■一騎当千メイド

 半ば無理矢理に二人を建物の中へと押し込め、屋上の扉が閉まるのをしっかりと確認すると、
美咲は目を閉じて一度大きく呼吸をすると、その表情を再び硬く真剣なものへと戻した。
それから先ず視線を手元へ落とすと、そこから通りの向こうの方へと少しずつ這わせていく。
そして、ある程度までいったところで、今度は後方も確認するべく振り向こうとして、
美咲はすぐに動きを止めた。座ったままで方向転換をするには些か窮屈すぎることを思い出したのである。
仕方なく一度立ち上がると、なるべく静かに回れ右をして再び屈み込み、注意深く視線を巡らせていく。
それから同様にある地点までいったところで視線を引き戻し、そこでふと右手にある建物の存在に気付く。
 岬達のいるデパートのちょうど真向かいに位置するビル二つは、
しゃがんだ美咲の目線とちょうど同じくらいの高さがあり、その片方は全面ガラス張りとなっている。
瞳をガラス一杯に映して中を覗き込めば、その最上階は展望レストランらしく、
洒落た内装に小さな椅子とテーブルが幾つも並んでいるのが目に付く。
「……」
暫くそのまま屋内を観察していた美咲だったが、
やがて小さくふっと息を吐くと再びゆっくりと立ち上がった。改めて上からその周囲を見下ろせば、
向こう脛程度の高さ、三か四階建て位の建物が長く平たく広がっており、
視線をそのまま横に移せば線路が二本、その中へと入っていっていることが分かる。
駅ビルである。今しがた覗き込んだ二つの高層ビルは、その中央部辺りから並んで生え出ている感じであり、
立ち上がった美咲の太腿に届きそうな程高い。
幅は二つ合わせて両腕を軽く広げた程度、奥行きはその半分程だろうか。
今度は少々身を乗り出して、駅ビルの裏手の方を覗き込んでみる。
すると、そこには背の低い建物が数多く敷き詰められており、
現在彼女が占拠している駅前の大通りに比べて大分狭い道路が、
その合間を縫うように走っているのが分かる。
最後に岬達の居る建物の裏方向にも視線を遣って一通り見渡した後、
美咲は沈痛な面持ちで一つ深く溜息をついた。
周囲に動くもの、即ち人の気配がまるで見当たらなかったからである。
疑っていたと言うわけではないのだが、やはり岬の言った通りだ。
改めて自分が攻撃されようとしているという事実をまざまざと見せ付けられた気分である。
(わたし、悪いことなんて何もしてないつもりなんだけどな…)
心の内でぼやきながら小さく項垂れる(うなだれる)美咲。
静寂に包まれた小さな街に一人ぽつんと佇み、これからのことを考えると否応なく不安に駆られてくる。
と、同時に少なからず不満も湧いてくる。まるで化け物か何かのような扱い、理不尽である。
(…いっそ『ご期待通り』に大暴れしちゃおっか……)
見渡す限り建物は小さく、その殆どは難なく上から踏み潰すことが出来そうである。
(……駅ビルの上までは流石に足が上がらないかな?)
試しに片手を屋上に乗っけて、ほんの少しだけ力をかけてみたりしつつ尚も思考を続ける。
(あ、でも、蹴っ飛ばしちゃえばきっと簡単に…)
程無く乗せた右手を通じて何かが裂ける様な軽い感触があり、そこでやっと美咲は我に返り慌てて手を離す。
一体自分は何を考えているのだろう。小さく頭(かぶり)を振る。
そんなことをするためにこの世界に来たのではないし、して良い筈も無い。
大体、そんなことをすれば岬や弥生に顔向け出来なくなるではないか。
気が付けばビルの窓ガラスには到底誤魔化し様が無い派手なひびが縦に何本も走っている。
もし、こんなところを岬に見られでもしたら、
「お、怒られちゃうよね…たぶん…」
何となく肩越しにデパートの屋上を見下ろし、誰も居ないことを確認して密かにほっとする美咲。
とにかく今は現状を切り抜けることだけを考えることにしよう。

 その時、唸るような低いモーター音が何処からか響いてくるのが美咲の耳に届いた。
はっとして見上げたその瞳が、やがて晴れ渡った空の向こうに小さな何かを捕捉する。
よくよく目を凝らし、それが機影であること、少しずつ大きく、
つまり近づいてきていることを理解する美咲。五つ…いや、六つか。
ちょうど岬達が取り残された建物を背にして立った状態で、真正面の空からこちらに向ってきているようだ。
恐らく戦闘機と言うものだろう、そう結論付けると同時に
緊張で急激に胸の鼓動が早まっていくのが自身でも分かった。
彼女の世界にもやはりそれは存在する。彼女自身は軍事についてそこまで詳しいわけでは無いが、
その役割が言うまでもなく空での戦闘、或いは空からの攻撃であることくらいは知っていたし、
ターゲットが自らであることも最早疑う余地は無かった。
(どどどどうしよう…!?どんな攻撃してくるのかな…?やっぱり結構痛い…よね…きっと。
 わたしは戦う気なんて全然ないのに…。そ、そうだ…何もかも包み隠さず説明してみようかな、
 補習のこととか…ね…寝坊のことも…。で、でも、やっぱりちょっと恥ずかしいし…)
今にも真っ白になりそうな頭を必死にフル回転させて、懸命に打開策を搾り出そうとする美咲。
(…その前にちゃんと話し合いに応じてくれるのかな…。
 そうだ、先ず無防備で敵意が無いことを示した方がいいのかも?
