■職務質問

「ありがとうございます。あっ…とりあえず…ちょっと座りますね」
 男に、と言うよりは影響を与えてしまうであろう周りの全てに伝える感じで彼女はまず一言断った。
それから視線が男から外れてその足元へと向き、そこで何かに気付いたように彼女は目を見開き、
続いて困ったように少しだけ眉間に皺をよせた。
「すみません。少々待っていて頂けますか?」
どうやら足元に散らかっていたパトカーを邪魔に感じたらしい。
が、彼女の大きさからすれば、そう大した障害になるとは思えなかった。
気にせず座ってしまえばいいのに、などと内心思いつつも男が頷いて見せると、
彼女は小さく礼を言って早速周囲の片付けに取り掛かる。
結構几帳面な性格なのだろうか。わざくれ一台ずつ丁寧に摘み上げている。
が、拾い集めたそばから、それらをもう一方の手の上に無造作に固めて乗せていっているのだから、
結局後々使い物にならないような気がしないでもない。
が、彼女にとってそれはきっと些細なことで、そこまで気が回らなかったのだろう。
やはり抜けているというか、なんと言うか。
それにしても今更ながら巨人少女の人知を超えた絶大な、途方もない力には圧倒されざるをえない。
何しろ30m程の高さまで容易く車を持ち上げているのである、それも片手に何台もまとめて。
改めて冷静に考えると、とんでもないことが、目の前で起こっているのだ。
しかし、当の彼女はなんてことはない、まるで床に落ちた消しゴムでも拾うかのような、
そんな感覚で行っているに違いない。たとえば彼女に駐禁でも取り締まって貰ったらどうだろう?
邪魔な車は即時強制退去。それこそレッカーなんかよりずっと効率的、効果的に…。
「あの…」
と、その作業を見詰めながらぼんやりと考えに耽っていた男は、再び彼女に呼びかけられ我に返った。
見れば、いつのまに彼女はその巨躯を斜めにして、目の前の通りに座っていた。先程よりも顔が近い。
「すみません、その…ちょっと狭くて…正面を向くと入らないんです…」
何も訊いていないのに少し照れたような顔つきで説明がある。律儀なことである。
が、次の瞬間にははにかんだその表情は完全に消え失せ、真っ直ぐ、真剣な眼差しが男へと向けられた。
いくら敵意は無いとは言え、やはり見詰められると、なかなかの迫力である。
「それで…車から離れる時の周り状況、覚えてらっしゃいます?」
「…ん?と…仰いますと?」
その意味を汲み取りきれずに男が聞き返す。
すると彼女の表情が酷く困惑したような、不安げなものへと変わった。
視線がせわしなく宙を泳ぎ、再び男に定まり、それと同時に意を決したように彼女は尋ねてきた。
「その…無事…なんでしょうか?他の方は…」
(なるほど、それを気にかけていたのか)
男はそれを聞いて妙に納得してしまう。強引に自身を引き止めたのも合点がいってしまったのだ。
たった今出会ったばかりだというのに、いかにも『彼女らしい』と思えてしまうのだから不思議である。
もしかするとその大きすぎる力が、反って彼女自身の心優しい性質を浮き彫りにしているのかもしれない。
「大丈夫ですよ。俺が車を離れた時には、既に周りには誰も居ませんでした」
彼は少し笑って言う。有体に言えば『自分が最後の最後まで逃げ遅れた』というだけのことなのだが、
それが幸いして問いにこうして答えてやることができたのだ。
彼女もきっとこれで安心して、自分やこの建物の人間を解放してくれるに違いない。
が、その反応は彼の予想には些か反したものだった。
「…ほ、本当に?」
若干の間のあと少し強めの口調で問い返された。
「え、ええ」
少々面食らいつつも再び応える男。
「本当に本当?」
「…ええ」
「本当に本当に本当?」
「………ええ」
「…確かにですか?その…パニックになっていたりしていませんでした?
 本当に誰も居ませんでした?間違いなく?」
「ええ、間違いありませんよ。本当です。あぁ……それとも…やっぱりあれですか?
