龍。それは天災の象徴。圧倒的な、そして絶対的な力が故に普通に生活を行うだけでも周囲の世界を破壊しつくしてしまう、そんな存在。
 そう、たとえばくしゃみひとつを取っても。
 白魔道士の少女、キアラは耳を覆って地面に伏した。しかめっ面で今にも一発やらかしそうな龍の少女の姿を見たから。
「ふぁ、ふぇ……へっ……くしょん!! ふぇ……っ……くしょん!!」
 ドオオォン、ズドオオォォン! 衝撃波が頭上を通り抜け、背後の町へと駆け抜けていく。まるで耳元で大砲を発射されたかのような衝撃がキアラを激しく打ち据えた。もし口を開け損なっていたら、鼓膜が破らてていたのは必至。今頃町では窓ガラスが割れる等の被害が出ていることであろう。
 遅れて舞い上がった土ぼこりが、波紋のように周囲に広がる。
「クレア!!」
 キアラは土ぼこりですっかり茶色に染まってしまった白のローブをパタパタとはたいて立ち上がった。煙たい埃にこっちまで鼻がむずむずしてくる。
「なぁに~?」
「くしゃみをする時は口の前に手を当ててよ。あなたのくしゃみはシャレにならないんだから」
 魔法で防壁を張っているキアラですらこの様なのだ。何せくしゃみの風速が音速を超えるのだから、その爆圧は手榴弾もびっくりの大威力である。
 キアラは口の中に入ってしまった砂をケホケホと吐き出し、やや不満そうに龍の少女を見上げた。
 優しそうな眼差しの大きな目で、その瞳はサファイアのような澄んだ蒼。誰しもが頬ずりしたくなるようなすべらかな肌は透き通るような白。頬紅いらずで、微かに薄紅色に染まっている。
 とてもではないが、先ほどのクシャミ砲の威力とは直結し得ないあどけない少女であった。
 ただ、その大きさを除いて。
 桜色の柔らかそうな唇は、軽く開いただけで人間を何人も飲み込める大きさだし、小さく整った可愛らしい鼻にですら、人が跨ることができてしまう。
 陽光を捉えてきらきらと煌く白銀の滝は彼女の髪。張りに満ちた素肌を流れ腰へと至るそれは、この世界のどんな瀧よりも落差が大きく、そしてしなやかで美しい。
「あ……ごめんなさい。次は気をつけるね」
 白龍の少女、クレアはキアラをそっとつまみ上げて手の上に乗せ、顔の前まで持ってきて詫びた。謝る時は相手の目を見てしっかりと、である。
 クレアの最愛の友であり、育ての親でもあるキアラの教育の賜物だ。
 が、物事と言うのは常に裏目に出る可能性というのを秘めているもので。
「ふぇ……」
 もちろんそれに気がついた時には既に遅く。白龍のクレアは大きく口を開けてしかめっ面をしていた。それはもう、今にも一発やらかしそうな感じで。
 しかめっ面でも可愛らしいなぁ、なんてことを諦観交じりに考えつつ、キアラは衝撃に備え。
「ふええぇっくしっ!!」
 ドオオォォン!! ひときわ大きなソニックブームと共に舞う。



「あー、口の中がじゃりじゃりするぅ」
 がらがら、ぺっ! 何回口をゆすいでも、砂の粒子は頑固なものでいつまでの泥の味がする。
 洗面台を覗けば、蜂蜜色のセミロングは砂でゴワゴワ。翡翠色の瞳にも、細かい埃がいくつか浮いていてとてもむず痒い。けれどどんなに痒くても目は掻かないこと。充血して余計酷くなるのでしっかり水で洗い流さなければいけない。
 さて。口の中のみならず、キアラの家の中も同じくらいじゃりじゃりであった。先ほどのクシャミ爆弾によって生じた被害、ガラスの欠片が床の上に散らばり、踏みしめるたびにじゃりじゃり言う。
「めったにクシャミなんてしないあの子が、今日に限って3発も……何かよくない予感がするなぁ……」
 ぱりっ、じゃりっ、ぱきっ。ガラス片をブーツで踏みしめながら、すっかり風通しがよくなってしまった窓辺に歩み寄った。クレアに近い位置にあるキアラの家はともかく、ほかの家もどうやら同様の被害は免れていないようだ。
 どの家も、強烈な衝撃波にやられて、断片すら残さず綺麗に窓ガラスがはずされたようになっている。おそらくその残骸は家の中にぶちまけられているのだろうが。人がいなければ廃墟か戦災かと間違われること請け合いだ。
 特に、町の中心、広場のほうからなにやら真っ黒い煙が……。
「ん、煙だって?」
 嫌な予感とは、至極的中しやすいものである。
 あわててローブを引っつかみ、歯車だらけの巨大なロッドを両手に。既に古くなってぼろぼろのドアを蹴飛ばしてキアラは家を飛び出した。
 綿100%の白いローブを棚引かせ、蜂蜜色の髪をきらきらと振り乱して広場へと走る。次第に強まっていく臭気は、鉄の焦げる臭い。嫌な予感が次第に現実味を伴った実感となっていく。
「おぅ、キアラちゃん!! 遅かったじゃないか!」
 広場に着くと、そこには既に町の人々が集まっていた。
 遅かった、ということは町一番の白魔道士たるキアラが必要とされる事態であることを意味していた。あるいはこれはクレアのクシャミによって生じた被害であるから、とも受け取れるが。どちらにしろ彼女にとってはあまり聞きたくない言葉には違いなかった。
「町長さん! すみません、私自身彼女のクシャミに吹き飛ばされてしまって」
「いや、いいんだ。それよりアレをみてくれ」
 キアラがロッドを携えて歩み寄ると、人垣が割れて現場が露になった。今なお火を噴いて燃え上がるそれは、なにやら金属でできたフレームを持っており、独特の鋭角的なフォルムをしていた。言うなれば、豪奢な装飾銃にデルタ翼を取り付けたような。
「偵察機……!」
 キアラはそれを見るなり、信じられないような口調で呟いた。
 流れるような装飾は大気中の魔力を積極的に取り込むための立体陣。銃の持ち手に相当する部分は尾翼を兼ね、魔力タンクとブースターを搭載しているためそう見えるのだ。
 速度に特化した形、高速飛行を可能にする装備。そして何より、先端に搭載された砲。どう見ても平和的な用途に用いられるものではないことは明らかだ。
 偵察機だって!? どこかの国がこの町に戦争を仕掛けようというのか!? 人垣から、不安そうなどよめきが上がる。
「何かの間違いであってほしいね……」
 キアラは杖を掲げて、一振りした。轟々と立ち上っていた火柱が吹き消されるようにして消え、その偵察機と思しき物体がさらにはっきりと見て取れるようになる。
 ダメだ、間違いなく物は偵察機。戦火を引き連れてくる禍なる水先人。
 苦笑交じりにそれに歩み寄るキアラも、内心は酷い緊張と重圧を感じていた。
 ――墜落の原因はきっとクレアのクシャミ。上空通過中に偶然落ちた……なんてことはないか。衝撃波は距離の3条で減衰する。つまりかなり近くに潜んでいたと考えられる。それに、クレアのクシャミで撃墜されてここに落ちたってことは、最初からこの町を偵察するつもりで――
 町の人々を混乱させてはならないと、必死で動揺を隠してキアラは考える。けれど至る結論はひとつ。
「どうもきな臭い……。この町の戦力を測りにきたのか」
 キアラが口にするのをはばかった言葉を、町長が代わりにつぶやく。さらに大きくなるどよめき。もしそうであれば、近々戦があるということなのだから。
「どういうつもりでそれをしたのかが問題です」
 キアラは町長の言葉に補足を行った。
「つまり、政治的な用途か、軍事的な用途か……そのあたりを探ってみなければ分かりませ……」
 ん。言い終えるか終えないかの瀬戸際で、キアラの言葉は天から降り注ぐ大音声にかき消された。
「キアラちゃん、それなぁに?」
 雷のような大音量のエコーに見上げてみれば、クシャミ・ショックカノンで問題の偵察機を撃墜した張本人、白龍のクレアが天を覆い尽くしていた。その大きさたるや実に175メートルにも及び、町で一番高い教会の尖塔ですら彼女の脛にも届かない。
 そんな彼女が膝に手を当てて町を覗き込むと、彼女の足は町の外にあるにもかかわらず、町の中央の広場の真上に頭が来る。背中から生えた巨大な龍の翼も相まって、天球のほとんどを覆い尽くしてしまうのだ。
 幼い印象を受ける彼女の可愛らしい顔とは対照的に、その体は17歳という年相応に発達していた。肩口まで襟の大きく開いた純白の軽鎧からは、ふっくらとした胸の谷間が覗いており、そのまま視線を下にたどれば真っ白ですべらかなお腹が。彼女の股を辛うじて隠しているのは腰に巻かれたパレオのみで、布の切れ間からはやはり白の下着がちらりと覗く。
 鎧にしては酷く露出が多く、彼女の見事な体型と合わさって刺激的な衣装であった。彼女曰く、これは鎧ではなく甲殻なのだそうだ。人間の形に化けるとこのような形で保存されるらしい。で、ガチャガチャうっとおしいのでなるべくコンパクトに、隠さなければいけないところだけ隠しているのだという。
 腰まである彼女の銀髪がさらさらと零れて、広場をカーテンのように仕切ると、広場に集まった人々からはクレア以外のものが見えなくなってしまった。
「あ~、えっと……その~」
 キアラは彼女の問いに答えかねた。もしこれで勘違いだった場合、勘違いでしたでは済まされなレベルの被害が出る。できれば平穏無事にことを済ませたいのだ。
 が、クレアの抱いている疑問は、キアラの懸念よりもはるかに単純で真っ直ぐだった。
「それ、食べてもいい?」
 クレアは唇に指を当て、可愛らしく首をかしげる。動作そのものはとても可愛らしいのだが、それによって髪がざっと広場の端を凪いで数人が弾き飛ばされた。
「えーっと、まだだめ。いろいろ調べてからね。とりあえずクレアはちょっと外しててくれないかな。それが終わったら呼ぶから」
「は~い」
 巨大な龍の少女は残念そうに頷いて身を起こすと、口惜しそうにちらちらとこちらを振り返りつつ着た方向、森の中へと帰っていった。
 ズーン、ズーン、ばきばき……という重たい地響きと木々の断末魔が遠ざかっていく。
「彼女にはこれがおいしそうに見えるのか」
 お尻から生えた尻尾を振り振り、森の奥へと遠ざかっていく龍の少女を見送って、町長がうなる。人間からすれば煮ても焼いても食えそうに無い。
「龍の主食は岩石や鉱物ですからね。古来より龍が戦場に現れ、何もかも喰らい尽くして去ってしまうというのはそういうことです」
 キアラは数メートルはあろうかというその残骸に歩み寄って、そしてそれをよくよく観察し。
「できればここがそうならなければいいのですが」
と付け加えた。
「大丈夫だろう。私たちにはあの子が、クレアがいる。たとえそうなったとしても負けようが無いだろう」
 実際、この町が小さいながらもどこの国にも属さず独立した主権を保っていられるのはクレアのおかげであった。
 クレアが足を広げれば跨ぐ事すらできるこの小さな町に、彼女を倒してまで征服する価値がないというのもあったのかもしれない。
 けれどどんなに戦略的に無価値であろうと、クレアにとってはこの町は宝であった。龍は自分が護ると決めた宝物を一生護り続ける生き物なのだ。他人の価値観なんて関係ない。
「だからこそ、ですよ」
 キアラは浮かない表情でそう答える。
「私はあの子が人を殺すところなんて、もう見たくないんです」






