「私より弱い奴の命令は聞きたくないわ」
紅魔館、エントランスホール。この館の主は天人の申し出にそう返した。
「なら貴方を倒して実力を証明すればいいのね?」
天人……比那名居天子は緋想の剣を懐から取り出し起動する。薄暗い闇の中、気を集めて実体化
した緋色の刃が筋走った。
「ふふ……あなたは……」
窓から差し込む紅い月光に模られた少女は、小柄であった。ピンク色のワンピースに身を包んだそ
の姿はまだ子供のようであったが、それにしては不相応な威圧感を有していた。あまり見かけない帽
子から覗く髪の毛は蒼みを帯びた銀。闇の中においても爛々と輝く彼女の紅い瞳は、彼女が人なら
ざる者であることを教えてくれる。
 天子は、嫌な感触を覚えた。その少女は剣を向けられているにもかかわらず、余裕の笑みを浮か
べている……。詳細な表情は見てとれないが、闇を通してそんな気配が伝わってきたのだ。相手は
幻想郷屈指の実力者。その余裕と貫録が、圧倒的なカリスマとなって溢れ出ている。
「一体誰に向かってそんな口を聞いているのかしらね!?」
バシュウゥゥッ!! 一条の紅い閃光が闇を切り裂き、次の瞬間それは天子の懐に飛び込んでい
た。バチチィィ、激しい火花が閃きそこで初めて何が起きたのか理解出来た。この紅魔館の主、レミリ
ア・スカーレットが紅く燃え上がる槍を出現させ突進したのだった。だがしかし天人も然る者、その驚
異的なスピードに全く臆することなく彼女の突き出した槍を弾き、返すその手で相手の胴を薙ぐ。レミ
リアはすかさず弾かれた勢いを利用して槍の柄でその攻撃を受け流し、隙の出来た天子の腹を槍で
切りつけようとした。
「ちっ!」
天子は紙一重の所で槍の穂先を交わし、穂先を押さえるようにして剣を交えそこから篭手を狙う。し
かし吸血鬼の動体視力と反応速度はそれを許さず、僅かに手を逸らし篭手を抜き剣を横ざまに打ち
払う。剣を弾けばその主の懐はガラ空き。レミリアはそこに向かって鋭い突きを繰り出した。
 天子はすかさず相手の手を蹴上げ、その狙いを外す。それた穂先が彼女のバルーンスリーブを掠
め焦げた臭いが鼻をついた。
「もらった!」
攻撃の直後ならば! 天子は再び相手の胴を狙うが、槍の石突き(柄の一番下の部分)がそれを阻
む。
 一撃、二撃。どれも渾身の力を込めての斬撃だが、槍は穂先と石突を交互に出してそれを軽々と
受け止め弾き返してしまう。闇の中、剣戟の火花が踊る様に舞い、輝く緋想の剣が、そして槍が眼に
もとまらぬ速度で尾を引いてぶつかりあう。そのまま数分打ち合ったが、まるで勝機がつかめない。
レミリアは涼しい顔で槍を振るい、天子はその優雅かつ獰猛な攻めに次第に追い詰められていっ
た。
「っ……やっぱり剣で槍の間合いには入れないわよね」
形勢を戻そうと飛び退いたその足元を槍が掠め、改めて相手の強さを確認させられる。一瞬遅けれ
ば両足が無くなっていたかもしれない。
「ならば飛び道具で!」
掌にタケノコ状の要石を出現させ、回転させて打ち出す。もちろん単発の弾幕など、避けることは容
易。
「だが避けたところに必ず隙が……」
天子はその隙に向かって、次の攻撃の準備をしていた。が、事は彼女の思うようには進まなかった。
レミリアは迫りくるドリル要石をその槍で真っ向から斬り裂き、そしてこちらに飛び込んできたのであ
る。
「そんな!?」
予想外の出来事に、手に持った要石を慌てて相手に投げつける。本当はここから無数のレーザーが
出て相手を襲うはずだったのだが。バカアァァァン! その投げつけた要石も、まるで豆腐みたいに
斬り裂かれ、天子の喉元に紅く燃える槍が襲いかかった。
「っ!!」
――終わった。天子は次の動作を考えるのをやめた。しかし思考は停止したものの、本能とはしぶと
いもので、気がついた時には慌てて頭を傾げていた。本当はそんなもので回避できるはずがないの
だが……その槍は彼女の頸動脈を紙一重で掠め、彼女の蒼い髪を数本散らしたに過ぎなかった。
何故だ? わざと外したのか? 天子は一瞬疑問に思ったが、その答えはすぐに出た。彼女は片目
を瞑っていた。きっと要石を砕いた際の破片が目に入ったのだろう。故に距離感が狂い、右手から斜
めに突き出した槍はその影響を受けた。
「いただきぃっ!!」