 こんなちっぽけな人間の言うことなんて信用できませんかね?」
あまりにもしつこく問い質されることに少しだけうんざりして、
男の口から皮肉めいた言葉が思わず出てしまう。出た後ですぐにまずったと思うけれども時既に遅し。
「あ、いえ…そういうわけじゃないんです。
 ……その…もしかして…わたしが怖くて…嘘をついているんじゃないかな…って…。
 …どうしても…本当のことが知りたかったから…すみません…」
ちょっとした一言にも大きな肩を落としてしまう少女の様子に、
バツの悪さを感じた男は一度視線を下に向ける。
が、すぐにそれを再び顔を上げて一つ咳払いをしてから、気休めからでも、勿論恐怖からでもなく、
単純に事実を述べている旨を述べた上で、改めてはっきりとした口調で、
彼女が最も知りたがっていると思われる事実を伝えてやった。
「大丈夫、間違いありません。貴女は誰も殺してはいませんよ」
「…!…ありがとうございます!」
一瞬その目が大きく見開かれ、微かに揺れたようにも思えた。
が、すぐに彼女は破顔し、それと同時に何故か礼まで述べてられる。
その笑顔があまりにも嬉しそうだったものだから、男は日頃反射的に出てしまう『余計な一言』を、
とりあえず胸の内だけに留めておくことにした。
(…今のところはね、と)


 意志の疎通も満足に叶わない、米粒程度の矮小な生物。美咲の感覚は麻痺しつつあった。
焦る心の片隅で『まぁいいや』『しょうがなかったんだ』そんな気持ちが生まれ出し、
ゆっくりとではあるが、着実に広がってきていたのである。
しかし先ほどの婦警、そしてこの男とまともな会話が叶ったことで、
彼女は改めて相手が『小さくても人間』であり、即ち自身と同じ様に、
言葉を持ち、文化を持ち、心を持っていることを再認識していた。
何にしても、立ったままでは何だか距離も遠いし、見下し(みくだし)ていると勘違いされるかもしれない。
何となくそう思った美咲は、とりあえず腰を下ろすことにした。
もっともそうしたところで、自分の視線がまだまだ上であることは重々分かっていたが。
ところがそのために足元を確認した美咲の瞳にまたしても白と黒の車が映り込んだわけである。
思わず眉をひそめる美咲。はっきり言って邪魔である。
折角男が自分の呼びかけに応じてくれたのに、話を聞いてくれると言ってくれたのに。
繰り返し、繰り返し自分の妨害をする小さな正義の車達を忌々しく、そしてもどかしく感じる。
一体どうしてくれようか?すぐに頭に思い浮かぶ少しばかり(?)乱暴な方法。
しかし、美咲は程なくそれを打ち消してから別の結論を出し、
それと同時に男の方へと視線を戻して一言断りを入れた。
「少々待って頂けませんか?」
男が頷き、快諾してくれたことを確認し、少し安心する美咲。
それから彼女は可能な限り急いで、しかし同時に、優しく静かにを心がけつつ、
足元に散乱しているパトカー達を右手で摘んでは左手に乗せていった。
親指と人差し指でそっと挟んでいる積もりだったが、
指先には車体に沈み込んだ感触と思しき軋みが微かに伝わってくる。
もしかすると多少形を歪めてしまっているのかもしれない。
美咲は内心焦りつつも、努めてそれを顔に出さぬよう注意しながら淡々と作業をこなしていった。
実は本心のところ、美咲としてはパトカーがどうなろうと、そこまで気にしてはいなかった。
何しろ彼らは問答無用で自分を攻撃してきた言わば『敵』なのだから。
それでも極力穏便な方法を取ろうとしたのは、
男に対して恐怖を与えるような振る舞いをしたくなかったからに他ならない。
そうして美咲は拾い集めたパトカーを邪魔にならない場所に適当に積み上げると、
出来る限り静かに道路へと腰を下ろしたのだった。
 サイズが違うということ以外は何一つ自身と変わらぬ『人間』であること。
それを実感することで、彼女の心の奥底に、極々僅かながら言い様のない『奇妙な優越感』が密かに生まれ、
鎌首をもたげたりもしたのであるが、それはともかくとして、差し当たって今、
心から案じるのは、自分が踏みつけてしまった車に人が乗っていたのかどうか、である。
彼らが人であると言うこと、それはつまるところ『彼らにも家族や友人などの大事な人がいる』
ということを意味しているのである。もし自分自身がそれを理不尽に奪われたらどう思うだろう?
