「ニーナ、右! 右寄せて!! 踏み潰されちゃう!!」
「無理だよ間に合わない!! あの子の足幅は100メートルはあるの!!」
 古風な石畳の道路が影に飲まれる。頭上にあるのは空ではなく、滑り止めのギザギザがついた靴底。石の雨を振りまきながら、それは私の見ている世界を閉じていった。自分の頭蓋骨が砕ける音、熱い痛み。また今回もダメだったかー。あの巨大な靴が着地した地響きを遠く聴き、自分の死を他人事のように考える。それっきり、私の意識は闇に溶けた。





「はー、イタタ……」
 目を覚ました時には、何もかも全部元通り。古風でおしゃれな街並みを、帝国製の高級車が優雅に駆けて行く何も変わらない日常。ずしんと重たい地響きを感じてそちらの方に目をやれば、赤レンガ倉庫のその向こうに、黒いオーバーニーソックスに覆われた足が背景よろしく聳え立っている。この帝国の女帝、黒龍のバハムート様のおみ足だ。首が痛くなるほど見上げてようやく、にこやかに手を振っている彼女の顔が見えた。あいも変わらず整った可愛らしい顔で、黒のミニスカドレスという衣装も相まって女帝っていうよりも姫っぽい印象を受ける。現に彼女は、姫と呼ばれるのが好きみたいだし。
「おはよう、ニーナ。……今回もダメだったね」
 しばらくの間ぼーっとバハムート姫を見上げていると、遅れて目を覚ました連れに名前を呼ばれ、私は視線を地上にもどした。横転した小型飛空挺の脇に、金髪の塊みたいな奴がべちゃっと伸びている。のそっと起き上がろうとしたそれは、自分の金髪を踏んづけてまたべちゃっと伸びた。
「ベル……髪、切ったら?」
 自分の髪に足を取られてうまく立ち上がれない連れに手を貸して立たせると、厚底でさらにヒールの高い白のロングブーツにきらきらと金髪が寄り添った。ヒールなしなら地面に着きそう。よくもまぁこんなに伸ばしたもんだ。
「やだ……。姫さまに褒めてもらったもん……綺麗って」
 ベルは背中の金髪を手繰り寄せてぎゅっと抱きしめ、うるうると右目を潤ませた。左のほうに涙はない。そっちは魔法陣の刻まれた義眼が埋め込まれているから。
「その大好きな姫さまをその左目で録画しようってんだから、ベルもなかなかアレだよね」
「アレじゃない。姫さまからもお願いされてるでしょ?」
「まぁ、そうなんだけど……」
 お願いというか挑戦というか。「私が暴れまわる姿を人間視点で捉えた映像が撮れたら、高く買い取ってあげるわ」なんて言われたのだけれど。何せ相手は最小でも149メートルの巨人で、さらにそこから巨大化することもあるんだから手に負えない。
「ともかく、今日は一旦帰ろう。第2ラウンドはなさそうだし」
 私は横転した小型飛空艇を起こした。二人乗りのバイクみたいなものだけれど、これがなかなか重たくて骨が折れる。男でもこれができない奴がそこそこいるんだとか。私の場合、前職が配送業だったからこれは必須スキルだった。
「はーい」
 ハンドルを握る私の後ろにベルがぴょこんと飛び乗った。彼女がしっかり私に抱きついたのを確認して、エンジンを始動。翼を持たない飛空艇に、魔法の力がふわりと浮力を与える。アクセルを開けると、流れ出す風にさらわれてベルの金髪が尾をひくのが音でわかった。
 古風でおしゃれな街並みが後ろに流れていく。行き交う人々もその街並みに相応しい可愛らしい少女達だ。いつもと変わらぬその街の様子に、私はこの街の役割を再認識させられる。ここは街ではなく舞台なんだ、と。綺麗だとは思うけれど、街にしては潔癖すぎる。何と言っても、ここはバハムート姫が直轄する、彼女の遊び場。ここに集められた住人は皆彼女のお気に入りの少女達なんだ。街は街でなく演劇の舞台で、住人は住人でなく役者なんだ、ってね。
 もちろん私ことニーナ・カルメリアも、バハムート姫のお人形の一人。けれど私は、道ゆくあの子達とは少し違った。彼女達は役者であることを受け入れ、バハムート姫が街を襲うたびに精一杯の演技をする。本当は姫のことを愛してやまないくせに、その時ばかりは本気で逃げるんだ。全ては姫様を愉しませるために。
 けど私とベルは少し違う。私たちは記録者なんだ。
「役者がいるのに、観客も撮影者もいないんじゃ片手落ちだもんね〜」
 私は風につぶやき、ハンドルを切る。小型飛空艇は大通りを外れて裏路地へと入り込み、ほどなくして私たちのガレージに滑り込んだ。


「おつかれ〜」
 ガレージに飛空艇を停めると、私の後ろからベルがぴょこんと飛び降りた。多分髪が長過ぎて、こうでもしないと踏んでしまうのだろう。
「お疲れ。ベル、映像はどこまで残ってる?」
 エンジンを切った飛空艇が地面にずしりと降りる。風や魔力から目を守るためのゴーグルを外し、帽子掛けに投げ掛けた。
「んー、死んじゃったからねぇ。姫様が町を壊し始める前まで巻き戻ってるでしょ」
 ベルは赤色のキャスケット帽を脱いで、勢い余ってくるんくるん回っている私のゴーグルの上にぽふりとそれを掛けた。
「だよね〜。今回も写真だけで記事を作ろう。カメラだけは脱出させたから」
 記事を作る。本当は映像作品がいいんだけれど、今の私達は一度として姫様の街蹂躙動画を収めることができていない。バハムート姫は散々暴れまわった後、後始末でしっかりと壊してしまったものを魔法で元に戻してくれる。つまり、私たち自身が壊されてしまうと、そこまで頑張って記録した映像も元どおり。パーになっちゃうわけ。だから仕方なく、写真を元に新聞的な感じにまとめることにしているんだ。おかげさまで筆力ばっかり上がってしまって、すっかり巨大娘小説家みたいになってしまっている。
「私の目、役に立たないなぁ〜。時間魔法に抗力があればいいのに」
 ベルも似たようなことを考えていたのだろう。左目を取り出して手でコロコロと弄び、窓から差し込む明かりに透かしてぼんやりと眺めている。あの義眼は視ることはできないけれど、撮ることはできる。義眼が入る前の生身の目は何かの実験だかで失ったんだとか。
 ただ、暴れまわる姫様の姿は捉えられてないけれど、普段の姫様の姿はいっぱい記録しているらしくて、ベル秘蔵のコレクションになっているみたい。
「時間魔法に抗力があったらそもそも破壊されてそれっきりだよ。私たちは姫様に踏まれないようにするしかないのさ」
 私は指をパチンと鳴らしてガレージのシャッターを閉めた。こう見えて魔法は得意な方で、特に念動力と火力魔法は軍属魔術師にも負けない自信がある。
「さて、今回の記事の書き方と敗因の分析っと」