天子は思い切り、相手の腹を硬いブーツの底で蹴飛ばした。小柄なレミリアは砲弾のような速度で吹
き飛ばされ、壁に背中を打ちつける。ばきぃぃっ! 嫌な音がし、ほこり臭い煙が立ち込めた。もちろ
ん傷ついたのは少女の方ではなく、壁の方であるが。
 地を蹴り、加速を生む。緋想の剣を正眼に構えて、最大限のスピードで相手に向かう。今なら勝て
る、今しか勝てない!! 距離を詰める彼女は、常人には緋と蒼の閃光にしか見えなかった。だが、
同時に天子は冷静さも欠いてはいなかった。だから見落とさなかった。慌てて上半身を起こし、反撃
の一手として槍を逆手に構えたレミリアの動きを。
 刹那。紅の閃光がレミリアの手を離れ、緋と蒼の閃光と交差する。レミリアがその手に持った槍を天
子に向かって投げつけたのだった。ザシュッ! ドッ!! 槍は何かを貫いて、エントランスの向こう
側の壁を穿ち突き刺さる。
「手応えありっ!」
してやったり。レミリアはそう思った。しかし、なんと言う事だろうか。自分の喉元には緋想の剣がしっ
かりと突き付けられていた。貫いたと思った天人の勝ち誇った笑みが、頭上にあった。槍が通過した
際に掠めた彼女の長髪が数本宙を舞い、月光を捉えてキラキラと輝いている。
「残念。貴方が射抜いたのはあれよ」
天子は緋想の剣を仕舞い込み、そしてレミリアの手を引っ張って立ち上がらせた。レミリアが目にした
のは、エントランスの向こう側の壁に突き立った槍と、それに貫かれて留めつけられている天子の帽
子であった。
「う……うー☆ うー☆」
レミリアはその場で頭を抱えてうずくまってしまった。よほど自分の敗北を認めたくないのだろう。しか
しこれではさっきまでのカリスマも台無しである。大人しく負けを認めた方がいいくらい。
「ねぇ、魔理沙お姉ちゃん! これから行く外の世界ってどんなところなの~?」
と、そんな声が廊下の方から聞こえてくる。この声は、あの子だ。
「ん? え~っとなぁ、面白いところだよ」
魔理沙の声が答えた。
「ん? あれ? なんだレミリア。負けたのか」
エントランスホールに戻ってきた金髪の少女、霧雨魔理沙は縮こまるレミリアを見降ろして言った。そ
の後ろから、金髪をサイドテールで纏めた幼女がついてくる。白のブラウスに紅いベスト、紅いスカー
ト。背中からは、翼幕のかわりに数多の宝玉を釣るした奇妙な翼が生えている。フランドール・スカー
レット。全てを破壊する程度の能力を持った、495歳の幼女である。姉と同じ吸血鬼であるため年をと
るのが恐ろしく遅い。
「ま、負けてないわ! 負けてあげたのよ!」
半ベソで魔理沙を見上げて言いかえすレミリア。500歳の吸血鬼とは言え、やはり泣き顔は子ども
か、と天子は思った。もし500歳と言う情報が本当なら、私と同い年ぐらいだな、とも思いなんだか変
な気分になる。
「私が本気になったらこんな天人ぐらい……」
「はいはい、いいから行くぜ? 紫が待ってる」
レミリアの襟首を掴んで、ずるずると引きずって行く魔理沙。その後を追いかけるフラン。
「はぁ……確かにね。運がなければ負けてたわ。本当に、幻想郷屈指の猛者ね」
そんな3人を見送って、天子は帽子に突き刺さった槍を抜いた。




 初冬。師走の上旬の街は、冷え込んでいた。空はこの時期にしては珍しく重く垂れ込めた雲に覆わ
れ、都会の明りに照らされてうっすらと輝いている。今夜は雪の予報だった。窓から漏れる光はどれ
も暖かく、各々が家に帰ってそれぞれの時間を過ごしている。デパートや駅には、赤や緑の飾りつけ
がなされ、煌びやかな電飾が交互にちかちかと輝いて楽しげな雰囲気を醸し出していた。幸せそう
で、平穏な街。
 程無くして雪が降り始めた。しんしんと降り積もる雪はこの時期には例を見ないほどの本降りで、
家々の屋根を白くデコレーションしていく。やがて、電車も終電を迎え車の行き交いも無くなる深夜に
なると、雪は10センチ以上も降り積もっていた。明日の朝は交通機関が大変だな。そんなことを思い
ながら、人々は眠る。確かに、明日の朝は大変かもしれないが、その前にもっと大変なことが起こる
だなんて当然誰も思っていない。
 ズドオォォォォン!! 衝撃と爆音。突然、雪雲を貫いて巨大な4本の柱が降ってきた。もちろん
