神よ

変えることのできることについて

それを変えるだけの勇気を与えたまえ

変えることのできないものについては

それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ

そして 変えることができるものと

変えることができないものとを

識別する知恵を与えたまえ

「ニーバの祈り」



「よく視線を感じるんだよ」
また始まった。
アユムは十年くらい前からずっと誰かに見られてる気がするって言い続けてる。
「でも感じた方を振り向いても誰もいないんだ。
最近はその視線が強くなった気がするし、肩が重くなったりするし…」
幽霊かしら、と少なくとも千回は発したセリフをお愛想で答えてあげる。

「で、その視線なんだけど、今も感じてるんだ」
幽霊に気付かれないようにそっと後ろを覗う。
予想通り誰もいはしない。
苦笑しながら自意識過剰よ、バカ、と指摘する。
「そうかなぁ」
そうよ。
じゃあね。

「おう」
分かれ道で軽く手を挙げながら微笑んだ幼馴染の背中をしばらく見送る。
大通り方面には人は多いが、誰も幼馴染を気にしてるような素振りはない。
大型量販店の前で風船が配られているせいか、皆そちらを見ている。
やっぱりアユムの気のせいね。帰ろ。

あ!
赤い風船が一つ飛んでいく。手を離したのは女の子のようだ。
風船が遠くなるにつれて泣き声が大きくなる。
どうやら最後の一つだったらしく店員にもどうしようもないようだ。

え!?
女の子の手から自由になったはずの風船がゆっくりと降りてきた。
横にいる母親らしき女性が訝しがりながらもそれをつかみ、風船さん帰ってきたよ、と女の子にわたす。
途端に笑顔。

まさか…幽霊?
なんとなく自宅ではなくアユムの歩いてった道を行く。
父親譲りの視力2.0をフル活用する。何かおかしなものは?

あれは?
前方のビルの陰。なんだか空気がゆがんでいるような気がする。
思わず母親がカバンの中に入れてくれたお守りを取り出し、握りしめながらそこに近づく。指の間からは「交通安全」の文字が見えている。
近くで見てもやっぱりかすかに空気、というか空間が歪んで見える。そっと手を伸ばしてみる。

ぺた。
触れた!幽霊はゴムのような感触がする。

キィキキィー!
その時耳障りなブレーキ音が聞こえた。同時にものすごい風と地響きが起きる。
ビルの陰から音のした方へ飛び出す。

そこにあったのは巨大な銀色の足の裏。その先には小さな山のようなお尻がある。
道路にうつ伏せになっているようだが、大きすぎて把握できない。
なにこれ…?
しかし瞬きをした後には足もお尻も消えていた。
自分の頭を疑わずに済んだのは道路に残った陥没と自分と同じように固まっている人たちのおかげだ。


「いやー。死ぬかと思ったよ」
目の前でのんきな顔をしているのは30分ほど前に別れたはずの幼馴染。
このバカ!気をつけなさいよ!!
「青信号だから渡ったのに」
交通ルールはそれを守るもの同士を庇護の下におくが、それを平気で破るものの前では無力だ。
「でも偶然地震が起きて車が止まるなんて運がいいよな」
フロント部分が大破した車に目をやる。まるで壁に激突したみたいだ。
…守護霊のおかげかもね。
「やっぱりそう思うか。この前から感じてた視線は守護霊のだったんだな」
よかった、となぜか納得している幼馴染を叱りながらも私の頭は混乱していた。




ここは?
おかしい。今日は早々とベッドに入ったはずだ。なのにどうして見覚えのない場所でソファーに座っているのだろう。テレビで見るドームスタジアムの中心に座るとこんな景色なのだろうか。丸みを帯びた高い高い天井をみながらそう思った。ずいぶん殺風景な夢だ。「目が覚めたか?」
後ろから声が聞こえた。
振りむき、そして見上げた。視線の先には銀色のウェットスーツのようなものを肌に張りつかせている女性。
で、でかい。
数十メートルはあるだろうか。
「今日は危なかった。あなたに気を取られている間にアユムを危険にさらしてしまった」
呆けている私に構わず彼女は続ける。
手首から先と首から上は肌が露出していた。緑色の瞳、青色の髪。綺麗だが表情はない。
ふいに彼女が屈んで膝をついた。顔が近くなった分、威圧感が増す。私の目の前には巨大な手がおかれているが、その手は少し赤くなっていた。
そ、その手は?
「咄嗟に車と彼との間に差し出したから」
そう言いながら無表情で彼女はまた立ちあがる。どうやら屈んだのは手の怪我をアピールしたかったようだ。
ちょっと震えがおさまった。

それであなたは何者なの?

