二人、草原にて

あらすじ:身長38メートルの女の子と、それに務める特務官のとある一日。
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「ふぅ、終わった……」


都市を貫く幹線道路の真ん中に、青髪の少女が一人立っていた。

ここは国の中枢機関が集まる、首都ダイデム。

かつてはこの土地も人々が活発に行き交い、当国の中心街として役目を果たしていた。

だが突如として地球に襲来した巨大生命体による攻撃は激しさを増し、今ではこの近辺での主戦闘場と化している。

首都にまで敵の襲来を許してしまったこと自体が不本意ではあるが、こうなってしまった以上現首都で戦う以外の選択肢は採り得なかった。

彼女はたった一人で、人間よりも巨大な生命体と戦う使命を背負っていた。

たまにビル等の構造物が邪魔になることがあるが、彼女らは当然これらにも配慮しつつ戦わなければならない。

戦闘上やむを得ない場合に限り多少の損壊は認められていたものの、圧倒的不利な状況であることには変わりはなかった。

戦闘を重ねるごとに傷ついたり、倒壊してゆく建物。

それは巨大生命体---フィアレムからの攻撃のみならず、彼女達による建物への接触の影響も少なからず存在していた。


「お疲れ様。今日は一段とハードな戦いだったな」


彼女の精神状態が安定モードに入ったところで、俺はナギサの体内のポッドから飛び出した。

…一瞬何を言っているのか分からなかったかもしれないが、まぁ無理はないかもしれない。

今の彼女の身長は約38メートル。街中に佇めば、10階相当のビルと肩を並べられる大きさだ。

そして俺は巨大化した彼女をコントロールする役割として、国から派遣されてきた特務官だ。

いや、彼女のではなく、彼女達の、と言った方が厳密かもしれないが。

彼女が元々この姿であるのかと聞かれれば、すかさずNOと答えられる。

生来は普通の姿の女の子であり、ある特別な役目を果たすべく時に巨大化をするのだ。

また、彼女が自在に体の大きさを変えられるかと聞かれれば、それもまた違う。

体を大きくする素質を有していても、自らの意志で巨大化できるわけではない。

戦闘開始前に彼女達が巨大化装置レーヴァシステムに干渉し、体内の細胞に変化を生じさせて巨大化反応を引き起こす。

その過程を経て25倍に膨れ上がった巨体を以ってして初めて、巨大生命体フィアレムと対等に戦えるという訳だ。

そして国が主導となり立ち上げられたのが、彼女達を中心とした対ヒュージ戦闘員を擁するラグナストライカーズであった。


「ありがとうございます。でもこの程度で疲れている時間はありません。早く次の地点に向かわないと」

「そうだな、だがもうすぐ日暮れも近い。今日はここまでにするぞ」

「…わかりました」


この後は司令部に戻って、今日の戦績の報告と明日の任務に向けての準備を行う。

情報によると、未だに敵の攻撃は激しさを保っているようだ。

一刻も早く敵を殲滅させるのに越したことはないが、休息も任務のうちである。

俺が帰投の準備をしていると、ナギサが不意に話しかけてきた。


「特務官、……、…あの………」


話しかけてはきたが、その後に続く言葉が思うように口にできないようだ。

先程までの凛々しかった目は下向きになり、口は真一文字になってぴくりとも動かない。

こういう時にナギサが考えていることは大体想像がつく。

俺はあえて口をつぐみ、都市の外郭にある草原を指差して言った。


「ちょっと、向こうで休んでいくか?」

「は、はい……。」


ナギサは下を向いたまま恥ずかしそうに答えた。

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俺は、ナギサの手の平の上に乗せられて都市を横断した。

久し振りに巨大化した彼女と接触したか、そう思った。

最後に乗ったのはまだ風が冷たかった日だっただろうか。

