はるか遠い未来。


 あるひとりの科学者の力によって、人類は医学と生物学を大きく進歩させた。

 その結果、人類の平均寿命は軽々と百歳を突破。『寿命以外でヒトは死なない』とまで言われる時代に突入する。

 死への恐怖を克服した人類は、瞬く間にその数を増加させたが、決してそれは生活を豊かにさせるものではなかった。

 そして増え続ける世界人口が100億人を突破した頃、その原因であるひとつの問題にとうとう向き合わざるを得なくなった。

 その問題とは、地球規模での資源の枯渇だ。


 「人口の爆発的増加」とそれに伴う「資源枯渇問題」


 ここ日本も例外ではなく、この二つの問題を解決すべく、ある一つの法律が誕生した。

 これはそんな法律によって裁かれた一人の男のお話。



 ***



 「――それでは被告人を有罪とし、懲役三年の刑に処する。」


 まだ現実を受け止め切れていない俺の耳に、裁判長の無情な宣告が突き刺さる。

 つい先日までただのサラリーマンだった自分。社宅で慎ましく一人暮らしていた自分。

 そんな自分に今、犯罪者の烙印が押された。

 どうして、どうしてこんなことになってしまったのだろうか……。
                            


 あの日、いつもどおりに仕事を終えた俺は、帰りの電車に揺られていた。

 帰宅ラッシュの時間だからか、車内は普段よりも少し込み合っている。

 独特の圧迫感を窮屈に思いながら窓の外を眺めていると、不意に一人の女性に手を掴まれた。



 『この人痴漢です!』



 目の前の若い女性の口から発せられた、全く心当たりの無い訴え。

 わけも分からずポカンと口を開けていると、あっという間に周りの乗客に取り押さえられた。

 事態を理解できたのは、駅員室で取り調べを受けている時だ。

 もちろん痴漢など神に誓ってしていない。おそらく冤罪というものだろう。

 ただ、彼女のその一言から俺の人生の歯車は大きく狂ってしまった。


 取り調べを受ける間も、俺は必死で無罪を主張し続けた。

 しかし彼女も一切主張を曲げず、その結果が……これだ。


 無実の罪に科せられた、執行猶予無しの懲役三年というあまりに重すぎる刑。

 仮に三年間刑に服したとしても、塀の外に出た自分には"痴漢の加害者"というレッテルが貼られた将来が待っている。

 ……そう、俺にとってそれは事実上の死刑宣告のようなものだった。


 「……では規則どおり、これより刑の執行に移らせていただきます。」

 「…………?」


 判決に続けて淡々と読み上げられた裁判官の言葉に、思わず首を傾げる。

 これから刑の執行……?

 ここは裁判所で、俺に告げられた刑は懲役刑。

 この後どこかの刑務所に収監され、刑期を終えるまで服役するものだと思っていた。

 それなのに裁判官の言葉は、まるで今から何か始まるかのような……。


 「――安心しろ。少し眠っている間にすぐ終わる。」

 「――っ!?」


 いつの間にか後ろに佇んでいた男の声に、びくりと身体を強張らせてしまう。

 と、同時に首筋へチクリと鋭い痛みが走った。

 痛みを感じた箇所から、じんわりと熱を持った何かが体の中へ流し込まれる。


 一体何を――っ!