 ぐぅ。
 おいしそうな匂いにお腹がなる。ここら辺の石はほとんどが長石で、それも鉄を含まない残念仕様なのだ。鉄鉱石なんてここ数ヶ月間食べていない。
 森の木々を眩しい太ももで押しつぶし、クレアはぺたんと座り込む。
「はぁ、食べちゃダメなのかぁ……」
 がっくーんと肩を落とし、おなかをさすって深々とため息をついた。こと食いしん坊のクレアにとって、この一件は相当に響いているのだろう。
 そんなクレアの耳になにやら聞き慣れない音が届いた。
「ん……?」
 クレアのやや尖った耳がピクと動いて音源を探る。
 人間のものよりもはるかに優れた聴覚が、まだはるか遠くにある音を捉える。それは獣の唸りのようで、しかしそれにしては大きすぎた。風の音にしては低すぎるし、なにより安定しすぎている。
 クレアは自分の知識を精一杯あさってみたが、そんな音を出すものはひとつも該当しなかった。
「何だろう……?」
 怖い、とは思わなかった。巨大なクレアにとって、恐怖になり得るものなんてほとんど無いためだ。ともすれば、未知に対しては好奇心が動き出す。
 ずしん、ずしん。重たい地響きを立て、懸命に生きているであろう足元の木々を無関心に踏み砕いて彼女は立ち上がる。
 方角、距離。彼女の聴覚はソナー並みの志向性を誇るのだそうで、その音の位置は簡単に特定することが出来た。西に10kmほど行ったところだ。
 彼女にしてみればほんの数分の距離。大丈夫、ちょっと行って見て来るだけだから。 うっそうと生い茂る森の中に、白亜のブーツで深々と足跡を刻んで歩き出した。もし人間が歩くのだとしたら、彼女の一歩に追いつくために数十分はかかるであろう道なき未開の森林地帯。しかしクレアは平坦な絨毯の上を歩くかのようにすいすいと歩いていく。誰も、彼女を止められない。






「町長さん。あの偵察機を調べてみたのですが……神聖バハムート帝国って聞いたことあります?」
 町役場――といっても町長の家の応接間なのだが――にて、キアラは調査の結果を町長に報告した。
「残念ながら無いな。そんな悪ふざけみたいな名前の国家が実在すること自体がまず信じられん」
 町長は机の上に広げられた資料に目を通しながら答える。
 よくこの短時間で纏められたものだと感心するほどの情報量は、その冗談じみた帝国の名に不思議な実感を持たせる。
 いや、実感なんて話ではない。信じざるを得ないのだ。現に落ちてきた偵察機を魔法で復元したらそうなったのだから。
「キアラちゃん。君の復元魔法の凄さは十分熟知しているつもりだが……万が一間違って修復したなんて可能性は?」
「ありませんね。もしそうなったら文字として通用しない謎の羅列が表示されますから。エラーではなく、仕様です。
 最悪、この鹵獲した偵察機を再起動して空に放てば結果が得られますがどうしますか?」
「やめておくよ。もう一度落ちてきたりしたらたまらないからね」
「大丈夫ですよ、あれはただ墜落したわけではありません。クレアのクシャミの衝撃で機密保持のための自爆装置が作動したのでしょう。
 さすがに修復されるとは思っていなかったのでしょうが」
「君の再生修復魔法の技術は世界でも指折りだからな。もとに戻せないものなんて無いだろう」
 町長の褒め言葉にキアラは苦笑する。
 キアラが再生修復に特化したのはほかでもないあの巨竜の少女のせいである。
 彼女は自分の体の大きさをあまり考慮しない性質であるらしく、しょっちゅういろいろなものを踏み潰す。時にはうっかり人間まで踏み潰してしまうものだから、その責任を負わされるキアラとしてはどうしても事態の収拾をつけなければならない。巻き戻し、つまり因果の書き換えくらいは使えなければならないのだ。
 この町の人間は皆、一度はクレアに踏み潰されたりその体の下敷きになったりして教会送りになっているのだから、キアラの腕は嫌でも上がるというものだった。クレアの寝返りで町ごと押しつぶされたこともあったのだから、物質の再構築なんかもお手の物だ。
「それはそうと。使われている技術は西方のものです。かなり高度な魔法仕掛けですね。このあたりであまり聞かない名前と言うことは、最近急激に勢力を拡大しているのかもしれません。侵略には野心的でしょう。それらを考慮すると……」
 キアラはそこで一旦言葉を切った。できれば言いたくない、認めたくない言葉だった。しかしそれでも、事態は一刻を争う。事実は事実として認め、そこからどう動くかが重要になるのだ。
「戦は不可避と思われます」