 で…でも、どうやって…!?…あ、そう言えば動物さんは服従のしるしにお腹を見せるんだっけ…。
 じ、じゃあ…武器は隠してませんよーって言うことで服を脱いだ上で仰向けになるとか…!)
と、そこまで考えてから下着一枚でこの道路一杯に寝そべる自身の姿を想像してしまい、
大慌てでそれを打ち消す。
(そ、それは無理、絶対無理ー!……ううぅ…と、とにかく!…えっと…えーと……!)
結局何一つ案も思いつかないままに焦りと緊張だけが募っていき、
そしてそれが頂点に達したと思われた次の瞬間、不意に彼方に見える戦闘機より小さな影が幾つも分離し、
煙を吐きながら自身の方へと突っ込んでくるのが目に入った。
「ぁ…!ミ……」
(——ミサイル!?)
その正体を把握し、思わず恐怖で及び腰になる。
が、すぐに背後の建物に居る岬達のことを考え、踏み留まる美咲。
(だ、駄目、わたしが守らなきゃ…!)
思い直して覚悟を決めると、ぎゅっと目を瞑って大きく両の手を開き、建物の前に仁王立ちになる。
「………………!!」
やがて空を切る音が立て続けに迫ってくるのが分かり、そして間近で炸裂音が幾つもあった。
…のだが、肝心の衝撃がちっとも襲ってこなかった。
(………はれ…?)
幾ら待ってもそれ以上何も起こらないので、おそるおそる片目を開く。
とりあえず自分の体に変調は感じられない。続いてもう片方の目もそろそろと。
そしてゆっくりと辺りを、そして自分自身の体を見回す。やはり特に何事も無い。
(……?)
見上げてみる。
「!!」
と、同時にその目に飛び込んでくる第二波。先程よりも数は少ない。
僅かではあるものの気持ちに余裕が出来たこともあり、
今度はしっかりと目を見開いて事の成り行きを確認してみる。
やはりミサイルは自分の体に命中していた。先程は緊張し過ぎていて気付かなかったのかもしれない。
目視しつつ意識していれば、確かに軽いながらも何かが当たるのを感じ取ることが出来た…わけなのだが、
「……えと…今のが…攻撃……なんですよ…ね…?」
余りの威力の無さに拍子抜けして、きょとんとしつつ誰にとも無く呟く美咲。
自身のエプロンの一部、被弾したと思しきところに僅かな黒ずみが出来ていることに気付くも、
軽くぽんぽんと叩いて(はたいて)みれば汚れは難なく落ちる。
一瞬今の攻撃によって焦げ付き、煤けてしまったのかとも思ったわけだが、
実際には単にミサイルの破片が付着してしまっていただけらしい。
 岬達の前では『大丈夫』なんて大見得切ってはみたものの本当は不安で一杯だった。
少なくとも火傷や怪我の一つ二つは覚悟したりもしていた、ついさっきまでは。
しかし、そんな美咲の憂慮はまさしく杞憂以外の何者でもなく、
思い詰めた気持ちとは裏腹にあっけなさ過ぎる現状に何だかおかしくなってくる。
或いは単なる威嚇か何かなのだろうか。そんなことまで考えてしまうも、
しかし緩みかけた頬は次の瞬間には再び固く強張った。
彼女を外れたミサイルが二発。一発は足元付近へと落ちて地面に大穴を開け、
もう一発はこともあろうに自身の正面にある背の高い駅ビルの上層部に命中してしまったようだ。
一部の天井と壁が崩落し、そこから朦朦と煙が立ち上がっているのが目に入る。
ぽっかりと開いたその穴から中の様子を覗き込んで見れば、壊れたテーブルや椅子が派手に四散しており、
更に被害は床を貫通して、下のフロアにまで影響を及ぼしているらしいことが分かった。
やはり攻撃であることは間違いないらしい。しかも恐らく結構な威力である。
もし、自分が建物を庇っていなかったら岬達が…。
「や、止めてください!ご自分達で町を壊してしまうおつもりなんですか!?」
上空をきっと睨み付け、思わず大声を上げる美咲。
「人が…!この建物にはまだ人が残っているんですよ!?」


「待て!もう撃つな!」
 命令通りに現地に赴き、大方の状況を分析、把握した司令官芝浦は、
全機に伝令を通達してから心密かに納得する。
『信念に順じて』…妙に含蓄あった久木の言葉の真意を今やっと理解した。
或いは自爆特攻をしてでも目的を果たせとでも言わんとしているのか等とも考えたりしたわけなのだが、
成る程そういうことだったのか。

 空から見るその巨大メイドはやはりとでも言うべきか、前評判通りの絶対的な大きさだった。
高層のビルも数多く乱立する駅前の中心部にあっても、