いくつか質問をして、要するに彼女の名はリィ、そしてどうやらウルトラマンのような存在らしい。
しかし一番聞きたい質問がまだだった。幼馴染がここ最近視線が強くなったと言っていたのはおそらく彼女のせいだろう。でもなぜ?その答えがおそらく自分がここに連れてこられたこととも関係があるはず。

なんとなく躊躇していると質問が終わったと判断したのか、彼女の方から用件を述べ始めた。
「これを彼に渡して欲しい」
大きな指にはさまれた小さなケースが窮屈そうに私の前に差し出された。
これは?
「彼がそのケースの中身を装着しないと私は変身できない」
そのままでも充分戦えるだろ、と改めて彼女を見上げるが声には出さない。

「私たちの変身システムはその使用において派遣先の星の住人の承認を必要とする」
なぜそれがアユムなの?
「システムが彼を検索した」
私からすればスタジアムのオーロラビジョンくらいはありそうな巨大なモニタに目をやりながら彼女は答えた。
信じられない話ばかりだが、その証拠となる彼女がこれでもかという大きさで目の前にいる。

幼馴染は昔から運が悪かったが、70億分の1を引き当てるほどのものだとは思わなかった。まあ、直接戦うわけでもなさそうだし、そのおかげで今日は命が助かったわけだし。そう思いながら何気なくケースを開けてみる。ケースは上下にパカッとあいた。指輪ケースだ。リングにはハート形の赤い石が大きくつけられている。愛を主張しすぎだ。これを男である幼馴染に装着させるには骨が折れそうだ。
この形は?

「私がデザインした」
依然として無表情のまま彼女が答えた。



夢の中で自分が夢を見ている、と気づくことがある。
ああ、これは過去の場面。少女が泣いている。私だ。中学一年の頃。姉さんが亡くなってしばらくたったころだ。
周りは徐々に姉さんのいない日常に慣れてきていた。
私だけが変われなかった。
姉さんのいない毎日に慣れてしまったら、姉さんを忘れてしまう気がして、怖かった。
だから毎日泣いて過ごした。そうしなければならなかった。

場面が変わる。
泣いてばかりの私を見かねてよく訪ねてきてくれたのが幼馴染のアユムだった。でも、当時の私はアユムに怒っていた。あれだけ姉さんにべったり甘えていたのに、もう笑っている。
止めて!この後私は最悪のセリフを吐く。

あんたは両親が死んでるから、人が死ぬのに慣れてんでしょ!

そんなことはない、と笑顔のまま否定して幼馴染は話し始めた。
「憶えてないかな。父さんと母さんが死んだ時、俺も毎日泣いてたよ。そんでさ、夢を見るんだよ。両親の。でも二人とも泣いてるんだよ。それが悲しくて起きてからまた泣いちゃってさ。でもある日お前ん家に泊りにいった時、お前の姉ちゃんがすごく優しくしてくれてよ。俺お前の姉ちゃんのことが大好きだったからさ、その日は久しぶりに笑ったんだよ」

その日のことは私も憶えている。幼いながらも姉と二人でなんとかアユムを励まそうとした時だ。幼馴染は微笑みながら続ける。
「その日もさ。夢に出てきたんだよ。父さんと母さんが。でも二人とも笑ってんの。でさ俺もつられて笑顔になってさ。その時わかったんだよ」

アユムはこちらに向き直った。
「父さんと母さんは死んだから、別れが悲しいから泣いてたんじゃない。俺が泣いてばかりいたから、それが悲しくて泣いていたんだ」
だから…アユムは両手を大げさにこちらにむけながら言う。
「笑え!泣いてばかりいたら天国で姉ちゃんも泣いてるぞ!」

叫びながら伸ばした両手で体をくすぐってくる。
なにすんのよ!といいながらも私は笑っていた。泣きながら笑っていた。アユムは笑いながら泣いていた。
ひとしきり泣き笑いした後、でも、それでも私は変われる自信がないよ、と今度は素の気持ちを伝える。
「心配するな。一人で変われないならー」



