「にゃ~ん!」
地霊殿。幻想郷の奥底、旧地獄に蓋をする意外と洋風な建物。ステンドグラス彩る光と影に切り取ら
れ、薄明かりの廊下を猫がゆく。
「にゃ?」
猫は主人の部屋に戻る途中で、不可解な気配に気が付いて歩みを止めた。見上げる空間はやはり
ガラスに映し出された彩色の黄昏。
「にゃーん……」
猫は廊下に敷かれたマットで爪をバリバリやると、くるりと踵を返した。その猫の、1本多い尻尾が暗
闇の中にゆらゆらと揺れる。時折通りすぎる窓の光が鮮やか過ぎる幾何学模様をその猫の体に投
射した。
「お待ちなさい」
猫が耳をピンと立て、そして尻尾を小さく振ってその声に返事をする。さっき、猫が違和感を感じた辺
りから。
「今日は貴方に用があって、地獄まで降りて来たの。とりあえずお話が出来る姿になってちょうだい」
猫は相手の意図がつかめず、どうするべきか背中を向けたまま考えた。意識の深層まで続いていそ
うな薄暗い廊下の果てを見据えて。
「逃げても無駄よ。ばっくれても無駄。私はあなたが誰だか知っているわ。それから、私は貴方に害を
加えるつもりはない。むしろ……楽しいことをさせてあげる」
猫はくるりと振り返った。振り返る猫の視界に、少女が映った。金髪の、背の高い少女。窓の明かりを
掌に受け、その模様を観察するかのように弄んでいる。
「……ほら、早く化けて頂戴。そうしないとお姉さんが抱っこしてもふもふしちゃうぞ!」
「ごめんなさい、それはお断りします」
ぼん、と猫の周りに煙が巻き、そして煙が収まった時には一人の少女が立っていた。
「なんでそれは嫌なのよ」
「いや、私猫だけど猫じゃないし」
赤い髪を三つ編みのおさげにまとめた少女は言った。髪の隙間から飛び出した艶やかな黒毛に覆わ
れた耳が、ぴくぴくと動く。人間の耳も彼女には見受けられたが、しかしどちらの耳も偽物とは思い難
い。
 緑色を帯びた彼女の服は、ミニスカート版のチャイナドレスと言ったところだろうか。そこから伸びる
白くほっそりとした可憐な脚が薄明かりの廊下に光を受けて立ち、黒く影になる上半身とコントラスト
を織りなす。
「獣も妖となれば己の身分を忘れる。そして獣には戻れない。そう言うことかしらね」
金髪の少女はそのほっそりとした白い指で空間を割いた。すると、そこに先程猫の少女が感じた違
和感が生まれ、やがてその違和感は亜空を覗かせてぱっくりと口を開いた。
「戻れなくなんかないわ。私は人の知性を得た妖獣よ。だから獣みたいに扱わないで、って言ってい
るだけ」
その言葉に、金髪の少女は答えず、そして小さく笑って。
「さぁ、いらっしゃい。獣と人の境界を越えし妖よ。さらなる境界を跨ぎ、己の中に眠る魔性と向き合う
がいいわ」
金髪の少女は優しく言った。しかし猫の少女は、どうにも自分が咎められたような気がしてならなかっ
た。ステンドグラスの光に切り取られた少女。その表情は影に隠れて窺う事が出来なかった。
「別に咎めたわけではないわよ。けれど私は見てみたいの」
少女は猫の思考を読みとったかのようだった。びくりと肩をすくめる猫の少女に向かって少女が一歩
踏み込み、そしてその全身がステンドグラスの写しだす幻燈に浮かび上がった。
「どうかしら?」
赤、黄色。彩られた少女が猫の少女に手を差し伸べる。
「あ……」
猫の少女は、無意識のうちにその手をとっていた。そして気が付く。その少女の持つ力の強大さに。
そして強大な力に抗う事をやめた自分が感じる安堵に。
「さぁ、楽しい楽しい遊びの時間。演じない自分を、演じなさい」
耳元で甘く、やわらかく囁く少女。猫の少女はこくりと頷く。そして踏みこむ。境界へ。
 幻想色の光の中で、一人の少女の影が消え。そしてもう一人の少女も姿を消した。



「おかえり紫、私たちはスタンバイOKだよ。意外と遅かったね」
外の世界。紫を迎えたのは碧い髪に紅の瞳を持つ少女。比名那居天子。
「いやぁ、今までになくカリスマなオープニングを飾ろうと思ったら時間が掛っちゃって」