人々はそれが何であるかなんて見当もつかなかったし、その下敷きになった者は何が起きたかすら
解らぬうちに即死した。おそらく痛みを感じる暇すら与えられなかったであろう。これから起こる惨劇
のことを考えると、開幕一番でリタイアした人が一番幸せかもしれない。
「まぁ、リタイアが許されない人間もここにいるんだけどな!」
魔理沙はその4本の肌色の柱の間を縫うように飛び抜ける。当然、その柱はあの二人の、巨大すぎ
る足なのだが。
「う~ん、なんか冷たい」
ずずず……。地響きを伴ってその足が動かされる。
「うっひょおぉぉ! あっぶねえぇぇぇ!!」
その巨大すぎる足があまりに多くの大気を引きずって動くので、それによって発生した渦に飲み込ま
れ、魔理沙は危ういところでフランの白い足にぶつかって粉砕されるところだった。
 ずしいぃぃん! 無作為に踏み下ろされたその先で、フランの足は沢山の家々を踏み潰して被害を
拡大させる。さっき彼女の左足があった場所は暗く深い足跡となり、周囲の雪とのコントラストでその
指の形までくっきりと見てとれる。
「ん……しかもなんだかくすぐったいよ。股もすーすーするし」
雲の上から、フランの声が聞こえてくる。その声の振動によって、彼女の腰のあたりにかかっている
雪雲の中の氷の粒が衝突し、雪は一層激しくなった。
「それは、裸足だからね……。下着も、最近流行りのパンツとか言うのに変えられちゃったし」
この両名、いつもはドロワである。念のために。
「けど、これはこれで気持ちいいかも。夏とか」
雲の上では、金髪の幼女と銀髪の幼女がそんな話をしていた。幼女と言っても、二桁程度のように見
える。つまり小学生程度。
「う~ん、一考の余地はありそうね。美鈴とか咲夜なんかは既にこれだし」
そんな話をしているうちに、辺りの雲はすっかり晴れてしまっていた。主に強烈な音圧に押しのけら
れて。何せ二人の身長は1300メートル。幼女とは言え巨大であるが故にその話声はまさに音響兵
器。大気をかき乱すぐらい容易であった。
「あ、見てみてお姉ちゃん! 霧が晴れたよ~」
フランが、ふとそれに気がついて足元を見降ろす。そこには、雪で白く染まった師走の街並み。黒々
と残されているのはフランの足跡だった。
「わぁ~、綺麗!」
ずっしん! フランは、足下にある住宅地のことなど一切気にせず踏み出した。その足の踏み下ろさ
れたすぐ傍を、丁度魔理沙が飛行していた。
「お? おぉぉぉ!? ちょ、ま」
さっきまで地面に着いていたフランの素足が、高く持ち上げられる。別に普通に踏み出しただけなの
に、その足は魔理沙の遥か頭上300メートルほどにまで上昇し、彼女の踏みつぶした家々の瓦礫を
盛大に巻き上げた。そして急降下。遠くにあると思っていた足があっという間に接近し、魔理沙のすぐ
横を通り過ぎて大地を踏みしめる。建物の断末魔、そして地響き。強烈なダウンバーストが発生し、
地上にたたきつけられた風は雪の街の表層に白と黒のすじを刻む。当然魔理沙もその急激な下降
気流に巻き込まれた訳だが。
「うわああぁぁぁ! コントロールがきかねえええぇぇぇ!!」
箒をどうにか制御しようと必死になるも、どうすることもできなかった。別に箒が無くても飛べるのだ
が。むしろこういう場合は箒を捨ててしまった方がいい。けれど必死になった人間と言うのは何かを
握りしめていないと不安なのか、その発想は魔理沙の中には無かった。危うく地面にぶつかりそうな
ところで、なんとか急旋回して吹き抜ける風に乗り距離を離す。ものすごいスピードで遠ざかっている
はずなのに、フランの足が大きすぎて全く遠ざかったような気がしない。これは1000倍娘を相手取る
ときによくある話ではあるが。
「見てみて~! 足跡残るよ!!」
背中越しに、自分の背後を振り返るフラン。月明かりの照らす白い大地に、黒々とした足跡。雪の中
に足跡をつければ白の中に灰色だが、この場合は雪の層に対して彼女が大きすぎるのだった。足の
下に敷かれた雪は、圧力で融解して水になる。流れる水は吸血鬼の弱点だが、やはりフランが大き
すぎるのと吸血鬼特有の超再生能力でまったくもって効き目がない。
「そうね。今私たちは普通の人間の1000倍の大きさだから、足跡が残っても不思議じゃないわね」
レミリアが頷く。
「おもしろ~い! いっぱい足跡つけちゃお!」