巨大化した人間は安定した精神状態を保つことが難しいとされている。

そこで、マインドドライブと呼ばれる彼女らの精神安定を保つことが、特務官の責務となっている。

そして任務が終われば、当然休む暇もなく次のポイントへ向かわなければならない。

ただ一日の任務が終了した黄昏時は例外で、巨大化したままの姿でしばし休んでいく娘もいる。

それでもあまりに遅くなるとまた司令官からこっぴどく叱られるので、ほどほどに留めておかなければならないが。

ともかくこうして巨大化した彼女の元に近づけるチャンスは、一日に一度しか無い。

それでも毎日近づけられるかというと、それはまた彼女達の気分次第とも言える。

大方、一日の任務を終えた彼女らは疲労が蓄積しており、早めに帰投して休息を取ることの方が多い。

今日のようにわざわざ俺を体内ボッドから出して行動するのは非常に珍しいと言える。

そして、今手の平に乗せられている感想だが、これが大変心地良い。

ナギサが歩行時に僅かに上下に揺れるだけだが、それさえも心地良いと感じるほどだ。

スーツ越しではあるが、微かにナギサの体温が感じられる。

通常サイズ同士であれば接触などまず考えられない。これは巨大化した際の特権とも言えるだろう。



ポイントに到着したナギサは、俺を手の上に乗せたまま腰を下ろした。

彼女の胸の高さまで上げられた手のひらから、都市の方向を眺める。

先程まで戦場だった街は、仄かな夕暮れ色に染まりつつあった。

フィアレムとの戦闘を重ねていくうちに、やはり都市の被害も少なからず広がっているようだ。

住民は都市圏外へ総員避難しているので、命に関わる被害の心配はない。

ただ、誰もが姿を消した街が崩れていく様は、まるでゴーストタウンだ。

もうすぐ夜がやってきて、またこの都市は物言えぬ静寂に包まれるだろう。

夕暮れというものは人々の思いを振り返させる。

橙色に輝く空は昼の終わりと夜の始まりを架ける、一瞬の景色だ。

そうやって、しばらく街を眺めていたのだが、ナギサが沈黙を破った。


「特務官、……もうすぐ、ですね」


その言葉に覇気は無かった。

ナギサの顔を見上げたが、目線は変わらず街の方角へ向けられていた。


「そうだな……、気づけば、もうそんな時期か」


俺も、ナギサが何の事を言いたいのかは分かっている。

前々から知らされてはいたのだが、ついにその日も現実となる刻が来たのである。


ーラグナストライカーズの、活動終了ー


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元はと言えばラグナストライカーズは、地球に侵攻してきたヒュージフィアレムに対抗するために作られた組織。

国家の総力を上げて最先端の技術を惜しげもなく使い込み、未知なる戦闘力である巨大化した人間を作り上げた。

しかし想定以上の戦績を上げられなかったのが痛手になり、一年を経たずして組織解体が国から言い渡されたのだ。

俺のような特務官や司令官は元々派遣されてきた身なので、一応今後の扱いについては聞かされている。

最も気になるのは、やはり彼女達の行方だ。

彼女達は、巨大化適性遺伝子を持った存在であるからこそ集められた。

それが、もう必要でないとされた時、彼女たちの処遇は……


「私も、もう大きくなることはないのでしょうか」


ナギサがおずおずと問うた。俺は、俺の思うことを喋るだけだ。

「そうだな、今の装置が使えなくなれば、ひとまず体を大きくすることもできないだろう。
だが考えてみれば、今までが特殊だっただけだ。女の子を巨大化させて戦わせるなんて、普通のことじゃない」

「そう……ですね」

「ナギサも、普通の女の子に戻るんだろう?」


それは何気ない問いかけであったのだが、俺の言葉を聞いたナギサは顔を曇らせた。
彼女からすぐには答えが返ってこなかった。
それどころか、なんとなく不満げな表情のまま、俺の睨みつけているではないか。