気がつくと机に突っ伏していた。まだ頭ははっきりしない。どこからが夢だったのだろうか。目の前、机の上には指輪ケースが鎮座している。中身をもう一度確しょうと手を伸ばした時、ヴーヴー!!携帯が震えた。画面に名前が表示されている。
「宇宙美人」。彼女だろう。もし彼女が自ら私の携帯にこう打ち込んだのなら、意外とかわいい人なのかもしれない。すぐに通話ボタンを押す。
「彼に連絡して、すぐに指輪を装着してもらってほしい。マニュアルが頭の中に流れて…」

ドガン!!

携帯と外からと同時にものすごい音が聞こえ、一拍遅れて地響き。
どうしたの!!?携帯はもう無反応だ。
なにが起きたのだろう?ともかく指輪ケースを開けてみる。青い光が部屋に溢れ出る。さっき彼女の元で見た時は確かに赤かったのに。どうして?

ボガン!!

今度は爆発と思しき音が窓と鼓膜とを震わせる。衝撃でケースが手から落ち、指輪がその台座から転がりおちた。
ともかく彼女がらみで何かが起こっている。ええっと彼女はなんて言ってたっけ?確かアユムに指輪をさせろ、と。

電話をかける。つながらない。画面を見ると圏外になっている。なぜ?自分の部屋で圏外になることなんて今まで一度もなかった。携帯をもったまま部屋をうろうろしても電波はつかまらない。
もう走って家に行った方が早い。そう判断して指輪に手を触れた瞬間。頭の中で機械音声が響き始めた。この指輪の使い方を説明している。私に説明しても無駄なのに!そう毒づきながら私は指輪をもって駆け出す。
玄関のドアをくぐった時、二回目の爆発音がした。見上げると街の中心部の空が赤く照らされている。夜中にもかかわらず近所の住人も出てきて茫然としている。

その中、私は幼馴染の家へ向かって走った。頭の中ではまだ説明が続いている。だが、その説明が進むにつれて私の速度は遅くなり、次に収録されていた彼女から幼馴染へのメッセージに移ったときには私の足は完全に止まっていた。ちょうど幼馴染が玄関の前に立って空を眺めていた。パジャマのまま、頭にはボロボロのナイトキャップをかぶっていた。幼馴染は昔から寝ぐせがひどくて、からかわれていたので姉さんが縫ってくれたやつだ。それを改めて見て、私は確信した。

「なんかあったのか?」
私に気付いたアユムが心配そうに声をかけてくる。
うるさい!バカ!!自転車借りるから!!
「え?」
返事も聞かずに鍵がさしっぱなしの自転車を漕ぎ出す。
ああ、もうイライラする。
会ったこともないこの変身システムの開発者に。
頭の中がお花畑な彼女に。
なにも知らずのんきな幼馴染に。
そしていつまでも姉さんに勝てない自分自身に。

私は確信していた。
アユムが彼女を変身させることは不可能だ。
少なくとも今は。




深夜のオフィス街、残業する時間もとっくに過ぎているのに、周囲は明るかった。それは普段ビル内を照らしている近代的な電気の明りではなく、原始的な炎であった。その明りはビルの外壁に二つの大きな影を作り出していた。
突如そのうちの一つが揺らめき、同時にもう一つの影が吹き飛ぶ。

ドゴ!!ガラガラ!

影を映していたビルの一つがあっさりと崩れる。
「あらーどうしたのーリィちゃんーずいぶん調子わるいわねー」
甲高い声が響く。声の主は物足りなそうに人差し指を唇にあてている。大きな垂れ気味の目、丸めの鼻、ちょっと厚めの唇のおっとりした美人だ。だがそのサイズは地方都市のビル街から上半身がはみ出すほどだった。そして身に纏っているスーツは醜悪を具現化したような禍々しさを放っていた。

