【Ⅳ】名優

「ったく…何が完璧な計画だよ!」
拳銃を手にし、特徴の無い黒一色で上下を固め、安っぽそうな目だし帽をかぶった、
いかにもベタベタに強盗ですよと言わんばかりのスタイルの男達。
そのうちの一人が苛立たちを顕わにして、荒々しい声で毒づいた。
自動ドア、ガラスの向こうには十台を越すパトカーと、それに警官隊が見える。
「仕方ないだろ…まさか警察があの化け物よりも俺達を優先するなんて…!常識的に考えて…」
「常識もクソも!現にこうなっちまってるじゃねぇか!」
警官や市民が巨人に注意を向けて騒然となっているそのどさくさに紛れて銀行に押し入り、金庫を開けさせ難無く逃走する。
持ちかけられた計画は実に単純明快…というより安直安易なものだった、と言った方が正しいかもしれない。
とは言え、当初は彼も『成功間違いない!』だの『天才だ!』だのさんざ褒めちぎって、あっさりそれに参加することを決した。
しかしながら蓋を開けてみたらこの通り、そのアテは見事に外れてしまったわけだが。
「やめろ!仲間割れしている場合じゃねぇだろ!」
三人目、主犯格の男が割って入ってそれを止めるも、彼のイライラは納まらない。
「けど…どうすんだよ!?このままじゃ…!」
「……待つんだ。それしかない」
「はぁ?待つって…!警察が要求通りに車を用意して撤退するのをか!?
 だったら見せしめに今一人くらい殺っちまった方が…!」
「ひっ…!」
その言葉と同時に向けられる攻撃的な視線に人質達の表情が引きつる。
「落ち着け!極力人は殺さないと事前に決めておいた筈だ」
手にしたラジオに注意を払いながら再びリーダーの男が宥めて言う。
「それに…警察になんざハナっから期待してねぇよ」
番組内容は全島圏総局発の巨人の動向公式速報。
「告知された予定時間とはズレがあるが、確かにあの巨人はこの近辺まで来ている。
 そして情報通りなら、もうすぐその道を通過することになる」
男は外の大通りを顎で指す。
「けどよ…全然…!」
尚も何か不満を垂れようとする仲間を鋭く手で制した。
「しっ!動き出したらしいぞ…耳を澄ましてみろ」
「あん…?これ…は………な、何だ…!地震か!?」
『………ズン…』
微かに感じる短い揺れ。その余韻が終わらぬうちに、今よりもほんのだけ少し強い揺れが伝わってくる。
「はは…勝利の女神様の足音だ。見ろ、警官どもが動揺してやがる。そうだ、当たり前だ!
 あんな化け物を放っておいたままで俺達の相手をしてて良い筈が無い!もうすぐだ…あいつがもうすぐここに来る!」
「で、でも…そしたら俺達も危ないんじゃ…!?」
それに対してはもう一人の男が答える。
「いや、心配ねぇ。あの巨人はこれまでのところ道を歩いているだけで、建物を壊したりはしていねぇ。
 が、逆に進行する道路上にあるものは結構容赦無くぶっ潰しているらしい。
 …ってことはだ…上手くいけばあの警官どもだって蹴散らしてくれるかもしれねぇぜ?」
男の思惑通り、そうこうしているうちに銀行の前を整然と取り囲んでいた警官達の様子がどんどん変化し、
そして、とうとうそのうちの一人が怯えた様子で持ち場を離れて突然走りだすと、
それを皮切りに他の者達も我先にとパトカーに乗り込み一様に急発進させていく。
『………ズン………ズズン………ズシィン………』
その間にも定期的に起こる地響きと衝撃音はいよいよ大きくなっていき、
靴と思しき巨大な深い焦げ茶のそれがちょうど建物の目の前、ガラスドアの向こうに落下する。
『ズズゥゥゥゥン』
一際深く重い地鳴りと共に大きな縦揺れが行内全体を襲い、
入り口に並んだ観葉植物の植木鉢が倒れ、パソコンやらオフィス機器やらが床に投げ出されて、けたたましい音を立てた。
「ヒィ!?」
「キャアアアッ!」
同時に上がる悲鳴は人質達のものだ。
「さ、騒ぐなっつっただろうがぁっ!!」
何だか自分達が押し入ったときよりもショックが大きそうに見えるのが、少しだけ悔しい気がしたが、