 ガレージ内に置かれた古ぼけた机。その上に広げられた地図に、私は今回走行した経路を書き込んでいく。次の襲来に備えるために、パターンごとの撮影経路と逃走経路の確認だ。けれど正直、姫様があの白龍と一緒に現れた時はこんなものではとても手に負えない。街よりも大きくなって、街ごとエッチの道具にされちゃどう逃げたってかなわないもの。
 でも、最近は姫様一人で遊びに来ることは少ない。だいたいあの白龍のクレアって子と一緒。これが撮影を難航させているんだ。なにせ街の外に逃げたって、クレアちゃんは最大で80kmにもなる。あの子が出てきたら、私たちにできることといえば最大サイズになる前に絶頂して果ててもらうのを祈ることだけ。正直どうにもならない。
「次はいつだと思う?」
 私は地図に書き込んだ今日の移動経路に、日付を書き込む。
「明後日かなぁ。できればクレアちゃんがいないといいんだけど……」
 ベルは艶やかな金髪をくるくると指で巻き取りながら言った。この子の直感はよく当たる。こと、バハムート姫の事については必中に近い。もはや予報の類だ。
「おーけー分かった。明後日なら再出撃もいけるか……。頑張ろう」
 

 

 我々取材班はその日を待った、とか言うとそれっぽいんだろうね。でも、実際のところ私たちにとっての姫様は普通に生活しているだけで遭遇率100%だから、動物写真家みたいに待ち伏せなんて必要ない。
「ベル、そろそろじゃなかったっけ? 着替えてて大丈夫?」
 私は何やら着替えを始めた相棒に声をかける。彼女の感ではあと数分のはず。
「勝負下着にね、着替えないと」
 彼女の勝負下着。なにやらついこの間手に入れたらしいのだけれど。バハムート姫の髪の毛で織り込まれたという漆黒のブラジャーに、ショーツ。股布に相当するところにはご丁寧に、大きな鱗が織り込んである。
「あー、それかぁ……。もし本当に姫さまの毛と鱗を縮小して作ってるなら、超すごいんだけどね」
「本物だよ〜。この前、キアラさんが持ってきてくれたから」
 キアラ、あの天才白魔道士か。確かにあの子なら作れるかもしれないけれど、それが本当ならなにか裏がありそうな気もする。
「そう。ご利益があるといいけど」
「むぅ〜! 信じて無いね?」
 そりゃそうだ。もし本物なら、飛行戦艦が1隻買えてしまうような値段になる。
 膨れ面の相棒を横目に、私は窓から外を伺った。遥か南の空に、はやぶさのような影。それがどんどん大きくなり、人の形がわかるようになって、そしてサイズ感の狂った遠景の中にそのまま、ふわりと着地した。
「来た……!」
「来たね〜」
 ずしん。重々しい地響き、床が突き上げられて家具が跳ねる。振動で建物が歪む前に、ドアを蹴飛ばして1階のガレージへ駆け降りた。この間5秒。姫様の撮影は、その数秒が生死を分けることが多い。
「いつも通り南から。Aルートでまずは遠景から撮影、姫様が遊ぶ場所を決めたら下を通り抜ける!!」
「おっけー」
 小型飛空艇に飛び乗ってスターターを勢い良く弾くと、唸りを上げて飛空艇の魔導エンジンが始動してガレージ内を風が巻く。その間にも、姫様かクレアちゃんかの足が踏み出されたか、ガレージ内のオイル類が棚からなだれ落ちた。まだ遠い。けれどこの有様だ。のんびりしてたら生き埋めになる。
「乗って! 突っ切るよ!!」
 ベルが飛び乗ったのを確認して、フルスロットル。体が持っていかれるほど強烈な加速G、そして衝撃。ガレージのシャッターを突き破り、魔力ジェットの尾を引いて小型飛空艇は街へと飛び出した。
「毎回この出方……ニーナは荒っぽい……」
「どうせ姫様が直してくれるんだからいいじゃない! さぁ、大通りに出るよ!! カメラ右側、よろしく!!」
「はーいよ」
 路地裏の狭い空から、一気に視界が開ける。並び立つ低層ビルのその向こうに、被写体が見えた。真昼の空を引き裂く闇夜は、姫様のオーバーニーソックス。闇を集めて織ったような深闇のミニスカドレスとのあいだに、真っ白な絶対領域が輝いて見える。
「姫様……!」
 私の後ろでベルがうっとりと呟いた。この子に限らず、この街の娘たちは姫様大好きな子が多い。私も、その気持ちはよくわかる。あの、お人形さんみたいに整ったお顔、艶やかな黒絹の髪……意思が強そうで、それでいて優美な紅い瞳。龍なのに賢くて優しくて、遊び終わった後は私たちのことをちゃんと気にかけてくれる。
「でも、今は見とれてる場合じゃないのよね!」
 エンジンを吹かして、私は一気に飛空艇の高度を上げた。がくん! と揺られたベルが危ういところで私に抱きつき、転落を免れた。地脈と反発して空を飛ぶタイプのものだから、飛び上がれるのはせいぜい地面から20メートル前後。けれど、このあたりのビルを飛び越えるには十分。
「やった! 今日は一人!!」
 バハムート姫はゆっくりと、その肢体を魅せつけるように歩いていた。まだ道路に沿って歩いているのか、建物を破壊したらしき黒煙は上がっていない。足元の少女達に、逃げ惑う猶予を与えるためだろう。姫様の思いやりであり、けれど逃げる側にとってはなかなか酷な計らいである。いっそさっさと潰されてしまったほうが楽なのだから。
「ま、この街の住人は逃げるのが仕事だからねぇ……」
 ビル街の上空すれすれ。屋上のペントハウスや避雷針、給水塔が唸りを上げて次から次へと後方へ流れていく。このあたりのビル街は慣れたものだ。けど、姫様は未だ遠い。飛空艇の速度計は100ノットを指し示しているのに、回り込むのも難しい。まさしく高層ビルのような存在感だ。
「ニーナ、姫さまのアレが来る。ゴーグル大丈夫?」
 ベルが私の肩をぎゅーっと掴んでトンと後頭部を押す。あの子は姫さまのほんの少し先の行動が読める。この能力に幾度救われたか……それでも、一度も撮影には成功してないんだけどね。
「大丈夫! それに目を合わせなければ持つ……っ!!」
 刹那、全身に熱い酒を流し込まれたような感覚。姫さまの視線が私の体を貫いたらしい。莫大な魔力を持った龍の視線は、その気になれば交わるだけで人を殺すことができる。今は力を制御しているらしいが、それでも私の意識が飛ぶには十分すぎた。一瞬暗転する視界。次の瞬間には、このあたりで最も高いビルの壁が眼前に迫っていた。
「っ!!」
 舵、ダメ、逆噴射、無理、間に合わ……。壁が迫る中、選択肢が浮かんでは消えてを繰り返す。衝突を回避することは不可能。気を失っていたのはほんの数秒だろうが、速度を出しすぎていた……!!
