丘を枕に寝息を立てていたクレアは、バキバキと木々が折れる音で目を覚ました。朝だろうかと目を薄めてみれば、天頂には爛々と輝く夜半の月。そしてその月の隣でクレアを覗き込む音の主が映る。闇に溶けてしまいそうな、細く可憐な……しかし大きな少女だった。
「眠れないの……?」
 クレアが目をこすりこすり起き上がると、黒の少女、バハムートはこくと頷く。
「ごめんなさい、起しちゃって……。そのつもりは無かったの。ただ、あなたの傍で眠れたら……寂しくないなって」
 生い茂る木々を草のように薙ぎ倒しながら、バハムートはクレアの横に寝転がった。重々しい地響きと共に、彼女のお尻や背中が煙を巻いて大地にそっと抱きとめられる。
「うぅん、いいよ。夜って、なんだかとっても寂しくなるよね」
 クレアはバハムートの手を優しく握り締め、豊満な胸にぎゅっと抱く。
「……思い出すの」
 その暖かさが、バハムートの心の錠を上げたのだろうか、彼女は小さな声で呟いた。いつもの、龍や皇女としての声ではなく、か細い少女の声で。
 クレアは無言でバハムートの手を握り締め続きを促す。
 彼女ならば、きっと受け止めてくれる。そう信じてか、バハムートはクレアの頭にコツリと頭を摺り寄せてぽつぽつと語りだした。


白龍少女閑話――黒龍少女の昔語り――



 私が始めて人を殺したのは、10歳の時だった。
 龍であれば皆、人間の一人や二人気付かずに踏み殺しているものなのだけれど、私の始めてはそういう事故や無関心の類ではなかった。
 どこから話そうかしら。
 私にも、育ての親がいたの。龍じゃなくて、人間の。
 龍の多くは一人で育つ。けれど私は、生まれたその時から一人じゃなかったの。
 卵の殻を押しのけて出てきた私を待っていたのは、人間の青年だった。正確には、もう何百年も生きている魔道士。時を操って、身体は若いまま……いいえ、心も少年のまま何百年も生きてきた変わり者。
 彼は本当の名前を語らなかった。名前なんて忘れた、なんて言ってたけれど多分名前を使った呪詛を恐れていたんだと思う。
 その代わり、彼は自分を”お兄ちゃん”と私に呼ばせたわ。普通に聞いたら、とんだロリコン魔道士よね。けれど私もその呼び方が大好きだった。体の大きさはどんどん離れていったけど、本当の兄妹みたいでさ。
 変わっているけれど、とても強くて、そして優しい人だった。
 近くの村の人間達は、巨大な私の姿を見るだけで逃げ出したり、私を傷つけるようなことを平気で言ったわ。それだけじゃない。私を恐れるが余り、私を討伐しようと乗り出す者さえあった。けれど彼はそのたびに矢面に立って私を庇ってくれたの。私が10歳に至るまで人を殺さずに生きてこれたのは、お兄ちゃんの存在があったからなんだと思う。
 彼が私の全てだった。
 だから、今でも忘れない。私から全てを奪ったあの日を。
 周辺の村のハンター達をたった一人で退けてきたお兄ちゃんにも、いよいよ限界が来たんだ。その力を、そして何より私のことを恐れた周辺諸国が団結して討伐隊を繰り出したの。
 私の身体よりもずっと大きな飛空挺が沢山たくさん、空を埋め尽くしていたわ。自分よりも大きなもの見るのは初めてだったから、とても怖かった。龍の癖して、当時の私は自分の力に自覚が無くって……弱虫だった。こんな大きな身体をして、ずっとお兄ちゃんに護ってもらってばかりいたから。
 だから、何も出来なかった。