 クレアはいよいよ音の発信源を見つけた。見つけたのはいいが、それはこの目で見てもクレアにとって不可解であることには変わりはなかった。
 広大な森林のなかに、不自然な道ができている。それはカタツムリが通った跡を思い起こさせた。木々が左右に薙ぎ倒され、幹と土で上空からは茶色く見えるのだ。
 それで、その道を作り出したカタツムリはというと、今クレアの目の前にいるのがそれだった。
 彼女にしてみれば20センチほど、ブーツのサイズよりも少し小さいくらいの鉄の塊が何個も並んでいる。カタツムリ、というよりはチョコレートの箱のような薄っぺらい形に、なにやらちいさな筒がいくつも取り付けられているといった印象だ。
「なんだろう、これ?」
 彼女はブーツの先でこつこつとそれを小突いてみた。ぐわん、がいん、硬い物同士が激しくぶつかり合う音に続いて激しく火花が散り、それがよろめくようにゆらゆらと後退する。
 今の動きから察するに、その鉄の塊は地面から僅かに浮いているらしい。
「う~ん、美味しそうだなぁ。食べてもいいかなぁ」
 クレアは屈み込んでそれらを覗き込んだ。
 そして彼女はそいつらの正体を知ることになる。
 その箱たちに据え付けられた筒がいっせいにクレアの方へと向けられたのだ。
 ぽん、ぽん! 筒の中で炎がはじけ、そしてその筒から何かが飛び出してくる。さすがのクレアも、ここまでくればこの箱が何なのか理解することが出来た。
「うわぁ、動いたっ! なんか撃ってきた!!」
 ぱちぱち、と顔に当たる砲弾を煩そうに振り払って、クレアは上体を起こした。これは攻撃だ。痛くは無いけれど、間違いない。今自分の肌ではじけているものは本来ならばその一つ一つが必殺の威力を持った砲弾なのだ。
「これは……この箱は武器なんだ。だとすると……」
 クレアの頭の中で、ぱちんと記憶の線がつながり火花を散らす。
 だとすると。今日広場で燃え上がっていたアレはきっとこいつらのもので、キアラがそれに対する弁明を避けたのはこいつらが町を狙っているからなんだ。
「ねぇ、あなたたちはこの東にある町を狙っているの?」
 クレアが尋ねる。だが、返事とばかりに浴びせられるのは砲弾の雨霰。
「ねぇ、答えてよ。答えてくれないと私、あなた達を全員踏み潰さなきゃいけなくなっちゃう」
 もちろんその答えによっても全員踏み潰さなければならなくなるのだけれど。最後の確認とばかりにクレアは念を押した。
 それでも、砲弾の勢いは収まるどころか一層激しくなるばかり。対話しようなどという意思は微塵も伝わってこなかった。
 対話の意思がないのなら、敵とみなすべきだろうか……? けれども、まだこれだけでは決め手にかける。もしかすると、あまりにも大きなクレアを恐れてパニックを引き起こしているだけなのかもしれない。
 だが、クレアの好意的な解釈は、彼ら自身によって見事に裏切られる事となった。
「あっ! こら! 行かせないんだからっ!」
 先頭の一機が森の木々を左右に押し倒し、強引に道を切り開いてクレアを迂回、その先へと抜けようとしたのだ。朦々と煙を巻き、轟音を立てて緑の海原を裂き走り抜ける。ものすごいパワーとスピード。
 全長20メートル。超大型多砲塔戦車。それが彼らの機体に冠せられた称号であった。キャタピラの代わりに魔力で僅かに浮く事で際限なく重量を増加させることが出来、その圧倒的な質量を動かす動力炉は立ちはだかる木々など物ともしない。大質量と重装甲に任せて道なき道を切り開く、恐るべき侵略者なのである。
 が、身長170メートルのクレアからすればそんなものはオモチャにしか見えなかった。彼女視点では戦車の速度など亀みたいなものなのだ。
 ずっしいん!! 
 クレアの白いブーツが平たい機体に圧し掛かり、そして地面に押し付ける。さすがに戦闘用に作られたとあってか、その機体は軋みながらもどうにか原型だけは留めるに至った。
 が、もちろんクレアは全力でこれを踏みつけたわけではない。むしろその逆、ほとんど足の自重しかかけていないのだ。
「ねぇ、今のはどういうことかな? 敵は私じゃないってことなんだよね。私はスルーしてもいいけれど、もっと倒さなきゃいけない敵がこの向こうにいるってことなんでしょう」
 だが、彼らはクレアの問いには答えない。先の一機を皮切りに、後続の機体が次々と展開し森を凪いでの猛突進を開始したのだ。巨龍の少女の足は所詮2本。ならば、それ以上の数で撹乱してしまえば、ということらしい。
 もちろん、それは彼我の力量差を測りかねた無能な指揮官による無駄な突撃となることは明白であった。むしろ、無駄どころか逆効果。この行為こそがクレアの逆鱗に触れてしまったのだ。
「ふぅん……逃げ帰れば許してあげなくもないと思ったんだけどなぁ……」
 クレアのブーツの下で唸りを上げてもがいていた一機が、火花を散らして甲高い断末魔を上げた。踵のほうから徐々に圧し掛かる彼女の体重。ミスリル合金で出来た頑強な装甲が飴細工みたいにぐにゃりと歪み、ブーツの底の模様を模る。既に彼女の足の自重だけで行動不能に陥ってた機体はクレアがほんの僅か体重を傾ければあっという間にぺったんこの金属板になってしまうのは必然であった。
 そしてその左足に重心を預け、彼女は右足を持ち上げた。塔と見紛うほどの巨大で太く、それでいて柔らかくしなやかな脚。美しすぎる破城槌が唸りを上げて風を巻き、見上げる空に眩しい影を作る。
 あり得ないほどの巨大な物体が動くその様に、敵機動部隊は距離感、速度感を狂わせ震え上がった。確かに全速力での突撃だったはず。先ほどまで見上げていた彼女の体との距離は50メートルはあったはずだ。にもかかわらずあの巨大な少女はたった一歩、その足を持ち上げただけで機体の上にブーツの影を落とす。
 戦車内部の全天球スクリーンは、映像素子で捉えた外の様子を鮮明に映し出していた。当然ながら搭乗員は皆、そんな機能などなければよかったと思うこととなる。潰されるにしても、自分の上に一枚天井があると思えれば幾分か気が楽だったに違いない。だがこの戦車の、今となっては無駄な機能は彼らに空をそのまま提供した。巨龍の少女のブーツの裏に覆われるその空を。
 くしゃり。クレアは自分のブーツの下で箱がつぶれるのを感じた。その感触に、ゾクっと身震いする。この足で何人もの人間の命を奪った。それが……それがとても。
 気持ちいい。
 普段の、優しい女の子としてのクレアではなく、龍のメスとしての本能が体の中で激しく暴れまわっているのが彼女自身にもはっきりとわかった。けれどそれに抗う必要もない。龍としてのクレアも、女の子としてのクレアも、護りたいものは同じだから。
「龍の宝物に手を出したらどうなるか……教えてあげるよ」
 たった今足の下に消えた戦車をぐりぐりと踏みにじり、唇の端を吊り上げて彼女は嗤った。その美しく、愛らしい顔に浮かぶ冷徹な笑みは、見るもの全ての心を奪い射貫く。まるで氷の手で心臓を掴まれているかのような、直感的な死の恐怖がその場にいた人間達を一人残らず凍てつかせた。
 クレアはあの町を……そこにいるキアラを護るためならば何だって壊す。誰だって殺す。そんな覚悟が、龍の魔性とともにジンジンと伝わってくる。
 あまりの恐怖に動きの鈍る敵戦車部隊。それでも必死で木々を薙ぎ倒して四方八方へと散り散りに逃げて行く。もはや彼らは当初の目的などすっかり忘れているようだった。
 無論、そうだったとしてもクレアは彼らを許さない。
 せめて平地ならば、逃げ切れるかもしれないのに。行く手を阻む木々に苛立ち焦る乗組員たち。そんな彼らの戦車の前に生い茂っていた木がバキバキと乾いた悲鳴を上げる。衝突の衝撃に吹き飛ばされ、どうにか顔を上げてみると、前方のスクリーンに映し出されていたのは一面の白。そのまま視線を上へと辿れば、龍の甲殻を思わせるブーツから一転、すべらかな肌の柔らかそうな脹脛。そしてむっちりと柔らかそうな太股がパレオを持ち上げ、全天球スクリーンの天頂には彼女の純白の下着が布の切れ目から差し込む光を受けて燦然と輝いている。そこまできて、彼らは初めて目の前にあるそれがクレアのブーツの踵であると理解した。あの少女は今、自分たちを跨ぎ越して立っているのだ。
 そのブーツは木々をへし折り押し倒してもなお、彼らの目の前の地面にズブズブと数メートルも沈み込んでいく。このままいれば、自分たちも次の瞬間にはあの森の木々と同じように彼女の足の下、地下数メートルにまで沈められているのは確実だろう。にもかかわらず、彼らはそのあまりのスケールに呆気に取られ、動く事すらできなかった。
 そうしている間に、彼女の色めかしい太股が、脹脛が、ぴくっと張り詰めた。数メートルも地面を陥没させて沈み込んでいたブーツが、激しい地鳴りと地震を伴って踵のほうから持ち上がる。ザァァァッと流れ落ちる土の滝。朦々と立ち上る土煙に混ざって、かつて木々だったものの残骸が流れ土砂に混ざって彼女の足跡の中に埋もれていくのが見えた。
 土煙が晴れる頃には戦車外部に取り付けられた映像素子は埃を振り払って鮮明さを取り戻していた。もちろんその素子が最期に捉えた映像はクレアの巨大なブーツの底。