「お燐ってそういうキャラだっけ? 幽々子とかのほうがずっと重い設定だったと思ったぜ?」
魔理沙が紫に尋ねる。
「いやぁ、なんか地霊殿の空気に呑まれちゃって。あそこで軽いノリの冗談って言いづらくない? も
う、なんていうか空気がシリアスなのよ」
「それは多分さとりの趣味だぜ……否定しちゃいけないんだぜ」
と、魔理沙が言うのと同時に、地面が揺れる。あの猫の少女、火焔猫燐がこの世界にその一歩を踏
み出したのだ。
「では各自配置へ」
紫の一言に、カメラを持った命知らずの撮影者たちが地を蹴り飛び出した。天子は暇だから、魔理沙
はマジックアイテムと引き換え、そしてにとりはPS3で、各々雇われたのであった。





「ここは……地上ね」
お燐はとりあえず自身が立っている空間に対して冷静に考察を加える。天高く輝く太陽は地底のイミ
テーションとはものが違うし、何より青く広い大空という時点でそこまでは正解だろうと、お燐は思う。
「そして……あれは山。山から流れ込むのは川。うん、そこまでもいいわね」
木々に覆われた山、渓流。俯瞰する自然は繊細なジオラマ。
「で、私の腰のあたりにかかっているのは雲。さすが、私ったら天才ね!」
お燐はそこで首をかしげて、そしてとりあえず背後の山に腰をかける。
「なんで雲が私の腰のあたりを漂っているのかしら。雲って言うのは、だいたい上空500メートルぐら
いからじゃなかったかしら?」
う~ん、と彼女は唸って考え込む。そして気が付く。自身が腰かけているものの正体に。
「そう、これも山……って、山?」
そして気が付く。足元から聞こえてくる悲鳴、人の声。同じ大きさになった人間には到底聞こえないほ
どのものだろうが、しかし猫の鋭敏な聴覚はその方向、そして詳細な位置までも正確に突き止めた。
「っ……そんな、私のせいじゃないもん!」
その声は、お燐を罵倒し、非難し、理不尽を嘆いていた。
「やめて……私は、連れてこられただけなのよ、何も知らない!」
けれどその声は止むことは無かった。突然現れた生ける大災害を恐れ、そして呪った。
「あうぅ……ごめんなさい、ごめんなさい」
お燐は必死に謝った。その場から動くことも出来ず、ただただ頭を下げて。しかし、当然家族や友達、
親族を亡くしたであろう人々の怒りは収まるところを知らなかった。燐が涙を流して謝っても、許しはし
なかったのだった。
 しかしそれがいけなかった。彼女が人の心を持って、いつまでも対等に接してくれると、そう思った
人々の思い上がりが彼女を変えた。
「ふふ……あはは、もういいよ! そうだよね、許せるわけないよね!! そんなら遺族がいなくなる
ように、孤児が一切出ないように、友人も親族も全員皆殺しにして……醜い死体にしてあげるわ
よ!!」
ひどい逆切れとも、当然の反応とも。お燐は半泣きのまま、靴を脱ぎ捨てて立ちあがった。
「私の足の下で跡形もなく潰れちゃいなさい!!」
ずしいぃぃん! 彼女の巨大な足が住宅街に踏み下ろされる。その余りある衝撃は周囲の地盤をめ
くれ上がらせ、そして潰された家々を地底に埋めるのに何の苦労も見出さなかった。自分の足の下
でたくさんの建物が潰れる感触と、そして聴覚でそれを確かめる。蠢いていた気配がいくつも潰え、
そして自分に対する罵声や野次が悲鳴に変わっていく。
「あれ……なんだろう。なんだか気持ちいい」
お燐は不思議と、快感をその中に見出した。やけくそで、やったはずなのに。
 もう一歩、踏み出してみる。するとまた、沢山の気配が悲鳴を上げて消える。その弱さが、彼女の心
をくすぐる。
「あは、あれだけ言っていたのに私が動き出すと何にも出来ないんだね。ほら、私は歩いてるだけだ
よ?」
ずしん、ずしん! お燐が一歩踏み出すごとに大地は揺れ、踏まれた家は跡形もなくなり、彼女の足
が引きずる大気はその後方に竜巻を起こして大地を引っかく。




「歩いてるだけ、ねぇ。確かにそうなんだけど」