立ち上がったその背丈は群を抜いて高く、大いに際立つ。
しかし、その一方でこちらを見上げるその表情はまだ年端も行かぬ不安げな少女の顔そのものであり、
その瞳には戸惑いや混乱、怯えといったものが入り混じって浮かんでいるようにも思える。
「『故郷を蹂躙する怪物』…か…」
巨人出現の情報をその耳にした時より、芝浦の脳内ではそのような固定的な観念が出来上がっていた。
体長200mを越す生物など、疑う余地も無く見るも恐ろしい化け物であるに違いない、と。
しかし、いざ自らの目で実情を確かめてみると、どうにもこの表現は不的確に思えてならない。
遥か上空、遠くから見下ろしているからなのであろうか。
周りの風景さえ気にしなければ、その外見は普通に器量の良い大人しそうな少女で通る。
その為、攻撃することには一抹の躊躇い(とまどい)を覚えたというのが、芝浦の正直な心中だった。
とは言えそれがこの国に対して害悪であると判断された以上、速やかに排除しなければならない。
その為に既に陸部にも協力を要請した。今更何もせぬまま彼の一存で撤退することは叶わない。
芝浦は静かに、しかしはっきりと攻撃の命令を下したのだった。
 その後の展開には芝浦も予想だにしていなかったことが幾つも起こった。
まず、一斉に放たれたミサイルは予測通りに巨人に全弾命中し大爆発を起こしたわけなのだが、
その直前、巨人が取った行動はまるで攻撃を自ら受けにいくようなものだったということ。
あれ程怖がっているように見受けられたにもかかわらず、
巨人は逃げようともせずにその場で大きく腕を広げると、衝撃に備えるように目を硬く閉じて俯いた。
その様子が、芝浦の目に何とも不自然なものに映ったのだ。
しかしそれ以上に驚くべきことは、爆発による煙が晴れた後も、
巨人は攻撃前とまるで変わらぬ状態でそこにあり続けたということである。
あれだけの集中砲火を受けたにもかかわらず、倒れもせず、仰け反りもせず、
それどころか服も破けておらず、かすり傷一つ見当たらない。
やがておっかなびっくりといった具合に顔を上げて状況を確認するその様子には、
自身に仕掛けられた総攻撃がいつ届いたのかも分からなかったといった風であり、
先程とは打って変わって不思議そうな表情をこちらへと向けてくるではないか。
しかし、芝浦はこの時心のどこかでほっとしている自分がいることに気が付いた。
と、同時に堪えきれず苦笑いを浮かべてしまう。
攻撃は全く効いていないと言う、明らかに悲観すべき最悪な状況だと言うのに…。
これ程強大な敵に対して感情移入してしまうなんてことがあろうとは。
「ん…!?ま、待——!!」
 が、幾ら精鋭とは言え、そのような状況に平静な神経を保っていられる者ばかりではない。
必勝の気合と絶対の自信を以って執り行った一斉攻撃であったにもかかわらずまるで無傷で立ち続ける大敵。
それに狼狽した部下達が、命令無しに再び彼女に向けて反射的に次弾を発射したのである。
しかも、慌てふためく余り照準を絞り損ねたのか、
攻撃が外れてしまい、付近の建物の方を破壊してしまっていたりしている。
一方の巨人はと言えば、先程と同じくどう見てもダメージは無さそうである。
 例えば目を潰すのはどうだろうか。考える芝浦。
しかし結局その体に決定的な打撃を与えなければ意味が無い。ならば、口の中はどうだろう。
もしかすると攻撃が通るかもしれない。しかし生憎少女はしっかりと唇を結んでいる。
では一点集中攻撃、或いは旋回して背後より攻撃を加えるか。しかし絶対的に火力不足である感が否めない。
やはり一旦退いて陸部の到着を待つのが最善なのだろうか。
何にしても、先ずは部下を落ち着かせて統制を執り直さねば。
そう結論付け、通信機より全機に呼びかけをしようとしたその時だった。
巨人がこちらをきっと睨みつけ、おもむろよく通る大きな、しかし澄み渡った愛らしい声で叫んだのは。
「人が…!この建物にはまだ人が残っているんですよ!?」

『な…何ですってっ!?』
「撃つな、と言っている」
 通信機から響いてくる驚きとも戸惑いともつかない部下の一人の声に
応える形で芝浦はもう一度はっきりと告げる。
『な、何故です!?』
「聞こえなかったか?まだあの建物には人が残っているそうじゃないか。巻き込む危険がある」
『そんな虚言…!信じるって言うんですか!?』
「…虚言?」