「あはは、残念でした~! 逃げられるとか思ったのかな?」
 ずずうぅうん。重々しい地響きの底で、超大型戦車がまた一つ鉄板になる。
 重々しい足音を立てて彼女が一歩を踏み出すたびに、腰に巻かれたパレオが太股に持ち上げられてちらりちらりと下着を覗かせる。しかし、そんな扇情的な彼女の美しい肢体は、その一歩ごとに一機、また一機と浮遊戦車たちを鉄屑に変貌させていく。
 それはもう、楽しそうに。森の木を根こそぎ薙ぎ倒し引っこ抜き蹴散らし、哀れな獲物を追い立てる彼女の姿は、まるで水着の美少女が波打ち際で水を蹴立ててはしゃいでいるかのようであった。
「あれれ~? もうこんなに減っちゃった。なんだか手ごたえがないね」
 最後に残された3機を見下ろして、クレアはクスクスと噛み締めるように嗤う。仲間があれだけやられているのに、自分たちだけは逃げ切れる、助かると信じて逃げ続けているその姿が滑稽でならないのだ。彼らは実力でここまで逃げ延びたわけではない。クレアの気まぐれで、たまたま残されたに過ぎないのだ。それも、クレアがもっとこの状況を楽しむために。
「全部靴の裏じゃつまらないから、貴方たちは特別だよ」
 彼女は戦車たちににっこりと微笑むと、森の木々をバキバキと押し潰して膝立ちになり手を伸ばした。先頭を走っていた2機をその手にぐわっしと鷲掴むと、1000トン近い重量が片手でひょいと持ち上がる。自身の体重が7万トン近くあるクレアにしてみれば、そんなものは文鎮程度にしか感じられないのである。
 彼女はその二機を、森に横たわった自分の脹脛の上に載せ、彼らが逃げ出す前に腰をほんの少し落としてひかがみ(膝の裏のくぼみのこと)で挟みこんでしまった。ただのそれだけで、頑丈なはずの前面装甲が嫌な音をたてて軋む。とてもじゃないが脱出など出来るはずもない。
 そして、クレアはゆっくり、ゆっくりと腰を落としてく。徐々に潰されていく恐怖を彼らに目一杯味わわせるために。
 折られた脚が戦車の硬い装甲をバキバキと破壊して押し潰すその様は、まるでナッツクラッカーのよう。だとしたら、殻を割られて美味しく頂かれるのか、それとも中身に興味などないのか。いずれにせよ彼らの運命は絶望的であった。
 太股と脹脛との間に超大型戦車が埋もれて消える。彼女の柔らかそうな太股は戦車を包み込むようにして圧し掛かり、くぐもった長い悲鳴を上げさせた。
 キュウゥ……ぱきっ、ぽきっ……。肉を通して伝わる断末魔。鋼の機体の苦しそうな声が、龍としてのクレアを激しく興奮させる。
「ふふっ、どうかなぁ? 女の子の太股と脹脛の間に挟まれて潰されるなんて、めったに出来ない死に方。とっても嬉しいでしょう?」
 既に亡き者となった彼らをさらに辱めるように、彼女は嘲り煽る。その可愛らしく無垢そうな外見とのコントラストは見るものがあればゾッとするほど。
 だがあいにく、生き残って今なお逃走中の一機には背後を振り返る余裕など無かった。ただ一心に逃げ続けた甲斐あってか、その一機はクレアとの間に1キロメートルもの距離を開けることに成功していた。
 だが、もちろんクレアはそれを見逃すつもりなど微塵も無い。
 彼女が立ち上がると、見事なまでの鉄板と成り果てた戦車が脹脛から剥がれ落ち、墓標のように森の中に突き立った。遊び終えたオモチャにはさして興味は無いらしく、彼女の目には今動いている最後の一機だけが映っている。
 背中の翼を伸びをするみたいにぐいーっと広げ、大地を蹴って一打ち。
 轟!! 吹きすさぶ突風。まるで草原を風が駆けるように、森が波打つ。かき乱された大気が生み出す竜巻がいくつもいくつも大地を引っ掻いてのた打ち回り、癒えない傷を刻み付ける。
 ほんの一瞬で、森の大部分が消し飛んだ。古来より遷移を繰り返してきた千年モノの極相林が、円形にぽっかりと切り取られた荒野へと成り果てたのだ。だがそれはただの二次的被害に過ぎないことを、戦車の兵は知ることとなる。
 目の前に降り立つ白亜の塔。巨龍の少女クレアのあまりにも巨大なブーツ。その大きさが故か、それとも死の恐怖に瀕したためか、そのブーツが降り立つのは異様に遅く見えた。
 そしてそのブーツが赤茶けた土に触れる。その様は、まるで着水。硬いはずの地面が水のようにうねり、彼女のブーツを飲み込むようにして受け入れる。暴れまわる衝撃は逃げ場を求め、大波を起こして岩の飛沫を上げた。
 ホバー戦車が咄嗟に地面に打ち込んだ反動制御用のアンカーすらも、その地面ごと跳ね上げられてはまったくの無意味。着地のエネルギーの反動を受けて、重さ1000トンの車体が宙を舞う。あとは、自らの重さで地面に激突して無残な鉄塊と果てるのみ。
 だが、上昇から下降へ転じる無重力はそう長くは続かなかった。身構えていた衝撃はやって来ず、そのかわりにゆっくりと重力が元に戻る。それが何を意味しているかは、考えなくてもわかった。戦車の内部に張り巡らされた全天球スクリーン。そのスクリーンほぼ一杯に、先ほどまで見ていた龍の少女が映し出されているのだ。
「えへへ、つかまえた~♪」
 ミシ、と軋む機体。一本一本が大木に相当するような、冗談めいたサイズの指が戦車をがっちりと捉えている。
 クレアは着地の衝撃で跳ね上がった戦車を空中でキャッチしたのだ。もちろん、助けたわけではない。地面に落ちて潰れたトマトみたくなったら、つまらない、そう思っただけ。
 ぐぅ、ぎゅるるる……。
 まるで地鳴りのような低い音に、乗員たちは震え上がった。龍の主食は鉱物だと言う。そしてこの戦車の装甲は、上質なミスリル鋼。つまり……。
「いただきま~す」
 心底嬉しそうな声で、クレアは言い放った。そして開かれる、桃色の可愛らしくも巨大な唇。並び立つ白い歯、艶かしい舌。その奥に広がる暗黒までスクリーンは映し出す。臨場感に溢れた360度の高画質映像。ただし、それは映画や特撮などではなく、この機体の外に実際に広がっている世界なのだ。
 そしてその境界を破る、彼女の前歯。徹甲弾すらも受け止めるはずの装甲を断ち切る白いギロチンが、天井を、そして床を貫いて現れた。上下開きの戸が閉まるように、先頭右側の座席に必死でしがみついていた乗員が歯の向こうへと消える。
 そして切り取られた一角は彼女の巨大な舌によって口の奥へと運ばれ、奥歯の間に挟まれた。このままいては、この残骸と一緒に噛み潰されてしまう。乗員は慌ててその残骸を蹴って脱出する。歯の高さはおよそ1メートル少々なのだが、しかしこの状況では上手く着地する事などままならず、彼は唾液の水溜りにバシャとその未を投げる形で脱出することとなった。その刹那、噛み千切られた高さ2メートル、幅3メートルほどの残骸がぐしゃりとひしゃげ、そして舌が動いて押し込み、再び顎が動いて細かく砕く。引きちぎられたものは舌によって上手く反対側の奥歯へと分配され、味わうように噛み締められる。
 あと少し遅ければ、自分もあれに巻き込まれていたのかと思うと、とても生きた心地がしない。いや、そもそもが安心するのはまだ早いのだ。いつ、噛み潰されてしまうかなんて解らない。なんとかして折を見て口の外に脱出しなければ……。
 だが、彼の希望は早々にして潰えることとなった。噛まれなければさすがにそのままのサイズで喉は通らないと、そんな甘い考えを抱いていたのだが。
 ごっくん。
 クレアの喉が動き、そして食道を落ちて行く何か。残された乗員たちはその様を目の当たりにして完全にパニックに陥っていた。
 再び開かれたクレアの口の中に……先に逝った彼の姿はない。
 喰われる恐怖。それはどんな恐怖にも先立って、遺伝子に深く深く刻み込まれている。捕食されるくらいならば、自ら命を絶ってでも捕食者に利を与えないようにだ。
 超大型戦車の乗組員たちは傾いた車体の前方部にぽっかりと空いた穴から我先にと外へ飛び出した。喰われて噛み潰されたり、胃液で徐々に消化されたりするくらいならば落ちて死んだほうがずっと楽だ。
 だが、彼らはまたしても、楽になる事はできなかった。飛び降りた先にあったのは、襟の広い軽鎧……というか、胸部を覆うだけの胸当てのような彼女の甲殻。その剥き出しの部分、つまりは彼女の柔らかな乳房に落ちたのだ。
「あら? 怖くて飛び出してきちゃったのかな?」
 その結果に、クレアは満足したかのように微笑んだ。花の咲くような笑顔。あまりにも大きいけれど、それでも可愛らしい少女の顔が視界一杯に広がり……そして両側から押し寄せる肌色の壁に狭まり、やがて閉じる。
 クレアは甲殻の広く開いた襟の部分から右手を差込み、その豊満な胸を片側にぎゅっと寄せた。白い小山が鎧の中で窮屈そうにむにむにと変形する。ただそれだけであったが、しかし手を抜いて彼女の胸が自身の弾力でぶるんと元に戻ると、そこには赤いシミが点々と残されているのみであった。
「ふふっ、もーおしまい? まぁ、いっか」
 少し手ごたえが無さ過ぎた、と残念に思う。けれど、目的は果たされたし、美味しい金属も手に入った。もう十分だろう。
 クレアは自分の作ったクレーターにぺたんと座り込むと、誰一人いなくなった荒野の中、残された戦車を食べ始めた。



