city Nibbling(前編)

【あらすじ】どこかナースの雰囲気がある女の子が小人さんの街と戯れる(?)お話。
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「んはぁ……んっ…ぷはあぁ……」
ピンク髪の丈高い少女が、口元の都市を貪る。
人口百万人を超える巨大都市。街が誕生して以来、人口の増加とともに発展を続け、今では高層ビルが立ち並ぶ一大都市となった。
そんな都市に突如として現れ、街の未来を一瞬にして奪い去る謎の超巨大生命体X。
幼気な少女の唇はどこからかの明かりで麗しく輝き、その中から繰り出されるねっとりとした舌は、街の全てを飲み込む。
時速三百キロメートルを上回る速さで這い回る舌から逃れられる手立ては皆無で、みな平等に食べ尽されてしまう。
顔を歪ませながら、己の欲望のままに舌を這い回させる少女。
たった一人の少女の舌の大きさでさえ、この街の構造物が勝るものは無かった。
全ての建物を下敷きにし、無数の瓦礫をこびり付かせた舌を口の中に戻し、クチュクチュと唾液交じりに味わってみる。
都市の緊急事態を受けて軍隊が駆けつけたが、怪物は彼らをも無慈悲にゴクリと飲み込んでしまう。
妖しく煌めくぬらりとした物体はあらゆる攻撃を受けてなお何一つ傷つけられることなく都市を這えずり回り、破壊活動を続けてゆく。
必死の抵抗も虚しく、最後にはあり得ない速度で襲い掛かる巨大生命体に突き飛ばされたり押し潰されたりしてしまう。
超巨大な少女による、侵略劇の始まりだった。

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ある冬のよく晴れた日。授業の終わりを告げる鐘が鳴り響く。
マジックアカデミーの看護学科生徒であるメディアは、購買部へお昼ご飯の調達に行った。
アカデミーの購買部は生徒のいる時間帯はいつでも開いており、様々なコスチュームや授業で使う備品などが主に売られている。
そして昼時にでもなれば、そこは多くの生徒が人気商品を取り合う戦場と化すのだ。
戦いは教室から飛び出す瞬間から始まっている。もちろん購買部により近い教室の生徒が大半有利ではあるが、購買部までのルート取り、一歩でも前に出るストライドの長さ、そして階段を駆け下りる速度も運命を左右する。運悪く廊下を走る姿を先生に見られたらお終いだ。十分間の説教の後、その日までに反省文を書かなければならないというまさに地獄のコースが待っている。
そこまでして生徒達が追い求めているのは、月に一度か二度しか並ばないという、購買部女子お手製のクリームコロッケパンである。
外はカリッと、中からはトロトロのクリームが溢れんばかりに飛び出し、それがコッペパンと絡み合って絶妙なハーモニーを醸し出す。
この味を求めて、アカデミーの生徒は月に数回のバトルを繰り広げているのであった。

メディアは教室の横から伸びている螺旋階段を下って、ゆっくりと購買部の方へ歩いていった。
今日は授業内容の切れ目が悪かったらしく、終了時刻がいつもより少し遅れてしまった。購買部に辿り着いたときには、既に人気もまばらになっていた。
カウンターの上に置かれている売れ残りのような商品を眺める。おにぎり、菓子パン、おまんじゅう、…うん、どれもまさに売れ残りの残軍たちといった所であろうか。
とりあえず軽く目を左右に動かして今日のご飯をと探していると、隅の方に追いやられているようにちょこんと置かれてある大きな箱があった。
箱の高さは低いが、宅配ピザの一番大きなサイズがすっぽり入りそうなサイズだった。これは一体何なのだろうか。
メディアはカウンターの向こう側にいた知り合い商業科生徒であるリエルに、この箱について尋ねた。
「ねぇリエル、この箱も売り物なの?」
「そうなんです。今週から販売開始した新商品で、とっても精巧に作られたミニチュアなんです。その分、お値段もするのですが……」
見てみると、箱の隅には小さな値札が貼ってあった。
桁が一、十、百、千、万、……価格は十万を超えていた。これでは手持ちのお金では到底買えない。
そもそも何故こんな高価な品物がアカデミーの購買で売られているのか疑問に思う。学生ならば貯金を引き出さないと買えないくらいの金額だ。
しかしそれと同時に、メディアはこの箱に関して俄然興味が湧いてきたのだ。
箱の中身はミニチュアだと言っていたのだが、額が六桁もする以上、かなり作りこまれている製品に違いない。
部屋に置いて眺めているだけでも楽しいだろうし、あまりにも珍しい物だったら友達にも自慢しちゃおうかな。
値段の事は気になるけれど、あのミニチュアの箱とはなんだか深い関係を感じる。そんな根拠のない使命感がぐぐっと伝わってきたのだ。
不相応に大きい箱を横目で気にしながら、とりあえず今日の所は残っていたおにぎりとサンドイッチを買って教室に戻ったのであった。