『そうです、きっと攻撃を回避するための出鱈目か何かに…!』
「…その可能性は極めて低いだろう。何しろ…ターゲットは無傷だ」
『では人質…』
「……お前は本当にそう思うか?」
『………。いえ…寧ろ私には…その…』
若干の間があった後に応える部下。しかし途中で言いあぐむかの様に黙り込む。
排除すべき敵に対して好意的なものの見方をすることに戸惑いを感じたのだろう。
察した芝浦は同意し、彼の言わんとすることを完結させる形で言葉を次いだ。
「ああ、私にもそう感じられたよ。彼女…巨人はあのデパートを…恐らく中に居る人間を守ろうとしている」
『し、しかし…そんな…命令を言い渡された際に…そもそも避難は完了したと…』
「まぁ…上が止めたんだろうな」
この推測はかなり確信に近い。そして、久木は恐らくこのような事態を考え、
柔軟に対処することを望んで曖昧な物言いに留めたのではなかろうか。
現に芝浦にとって民間人を巻き込み犠牲にすることは信念に大いに悖る(もとる)ことであり、
同時にそれは久木の価値観とも近いものがある、それは芝浦自身も日頃から感じていたことであった。
もっとも、当の巨人が人々を守った上で、その情報をこちらに伝えてこようとは、
さしもの久木も予測はしていなかったかもしれないが。
『………では、どうする積もりでありますか?我々はあくまでも隊長である貴方に従います』
一呼吸置いた後、電信機の向こうからは平静に戻った声があった。
一時的にこそ取り乱してしまったようだが、やはり自ら直々に選出した優秀な若者達、頼もしい限りである。
こうして信頼できる者達と共に戦場に立つからこそ、自分も安心して戦えるのだ。
部下達を心密かに誇らしく思いながらも、それを表に出すことは決してせず、芝浦は厳かに命令を通達する。
「…そうか。ならば、これより空対地ミサイルによる遠距離攻撃から、
 機関掃銃を用いた近距離掃討へと移行する」
『そ、それは危険過ぎます!』
流石に反駁の声が上がる。確かにもっともだが、
「手が届かぬよう距離を取れば問題なかろう。見たところターゲットに特別な武装はなさそうだ」
『………し、しかし…!では、せめて陸部と合流してからでは…?もうすぐそこまで…』
「陸部にはひとまず待機を指示しておく。…今後の作戦の為にも是非とも確かめておきたいことがあるんだ」
『確かめたいこと…ですか…?』
「ああ」
そう、これまでの巨人の言動から、どうしても導き出されてしまう己の希望的観測にも近しい甘い見解。
しかし、あながち外れているとも思えないのだ。
即ち、その言葉通り、我々人間に対して、あの巨人は本当に敵意を持っていないのではないか、ということ。
もしそうであるのならば、尚も戦闘を続行するのは失礼な事この上ないのだが、
やはりもっと強い確証が欲しい。
そして、それ次第では散々攻撃を仕掛けておいて何ともムシの良い話ではあるものの、
或いは事態を穏便に沈静化できるかもしれないのだ。
「…とにかく慎重に…周囲の建物を壁代わりにして手の届かぬ位置を絶対に保つんだ。
 それと…あのデパートには人が残されていることを念頭に置き、背後からは極力攻撃をするな。いいな」


「くっ…!」
 美咲は小さく唇を噛んで、自身の周りを飛び回る小さな飛行物体達を睨み付ける。
間近で見る彼らは思いの外小さく、蜻蛉(とんぼ)程度の大きさで形は概ね三角形。
先程は呼びかけに応じて止まってくれたのかと一瞬は思ったのだが、しかしどうもそうではなかったらしく、
今は距離を詰めて再び攻撃を開始してきているようだ。
とは言え、これまでのような派手さは無く、痛みなど感じないのは相変わらずなわけで、
間断無く響き渡る銃撃音が無かったのならば、自身が攻撃を受けていることすら分からないことだろう。
それ程美咲にとって彼らの武器など無力な存在だった。
しかし、それでも小さなこの世界の人々に対しての殺傷能力を否定することは出来ない。
もし流れ弾が背後の建物に飛び込んで誰かを、特に岬や弥生を傷つけてしまったら…。
そう考えるともう気が気ではない。
一刻も早くどうにかしなければならない。説得で止まらなかった以上、たぶんもう力でねじ伏せるしかない。
先と比べれば、彼らはかなり近い位置を飛び回っているわけだが、
それでも手の届く範囲には絶対に入ってきてはくれない。
(で、でも…やるしかない!)