「クレアがいない!」
 町長との話し合いを終えて帰途に着いたキアラは、あの山のような巨体がいなくなっている事に気がついた。ぽっかりとあいた空き地に残されているのは、彼女が座っていた時に出来たお尻の跡だけ。
 平時ならばいざ知らず、こんな緊迫した状態で出かけられては……。
「あの馬鹿娘っ……!! 今すぐ探して呼び戻さなきゃ!!」
「いいえ、そんな必要は無いわ!」
 杖を構えて宙へ舞い上がろうとしたキアラにどこからとも無くかけられた声。それと同時に、莫大な魔力が動く気配を背後に感じ。
「だってこのちっぽけな村はもう」
 空にいくつもいくつも、ひびが入る。空間が、まるで鏡が割れるかのように細かな三角形の断片へと砕け散って剥がれ落ちていくのだ。そしてその下から現れるのは物々しい鉄の色。
 光学迷彩。それも、とんでもない規模の。
「完全に包囲されているんだから」
 音も無く空を泳ぐ魚のような無数の船影。そのどれもが、宙に浮いている事すら信じられないほどの巨大な飛行戦艦だった。対地攻撃用の船底砲がぎゅるぎゅると動き、町の設備一つ一つに余りあるほどの照準を重ねている。
 だが、キアラが最も信じられなかったのが……信じたくなかったのが。その中の一隻に腰掛けた巨大な少女の姿であった。
 いかつい戦艦の椅子に似合わぬ華奢な少女。細身の身体に漆黒のドレスを纏い、同じく闇色の上品な手袋とオーバーニーソックスで肌のほとんどを隠している。
 ドレスにしてはあまりにも短く仕立てられたスカートの裾と靴下の間、そしてノースリーブのドレスの肩、広く開いた胸元。僅かに覗く素肌は雪のようで、彼女の纏う暗黒の衣装とのコントラストに眩しく輝く。
 夜そのもののようなドレスを走る艶やかな輝きは彼女の髪。長くしなやかなその黒絹の髪は、触れずとしてその皇かさが伝わってくるかのよう。その髪を掻き分けて、人間のものよりも尖った耳が顔を覗かせている。
 そしてなにより、背中の翼。
 人間にあらざるべき美貌と、強大な力を兼ね備えた存在。
「うそでしょ……龍……!?」
 キアラはがくりと膝を折った。クレア以外の龍と相対するのはこれが始めて、それも敵ときた。通常戦力ならばまだしも、あれは天災なのだ。まともに取り合える筈が無い。
「何を驚いているのかしら? 貴方にとっては別に珍しいものでもないでしょ?」
 彼女の腰掛けた戦艦は徐々に高度を下げ、そしてハイヒールに包まれた脚が地響きを伴って大地へと降り立った。
「もっとも、その子は今頃遠くでお食事中。いまさら気付いて戻ってきてももう遅いわ」
 ずしん、ずしん。本来ならカツカツと硬い音を立てるのであろうハイヒールが、重々しい音を立てて町に歩み寄り。
 そして、直径でも100メートルあるか無いか程度のこの小さな町をひょいと跨ぎ越して翼を広げた。その翼は細身の少女に似合わぬほど大きく、街から見上げれば完全に天を覆いつくすほど。
 一瞬にして夜を連れてきた少女は美しい唇にスゥと息を吸い込んで。
「私はバハムート! 神聖バハムート帝国皇帝! たった今、この瞬間からこの町は私の支配下になった! いいわね?」
 そう高らかに宣言したのだった。
「そんな、めちゃくちゃよ! どうしてほとんど何の価値もないこの町を……」
 バハムートは食って掛かるキアラを見下し、真紅の瞳を細めて嘲るように嗤う。
「町の価値なんてどうでもいいの。人間がいるから、支配する。それだけよ」
 キアラはその返答に思わず震え上がった。戦争に理由など要らない。彼女の言葉は交渉を受け付けない、交渉の余地が無い。話して解る相手ではない。
「ま、価値がないってのは本当かもね……。だってこの町」
 バハムートはニヤリと不敵に微笑むと、突然かくんと膝を折った。重力に任せて落下していく彼女の可愛らしい、しかしあまりにも大きなお尻。当然その下には、町がある。
 風を孕んでふくらみ、めくれ上がるスカート。彼女の黒いフリルつきの下着が露になり、それは程なくして町の中央広場に衝突する。
 敷き詰められたレンガがドミノ倒しのように連鎖して飛び上がり、家々の屋根に落下する。その家すらもそれに一瞬遅れてがらがらと瓦解し、同心円状に真っ白な爆煙が津波のように押し寄せる。
 彼女の体が直撃しなかった場所ですらこの様である。町を押し潰してぺたんと座り込む彼女の太股や脛の下に敷かれた家々の末路は明白であろう。
「あははっ! ほら、私が座るだけで壊れちゃうのよ!」
「きっ……貴様アアアアァ!!」
 キアラは声を荒げ杖を振りかざした。決して許せないあの邪龍ではなく、精一杯怒りを抑えて……助けなければならない町へと。
 杖に据え付けられた幾重もの歯車がカチカチと忙しそうに刻む。その一拍ごとに、レンガは元に戻り、家は再び立ち上がった。
 再生の魔法。因果を書き換えて、意図した事象を無かった事にする強力無比な時間操作だ。故に、だからこそ壊れてから余りに時間が経ちすぎると元に戻せなくなる。たとえばそう、今こうしてバハムートのほっそりとした、しかし巨大な脚が横たわっている部分は修復できない。そうしている間にも、時間は流れていく。
「そこを退け!! 退いて、おねがい!! 間に合わなくなる!!」
 もちろん、キアラの事情など知った事ではないバハムートは慌てる彼女を見て面白そうに笑った。
「なるほどね~、貴方が回復役か。知ってるかしら? ゲームとかではそういう奴って一番最初に叩き潰されるんだって!!」
 ぐわっつ!! バハムートの、手袋に覆われた華奢な手がキアラに向かって襲いかかる。まるで大蛇が口をあけて迫り来るようなその迫力、そして狂った距離感はキアラの対応を許さない。成すすべも無く、彼女はその巨大な手に握りこまれてしまった。
「きゃっ!! 放せ!! はなしっ……いやああああぁぁ!!」
 バハムートがちょっと手を握るだけで、その手の中から面白いように悲鳴があがる。バハムートにしてみればそれはまさに、握ると音が出るカエルのオモチャである。
「あははは、すごくいい声で鳴くのね」
 ぎゅっ、ぎゅむ。ほっそりとした指の牢獄は何度も何度もキアラを締め付け、その度にキアラは肺の中の空気を全部吐き出さされる。とても人のものとは思えない悲鳴まで上げさせられて。
 バハムートが手を開くと、キアラは腰まである金髪を振り乱してぐったりと伸びていた。普通の人間であればとうの昔に握り潰されてぺっちゃんこになっていたところなのだが、魔法で防壁を張っていたためどうにか生きているといった様子だ。
 ぜぇぜぇと苦しそうに息をつくその肩。本人は必死なのだろうが、バハムートの目にはそれは小動物のようでとても可愛らしく映った。
「ふふっ、とっても可愛い……。なんだか、もっと苛めたくなっちゃうわね」
 掌に伸びるキアラを指先でつついてごろごろと転がす。手袋に覆われた、幅だけで1メートルはあろうかという巨大な指先に脇腹をつつかれ、キアラは苦しそうにうめき声を上げた。
「気に入ったわ。ほかの人間と違ってそう簡単に壊れないみたいだし……。貴女、私に仕えてみる気はないかしら?」
 ちむっ。無抵抗なキアラに、その巨大な、しかし形のいい柔らかな唇でそっと口づけをするバハムート。だが、彼女の好意はキアラには届かなかったらしい。
「……悪いけど、それはお断りよ」
 キアラはどうにか動く腕でその唇をぐいと押し返した。
「っ……!!」
 その答えに、バハムートは酷くたじろいだように見えた。強気そうな眼差しが曇り、目を細めて。気に入らない、と言った感じよりも、どこかしら傷ついたような、そんな印象を受ける。
「……いいわ、なら一週廻って私のことが好きになるまで苛めてあげる!!」
 だが、そんな表情を見せたのも一瞬の事。紅の瞳を吊り上げ、彼女は直ぐにあの傍若無人な侵略者の顔に戻った。
 彼女はキアラを握った手で、ミニスカドレスの裾をめくり上げる。
 オーバーニーソックスの黒とのコントラストでよく映える瑞々しい太股が露になり、彼女の手はそれを辿って色っぽいフリルつきの下着へと伸びた。
 手に握られたクレアは外の景色は殆ど見えないながらも、バハムートの太股が発散する温かい熱と、それをふわりと包むカーテンでなんとなく、自分がスカートの中にいること、そしてこれからどうされるのかがわかった。
 手から放り出される落下の感覚。受け止めるのは、柔らかい布。思ったとおり、キアラはバハムートの下着の中に入れられてしまった。
 ドバン! バハムートの指が引っ張っていた下着のゴムが元に戻る音。それと同時に空間が無くなり、キアラの体はバハムートの秘所にギュウと押し付けられる。
「私に奉仕しなさい。そうじゃないと、こうするわよ」
 下着の張力による押し付けのみならず、さらにその上からバハムートの指がキアラの体をなぞった。
 キアラの体はバハムートの大陰唇を左右に分けて沈み込んで行く。
「やめっ……げほっ……よしなさい! こんな事して恥ずかしくないの!?」
 もちろんキアラも無抵抗ではないのだが、手足をばたつかせての抵抗はバハムートを喜ばせるだけであった。こうなっては、もはや声も届きはしない。
 キアラの身体と肉壁の間から抜け出る空気のいやらしい音と共に、小陰唇を押し分け奥へ奥へと彼女をねじ込んで行くバハムートの巨大な指。押し広げれば塔ですら飲み込めてしまえそうな巨大な膣口がキアラを飲み込むのに、さして苦労は無かった。
「んっ……んぁっ……あの子が……私の中に入っちゃった」
 荒い息遣い、快感に喘ぐ巨龍の少女の声が肉の壁を通じて直接伝わってくる。そして彼女の脚が踏み出される爆音も。
 キアラは最初、どうにか暴れてそこを脱出しようと試みた。だが、その度に、轟音と共に酷い振動がキアラを襲う。バハムートの膣の中でキアラが動けば、全身を駆け巡る快感に身を捩ったバハムートがその巨大な足を動かして足元の町を踏み壊してしまうのだ。これはむやみに動く事は出来ない。それに、これ以上彼女を刺激してその気にさせてしまえば、膣の入り口から教会の尖塔がコンニチハなんてことにもなりかねない。
 故にキアラは、ここはどうにかじっと耐え忍ぶしかなかった。
 もちろん、キアラが動きを止めればそれはバハムートに直ぐに伝わる。
「あれ? もしかして……もう死んじゃった?」
 締め付けてみても一切の反応が無い。本当に膣圧で絞め殺してしまったのではないか、と不安になったのか、彼女はスカートの中に手を突っ込んでもぞもぞやり、キアラを中から引っ張り出した。少なくとも、手で持った感じではしっかりと原形を留めていそうだ。
「なんだ、生きてるじゃない」
 バハムートは親指と人差し指に挟まれた小さな少女が顔を上げたのを見て、ため息をついた。
「どう? 苦しかったでしょう? ねぇ、私は貴女のことがとても気に入ってるの。貴女が私のものになってくれさえすれば、もう苛めたりしないからさ……どうかしら?」
 手の中で、ぜぇぜぇと苦しげに息をつくキアラに、バハムートは問いかける。交渉の主導権を持っていながらにして、その問いかけは少しばかり自信なさげで、どこか拒絶される事を恐れているかのように聞こえた。
 キアラも、その問いに思うところが無かったわけではない。
 けれど、だとしても。こんなやり方に屈してはいけないという思いが勝った。
 ゆっくりと、横に振る首。手も足もろくに動かせず、声すらも出せないほどに傷つけられても、キアラの意思は折れなかった。
 その答えにバハムートはぎりりと奥歯を噛み。
「っ……私の物にならないなら……死んでしまいなさい!!」
 握りこむ、手。その指先が、キアラの温かい身体に触れて一瞬戸惑うように動きを止める。けれど、そんな戸惑いは残忍な衝動に飲まれて。
 手の中で弾ける、少女の体の感触。赤黒い花が指の間から漏れて咲く。
 夜のような手袋に染み込む赤黒い体液。ジワリと滲む少女の温もりが高空を吹き抜ける風にさらわれ逃げて行く。爪が食い込むほど強く強く握り締めても。
 身体は好きに出来ても、心だけはバハムートのものにはならない。それが悔しくて、虚しくてならない。
「やっちゃった……」
 けれどそう、こんな事は今まで何度もしてきた事だった。今更拒絶されたところで、何も変わらない。