 声を上げようとするも、うまく呂律が回らない。

 徐々に歪む視界。段々と重たくなる瞼。呼吸も途切れ途切れに……。


 ドサリ、と力無く身体が倒れ込む感覚。

 法廷の中、大勢の人に囲まれながら、俺の意識は闇へと吸い込まれていった。



 *



 …………。


 ……あれからどれだけの時間が経ったのだろうか。

 目を覚ました時、俺はこの薄暗い小部屋で横たわっていた。

 目の前に広がる天井は、牢獄……にしてはイメージとは違った、どこか小奇麗な雰囲気だ。


 ……まぁここが一体どこなのか、まずは辺りを調べてみないことには始まらない。

 そう思った俺はゆっくりと身体を起こそうとしたが、ここで初めて自身の身体の異常に気付いた。


 ……ピクリとも身体を動かせない。

 理由は二つ。すぐに分かることだった。


 まず、仰向けで寝ているこの身体の側面へピッタリとフィットするように、分厚いゴムが張られていること。

 身体を捩る隙間すら無いため詳しくは分からないが、視界の端に広がる平らなゴムの様子から、それがかなりの大きさであることが伺える。

 俺の身体は、巨大なゴム板の真ん中を人型にくり抜き、丁度そこに押し込められたかのような形だ。


 それだけでも身動き一つ取れないのだが、加えて全身が鉛のように重たく感じられる。

 握りこぶしを作る、といったごくごく簡単な動作すら、今の身体は受け付けてくれなかった。 

 ……恐らく、あの時注射された"何か"が原因だろう。

 呼吸はできるが、口と喉元に上手く力が入らず声を発することも出来そうにない。


 時間も場所も分からず、動くことさえも制限されたこの状況に、次第に焦りの色が出始める。

 ただ視覚から情報を得られないそんな中、段々と周囲の音に意識が集中する。

 ドクンドクンとうるさく脈打つ鼓動の向こう側……部屋の外から女性の話し声が聞こえてきた。



 「……要望どおり…………よろしいですか……」

 「ええ…………では、三年…………」



 この部屋からそう遠くない場所で、二人の女性が何か話し合っていたようだ。

 所々聞き取れず内容までは掴めなかったが、どうやら話は終わったらしい。

 足音が一つ。コツコツとこの部屋に向かって徐々に近づいてくる。


 コツコツ、コツコツ、コツコツ……。


 …………? 

 おかしい。もうこの部屋に着いてもいい程大きな足音。

 しかし足音は際限なく大きくなり続ける。地鳴りのような足音と併せて部屋全体が振動する。


 ガツン、とひと際大きな音がしたかと思うと、見上げていた天井がスライドし、部屋全体に光が差し込んだ。

 突然のことに目が眩んだが、次第に目は明かりに慣れ始める。

 慣れ始め……


 「あっ……あっ……」


 身動き一つとれないこの身体が、恐怖で一段と強張る。

 開けた天井からは、巨大な女性の顔が覗き込んでいた。

 しかも、その顔には見覚えがあった。俺にとってこの世で一番憎い顔。



 「――ハロー♪ 痴漢さん♪」



 ……あの日、俺を訴えた彼女だった。



 *



 「いやー……本当に小さくなっちゃうんですね~。」


 彼女は空高くからしげしげと俺の様子を見つめた。

 その高層ビルのような大きさに唖然としながらも、一体何が起こっているのかを必死で整理する。


 目の前の女性は常識では考えられない程の大きさだが、あの日俺の人生を狂わせた女性で間違いない。

 そしてその口振りから察するに、彼女が大きくなったわけでは無く、"俺が小さくなった"ようだ。

 ……正直信じられないが、今は目の前に広がる現実を受け止めるしかない。


 しかし、仮にこれが現実だとしても、どうして俺は縮められ、そして彼女と対峙させられたのだろうか。

 彼女からすれば、俺は痴漢犯であって二度と会いたくない相手のはず。

 その答えが導き出される前に、彼女は俺の目を見つめながらゆっくりと口を開いた。


 「えーっと……どうも状況が飲み込めていないようなんで、イチから説明しますけれど……」


 拡声器を通したような声が響き渡り、頭がくらくらする。

 そんな様子を見てかどうか分からないが、少しだけ声のトーンを落として彼女は続けた。



 「悪いことしたあなたはー、被害者であるこの私から、直・接! 刑を執行されることとなりましたー♪」 



 直接……? 意味が分からない。

 懲役三年と裁かれた俺は、どこか刑務所に収監されるわけじゃないのか?

 どういうことだと訴えようにも、力の入らなくなった口からはフガフガと半端に声が搾り出されるだけだった。


 「……ぷっ! あっはっはっは! 本当に何も知らないのー?

