ゴツゴツとした石の感触を枕に感じて、あなたは目を覚ましました。起き上がってみれば、露に濡れた草葉がさらさらと体を擦り衣服をしっとりと濡らします。ここはいったいどこだろう。あなたは精一杯記憶の糸を手繰りましたが、今この状況につながる出来事は思い当たりません。たしか、いつものように寝たはずでした。だとしたら、これは夢でしょうか。
 辺りを見回してみると、切り立った岩山が雲を貫いて浮島のように転々と顔を出しています。星々のきらめく夜空に、雲海。景色だけ見ればまさに夢か幻のようです。でも、あなたの体を撫でて去って行く風は冷たく、その風が運んでくる夜の香りは心地よくて。ただの夢と断じるには不思議な現実感がありました。
「こんな夜更けにどうしたの? そんなところにいるとセルリアンに襲われちゃうわ」
 囁くような優しい声。風に混じる甘やかな香りに振り向いて見れば、そこには紅の柱が2本、聳え立っていました。神社の鳥居? にしてはその柱の径は美しい曲線を描いており、どことなく温かみを感じさせます。
 寝起きか夢心地かで判断力が鈍っていたのでしょう、あなたがその正体に気づいたのは、なんとなく歩み寄ってそれに手をついてからでした。なんだかとても柔らかくて、いい手触り。それはまるで、女の子のふくらはぎみたいな……みたいな……?
「私の脚、気に入った?」
 上から声をかけられて、はっとして見上げます。声の主は見えませんでしたが、あなたの視界にはこの2本の柱の繋がる場所がはっきりと見えてしまいました。紅色のタイツに覆われた、むっちりとした太もも、お尻。そしてそれを取り囲むカーテンのようなミニスカート。どうやら、やはりというべきでしょうか。これは、大きな女の子の脚のようです。確認とばかりに下を見れば、艶やかな黒のストラップシューズが草をなぎ倒して地面を踏みしめていました。
 あなたは慌てて後ずさりし、それでも張り出した胸のかげに隠れて見えない相手に非礼を詫びました。
「あら? どうして謝るのかしら。もっと触っててもいいのに……」
 大きな女の子はゆっくりとしゃがみこみました。視界のほとんどを覆うその体が動く様は、まるで自分がリフトに乗って上昇しているのではないかと錯覚を覚えるほどでした。
 その子がしゃがみこんで初めて、あなたにはその子の全体像がつかめました。純白のコートに、スカートやタイツは紅色。夜風にたなびくセミロングは、月明かりを受けてキラキラと輝く白銀で、もみあげから伸びた一部だけに紅色への鮮やかなグラデーションが施されています。何よりも特徴的なのが、頭についている翼のようなもの。そして股の間から覗く尾羽のようなものと合わせて(そして体の大きさも含めて)どうやら人間ではないらしいことが伺い知れました。
 けれども、あなたはその女の子を怖いなんて、少しも思いませんでした。おっとりとした優しげな顔立ち。金色を湛えた穏やかな瞳。銀色の星灯りに縁取られた柔らかな微笑みが、あなたの心を暖かく包み込みます。
「はじめまして、私はトキ。あなたは? 見慣れないフレンズだけど……もしかして、私のファン?」
 ファンかと問われれば、答えは「はい」のような気がしました。ただ一目、彼女の微笑みを見ただけで。
「むふ……♪ それじゃぁ早速一曲……と行きたいところなのだけれど、夜に歌うとみんなに迷惑だから、歌は我慢してね」
 どうやらトキは歌が好きなようで、少々残念そうでした。代わりに、紅色の手袋に包まれた大きな手をあなたの脇の下に差し入れて、あなたを持ち上げます。まるで人と子猫みたいなサイズ差でした。体をがっしりと掴むトキの手は暖かくて、柔らかくて、滑らかで、そして強さと優しさに溢れていました。だから、足が地面を離れても全く怖くありませんでした。
 トキはあなたを持ったまま立ち上がりました。ぐっと地面が遠くなります。だいたい7メートルくらいでしょうか。トキの体はあなたの体の、およそ5倍かそれ以上あるのがわかりました。
「まずはご挨拶」
 トキの顔が、ぐいっとあなたに近づきました。なんとなく、何をさえれるのかがわかりましたが、あなたはされるがままその唇に顔を埋めることになりました。なにせ、あなたをがっしりと持ち上げているこの手はその気にさえなればあなたの上半身を握り潰せてしまうほどのものなのです。抵抗しようとも思いませんでしたが、けれどなんだか後ろめたいような気にもなります。