 衝撃を覚悟し、身を固くする私。けれど、その覚悟は予想外の形で裏切られた。壁が、裂けた。襲いかかる石礫、ガラス片。石の爆風を引き連れて、姫さまの脛がビルを引き裂いて現れたんだ。
「なっ!? 姫さま!!」
 まさしく塔のようなおみ足。夜の闇を織ったようなオーバーニーソックスが、私の真横を唸りを上げて通り過ぎる。あと数メートルずれていたら、私はビルの壁面なんかよりもはるかに硬い姫さまの脛に叩きつけられ、文字通り粉々にされていただろう。
 姫さまの脚が引きずる気流に引き込まれ、激しくスピンする小型飛空挺。ぐるぐると世界が回るその中で、私は確かに見た。姫さまがこちらを見下ろしてニヤリと微笑むのを。それで、今の一歩が決して偶然などではないことを覚る。姫さまは私たちがこのビルにぶつかりそうになっているのを知っていて、ビルを引き裂いたんだ。私たちで遊ぶために。
「なら……楽しませて差し上げないとね!!」
 精一杯舵を切りどうにか回転を収めると、目の前には真っ黒な壁があった。つやつやと黒鉄の輝きを放つそれは、姫さまのハイヒール。浮力に回す分の魔力も全部姿勢制御に回したから、結果地表まで降りてきてしまったのだ。でもこれは逆に都合がいい。
「ベル、生きてる!?」
「きゅぅ……」
 生きてる。目を回してはいるけどしっかり私にしがみついてる。大丈夫、まだいける。
 アクセルを解放、急激な加速に体がぐいと引っ張られ、耳元で風が唸る。姫さまのハイヒールの脇を全速で通り抜けると、眼前に黒い柱が突き立つ。私の進路を塞ぐように、姫さまが足を動かしたんだ。大丈夫、予想済み。ヒールとソールの間のアーチを抜けて姫さまの背後に飛び出すことに成功!
 振り返って見上げれば、崩れかけのビルに切り取られた空を覆い尽くす姫さまの漆黒のパンティ。程よく締まった可愛らしいお尻から伸びるまばゆい太もも。かなり速度は出ているのに、それを数秒は拝めるほどに姫さまは巨大だった。
「どこ行くのかしら? この私から逃げようなんて……って、あれ?」
 行く手を塞いで決め台詞を放とうとした姫さまが、私達を見失って動揺する声、それに続いてズシンズシンと振り向く音。けれど姫さまの視線が私達を捉えることはなかった。華麗に直角ターンを決めてビルの間の裏路地へと入り込んだのだ。
「うちの姫さまってちょっと抜けてるところあるよね。そこが可愛いんだけどさ」
 次々に迫り来るゴミ箱やらをギリギリでかわしながら、私はベルに生存確認も兼ねて喋りかける。
「姫さまはわざと感知能力を落としてる。私達と楽しむために。それに私達がどこに逃げたかなんて感知魔法なしでもわかる」
「知ってるよ、姫さまはビル街を上から見下ろせるんだから!」
 ベルの生存を確認。さっきの足元抜け、きっといい絵が撮れたに違いない。このまま生きて終われればだけれど。
「ふふ、今のはニーナとベルね。だいぶ逃げるのにも慣れてきたのかしら?」
 巨大な姫さまの声が鼓膜を打つ。名前を呼ばれた。つまりは明確にターゲットとして認識されたということ。姫さまはこの町に住む少女の顔と名前を全員覚えているが、こうして名前を呼んでもらえるとやはり嬉しい。と同時に、あの巨体を真っ向から相手取らなくてはいけないという絶望も。
「どうする、ベル?」
「隠れよう、多分まだ見つかってない」
「りよーかい。ビルの中に突っ込むよ!」
 言うが早いが、飛空挺でドアを吹き飛ばして喫茶店に侵入。平時なら大事故だけど、姫さま襲来時のこの街では車や飛空挺がビルに突っ込むなんてよくあること。
「いらっしゃい。でも姫さま襲来中は閉店中だよ」
 店員の対応も慣れたものだ。
「ごめん、今姫さまに目つけられてて……! 匿ってちょうだい!」
「へー、見事なもんじゃない。上手く逃げ切れば報奨金だ」
「逃げ切れればね。地下とか、ない?」
「ないね。机の下にでも隠れてやり過ごし……」
ズシン!! 店員の言葉を遮って、腹の底から突き上げるような地響きが私たちを襲う。どうやら時間もないし、それしかないみたい。
 断続的に襲いかかる揺れにどうにか耐えながら、私たちはテーブルの下に潜り込んだ。故郷の国での避難訓練を思い出すけど、正直言って並みの地震なんて目じゃない。高層ビルなんかよりもずっと重たい姫さまが、地面を数メートルも陥没させながら歩いてくるんだ。範囲は局所的だろうけど、体が跳ね上がるほどの大揺れ。天井から釣り下がったオシャレなライトがびょんびょんとダンスしてる。