その様子をちょうど彼女の足元で撮影していた天子が呟いた。
「いやはや、これは参るわ……今日は風圧無効装備なのに……ついでに耐震装備なのに。私自慢
のサラサラヘアーが……」
彼女は電信柱の影に身を隠して、その風圧をやり過ごした。彼女の碧い髪が暴風に弄ばれ、家の屋
根が、折れた木が、そして人間が宙に舞い上がる。
「って……おい!」
風が収まり、天子が前を向くと……まず電柱が自分に寄りかかっていることに気が付いた。周囲の建
物は全壊半壊、それはもうひどい有様なのに。どうやら電柱を使って風をしのぐつもりが、電柱を逆
に支える結果となったようだ。そして。
「いや、近っ!!」
電柱を緋想の剣で切り飛ばすと、そこには巨大な親指が。途方もなく巨大で、そして半分以上は地に
埋もれているが、それに並ぶ指と爪のお陰でそれが彼女の親指であることが覗い知れた。
「風圧無効装備SUGEEEE! っていうかマジで近いわ! これはいい絵になっただろうに……まぁい
いわ、次の一歩にかける!」
天子はそう言って地を蹴り、逃げ惑う人々の頭上を飛翔する。その秒速、実に50メートル。時速180
キロ。しかしそんな彼女を追い越して、お燐の足が次の一歩を踏み下ろす。
「うおぉぉ、間にあえっ!」
天子がどうにかそれに追いついて、足が踏み下ろされる瞬間の撮影に成功した。NH●ならば、その
瞬間をとらえた貴重な映像をご覧ください、とでも言いそうな。


 これはボーダー商事と河童の誇るスーパースローカメラで撮影された映像です。
 まず、最大幅70メートル縦240メートルにわたって、住宅街が影に覆い尽くされます。これは、
1000倍に巨大化した少女の足が作り出す影です。昼間だと言うのに、太陽光が遮られ一帯は夕暮
れの闇に包まれます。
 すると地上に変化が現れます。家々の屋根に注目して下さい。少女の足が圧搾した空気により、一
部がへこみ始めます。路地を逃げ回っている人々も、この風に耐えかねて皆、地に伏し身動きが取
れなくなります。屋根を押しつぶすほどの風ですから、いくら面積の小さい人間と言えどとても立って
いることはできません。
 そして、いよいよ少女の足が既に風圧で変形した住宅に重くのしかかります。ごらんください、家の
壁が押されることにより、丸く歪んでいるのがお分かり頂けるでしょうか。そして……いよいよ変形に
耐えきれなくなった住宅は弾けるように崩壊します。少女の足の面積分に敷き詰められた家々が一
斉に破裂するその様は、何にも似ず、彼女が絶対的な力を持っていることを象徴させます。
 最後に、地べたに這いつくばった運のない人間達が、地面と少女の足の裏の間に押しつぶされま
す。こちらも、家と同じように圧力に耐え切れなくなって破裂し、そして平面となるのです。
 スーパースローでお送りしましたが、これはほんの数秒の出来事。1000倍の巨人となった彼女に
とってはただの一歩にしか過ぎません。


 と、N●Kの科学番組風に説明するならそんなところである。それが実際に、天子の目の前で起
こった。
「あ~南無三。燐ちゃんには聞こえてるのにね、彼らの悲鳴が。いや、聞こえてるから踏みつぶすの
かな。私よりも残酷なところがあるね」
天子はその様子を間近で見て、そうぼやいた。






「そしてこちら、魔理沙なんだぜ。私は今、多分とあることに気が付いたんだぜ。お燐のやつ、円を描
くように歩いてるんだぜ……」
魔理沙の見下ろす大地には、彼女が歩いた足跡がくっきりとついていた。足跡の周りにはいくつもの
地割れが走り、足跡同士を繋いでいる。上空2000メートルから見下ろして見える辺り、それは普通
の人間には超えることのできないほどの地割れであるはずだった。
「お燐は……生と死の境界を定めてるのか? いや、そうは見えないぜ……」
 その答えを知る、火焔猫燐は、そんなつもりではなかった。ただ、彼女の優れた聴覚は、人間がど