それも致し方のないことなのかもしれない。何しろ、声を張り上げた彼自身もその迫力に軽く腰が抜けそうだったのだから。
「それ見ろ!」
首謀の男が揺れも納まらぬうちに己の目論みが正しかったことを興奮気味に主張する。
金は既にバックの中、車なんてその辺に腐るほど乗り捨てられていることだろう。
後は巨人が退くのを待ち、この混乱に乗じて行方をくらますだけだった。
 が、そこからが予想外だった。何とそこに留まっていた巨大な物体が目の前で道路を抉りながら向きを変え、
そして次には、もっともっと巨大な真っ白の何かが上空から降りてきたのである。
しかし、先の物体が靴であろう事はかろうじて理解できたが、
今ガラス一枚挟んで、その向こうで視界一杯に君臨しているそれが何であるかは想像がつかない。
その大きさが途方もないこと、そしてそれにも関わらず心なしなだらかに丸みを帯びている様な印象を受けることからも、
あの巨人少女の体の一部であろうことは間違いないのだが。
「こ、これは一体…!」
外で何が起こっているのか誰一人として分からず、
「お…おい…どうなって…」
男の一人が恐る恐る渇いた口を開こうとしたその時、今度は上の方から重々しい何かが、
『ドン、ドン、ドン』と幾つもぶつかるような音が、立て続けに聞こえてくる。
「な、何だ…!?」
反射的に顔を上げる一同。次の瞬間、それに応えるように巨大な物体が8つ、
轟音と共に大穴を開けて天井のあちこちから生えだしてきたのである。
それらはこの銀行の支柱ほどもの太さを有しており、皆一様に微かに赤みを帯びた肌色で、
背面には綺麗な乳白色の硬質の板の様なものが貼りついていた。
それらによって突き崩されて抜け落ちた天井の破片が瓦礫となってバラバラと降り注ぎ、
人質も犯人も、そこにいる全員が一瞬己の役所すら忘れて右往左往と逃げ惑う。
このままあの巨大な柱達は降りてきて、自分達を押し潰してしまうのではなかろうか、
或いは、天井そのものが大きなコンクリートの塊となってこのフロアに全体に落ちてくるのではないか。
そんな危惧が恐怖となってそこにいる者達全員の頭に過ぎった。
しかし、幸いにもその八本の柱達は床まで届くことはなく、折れ曲がって天井に貼りつく。
と、同時に凄まじい力がかかっているのかそれが触れている部分を中心に無数の亀裂が広がり始め、
そして程なくそれらに支えられる形で、天井の大部分がメリメリと音を立てて引き裂かれて、
上空へと持ち去られて、消えていってしまったのである。
後にはぽっかりと抜けてしまった天井と抜けるような青空が広がるばかりで、
余りの事態の連続にそこにいた誰もが度肝を抜かれ、ただただ呆気に取られて、見上げるしかなかった。
が、すぐに大穴は巨大な少女の顔によって塞がれて空は見えなくなってしまう。
その表情はあたかも金魚鉢でも覗き込んでいるかのような様相であり、
大きな眼(まなこ)をあちこちに向けて隅々まで観察するような様相を見せた後、
おもむろに巨人は建物の中に手を入れようとしてきたのである。
そう、あの八本の巨大なモノは指だったことに今更気付く。
「おおお…おい…!何だてめぇ!?何の用だ!?」
その時になってやっと我に返った男の一人が銃を構え、震えながらも大声で叫んだ。
対してびくりとして指を引っ込める巨人。
「あ、えっと…初めまして、わたしは美咲と申します。あなたが銀行強盗さんですか?
 でしたら人質を解放して投降して頂きたいんですけれども…」
「な、何ぃ?俺達に命令しようってのか!?」
最早完全に虚勢であるのだが、正直相当頭がこんがらがってしまって何を言っていいのやら良く分からない。
「い、いえそんなつもりじゃ…!お願いですよ。だってもう逃げられませんよ?」
しかし、意外にも巨人は宥めるように両手を振ると、慌てた様子で言ってくる。
(な…何だ?単に図体がでかいだけでただの見かけ倒しの小娘じゃねぇか…?)