 ズシン、ズシン、ズシィン、ズッシイイイィン!! 足音が迫るにつれて、明るかった空が姫さまの影で暗く、棚のカップは雪崩れ落ち、天井に亀裂が入って埃が舞う。見なくても、姫さまが今どこにいるかはっきりとわかる。かなり近い。私とベルは魔力をできる限りかき消して、気配を殺し息をひそめた。
 カフェのガラス張り一面。テーブルの下からでも広い視界が、一面の黒に覆われた。姫さまのハイヒールのソール部分だ。それが舗装の石レンガを粉砕しめくり上げ、ずぶずぶと沈み込んでいく。1秒にも満たないこの間が随分と長く感じられ、そして襲い来る衝撃。ガラスが割れ、私たちの体はテーブルごと浮き上がり、天井から吊り下げられたライトはいくつかが耐えきれずに落ちた。
「っ……!!」
 地面に思いっきり腹から叩きつけられ、思わず息が漏れる。
「む、生命の気配」
 砕け散ったガラスを舞い上げて、姫さまの声が降り注いだ。向かいのビルを灯台のような脚で引き裂いて突き崩し、こちらに向き直る姫さま。その一挙一動に、私たちは揺さぶられはね上げられ転がされる。やっぱり多少の我慢で龍の6感を誤魔化すことは難しいか。
 でも、正確な居場所はさすがに特定しかねているらしい。わかるのは方角まで……。でも姫さまにとってはそれで十分なんかもしれない。膝丈にも見たないビルを、一つ一つ踏み潰していけばそれで済む……。
 ずっどおおおおぉん!!
 私の考えは、そこで中断された。地面に叩きつけられ、一瞬意識が飛ぶ。そして跳ね上がり、また叩きつけられ。ずどおおぉん、ずしいいぃん、ずっどおおおん!! なんどもなんども、姫さまの足が左右交互に地面を踏みしめるのがわかる。どうやら私の考えは甘かったらしい。姫さまは、ビルを一つ一つ潰していくような面倒なことはしない。ただその場で足踏みするだけで、私たちを炙り出せるのだ。
(くっ……ベル、耐えて!!)
 相棒に目をやると、うずくまってボールみたいになり衝撃をこらえていた。姫さまが一歩踏むたびに、バウンバウンとベルの体がまさにボールよろしく弾む。まぁ、私みたいにうつ伏せのまま叩きつけられるよりはマシか。
 しかしどうしたものか。このままではジリ貧だ。私もベルもダメージが蓄積していくばかりだし、何より壁にヒビが入ってきている。このままじゃこのビルは程なくして倒壊するだろう。姫さまが目の前で足踏みをしたと言うだけで!
 これまでか、と観念して覚悟を決めたその時だった。
「はぁ……しょうがないなぁ」
 同じように息をひそめていた店員が、小さなため息を漏らした。吐息には、ことため息には魔力が混じる。
「そこっ!」
 もちろん姫さまはその気配を見逃さない。漆黒のハイヒール、そのソールが一面のガラス張りを支柱ごと粉砕して店内に飛び込んできた。そこにあったはずの私たちの飛空艇も、カフェの店員も、まるで何もないかのように簡単に押しつぶして。
「はは、まぁこうなるよね」
 血の混じった声で弱々しく呟く店員。姫さまのハイヒールの先端は的確に、カフェ店員を捉えていた。腹の半分から下は無い。完全にすり潰されたか、押しつぶされて壁と一体化したか。尖ったその先端ですら高さ2メートルはあろうかというハイヒールに蹴られて、これで済んだのは奇跡かもしれないけれど。普通の人間なら内臓が口から出て即死しそうなものだけど、この街の女の子は踏まれ慣れて丈夫なせいでこれがまたなかなか死ねない。
「貸しに……しとく……。終わったら……お茶、のみに……き、て」
ガクッ。そんな効果音がつきそうな感じで、彼女は事切れた。当たりを感じたのか、火花を散らし地鳴りと共に姫さまのハイヒールが退店する。潰れた内臓で姫さまのヒールに圧着された店員とともに。舞い上げられた砂塵に光の階段が投げかけられ、何となく神聖な雰囲気。
(無茶しやがって……)
無言の敬礼で彼女を見送る。遅れて、姫さまがハイヒールにへばりついた死体を見てやや残念そうに店員少女の名を呼ぶ声が鼓膜を打った。
「うーん、ハズレね……。ま、一応念には念を入れて……」
 地面が姫さまのヒールを手放す時になる歯の浮くような音についで、ガラガラ、パチパチと石が降り注ぐ音。再びもわーっと舞い上がる砂埃。姫さまが足を持ち上げたんだ。このカフェが入ってるビルごと踏み潰すために。
(どうする?)