 しばらくの間、トキはあなたを確かめるように優しくやさしくあなたを唇に押し付けていました。しっとりとした柔らかな唇。ずっとこうして顔を埋めていたいと思える心地よさ。鼻から漏れ出る吐息がうなじをくすぐり、とてもこそばゆいです。
 長い挨拶が終わると、トキはあなたをその胸に抱きしめました。
「私に会うためにこんなところまで大変だったでしょう? よく頑張ったわね」
 ずし、ずし、と重たい地響きを伴ってトキはぺたんと女の子座りになり、やや体を後ろにそらしてあなたが無理なくその胸に体を預けられるようにしました。ゆっくり手を離すと、程よく発育したその胸はあなたを優しく受け止めます。まるで最高級の羽布団のよう。いいえ、それ以上かもしれません。羽布団には、こんな心地の良い弾力は出せないでしょうから。
「あら、気に入ってくれた? ならよかったわ」
 トキはあなたをその大きな手で優しく撫でてくれます。その上品な手袋も極上の触り心地で、撫でられているだけなのに幸せでとろけてしまいそうです。
「うふ……可愛い。あなたは甘えんぼさんなフレンズなのね」
 その感触を精一杯味わおうと、ついついトキの胸に顔を擦り付けていたようです。けれどトキは嫌がるそぶりを見せることなく、あなたを両手で優しく包み込みました。
「恥ずかしがらなくていいわ。私、甘えられるのも好きだもの」
 トキの手が、ぎゅっとあなたを抱きしめて胸にうずめます。どくん、どくん。力強く、けれどどこか安心する鼓動が胸を通して全身へ響き渡ります。できればずっと、この音を聴き続けていたい。とても心地のいい、原初の音。
 けれど、あなたはその音が早まったのを確かに感じました。あなたを抱きしめている両の手に力が加わるのがわかります。何かよくないことが起きているらしいことが、何と無くわかりました。
「セルリアン……」
 トキが小さくつぶやきました。その声は先ほどまでと変わらず囁くようなウィスパーボイスでしたが、けれどどこか憎悪のような恐ろしさが秘められていました。
「この子は渡さないわ」
 地面を踏みしめて立ち上がる音、そして急激にかかる加速。トキの胸に強く抱きしめられているせいで何も見えませんでしたが、なにかがトキの足に触れた音がしました。柔らかく、ゲル状のものが。さっきまでそんなものはありませんでしたから、それらは後からここに”来た”ということになります。背筋が凍るのを感じました。音からして、あなたの体よりは大きい、そんな何かがおそらくは獲物を探して蠢いているような場所だったとは。
「……大丈夫よ。あなたは私が守るもの」
 あなたが震えているのを感じたのでしょう。トキは優しくあなたに語りかけ……そして足を持ち上げたようでした。彼女の足にまとわりついていたモノが、ずるりと剥がれ落ちる音がします。
 そして。
「私のファンに手を出したら……こうだから」
 ズン!!
 ズン!!
 べしゃ、ぐしゃ、パッカーン! 地響きと、何かが潰れる嫌な音が続きました。胸に抱かれたあなたを激しい振動が何度も襲います。あの黒いストラップシューズが幾度も幾度も、ゲル状の生物を踏みつけ足跡を穿っているその様が容易に想像できるほどに。おそらくあなたでは手も足も出ないであろう恐ろしい生物を簡単に踏み殺し、小さな地震すらも巻き起こすこの少女の力の強さを思い知りました。
「もう大丈夫よ」
 トキは再びぺたんと座り込み、先ほどの体勢に戻りました。気になって振り返ってみても、そこには特に残骸のようなものはなく、ただ彼女が刻みつけたストラップシューズの足跡と地割れのみが残されているだけでした。それでもその威力と凄惨さを知るには十分過ぎましたが、それでもあなたはトキを怖いと思うことはありませんでした。
 むしろ頼もしく、このままずっと身を預けていたいとすら思います。
「怖い思いをさせてしまったわね……あなたは小さいから、あのくらいのセルリアンでもきっと食べられちゃうもの」
 トキは再び、胸の上に寝そべったあなたを撫で始めました。なんだかだんだん眠くなってきます。
「眠くなっちゃった? こんな時間だもんね……安心して寝るといいわ。私が守ってあげるから」
 心音、呼吸音。トキに抱かれ、最高の寝心地に包まれて、あなたの意識は次第に眠りの渚へと誘われていきます。
「明日起きたら、私の歌をたくさん聞かせてあげる。楽しみにね……」
 

「おやすみなさい」