履いてみてよ。あ。私が履かせてあげようか?(笑)」
結衣は満面の笑みでたかしに尋ねる。小さくなった兄を着せ替え人形のようにしたいという気持ちを抑えられないようである。

「いや。一人で履くからいいよ。」
たかしはそう言いながらしぶしぶ靴を履いてみた。確かに少しすき間があるが走るのに支障はなさそうだ。それに、小三の女の子が履いていた靴が大きいというのはあまりに情けない。

「どう?お兄ちゃん?走れそう?」
結衣がたかしに尋ねる。

「ああ。たぶん大丈夫。。。」
たかしはそう答えるしかなかった。

「やったぁ!じゃあ走りに行こう!!」
結衣は自分の29cmの靴を履くと、たかしの背中を軽く押して外へ連れ出そうとした。結衣は軽く押したつもりだがたかしにとってはそこそこ強い力だったようで、たかしは足がもつれてしまいバランスを崩してしまった。転んでしまうとたかしが思った瞬間、結衣がたかしの腕をつかみ、ものすごい勢いで自分の方に引きよせて受け止めた。たかしは今結衣に抱かれている状況である。たかしの目の前には結衣のお腹があり、頭の上には結衣の胸がある。

「危ない危ない。お兄ちゃんしっかりしてよ!さっき部屋でも軽く押しただけでよろけてたけど、ふらふらしすぎだよ!」
結衣は飼い主がペットを注意する時のような気持ちで少し怖い顔をして、たかしを睨みながら言った。196cmの高さから睨みつけられ、142cmのたかしは一瞬完全に委縮してしまい、怯えた表情をしてしまった。
その一瞬を結衣は見逃さなかった。

あ。お兄ちゃん私に完全にびびってる~。やっぱり小さいお兄ちゃんから見たら私が怒ると怖いのかな~?
ふふふ。ちょっと意地悪しちゃおう。

「分かった?お兄ちゃん?もっとしゃきっとしてよね!?」
結衣はたかしの耳をつかみ上にひっぱりあげると、なるべく背筋を伸ばして、たかしを見下ろすようにして言った。結衣の大きいけれどもしなやかさのある指を耳から外そうとたかしはもがくが、たかしの細い指では結衣の指にはまったく抵抗できない。

「痛い痛い痛い。ごめんなさい!しゃきっとするから離して!」
たかしは謝るしかなかった。
結衣は素直に手を離した。

「じゃあしゃきっとしたところで、さっそく走りに行こう!」
結衣は満面の笑みでたかしに声をかけ、たかしの手を引いて外に出た。たかしは再びひっぱられるようにして外に連れ出された。

「えーっと。とりあえず、昔みたいに公園まで走ったら折り返して家に戻ろうか。」
完全に主導権を握っている結衣がコースを決めた。たかしは承諾する。

「よし!スタート!」
結衣の掛け声と同時に走り出す。結衣はいつものペースで走りだす。たかしもいつものペースで走ろうとするが、結衣との圧倒的な歩幅の差に加え長い入院生活で体力が落ちており、どんどん結衣との距離は離されていく。

あはは。やっぱりお兄ちゃん走るのめっちゃ遅くなってる~。しばらくこのまま走ってお兄ちゃんともっと距離をとろうかな~。

結衣は心の中でそんなことを思い、後ろを振り返ることなくひたすら走った。
一方たかしは結衣の背中がどんどん小さくなるのを感じながらも、どう頑張っても追いつけず焦っていた。

結衣の方が足は長いし俺は体力が落ちてるとはいえ、こんなに差がつくのかよ…!

たかしはそんなことを思いながら必死で走った。
結衣の姿が見えなくなってしばらくたかしが一人で走っていると、結衣が兄が追いつくのを立って待っている姿が見えた。

「もー。お兄ちゃん遅いよ。本気で走ってるの?」

兄が本気だと言うことは結衣は当然分かっていたが、あえて聞いた。
もじもじと恥ずかしそうに答える兄の姿が可愛らしいからだ。

「はぁはぁ。ほ…本気だよ…。入院してて体力が…お…落ちてるんだよ…。」
ぜえぜえ言いながらたかしは答えた。

「ふーん。。。じゃあ罰ゲームを賭けて走ろうか。お兄ちゃんが走り出した10秒後に私が走り出すから、もしもお兄ちゃんが私に抜かれたらお兄ちゃんビンタね。公園まで私に抜かれなかったらお兄ちゃんが私にビンタしていいよ。」
結衣はもちろん兄が勝てるとは思ってはいなかった。それに仮に兄が勝ったとしても兄のビンタなど大したことはないだろうと思っていた。自分より50cmも小さく、体重も半分以下の人間のビンタなので結衣がそう思うのも当然だろう。
一方たかしは、妹にハンデまでもらっておいて断るわけにはいかなかった。

「わ、分かった。」
とだけ答えた。

「よーし。じゃあお兄ちゃん好きな時にスタートしていいよ。10秒後に追いかけるから。」
結衣は余裕の表情で言った。たかしはしばらく息を整えた後、全力で公園に向かって走り出した。そんなたかしの姿を結衣はストレッチをしながら眺めている。

結衣のビンタなんて絶対に嫌だ。あんなでかいやつに全力でビンタされたら絶対怪我する。妹のビンタで怪我なんて格好悪すぎる!!