岬の言葉通り、確かに周囲に人はいなかった。自身でも確認したから間違いはない。
美咲は遂に意を決する。と、同時に課題のために色々と詰め込んできたポケットの中から、
選んで引っ張り出したのは一振りの…竹箒だった。
当然『掃除』と言う用途を目的として持ってきたことは言うまでもないが、
勿論今はそんなことをするために手にしたわけではない。
美咲はそれを両手で持って、従来とは逆、即ち穂先を上にして構えると、
心を落ち着けるべく一つ大きく深呼吸をした。
「やああああああっ!」
 刹那一番手近の戦闘機に向かって最速、最短距離で詰め寄るべく、美咲は思い切り地を蹴った。
黒靴がミサイルよりも深く大きくアスファルトを抉り、
美咲はまるで眼前にある駅ビルが存在していないかのように、
自身の慣れた高さで力強く踏み込む。当然の如くそれを跳び越すことは叶わず、
靴の先端はそのビルの上の方につっかかる。しかしさして気にすることなく、
そしてまるで邪魔になることもなく、彼女の左足は建物の上層部分を蹴り抜き、
粉砕しながら突き進み、建物が有する駅の幾つかの線路とフォームを容易く跨いで
彼女の思った通りの場所に着地する。
その裏手は一方通行の路地となっており、民家やアパート、コンビニ等といった
小さめの建物が軒(のき)を連ねているのであるが、当然彼女の靴がその細い通りに収まり切る筈も無く、
彼女の大きな足跡に巻き込まれて瓦礫と化して沈み込む。続いて二歩目。
つい今しがた彼女が蹴り砕いたので、右足がビルにぶつかることは無かったものの、
長いスカートの裾がふわりと広がり、背後で上階層の吹き飛んだビルの残骸へとひっかかるのを感じる。
しかし美咲は気にすることも、止まることなく、そのまま右足を前に出す。
彼女のスカートに引きずられる形でビルは更に崩落し、
駅のすぐ裏手に近接する家屋や道路へとばらばらと崩れ落ちて『些細な』被害をもたらした。
そう、そんな一見凄惨とも言える状況も、美咲自身の動作の直撃を受けた地帯に比べれば
本当に可愛いものだった。実際、彼女の右足が勢い良く踏み下ろされたその先はと言えば、
半円形ドーム状の屋根が続くアーケードの商店街であったのだが、
白濁色の屋根は美咲の重圧に対して一瞬たりとも耐えることは叶わず、
当然の如くぶち抜かれて左右に連なる何軒もの店諸共に圧縮され、瞬時に姿を消す。
同時に運良く直下を避けた店達も地響きや風圧で吹き飛び、倒壊し、
こうしてたった一歩で商店街は全体が壊滅してしまったわけである。
(よし…届く!)