  おにーさん、ニュースとか新聞とかあんまり見ないんだねー……。

  ほら、去年話題になった出来立てホヤホヤのあの法律! 知らない?」


 無知をバカにされたことに苛立ちを覚えながらも、記憶をゆっくりと遡る。

 ……そういえば、と昨年話題になった一つの法律を思い出した。

 犯罪者を対象とした、この世界の『爆発的人口増加』と『資源不足』を解決する画期的な法律……。

 ……まさかそんなはずがないと否定するも、頭の中で導き出された答えから、押さえ込んでいた恐怖が一気に溢れ返る。

 その法律とは――



 「犯罪者は縮めて道具代わりに使っちゃいましょーって法律……♪」



 ぼそりと彼女が囁く。


 人が住める土地、国内生産できる資源。それらがいち早く限界を迎えた島国日本。

 反して増え続ける人口に対して、国が真っ先に目を付けたのは……囚人であった。


 『増えすぎた人間はいずれ淘汰せざるを得ない。罪を犯した人間はヒトに非ず。モノとして取り扱うべし。』


 ……そう、刑務所で犯罪者を養うくらいなら、不足する資源として使ってやろうという悪魔のような法律。

 神の域に届こうという技術力を手にした人間は、とうとう神の真似事を始めてしまったのだ。

 そしてそんな非人道的な法律の対象に、今、俺は……。


 「…………。」

 「んふふ……♪ ラッキーじゃない? こんな美女の道具として使われるんだよー?

  ……あ、でもどんなことに使われるか知ったらー……♪」


 ……そうだ。そもそも"道具として使う"という曖昧な表現。

 縮められた俺が"何"の代わりをさせられるのか、その答えには一切辿り着けていない。

 そんな心の中を見透かしたかのように、彼女はニンマリと笑みを浮かべながら、バッグの中の何かを探し始めた。


 「最近"ゴム"が希少素材に指定されちゃってさー、ゴムを使うものは軒並み良い値段になっちゃったのよねー……。

  仕方ないから、安く済ませられるものは安く済ませようと思ってー……だーかーらぁ♪」


 あったあった、と取り出したそれは……小さな手鏡。

 俺にとっては巨大なその手鏡を突き付けながら、答え合わせをするように彼女は言った。



 「あなたにはー……わたしの靴の"中敷き"になってもらいまーすっ♪

  いや~小人を使った中敷きって、ちょうどいい柔らかさで脚が疲れにくくなるらしいんだよねー♪」



 目の前の手鏡に映し出されるのは、中心を人型にくり抜かれた靴の中敷きと、そこにピッタリと納まる自分の姿。

 あまりに残酷な答えに、一瞬呼吸が止まる。小さな心臓がバクバクと身体の内側で暴れ始める。


 『靴の中敷きになってもらう』


 目の前の彼女はそう言った。

 そんなもの道具でも何でもない……! 人間からただの消耗品に成り下がれという宣告だ……!

 鏡の向こうの自分の顔から、徐々に血の気が引いていく。


 混乱する脳と身体が、急激な重力の変化を感じ取る。

 あれほど高い位置から見下ろされていた彼女の顔が、大きさそのままに同じ目線の高さにあった。

 どうやら彼女が俺の納まっている中敷きを、目の前に持ち上げたようだ。


 「さぁーて、それじゃあ説明も終わったし、早速使わせてもらおうかなー♪

  あ、心配しなくても、わたし物持ちは良い方だから! 三・年・間、キッチリ使ってあげるからねー……♪」


 急上昇した身体が、再び地面へ向かってゆっくりと降下し始めた。

 ただし戻るのは先ほどの場所ではなく、彼女が履く靴の靴底へと向かって……。


 ……靴口に触れたところでピタリと動きが止まる。

 ふと、何かを思い出したように彼女が語り掛けてきた。


 「……あぁそういえば、わたし、あなたが無実だってこと分かってたんだよねー。

  ていうか、手を掴んだのもたまたま近くに居たからが理由の、ただのストレス発散だしー……♪」


 ……彼女は何を言っているんだ?

 冤罪ということを知っていた? たまたま? ストレス発散?