翌日。メディアは再び購買部へやって来た。
時計は夕刻を差しており、授業を終えた生徒が帰途に就いた頃を見計らって、購買部の方へ階段を降りていく。
コツコツと螺旋階段を下る音が響き渡っていた。夕方のアカデミーって、ここまで静かだったものなのだろうか。
購買部の前には、誰もいなかった。カウンターの向こう側も人気が少ない。今日はリエルが一人で店番をやっているようだ。
「いらっしゃいませ~。あ、メディアさんどうしたんですか?」
相変わらずふわふわと浮かび上がるような声で接客する少女。
メディアは口を閉ざし、何も言わないまま視線を"あの箱"へと向けた。
昨日と相変わらず、蛍光灯の淡い光を浴びながら淡く輝くように見えるそれは、数ある購買部の商品の中でもやはり一際存在感を放っているのであった。
「メディアさん、こちらの箱をご購入ですか?」
「……うん」
メディアは持っていた十数枚の紙幣をカウンターにそっと置く。リエルはそれを受け取ると一枚一枚丁寧に数え上げた。
「ひぃ、ふぅ、みぃ、……はい、ちょうどですね」
購買部付近には無駄にピンとした緊張が走っていた。普段買い物をする時とは明らかに空気が違っている。
人もいないせいなのか妙な静けさが辺りを包み込み、足元には外からの隙間風が吹き込んできてなんだか小寒く感じられる。
高価な買い物をする時って、こういう雰囲気になるものなのだろうか。
「それじゃあメディアさん、商品をお渡ししますね。壊れやすいものなので、くれぐれも持ち歩く時はお気をつけて」
リエルは箱の両縁をそっと持ち上げて、メディアの前に差し出した。
メディアも心を落ち着かせてそれを受け取った。すると意外なことに、箱は拍子抜けしたように軽かった。
一体この中に入っているミニチュアとは何なのか、ますます中身が気になってきた。
両手でやっと持ち切れるほどである大きさの平たい箱。実際の重さは想定した重量の半分くらいだろうか。
せっかくの大金をはたいて購入した品物だ。色々と満足が出来なければ都合が悪いということもある。
ひとまずこれは家に持って帰って、一人で開けてみよう、そう決めたのであった。

帰り道。太陽は地平線に潜り込み、辺りは既に暗くなり始めていた。
(「非常に壊れやすいお品物ですので、持ち歩きには十分注意してくださいね。できるだけ水平を保って持ち歩いてください」)
と、リエルから念を押されたことを思い出しつつ、家路を急ぐ。
気分は新しいゲームを買ってもらった子供のようだった。ワクワクする気持ちを若干抑えつつ、手元に気を付けながらいつもより早足で坂を駆け下りた。
やがて自宅の門扉の前に着いた。いつもよりゆっくりと扉を開け、足元に気を付けながら階段を上がる。
廊下を少し進んだ先にある自分の部屋。やっとの思いで辿り着くと、ずっと手に持っていた箱を机の上に置いた。
ん~、と声を張り上げながら、肩をぐるぐると回す。今日これだけずっと腕を酷使してきたのだから、きっと明日は筋肉痛だ。
ともかくも、ようやくこの時がやってきた。
目の前にはあの大きな白い箱。そして周りには誰もいない。いよいよこの箱の中身を確認する時だ。
メディアは意を決して、箱の留め具に指を掛けた。

パカッと大きく開いた白い蓋。ミニチュアに部屋の明かりが差し込んだ。
一瞬何かが眩しく光ったせいで、目を片腕で塞いでしまった。目が慣れたところで再び中を覗いてみる。
中身は、何やらすごく小さそうな街並みが箱一杯に広がっている。
どこまでも続く色とりどりの屋根の一軒家や網目状の道路。典型的な都会のミニチュアだ。
街の大きさは、雑居ビル1棟であれば米粒一つくらいの大きさみたいだった。作り物とは思えない、あり得ないほど精巧だった。
ビルの看板の色使いやリアルな汚れ方も忠実に再現されていて、本当に住んでいる人がいるようだ。
それに、ビルの中のテナントの電気もたった今灯されるのが見えた。……見えた?
何らかの違和感を覚えたメディアは、そのままずうっと視線を地面の方に向ける。
普段目にしているミニカーよりももっともっと小ちゃな、蟻んこみたいに動く車がそこら中に走っている。
そしてもっとよく目を凝らして見ると、実はものすごく小さな黒い点が動き回っているのが見えたのだ。
小さい街に、さらに小さな動くもの…といえば、まさか。
(じゅ、住民が、いる……?)
このミニチュアはただの作り物ではない。この街は、生きている。そして住んでいる人だって見えた。
そして購買部で初めて見た、あの値段の意味を初めて知った。
これはただ高価なミニチュアということだけではなく、生きている街のミニチュアだったのだと。