「へ…へへへ…そうかい…頼みってんだったらよ…土下座するのが礼儀ってもんだぜ?」
その狼狽に少しばかり調子を取り戻した男は薄ら笑いを浮かべつつ言ってみる。
「土下座…ですか…?」
「そうそう、両手を地面につけて『どうかお願い致します』って具合によ…」
「おい、あまり刺激するな!」
すぐ調子に乗る彼を嗜め(たしなめ)ようとする別の男だったが、巨人は彼らが拍子抜けするほどに素直であり、
応じて居住まいを正して少し身を引くと、銀行の前に静かに指先を置いて頭を垂れる。
「どうか、お願い致します」
がばりと被さって来るその影に動揺はしつつも、徐々に思考力が回復してきた首謀の男は、
これまでの巨人と仲間のやりとりから、ある一つの仮説に行き当たっていた。
些か信じ難いことではあるし、どういう経緯でそうなったのかは知る由も無いが、
察するにこの巨人は警察の味方となって動いているのではなかろうか。
彼は一瞬それに大きな危機感と共に絶望と恐怖を覚えたが、それはすぐに打ち消された。
逆に言えばつまりとりあえず巨人は警察の意に背くような無茶はしてこないと言うことなのだから。
仲間の方を見れば巨躯が言うまま動くことにすっかり気を良くしたのか、
今はもう臆する事無く随分と偉そうに声を掛けている。
「おいおい、聞き分けがいいじゃねぇか」
「じゃあ…聞いて下さいますか?」
「だが、お断りだな」
「ぇ…?そ、そんなぁ…」
弱々しく抗議してくる巨人。
「それじゃ困るんです、お願いですから素直に投降して下さい…」
「ほう…そうか…困るか…。さぁて…どうするかなぁ…?」
ますます図に乗る男。どちらにしろこんな気の弱そうな少女の言うことを聞き入れる気など彼には毛頭無かったが、
それでも暫く勿体つけて考えるような素振りを見せた後、下卑た笑みを満面に浮かべて一つの提言をする。
「へへ…そうだなぁ…んじゃ、ストリップでもして見せてくれよ」
「…ストリップ………ですか…?」
「ああ、そうだよ?着ているもん一枚ずつ脱いでいって…」
「ええ…」
「全部脱ぎ終わったらそこにケツをつく…」
「……ええ………」
「で、足を目一杯に広げて『お願いします、ご主人様ぁ』とか泣いて頼むってんだったら、本当に考えてやってもいいぜ?」
「……………へぇ…そう…。そうですか…」
と、その時になって男は初めて彼女の声色が変化していることに気が付いた。
先程とは一変して落ち着いた穏かな、と言うより殆ど抑揚の無い冷めた声。
伴ってその顔からも表情が消え失せ、まるで能面のようになっており、
ただ一点、漆黒の双眸だけが鈍く光を放ち、じっとこちらを見下ろしてくる。
その気配を全身で感じ取り、言い知れぬ悪寒に狼狽しながらもまだ何か言おうとする男。
「な、何だよ…逆ら…………うわああああああああああああっ!!??」
しかし、言葉になるよりも早く彼の眼前に猛烈な勢いでそれが迫ってきて、彼の脳内は恐怖の余り一瞬にして真っ白になった。

 すっかり警官隊が退いた後、美咲は少しばかり乱暴な足運びで例の銀行の前まで歩みを進めた。
本人曰く、『ちょっとびっくりさせちゃおう作戦』らしいのだが、果たしてちょっとで済むのだろうか。
(一応中には人質もいるんだが…忘れちゃいないよな…?)
そんな岬の懸念をよそに、美咲は体を銀行の方へと向けてぺたんと座ると、
銀行のすぐ隣に建つ、雑居ビルと思しき建物の上へとそっと下ろし、微笑んできた。
「じゃ、旦那様はここで見ていて下さいね?」
その高さは横に平べったい銀行よりも高く、銀行の屋根を一望することが出来るわけなのだが、
はてさてこれから一体どうする積もりなのだろうか。
『人質さん達の安全を上手く確保し、裏の狭い路地の方に強盗さん達を追い込みます』
事前に受けた説明だがどうにも具体性に欠け、何とも大雑把なもので少し不安だったのだが、
とりあえずもう殆ど時間が無いこともあって任せることにしたわけなのだし、
今暫くはその動向を黙って見守ることにする。視線の先で一つ深呼吸をする美咲。
それから真剣な眼差しでおもむろに銀行の建物の上へと手を下ろすと、そのまま親指を除く両手八本の指を突き立てた。
爪先はまるで豆腐でも突き砕くかのように、明らかに難無くといった様子で天井を貫いて屋内へと入り込んでいく。
と同時に、この時点で彼女が何をしようとしているのか、何となく想像が付いてしまう岬。
彼女が建物の中をしっかりと見るにはその方法が一番なのだろうが、しかし、それにしても豪快なことを考えるものだ。