鼓動が徐々に高鳴り、苦しくなっていく。でも逃げてはいけない。
(ちゃんと…聞かなくちゃ…!)
美咲は意を決し問いかける。
「…誰も居ませんでしたよ」
そして余りにもあっさりとその答えは告げられた。
それもそっくり自分が望んだとおりのものであったから、美咲は一瞬きょとんとしてしまう。
「ほ、本当に?」
素直に喜べばいいのだろうが何となく実感が湧かなくて、とりあえず念を押してみる美咲。
一回、二回、三回と。その度に同じ答えがあり、それに伴って胸の内に徐々に満ちてくる安堵と喜び。
が、その矢先に男に辟易とした顔をされてしまい、美咲は慌てた。
決して彼の言うことを疑っていたわけではない。ただ、本当のことを知りたかっただけなのである。
けれども、流石に四回もしつこく同じことを問い返したのは失礼だったかもしれない。
詫びつつ男を覗き込む美咲。男が視線を落とし、美咲の顔は更に曇る。気分を害してしまったのだろうか。
しかし次の瞬間男は再び自分を見上げてきたその表情には、意外にも怒りの色は見えなかった。
「大丈夫、間違いありません。貴女は誰も殺してはいませんよ」
そして彼は今一度はっきりとした口調でそう述べた。その言葉に思わず美咲は大きく目を見開く。
それから美咲は笑って礼の言葉を伝えた。
ほんの少しだけ胸の内が熱くなったりもしたが、ここで泣くのは絶対におかしい気がする。
だから美咲は笑った。それはこの世界に来て初めての、彼女本来の、心からの笑顔だった。

 何にしても一安心である。美咲は満ち足りた気分を味わいながら、少しの間空を見上げていた。が、
(ぁ…)
そこで『本来の重要な目的』にはまだ手をつけてすらいないことを思い出し、少しだけ憂鬱になる。
大変なのはこれからなのだ。まずは探さなければならない、協力者を。
何となく再び視線をデパートの屋上へと落とす。
話はもう済んだのだから、きっとさっさと居なくなってしまうに違いない。
美咲はずっとそう思っていたのだが、意外にも男は今もその場に留まり、
少しだけ俯いて、何か考え込むような様子で立っていた。
(そうだ…この人なんてどうだろ…?)
ふとそんなことを考える美咲。と、その時突然男が顔を上げた。
「…ところで…今度はこちらから伺ってもいい……宜しい…ですか?」
自分の思考に没頭しかけていた美咲は少々不意をつかれた形となり、
また心なしか一瞬目が合ってしまったようにも思えて、少しだけ驚き慌て、どぎまぎしつつそれに対応する。
「え?あ、はい、なんなりと」
それを聞くと男は一つ頷いて、早速何かを切り出そうとした。が、
「あー…と、その前に…」
「…?」
「どうも…俺はあまり敬語を使うことに慣れてないんですよ。
 それで、何か気に触ることがあっても…まぁたぶん悪意はないので勘弁して欲しいかなって」
言われて美咲は一瞬目を丸くした。が、それから微笑んですぐに返す。
「あ、普段通りに話して頂いて結構ですよ。そんなにお気遣いなさらないでください」
実はそれは彼女自身も気にしていたことであった。
しかし或いは、彼は普段からそのような丁寧な言葉遣いを自然にしているのかもしれないと考え、
あえて言及しないことにしていたのである。
「と言いますか、あんまり丁寧な言葉遣いをして頂いても、何だか…その…心苦しい感じが致しまして…」
美咲は軽く視線を外し、小さくそう言葉を続ける。
その瞬間、不意に己の表情が曇ったのが自分でも分かった。
理由も分かっている。男の慇懃の様子にふと『あの頃』のことが脳裏に過ってしまったからだ。
もっともそんなことは彼の知るところでは無いことだとすぐに気持ちを切り替える。
対して一方の男はと言えば何とも不思議そうな表情を見せて、若干言い難そうに尋ねてきた。
「…まぁ…その…言っておいてなんなんですが、こんな小さな…君からすれば俺達なんて、
 それこそ蟻みたいなもの…でしょう?なんていうか…腹が立ったりしません?