 彼女の言葉が頭の中でグルグルと回り続ける。



 「そんじゃ、よろしくねー♪」



 彼女の声が響く。

 一切の反論を許されないまま、俺は闇に包まれた絶望の世界へと押し込まれた。



 *



 再び孤独になった俺は、身動きひとつ取れないまま、薄暗く狭い空間に閉じ込められていた。

 目覚めた時に入れられていた部屋―――小箱の中と、明らかに異なっているのはそこを満たす空気。

 目に見えるほど澱み、全身にベッタリと纏わりつく高温多湿な空気が、ここは彼女の靴の中だ、とハッキリ告げていた。


 「はっ……はっ…………うぅっ…………」


 そんな中、俺は野良犬のようにだらしなく口を開けて呼吸していた。

 口の中いっぱいに広がる強烈な酸味と苦味が、頭で考えるより先に警鐘を鳴らしていた。

 つい先ほどまで彼女の足が収まっていたであろうこの空間。不衛生極まりないこの空気がそれを証明している。

 出来る限り浅く呼吸しなければ、数分で気が狂ってしまうだろう。

 ましてや鼻で呼吸しようものなら……考えただけでぞっとする。


 気を確かに保とうと脳をフル回転させる中、それは突如として現れた。

 小人の小細工など嘲笑うかのような存在感を持つそれは、ズリズリと音を上げ、靴全体を揺らしながら迫りくる。

 爪先側にある頭からは音と振動だけしか感じることができないが、それが何かは考えずとも理解できた。

 まるでスローモーションのように、ゆっくりと焦らしながら靴内の空気が圧縮されていく。

 わずかに差し込んでいた光が徐々に絞られていき、完全な闇に包まれた時。


 ……俺の身体は靴の中敷きとして、彼女の巨大な足裏に押し潰されていた。

 そして身動きが取れない俺の身体に、ダメ押しとばかりに絶対的な重圧が加わる。


 「んむぅぅっ……! ふ、ぐっ、うむぅぅぅ…………っ!」


 ギュウッと絞り出すように加わる力に、全身の骨と内臓が圧迫される。

 指先から胴体、頭のてっぺんまで余すところなく彼女の足裏が圧し付けられる。

 ミシミシと嫌な音が体の内側から響き悲鳴を上げようとするも、開いた口さえ彼女の足の下敷きとなり、喉の奥を震わせるだけに終わった。

 肺からはほんの少しも残さず空気が絞り出され、唯一残されていた呼吸という動作すら一切できなくなる。


 息ができない。酸素が足りない。酸素。酸素。酸素。さんそ。さんそ。


 だめだ  あたまがまわらない  いしきが――――



 ――――ジェットコースターに乗った時を思い出す、強烈なGを感じた。

 瞬間、全身を押さえ込んでいた重圧がゼロになる。

 潰れていた肺が、自身の意志とは無関係に空気を求め、身体の外から空気を取り込もうとした。

 しかし、大きく開いた口には彼女の足の母指球がピッタリと蓋をしている。

 つまり求める空気の通り道は――


 俺は無意識のまま、鼻から大きく息を吸い込んだ。



 「――――っ!? んむぅぅぅぅっっ!?」



 ――――途端、脳が、意識が、視界が、パチッパチッと弾けるようにスパークする……!