そして踏みだされる足。今度は右足が天高く持ち上げられ、そして地響きを伴って地面へ。その影の
落ちた場所にあった住宅街はその右足の下に消えた。そして巻き起こる爆風と信じられないほどの
大揺れ。それを引き起こした足は、美しかった。降り積もった雪よりも白く透き通るような肌、なだらか
な稜線を描く足の甲。足の指には形のいい、傷を知らない桃色の爪。視線を上へ辿ればほっそりとし
た少女のふくらはぎが見上げる月と重なって、銀色の光の弓を描き出す。オーロラのようなスカート
が高空を吹き抜ける風にいろめかしくひらひらと舞い、彼女の太腿を愛おしげに撫ぜた。仰げば下着
まではっきり見えてしまうものの、それより先に彼女の綺麗な腿に目を奪われる。まだ女性的な発達
を迎えていない太腿はすらりと細く、締まって美しい。抱き締めれば折れてしまうのではないかと不安
になるほど彼女の脚は華奢で繊細だった。495年間のほとんどを幽閉されて過ごしてきた彼女の脚
は光を知らず、やわらかそうで脆そうで少し危なげだった。たとえ身長1300mの巨人であろうと。
 しかし一度動き出せばそれはまさしく破壊兵器。ありとあらゆるものを踏み砕き、押し潰す。人間が
英知を結集して作りだしたいかなる建造物も、兵器も見境なく”押し花”に出来てしまう。そんな脚を
二本も持ち、そして歩くだけでそれを成しえる彼女はまさしく女神と言ったところだろうか。全てを破壊
する程度の、女神。翼幕を奪われ宝玉の吊るされたいびつな翼も、夜空を覆う星々のなかで不思議
な光を纏いそんな雰囲気を助長させる。冬の空に聳え立つ金髪サイドテールの女神は、銀色の月光
に映えて美しく輝いていた。
「えへへ……。怪獣さんだぞ~! 怪獣、フランドール・スカーレットだぞ~ぅ!」
そんな美しい彼女が、無邪気に微笑む。誰もが、彼女を愛さずにはいられないほどの無垢な笑顔。
だが、その笑顔が恐怖の引き金になる。
「えい!」
左足が出て、雪ぼこりを立て街を踏み砕く。全長180メートル、100倍サイズの巨大娘すら踏みつぶせ
てしまう巨大な足。そして立て続けに右、左、右……。ずっしんずっしんと、交互に足が踏み出され、
地響きがエコーのように何重にも重なる。数歩歩いて、彼女は立ち止る。自分の足音の響きを聞いて
いるようだった。そして小さく、クスリと漏らす。
「こんな脆いお家じゃぁ、何も守れないよ、クスクス……」


「う~ん、なんかエロい。私よりガキなのにエロスを感じる」
フランの作った足跡の中から、彼女の黒いパンツを見上げて天子は呟いた。健康的な脚、とはまた
違うが、とにかく華奢で綺麗な脚。それだけならば、幻想郷を探せば他にも当てはまる少女はいるだ
ろう。しかし彼女の場合、吸血鬼と言う種族の持つ圧倒的なカリスマのようなものを持っているためそ
れは一層美しく魅力的に見えるのだ。それは、姉であるレミリアの方も同じ。
 と、そんなことを考えている間に、フランは地響きを立てながら恐ろしいほど遠くに行ってしまった。
もっとも、遠近が狂うためどの位遠くにいるかは巨大娘慣れしたものでなければ正確な判別は付か
ぬだろうが。唯一、空気遠近が素人目にも彼女が遠くにいることを教えてくれた。
 しかし、まだ危機は去った訳ではない。レミリアがいるのだ。
「はぁ。あの子ったら……あんなにはしゃいじゃって。じゃぁ、私もそろそろ」
ついに、レミリアが動き出した。右足を静かに持ち上げ、そしてまだ壊れていない街の上にかざす。
人間の走る速度なんてたかが知れているレミリアの足を最短距離で横切るためにも数秒必要なの
だ。その上、ほとんどの人間がこの二人の登場に腰を抜かしてしまって動けずにいた。故にレミリア
の足元には未だに多くの人間達がいた。そこであえてレミリアはこうした。
「貴方達に10秒あげるわ。私が10から0まで数え下ろす間に逃げなさい。フフフ……いくわよ」
10……9……。山の向こうまで轟くような声で、しかしながら落ち着いた澄ました声でカウントダウン
が始まる。8……7……。腰を抜かして家の中で震え上がっていた人間達も、その言葉の内容を理解
していた。このままここにいたら踏みつぶされる! 路上にへたり込んでいた者たちがもつれる足で