 …対等な立場というか…普通にモノを言われたりするの…」
「…?そんなの全然気になりませんよ」
反射的にそう返した美咲だったが、それと同時に、
先程のさっぱり内容の分からない、ただやかましいだけの呼びかけが過った。
流石にあの様なあからさまに高圧的な、失礼極まりない態度には閉口してしまったのだが、
その後の婦警が自分に対して敬語を使ってこなかったことに関しては、全く問題にならなかったわけで。
美咲は少し考えてから、
「…と言うとちょっと嘘ですけれどね。んー…そうですね…まぁ場合によりけり、です」
そう付け足して、悪戯っぽく笑ったのだった。


 ここにきて彼女…巨人のメイドに対する男の心象はまた少し変わってきた。
思っていたよりもずっとよく笑う子だ。
不安が解消されたこともあって、少しずつ地が出てきているのかもしれない。
実は『敬語の扱いが苦手』と言うのは真っ赤な嘘だったのだが、
しかし、彼女があまりにも『普通の少女』なものだから、
男もついつい同期や後輩に話すような感覚に陥ってしまうのである。
このままでは遅かれ早かれ、話していくうちにこちらも地が出てしまうだろう。
それならばいっそのこと始めから、という具合に考えて一つ駄目元で許可を申請してみた次第である。
そしてそれは驚くべきことにと言うべきか、それとも予想通りと言うべきか、
あっさりそれは承認されたのだった。
いや、気のせいかもしれないがむしろ彼女はそれを望んだようにすら見えた。
その際に一瞬ではあるが彼女が垣間見せた表情は、どこかおかしかったようにも思えたが、
結局それに関しては敢えて触れないことにしたのだった。
「さて…じゃあ…いいか?」
少し緊張しつつも、男は普段どおりの口調で問いかけを始める。
「はい」
少女はそんな彼の心中など全く知る由もないのだろう。
当たり前のように、先程と変わらぬ調子で応えて頷く。
「君は…何者だ…?」
「美咲と言います」
「……」
若干の間があった後、男は再び問い返す。
「…それで?」
「…美咲と言う名前ですよ?」
同じ答え。
「……」
「……?」
再び間。
「…ああ、いや、名前はわかったわけだが、何者なのかな、と」
「えっと…どこからどう説明すればいいのかな…むー……」
すると彼女は少し困ったように考え込んだ。
「ふむ…」
男もまた困ってしまい、少しの間思案する。
彼の方としても、一体全体どこから質問すればいいのやら、というのが正直なところなのである。
『お前の存在の全てを完璧に説明をしろ』とでも言えば一番手っ取り早いのだろうが、
酷い問いである上に、何となく期待する答えは返ってきそうにない気がした。
「じゃ…一つずついこうか」
職業柄というわけではないが、男は普段しそうな質問事項を思い浮かべて順を追って問うていくことにする。
所謂職務質問というやつである。
「そうだな…じゃあ、まず住所は?」
言ってからすぐに男は間抜けな質問であったと思い直す。
「アルモニカ地区の……町名を言っても分からないかもしれません。
 …その…まぁ…えっと…ちょっと田舎の方でして…」
確かに聞いたことのない地名だったが、それは決してその場所が無名であるから、ではないと思われる。
「…アル…モニカ…?」
取り敢えず地名と思しき単語を鸚鵡返し(おうむがえし)すると、
少女、美咲はそれに気付いたのか、はにかんだ様に少し笑って言い直した。
「あ、そっか。すみません。つい、いつもの調子で。んー…分かり易く言うと…異世界ですかね」
「なるほど、異世界、ね…」
案の定、この星の何処の国、地域でもないらしい。或いは宇宙人か何かかとも思ったわけであるが、
そもそもこの世界の人間ではないときたものだ。いや、実際のところは今ひとつよくはわからないのだが。
「じゃ、年齢は?」