 私を庇ったお兄ちゃんを、戦艦の機銃が真っ赤な霧に変えてしまうまで。
 

 そこから先はスイッチが切り替わったみたいだった。
 翼を一打ちして空に飛び上がって……憎き戦艦の艦橋に手を突っ込んだ。乱暴に中を引っ掻き回して手を抜いたら、そこには沢山の人間が握られてたわ。
 お兄ちゃん以外の人間に触れるのなんて、初めてだった。けれど戸惑いは無かったわ。絶対に許せないお兄ちゃんの仇、決して楽には死なせないと思った。私は彼らを口に放り込んで、噛まずに飲み込んだの。そうしたほうが、苦しいでしょう?
 食道を落ちて行く人間達の感触。私の胃の中で溺れて溶けていくんだと思うと……とても興奮したわ。もう、その時の私はそれまでの私じゃなった。龍の本能もあったのでしょうけど、それ以上に怒りと憎しみが強かった。憎しみに駆られて破壊の限りを尽くす怪獣に成り果てていたわ。
 空中空母から艦載機が沢山飛び出して来て、粗末なチェーンガンで私に戦いを挑んできたけれど、傍を通る時に手で掴んだら簡単にひしゃげちゃった。尻尾を振ったら、そのうちの幾つかは火を噴いて地面に落ちちゃったり。完全に吹っ切れて狂気に染まっていたのかもしれないわね。こんな状況なのにそれはとても楽しかったわ。空を飛びながら尻尾を振る度に、戦闘機が落ちていくのは。彼らは相手の後ろにつきたがるから、本当に面白いように尻尾で叩き落とせたわ。急に速度を落としたら、スカートの中に突っ込んできて勝手にはじけたりね。
 艦載機を飛ばしてきた空中空母の上に着地してやったら、私のハイヒールは簡単に飛行甲板を砕いて、そのままずぼって足まで飲み込まれてしまったわ。脆いものよね、人間が作るものなんて。そんなものに恐れをなしていた私が情けなくて、悔しくて。私は飛行戦艦や空中空母に順番に”着艦”して墜落させていったわ。
 その何れもが、私のニーソはおろか、絶対領域の素肌にさえ傷を入れられないまま真っ二つに折られて墜落していったわ。それでようやっと劣勢を悟ったのかしら。彼らはようやく撤退を開始したの。それぞれの国にね。
 本当に、お馬鹿さん。
 撤退なんてしなければ……私があんなに沢山人を殺すことも無かったのに。
 今でも少し後悔してる。けれど、自分にこう言い聞かせてる。戦争に無関係な市民なんていない、軍は彼らの代行者なんだって。
 そう、私は飛空挺を出した国を全部滅ぼしたの。
 クレアちゃんほど優しいやり方じゃないわ。私の身体はたったの149メートル。それも、あの時は憎しみで真っ黒に染まっていて……。
 出来るだけ、この人間達に苦しみと屈辱を与えてやろうと思った。
 ハイヒールを脱いで、ニーソも汚れるのが嫌だから脱いでさ。素足で、人間達の巣を踏み荒らして回ったんだ。クレアちゃんも知ってると思うけれど……やっぱり素足で人や車を踏み潰すとぷちぷちして気持ちがいいんだよね。笑いながら、道路を逃げ惑う人間達を……女子供関係なく全員踏み潰したわ。
 今なら再生魔法が使えるから、本当にお互いに遊びで踏み潰したり踏み潰されたり出来る。けれど、その時の私は再生魔法なんて知らなかった。本気で相手を殺して、殺して、苦しめて辱めてやりたかったの。私から全てを奪った人間を。
 国から脱出しようとして、鉄道の駅前広場に人間達が沢山集まっていたのを覚えているわ。そして私は彼らの上に足を翳して……そして死なない程度にそっと踏みつけたの。足の裏でじたばたもがく必死さがとても滑稽で、面白かったわ。
 そして私は言ったの。
 お舐めなさい、チビ虫。ってね。
 人間達の返り血で真っ赤に染まった足の裏を、人間達に舐め取らせたのよ。そしてそれに飽きたら、私に奉仕してくれた彼らを踏み潰して、また次の犠牲者を踏みつけ舐めさせる。
 ……もちろん、酷いことをしたと思ってるわ。後悔もしてる。けど、あの時は善悪なんて関係なかった。
 飛空挺のステーションビルにも、びっしりと人間が詰まっているのが分かったわ。私の身長と同じくらいある、高層ビル。だから、私はそれをぎゅっと抱きしめてやったの。ビルは簡単に私の腕の中で潰れちゃったわ。尻尾を絡めて、お尻にぎゅーって押し当てて潰してみたりもした。押し倒してのしかかってみたりもしたわ。人間達が怖がるように、そして屈辱を与えるように、ビルの中を覗きこんで話しかけるの。
 私が抱きしめてあげる。こんな可愛い子に抱きしめてもらえるなんて、嬉しいでしょう? それとも、怖いかしら? 怖いに決まってるわよね。あなた達みたいなチビでグズな人間達は抱きしめられただけで死んじゃうんだから。
 わざとらしく笑いかけて、ビルの壁面にちゅってキスをしてあげたり。そしたら、唇の弾力に負けて壁が崩れちゃったりね。他にも、スカートをめくり上げて下着を見せつけたり、ドレスの胸元を少しはだけさせたり……たくさんたくさん挑発して、それでも何も出来ない無力な人間達を笑ってやった。
 ……今思うとませた10歳よね。
 電車を捕まえて、えっちなこともやったわ。股を開いて、踵で地面を削ってさ。逃げ惑う人間達を閉じ込めて……無理やり見せつけてやった。下着をずらして、電車をじゅぷじゅぷって挿れて。恥ずかしいとかは思わなかったわ。自分たちの積み上げてきた文明が、龍のメスの前ではただの性のオモチャにしかならないっていう絶望を与えてやりたかったの。
 多分、それは成功したと思う。私の股の間で、私が飛ばした汁を被ってうろたえる人間達はとても見ものだったわ……。
 そうして、私は数日かけて3つの国を滅ぼしたの。そこでようやっと我に返った。
 復讐に駆られて動いていた、その糸がぷつんと切れちゃったんだよね。
 見渡す限り一面の瓦礫。こんな事をしても、私のお兄ちゃんは戻ってこないんだって分かって……でもその時には何もかも遅くて。