走りだす。6……5……。家の中にいたものはドアに体当たりをする勢いで飛び出してくる。恐怖心で
ろくに足も動かず、転ぶ者もいた。それが少女だろうがなんだろうが、人々は生き延びたいが一心で
その背中を踏みつけて逃げていった。4……3……。
「えへへ……いっぱい踏まれちゃった。わざと転んでみるのも悪くはないわね」
と、天子は起き上ろうとした。すると、その手を誰かに掴まれ、なぜか助け起こされる形となった。こん
な状況で他人の事を気にかける余裕がある人間がいるのか、と驚いてその手の持ち主を見るといか
にも優しそうな青年がそこにいた。2……1……。カウントダウンが0に近づく。今いる場所は彼女の
足の中心から若干外れた場所。普通の人間が今から逃げたのでは間に合わない。しかし、天子は必
要なかったとはいえ自分を助け起したがためにこの青年が命を落とすことになるというのはなんだか
我慢が出来なかった。彼の胴に手を廻し、小脇に抱きかかえて大地を蹴る。……ゼロ。レミリアのカ
ウントダウンが終了し、そして大気を圧搾しながらその足の裏が下りてくる。いつもなら時速300キロ
以上の速度を出せる天子であったが、おそらくそんなに速度を出しては人間のほうが持たない。故に
彼女は上を見上げ、必要最低限の速度で走った。足が下りてくるまで、ほんの1秒もなかったはずだ
が、天子も、そして周りの人間も100分の1秒単位の時間まではっきりと認識できた。異様に長い1秒
間。家の屋根が、接触前に大気圧でひしゃげ、そして彼女の柔らかそうな、しかし強大な破壊力を
持った足の裏が視界に映る。そこから、家が爆ぜるように潰されるまでは引き延ばされた時間間隔で
見ても一瞬であった。
「計画通り! ……じゃなくって、計算通り」
天子がその下を抜けきるのと同時に、レミリアの足が地面に亀裂を入れ、衝撃と暴風が巻き起こる。
風が吹き抜けると、一瞬気圧が下がりそしてまた静寂に戻った。ほとんどの人間はそのあまりの破
壊力に呆然とし、言葉を失っていた。
「あ、そうだ。あんた大丈夫?」
小脇に抱えていた青年を降ろし、彼に尋ねた。
「え? いやぁ、死ぬかと思いましたよ」
それもそのはず。圧搾された空気の中を、時速100キロ以上で運ばれたのだから。
「まったくもう……人間はトロいんだから、他人の事なんかよりまず自分が助かることを考えなさいよ
ね!」
天子は風で傾いた帽子を正して、そしてぷいとそっぽを向いた。なんだかんだで助けてしまったのだ
が、なんとなくそれが気恥ずかしかったので。
「いやぁ、まぁ死なないって分かってたんで」
彼は言った。その言葉に、天子は少々驚き、そして彼に問い質す。
「あなた、記憶があるの?」
「えぇ、まぁ私の特技で”見た夢は絶対に忘れない”と言うものがありまして」
彼は簡潔にその旨を説明してくれた。ある日突然、巨大な少女が現れ街を玩具にして遊びまわる夢
を何度か見たのだという。自分は踏みつぶされて死んだ。そして今起こっているこれも夢であると認
識している。だから、別に踏まれても良かったのだと。
「夢、ねぇ……。まぁあながち間違いじゃないわね。今貴方が経験しているのは現実と言う名の幻想
だもの」
天子はそう言って、佇むレミリア嬢を見上げた。破壊の余韻に浸る様に、足をぐりぐりと動かしてその
下にある瓦礫を粉砕している。
「じゃぁ、次からは助けないから勝手に踏まれてちょうだい」
「えぇ、あなたもお気をつけて。比那名居天子さん」
なんだ、名前を知っているって事はあいつも東方厨か。天子はそう思って、立ち去る彼の背中を見送
る。東方厨の目には、幻想郷の妖怪やら人間やらが巨大化して暴れまわる夢ってのはどう映るのか
な、などと考えつつ。
「さて、いま貴方達は私の右足の右側と左側の二手に分かれて逃げたわね。それじゃぁ私がここで運
命の選択を行いましょう」
ずずず……足が地面を離れ、そして天子が立っている方に向かってきた。選ばれたのは右足の右
側。運命の選択と言う事は、おそらくここは踏みつぶされるのだろう。あの彼も。
「残念、あなたたちは運命に選ばれなかったわ」
レミリアはそう言って、ゆっくりと足を降ろして行った。それでも、人間達にとっては絶望的な速度で。
強風を巻き起こし、地面にいる人間達をピンで留めつけたような格好にする。そして、今度は慎重に