これもまた無意味な質問だったが、職務質問の形式に則っているのだから仕方ない。
しかし、考えてみれば明らかに普通ではない相手に対して、
普通の手順を踏んでいくというのもいかがなものか。男は自分自身を何だか滑稽に思う。
「16…あ、もうすぐ17歳ですね」
が、当の美咲は特に何も思わないのか素直に答えてくれる。
「はぁ…16歳…」
彼女の世界の感覚ではどうなのか分からないが、この世界、少なくともこの国では、
16、17というとまだ高校生…彼の感覚で言ってしまえば小娘ということだ。
しかし10階建ての建物の屋上に立って、地面に座っているその小娘を見上げていると言うこの現実。
「16歳でその大きさか…」
思わず感慨にも似た呟きが嘆息と共にこぼれ出る。すると彼女は少し顔を赤くして、声も小さく尋ねてきた。
「あ…う…そ、そんなに大きいですかね?」
「ああ、そりゃもう…」
「友達にも時々言われるんです。結構羨ましがられたりもします…」
「と言うことは…やっぱり君は特別大きいのか?」
それにしても羨ましがられるとは一体…彼女の世界では背は高ければ高いほど美徳だったりするのだろうか。
しかし、それならば何故そんなに恥ずかしそうにするのだろう。
「特別って言うか…標準より少し大きいかなって程度の積もりなんですけどね…。
 わたしとしては…なんだか視線が気になりますし、背中も張りますし…」
「は…?」
何となく互いの話の間に食い違いがあるような、そんな疑惑が男の心のうちに生まれる。
「で、でも…男の人はやっぱり大きい方が好き…なんですよね…?」
彼女は胸に手を当てて更に赤くなってもじもじと続ける。疑惑は確信に。
「……一応言っておくけれども、主に身長や体重を中心とした
 全体的な身体の大きさに関する話をしているんだぞ?」
あえて彼女が何の話をしようとしていたのかについては突っ込まないことにする。
「え…あ、あああっ!?…そ、そうですよ。勿論です。背、高い方ですよ、わたし。
 体重だって重い方です。それに靴のサイズだって…」
顔を真っ赤にしてしどろもどろになりながら、
フォロー…になっているのだかどうかもよくわからないことを並べ続けていく美咲に思わず苦笑が漏れる。
これが小憎らしい後輩相手だったりすると、更にからかってやったりもするのだが、
それは流石に気の毒に思え、そして何より彼の目的である話の主題はまだ先にあるものだから、
彼女を制して次の質問へと移る。
「まぁ、わかった、わかった。で、職業…はメイドさん…か?」
半ば確信してそう問うも、彼女は意外にも首を横に振った。
「いいえ、違いますよ」
「…違うのか?そんな格好をしているから俺はてっきり…。じゃあ学生さん…だったり?」
今度はその服装からではなく、年齢から見当をつけて尋ねてみる。
「はい、そうです。公国立天然メイデン養成学校、ヴィオリーノ学院の一回生です」
「ふーむ…天然…ね…。なるほど」
「あ、あの天然ってそういう意味じゃないですよ。
 そうじゃなくて、ほら、えっとわたし達の世界は『錬金工学』が発達していてですね、
 元々昔は『被造人形(ヒトカタ)』がそういう役割を担っていたんですよ。
 でもやっぱりそういうのは人がやったほうが良いんじゃないかって評議会で決定致しまして、
 それで学校が創設、その際に名前にも『天然』と冠してですね…」
男からすればさっぱりわからない説明、それ以前に何も訊いていないわけで。
確かに、あえて『天然』という言葉を口にしたことに関して、男に作為的なものが何も無かったかと言えば、
それは嘘であるが。ちょっとした悪戯心というやつである。
「いや、別に俺は何も思っていないぞ?」
さらりと言って、説明を打ち切ってやる。
「むぐ…」
言葉に詰まる美咲。