 嗅覚が感じ取った『臭い』という感覚が、焼印のように脳に直接焼き込まれる。

 今まで感じたことの無いような強烈な刺激に、身体中の神経がビリビリと痺れ痙攣し始めた。

 ……いや、麻痺した身体は痙攣すらできず、発散できない刺激は蓄積され、すべて苦痛として脳へ流し込まれた。
 

 この小さな身体の許容量をはるかにオーバーした『臭い』。

 逃げ場のない二十数センチの牢獄の中、ねっとりと生温かい臭気に包まれ、力なく悶え続ける。

 畳みかけるように襲い掛かる様々な感情が、脳をぐちゃぐちゃに蹂躙しパンクさせる。


 再び手放される意識。

 ブラックアウトする視界。

 このまま死―――「ぐふぅっ!?」


 たっぷりと息を吸い込んだ身体に、もう一度巨大な足裏がズッシリとのしかかる。

 全身に襲い掛かる重圧に、トビかけた意識は無理やり覚醒させられる。

 膨らみ切った肺が再び押し潰され、空っぽになるまで空気を絞り出す。

 全身を圧迫される苦痛の中、つい先ほどの記憶がフラッシュバックする。

 ギリギリまで押し潰されたこの身体が次に向かう先は……。


 「ふぐぅぅぅんっ!? んーっっ! んぐぅぅぅぅぅーっっ!!」


 再び来るであろう、あの悪臭地獄に恐怖し抵抗しようとする。

 しかし、明瞭な頭とは裏腹に微動だにしない身体。

 そして無慈悲にも重圧が解放されると、再び激臭が鼻孔から流れ込み、体内を犯し尽くす。

 彼女が一歩を踏み出すたびに、靴内の腐敗した空気を強制的に嗅がされる。


 「んんっ、んぐぅぅぅぅーっ!! ふ、ごっ……おぅ、おむぅぅぅんっ!!」


 三度。その巨大な足裏で、何も考えられなくなるほど圧縮される。

 限界寸前のところで解放された肺には、大量の毒ガスが無理やり送り込まれる。


 圧縮。解放。圧縮。解放――――


 悲痛な叫びは彼女には届かない。いや、届いたとしても彼女は楽しそうに微笑むだけだろう。

 どす黒い空気を無意味なポンプのように、肺の中へと循環させられ続ける。

 何百回、何千回と。それは彼女が歩く限り延々と繰り返される。

 ただひたすらに…………。



 *



 背後から伝わるガタンゴトンという振動と、周囲から漏れ聞こえる声や音。

 ……今、彼女は歩みを止め、電車に乗っているようだった。

 強烈なGに振り回されることは無くなったが、相変わらずズッシリと彼女の足裏が全身にのしかかっている。

 ただ、先ほどより圧迫感は少なくなったため、今のうちにと呼吸を整える。


 「んむっ……む、ぐぅ…………ふぅ、んふぅぅ……」


 酷い臭いに変わりはないが、窒息死するよりはマシだと言い聞かせ呼吸を続ける。


 (…………?)


 初めはちょっとした違和感だった。

 それが呼吸を続ける度に、徐々に確信へと変わっていった。


 (明らかに臭いが濃くなっている……!)