 ベルに目配せをすると、彼女は親指をクイクイと動かした。逃げよう。概ね同意だ。
(わたしが……かべを……こわすね)
 なるべく音を立てないように、それっぽいジェスチャーで伝える。伝わったかはわからないけど。あとはタイミングだ。ビルには給水塔と魔力貯蔵用の魔石が据え付けられている。彼女がそれを踏み壊した時がチャンス。音と魔力爆発に紛れて脱出だ。
 ミシリ、建物が歪む音。姫さまのおみ足が、ビルの上に乗っかったのがはっきりとわかった。歩けばそのまま粉砕できるものを、わざわざ足を高く掲げて踏み潰す。姫さまが力を見せつける際のお決まりのやり方だ。私たちからは見えないけれど、多分冷徹なドヤ顔が決まってるはず。
 姫さまのハイヒールが屋上を砕いた衝撃を体全体で感じると同時に、私は魔力を拳に込めて壁をぶん殴る。気合い一閃、魔法により数千倍の疑似質量を持った拳が壁を砕く快感。姫さまやクレアちゃんが破壊の快楽に取り憑かれるのもなんとなくわからなくも無い。けど、今はそんなことを言ってる場合じゃ無い。姫さまが踏み抜いたビルが、まるでハリボテみたいに崩れ落ちようとしている。
「行くよ、ベル!」
 小型飛空挺はさっき姫さまのハイヒールが入ってきた時にぺったんこにされてしまった。自分たちの脚で逃げるしか無い。こうなると、相方の超長髪が心配だ。踏んづけてひっくり返ったりしないか。
「ニーナ、待って、はやい〜」
 涙目で、必死で寄せた髪をぎゅっと抱きしめて追いかけてくるベル。そう、せめて出撃の日は今度からポニテとかにするべきそうすべき。
「ノロノロしてると瓦礫でぺちゃんこだよ!!」
 ベルの腕をがっしりとつかんで駆け出す。今の今までベルがいた場所を、自動車ぐらいの岩が押しつぶした。ほら、言わんこっちゃ無い。
「大通りだ、あそこを逃げる人に混ざるよ!」
 あと100メートルぐらいだろうか。龍からすれば一歩、体が比較的小さい姫さまでも2歩あれば余裕でまたぎ越せる距離。けれどこの100メートルが、遠い! 私だけなら20秒とかからない。魔法で身体強化をすれば10秒もいらない。けれど今はベルがいる。飛空挺がなければ、この子はただの重たいカメラ! いや、飛空挺に乗ってる時もカメラだけど!
「気張って、ベルううぅぅ!!」
「は、はひぃ!!」
 飛び散った拳大の石が、私たちを掠めていく。姫さまからすれば、塵みたいなものかもしれない。私たちも車サイズの瓦礫が飛び交う日常にいるから忘れかけてるけど、拳大の石でも、人間に当たれば致命傷だ。直撃を受けてベッコリへこんだブリキのゴミ箱がそれを物語る。
「!!」
 ベルが、通り過ぎざまにそのゴミ箱から蓋を頂戴して頭に被った。その直後にそのブリキの蓋を石礫が叩いて派手な音を立てる。運動神経はまるでだめだけど、やっぱり直感力はすばらしい。
 そんなこんなでどうにかして大通りに出て、人の流れに混じることに成功。こうなってしまえば、私たちはもう逃げ惑う人々の中のモブキャラのはず。
「ふふーん、私から逃げられるなんて本気で思ったのかしら?」
 そんなセリフに振り返れば、姫さまが例のビルの跡地を何度もなんども踏みつけているところだった。姫さま、もうそこに私たちはいません……。最初のあの決め台詞を台無しにされたのが悔しかったのかな。両足で子供みたいに交互に踏みつけるその姿は巨大でありながらやっぱり可愛らしい。
「ふん、こんなものかしら?」
 口からため息と共に、若干の炎を吹き出す姫さま。どうやら私たちをやったつもりらしい。いや、全力で走った甲斐があった。
「さて……。そろそろ、しようかな?」
 姫さまはすべらかな太ももをモジモジと擦り合わせ、上品な長手袋に覆われた指で股間を撫でた。さしもの姫さまも、一応全く恥じらいがないわけでは無いらしい。あの白龍のクレアちゃんとは違って。でも、もとよりそういうことをするつもりでこの街を作ったんだから、迷いはない。この街は今や姫さまだけではなく、クレアちゃんや最近龍になったっていうキアラって子……彼女たちとの遊び場になっている。言うなれば、龍たちのラブホテルってわけ。
 姫さまは、まずはハイヒールを脱いで薄手のオーバーニーソックス越しに地面を踏みしめる。ヤろうって考えた時に、まず靴を脱ぐのが龍らしいと言うか。そのまま踏み出す一歩。眼前に立ちふさがる、おそらくは姫さまから見れば膝丈にも満たないビルを蹴り倒して。
「んっ!」
 直に感じる破壊の感触に、姫さまの甘い吐息が漏れる。私たち人間には少しわからない話なのだけれど、龍は破壊の感触と性的興奮が連動しているらしい。歩みを進めるごとに、姫さまの息は荒く激しく、下着越しに股間を弄る指はだんだん速くなっていく。
「ベル、撮れてる?」
「ぐふ……ばっちりだよ〜」
 確認するまでもなかったか。瞬きを忘れているレベルでめをパッチリと見開いて、今にもよだれを垂らしそうな表情。姫さま大好きすぎてやばい。姫さまとのスキンシップで性癖を拗らせた子の多いこの街では、そう珍しいことでもないけれど。中には、姫さまがエッチを始める時間になるまで生き延びるために必死で逃げ回る子までいるほどだし。魅了の魔法とかならわかるけど、姫さまはその手の魔法は好かない。とすると、龍の狂気そのものに当てられ、街の住人全員が狂っているのかも。
「きゃー、姫さまー!!」
 この通り、先ほどまでは姫さまの怪獣ごっこに付き合って逃げに徹していた子たちが反転、姫さまに相手してもらおうと一斉に駆け出す。おそらく姫さまが使うであろう路面電車が、通勤ラッシュがごときすし詰めになるのにそう時間はかからない。
「ベル!!」
 うちの相棒がフラフラとその流れについていきそうだったので、肩をつかんで引き戻す。その刹那、ビルの壁を爆ぜさせて、ガラスと瓦礫を引きずり姫さまのおみ足が私たちの目の前に現れた。さっきまでのハイヒールとはまた違った揺れが、私たちを地面に這いつくばらせる。遠くにいたと思ったらすぐこれだ!