たかしは結衣のビンタを避けるため全力で走る。

「ふふふ。お兄ちゃん走るの遅いな~。あれじゃあそのへんの女子中学生にも負けるんじゃないかな(笑)」
結衣が独り言をぼそっとつぶやく。

「よし10秒経ったし追いかけよう!」
結衣が走り出した。

そろそろ10秒経った。結衣は追いかけてきてるだろうな。

たかしはそう思いちらっと後ろを見ると結衣がものすごいスピードで迫ってきているのが見えた。想像以上の早さにたかしは少し焦る。

「こらー。お兄ちゃん。後ろ向いてる余裕なんてないでしょー(笑)全力で走りなさーい(笑)」
結衣が余裕の表情で後ろから叫ぶ。

数秒後、結衣は完全にたかしと並んで走っている。

「えへへー。お兄ちゃん。追いついちゃった。ほらー。もっと急がないと私追い抜いちゃうよ~。」
結衣はわざとたかしと並走しているようである。結衣の余裕の表情が憎たらしいが、たかしがどんなに振り切ろうとしても結衣はぴったりと真横に並んで走っている。

結衣とたかしはしばらく並走し続け、いよいよ並走したまま公園まで後10mほどとなった。

そろそろ追い越しちゃおうかな。お兄ちゃんばててるみたいだし加速しても絶対ついてこれないだろうな(笑)

結衣はそう思い、
「よ~し。本気だしちゃおう。」
と声に出して、ものすごい加速をしてたかしを一瞬で抜き去った。そしてそのまま公園にゴール。

茫然とするたかしに向かって結衣は笑顔で声をかける。

「はい!私の勝ち~。じゃあお兄ちゃんビンタね(笑)」
そう言って結衣はたかしの胸倉を左手でつかむ。たかしは結衣の左手をふりほどこうと暴れるが結衣の左手はびくともしない。

「もー。お兄ちゃん。暴れたら危ないよ?目に当たっちゃうかもよ。」
結衣が不機嫌そうに言うが、たかしは構わず暴れ続ける。196cm90kgの巨体が放つ威圧感に怯えていた。

軽めにビンタしようと思ってたけど、全力でビンタしちゃおうかな~。でも、全力だと本当に怪我しそうだし。。。少し強めくらいでいいか。

結衣は暴れるたかしの胸倉を左手でがっちりと掴みながら力加減を考えていた。たかしの抵抗にはびくともしていない。

「じゃあいきまーす。せーの!」
ばちーーーーーーーーーーん!!!!!!!

ものすごい音がしたようにたかしは思った。一瞬目の前が真っ暗になり、気がつくと地面に倒れていた。ほっぺがじんじんと痛み、涙が止まらない。
「ううううう。」
たかしはあまりの痛さに唸ることしかできない。

あれー?そんなに痛かったのかな?ぺちんと叩いたつもりだったのに。

結衣は不思議そうな顔で悶絶するたかしを見下ろしている。

「お、お兄ちゃん。そんなに痛かった?ごめんね。」
結衣は謝る。たかしは涙を流しながら結衣を見上げている。

「ううう。だ、大丈夫。。。」
たかしは強がって大丈夫と言うがどう見ても大丈夫ではない。

「あ。お詫びに帰りはおんぶしてあげるよ。お兄ちゃんぐらいの体重ならちょうど良い負荷になるだろうしさ。」
そう言って結衣はたかしをおんぶした。たかしは結衣の背中の広さに驚いた。

「え。ちょっと恥ずかしいから降ろしてよ。」
たかしは焦った。妹におんぶされている姿を近所の人に見られるなんてそんな恥ずかしいことはない。

「恥ずかしくないよ~。どうしても恥ずかしいなら顔を背中に押しつけて隠せば?」
そう言って結衣は走り出した。走っているので結衣の背中はものすごく揺れる。思わずたかしは結衣の首に手を回し、ぎゅっとしがみついた。
一見すると小さな弟が姉にしがみついているような様子であった。

あ。お兄ちゃんがしがみついてる。腕細~い。可愛いなぁ…。

結衣はたかしがしがみついてくれていることに幸せを感じながら、ものすごいスピードで自宅へと帰ったのであった。そしてこれからも兄をからかい続けようと誓ったのだった。