最早呆れるしかない岬の目の前で、案の定広範囲に渡ってあっさりと引き剥がされていく天井。
しかし美咲当人はあくまでも相当に神経を払い、実に慎重に手を動かしているのだろう。
そのことが緊張をたたえた顔や、微かに震える手つきらも一目瞭然であり、それがまた彼女の凄まじい力を雄弁に物語っている。
やがて銀行の屋根は分厚く巨大なコンクリートの板となって彼女の両腕の上に収まると、
そこで美咲は一瞬だけ満足そうな表情を一度浮かべ、それを脇の大通りに静かに下ろしたのだった。
(後で片付けさせないと駄目だな…これ…)
そんなことを思いつつも改めて銀行の方へと視線を戻せば、お陰で中の様子は事細かに把握することが出来る。
幸い大きな怪我人は出ていないようだ。建物内に居た八人が全員の様子を双眼鏡で順々に確認し、ひとまず安堵の溜息を零す。
情報とは異なり、人質は座っても居なければ固まってもいなかったが、
これは美咲の行動によって、屋内が言うなれば突っつかれた蜂の巣状態になったからに他ならない。
(けど、こりゃ余裕かな…)
何だかんだで思ったよりもあっさり片は付きそうだ。
何しろその圧倒的すぎる美咲の力を目の当たりにして、屋内にいた誰もがすっかり気圧されて動けずにいるのが、
ありありと見て取れたからである。勿論犯人と思しき真っ黒な者達も例外ではない。
美咲もまた更に上の方からその様子を暫く観察していたようだったが、やがてゆっくりとそこに手を入れていく。
別に無理をして外に追い出さなくとも、このまま彼女が指か何かで男達を軽く押さえつけでもすれば、
それで万事解決だろう。岬は安堵の笑みを浮かびかけた。
 ところが、そう上手くはいかなかった。犯人グループの内の一人が突然大声でそれを制したのである。
その声調は震えて上ずっており、明らかに空威張りであることが聞いて取れたわけなのだが、
肝心の美咲の対応はもっと弱気なものだった。男の方もそれを感じ取ったのか、どんどん高圧的な物言いになってきて、
土下座やらストリップやら、要求が無茶苦茶なものになってくる。あれよあれよと言う内に雲行きがおかしくなってきて、
(まさかこのまま言いくるめられたりはしないよな…?)
不安を感じる。任せるとは言ったものの、やはり加勢すべく知恵を貸した方が良さそうだ。
そう考えて、美咲の方へと向き直りながら、彼女に声を掛けるべく口を開こうとした。
「…!!」
が、彼女の顔を斜め下より見上げた岬は、驚きに目を見開き、言葉一つ出すことなく完全に硬直してしまった。
美咲はその右手で人差し指、中指、親指の腹をくっつけて、さながら鳥の嘴(くちばし)のような形を作ると、
銀行内にそれを一気に突き下ろす。
「うわああああああああああああっ!!??」
同時に上がる凄まじい絶叫にびくりとし、慌てて銀行の方へと視線を戻す。
(…た…叩き潰す気なのか!?)
ターゲットとなった男は人質に銃を向けることもすっかり忘れて美咲の指へと乱発する。
しかし美咲の三本の指は銃撃をものともせず、怯む事無く突進していき、そして男に衝突する直前で別れ、
掌が覆いかぶさせるようにして、親指、中指、人差し指を男の周囲に勢い良く突き立った。
人差し指の落下地点には鉄製のワークデスクがあったが、まるで抵抗する事無く彼女の指によって押し潰されて、
変形し床にめり込む。
『ドズン…』
此処まで聞こえてくる鈍いその音が衝撃の強さを物語っているように思う。
当の男にとってはとんでもない恐怖体験であるに違いない。
証拠にターゲットとなった男は既に弾丸を撃ち尽くしたらしく、へなへなと崩れ落ちて腰を抜かしているのが指の間に見える。
美咲は右手をそのままに、その様子を茫然自失に見守るばかりの残りの二人に今度は視線を向け、もう片方の手をかざす。
それに気付いて彼らもまた、意味不明の奇声を上げつつ必死に彼女の手へと向けて銃を乱射するも、結果は言うまでもなかった。
それでも男達は無駄な足掻きを続けている。銃声は暫くの間途切れなく鳴り響いていた。
 やがて弾が尽きたのだろうそれが止むと、今度は一転辺りに痛いほどの静寂が訪れた。
青ざめた顔付きのまま肩で大きく息をする男達、固唾を呑んで状況を見守る女達、そして…
「あーらら、もう終わりですかぁ?」
程無くその沈黙を破ったのが実に楽しそうな大音量の美咲の声だった。
言いながら彼らの視界を塞ぐ様にずいっと顔を近づける。
「く、来るな…化け物っ!!」
「そんな化け物だなんて…失礼ですよぉ…」
床に突き立てた指を引き抜きながら低くめの、少しだけ拗ねたような声を作って抗議する美咲。