 今までも、これからも。力と恐怖で支配しなければ人間とは関わりを持てない。

 バハムートは自嘲的な笑みを浮かべて、足元の町を見下ろす。
 その町の中を必死で駆けて逃げ出す人間達を彼女は見つける。もちろん、そんなものを見つければちょっかいを出したくなるのは必至であった。
 人間達はどうにか彼女から逃げ出そうと必至で走る。この町は広場を中心に円形に作られた町。中央通り以外にも、複雑に入り組んだ家々の間の裏道を通る事でなんとか撒くことが出来ると考えた。
 だが、そんな彼らの前に、爆音と共に柱が突き立った。跳ね上がる石礫、立ち上る煙。バハムートの履いているハイヒール、その踵だ。
 彼女の巨大な足は家を一軒踏み潰し、高くなった踵の下には奇跡的に破壊を免れた家の壁のみが、屋根も部屋も失って寂しく突っ立っている。
「私から逃げようって言うの? 生意気ね。貴方たちはどこにも逃げられない。この私を皇帝として崇め愛する以外に道は無いのよ。それが出来ないならば……」
 バハムートは踵を持ち上げ、跳ね上がった石で身体を打ちつけ動けない人間の上に翳した。まるで攻城兵器のような巨大なヒールの切っ先。それが容赦なく下ろされ、そしてバハムートの体重を受けて地面深くへと突き刺さる。もちろん、そこにいた人間と一緒に。
 人間がどう隠れたとしても、はるか高みからそれを見下ろすバハムートにとってはそんなもの丸見えであった。建物ごとふみ砕いて、ハイヒールのつま先や踵で真っ赤なシミに変えて行く。
 そのたびに地面は激しく揺れ、破壊の土煙は空高く舞い上がって彼女のオーバーニーソックスに埃っぽい汚れをつけた。
「あ~あ、こんなちっぽけな村、侵略の甲斐が無いわね。もうほとんど全部壊れちゃったじゃない」
 当然のことといえばそうなのだが、この町の径よりも大きな彼女が歩き回れば、町の建物などあっという間になくなってしまう。町だったもののほとんどは、今となってはただの土くれとして彼女の足跡を模るのみ。
 けれど彼女は考えなしに町を踏み壊したわけではなかった。
「さて、それじゃぁ皆一回死んでみたところで、感想でも聞いてみようかしら」
 パチン! バハムートが指を打ち鳴らす。手袋をしているにもかかわらず、その音は高く硬く、はっきりと響いた。
 すると先ほどキアラがやったのと同じように、町が再生されていくのだ。もちろん、そこにいた人間達も、彼女の手の中で潰えたキアラも。
「っ……あれ? 私……どうなって……」
 バハムートの手の中で、金髪の少女がうめく。先ほど真っ赤なシミになったはずの彼女は、確かに寸分違わず完全に再生されていた。
「どうかしら? 死の苦しみを味わった気分は」
 手の上の彼女を見下ろして、バハムートは嗤う。
「うぅっ……バハムート、貴方は再生の魔法を……?」
「もちろん。人間に出来て龍にできないことなんて無いわ。そしてこれが私の侵略のやりかた。殺して、生き帰して、また殺す。何度でも踏み潰して、わかるまで殺すのよ。私を認めるまで、ずーっとね。私が欲しいのは、土くれでも金でもない。貴方たちの心よ」
「だったら、こんなやり方は間違ってる!!」
「うるさい!! 貴女なんかに何が分かるのよ! 私にはこれしかない!」
 バハムートは再び手の上のキアラを握り潰そうとし、そしてその指が身体に触れたところで、今度は思いとどまった。握りこむその刹那、指の檻の向こうからじっとこちらを見据える翡翠の瞳と目が合ったのだ。その瞳は、とても死の苦しみを味わった人間のものには思えなかった。
「どの道この町の人々はそんなものじゃ貴女の物にはならないよ。この町の人たちは皆、クレアに……あの白龍に踏み潰された経験が何度もあるから。残念だけど、あなたのやり方は失敗よ。この町はそんな安っぽい恐怖には屈さない、決してあなたの物にはならない!」
 キアラはバハムートの紅蓮の瞳を真っ直ぐ見つめ返し、高らかに言い放った。
「なら、この飛行艦隊で周辺の流通を止めてやるわ! 私の支配を受け入れなければ、飢えに苦しむ事にな……」
「そんな事はさせないよ」
 天から降り注ぐ大音量のメゾ・ソプラノ。大気をびりびりと震撼させるその声は、バハムートにすら耐えかねるものだった。彼女は手に掴んだキアラを取り落とし、両手で耳を塞いで身をすくめる。
「一体どういう……っ!?」
 しかめっ面で天を仰いだバハムートは、そのあまりの事態に続く言葉を失った。
 見上げる空は一面の白。一面の雪原が天空に広がっている。それがたった一人の巨龍の少女の素肌であるとは、巨龍であるはずのバハムートですら信じられなかった。
 そのまま視線を上へと辿れば、龍の甲殻で出来た純白の胸当てが重たそうに実った山のような乳房を支えている。胸の谷間や、そのさらに上にある鎖骨の窪みには、水が溜まれば湖となるだろう。
 そして天頂を覆い尽くすのは、やや幼さの残るあどけない、しかし可愛らしく美しい少女の顔。そこから流れ落ちる白銀の滝は町の周囲を壁のように取り囲み、町を包囲していたはずの飛行戦艦たちをさらに外から閉じ込めていた。
 狂った距離感にバハムートは思わず空へと手を伸ばす。けれども、70メートルもあるはずの彼女の手は空を掻いた。それもそのはずだ。見上げるその巨体はいくつもの雲が流れ空の青さに霞むほど。
 白龍の少女、クレア。その本来の大きさが、天地を覆いつくさんばかりのこの姿であった。巨龍の少女であるはずのバハムートから見ても、巨龍と呼べるほどの。
 規格外の魔力を誇る龍の中でも、飛びぬけて規格外。実力の差は歴然であった。
「クレア……っ!? ダメ!! いつもの大きさに戻って!!」
 キアラは投げ出された宙でなんとか姿勢を制御して飛び上がり、天を覆いつくすほどの大きさになってしまった最愛の龍に呼びかける。
 だが、その呼びかけももはや彼女には届かない。いや、届いているのだけれど、聞こえないフリをしているみたいだ。今の彼女は逆鱗状態、もはや保護者たるキアラにも止められないのだ。
「私の町に危ないものをけしかけたのは貴女だよね? 町の皆やキアラちゃんに酷い事して……絶対に、許さないよ」
 ザザァッ!! 銀髪のカーテンを破って、クレアの巨大な手が現れる。それこそ、山ですら鷲づかみにできてしまうほど巨大な手が、宙に浮いたいびつな飛行船戦艦をハエのように叩き落して。
「い、いや……嫌ぁっ……」
 バハムートは迫り来るその手から逃れようと後退るも、程なくしてクレアの髪の壁に足を取られてお尻から倒れこむ事となった。
 バハムートのお尻が、町外れの林の木々を粉々に砕いてそこに鎮座する。けれど、そんな被害がとても小さく見えるほどに、今のクレアは巨大であった。大地をうねる様に這う髪の毛はその一本一本が大蛇のよう。束ともなれば、それは荒ぶる白銀の河のようだった。
 クレアは自分の髪の籠の中に囚われた哀れな獲物をつまみ上げ、そして体を起こす。
 地面に両膝をついているというのに、身を起こしたクレアはどんな山よりも高かった。その大きさ、実に人間の5000倍。身長8750メートル。身長150メートルのバハムートからしても50倍の巨大少女なのだ。
 こと、バハムートは生まれてこの方自分よりも大きな存在に出会った事が無いためそんな少女の手に握られたとあってはもはや皇帝の面目を保つ事など不可能だった。
「嫌、嫌よ、こんなの……!! 下ろして! 下ろしなさいよぉ……」
 出来る事と言えば、外見相応の少女らしく泣きじゃくる事のみ。けれどクレアはそんな彼女に情けをかけるような素振りは一切見せない。
 下を向いたときに乱れた前髪をしっかりと分けなおし、そしてその蒼い瞳で掌の上のバハムートを冷たく見下ろす。
 その様子を地上から見上げていたキアラは、まるでその瞳に自身まで射抜かれたかのようだった。ゾッとする悪寒が背筋を駆け抜ける。
 光の失せた龍の瞳。
 いつもキアラが接している優しいクレアではなく、龍の本能に駆られた目。このままだとクレアは、バハムートを殺してしまうだろう。
 当たり前、と言えば当たり前だ。バハムートは傍若無人な侵略者であり、クレアの宝物たるキアラに酷い事をした。
 だから、その報復にクレアは彼女を殺す。
 キアラのために、クレアが手を汚す。それは彼女にとっては耐え難い事であった。