「じ…じゃあ何で『天然』だけ口に出したんですか?何が『なるほど』なんですか?」
それでも懸命に、真剣な顔つきで食い下がってくる美咲。
「深い意味はない。…それとも、君には何かしら、思い当たることでもあるのか?」
一蹴。
「うぅ…」
結構からかい甲斐のある娘なのかもしれない。男はふとそんなことを思う。
しかしあくまでも、今は楽しいお喋りなどを本意としているわけではないのだ。
男はすぐに思考を切り替えて、話を元に戻す。
「ともかく…じゃあここからが核心だ」
「…はい…」
まだまだ何か言いたげな様子ながら、それでも男の言葉に不承不承応える美咲。
「その異世界のメイドの卵さんがこの世界に何用だ?」
それを聞いて、ぶうたれていた美咲の表情も一転して真剣なものへと変わり、
「そ、それは…!」
そして彼女が一瞬言いよどんだのを男は見逃さなかった。すかさず続けて問う。
「もしかして侵略とか?」
「ち、違いますよ!」
慌てた様子で否定する美咲。
「…何かの実験とか、その実験材料として人間の採取とか?」
「違いますって!」
先程よりも更に強い口調で再び否定。
「……ただの観光…?」
「いいえ」
「じゃあ何で?」
「えーと…それはその…そう、学院の勉強の一環…なんですよ」
「…ふむ、なるほど。それから?」
「そ、それから…って……それだけ…ですけれども?」
何か隠している、男は直感する。彼は人の嘘を見抜くことがわりと得意な方だった。
とは言っても彼自身に何かしら特別な意識や作為があるかといえば、そういうわけでもないのだが。
単に人の態度や話の内容において『粗(あら)』があると、それが自然と目に付いてしまうのである。
これも刑事と言う職業柄、悲しい性というやつである…と常日頃から説明しているはずなのだが、
周囲の反応はと言うと、総じてなかなか冷ややかなもので、
常に穿った(うがった)ものの見方をしているからだの、生来のひねた性格による賜物だの、
ろくなことを言われない。もっとも彼女に関しては、特別容易くわかってしまったのだが。
というのもあからさまに感情が表に出るのである。
今回の場合は嘘というよりは、まだ話していない、誤魔化している部分がある、といった感じか。
「そうか…。しかし思うんだけどな…何でそれで異世界までわざくれ来なきゃならないんだ?
 自分の世界で勉強するだけじゃダメなのか?」
突っ込む男。
「…それは…」
たじろぐ巨人。
「第一、君の学校に生徒が何人いるのか知らないが、
 今まで一人としてこの世界に君のような娘が来たという記録はないんだよ」
受験勉強程度にではあるが、一応歴史を学んだ身。
当然ながらそのような史実にお目にかかった記憶などないわけで。
「う…、そう…なんですか?」
「ああ、そうだ。君の学校では、こんな風に全員異世界に勉強をしに行くのか?」
「…えっと…別に全員、というわけじゃないんですけれども…」
「はっきりしないな…」
「あの…どうしても答えないと…ダメですか…?」
余りにも美咲が困り果てた顔をするものだから、男のほうも些か申し訳ない気分になり、
口調を柔らかいものにして、諭すように言ってみる。
「…そりゃまぁ、ね…?自分でどう思っているかは知らないけど、君は俺達…この世界の人間に、
 相当な衝撃を与えているんだぞ?それくらいの知る権利、主張してもいいんじゃないかい…?」
「うぅ…そう…ですよね…」
その言葉に少し目線を落とし、力なく同意する美咲。
「それに、もし俺で力になれることがあるのなら手伝いたいし、な」
男が付け加える。
「…!!」
瞬間美咲が顔を上げ、その表情がぱっと輝いた。
「ま、もっともこんなちっぽけな人間の助けなんて、必要ないのだろうけど」
おどけた調子で更に男が続けるも、その言葉を聞いた美咲は、慌てたように首をふるふると横に振り、