「まずった……、この位置で飛空挺も無い、いつすり潰されてもおかしくないっ!!」
 ベルの腕を引っ張り駆け出す。当のベルは首が折れるんじゃ無いかって体勢で、走りながらも姫さまを見上げている。カメラマンとしては正しいかもしれないけど、正直これはもう理性とか役割とかそういう範疇の問題じゃ無い。狂気を感じる。
 ズシン、ズシン。姫さまが向きなおる音。路面電車を股下に収めて、腰に手を当てて見下ろしているところに違いない。とすれば。
 ずっしいいぃぃん!! 大通りにクレータを作り出して、姫さまの巨大で可愛らしいお尻が着地する。
「きゃあああっ!!」
 思わず、女の子っぽい声が出てしまった。10メートルは吹っ飛ばされたと思う。並の人間なら即死級の衝撃、地震なんて可愛いものじゃ無い。地面が殴りつけてくるようなものだ。ベルの首は大丈夫だろうか。
「うーん、いたた……首筋、痛めた」
 折れてはいないらしい。けど、安心するにはまだはやい。今自分がどこにいるのかを考えれば……。
 大通りの両脇のビルを蹴り崩して、私の視界の遥か後方から伸びているのは姫さまの脚だ。姫さまは身長は低いながらも、スタイルはそこそこ。ベルの調査によれば、身長149メートルに対して脚の長さは股下69メートルだそうで。脚を伸ばせばのろのろ逃げていた私たちなんて股の間に収まってしまうわけで。
「あら……? そこにいるのはもしかして、ニーナとベル?」
 見つかった。もうおしまいだ。みんなが姫さまに相手してもらおうと駆け出したのに、その逆に逃げたのがまずかった。
「は、はい……ご明察です」
 なんでわかるかな。いや、わかるか。私はともかく、ベルの超長髪は迷子札みたいなものだ。後ろから見たら金髪ナメクジにしかみえないし。
「ふぅん、あの状況でちゃんと逃げてたのね」
 姫さまの視線が私の体を貫いた。例の、身体中に熱い酒を流し込まれたかのような感覚が駆け巡って、意識が揺らぐ。これがあの白龍のほうだと、血液が氷水になったみたいな感じなんだけどね。どのみち龍の邪視は受けたくないってこと……。
 気がついたら、私は姫さまの手の上にいた。私は右手。遠くに見える左手にベルが乗っかってるのがわかる。同じ姫さまの体の上なのに、30メートルは離れているだろうか、叫ばないと声も届きそうに無い。
「私を2度も出し抜くなんて、二人ともよく頑張ったわ。ご褒美に……あなたたちには私の……その、おっぱいを相手してもらおうかなって」
 姫さまは目を逸らして、ぼそぼそと恥ずかしそうに言った。なんだろう、膝上15メートルのミニスカートで人の頭の上をまたぎ越していくのに言葉に出すのは恥ずかしいのか……恥の判断基準がよくわからない。でも可愛い。
「光栄です」
「嫌なら嫌って言ってくれてもいいのよ?」
 姫さまは微笑んだ。あんなに巨大で力も魔力もあるのに、拒絶を恐れている笑み。本人はそんな表情見せていないつもりだろうけれど、こうしてたまに見せるか弱い少女の心がとてもいじらしくて可愛らしい。
「とんでもありません、喜んでお相手させていただきます」
 別に、本当に嫌じゃ無い。姫さまは可愛いし、ベルほど病的では無いけれど私も姫さまは好き。
 そんな思いを感じ取ったのか、彼女の表情が緩む。
「ベル、あなたはどう?」
 左手のベルに尋ねる姫さま。大丈夫かな、ベル気絶しないかな。ちゃんと喋れてるかな。右手の上の私からじゃ全然聞こえないけど、それ以上に離れている姫さまの耳にはちゃんと聞こえているみたい。龍の超感覚はずるい。
「そう、よかった。それじゃぁ、よろしくね?」
 漆黒のドレス、その広く開いた胸元に私を乗せた手が差し込まれる。右手に乗せられていた私は、左胸担当……というか左乳首担当だ。乳首にまたがるようにして乗っかり、乳輪にぴとりとくっつく。ドクン、ドクン、と波打つ鼓動。人間とは比較にならないほど遅く、しかし力強い悠久の鼓動が私を包み込む。なんだか心の奥があったかくなってくるような安心感。
「んっ……!」
 乳首を両足で締め上げてみると、早速姫さまの反応がもらえた。姫さまの胸は確かに巨大だけど、小さい。だから感度がいいのかも。私は調子に乗って、乳輪に舌を這わせる。姫さまの喘ぎが胸を伝って私の体を震わせる快感。なんだか、私の方も変な気分に……。
 ガッチリと脚で乳首をホールドして奉仕する。姫さまは姫さまで、女の子たちがいっぱい詰まった路面電車を淫部に挿入したらしい。ミシミシと車体が軋む音が、姫さまの体内を通じて私に直接伝わる。
「ひゃっ!!」
 姫さまが快楽に悶えたらしい。私は乳首から振り落とされそうになって脚をぎゅーっと締め付けた。なにせこの高さだ。姫さまのお腹の上に落ちることになるだろうけど、それで無事でいられる保証はない。けど、私の脚の締め付けがさらに姫さまを刺激しちゃったみたいで、今度は激しく上に振られる。
 ずしっ!! みしみし……。姫さまのドレスで覆われているため外の様子はわからないが、どうやら姫さまが私のいる左胸をつかんだらしい。私の乗っている乳首は、多分人差し指と薬指の間。でもいつ握りつぶされるかわかったものでは無い。姫さまが胸を揉みしだくと、乳肉が寄り、乳首の向きが変わる。薄い胸ではあるけれど、つつけばプニプニするし一応揉める程度のサイズはある、と言ったところかな。姫さまが電車を出し入れする体全体の前後の揺れに、胸を揉みしだく波の揺れ。これらが合成されて私を襲う。正直つかまってるだけで精一杯だ。
「んぅ……っ、んっ……だめ、もう我慢できない……!」
 姫さまが喘ぐ。このまま絶頂してくれれば、もしかしたら生きたまま終われるかもしれない。撮影成功だ。
 けど、我慢できない、の意味がちょっと違った。
「ベル! ベルちゃん……はぁ、はぁ……。前話したこと……しても、いい?」
突如、姫さまの口からこぼれた不穏なセリフ。その矛先は、私の相棒、ベルだ。前話したことって何!? ベル、私の知らないところで姫さまと何か約束事をしていたの……? そんな私の疑問をよそに、承諾するベルが脳裏に浮かぶ。絶対。姫さまの頼みをあの子が断るわけない。
「ごめんね、ちょっと我慢して……」
 ごそごそ、反対側の右胸からベルが取り出される気配。そして、遥か上空で魔力が動く気配。姫さまがベルになにかしらの魔術を施したのには違いない。
「っ!! うぁ……うわああああああっ!! くっ……うぅ……」
「ベル!?」
 めったに大声なんて出さない相棒の叫び声に、思わずハッとする。私の相棒に何を!?
