<11 終末>
「ああハンナ、私の愛しい娘、泣かないで」
ハンナは目に涙を貯めて、母のほうを見る。現在、カッシビルにある実家の、かつての寝室にハンナはいる。15年以上、訪れていない場所だ。
・・・ここに来ても、何もすることはないというのは、ハンナ自身わかっていることだ。
ハンナは、母の話すことを真摯に聞いていた。・・・ハンナにも、話したいことがあったが、聞いていた。

・・・ドーン ・・・バン、バン、バン、バン
・・・ドーン キャー キャー

ハンナは辺りを見渡して、爆音の元、銃声の元を探す。しかしそれらは、父の声によってかき消されてしまった。

「お前のように、その年齢でそれだけ巨大な人間というのはめったにいない。
それゆえにお前は、人々から理解されなかった。しかしハンナ、生きていれば、いつかわかる日が来るんだ。
なぜ神がお前をそのようにしたのかを知る日が」

・・・・・・ハンナは10年以上、父親の声というものを聞いてこなかった。
ハンナは今、目に見える全てが正しいとは限らないということに気が付いた。
・・・・・・父は数年前、インフルエンザで亡くなったのであった。

バン、バン、バン・・・・・・ドーン
キャー! 誰か助けて!

ハンナはふっと我に返る。周囲の音がけたたましく響いている。ハンナは絶望しながら、部屋中を見渡したが、何もなかった。
両親の方を振り返る・・・・・・誰もいなかった。2人とも、すでに亡くなっているのだ。

両親が亡くなって、何年も経っている。しかしハンナの中では今でも、2人は生きているのだ。実家の寝室で自分のベッドに腰かけて、両親と一緒にいるのだ。
ハンナはドアの方に目をやる。ちょうど、父が立っているところだ。そして、ドアの端につけられた印を辿っていった。
一番高いところは、おおよそ200cm、これくらいの身長なのは、いつだったか。・・・・・・だいたい、8歳か9歳くらいだった。

ハンナ、親愛なる私たちの女神さま!どうか目を覚まして、我らを助けてください!
・・・・・・バン、バン、バン、バン。

ハンナはその叫び声がする方を見たが、動き出す気がしなかった。
・・・・・・頬を涙が伝った・・・・・・両親のことを、思い出していた。自分の身に何が起きても良い、ただ、両親をこの腕で抱きしめたい。ハンナはそう願う、しかし叶うわけない。
ハンナは茫然とその場で立ち尽くしていた。

「ハンナ、世界があなたの素晴らしさに気が付く日がいつかくるわ。そして、世界があなたのような人を必要とする日が、きっとくるわ」

ハンナの頭に、かつて母が送ってくれた言葉が蘇ってくる。そして同時に、ハンナはハッと我に返った。

・・・・・・ああ、神様。私は貴方に会えないことが寂しくて仕方がありません。いつになったら、会えるのですか?
ハンナは心の底から神に救済を求め、その想いを叫び声で伝えようとした・・・・・・言葉が、喉の奥で止まってしまった。
代わりに、昔から思っていた悔みの言葉が口から出てきた。子供のころの、純粋な恐怖から出てきた言葉であった。

「私は普通の女の子になりたいだけなの! 今の私はただの、巨大な奇形児なの!」

もう、ハンナのことは忘れろ! 彼女はもう頭がイッてしまったんだ。ハンナはもう、私たちを助けてはくれないんだよ。
・・・・・・バン、バン ドーン ドーン バン、バン。
キャー キャー

ハンナは周囲を見渡し、両親を探し出す。
自分を抱きしめて、溢れんばかりの愛情を注いでくれた、両親のことを。

ハンナ、目を覚ましてくれ!
・・・・・・バン、バン、バン

嫌な臭いが、鼻をつついた。中々忘れられない臭い、子供のころには嗅いだことのなかった臭い。両親が嗅いだら、耐えられず逃げ出すような臭い。
死体と硝煙の臭いが混ざって、あたりに漂ってきた。ハンナは目をパチクリさせながら、あたりを見渡した。
実家の中ではなく、外で立ち尽くしていた。
町の外れの方で、炎のたぎる灼熱地獄の中でハンナは茫然と立ち尽くしていた。
何が起こったのか、なぜ自分は実家で両親を探していたのか。ハンナは自分でも、その理由がわからない。

ゆっくりと、意識が戻ってくる。そして記憶をさかのぼる。
軍がやってきて、ハンナを銃撃した。そして、軍隊とゾンビの両方と戦おうと、ハンナは決めたのだった。
終末の臭いが充満してきた。ハンナの意識が再び遠ざかっていく中で、懐かしい匂いが、ハンナの鼻をくすぐった。それは、母がつけていたコロンの香りであった。

・・・・・・戦争の最中、ハンナはその場で倒れて地面に横になった。大粒の涙が頬を伝っていった。体の下で、何かを踏む感じがした。
一瞬、生存者を踏みつぶしたのではと冷や汗をかいたが、それは、ハンナは前に力いっぱい踏みつぶしたゾンビの死体であることに気が付き安堵した。
そして、体を起こして地面に座る。