ちらの方向にどれだけ逃げたのかを全て把握していた。小動物を狩る、猫の能力。それは、獲物の
気配を探り、待ち伏せ、そして時には自ら動き追い詰める鋭い嗅覚と聴覚。
「ふふ……貴方達の命はもはや私の掌の上。どう逃げても間に合わない」
歩を進めるごとに、自分から遠ざかるように逃げていく人間達の気配。踏みつぶした人間の倍くらい
が。進行方向に逃げては意味がないことぐらい、彼らは知っているのだろう。燐の左右にざっと分か
れて我先に逃げ出していく。
 ずしん! その一歩が、お燐が最初につけた足跡と繋がった。円が完成したのである。 その円
は、巨大なお燐が中に何人も寝転べるほどの広さ。半径3キロの巨大な円。人体錬成の陣を書けば
相当量の賢者の石が……ってそれは別のお話。とにかく彼女の足跡と、それによって引き起こされ
た地割れはそれだけで人間にとっては絶望的な深さの溝となっていた。
「ふふ……それじゃ2週目ね。ほらほら、逃げないと潰れちゃうよ? あ、私みたいな女の子に潰され
て死にたい人は残ってね」
彼女の綺麗な脚が、1週目に付けた足跡のすぐ内側を、さらに綿密に踏みつぶして行く。イライラす
るほど遅いけれど、人々は確実に円の内側へと逃げていく。もちろん円の対角線にいる人々は外に
向かって逃げようとするけれど、そこには絶望の断崖絶壁。逃げようとしたものはそこで立ち止り、そ
して街を踏みつぶしながら迫りくる少女に怯えて仕方なく円の内側へと逃げ込む。
「そう、そうして貴方達が逃げ回っている間にも……島は小さくなっていく」
耳をぱたぱたやって、お燐は愉しそうに言った。彼女の中のサディスティックな感情が、相手より優位
に立っていたいと言う支配的欲求が首をもたげる。中心に人々を集めて、何千人もいっぺんに踏み
つぶす。その瞬間を想像するだけで、わくわくした。
「他者を淘汰し、自らの種が一番になる。そのためには自ら以外の生物が全て滅んでも構わないの
が人間。そうでもないのが動物。意図的にに破壊をもたらす彼女は今、本性から人間的で妖怪的で
ある。ふふ……やっぱりあの子はただの妖獣には戻れない」
遠くの山の山頂から、その様子を見届ける紫が呟いた。
「いい。いいわよ……もっと貴方のサディスティックな一面を見せて」



「げげっ! 人間……がいっぱい押し寄せてくるよ!」
その円の外側からその様子を撮影していたにとりは慌てて空中高く飛び上がった。何といっても彼
女、被写体に影響を与えないために透明化しているのだが、そんな状態で群衆に轢かれたらスーツ
が危ない。
「みんな必死だねぇ……多分こっちにいる人たちは既に助かってるのに」
にとりはそこではっと気が付く。円の外にいる。つまりは自分も今回はひどい目に遭わずにすむので
はないか、と。
 そう思ったのがいけなかった。フラグだった。
「あ、そうだ。皆殺しって宣告したもんね。遺族が出ないようにしないと」
お燐が指をパチンと鳴らすと、そこにいた者の視界が、そして空までもが緋色に染まった。一瞬にし
て、何もかもが真っ赤に染め上がり、そしてその光が収まった時に初めて、何が起こったのかを理解
出来た。円の外側を灼熱の爆煙が焼き払ったのだ。山肌は一瞬にして茶色の土を露出させ、家も人
も、灰になる。爆風が、ものすごい質量を持つお燐のスカートをめくり、まぶしい太腿と黒いパンツを
露出させた。
「死体を焼くのは得意だよ。生きてる人間を焼くのも」
お燐はにっこり笑って言った。可愛いはずの少女の笑顔。やっていることとのギャップに誰もが戦慄
を覚えた。
「あぢぢぢぢぢぢぢ!! 水! 水うぅぅ!!」
にとりはその中でもどうにか生きていた。さすが妖怪、さすが水タイプ。こうかはいまひとつのようだ。
しかしどう足掻いてもこの状況下で水などある訳なく、地面を3回ほど転げてその火を消し止めた。
「もう……ヤダ」
にとりはそういってばたり、と焼け焦げた地面に倒れ込み、そしてそれ自体が高熱であることに気が
付いてまた飛び上がった。