小人が生活を営むミニチュアの街を購買部で買ってしまったメディア。
この箱は、私が買ったのだから当然私のものだ。でもこの街は誰のもの?
私はただ箱の中身を知らないで買ってしまったのだが、この街は私が作り上げたものじゃない。
じゃあ私とこの街の関係はどうなるのだろう。…言うなれば、飼い主、みたいな?
何だかんだよく分からないことを思いつきながら、このミニチュアの今後について考えてみた。
この街には生きている住民がいる。それならば、何か交信する手段は無いのだろうか。
あいにく、購入したミニチュアの説明書などは付属されていなかった。自分で何とかするしかなさそうだ。
とりあえず、できるだけそっと、街に声を掛けてみる。
「街の皆さん、こんにちは~」
優しい声を街に投げかけると、黒い点の動きが一斉に止まった。
驚かせてしまったかな、と思い無意識に口へ手を当ててしまった。しかしそれは杞憂であった。
よく見てみると、また点が微かに動いているように見える。
それらはこちらに向かって一生懸命手を振っているように見えた。ミニチュアの住民は突如現れた巨人に慌てる様子も見せず、和やかな歓迎ムードでもてなしてくれたのだ。
それを見たメディアはぱっと顔を明るくした。こちらも街に惜しみのない笑顔を振り撒いて応対してあげた。
もちろん小人さんの肉声は小さすぎて届かなかったけれど、気持ちだけは何となく感じ取ることができた。


ミニチュア街の住民に簡単な挨拶を終えると、メディアは再び顔を持ち上げて街の全体を細かく観察してみる。
どうやらこの街は全体的に高度に発展した都市部のようで、街の中心部には高層ビルが立ち並び、外郭部は住宅街やマンションが点在しているベッドタウンになっている。
建物の内装なども非常に細かく作られているのだが、そんなことではもう驚かない。だってここには、実際に生きている命があるのだから。
ちょっと建物を触ってみようとして、桃色の手袋に包まれた指先を街の一角に近づけてみる。
その指先は、小人さんにとっては大型ジェット機よりもはるかに大きい。街をいろいろと触れて確かめてみるには大きすぎるサイズだ。
メディアは都心部にあるビルの片隅に触れるもう少しのところまで手を伸ばし、そして引っ込めた。
小人さんの建物と自分の指先が触れそうになった瞬間、そこはかとない恐怖感に包み込まれた。
もし自分の指先の力で、街を壊してしまったらどうしよう。
ピンクの指がビルを貫通して粉々に砕き、それが地面に降りかかったら……。
私からしてみれば小さな小さな変化だろうけれど、小人さんにしてみればきっと大変なことだろう。
私は決して、この街の侵略者だけにはなりたくなかった。
それにこの街は、私が頑張って貯めていたお金で買ったものだ。簡単に壊すなどということはしたくなかった。
メディアは街に介入することを諦め、傍で寝そべりながら街の様子をただただ眺めるだけにしておいた。そしてその日は、それだけで一日が終わってしまったのであった。

あれから数日。メディアはアカデミーから帰ってくる度にミニチュアの蓋を開け、小一時間ぼんやりと街を眺めていることが多くなった。
ミニチュアの街に住んでいる小人さんはとても素直で、可愛くて、なんだかペットを飼ったような気分だ。
特別何かするまでもなく街は発展していくし、私はそれを上から横から自由に眺めるだけ。
時々小人さんのお話を聞いてあげたり、逆に私から色々とお話をさせてもらったり。うん、ペットと言うよりは、新しいお友達が出来たっていう印象の方が強いかも。
それにしてもミニチュア街の小人さんは、圧倒的な体の大きさを持つ私の事をすっかり信用しているようだった。
まぁ、元々自分達が何をしようにもどうにもできない相手だと思っている節もあるだろう。
体格差が何千倍もある巨人相手では自分らの姿を見せるだけでも精一杯。でもそこがまた健気で可愛いの。
もし仮に私が本気を出せば、箱に納められた小さな街なんて十秒足らずで全破壊出来てしまうだろう。
でもそんなことはしない。私は、小人さんと遊んでいる時間が何より楽しいのだから。
私はこの街を買って本当に良かったと思った。アカデミーだと学科が違うから一人になることが多かったけれど、これなら家に帰ってきても寂しくなることは無くなる。そう思っていた。

街に異変が訪れた、あの日までは。

(続く)