 原因はハッキリしている。この目の前に鎮座する彼女の足だ。

 電車に乗るまでの間、ひたすら歩き続けた彼女の足は次第に汗をかき、熱を発散し始めていた。

 当然、靴の中という密閉された空間では発散し切れず、蒸れた空気はやがて異臭を放ち始める。

 彼女にとっては発汗というただの生理現象。

 しかし俺にとっては違う。それは更なる責め苦の始まりだった。


 彼女の靴の中で生み出された天然のサウナ。

 靄がかかるほどの熱気と臭気に支配された世界。息苦しさを感じている余裕も、暑さに苦悶する余裕も無い。

 先ほどまでとは違い、真綿で首を絞め、ジワリジワリと苦しめられるような感覚だ。


 そんな中、彼女の足を包み込むストッキングは、内側から少しずつ湿り気を帯び始めていた。

 足から発せられた汗をストッキングが吸い込み、やがて俺の口を押さえ込む母指球の辺りから搾り出される。

 カラカラに乾いた喉に向かって、零れ落ちてくる足汗を凝縮したエキス。

 無尽蔵に溢れ続ける禁断のエキスをゴクリ、またゴクリと喉を鳴らして飲み続ける。

 口いっぱいに広がったそれは、口、喉、胃と、俺の身体の中を隅々まで彼女の味で満たしていった。

 一口飲み込む度に、人として大切な何かが音を立てて壊れていく。身も心も道具にされていく……。


 蒸れた足先が気持ち悪いのか、彼女は時折爪先を動かした。

 グニグニと激しく動き回る爪先が、靴内の空気を掻き回し、より一層臭いの濃度を高めていく。
 
 生温かく湿った汚臭が、脳髄を直接犯すように嗅覚を埋め尽くしていく。


 「う、あぁぁ……む、ぐぅ……ふ、ひゅっ…………」


 何もかもが、初めより過酷になった靴の中……。

 あまりの暑さに思考が霞む……。ああ……彼女が立ち上がる……。

 また踏みつけられる……もう……やめ…………。



 *



 ……判決が下されてから、どれだけの時間が経ったか分からない。

 あれから俺は"中敷き"としての刑務をひたすらこなしてきた。

 スニーカー。運動靴。ブーツ。パンプス。ハイヒール。

 彼女はその日履く靴に合わせて、毎回俺という中敷きを差し込み、一日たりとも休息を許さなかった。

 彼女は大学生だったらしく、時には彼女の友人や先輩、後輩に貸し出され、何人にも使い回されたこともあった。

 ……履き心地に加えて、靴の中の蒸れを抑え、消臭効果もピカイチと評判になっていたらしい。

 そうして徹底的に中敷きとして扱われ、汗や垢を絶えず浴びせられ続けた身体は、元が人間だったと思えない程、黒く汚らしく変色していた。

 食事も睡眠も与えられず、こんな姿になっても生き長らえているのは、この身体に施された忌々しい細工のおかげだろう。



 「…………ねえ、今日何の日か知ってる?」



 床の上に無造作に置かれた中敷きの俺に、天高くから彼女が話しかける。

 巨大な彼女に出会った時以来、初めて声を掛けられたことに驚き、何も反応することができなかった。

 いや、そもそも返事をすることが出来ないこの身体に対して、彼女は答えを求めていなかっただろう。

 何も反応を返さない俺に、彼女は視線だけを交わらせる。


 「実はねー……今日が三年間の懲役の最終日なの♪ いやー長い間お勤めご苦労様ー♪」


 最終日……?

 ようやくこの地獄のような生活から解放されるのか……!?