穿った三つの穴は恐らく男の身長よりもずっと深い。
「け、警察に頼まれて俺達を捕まえにきたんじゃなかったのか!?だったらそんな…!」
「ぇ…?…ああ………ええまぁ、一応そのつもりだったですけどね………んー…」
人差し指を頬に当てて少し考えた素振りを見せた後、再び彼らを見下ろしてはっきりと巨大な少女は言い放つ。
「やっぱりやめて、今ここで退治することにしちゃいました」
「なっ!?」
焦燥を顕わにする男達に美咲は丁寧な、それでいて穏かな調子で説明を始める。
「だって…あなた方はわたしを撃ちましたよね?」
「…」
返事はない。しかし美咲は一方的に続ける。浮かべた笑みは少しずつ意地の悪い色に変っていった。
「つまり殺そうとした…そういうことですよね?」
目をついと細めて囁くように畳み掛ける。
「じゃあ、今度は私の番じゃないですか」
「じ、冗談はよせ!俺達を殺したらお前だって警察に…!」
必死に言い返す男の一人を一瞥した後、とびきりの笑顔を見せる美咲。
「アハ…心配して下さるんですか?どうもありがとうございます。
 でも…わたしなら全然大丈夫ですよ。その気になれば警察なんてちょちょいのちょい、なんですからぁ」
何か明るい声でそら恐ろしいことを言っている。岬もまた背筋が冷たくなるのを感じた。
「あ、そうそう…言っておきますけど一瞬で楽に…なんて期待しちゃダメですよ?できますけどね。
 そんなことしてあげませんから。じっくりゆっくりたっぷり時間をかけてですねぇ…」
「ままま、待ってくれ、俺達が悪かった!助けてくれ、頼む!」
「ふぅん…じゃあ土下座、ですよね?」
「…ぇ!?」
「あれ?だってさっき言ったじゃないですか?何か頼み事をするのなら、土下座するのが礼儀なんだって」
「わ、分かった。する!しますから!…お願いします、この通りです!」
言葉と同時に即座に地面に這い蹲る三人にご満悦な様子の美咲。
「そうそう、やっぱり人間素直が一番ですよね」
「じ、じゃあ…許してくれるんですか!?」
何時の間にやらすっかり語調の丁寧になった男達の表情に微かに希望が灯った。
「残念、それは違いまぁす。……勿論、許しませんよ…?」
が、一瞬でそれを木っ端微塵に打ち砕く美咲。
「そ…そんな…!」
「だって、あなたたちもわたしのお願い、聞き入れてくれなかったでしょう?」
「す、すいません…!調子に乗っていたんです!二度と悪いことはしません!誓います!
 すぐにでも投降します!本当です!…だ、だから…!」
「んー?またまたぁ…そんなこと言って。どうせまだ武器とか隠し持っているんでしょう?
 油断させておいて刺そうとか、そういう積もりなんでしょう?良いんですよ?死ぬ気で抵抗してくれちゃって」
その言葉に三人ともはっとして慌てて懐からナイフを出し、アピールするように大げさに投げ捨てて見せる。
が、美咲はまるでそんなことは眼中に無いかのように、更に言葉続ける。
「ふふ…良い顔してますね。うんうん、そうでなくっちゃ。背中合わせの絶望、感じてきたかなぁ?」
そうして美咲は右手の人差し指を立てると、ゆっくりと強盗の一人に近づけていく。
自身の体躯よりも遥かに巨大で質量のありそうな指の影に飲み込まれて、男は情けない声を上げて尻餅をついた。
恐らく虫けらの如く擦り潰されるとでも思ったのだろう。しかし美咲はそうはしなかった。
「あらあら、何腰抜かしているんですか?まだ何もしませんよ、まだ…ね。まずは順番を決めなくっちゃ」
微笑んでその指を男の鼻先でぴたりと一度止めると、節を付けて陽気な調子で指を順々に移していく。
「だ・れ・に・し・よ・う・か・な・て・ん・の・か・み・さ・ま・の・い・う・と・お・り・♪」
何度も何度も頭上を往来する巨大な影、震えることしかできない男達。
今の間に逃げれば良さそうなものだが、しかしまるで据え付けられた置物の様に動けずにいる。
恐らく恐怖の余りに全身が麻痺して足腰が立たないのだろう。
或いは、逃げたところで無駄であることを本能が解し、絶望してしまっているのかもしれない。
しかし大人しくいていたところで、その巨大なルーレットが頭上にて止まれば、それこそが死の宣告に他ならない。
 と、そこで不意に彼女の手の動きが止まった。それは意外に誰の上でもなく酷く中途半端な位置であり、
「あ…あれ…?…何だっけ…?…えっと…うーと…」
同時に男達から逸らされて宙を泳ぐ視線。
「『なのなのな…?』…それから…えーっと…『け、け、けむし、かきのたね』…だったかなぁ…」