「まさか最初の戦闘の相手が仲間だとはな」
とリィと呼ばれた銀色のスーツを着た同サイズの女性が応える。
「仲間ですってぇー?」
スーツの表面、ヒキガエルを思わせる無数の突起を震わせながらおかしそうに笑う。と、その突起が無数の光を生んだ。その光の群れはまだ立ち上がれないでいる女性に降り注いだ。
「ああっ!!」
リィが苦しそうに喘いだ。
「やっぱり迷彩用のスーツじゃ光線はふせげないわよねー」
うれしそうに本当にうれしそうに、巨大な女性は哂う。。
「心配した通りねー。いくら成績が良くてもリィちゃんみたいな感情のない子がパートナーを見つけられるわけないのよねぇー」

バリンバリンとガラスが割れている。女がしゃべりながらビルの窓に指を突っ込んでゆっくりと動かしているからだ。その指が止まったと同時に、倒れていたリィが飛びかかった。途端に光のシャワー。地響きを立てて地面にたたきつけられる。

「もーせっかく捕まえたのにびっくりしてつぶしちゃったじゃないー」
指についた赤い液体を妖艶に舐めながら女はもう一方の手でビルの中をまさぐり始める。お目当てのものを探し当てたのか、女は薄く笑った。そして引きぬいた手の中には一人の男性が捕えられていた。

「これからかわいそうなリィちゃんのためにやさしいクルちゃんがパートナーの作り方を教えてあげまーす」
そういうと自らを「クルちゃん」と称した女性は、男性の悲鳴を気にもせず、巨大な手で器用にその小さな服をむしりとった。そして巨大な口を男性に近付ける。喰われる!と思ったのか男の叫び声が一際大きくなる。

「やさしくしてあげるからだいじょうぶよー」
言いながら唇で手の中の小人にキスをする。そして大きな割れ目から赤いぬめりとした舌がはい出し、男の全身をなめだした。悲鳴が喘ぎ声に変わり、全身が唾液まみれになった時、男は抵抗するのをやめて快楽に身を浸していた。

ふふ、と上気した頬で満足そうに女が笑う。
「はい、こーやってきもちよくさせてあげればお返しにわたしの変身したいっていうお願いに応えてくれるパートナーが完成しまーす」
でも、とクルはまた人差し指を唇にあてながら言う。

「わたしにはもうパートナーがいるので、これはリィちゃんにあげちゃいまーす」
と無造作にリィの前方に男を放り投げる。
「よせ」
咄嗟に手を伸ばすが痛みで体がうまく動かない。前のめりに倒れこみ一瞬早く地面に激突した小さな男の上にのしかかってしまった。

ぶち
スーツ越しに嫌な感触が伝わる。
「あーあ、せっかくあげたのにーもったいないー」
女は心底うれしそうだった。
「そーだ、もうひとつ作ってあげるねー」
指が次の犠牲者を探し始めた。

「やめろ」
「えー声がちいさくてきこえないー」
バリンバリンとガラスが割れる音が再び響く。
「パートナー同士は欲望をかなえあう存在ではない。心を重ねあう存在だ」

「あーにげちゃだめよー」
ビルの入り口から走り出した人間の上に巨大な足が下ろされる。地面に顔が近いせいか、その様子がよく見えた。リィの方に手を伸ばして、たすけて、としぼりだした声は轟音にかき消された。

「変身できないあなたがパートナーのこと語ってもまったく説得力ないわー」
リィは自分の無力さに打ちひしがれていた。
彼はまだ来ない。来てはくれないのだろうか。勇気を出して自分で指輪を渡していればこの結末は変えられただろうか。
やっぱり私は変われなかった。



なんでこんなに橋がすくないのよ!
街の中心に行くには大きな河川を渡らなくてはならない。
川沿いの土手を私は自転車で疾走していた。

ふいに何かが進路上に飛び出した。
キキィ!

危ないでしょ!
と叫んでから飛び出したものをみて体が固くなる。

「いやーこの先に行く方が危ないよ」
「そーそーなんか避難命令ってのがでてるらしいし」
へらへらと体全体で笑っている若い男二人組だ。
深夜の土手、当然人気はない。

いいからどいてよ
といいかけた私の視界に何かがかぶさってきた。
同時にビリっとした感触。
意識が遠くなる。

ダメ、行かなきゃならないのに…


次に私が見たものは、必死に私の名を呼びながら、倒れている私の上半身を抱き起こしているアユムだった。
「アイ!起きたか!良かった!」
自転車の私を必死で追ってきたのだろう。
パジャマのままで汗だくだ。
お気に入りのナイトキャップもどこかに飛んで行ったようだ。
それを見て私は思わず微笑む。
「様子がおかしいから追いかけてきたんだけど、倒れてんだからびっくりしたよ」
荒い呼吸のままアユムが言う。