 ニッコリと笑みを浮かべながら彼女は話を続ける。


 「いやー正直よく中敷きとして頑張ってくれたと思うよー。拍手拍手♪

  それでねー……最後くらいちょーっとだけご褒美を上げようかなーって……♪」


 彼女はそう言うと、巨大な足裏をこちらに見せつけるかのように振り上げた。

 もはや見慣れた光景だが、これから何をされるか予想できず、本能的に身構える。

 先ほどまで履いていたであろう靴下は脱ぎ去られ、ほんのりと赤みがかった巨大な素足が目の前に広がる。

 迫る彼女の足裏は、普段よりも優しく包み込むように、俺の身体へ乗せられた。


 「あれから三年間、色々溜まっちゃってると思うからさー……。

  わたしの全身足コキで、一発ヌイてあげるねー♪」


 ほかほかと熱を帯び、汗ばんだ素足が前後左右、普段靴の中では動かない方向へ彼女は力を加える。

 たちまち彼女の足から出た汗が全身に塗りたくられ、ローションのような滑らかさを彼女と俺の間に生み出す。

 ヌルヌルと不規則に動き回る彼女の足の指先、土踏まず、踵が、今までに味わったことの無い快感を全身に与えてくる。

 脳よりも先に身体がその快感に反応し、時間差で洪水のごとく流れ込む快感に脳が震え上がった。


 「――――――んっはぁぁぁぁっ!?!?」

 「うん♪ 良い反応♪ ほ~ら、光栄に思いなさい? 普通じゃ絶対に味わえない快感だよ~♪」


 ペニスから溢れ出す透明な液体が、彼女の汗と混じり合い、ぐちゅぐちゅといやらしい音を立てる。

 あまりの快感に俺は絶叫していた。不自由な口から舌足らずな喘ぎ声が、無意識のまま漏れ出していた。

 反対にだらしなく開いた口へと彼女の汗が流し込まれ、垢とともに嚥下してしまう。

 体内へ取り込まれたそれは、汚らわしいものであるはずなのに、媚薬のように淫猥な味で精神を犯していった。

 身体の外も中も、すべてが性感帯と化す。


 「ほらっ! ほらっ! ほらっ! わたしの足に押し潰されながら無様にイっちゃえ!!」

 「ひぁっ!! あっ、あっ、あぐぁぁぁっ……!!」


 一層、彼女の足の動きが激しくなる。

 足の先から頭のてっぺんまで彼女の足に犯され、全身がトロけてしまう。

 自分の身体と彼女の身体の境界が分からなくなるほど暴力的な愛撫。破壊される理性のブレーキ。

 もう止まらない。止められない。ドロリとした性欲の渦が身体中を這いずり回る。


 「あうっ、あうっ、あうっ、あぁぁぁぁっ!!」


 俺の身体を磨り潰しかねない勢いで責め立てる彼女。

 ……気付けば、そんな彼女の巨大な素足に向けて、俺の股間からは沸騰し切った精液が搾り出されていた。


 「……アハッ♪ た~っぷりぶっかけてくれたみたいね♪」


 射精を足裏で感じ取った彼女は、ゆっくりとその足を引き上げていく。

 離れていく彼女の足はわずかに白濁で汚れ、どこか淫靡さを感じさせた。

 そんな様相と彼女の残り香に反応するかのように、射精の余韻に痺れるペニスからはドクドクと精液が溢れ続けた。

 三年間精を溜め続けた身体に、普通では味わうことのできない快感を叩き込まれ、もはや限界などとうに振り切れていた。

 まるで壊れた蛇口。失禁のように長々と精を垂れ流しながら、射精後特有の虚脱感と強烈な眠気が小さな身体に襲い掛かった。

 ゆっくりと瞼を閉じながら、ジンワリとした達成感が胸に広がる。


 ああ……ようやく……ようやく解放されるんだ…………。



 *



 全身に疲労感を残したまま、俺は目を覚ました。

 目覚めてすぐ目に入った光景は、見慣れた彼女の部屋でも、ましてや彼女の靴の中などでもなかった。

 相変わらず身体は全く動かすことができないが、珍しく天井ではなく正面を向けられたこの身体から見える景色で、ここがどこかはハッキリと理解できた。

 少し段差を作った先に並ぶ、法服を着た人々。大勢の人が居る気配はするが、静寂に包まれた室内。

 ここは……あの日、判決が下された裁判所だ。


 三年前の忌々しい記憶が呼び戻されるが、俺はもう自由の身になったんだ。何も気負う必要なんてない。

 そう思いながら裁判長と思しき人物に目をやると、どうやら向こうもこちらが目を覚ましたことに気づいたらしい。

 そして、周囲の裁判官に確認するよう目配せすると、俺に向かってたった一言だけ言葉を発した。



 「……それでは服役中の再犯を認め、懲役三年改め……終身刑を言い渡します。」



 ……え?

 いったい何を言っているんだ?

 俺はキッチリ三年間の刑期を終えただろ?

 それが再犯? 終身刑?



 「あらら~残念だったね~♪」



 呆然とする俺を覗き込むように、もはや見慣れた彼女の顔が目の前に現れる。

 判決が理解出来ない俺に対して、彼女はゆっくりと説明を始めた。


 「確かに今日が最終日だったんだけどねー……あんた、わたしの足にこれでもかってくらい精液ぶっかけたじゃん?

  って言っても、その身体だからわたしにとっちゃ、ほんのちょぴっとなんだけどさ。」


 ケラケラと小馬鹿にしたように彼女が笑う。

 そしてその巨大な顔を近づけたかと思うと、俺にしか聞こえない小さな声でぼそりと呟いた。


 「アレ、わたしの説明次第で簡単に性犯罪にできちゃうんだよね~♪

  ちっちゃな頭じゃそこまで考えが回らなかったかな~?」


 なっ……!

 ゾクリと悪寒が走る。

 すべてあの日から、この狡猾な悪魔の手の上で踊らされていたのだ。

 そう。最初からどう足掻こうがこのゴールしか準備されていなかった。

 彼女の足に敷かれて人生を終える、"道具"のまま一生を終えるというゴールしか。

 この三年間死ななかった――いや、死ねなかった身体でこれから先も――――。


 「あっはっはっ! イイ! イイよ! この世の終わりみたいな絶望感溢れる表情……♪

  呼吸だけしか出来ないはずの身体に『射精』も出来るよう、調整しておいてもらって大正解だった♪」


 もはや彼女の声など耳に届かない。

 彼女の方へゆっくり視線を向け、声が出なくなった身体で必死に命乞いをする。


  タ・ス・ケ・テ


 パクパクと口だけ動かす姿は滑稽だったのだろう。

 こちらをじっと見つめていた彼女はクスリと笑みを浮かべると、わざとらしくゆっくりと唇を動かした。


  だぁ……めっ♪



 この三年間繰り返してきた作業。手慣れた様子で先ほどまで履いていたであろう、ブーツの奥深くへと収められる。

 そして何事も無かったかのように、彼女はそのくたびれたブーツへと足を挿し入れた。


 「これからもずーっと、ずーっとよろしくね……♪」