小首をかしげ、真剣な顔つきで指を折りながら一人ぶつぶつと考え事を始める美咲。
その様子を好機…と言うよりは残された最後の一縷の望みと見たのか、
まるで金縛りが解けたかの様に男達は勢い良く立ち上がると、転がるように我先にと裏口から走り出した。
その様子をちらりと見下ろした美咲はもう自身の手を出すことはなく、手はず通りに合図の声を上げる。
「今です、裏から逃げます!皆さん丸腰です!」
こうして美咲が立てた作戦通り…なのかどうかは定かではないが、
結果的に建物の裏手で待機していた警官達の手によってあえなく彼らは御用となったのであった。


立案美咲、実行美咲。
「どうやら上手くいったみたいだな」
その大捕物の一部始終を見守っていた岬は、美咲が上体を退いて、視線をこちらに落ちてくるのをみとめて声を掛けた。
「手の方は大丈夫なのか?」
「え?」
「結構手酷く撃たれていただろ?」
「ああ、はい、全然大丈夫ですよ、ほら」
どうやら撃たれたことなど全く気にしていなかったらしい。
思い出したように応えて微笑みつつ、男達を恐怖のどん底に叩き落とした、無傷の綺麗な右手をひらひらして見せると、
美咲はそのまま静かにこちらへと差し出してきた。
その意を汲んで岬が掌に乗り移ると、慎重さに満ちた所作でゆっくりとそれは上昇し、彼女の顔の高さで止まった。
「それにしても…随分乱暴なことするじゃないか」
「エヘヘ、びっくりしました?ちょっとお芝居してみたんです。
 あのまま力ずくで無理矢理押さえ込もうとしたらきっと怪我人とか出ちゃうだろうと思ったもので…」
美咲は少しだけはにかんで見せる。そんな彼女の顔を正面に見て岬は溜息を一つ、声に滲んだ疲労を隠すことなく言う。
「…嘘が下手なわりには上手いものだな。危うく信じちまいそうだったよ…」
「え、そんな…!し、信じないでくださいよぉ。…あ、実はこう見えても学院で演劇サークルに所属しているんです、わたし」
「…そうか」
短い返事は半分上の空。その時岬はつい今しがた見上げた彼女の横顔を思い返していた。
美咲の様子が只ならぬものへと変化したことには彼もすぐに気が付いた。
同時に事態のまずさを直感し、即時に美咲の暴走を止めるか、さもなくばせめて彼女の真意を確認するべきだと考えた。
だが、それは叶わなかった。彼女の方を顧みて一目見た瞬間、
その迫力、その雰囲気に完全に気圧され、竦み上がってしまい、どうしても声を掛けることが出来なかったのだ。
初めて彼女が見せたその表情は身震いを抑えきれぬほどに恐ろしく、しかし同時に艶やかで妖美なもので、
それでいてとても嬉々として楽しそうな、活き活きとした印象を岬は受けたのだった。
ふと久木の言葉が蘇ってくる。
『………気変わりだって往々にしてあるでしょ?ある日突然、こんな取るに足らない小人に気を使うのがイヤになって…』
もし、美咲があの顔を全人類の前に対して向ける日が来たら、その時自分達はどうすればいいのだろう。
いや、きっとどうすることも出来ないのだろう。無力なものだ、自分など。ついつい自嘲気味になってしまう。
(もしそうなったら…俺は………)
「ほ、本当にお芝居だったんですからね?」
そんな彼の表情に何がしか感じ取ったのであろうか。
もう一度念を押してきた美咲は、それから大層すまなそうに顔を曇らせ深々と詫びてくる。
「あの…申し訳ありませんでした。せめて旦那様だけにはこっそりお伝えすることが出来たら良かったのですが…」
そう、全ては演技だったのだ。あの顔も、あの声も、あの態度も。
決して怪我人を出すまいと考えた彼女の優しさが生み出した偽り、彼女の幻影。
美咲自身もそう言っているのだし、そうに決まっているじゃないか。
そう自分に言い聞かせようとするも、どうしても拭い切れない不安と、そして多分恐怖心。
「あ、ああ…分かっている、分かっているさ…」
どうにか答えて笑うも、その表情が酷くぎこちなくなってしまったことは自分でも分かった。
「…」
「…」
短いけれどもどこか重い沈黙。
「ぁ…」
と、彼女が小さく声を上げた。視線が自分を外れて下の方へと向くのが分かる。それと共に微かに見える表情の変化。
岬もまたそちらの方を顧みればそこには警官達に連行されていく強盗達が目に付く。
三人は美咲の視線を感じたのか全身を硬直させ、固唾を呑んで見上げていた。
そんな彼らに美咲は柔らかく微笑みを浮かべると、まるで幼子に諭し聞かせるように優しく話し掛ける。