家を押しつぶし、地面すれすれで足を止めた。天子も、その足に押さえつけられ例がいなく地に伏し
ていたが……それがいかに難しいことであるかに天子は気付いた。人間の厚さなんて、太くても30セ
ンチ程度。つまりレミリアは、彼女にとって地上0.4ミリの部分で足を止めたのだ。吸血鬼の驚異的な
筋力と感覚がそれを成しえたのである。もちろん足には出っ張りがあるしへこんでいるところもある故
にもう潰されている人間達もいたが。
「ふふ……感じるわ。貴方達が私の足の下でもがき苦しんでいるのを。どうかしら? ”小さな女の
子”に踏みにじられるっていうのは。屈辱かしら? 屈辱でしょうね。けれどそう、貴方達人間のような
下賤な生き物にはもったいないぐらいの栄光なのよ、これは。この高貴なるレミリア・スカーレットの素
足で踏み潰して頂けるなんて」
ぐしっ。レミリアが足を完全に地面につけた。別に力などかけずとも、脚の自重だけでそれは十分で
あった。
「さぁ、生き残った貴方達にはさらなるゲームに参加する権利をあげるわ。私が5つ数える間に私の
足から逃げ切れたら貴方達の勝ち。簡単よ」
そう言ってレミリアは逃げ惑う群衆の上に脚をかざす。レミリアから離れようと、ただひたすら真っすぐ
走っていた人間達は、面白いほどひと塊りになっていた。パニックに陥ると人間と言うのは驚くほど単
純になってしまう。
 5……4……。恐怖のカウントダウンが始まる。しかも今度はさっきの半分の時間で。道にひしめく
人々は押し合いへしあい逃げだすが、これだけ人数がいると渋滞学的な問題でどうしても流れが
滞ってしまい。3……2……1……。その足の範囲から逃げ伸びることのできた人間はほんのわずか
であった。ゼロ。今度は、さっきよりも明らかに犠牲者が多かった。レミリアの足が、風圧で折り重なる
様にして倒れた人々の上にのしかかり、家も塀も全て粉々に粉砕してしまった。だが、すぐに楽には
しない。やはりぎりぎりの所で足を止め、人間が暴れる感触を楽しむ。
「あはは……くすぐったい。あ、そうだ! 私の足の裏をお舐め!」
レミリアは思いつきでそんなことを言ってみた。すると、限られた空間の中で人間は仰向けになり、レ
ミリアの足の裏を舐めはじめた。全ては死にたくない一心であった。カウントダウンの5秒間にレミリア
の足の下に滑り込んでいた天子も、その中にいた。
「え? 舐めていいの? じゃぁせっかくなので」
天子はレミリアの足の裏に舌を這わせる。180メートルの足に、人間の舌。あまりに小さすぎて感じる
かどうかは甚だ疑問であったが。
「ふふっ……なんだ、チビのくせに意外とやるじゃない。くすぐったくて気持ちがいいわよ」
レミリアはそう言いつつ、別の遊びを楽しんでいた。ぐいと持ち上げた親指の下には3人の人間。3人
とも、腰を抜かしてしまい動くこともできず、ただひたすら口々に命乞いをしている。
「どうしよっかな~、ぷちってしちゃおっかな~」
ぐぐぐ……親指が下りてくると、3人は悲鳴ともつかぬ悲鳴をあげて絶叫した。そんな悲鳴が、レミリ
アをぞくぞくと興奮させる。その悲鳴は逆に、押しつぶしたくなる衝動を倍加させた。
「うん、もう全員プチってなっちゃえ!」
ずしん。小さな地響きとともに、その下にいた人間すべてが圧死した。それはもう、死体がかつて何で
あったか解らないぐらいに圧迫されて引き延ばされて砕かれて。
「あら? フランがいない」
レミリアはそこで初めてそれに気がついた。が、その後を追うのはおそらく簡単であった。なにせ彼女
の残した破壊の痕跡、足跡がいくつも残っているのだから。足跡同士が、大地のひび割れで繋がる
ほど強い力を入れて踏み潰した場所もあった。
「うん、ゲームはここまで」
ずっしいぃぃん! 生き残った人々を街の区画ごと踏み潰し、レミリアはその足跡を追った。



 都心。もう既にここは一人の金髪サイドテールの女神によって壊滅的な被害を受けていた。人類の
英知が誇る高層建築は、片手で根っこから引っこ抜かれ、そして彼女の股間にすりつけられている。
黒の綿の下着は湿り気でぴたりとくっつき、その下にある少女の器官の形を露わにしていた。ずり
……ずりっ。高層ビルが、下着に擦りつけられて、いとも簡単に削り取られ崩れていく。擦るたびに、