辺りを見回してもあの男たちはいない。
その時光が一瞬夜空を照らし、轟音がその後を追いかけてきた。
行かなくては。
「どこに行くんだよ。早く帰ろう」
アユムが心配そうに言う。

アユム、昔泣いてばかりいたあんたを姉さんが変えてくれたよね。
「なんだよ」
照れくさそうに幼馴染は横を向く。
次にそんなあんたが私を変えてくれた。
「そうだったか?」
私の顔を見ながらちょっと笑う。照れてはくれないんだね。
まあいいや。
だから…
今度は私の番なの。
私が変えてやらなきゃならないやつがあそこにいるの!!

アイの目線の先にはもうもうと煙を上げるビル街があった。
「何を言って…」
言いかけたアユムの動きが不自然に止まる。
まるで見えない誰かに後ろから羽交い締めにされているようだ。
いや、実際にそうなのだろう。
「幽霊だ!!」
とアユムが叫んでいる。
ありがとう!!
見えない誰かに二つ分のお礼を言って私は再び走りだす。

もう、これどうやって停めんのよ!
頭の中にはまだ彼女からアユムへのメッセージがリピートされて流れている。
自分もアユムと同じように幼いころ両親を亡くしたこと。
その時から大分ましになったけれど、いまでも感情を表現するのが上手くできないこと。
そんな時に引き取ってくれた叔母が、似たような境遇の子だから、とアユムの日常を映した映像を見せてくれたこと。
悲しみを乗り越えたその笑顔にどうしようもなく惹かれたこと。
のちにその映像が宇宙の中から小さな男の子の映像を撮り集めて配信しているマニア向けのものだと知って独身の叔母さんとの空気が微妙になったこと。
そして、アユムに会うために外が怖くて部屋から出られない自分を変えるのを決意したこと。
変身には心の一部が重ならなければならないけど、それにも何種類もあって、欲望を重ねたものが一番弱くて、愛情を重ねたものが一番強いこと。
だから、アユムに会って自分を一目見て好きになってくれればすぐにでも変身できること。
自分を変えてくれたアユムとならきっと出逢ってすぐに変身できると彼女は思いこんでいる。
鉄仮面の中にはお花畑が広がっていたのだ。
でもきっと無理。
あいつが愛しているのは、今でも…



閉じそうになる瞼を必死で開ける。

もうよく目が見えない。
「あらーもうおしまいなのー?」
足音が近付いてくる。
「やめなさい!!」
小さな影が目の前に飛び出してきた。そして近づいてくる巨人の前に立ちはだかっている。
逃げて…
必死に声を絞り出す。
それを聞かずに小さな影が私に向かって叫んだ。

「このバカ!!いまから変身するんだから!!」
驚いて目を凝らす。
彼女は…アイだ。指輪を託した、アユムの幼馴染だ。その顔は怒りに満ちている。
無理…私だけでは変身できない…

「あんたが一人じゃ変われないっていうなら」
そう言いながら彼女はポケットから青い光をとりだした。
近づいてくる巨人の足音がとまる。

「今は私があんたを変えてあげる!!」
彼女が指輪を装着する。途端に周囲は青い光に満ちた。
「変身!!」

アイの全身が青く光り、自分に向かって飛んでくる。
ダメっ!!初めての変身はアユムを相手に、と決めているのに!!

その時アイの頭の中には新しいメッセージが流れる。
それと…
まだあるのかよ、と毒づきながらもどうしようもない。頭の中で直接響いているのだ。
これは本当はやってはならないんだけど…
なんだ?
通常変身した時パートナーはスーツの鳩尾あたりに収納される…
ふむふむ
でも私はアユムのために特別な場所を用意しておいたから楽しみにしていてほしい…
ん?