「なんで毎回私はこんな役回りなの~!?」




「お燐のやつ……どSのさとりんに似てやっぱりどSだったか」
爆風に煽られながらも、何とか持ち直した魔理沙がほぼ真上からその様子を見降ろす。円はさっきよ
りも大部小さくなっていた。もう、4週目ぐらいだろうか。お燐が倒れ込めば全部潰れてしまうほどの
大きさにまでなっている。
「そう言えば、あいつのスペカでこんなのあったな~。なんだっけ、恨霊『スプリーンイーター』だっけ
な。あの弾幕も円の中に追いつめられるんだよな……あっちは普通に逃げられるけど。原作ネタが
分からない人は私の著書、グリモワオブマリサを買ってくれなのぜ」
魔理沙はその弾幕を思い出す。自身の周りに米粒弾が円状に配置され……そして円が狭まってく
る。その時に外にうまく脱出しないと……その中心で盛大な爆発が起こってピチューン、である。ノー
マルまでは。ルナは、若干回らないといけない。
「つまり、あの街の結末は、どっかーんとなってピチューンだな。いまさら言うまでもないか」
じりじりと、端っこから、お燐は街を踏みつぶしていく。柔らかそうに見える白い足が、指が。家を何件
もまとめて簡単に踏み砕き、そして地下深くに圧縮して埋める。5階建てのマンションも、足を全く上
げる必要すらなく、普通に歩くだけでぷちっと踏みつぶせてしまう。
「クスクス……脆いね。でも気持ちいいよ。ありがとう、私に踏みつぶされるためにわざわざこんなに
たくさんの箱を並べてくれて」

内側に至れば至るほど、お燐の円を周回する時間は短くなる。半径の3.14倍に比例する速度で。
「あぁ、そろそろこのスペカの1ループが終了だぜ……」
いよいよ、お燐が座ればちょうどそのおしりの下に収まってしまうぐらいの空間に人々は集められた。
その数実に1万人。どうしようか、お燐は考えた。このまま座ってお尻ですり潰すのも、胸で押しつぶ
すのもいい。けれど、一番くすぐったくて楽しいのはやっぱり足。それに、まだもう少し圧縮できそう
だ。お燐はそう思って、その残された空間を跨いで仁王立ちした。
「皆さんは運よくここまでのこれました。今の貴方達は私が座れば全員ミンチ。どう? 怖い? でも
大丈夫。このパンツが貴方達の血で汚れることはないわ。そのかわり、私の素足で貴方達を丁寧に
葬ってあげる」
そう言って、彼女は円の中心を挟むようにして足を投げ出し座り込んだ。故に残された空間はお燐
の、可愛くも巨大な太腿の間に挟まれることとなった。
「で、その前に。みなさんもうちょっと集合してくれませんか? まだ、屋根の上とかに乗れば全然い
けるよ?」
さすがお燐。性格は人間ながら、発想は猫だった。
「そうしないと……ほら、両側から壁が迫って来ますよ~!」
お燐は笑みを浮かべ、そして太腿をぐいと内側に動かした。少し、ほんの少し動かしただけのつもり
だったのだが、天子のカメラはその肌色の壁が沢山の家を押し潰したのを確かにとらえた。彼女は
今、高度20メートルの高さに飛翔している。それでもなお、お燐の肉壁は高く聳えて視界を遮るほど
のものだった。
 ゆっくりと、緩慢に。しかし確実にお燐の太腿が両側から迫る。ばきばき、めきめきとその下に建物
を敷き潰し。10階建ての集合住宅が集まる団地に差し掛かっても、何ら衰えることなくそれらをバッ
タバッタとなぎ倒してスクラップへと変貌させる。
「もうだめだ……おしまいだ!」
そんな叫びがあちこちから聞こえるが、直も人間達は必死で逃げた。1秒でも長く生きていたいの
か、死が恐ろしいだけなのかは分からないが。
「くすっ」
そんな嘆きを聞いてお燐は笑う。なんてちっぽけな、矮小な存在。こんなものが外の世界を支配して
いるなんて信じられない。
「さて、もうそろそろいい感じかな?」
狭まった三角形の空間は、ちょうどお燐が踏みつぶせるほどの大きさ。その中に、一万人がひしめい
ているのだ。
「さ、女の子の素足ですよ~」
お燐は立ち上がり、そして右足を街の上にかざした。