 けれどキアラのそんな思いなど知らず、クレアの手は閉じていく。泣き叫ぶバハムートをその中に包んで。
「貴女がキアラちゃんにした事と、同じ事してあげるね?」
 凍りついた、残忍な笑顔と共に握りこまれるあまりにも巨大な手。その指の一本一本が300メートル以上の化け物なのだ。巨大と言えど所詮身長150メートルのバハムートなど軽く丸め込んでしまえる。
「嫌、いっ……いああああああぁっ!! ああああああっ! お願い、やめっ……うああああああぁ!」
 ぱきっ、ぽきっ。何かが折れる嫌な音。音源から3キロは離れているはずの地上にも、その音は鮮明に届いた。けれどまだバハムートの悲鳴が聞こえるという事は死んではいないらしい。おそらく背中の翼や、抵抗しようとして伸ばした腕が折れたのだろう。
 自分を握りつぶした少女が、今は自分の最愛の少女に握りつぶされそうになっている。その叫び声に、キアラは思わず耳を覆う。先ほど自らが味わったばかりの苦痛。その痛みが蘇る。
「お願い、助けて……私は誰も殺してない、ちゃんと生き返したから!! だかっ……ああああああああっ!!」
 嘆願するバハムートの、涙交じりの細い声。そして腹の底から搾り出される悲鳴。
 だが、その彼女を助けに行こうとするものはいなかった。クレアの髪や手に叩き落とされなかった飛行戦艦たちは主を見捨てて我先にと、既に空の彼方。鋼鉄の大軍団を従えていたはずの彼女は、今やクレアの手の中にただ一人。孤独と絶望の淵に立たされていた。
「うぅん、違うな。きっとあの子はずっと、一人だったんだ」
 きっと寂しくて寂しくて、誰かに敬って欲しくて愛して欲しくて、ずっとずっとこんなことを続けてきたんだと思う。だから彼女は、お金も土地も欲しがらなかった。人々の心を欲していた。
 ただの、一人ぼっちの女の子。
 バハムートの姿はキアラの目にはそう映った。
「えーっと、それから貴女はキアラちゃんに何をしたのかな~?」
 だが、クレアは容赦しない。そもそもが、今の彼女はバハムートを敵としてしか見ていないのだから、当然だ。ほかの多くの人間達と同じように、バハムートの少女としての人格を見出していないのだ。
 龍の有り余る大魔力を乱暴に振り回し、射貫くような氷の視線でバハムートの記憶の門を無理やりこじ開けてその中身を覗いているらしい。
「へぇ……そんなところに人を入れようなんて思ったこと無かったなぁ……。汚くないの? ……ま、いっか」
 と、その様子を見守る事しかできないキアラはあることに気がついた。クレアに見せたくないものが、バハムートの行動履歴に入っているではないか。
 キアラが今までその手の知識を与えてこなかったせいで、クレアは純真無垢。性に対してまったくの無知なのである。彼女の纏う衣装が”邪魔だから”という理由だけでやたらと無防備なのも、それが故。
 だから、その無防備な薄絹をめくり上げて下着をずらし、バハムートをその中に挿れるまではあっという間。キアラが彼女を止めに入る余地は無かった。
「ふぇっ!? ひゃうん!!」
 びっくぅん!! 初めて味わう正体不明の感覚に思わず竦み上がるクレア。山が鳴動するかのようなその動きが、地面についた彼女の膝から伝わり激しい地震を巻き起こした。
 実際はバハムートの頭がほんの僅かに小陰唇に触れただけなのだが、今まで一切不純な遊びをしてこなかった彼女にとってその刺激はあまりにも過ぎる。
「ふぁ……なにこれぇ、すごく気持ちいい……っ!!」
 彼女は刺激に耐えかね、ふらりとうつ伏せに倒れこむ。危ないところでどうにか突いた手が森を林を敷き潰して大地にめり込み爆轟を幾重にも放った。
 爆轟はクレアの豊満な胸によって吸収され、その向こう側にあったキアラの町は何とかその被害を免れたのだが……それはつまり彼女の体の真下に町が位置するという事であって。見上げれば、クレアの皇かなお腹が空一面に広がっている。
 この状態は、言うまでもないがとても危険であった。なにせ逆鱗に触れられていつもの自分を見失った状態のクレア。そこに輪をかけての初体験とあっては、身体の下にある小さな町などいつ磨り潰されてしまってもおかしくない。
「あぅ……っ、ふあぁっ!!」
 クレアの身体を伝っての全周囲からの音圧。それに続いて、快感に身悶える彼女。すると当然、彼女の胸板から重たげにぶら下がった乳房も一緒に動く。そこにあった標高400メートルほどの山を切り崩して。
 まさに一挙一動が天変地異であった。
 クレアの膣の中でバハムートが苦しさに身悶えると、そのたびに彼女の豊満な胸やしなやかな脚がのたうち、山を削り、或いは創る。
 快感をどうにか御そうとくわえ込んだ指。その指を伝って流れ落ちた涎は森林地帯を爆撃しその中に新しい泉を作り出すし、荒く熱い吐息は雲となって結露し局所的な大雨を撒き散らす。 
 たった一人の少女の初体験が、一帯の地図をまるで新しく書き換えてしまう。それが、災厄の化身たる龍の力。特に、クレアは不器用ながらも力の強い龍であったためその存在自体が大災害。彼女が身悶えするたびに生と死の狭間を行き来する事になる町の人々は、それを身をもって知る事となった。
 だが、幸いにしてクレアの初体験はそろそろ幕切れを迎えようとしていた。最も、その幕切れは大水害の危険も孕んでいるのだが。
「っ……!?」
 なんだが、すごくおしっこがしたい。そんな感覚に襲われる。ここにきて初めて彼女は恥じらいを覚えた。だって、こんなところでお漏らしだなんて恥ずかしい。それに、今の今まで忘れかけていたけれど、今の自分はいつもよりも遥かに大きいのだ。さすがに、この大きさでお漏らしなんてしたら……護るべき村までも押し流してしまう。
「だ、ダメぇっ!!」
 慌てて下着の中に手を突っ込み、中に挿れていたバハムートを引っ張り出すクレア。けれど、むしろそれがいけなかった。決壊寸前、ぎりぎりで持ちこたえていたはずのところに自ら止めを刺す結果となったのだ。
 下着にジワリと染み込む暖かい液体。慌てて腰に巻かれたパレオを解き、股間に押し当ててあふれ出す液をどうにか押さえ込む。
「っ……はぁ、はぁ……危なかったぁ……」
 水気を吸って重たくなるパレオ。クレアの愛液でノアの大洪水、という最悪の事態だけはどうにか避けられたらしい。
 それはそうと。
 クレアは手のひらの上で弱々しく息をつく少女を見下ろす。酷く衰弱してはいるが、まだ息はあるらしい。
 あんな感覚に襲われたのは予想外だったけれど、それでもキアラを苛めた龍に仕返しをしてやれたのには満足だった。
 けれど、まだ足りない。コイツはキアラを一度殺しているのだから。 
「あははは、どうだった? 苦しかった? それじゃぁ……そろそろ、楽にしてあげるね」
 くるりと返されたクレアの掌から落ちて行くバハムート。翼はあり得ない方向に折れ曲がり、翼膜は無理に引っ張られて破れ赤黒い血を滴らせている。品のある手袋やニーソックスは精一杯の抵抗に擦り切れ穴をあけ、それに通る手足はアザだらけ。暫く握られていただけあって、酷い有様であった。それでも死ななかったのは、龍の強靭な生命力が故だろう。
 轟音と共に砂煙を巻き上げ、体長150メートルもある彼女の身体が地面に抱きとめられた。町から大分離れたところに落とされたと言うのに、町ではその衝撃に窓ガラスが舞い、レンガが浮く。
 そしてそんな衝撃など比べ物にならないほどの揺れがその後を追った。先の衝撃波を巻き起こした少女からみてもさらに巨大な少女、クレアが立ち上がったのだ。
「私の靴底のシミにしてあげる」
 逆光、太陽を背負う眩しい笑み。それを覆い隠すように、それ自体が山と見紛うほどのブーツが大地を引きずって空へと持ち上がった。靴底の溝に挟まっていた巨岩が降り注ぎ、周囲は一転この世の終わりへと様変わりする。
 ――私、殺されるんだ。
 バハムートは朦朧とする意識の中で諦観混じりにそう考えた。体から魂が抜けかけているのだろうか。痛みが、遠い。まるで自分の体ですらないかのよう。
 ――結局どんなに富を与えようと恐怖を与えようと、人間の心は私のものにはならなかったな。
 悔しさに滲む涙。靴の裏に覆われ、暗く暗く狭まっていく視界。
 ――もし生まれ変われるなら、来世では龍ではなくて普通の女の子に……。
 目を閉じる。きっと永遠に目覚める事などないだろうと覚悟を決めて。