少しだけ身を乗り出して、熱意の篭った口調で言った。
「そ、そんなことないです。是非…是非お願いします」
その反応は男にとって意外なものであった。しかし彼の方とて愛想だけでそんなことを言ったわけではない。
こうして彼女と直に接してみて、一応彼女の中に悪意がないことを理解した今、
大層の失礼にも関わらず同僚を許し、部下を助けてくれた、その恩義には報いたいと思っていたのである。
こう見えてこの男、結構礼節にはうるさい方なのだ。
ちなみに余談であるが、やかましくて小憎らしいばかりの後輩である弥生に関しても、
唯一その点において『だけ』は評価していたりする。
「ふむ?なら、出来れば本当のことを話して欲しいんだがな」
男は美咲の言葉に応えて軽く頷き、今一度要求を伝える。
「う……それは…………うぅ………………………………」
何かを言おうとしては、止め、再び黙り込む美咲。
「………………………………………………………………実は…補習なんです……あぅ…」
それからまた、たっぷりと間があった後、彼女はその巨躯からは考えられないほどの小さな声で、
顔を真っ赤にしてぽそりと呟き、小さく溜息をついた。
「…補…習?」
美咲の口から出た意外な言葉に男は目を丸くする。
「はい…課外の補習です。これに合格しないと…留年確実…
 下手すると退学になっちゃうかもしれないんです…」
「…………成績、悪いのか?」
思わず出る一言。
「そ、そんなことありません!!」
対して恐らく反射的に返された、彼女の等身大そのままの、大声量の反論。
男はそれをまともに全身に受け、たまらず耳を塞いでしゃがみ込んだ。
「…あ、す…すみません…」
片膝をついたままで、どうにか顔だけを持ち上げると、
揺れる視界の向こうで慌てふためき、とりあえずおずおずと手、
もとい指を差し伸べようとする巨人が目に入る。
動揺しているのだろうか、その指は大きく震えている。
もっとも彼女の感覚からすれば小刻みに、といったところなのかもしれないが。
「い、いや…大丈夫だ…」
そんな手つきで自分の背丈ほども厚みがある指を差し伸べられても反って危険である。
そう考えた男とりあえず右手を掲げてそれを制し、彼女に手を引っ込めるよう促した。
それから軽く頭を振って、なるべく軽快な動きで立ち上がって見せ、何事も無かったかの様に質問を続ける。
「じゃあ何故?君の世界ではどうかわからないんだが、少なくとも俺達の世界では補習ってのは……
 まぁアレだ…落第生…が受けるもん…だぞ?」
従来の彼ならば『落第生』ではなく『馬鹿』という
もっとストレートな言葉辺りを使っているところなのだが、
しかし今の彼女の巨大な声量の威力が、改めて男にその力の差を再認識させ、
結果表現はオブラートに包まれたわけである。
「ち、違います!一般座学も専門座学もばっちりです!勿論実習…だって…
 …えと、ちょっとアレですけど…それなりにちゃんと取っています」
相変わらず強い口調だったが、今度はしっかり気をつけたのだろう。
先程よりもかなり声の大きさを抑えての反駁がある。
「じゃあ、何で補修なんて?」
「へ…?…それは…その…出席日数が…ちょっと…」
途端に勢いがなくなる美咲。
「ふむ、病気か何か、か?」
訊いた後でしまったと男は思う。
彼女の本質を見極めようとするあまり、あれこれと質問してきたわけだが、
これはあまりにも無遠慮というものである。
相手を同じ人間、それも初対面の少女であるのならば、こんなことまで聞くのは非礼極まりないことだ。
言いたくないのならば言わなくてもいい、彼がそう言い直そうとした時、
彼女が先程よりも更に小さな、消え入りそうな声でそれに答えたのだった。
「…いえ……………その…………何度も……寝坊して………ち…こく…を…」