「特務官、普通って、なんですか」


ナギサから放たれた素朴な疑問点。彼女の声はいつもよりかなり低かった。


「普通、か……」


俺もすぐに答えることはできなかった。

普通とは何か。秀才なナギサなら辞書的な意味は直ぐに分かるだろう。

だが彼女が訊きたいのは違う意味のことだ。

人間としての「普通」とは何なのか。それは…


「私は小さい頃から勉強が大好きで、11歳の時に大学院も卒業しました。私は小さな時から「普通」じゃなかったんです。物心がついた時まで遡っても、普通だった頃なんて、一度もありませんでした」


ナギサが下を向きながら話しているせいか、声が一層強く聞こえる。その一言一言は、ずっしりと俺に重圧を掛けてくるようだ。


「教えてください、特務官。普通の女の子に戻るには、どうしたらいいのですか」


ナギサがはっきりと俺に問うた。

碧く光る双眼は、今度は俺の体をしっかりと捉えている。

じっと見つめていると体が固まってしまうようだった。

こんな表情を、今までに見た事があっただろうか。

もし無いのだとしたら、ここが最大の正念場だ。

勇気と覚悟を持って、切り出さなければならない。

俺は口の中の唾を飲み込んで、ゆっくりと話し始めた。


「ナギサ、この世の中に、全く普通な人間がいると思うか?」

「それは特務官がおっしゃったことです」

「はは、確かに」


いきなり論破されそうになるが、落ち着いて思っている事を話した。


「ナギサは、巨大化適正遺伝子を持っている時点で普通ではないかもしれない。でもそれは、他のみんなだってそうだ。
お前が普通だと思っている綾乃もそうだろう? もちろん、こんな所で特務官をやっている俺自身も、だ」

「それは、私たちだけが普通ではないという話だけでは?」


ナギサの表情はまだ固いままだ。

彼女を論理的に納得させるのには骨が折れることは分かっている。ただ、活路が無いわけでもなかった。


「巨大化適正遺伝子を持っているか、という話に限ればそうだな。でも、他の事ではどうだ?
人間には誰しもが得意だったり、不得意だったりすることがある。
ナギサで言えば勉強や読書は得意だが、恋愛や昆虫が不得意だろ?」


下を向いていたナギサの顔がさらに傾いた。太陽の光を遮られたその顔は先程よりも恥じらいを隠していそうだ。


「なんで…特務官は、そんなに私のことを……」

「長年傍に居たからな。大体のことは分かるよ」


彼女が僅かに開いた口は、何かを呟いたように見えた。それは俺には聞こえなかったのだが。

そして俺の口からは、ダメ押しの一言を付け加えてやる。


「だから、『普通の女の子とは何か』なんて考えなくてもいい。大体そんな奴はこの世の中にはいないんだからな」

「……そう、だね……」


今の説明で良かったのかどうかは分からないが、少なくともこの天才少女からの反論は無さそうだった。

心なしか、幾許か表情が明るくなってきたようだ。

下を向いていた彼女の顔が再び俺の顔を覗く。


「ねえ特務官」

「ん?」


打って変わってキリッとしたナギサの声に、思わず姿勢が伸びた。


「この活動が終わったら、私はもう巨大化できないかもしれない。その前に、しておきたいことがあるの」

「ほう」

「ねぇ司令官、目、閉じて」


………ん?


「目、閉じて。じゃないと…………、できない」


ナギサの頬が徐々に紅潮していくのに気付いた。

そして彼女の薄桃色した唇が、規則的に動いているのが見えた。

おい、ちょっと待てよ、この体格差でそれは…。

…本当にするのか?と問いたくなるが、それを口に出すのは少々憚れる。

こういった場合、どうしたらいいのか?