彼女の色っぽい息遣いが都会の空に真新しい綿雲を作りだし、喘ぎ声は窓ガラスを破った。と、彼女
は遠くから歩み寄ってくる足音を聞いた。姉のものだ。
「ん……んっ……はぁ、残念。ここまでみたいだね」
フランはビルを手に持ったまま立ちあがり、乱れてめくれ上がったスカートを正した。地下室に閉じ込
められている間に、こんなイケナイ遊びを覚えただなんて姉に知られたら恥ずかしくて寝込んでしまう
かもしれない。地下室に閉じこもって。
「あ、いたいた。ずるいわよ、私を置いてそんな楽しそうなもので遊んでるなんて」
レミリアは川をひょいと跨いでフランに歩み寄った。そこで、彼女の足元に広がっている光景を見て眉
をひそめる。
「此処にお尻が合って……そことあそこが足があった場所よね」
破壊の痕跡からフランのとっていた姿勢を推測するに……M字開脚。そしてその股のあたりに、不自
然に積み上げられた瓦礫の山。
 感づかれたか。フランは焦った。このままだとお姉さまに嫌われてしまうかもしれない! 慌ててビ
ルを口にくわえ、そしてレミリアの肩をぐいと掴んで自分の方に向き直らせる。
「ん」
フランは、ビルを咥えた口を、姉の口に近付けた。
「え? あ、あうぅ……」
レミリアはこうなると弱い。フランはそれを知っていた。はにかみながらも、フランの咥えたビルの先端
を同じようにして咥える。
「ひゃっはー! 幼女と幼女のポッキーゲーム! これはいい絵が撮れるぜ」
2人の間に魔理沙が入り込む。腰のあたりから上昇し、平坦な胸に危うく挟まれそうになりながらな
おも上昇する。そしてフランの顎の下に陣取ってレミリアの表情を観察した。うっとりと半開きになった
目、そしてぽっと紅く紅潮した頬。あぁ、間違いない。あれは妹に恋してるな、と魔理沙は思った。
 バキバキ……ゴリゴリ。ビルが、2人の口の中で噛み砕かれる音。そしてその中にいるであろう人
間達の断末魔が聞こえてくる。そんな悲鳴を気にもかけず、2人の唇は近付いて行き。
「んっ……んん」
溶けあった。しかし、それだけでは飽き足らず、フランはさらに仕掛ける。
「ん!?」
レミリアが目を見開き、驚いたような様相が覗えた。が、すぐにさっきのとろんとした目つきに戻り、フ
ランのされるがままになる。
 さて、ここはレミリアの口内。ここに、一匹の河童がいた。河城にとり。毎度お馴染み不運少女。
「ぎゅひいぃぃ! ちょ、今回はマジで洒落にならないでしょ!!」
ビルの中層付近にいたため、咀嚼は免れたものの、口の中にいることは変わりない。そしてどう脱出
するかを考えていた時、レミリアの口の中にフランの舌が入り込んできたのである。その舌は姉の舌
に愛おしそうに絡み付き、その上にいた人間達を紅いシミに変えていく。姉の舌もそれに応えるよう
に妹の舌を舐め、その間にあった瓦礫を粉々に粉砕して押しつぶした。ドクン、ドクンというレミリアの
鼓動と、破壊音、断末魔、悲痛な叫び声が合わさり、にとりの周囲は混沌としていた。
「やばいって、まじでやばいって!」
舌の裏側に避難したものの、そんなものも無意味だった。フランの舌が、そこにもやってきて、そこに
いた人々を容赦なく圧し潰した。にとりは妖怪故にその程度で潰されることはなかったのだが、そこ
から押し出され、そして……。
 ごくん。レミリアの喉が動いたのを、魔理沙は見た。その後も姉妹は愛おしそうに長いキスを続けて
いた。やがてフランが姉の肩をぐいと押してはなれると、レミリアは少し残念そうな、次のキスをねだ
るような甘えた目をフランに向けた。
「もう、しょうがないなぁ、お姉ちゃんは……。はい、それじゃぁもう一回、しよ」


 一方そのころにとりは――。
「ぎゅひいいぃぃ! 死ぬ! じぬうぅぅ!!」
食道を落下し終えるところであった。身長1300mの巨大娘ともなると食道の長さも太さもそれ相応
だ。だが、それも終わり、そしてさらに広い空間に出たことをにとりは感じた。間違いない、ここは少女
の胃……つまり食べた物を消化酵素がドロドロに異化する場所。
「って……私飛べるじゃん!」
そこまで来て、その事実を思い出したにとり。しかし、胃の入り口は逆流を防ぐためにしっかりと閉じ
ており、もう遅い。あとは、ぜん動運動が始まって撹拌されるのを待つのみである。
