第二話『行脚』


【Ⅰ】断り

 架けられていた巨大な橋は三本とも寸断され、飛行機もフェリーも政府が特例を認めたものを除き軒並み欠便。
本島とこの島との行き来が不可能になったのは今朝になってからのことだった。
もっとも政府としてはすぐにでもこの島を完全隔離し、巨人…美咲の『封じ込め』を図りたかったらしい。
しかし、今回のことで島を出ることを望む者が多数出てくるのは至極当然のことであるし、
逆に島に渡りたいと考える人間も少なからず存在する。それらを皆一様に高圧的に抑えてしまったのでは、
ただでさえ特異な事態に煽られて浮き足立っている大衆、感情に任せて何をしでかすか分からない。
そのような懸念より封鎖までに猶予を与えたわけである。勿論それに間に合わないものでも政府に申請し
認可が下りれば行き来は可能であるらしいのだが、その審査、とりわけ入島については相当厳しいことは言明されている。
結果、人民大移動は丸一日をかけてひっきりなしに続き、島民の人口は400万人から…そこまでの減少は見せなかった。
出て行く者も多くいる一方で、故郷に愛着を持つ者、そこに家族が居る者、命知らずで好奇心旺盛な者、
余り気にしない者等々、様々な思惑を持つ人間が島に居残ることとなったからである。中には美咲の一連の行動を見て、
彼女を恐怖の対象では無いと判断する者達もいたのかもしれない。
 尚、本土では緘口令(かんこうれい)が布かれ、今後は件の巨人に関する話題や記述、報道を一切禁止したそうで、
まるで何事も無かったかのように日常を取り戻したそうだ。ただ一つ、突然謎の増税があったことを除いては。
もっともそれを追求、批判する者はただの一人も居なかったようで。
それが『島に巨人を押し付けるが故の代価』であることは皆の内に暗黙の了解としてあったのだ。
そうして、美咲が破壊した物の修繕は全て公費で賄われ(まかなわれ)た。
また金銭面の他にも、食糧面、エネルギー面等で政府は多大な支援を島に為し、
その一方で『生命』など万一の際に賠償し切れないものに関しては、完全にその補償を放棄した。
要するに『自らの意志で残った自分勝手な命知らずの安全までは知ったことか』とそういうわけだ。
 …ちなみに人間に対しては完璧に近いこの政策だが、肝心要の美咲に対しては無意味に等しかった。
何しろ元より彼女の巨体は橋を渡れる筈がないのだし、内海の水深は平均約40メートル、最高でも100メートル強しかない。
つまり泳げない彼女であっても容易に歩いて縦断が可能と。とは言え彼女当人は別段本島に興味があるわけでもないらしく、
結果的にこの封鎖は一応成立したこととなった。『勿論旦那様の仰せ付けがありましたら、いつでも行って参りますよ』
笑顔と共にさらりと出た彼女の一言が、如何にこの体制が形式的で薄っぺらいものかを物語っているようにも思えたが。
 かくして島は、全島圏総局(島の中心となる役所)を介して政府からのある程度の干渉を受けるものの、
実質的に同総局長(一応島で一番偉い人)を中心として独立した…と言うか孤立した半自治区と相成ったわけである。


「………それで…お前は一体ここで何してやがる?」
岬はかなりイラついた様子で椅子に座る男を睨み付け、吐き捨てるように言った。
こうして直に顔を合わせるのは五年振りか。電話でも感じたことだがこの男、ちっとも変わっていない。
しかし、まさかここに居るとは思わなかったと言うのが正直なところだ。
端正な顔立ちに不敵な笑みを浮かべ、悪びれた様子も無く久木俊英は立ち上がって口を開く。
「やぁ、これはこれは翼君。ようこそ、いらっしゃい」
「名前を呼ぶな…それも偉そうに…」
ますます不機嫌になる岬。
「まぁ立ち話も何だから座ったら?」
お構いなしの久木は応接机に彼を促し、自らも腰掛ける。
「で、こんなところで何やってるんだ?」
再度問う。
「見ての通り、全島圏総局長に就任した」
そう、確かにここは全島圏総局の局長室。
「はぁ…?…桑山総局長はどうした?」
「ああ、あのじいさんなら政府が封鎖令を発表して一時間もしないうちにとっとと荷物まとめて出て行ったらしいよ?」
「…」
あのじじい、選挙の時にはこの島出身であることを強みにして、『島を愛し、島と共に散るカクゴ』とか何とか
大仰なことをぬかしてなかったか。
「で、お前が…か?」
「上からの任命だよ」
軍部で比較的上位に立つ者が退役後政界に、なんて言う話は時々耳にするがこれは幾らなんでも若すぎる。
と言うかこの状況では、どう見ても貧乏くじを引かされたようにしか思えない。
「栄転…ではないよな。左遷か?」