その言葉と、自分が飛んでいく方向を見た時、二つの悲鳴が重なった。

ぬぷりっ

青い光がリィに収束していく。
その光が収まった時、そこには巨大なウェディングドレスを着た花嫁がたっていた。

「あらーずいぶんかわいいスーツねー。あなたたちお嫁さんにでもなりたいのかしらー」
だが彼女たちはそんな言葉を聞いてはいなかった。
「あんた何考えてんの!!早くだしなさいよ!!」
今度はリィの頭の中にアイの声が響く。
あゆむが初めて入るはずだった場所からの声だ。
「うるさい。お前が勝手に入ってきたんだろう」
あまりのショックに言葉づかいが悪くなる。

「なに言ってんのよ!あんた変身にかこつけてあゆむとヤル気だったんじゃない!こういうの逆レイプっていうのよ!!」
「愛があるから問題ない。今の状況はむしろ私がお前にレイプされている」
「はあ!?」
怒りにまかせて体にまとわりついてくる肉の壁を思い切り殴る。

「ぐっ」
一瞬よろめいたようだが、すぐに体勢を立て直し、仕返しとばかりに肉の壁を締めあげてくる。
「苦しいわよバカ!!」

二人がようやく敵に意識を向けた時、無数の光が彼女たちに注がれていた。
しかしその光がドレスを貫くことはなかった。

ライスシャワーってとこね。
アイが多少自嘲気味につぶやく。

クルは焦っていた。
変身できるはずがないと思っていた相手が、現に今まで自由にいたぶっていた相手が突如変身した。それも色からしてランク4の「同志」の変身スーツ。ランク1の「欲望」の変身スーツを纏っている自分ではかなわない。

「リィちゃん、ついに変身できたのねー。クルちゃん安心したわー。じゃーねー」
手をふりながら、ふわりと宙に浮く。

「逃がしちゃだめよ!!」
その言葉に応じて花嫁がブーケを空に向けた。
綺麗な純白の光が一筋、夜空に描かれた。



「やっぱり幽霊だったんだよ!昨日お前もみただろ!」
はいはいみたみた、と流し気味に応えてあげる。
♪~♪
着信メロディが鳴る。携帯を取り出し表示をみると
「青髪豚野郎」の文字。
通話ボタンを面倒くさそうに押す。
もしもし。

「もう少し彼から離れて歩け」
リィだ。今は私たちの100メートル程後ろにいることは知りたくなくても指輪が教えてくれる。
他人の感情に疎い彼女も私と「同志」の変身スーツを具現化させたことで、私の気持ちに気付いたようだ。
昨日は家に帰ってからが大変だった。赤みを帯びた粘液まみれの服を処分することから始まり、念入りに体を洗って一息つこうとしたら、彼女からの電話。
それも勝手に変身システムを使ったことに対する文句だとか、アユムと幼馴染なんてずるいとか、自分の方が彼を愛しているとか、最後には私が怒鳴って切ってしまった。
その直後に怒りにまかせて彼女の登録名を変更してやった。

なんとか一泡ふかせてやれないものだろうか?

いいことを思いついた。
ちょっと話があるからそこにいなさい!
そう電話に言い、通話を終える。
そして隣の幼馴染に向き直る。
私、守護霊に会えるおまじない知ってるんだけどやってみない?

「話とはなんだ?」
ビルの影、なにもない上方から声が聞こえる。
私は携帯を操作しながら、
あんたさー。なんでしばらくアユムのことつけまわしてたのに自分で指輪わたさなかったの?と聞く。別に話の内容はどうでもよかった。しばらくその場にいてくれれば。
よし、送信。
「そ、それは、実際に会うとなると…」

ぺた。
「!!」
「本当だ!触れた!!」
ぺたぺた。
へー本当に効果あったんだ、このおまじない。ただ携帯メールの指示に従って動くだけなのにね。
白々しくいいながら、透明な彼女を観察する。
今アユムが触っているのはお尻のあたりだろうか?
なんだかムシムシしてきた。
リィがとんでもなく汗をかいているのだろう。

あれ、良く考えたらこれって仕返しになってる?
まあいいや。
アユム、もう行こ!
幽霊もそんなに触られたらいやでしょ。
幼馴染の手を引っ張る。

「あ、俺ちょっと行かなきゃならないところがあるんだ。それじゃ」
軽く手を挙げて河原の方へ向かう幼馴染をみて、苦笑いしながら追いかける。
まって、私も探すの手伝うから。

そう言ってアユムの手をつかんだアイの指にはハートが青く輝いていた。

終わり