 既に胃に流れ落ちていた者たちは、溶けてしまったのだろうか。恐ろしくて下を見る気にもならない
が。しかしそうなるとどうにも見てみたくなる気持ちもあるのであった。
 一瞬だけなら……。ちらりと目をやったそこには、ぷかぷかと浮いている人間の姿があった。皮膚
が白く漂白され、もう体が溶け始めている。思ったよりもひどくはないが、しかしこの一瞬で皮膚がか
なり薄くなっていることを考えるとやはり恐ろしい。むしろ、人の体よりも速く酸と反応をはじめていた
のは鉄骨の方であった。溶けてぶくぶくと水素の泡を出している。そして、地震のような揺れと共にぜ
ん動運動が始まったその時、目の前に隙間が現れた。にとりは迷わずそこに飛び込んだ。
 にとりが外に出ると、レミリアとフランが2本目のビルを丁度飲み込んだところであった。
「ん……もっとぉ……」
レミリアがフランにねだる。その様はまるで子供。妹の方がしっかりしてそうに見える。
「今度はお姉ちゃんが私に食べさせてよ……」
フランは首を横に振った。レミリアは頷いて、そして地面に膝をつく。上体を低くして、そして地面に顔
を近づけた。その過程でビルがいくつも倒れ、そして人間が溢れ出る。その溢れ出た人間を、レミリア
は舌で舐めとった。驚異的なスピードで迫りくる舌を回避する術など人間にはなく、そのまま舌に捕
まってレミリアの口の中に誘われる。
 暫くもしないうちにレミリアは口内いっぱいの人間を生け捕りにした。ビルにあれだけ詰まっている
のだから、難しい話ではない。そして起き上り、目を瞑ってフランの唇に自分の唇を重ねる。もちろ
ん、それだけではなく今度はレミリアの舌がフランの中に入り込む。沢山の人間と共に。
「んっ……」
フランは姉の舌を感じ、そして自分の口の中に入ってくる沢山の人間を感じた。舌を動かして姉の舌
に絡み付き、その間に挟まれた人間を押し潰す。彼女にとっては甘い、血のが口の中に広がった。
姉の口の中を攻めるのもいいが、こうして姉の舌に口内を侵されるのも好きだった。いつもと違うの
は、この行為に沢山の人間を巻き込んでいるという事。そのことが彼女を更に興奮させた。
 2人は、観測者がいることなんかに気付きもせず、空が白み始めるまでそんなことを続けた。



 夜明け。妖怪たちの時間が終わり人間達が活動をはじめる時間。街には人っ子一人いなかった。
いても出歩こうとなどしなかったろう。雪の積もった朝。上空から見なければ分からないほど巨大な足
跡が雪の大地に幾つも残る。
「なかなか楽しかったわ。また誘いなさいよね!」
等身大に戻ったレミリアが紫に感想を述べた。
「う~ん、お姉ちゃんといっぱいキスできて面白かったよ」
フランが伸びをして、それに同意する。それを沢山映像に納めさせてもらったのぜ、と魔理沙は腹の
中で若干後ろめたく思った。
「さぁ、夜が明けるわ。貴方達の時間が終わる」
紫が、朝焼けの東の空を背景に空間を裂いて2人をその中に誘う。
「えぇ、それではまた」
「バイバーイ! 魔理沙お姉ちゃん、また遊んでね~!」
レミリアとフランが手を繋ぎながらその中へ消えた。そこで一旦スキマが閉じる。接続先を変えるため
だろうか。
「皆も、お疲れ様」
紫は魔理沙、天子、にとりの3人を見まわして言った。
「これと言って厄介なことが無く終わって良かったわ」
天子はその言葉に、異を唱えたかったが。連れてくるまでが厄介だった、と。
「まぁ、そうだな」
魔理沙が頷く。悪魔の姉妹と言われる割に割と平穏に終わったと、彼女は感じているようだった。
「んで、次の相手は誰なのよ?」
天子が紫に尋ねる。
「ふふっ。誰かしらね?」
紫は扇子を口元に当てて意味深に微笑んだ。
「出たぁ! 胡散臭ぇー!!」
そんなこと言って、実はまだ何も決まってないんじゃないの~? と天子が紫を小突く。
「ふふっ。どうかしらね?」
紫はそうとしか答えず、そしてスキマを裂いた。
「さぁ、とりあえず今日は帰りましょう。次回の話は……その時がきたら、また説明しよう。なんちゃっ
て」
てへっ。いたずらそうに舌をちょっと出して笑う紫。可愛くなくもないと思った自分は負け組だな、と天
子は思った。
 彼女らが消えた後。傷跡は癒え、そして雪の積もった平穏な朝が戻る。今日は雪の朝。いつもより
忙しく、けれどいつもより静かな朝。