自分自身の経験の浅さに嘆きながら困惑していると、彼女が悪戯っぽく吐き捨てた。


「早く目を閉じて。じゃないと、握り潰しちゃうよ」


俺の足元から真横に伸びていた5本の指先が一斉に動き出した。

それと同時に、5本の影が俺の体を包み込み始める。


「わ、わーったわーった!!!」


ナギサのあまりにも冷徹な言葉と行動に、つい取り乱してしまった。

よくよく考えれば酷い冗談だとすぐに気付けるのだが、あからさまに不機嫌そうに細められた目で見られると本気なのかもと一瞬でも思ってしまう。

俺の慌てふためいた様子を見たのかどうかは分からないが、体を締め付けようとした5本指が真っ直ぐに戻った。

俺は素直にナギサの青い手の上に横たわり、彼女の指示を待つ。

手の平の上は座っても気持ちが良いが、寝そべってもなお居心地が良かった。

ここで眠れればぐっすり安眠できるだろうな…

…なんて思っていると、再びナギサから指示が飛んできた。


「違う、立って」

「……、え」


何だろう、今日のナギサは。

いつものナギサとは全く打って変わって、非常に積極的になっている。

頭の上に疑問符を浮かべながら、俺は重い腰を上げて広大な手の平の上に立ち上が……

……ろうとしたのだが、次の瞬間には尻餅を付いていた。

何が起こったのかと言えば、ナギサの手の平は2本足で立つのには柔らかすぎたのだ。

ふかふかのベッドの上に立つようなもので、上手にバランスを取らないと転んでしまう。

どこかでふふ、と掠め笑いが聞こえた気がしたが、もう特に気にしない。

さっきのような事はもうこりごりだ。

俺は巨人の手のひらの上に立ち、吹き抜ける風を受け流しながら次の行動を待った。


「……それじゃあ、いくね……」


ナギサの口から紡がれた、甘い言葉。

この手についての知識はおそらく本などで手に入れているのだろう。

瞼越しに景色を映す、なんて能力は持ち合わせていないが、想像するのは容易だった。

そして、ナギサの吹く甘い風が、近くなった。


「特務官、……ありがとう」


ちゅっ…

前方より2つのふくらみを持つ湿った物体が押し付けられた。

突然現れた異物は顔全体を塞ぎ込み、目も開けられなければ言葉を紡ぐことさえ叶わない。

押さえ付けているそれが何なのかは、すぐに分かった。

だがこれを全身で受け止めることなど、普通では有り得ない。

ナギサの言う通り、今だからこそ、出来ることだった。

触れていたのはほんの数秒ではあったが、俺の体感ではその何倍にも感じられた。

絶対に普通の環境では体感できない、特別な感触。

女神からの甘いプレゼントは俺の体を包み込むようにして抱擁し、そして、離れる。

彼女のねっとりとした唇の感触は、それからもしばらくは残っていた。

俺の体に付着した少女の唾液が徐々に乾き始めて 、体が少しずつ冷やされてゆく。


「特務官、……もういいよ」


ナギサの声が聞こえて、俺は唾液塗れの瞼をこすり、目を開ける。

彼女の顔は遠くにあった。吹き損ねた涎が目の中に入ってきて視界が霞んでいる。


「あっ……、ごめんなさい」


ナギサはもう片方の手をにゅうと伸ばし、手袋に包まれていない人差し指で俺の小さな体をそぅと撫でた。

背中を親指で支えながら、器用に指先を動かして全身を撫でてゆく。

俺はまた目を閉じる羽目になったが、丁度いい強さで押さえつけてくれる指は安心感さえ与えてくれた。


「ふふ、巨大化したままでこんなことするのは初めてだけど、なんだかいい気分♪」


掃除を終えて指先を降ろされると、ナギサは微笑みながら呟いた。

ニコッと、心から幸せそうな笑顔で見つめ返してくれる。

これまでに一度も見たことのない、花が咲いたような屈託のない表情。

この瞬間、俺はナギサの特務官を長年務めてきてよかったと、心から思えた。

キス一つだけでじっとりと濡れてしまった体の前半身を気にしながら、ナギサの言葉を待った。


「それじゃあ特務官、帰ろうか」

「……ああ」


俺は再びポッドの中へ戻り、ナギサと共に基地の方へ歩みだした。

残された時間は、もうあと僅かだ。

(完)