しかしそんな足元の惨状など、今の美咲の目には入ってはいない。
ただ真っ直ぐに目的の戦闘機を見据えて手にした等身大の箒を力強く振り下ろし、
そしてそれが当たるギリギリのところでブレーキをかけた。
勿論思い切り振り下ろしているのだから完全に止まりはしないのだが、
こうすることで威力はかなり抑えることが出来る。
美咲の世界においては、戦闘機をはじめとして危険に直面するケースが多いこの手の乗り物は、
遠隔操作、或いは人形が搭乗し、無人であることが主なのだが、
この世界ではそこまでの技術はまだ無いと思われた。
それは先の岬との会話や警官隊の様子からも何となく窺うことができた。
つまり、この機体の中にも人が居る可能性が往々としてあると言うこと。
だからこそ叩き(たたき)潰すのではなくあくまでも叩き(はたき)落とす。
いくら一方的であるとは言え、まるで実害の無い攻撃に対する応酬として命を奪ってしまうと言うのは、
美咲としてはどうしても気が引けるし、気の毒で、何となく理不尽な気もしたのである。
彼女の思惑通り、飛行機はどこかしら損傷したらしく、ふらふらと失速していく。
それを確認した後、美咲は次の目標を横目に捉えて箒を構え直し、今度は真っ直ぐ横に振るった。
その狙いは寸分狂うことなく、ターゲットをかするか否かのギリギリ上を薙ぎ払い、
その一撃を受けて二機目もまた同様に即墜落はしないまでも、戦闘は不可能となったらしく、
よろよろと戦線から離脱していく。
相手もプロであり、爆散さえ避ければどうにか不時着でもすることだろう。
彼女はそれを願いながら細心の注意を払いつつも、同じ要領で次々に戦闘機を落としていく。
突然の美咲の動きに対応しきれないのか、はたまたそこまで機動性が良いわけではないのか、
彼らの動きを捉えることは美咲にとってそう難しいことではなく、みるみるその数は減っていった。
(…あと一機!!)
いよいよ次で最後。と、その時だった。
「あ——!!」
美咲は突然自分の重心が傾くのを感じて思わず声を上げたのは。何かに躓いた…わけではない。
彼女の動きを遮ることができるほど強固なものなどあろうはずがないのだから。
実際建ち並ぶ低層の家屋など彼女の感覚ではちょっとした凹凸程度のものであり、
極々軽い感覚だけを彼女の足に伝えただけで、儚く粉砕されて廃材になり果てている。
(す…裾が…っ!!)
それは『純然たる自爆』としか言いようが無かった。
いや、むしろ丈の長いスカートでこれだけ激しく動いていながら未だに転んでいなかったこと自体、
彼女からすれば奇跡的なことだったのかもしれないが。
「あ…!…あ…ああ…あややややや……わーわー…!」
どうにか手をバタつかせて、バランスをとろうとするも、勢いを殺しきることは叶わず、
本来『一見』無事に済む筈だった…もとい、かろうじて倒壊を免れていた足下付近以外の広い範囲の
小さな家並みを、その腕や胸、腹で容易く、そして尽く潰しながらうつ伏せに倒れる美咲。
本日一番の地響き…と言うより天変地異と言っても遜色無い様な轟音と衝撃、
そして土煙を撒きあげながら地面に衝突する。
『ズズズズズズズズズズズズズドドドドドドドドドドドゥゥゥゥゥゥン』
「ふぎゅ…」
一帯に大災害にも等しい甚大な被害をもたらしながらも、口を付いて出るのは情けない悲鳴。
顔面は四階建ての小洒落たマンションにまともに突っ込み、それをいとも簡単に圧壊させる。
「あううぅ……………」
美咲はその顔を持ち上げて軽くふるふると振るい、壁や天井、家具と言った、
その建物を構成していたありとあらゆるものをまとめて振るい落とすと、
殊に強打してしまったおデコをさすった。少しジンジンする。
この世界の建物に頭をぶつけてしまったことに関しては、恐らくまるでどうってことはないのだが、
やはり自身の全体重を乗せて転べば当然痛いに決まっている。
「う…?」
と、そこでぴたりと動きが止まる。うつ伏せになって上半身だけを起こした状態のままで、
目をぱちくりとさせてその眼下の光景に見入る美咲。たまたまそこで家並みは途切れており、
広い通りへと顔を出したような格好で倒れこんでしまったようだが、
ちょうどそこには箱状の車両七台が居合わせていたのである。
皆一様に前方に向かって筒状の突起を有している、鋼鉄製の車両達。
二台ほどひっくり返っているのは転倒した拍子に巻き込んでしまったのだろうか。
とりあえず潰してしまったわけではないようだ。
(…これって多分…戦…車…?)