「待ちなさい! クレア!!」



 
 閉じかけの視界に飛び込む白い閃光。そして凛とした通る声。
 目前まで迫っていた巨大な気配が、戸惑うように動きを止める。
「キアラちゃんどいて! そいつ殺せない!!」
「殺させないよ! 私は貴女がこれ以上手を汚すのを見ていられない!」
 暗いブーツの底から一転する視界。一瞬遅れた明順応に、金髪の少女の後姿が映る。先ほどバハムートがその手で握り潰し、死の苦しみを味わわせた白魔道士の少女だ。
 バハムートの目と鼻の先、彼女を庇うようにその少女はいた。
「それに……こんな終わりかたって無いよ。話せばわかる、きっと分かり合えるから……クレア。いつもの大きさに戻って!」
「……やだ」
「なら私もここを動くつもりは無いわ」
 キアラは自身の5000倍もの巨体を誇るクレアを、臆することなくキッと睨み付ける。その姿に、バハムートは焦燥ともなんともつかない想いが湧き上がってくるのを感じた。
「……わかった」
 ぷぅ、と頬を膨らませて、不満そうに頷くクレア。天を覆いつくしていた彼女の身体が、するすると小さくなっていく。
「バハムート。私は決して貴女のやり方に屈したわけでも賛同するわけでもない。ただね、そんなことしなくてもいいんだよって教えてあげたいだけ」
 ひとまずはクレアが普段の大きさに戻ったことに安心したのか、キアラはバハムートを振り返った。
 バハムートは何か応えようとして唇を動かしたが、それは言葉を結ばない。結局、何の言葉も言葉も紡げないまま、彼女の唇はへの字に歪む。精一杯、今にも泣き出してしまいそうなのを抑えて。
 ずしん、ずしん。先ほどに比べれば随分と軽くなった足音が近づいてきた。バハムートの視界を覗き込むのは、未だに納得がいかない様子の白龍の少女。けれど、キアラにたしなめられてか、それとも嗜虐心が満たされたのか、先ほどまでの龍としての表情は影を潜めていた。
「もう、いいでしょう。これ以上は」
 糸が切れた人形のように力なく横たわるボロボロの少女。その生々しい姿に、クレアはばつが悪そうに目を背け、小さく頷いた。
 クレアは死体を恐れない。それはもう死んでいるから。けれど死にかけで、生きて苦しんでいる相手は苦手だった。龍としての本能が眠りにつくと特に。彼女の中の良心が酷く痛むのだ。
「戻すけど、いいね?」
 キアラの問いに、今度は大きく頷くクレア。脅威を取り去るだけならば、こんなに痛めつける必要は無かったと、少し反省はしているようだ。
 キアラの手にした銀の杖、その歯車がカチカチと逆向きの時を刻む。癒えて行く傷、ボロボロの服飾はかつての上品さを取り戻し、乱れた髪は黒絹の艶やかさを取り戻す。ほとんど全て、元通りだ。
 けれど、先ほどまでと違うのはその表情だった。
「バハムート。貴女はずっと、一人だったんでしょう? その、大きすぎる体のせいで。その強すぎる力のせいで」
 優しく問いかけるキアラ。バハムートはどうにか動くようになった手で身を起こし、そして目を伏した。けれどその紅の瞳には、答えがはっきりと浮かび上がっている。今にもあふれ出しそうになって。
「私なら、私たちなら。きっと貴女の友達になれるから」
 キアラのその一言で、いよいよ我慢が出来なくなったのだろう。今までずっとこらえていたもの全部を吐き出すように、大きな声を上げてバハムートは泣き始めてしまった。あの侵略者としての顔が嘘のよう。整った顔をくしゃくしゃに歪めて、紅玉の瞳からぼろぼろと大粒の涙を溢して。
「……ごめんなさい」
 涙ながら、震える声で彼女は言った。
 その言葉をそっと受け止め、手を差し伸べたのは白龍のクレア。
 その手に重なるバハムートの、手袋に覆われた華奢な細い手。一瞬戸惑うようにすくめられたその手を、クレアの柔らかな手がしっかりと握り返す。
「うん、いいよ」


 龍。それは天災の象徴。圧倒的な、そして絶対的な力が故に普通に生活を行うだけでも周囲の世界を破壊しつくしてしまう、そんな存在。
 そう、たとえば喧嘩一つとっても。
「今日は私がキアラちゃんと寝るんだもん!!」
 ずどん! 踏み出される白亜のブーツ。地面が歪み、それに引っ張られる形で周囲の木々がメキメキと倒れこむ。
「嫌よ!! バハムートは寂しいと死んじゃうの!!」
 応じる黒のハイヒールが一歩踏み寄り、先の一歩で倒れこんだ木々を粉々に踏み砕いた。
「えっ!? そう……なの……? じゃぁ、ごめん。わたし……我慢、する……」
 うーっ、と悔しそうに唸りながらも引き下がるクレア。名残惜しそうに彼女が差し出したのは、魔法の結界でガチガチに強化された木造住宅。
「あ、いやそういう意味じゃなくて……その、あーもうこの子純真すぎてめんどくさい!! やっぱいい、一人で寝るわ!!」
 変な勘違いをされても困るし、騙したみたいで後ろめたい。バハムートは差し出されたその家をぐいと押し返した。当然そんな事をされれば中身はその一挙一動ごとに激しくシェイクされ、たまったものではない。
「だーっ!! もうどっちでもいいから私を寝かせてええぇっ!!」
 ドールハウスのように抱えられた家の中、飛び交う家具をどうにか避けながら悲鳴を上げるのは、今や二匹の龍の保護者となった少女。
 白魔道士の少女、キアラの苦労は絶えそうに無い。


おわり



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//本文だと書きづらい&割とどうでもいいスペック表↓
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クレア
身長175メートル
体重68000トン
カラダは大人、ココロは子供! 等身大だったとしたら割りとでかい子。
そして重い。主に胸のせい。そして若干肉付きがいいため。断じて太っているわけではない。断じて。


クレア(本来の大きさ)
身長8750メートル
体重85億トン
さすがにこの大きさだと迷惑なので普段はちっちゃくなってます。
100倍娘ってちっちゃいよね。


バハムート
身長149メートル
体重40500トン
同じ倍率でもクレアよりかなり小さい。そしてひんぬー
服や髪が黒いので、実際よりもさらに小さく見える。



キアラ
身長165センチメートル
体重51キログラム
普通サイズの人間のデータなんて興味ないよね。
でも一応この子主人公だったらしいよ?