もちろん、ハンナの攻撃を生き延びるゾンビもいる。奴らはハンナの皮膚にかじりついたが、あまりに硬い皮膚にゾンビの顎は歯が立たなかった。
ハンナはそんなゾンビを蹴り飛ばし、遠ざけた。ハンナの耳に、人々の叫び声が聞こえてきた。

「ハンナが目を覚ましたぞ! 神の救いだ!」

ハンナは声のする方を見渡す。崩れた建物や瓦礫の陰に身を潜める様子が見て取れた。
軍はハンナへの攻撃をやめ、ゾンビの攻撃に目的を変更していた。ゾンビは町を包囲して着々と攻撃を仕掛けていたのだ。

ハンナは数少ない生存者のほうへフラフラと歩みより、人々を上から見下ろす。ここにいる人たちに、自分は何をできるのかと、自問自答した。
ハンナの周辺にいる人はたったの10人程度。そのうち数人は、周囲のゾンビを見ながらガクガクと震えている。

「自分にできることを、全力でやるの。それだけよ」

母の言葉が頭に響いた。しかしよく思い返してみれば、この警句はハンナが昔、自分で思いついたものであった。
ハンナは大きなベッドに腰を掛けている。部屋の様子は全く変わっていて、あちこちにバスケットボールのトロフィが飾ってあるのだ。
父は、ドアの横に立つハンナの姿を見るのが好きだった。
さっきの思い出よりも、2人はずっと老けて見える。ドアの枠を見れば、印は枠を超えて壁に付けられ、それは240㎝ほどの高さであった。

「・・・・・・私の全力が力不足だったら、この身長でもバスケで活躍できないなら、私は何をすればいいの?」

ハンナはそう尋ねた。ハンナは高校生のとき、初めて長身を活かしてバスケの選手になった。それまで、医者の許可が下りなかったのだ。
そしてはりきって出場した大会で優勝を逃したとき、ハンナはそんなことを、父に尋ねたのだった。

「今日のことは、今日でおしまいだよ、ハンナ。また戦う日がきたら、その時勝てばいいじゃないか!」

父は顔いっぱいの笑顔をハンナに向けた。当時、ハンナはそんな父のことを信じていた。

ハンナは目の前の状況を確認する。郊外で、かつての寝室の風景や両親のセリフを懐かしんでいたのだ。
しかし、もうそれもおしまい。たった今,ハンナに仕事ができたのだ。
ハンナは今まで、巨体を思い切り動かすということはしてこなかった。しかし今は、それをやるべき時である。
今日という日に勝たなくてはならないのだ。生存者たちを救わなくてはならないのだ。
近くにキャンプ場がある。そこにはテントがある。そこに、生存者を集めようとハンナは思った。
ハンナは生存者たちを優しくつかみ、キャンプ場まで運ぶ。テントがあるのに加えて、ゾンビの群れからも遠いのだ。

ハンナが生存者を安全な所に避難させているのを、生き残りの軍人たちは見ていた。そこが占領されてしまうまで、ハンナはそこに生存者を集め続けるのである。今、最後の5人の男を腕に抱えた。豊満な胸の谷間と腕に挟まれたスペースに男たちを詰め込み、安全に彼らをキャンプ場まで運んだ。そして、テントの中に行くよう彼らを急かした。
ゾンビがハンナに向かって突進してきたが、特に問題なく、ハンナはそれを叩いて飛ばした。

・・・体が痛むのを感じた。ハンナは急遽、谷間に入れていた軍人を摘み、屋根の上に乗せる。

「ごめんなさい、居心地が悪いでしょうが、我慢してください」

早口でそう言って、荒々しく彼らを屋根に乗せる。そしてハンナの巨大化が始まった。
240cmくらいあった脚が、さらに伸びていく。周長数メートルのウエストがさらに膨張していく。
巨大でありながら、細長く華奢だったハンナの胴体はさらに長くなり、厚さを増し、重量を増していった。
腕は長く長く伸びて、樹齢数百年の巨木の枝のようだ。
肩幅のドンドン広くなっていき、世界を持ち上げてしまうような、そんな威厳を今のハンナは放っていた。

すでに普通の人間よりも大きくなっていたハンナの胸も、さらに巨大になった。
そして、巨大化を終えて、ハンナの肉体はまるで若手アスリートのような威厳を放っていた。もちろん、ハンナはもう若くはない。30代である。
ハンナの完成された肉体は、加齢にも病にも荒らされることはないだろう。しかし、ハンナの巨大な胸は、運動には不適切なように思えた。
巨大な2つは胴体の上部で柔らかそうに垂れており、か弱い感じを放っていた。

だが,今は胸のことを木にする場合ではない。気づけばハンナの周囲にはゾンビが集まっており、大型戦車並の大きさのハンナの足にかじりついていたのである。ハンナの足は鉄板と同じくらいの硬さがあるのだが・・・・・・
ハンナの身長は3mくらい伸びて止まった。地面を見下ろして、ハンナは一歩踏み出した。数年前に両親が言っていたことを、実行するために。
今日という日を、生き抜くために。