その推測は容易かった。互いに無言のまま見詰め合う(?)こと暫し。
おもむろに砲口がこぞってこちらへと向く。
「…あ…えっとぉ…」
気付いて何かを言おうと口を開いた瞬間に眉間に一発見舞われた。
「ひゃぁ…!?」
思わず声を上げる美咲。それを皮切りに無事な戦車達の一斉砲撃の洗礼を受ける、それも顔中あちこちに。
慌てて手でそれを庇いつつ半身を引き起こす。
「や…!ちょ…待って…!」
そうすることで腹より上には砲撃は届かなくなるも、
諦める積もりはないらしく途切れることなく攻撃は続く。
「もう、あんまりです!いきなり顔を撃つなんて!」
痛みは無かったものの結構驚かされたこともあり、少々むすっとして座ったまま戦車達を見下ろす美咲。
が、程なく口元を緩めて少々悪戯っぽい笑みを浮かべると、
「えい」
不意に彼らの視界を覆うようにその甲を向けて右の手を下ろし、
最初に攻撃をしてきた戦車を軽く爪先で弾いてやった、当然かなりの力加減をしてではあるが。
そのお陰と言うべきなのか、幸い戦車は粉砕することもひっくり返ることも無かったわけだが、
それでもおはじきさながらに回転しつつ、他の戦車三台を巻き込み、弾き飛ばし、
ペーブフェンスを軽々と破ってその背後にある建物の一階にめり込んでしまう。
「え…あ…ご、ごめん、ごめんね?」
自分でやったことながら、予想外に多大な影響を与えてしまったことに、
怒りもすっかり冷めてしまい思わず手を引っ込めて謝る美咲。
しかしそれでも今の一撃はかなり効果的だったらしい。砲撃はすっかり止んでしまい、
まだ可動な戦車達は即時撤退を決め込むつもりのようで、スモークを炊きつつすごすごと後退していく。
「あ、ダメですよ」
が、美咲はそれを許さなかった。素直に帰ってくれるのならばとこのまま見逃そう。
一度はそうも考えたのだが、撤退した振りでもして
後々忘れた頃に反撃でもされようものなら、それは少々困る。
何しろ美咲にとって最も恐るべき事態はその攻撃に岬達を巻き込んでしまうことなのだから。
念を入れておくに越したことは無い。
遥か上よりその様子を見下ろす美咲にとって彼らをどうにかすることなど容易い。
座ったままで少しだけ半身を乗り出して、二方向に別れて逃げて行こうとする三台を手早くあっさり浚うと、
とりあえずは太腿の上へと下ろした。そこから更に一台だけを眼前まで摘み上げて、
もう片方の手の人差し指をゆっくり這わせながら具(つぶさ)に観察してみる。
先程の攻撃から考えて、真ん中から生え出ている細い筒が
この車両の主要武器であることはすぐに察しが付く。
それはそうと、どうにかして手から脱そうとしているのか、
時々キュルキュルと音を立ててキャタピラが指の腹をこすり、少しくすぐったい。
それに戦闘用の車両の割には何だかちんまりして四角く、
小さな亀か何かのような印象を受ける。愛嬌があるようにも見えなくもない。
そう言えば、自身の顔を正確に砲撃したり、綺麗に隊列を組んだりしていたようだが、
一体何処から外の様子を窺っているのだろうか。一見窓はついていないようだが。
そんなことをふと疑問に思い、ひっくり返したりそっと指で突付いてみたりしていた美咲だったが、
「ぁ…!」
突然小さな声と共にはたりとその動きは止まる。
今まで好き勝手、散々弄くったわけだが、そういえば中には人が居るのだった。
些か申し訳ないことをしてしまった気がする。慌てて水平状態に戻し乗員の身を案じる。
(………酔っちゃったりしたかな…)
それに悠長に観察している場合でもなかった。
とりあえず、拾い上げた本当の目的を遂行しなければ。即ち戦車の動きを封じること。
美咲はそっと人差し指の腹をぴたりと砲門に押し当てると、少しばかり真っ直ぐ力を込めた。
程無く、まるでクッキーの生地を練るようなそんな柔らかい感覚を残して、
砲身は曲がったともひしゃげたともつかない不恰好な形に成り果て、使い物にならなくなる。
ついでに上部に装備されている機関銃も軽く爪で引っかいて取り外し、と言うよりへし折った上で、
「ひっくり返しますね?」
と、一言断ってから今度はゆっくりと上下を逆さまにして、
手近にあってまだ無事である五階建て程度の建物の屋上にそっと下ろした。
そこそこの高さがあれば下りられないことは己のエプロンの上を迷走している二台から、
自分では起き上がれないことは路上で未だに引っくり返ったままでいる