「どう? 綺麗でしょ、私の足。こんな綺麗な女の子の、綺麗な足に踏まれて死ぬんだから、本望よ
ね。ふふっ。それじゃサヨナラ」
お燐はゆっくりと、いたぶるようにその足を地面に近づけていく。悲鳴、怒号、嘆願。そのいずれも、
彼女を止めることなど出来ず、むしろ興奮させるに至った。
「あ、そうだ。私の髪を降ろした姿、見せてあげる。最後まで逃げた君たちへのご褒美だよ」
一旦あしをどかして、彼女は髪止めのリボンを外して三つ編みを解いた。深紅の髪は高空を吹き抜
ける風にさらさらと舞い、そして解ける。
 本当に、彼女なりに最後まで逃げ伸びた人に敬意を示したのであった。
「どう? いつもはおさげだけど、こっちもなかなか可愛いでしょ?」
そうしてもう一度、街の上に足を持ってくる。今度は本当にやるつもりだ。
「最後までよく頑張ったね。けれど、運命は変わらない。人間の死亡率は100%よ。いつ死ぬかが違う
だけ。ならばせめて……おっきな女の子に踏まれて苦しまずに逝くのもいいでしょう?」
そしてゆっくりと近づけていく。少女の足の匂いが、町全体を覆い尽くす。
「それじゃ、ほんとうにサヨナラ!」
ずずん! 天子もその周りの人々も一様に、少女の足の下に消え去った。
「あぁ、やっと音以外でわかるよ」
お燐はその足の下でたくさんのやわらかいものを感じた。街とは違った、温かいもの。それは触れた
と思った瞬間に弾けるように潰れてしまう。彼女はその感触を楽しむように、右足を動かした。やが
てプチプチと潰れるその感触はねっとりとした感触に変わっていく。これは……彼らの流した血だろ
うか。
 足はさらに深く、深く地面に食い込んでいく。踏みつぶされた人々が圧縮され、石灰岩に姿を変え
るほどの圧力で。
「ふふ……私、今何人踏んだんだろう、本当に」
答える者はない。宣告通りの皆殺し。だれも悲しまなかったし、誰も苦しまなかった。
「数えられたりは……しないよね」
お燐は足をそっと上げた。足の裏についた血の混じった泥がぼろぼろとこぼれ落ちる。彼女が顔を
近づけてみると、そこはまったくもって何もない、更地と化していた。彼女の足を模った更地に。






「なぁんだ! そう言う事だったの……」
夕暮れの荒野。いや、お燐の足跡の中。元の大きさに戻ったお燐が紫に話を聞いて、半分つまらな
さそうに、そして半分安堵の表情を見せる。
「そう。けれど貴方の本性を見れて面白かったわ。意図的な破壊。貴方の心性はやはり人間。自分で
も分ったでしょう? うちの猫よりずっと賢いわね」
紫は扇を口元にあてて笑った。
「……うん」
お燐はやっぱり何か後ろめたくて返事を濁す。
「いいのよ、それで。妖獣ではなく、人妖として生きれば。獣としての在り方を忘れれば、また違った
世界が貴方を受け入れるでしょう」
紫はそんなお燐の、ストレートになった髪を撫でた。
「そう……ね。人間が妖怪化するときってこんな気持ちなのかしら。嫌じゃないけど、なんか前の自分
が死んだみたい」
お燐は物憂げな瞳で紫を見つめ返した。
「燐ちゃん。貴方が何者であろうと貴方は貴方よ。あなたの心性がもはや獣のものとは違ってしまっ
ていても、それは貴方が貴方であるが故に変ったんだもの。それでいいのよ」
天子が優しく言った。
「……ありがと。そうだね、私は私。紫も天子も、いいことに気がつかせてくれたよ!」
お燐は空元気か、天子に思いっきり飛び付いた。そんな彼女を、自分の意思に関係なく天人になって
しまった少女の手が優しく撫ぜた。
「さ、帰ろうぜ! 幻想郷へ」
満身創痍で突っ立っているにとりを魔理沙が無理やり箒に乗せ、そして隙間に搬送する。
「そうだね、帰ろう。後のことは頼んだよ、紫」
天子が、お燐と連れだって隙間へ。そして後に残った紫が一人ごちる。
「つぎは……あら、また守屋組だわ。最近幻想郷に来たばっかりの割に人気が……おっとこれは嫉
妬なんかじゃないわよ。うん。彼女の神徳、見せてもらいましょうかね」