「ごめん、ごめんね、痛いよね、苦しいよね。でももう少しだから……!」
 そんなベルをなだめる姫さま。だめだ、嫌な予感しかしない。
「いえ、いいんです……上手く、行きましたか?」
「初めての試みにしては、上出来じゃ無いかしら? 服も破れてないし」
 服。そう言われて私の脳裏をよぎったのは、ベルが出撃前に着替えていたあの下着。
「本物だったのか……っ」
 迂闊だった。脱がしておけばよかった。
「大丈夫? 落ち着いた?」
「はい。でも、むしろ興奮しています」
 そんな私の後悔を他所に、とんとんと話が進んでいく。
「そう、それじゃぁ……続き、しよ?」
「是非に……」
 するり。天幕が取り払われたかのよう。姫さまが、肩をすぼめてドレスをはだけさせたのだ。突き刺すまばゆい陽の光に、思わず目を閉じる。
「ニーナ、ニーナ……こっち向いて?」
 あぁ、だめだ。だいたい何が起きたか想像できる。いつも小さな声で喋るはずのベルの声が、腹に響く。恐る恐る振り返ると。
「やっぱりか……」
 巨大な相棒の顔があった。けれど姫さまよりはずっと小さい。多分、私の10倍で、姫さまの10分の1だ。一瞬でサイズをはじき出せるのは、この町で暮らしているからこそだろう。義眼はさすがに巨大化しなかったか、彼女の左目は閉じられたまま開かない。
「ごめんね、黙ってて。姫さまと、キアラさんから提案された実験をね、受けたの。詳しいことは後で話すね」
 一方的な説明を私に押し付けると、彼女は口を開く。何をするつもりかなんて言われなくてもわかる。姫さまの乳首をしゃぶるんだ。そこにいる私ごと。
「ちょっ、ベル、だめ、待って、食べないでっ!!」
 反射的に出た言葉だった。別に相棒が私を食べるなんて本気で思っちゃいない。けれど、目の前で開かれた口、そこにならんんだ白い牙を見たら、どうしても。当然ベルは止まらず、私ごと姫さまの乳首を咥え込んだ。そして、まずは私をその舌で口内奥深くに引き摺り込む。
「んっ!!」
 くぐもった姫さまの喘ぎ声が聞こえる。ベルが乳首を甘噛みしたのだ。私が足で締め付けるのとは比較にならないほどの刺激が姫さまの体を駆け巡っているに違いない。
「だ、出して!! 何も私を巻き込まなくてもいいでしょ!!」
 私はベルの口蓋をドンドンと叩く。姫さまのように電車を飲み込めるような口ならともかく、たった十倍そこそこの巨人の口内の広さなんてたかが知れてる。ゆえに、だから、圧迫感も半端ない!!
 けれどベルは、私を出してはくれなかった。そのベッドみたいな舌で私を口蓋にぎゅーっと押し付けたんだ。彼女からしたら飴玉を転がすような感覚なのかも知れないけれど、こっちは息ができないほど。人間の脆さを痛感する。
「やめ……くるし……もう、だめ……」
 ベルが姫さまの乳首をちゅうちゅうと吸うと、当然口の中の空間は狭くなる。気圧も下がる。
「んっ、ベルのちっちゃい舌が……くすぐったくって、気もちいいっ……!!」
 ちっちゃい舌。バハムート姫はそう評したけど、冗談じゃない。私をこの窮屈な洞窟の中で弄ぶ化け物だ。巨大な女の子が、もっと巨大な女の子に奉仕する。そこに巻き込まれているんだって実感が、無駄に湧いてくる。
「ぷっ……はぁ……」
 ベルが姫さまの乳首から離れたらしい。明るい光とともに、冷たく心地いい新鮮な空気が流れ込む。私がベルの舌の上を這ってどうにか唇に手をかけると、そこでベルの口はパクッと閉じてしまった。あっという間に、私は暗闇の中に引き戻される。当たり前だ。私はベルの舌の上に乗せられているのだから、彼女が舌を引っ込めればそれまで。
「ベル!! ちょっと……もう、なんでいじわるするの!! 出して、出してよぉ……!!」
 とうとう私はベルの舌に顔を埋めて泣き出してしまった。普段ベルの前では男前な感じを気取ってるだけに、これはきつい。
「ん……はっ! ご、ごめんねニーナ……私、夢中で……」
 ベルは私の涙の塩気で、それに気づいたらしい。ぺっ、と吐き出されたのは彼女の手の上。けれど、もう私はその時には限界で……。これ以上苦しむことを拒絶した体が、私の意識を引き剥がしていた。




 次に目を覚ましたのは、私たちの家のベッドの上だった。姫さまの時間魔法で、巻き戻されたらしい。あれだけ暴れまわっていた痕跡も、一つ残らず元通りだ。けれど、たぶん消したかったであろう私の記憶までは戻されていない。これは彼女なりの良心なのだろう。
「ごめんなさいっ!!」
 私が目覚めると同時に、間髪を入れずに謝ってきた金髪が……二人。一人はベル。もう一人は、翡翠色の瞳をしたセミロングの、どこかで見たことのある白魔道士。
「あー、あなたがキアラさん……」
 この街に、龍化して遊びに来ることがしばしばある。その時は人間の100倍という巨体だから、いまいちすぐには繋がらなかった。こうして人間サイズで見ると、結構可愛い。
「はい。この度は私たちの実験でひどい目に……本当はちゃんと別に予定があったんですけど、ウチのバハムートがその場のノリでバカをやらかして……」
 彼女は申し訳なさそうにペコペコと頭を下げた。帝国皇女バハムートをバカ呼ばわりできるのはこの人ぐらいだろう。白龍のクレア、並びに黒龍のバハムートの保護者的存在。それでいて本人も強力な白魔法の使い手で、その上で龍化できるとか、その気になれば世界征服もできそうなスペックだ。チートくさい。
「あとでしっかり叱っておきますので」
「いやいや、大丈夫ですよ。いつも死に慣れてるんで」