 未だに、あの日の光景を思い出すの。誰もいない荒野に一人きり、何もかも失って空っぽになった私。 
 それから3年間、私は洞窟の底に閉じこもることになる。自分がまた暴走して、何万もの人々の命を奪ってしまうのが怖かったの。
 それに、私がしてしまったことをどうにか償えないかって、魔法の勉強も一杯したわ。けれど、どう頑張っても時間は残酷で。2ヶ月の巻き戻し、なんていうとんでもない再生術を扱えるようになる頃には1年が経過していたわ。
 完全に目標を見失った私は一人孤独に耐えられるほど強くもなくて。心の穴を埋めようと、人間をさらって来ては友達になろうと試みた……何度も何度も。けど、彼らはみんな私のことを恐れて逃げ出してしまうの。
 次第に私は人間と友達になるのを諦めて……支配することでどうにか人間達と関係を持てないかと考えたわ。幸か不幸か、そう思うようになった時には私の手には強力な再生魔法があった。





「……そこから先は、クレアちゃんも知っている通りよ。私は2年かけて私の帝国を……って」
 語り終えてクレアをチラと見やったバハムートは、慌てて声のトーンを落とした。
「寝ちゃったのね……」
 覗き込んでみると、クレアは瞼を閉じてすやすやと寝息を立てている。見ているだけでこっちまで安心するような、安らかで可愛らしい寝顔だ。
「それでも、聞いてくれてありがとう」
 バハムートは小さく囁き、そして月明かりを捉えて銀色に輝く彼女の前髪をそっと掻き分けて額にキスをした。
 今度は、今度こそは。この幸せを放さない。
 クレアに握られたままの手を、ぎゅっと握り直し。手を繋いだままバハムートは目を閉じた。
「おやすみなさい」