戦車の様子から容易に結論付けることが出来た。
こうして戦車三台はあっという間に戦闘どころか行動すら不能と成り、
ビルの屋上に取り残されたのであった。

 屋上で綺麗に三台並んで腹を見せている戦車(去勢済み)を見下ろして小さく安堵の笑みを浮かべた後、
美咲は立ち上がると一通り服の汚れを払ってから、転んだ際に取り落としてしまった箒を拾い上げて、
ポケットの中に仕舞い込んだ。それから、今一度辺りを見渡して今度こそ敵がいないことを再確認し…
と、そこで先程取り逃がした戦闘機が、まだ自身の上空周辺を飛んでいることに気付いた。
さしあたって攻撃をしてくる気配は感じられないが、
しかし退くわけでもないらしく、美咲の胸の内に一抹の不安が残る。
もし、仲間でも呼ばれようものなら、これまた厄介なことになってしまう。
とは言え、戦車達とは異なり手は届かない。
いや、届く方法もあるにはあるし、その上至極簡単なのだが、
安易にそんなことをすればどれ程の範囲に被害を出してしまうか計り知れない。
などと思いつつ改めて足元を見遣り、思わず表情を引きつらせて凍り付いてしまう美咲。
「え、えーと…」
今まで岬達を守りたい一心で、無我夢中で行動していて気付かなかったわけなのだが、
もう既にかなり酷い事になっている。
(………でも、やっぱり…)
それでもこの小さな世界が、脆弱な人々がますますその度を増すと言う事態は出来れば避けたいし、
それをしてしまったら戦闘機を破壊することなく捕獲できる自信もまるで無い。
何より、下手をするとこの位置からですら岬達を危険に巻き込んでしまうかもしれない。
それでは元も子もないではないか。
(………やっぱりダメ。うー…どうしよう…)
すぐにそれを取り止めて別の方法を模索すること暫し。
やがて考えが纏まった美咲はゆっくりと歩みを進め、道に取り残された戦車隊のすぐ近くに立った。
それから顔を上げて、空へと退避した一機に対して極力穏やかな調子で呼びかける。
「あの…なるべく速度を落として、わたしの手の届くところまで下りてきて下さい」
踵は地に着けたままで足先だけを軽く持ち上げ、
今も尚ひっくり返ったままで動けずにいる戦車にそっと乗せながら言葉を続ける。
「えっと…一応人質と言うことでどうですか?
 とりあえず何もする気はありませんが、あなたが言うことを聞いて下さらないのであれば…」
これで言わんとすることは十分伝わることだろう。
些か乱暴なやり方である気もするし、勿論本気でそんなことをする気は無いのだが、
他に的確だと思われる物言いが考え付かなかったのだから仕方がない。
「もし素直に聞き入れて頂けるなら、あなたも戦車さんも安全は保証致しますから」
余談ではあるが、出来れば早く下りてきて欲しかったりもする。
と言うのも実はこっそり爪先を浮かせているため、
ただ乗せているよりも足の甲が張って、少々きつかったりするのだ。
普通に乗せようとしたら、靴の下で何かが軋むような感覚があって、思わずびくりとしたのは内緒である。
 そうして暫く様子を窺っていると、戦闘機がこれまでと比べて、
目に見えてスピードを抑えながら彼女の頭上辺りの高さまで下降してきているのが分かった。
どうやら今度こそ自身の言葉に従ってくれるつもりらしい。
美咲はそれを確認してから足を退けると、今度はスカートの裾を両手で摘んで大きくふわりと広げて見せた。
受け止めるから、ここに降りてきて欲しい、
と。そうすることで多少なりとも衝撃を緩和する…と思う。美咲なりの気遣いの積もりであった。
『ぽふり』
やがて、相手がそれを理解してくれたのか、
彼女の思惑通りに軽い感触と共に彼女のスカートが戦闘機を包み込む。
覗き込んで、しっかりとそこに戦闘機があること、とりあえず無事そうなことを確認して小さく息をつく。
それからそっと拾い上げ、一応捕らえた虫が逃げないようにとでも言ったような感覚で、
両手ですっぽりと包み込むようにそれを胸の高さ位まで持ち上げると、
美咲は満足げな微笑みを浮かべて言った。
「はい、よくできましたぁ♪」
何となく子供扱いしてしまうのは彼らがとても小さいことも一つの原因だったが、
まるで小さな幼子のようになかなか聞き分けが悪いから、と言うのも或いはあるのかもしれない。
かぶせた右手を離し、人差し指と親指で紙の様な右翼を挟んで少しだけ力を込める。
『パキリ』という軽い音と共にいとも簡単に翼はもげた。これで全部である。