「そんなに怯えないで下さい、もう何もしませんよ。だから、これに懲りたから悪いことはしちゃダメですからね?」
男達はそれを聞いて眼をばっちり見開くと、猛烈に首を縦に振る。
その様子が岬の目には何だかとても滑稽に映り、少しだけおかしくなる。対して穏やかな表情で一つ頷く美咲。
その時になって漸く岬は自身の中の憂慮が少しずつではあるが、氷解、霧散していくのを感じていた。
やがて男達は警官に軽くどつかれてパトカーに押し込められると、その警官達も美咲に一つ敬礼をし、その場を後にした。
美咲もまた座したままで笑顔で手を振ってそれに応え、パトカーが見えなくなって行くのを見守っていたが、
不意にその手の動きを止めると何処か沈んだ様な声色でぽつりと小さく呟いた。
「あの人達…大丈夫ですよね…?ちゃんと…更正してくれますよね…?」
「ん?ああ、するだろうよ。それこそもう生まれ変わった様に、な」
「そうですかぁ…じゃ、良かったです…」
「…」
「…」
再び二人の間にぎこちない沈黙がある。岬の皮肉が伝わったのか、はたまた他に思うところがあるのか、
やはり彼女は何だか元気が無いように思えた。岬は暫く黙ってその様子を見詰めていたが、
半ば無理やり気持ちをふっ切って相好を崩すと、努めて明るく労いの声を掛けた。
「…まぁ何にしてもお疲れさん。よくやってくれたよ、ありがとうな」
「ぁ…!はい、どういたしま…じゃなくて、とんでもありません。でも、お役に立てて嬉しいです!」
すると美咲は何故か小さく驚いた様な表情を見せたが、
すぐに今度はいつもと変わらぬ裏表の無い心底嬉しそうにその顔を輝かせると元気良く頷いた。
「じゃ、行くか」
岬も笑顔を見せる。
「はい」
応えたメイドは服についた埃…もとい瓦礫を丁寧に払い落としながらゆっくりと立ち上がると、
先ほどと同じく小さな主を慈しむ様に優しく両手で抱く。
その温かい手の感触に包まれ、既に岬の胸の内から抱いた不安のその殆どはかき消えていた。
…唯一つ、胸に一瞬のうちに鮮烈に焼き付いてしまった、美咲のあの艶めかしい笑みを除いては。

「…ほ、本当にお芝居だったんですからね!?」
 口数少なく、深刻な面持ちで何がしか深慮する様子を見せる岬に、
何だか心の中を見通されているような気がして思わず上ずった声が出てしまう美咲。
ドキリと一度大きく打った鼓動は、そのまま早く鳴り続け、急激に顔が熱を帯びるのを感じてくる。
美咲はそれを表に出すまいと懸命に堪えたのだった。
最初は怒っていた。とても怒っていた。おいそれと、それもあんな風に『ご主人様と呼べ』など、侮辱も甚だしい。
勿論ストリップも御免だった。だから、その苛立ちに任せて、少しばかり脅かしてやろう、
懲らしめてやろう、そういった気持ちで接していた筈だった。
それなのに、いつの間にか、必死になって命乞いをする小さな人間を見ていたら、
何だろう、こう…とてもそれが気持ちが良くなっていたのだ。
彼らが泣こうが喚こうが怒ろうが諂おう(へつらおう)が抗おうが…何もかもが自分の前では無意味であり、
ただ一つ、己の気持ちだけが芥子粒(けしつぶ)の様な彼らの命運を決める事ができる、と言う圧倒的に上回っているこの感覚。
勿論殺してやろうなんて積もりは無かった…と思う。それは本当だ。でも生殺与奪の自由があること、
そして同時に、その気になればこの小さな世界の全てに対して容易くそれを揮えてしまうと言う事実の再認識。
こみ上げてくる快い優越感に一瞬ながら我を忘れかけた程だった。本当はここまでするつもりは無かったのに。
幾ら相手が悪い人であるとは言え、これほどのことをしてしまうなんて。どんなにか怖かったことだろう。
証拠に最後に目が合った時も、彼らの表情からは気の毒なほどに強烈な恐怖を見て取ることができ、心が痛んだ。
だからせめて、もう怖がらなくても良い様にと、極力優しく話し掛けた。
それが少しでも伝わったのか、彼等の表情が僅かであれ和んだのを見て嬉しかった、ほっとした。
 ただ、美咲にとってそれ以上に大きい懸念は、
今回の一件が岬の心に恐怖心や不信感を植え付けてしまったのではないかと言うことだった。
だからこそ『ありがとう』…何という事もないありふれたその主の言葉が何よりも喜ばしかった。
それに正規のメイドの仕事とは言えないが、やっと少しだけ岬の役に立つことが出来た気がしたから。でも…
(神のような存在…。神…か…)
今一度噛み締めるように心の中で呟く。改めて慎重に思慮を巡らせた後、美咲は静かにそれを振り払った。
(………違う…!)