 とりあえず無難な受け答えをして、彼女から実験とやらの話を聞いた。曰く、キアラさんは自身の力で龍化しているのではなく、クレアちゃんの抜け殻を着ることで巨大な体に変身できること。とすると、もしかしたら普通の人間でも、龍の体組織を使用した衣類を身につけて魔力をぶち込めば龍化するのではないかと考えた。で、どのくらいの体組織があればいいか、どれほどの魔力があればいいかを調べたかったそうな。姫さまやクレアちゃんの髪や爪は帝国の大事な輸出品。だからこそ、その危険度を測りたかったらしい。
「で、今回の実験で本来の体以外も巨大化の影響を受けるか知りたくて、普段から義眼を埋め込んでいらっしゃるベルガモット・フォン・グラーシアさんにお願いをしたわけです」
 ベルガモット、ベルの本名だ。久々に聞いた。
「それで、私がそれを承諾したの。同意の上なの、だから、キアラさんを悪く思わないで」
「別に気にしてないって。それより、大丈夫? すごく苦しそうだったけど」
姫さまに殺され慣れているこの町の住人が悲鳴をあげる苦痛。並大抵の人間なら、多分耐えきれずにショック死するレベルだと思う。
「うん、大きくなる時にね……尻尾と羽が生えたんだけど、それが腕の骨を縦に引き裂かれるような、背骨を引きずり出されるような……ともかくすごかったの。でも、その後すぐに気持ちよくなって、それで……」
「ふむふむ。全身以外での体組織でも龍の身体的特徴は発生する……ただし壮絶な痛みを伴う模様……っと。私がその場に居合わせなかったのが残念、あとでバハムートから聞いておかなきゃ」
「背中とお尻にまだ、翼と尻尾の痕跡が残ってるの。あれからもう一度着替えてみたら、次は痛みもなく変身できたから、体が作り変わる苦しみだったのかなぁ?」
「体組織変質後は苦痛なく変身可能……っと。うーん、私の場合は初回変身時にもなんてことなかったんだけど……あれか、バハムートの魔力に体が拒絶反応を起こしたのかなぁ。私の場合すでにクレアの魔力に全身どっぷりだったし……」
 色々と可能性を並べ立てて、メモをとるキアラさん。謝りにきたんだか、研究結果の確認に来たんだか……。
「あ、ごめんなさい。お詫びと言ってはなんですが、その下着は差し上げます。もちろん、他人に譲らないことを前提で」
「譲るってどこから?」
「あなたの管理能力を離れたところからです。というか、譲れないようにしてあるんですけどね」
 異才の白魔道士はニヤリと笑った。何かあの下着に術を仕込んであるんだろう。まぁ、姫さまたちよりはだいぶ小さいけれど、巨人になることができるやばいアイテムだ。無防備なはずもない。
「では、私はこれにて失礼します。私が大きくなって街に遊びに来たら、それを着て相手してくださいね」
 彼女は窓に歩み寄り、そしてその縁を蹴って飛び出した。普通窓からは出ないだろ、と思いつつ、重力操作であっという間に飛び去っていく彼女の背中を見送る。飛空挺よりもずっと早い。
「あ、そういえば義眼は!?」
今回はベルは死ななかったはず。ってことは、ついに大願だった映像が……。
「ごめん、ニーナ。あの……大きくなった時に、目から転がり落ちて、その……どっか行っちゃったんだよね」
「……おぉぅ」
 私たちの戦いは、まだこれからも続く。





================================================================
補足とか
================================================================

ニーナ・カルメリア
身長 163cm
体重 50kg
20歳。飛空挺産業が盛んな、通称空の街で郵便配達をやっていた。バハムートの侵略時に怯まず彼女に立ち向かい、見初められてこの街に移住する。
郵便物を空賊から守るために、魔法や銃の腕はそこそこ鍛えられている。この町での暮らしには不自由していないが、ただ踏みつぶされるだけの役割を退屈に感じ、バハムートを映像記録に収めようと奮い立つ。趣味で。

ベルガモット・フォン・グラーシア
身長 155cm
体重 48kg
18歳。元々は貴族の生まれだったが、没落して売られる。売られてからバハムートに見初められるまでの事を、彼女は黙して決して語らない。だが、バハムートが彼女を拾い上げた際に人形か何かだと思う程度には心が壊れていたことだけは確か。
 生き地獄から自分を解放してくれたバハムートを何よりも敬愛しており、拾われた時に「綺麗」と褒められた髪を大事に大事に伸ばし続けている。お風呂に入ると、乾かすのに2時間かかる。


バハムートの玩具の街
帝国領内にある旧炭鉱の街を再利用したもの。バハムートのお気に入りの少女たちを集めた街で、集められた少女達はここでバハムートたちの相手をすることが仕事になる。この街に招かれた少女達には、バハムートの時間魔法によって永遠の若さと、繰り返す死が約束される。死んでは巻き戻され、無限にリスポーンするだけのお仕事。
死に慣れると、別に大したことはないどころか快感にすら感じるようになるとか。死に際の脳内麻薬分泌に依存してしまった者も多く、姫様から死を賜ろうと文字通り必死に駆けずり回るものもいる。
恐怖が愛情に転移したか、程度の差こそあれこの町の少女達は皆例外なくバハムート姫のことが好きである。そうでもなければやってられないのかもしれないが。
しょっちゅう死ぬ事以外は内容は簡単で、報酬は良く、この町の住人が生活に困ることはまずない。が、だからこそ趣味で自分の好きな仕事をやっている者がほとんどである。