「別にどっちでも構わないさ。ま、巨人を仕留め損ねたわけだし」
「だけどお前…軍部ではかなりの重役だったんじゃないのか?」
後で芝浦から聞かされた話によって久木が師団長であることを知った時には、さほど軍部に詳しくない岬でも
流石に驚きを禁じえなかった。それが如何に凄いことであるかくらいは容易に察しがついたからだ。
同時に芝浦が久木よりも下位であるということに対しても。もっとも芝浦自身は毛ほども気にしていないようで、
それどころか久木のことを『大した若者』と称し、えらく買っていた。
「ん、まぁそこそこ」
短く答える久木の顔を覗き込む。
「そっちはどうなってるんだ?」
気になった。何しろこの先最も美咲と接点がある…と言うより基本的に彼女と対峙することがあるとすれば、
それが第十四師団であることはまず間違いないのだから。
軍本部の今後の方針については、芝浦が(勿論彼の独断で)包み隠さず話してくれた。
故にその動向は岬にも筒抜けなのだが、その言によると上層部の連中は美咲の抹殺を決して諦めたわけではないらしい。
『限り無く臨戦に近い停戦』彼は軍部の現在の姿勢をそう称し、困ったものだと零していた。
本土首都では、今も尚秘密裏に対巨人作戦本部なるものが設置されており、この『封鎖』によって時間稼ぎをしている隙に
作戦を立て、好機と見れば島に在する軍部基地(つまり第十四師団)を介して実行させることも充分にありうる、
と言うことになっているそうだ。
「兼任するよ…と言いたいところだけど流石にちょっと厳しいからね。心配御無用、代理を立てておいたよ。
 当人は相当渋ったけどね。こういう事態だからって押し切った。ま…誰かは言うまでも無いよね?」
おかしそうに言う久木。
「芝浦さん…か?」
「正解」
「そうか」
とりあえず一安心だ。
「しかし、何だ…臨時ね…。軍部の内情なんぞ俺は知らないからこんな風に思ってしまうのかもしれないが…
 正直芝浦さんが正規の師団長って方がしっくり来るな…」
「あーうん、まぁね。それが普通の感覚なんじゃないかな。と言うかむしろ僕だってそう思うよ。
 でも、なにぶん奥ゆかしい人だからね、なかなかどうして…」
まるで気分を害する風でもなく久木は言ってから、思い出したように尋ねてくる。
「ところで、何の用?」
「あ、ああ、そうだったな。美咲のことなんだが…」
すっかり忘れるところだった。
「ミサキ…?ああ、はいはい…今回の騒動の元凶になったヤツの名前だったかな」
「………ああ…」
「ソイツが妙な約束だか契約だかを交わしてくれちゃって今の事態はあるわけだよね?」
「…お前、何か俺にあてつけてないか?」
「イヤだね、気のせいだよ、翼君」
「………」
「で?話を続けてくれる?」
「あ?ああ…『この島でお世話になるので歩き回って皆さんに挨拶したい』だそうな」
そう、わざくれ朝一にこんな辛気臭い役所を訪れたのは、その許可を取って欲しいという美咲からの強い要望があったからだ。
で、一体全体何処にそれを申請すべきかと考えを巡らし、とりあえず一番順当と言うか、無難と言うべきか…
そういう理由で岬が此処を選んだわけである。
「そう、ご随意に」
久木は短くそう答えただけだった。
「えらく投げやりだな、おい…。もう許可というより放任って感じじゃないか」
「その通りだけど?」
「何だよ、それ…。こう、市民を避難させるとかだな、何か対策とか考えてないのか?」
「知らないよ、そんなこと」
「お前…」
「あのさ…いいかい?言っておくけど僕達がどんな対策を立てたってね、もしアレ…あぁ…いや、あのコがその気になったら
 この島…延いてはこの国を滅ぼすことだって簡単…とまではいかないけれども不可能なことではないでしょ。
 つまり、僕たちはその気まぐれによって生かされている無力な虫けらのようなものってことになる。
 そうだよね?何しろ僕達が絶対の信頼を置く兵器は、尽く通じなかったんだからさ」
「嫌な言い方だな…。美咲はそんな風には思っていない」
「そう?まぁそうかもね。しかし『純粋な力』と言う観点から客観的に見た場合の話、だよ」
「…!!彼女は人間だぞ!?」
「そう。それならある意味兵器よりも性質が悪いってことになるよね?」
「………」
「今は僕達に対して温厚なな態度で接してくれている。でも、人間なら例えば…気変わりだって往々にしてあるでしょ?
 ある日突然、こんな取るに足らない小人に気を使うのがイヤになって…」
「ないね。ほぼありえない」
「へぇ…?やっぱり『ほぼ』なんだ」
「………」
「それでも凄いね。オマエがそこまで言い切るなんてさ。随分肩を持つじゃない。何?もしかしてああいうコがタイプなの?