やはり違う、決してそんなものになりたいのではない。
『神近の娘』ではなく『美咲』として生きていきたい。だから此処に居るのではないか。
 かつて己の心を救ってくれたあの人、両親以外で初めて自身の存在価値を『力』ではないところに見出してくれた人。
『神近の系譜史上最高の逸材』ではなく『美咲と言う一人の女の子』として。本当に嬉かった、大好きだった。
あの人は自身にとって最初の親しい友達であり、頼れる姉のような存在でもあり、少し怖い先生でもあり、
…そして優しく甲斐甲斐しく献身的に尽くしてくれたメイドだった。
あの人はただ媚びて取り入ろうとするのではなく、美咲に対して誠の敬いと愛を以って真剣に接し、
生き方に一つの指針を与えてくれた。あの人がいたから今の自分がある。
そしていつかは自分もまたあの人の様な素敵なメイドになりたい。
それは常に彼女が抱き続ける嘘偽りの無い、純粋な気持ち、そして至高の願いだ。
ただ、それでもあの時の感覚も多分嘘ではないわけで。
(…もしかしてちょっとサドっ気あったりするのかなぁ…わたし…)
未だ高鳴りの余韻を微かに残したその胸に大切な主を抱きながら、そんなことをぽんやりと考える美咲であった。











「…あぁ、そうだ。ところでなんだが美咲、悪いんだが行く前に道路の瓦礫、片付けてくれないか?」
「あ、はい、そうですよね。じゃあ両手を使いたいので、もう一度降りて少しだけ待っていて下さいますか?」
「ああ、わかった」
「………あの、ところで旦那様?…先程から一体何を熱心に書き込んでいるのですか?」
「ん、ああ…お前が壊したもののリストだ…。
 これに関してもちゃんと記録しておかないとと思ってな…うーん…まぁ半壊…てところか…?」
「え、ええええ!?…ち、ちょっと待って下さい!」
「な、何だよ、大きな声を出して…!」
「あ、も、申し訳ありません。…でも、これは………えと…その…ふ…不可抗力じゃないんですか…?」
「…そうか?」
「そうですよ!絶対そうですっ!だって…ほら…銀行強盗さんを捕まえる為に仕方なく…」
「ふん…そうか…そう言われれば確かにそうなんだけどな…」
「はい、そうですよっ。それにちゃんと今から直すんですから!」
「……………あー…美咲、既に作業に入っているところで悪いんだが…一応念のために訊いておくな?」
「はい、何でしょう?」
「手に持ったソレ、一体どうするつもりなんだ?」
「え?決まっているじゃないですか、勿論元通りにかぶせるんですっ!」
「ふーん…なるほどね。で、ちなみにさっきからソレ、ボロボロと砕けて手の中から零れ落ちていっているわけなんだが…」
「………へ?あ…!…きゃぁっ!?た、大変!どどどどどどどうしましょう!?」
「いや、どうって言われても…」
「あ、あわわわ…く、崩れちゃいそうですよ!」
「ああ、崩れそうだな」
「そ、そんな冷静に………!……………あっ!…あああああああああーっ!!」
『ズガッシャアアアアアアアアアアアァァァァァァァン』
「……………」
「……………」
「……………」
「……………え…えっとぉ…」
「………ふむ、建築物銀行、不注意により完膚なきまでに全壊、と」
「…ふえぇぇぇぇ………」


                                   第二話『行脚』おしまい