 ふーん…そっかそっか…確かに素直そうだし、可愛いし、胸も大きいみたいだけど…確かまだ16歳なんだってね?
 …16歳は…まずいよねぇ?」
「何がだよ…」
「ロリコン」
「あのなぁ…」
「じゃあ犯罪者?」
「…警察官だ」
「………ま、実際はオマエの希望的観測も多分に含まれているってトコでしょ?」
久木はそこで一瞬間を置いてから、静かに、しかしはっきりと言い放つ。うんざりするほど的確な観察眼である。
「…まぁ、会ってみればわかるさ」
そうとしか言いようが無かった。
「ふーん…じゃ、オマエはどうなの?」
「…俺?」
「オマエはあのコのご主人様、なんでしょ?主人の言うことなら結構何でもきいてくれるんじゃない?
 この国の人間全てがその足元にひれ伏す、とか。僕はなかなか素敵なことだと思うけど?」
「………まるで興味無い…と言えばそりゃ嘘になるけどな。…まぁでもやっぱりそんなの実行する気は起きないわ。
 大体…美咲がそんな命令に応じるわけ無いだろ?」
実際のところはどうであれ、敢えて確固たる断定口調で、もっともらしく同意を求めてみたが、
「さぁ、どうかな?僕はオマエ程あのコの事を知らないからね」
それを手放しで首肯するほど久木俊英と言う男は軽率ではない。
「……でも…ま、オマエがそう言うのならそうかもしれないね」
そう付け加えてくるも、果たして何処まで本気で言っているのか怪しいものだ。
「勿論俺だってそんなことを言いつける積もりはさらさら無い、というよりそもそも美咲に何かをさせる気は無いんだよ」
「ふーん…まぁ、これでもオマエのことは結構信用しているから」
「それはどうも」
「もっとも…何もオマエが命令を下さなくても、そしてあのコが望まなくとも、
 言いなりに動かす方法くらい幾らでもあると思うんだけどね」
「…どういうことだ?」
久木は右手で拳銃のような形を作り岬の方へと向ける。
「分かっているクセに。だから芝浦さんは巨人の目的について『ただの社会見学』って具合にぼかして、
 オマエと言う存在についても極力隠匿しようとしているんでしょ?」
「………」
「どうやっても倒すことの出来ない圧倒的な力…それは脅威であるけど、もし自らの思惑通りに動かせるのなら
 …実に頼もしいよね?長年うだつの上がらなかった外交的な地位も一気に向上しちゃったりして」
「美咲は…敵ではないし、言うほど危険でもない…多少ドジではあるけどな。ましてや兵器なんかには断じてならない」
「だけど少なくとも上層部はそうは思っていない」
「………」
そこで右手を解いて(ほどいて)小さく肩をすくめ、久木は続ける。
「ま、何にしてもあのコがこの世界…この島に留まる以上、僕達人間との接触は不可避だからね。
 だったら、より慣れてもらうためにも特別なプログラムは布かないほうがいいと思ったワケ」
「なんか最後、えらくとってつけたような物言いに聞こえるんだが…?単に考えるのが面倒だっただけとか、
 そういうのじゃないだろうな…」
「あっはっはっは、イヤだね、翼君。付け焼刃で全島に遍く対策を布くなんてどうせ無理だろうから端っから丸投げしただなんて
 そんなことあるわけないじゃないか。ああ、それと…もっと空気を読むってことは覚えたほうがいいんじゃないかな」
「…お前が笑うと気持ち悪い」

 とは言え、久木が無策であることも断じて無く、部屋を出た岬の手には双眼鏡と分厚い紙束が握られていた。
『特別図解☆平時の島内における通行推奨(+可能)道路一覧!! 【ご主人様用】』
しかし、明らかに人を食ったようなその表紙とは裏腹に内容は恐ろしく細密ななもので、島を走るあらゆる主要道路に対して、
広さ、強度、基本的交通量、地下施設の有無、総合的な重要度等、様々な観点から慎重な考察が為されており、
美咲が歩くに相応しい道がピックアップされている。この短期間でこれ程の資料を作り上げたかと思うと正直恐れ入る他ない。
『ま、せいぜいしっかりナビでもするんだね。それと、幾ら自主避難って言っても最初はきっと慣れないだろうから、
移動する際にはなるべく予め僕か芝浦さんに連絡を。そしたらパニック状態にならない程度には手を打てる様にしておくから。
それから、ラジオで一つ専門チャンネルを開設して、あのコの動向や様子を常時全島に放送することにする。構わないよね?
…あ、ついでに…双眼鏡、あると便利だろ?オマエがそんな気の利いたモノを持っているとはとても思えないから、
代わりに用意しておいてやったよ』
既にこのようなケースを想定し、あれこれと先手を打っていたらしい。
「なるほど…大した男…ね…」
それは認めざるを得なかったが、それでも言行がいちいち鼻につくのは変わりの無いことだった。