コーン、パコーン!
 軽快な音がテニスコートに響く。しかし試合は行われておらず、コートの中には1人しかいない。
 少女の名前はしずく。テニス部の中でも特に真面目な彼女は学校も部活も休みの今日、猛暑の中1人で壁打ちをしていた。

 セミも元気に鳴くこの季節、しずくは暑さで倒れないよう多めに休憩をとっていた。
 炎天下ではサンバイザーを着けていても流れる汗が止まらない。
 木陰のベンチに座り、大きめのタオルで全身を拭く。手も足も顔も、外から見える場所を拭き取ったしずくは、周りを確認した後、服の中へとタオルを突っ込んだ。
 胸囲が3桁を超えているしずくにとって、この季節は敵だ。大きく深い谷間は常に肌と肌が密着しているせいで熱がこもり、一番汗が吹き出る場所となっている。特注のスポブラでしっかりと抑えているせいもあって、そこは人一倍蒸れていた。
 険しい顔をしていたしずくだったが、谷間の汗をしっかり拭き取り、パタパタと服を仰ぐことで少し落ち着いた表情になった。

「今日も精が出るな!しずく!」

 気を抜いていたしずくは反射的に背を伸ばし、慌ててタオルを引き抜いた。
 振り返るとそこにはコーチが居た。
 しずくの顔が一瞬、今日一番険しくなる。溢れ出た嫌悪感をすぐさま笑顔で取り繕った。
 このコーチはとにかく評判が悪い。
 フォームの指導やストレッチと言ってやたらベタベタと触りまくったり、女子をいやらしい目で見たりと言ったセクハラが多いのだ。
 特にしずくがお気に入りのようで、しずくが動く度にやたらと近くに行き、しずくの意思とは無関係に暴れ回る胸を熱心に眺めている。
 あからさまなその視線にはしずくも気付いていて、コーチに対する嫌悪感は計り知れない物だった。
 それでも笑顔を作れたのは、そんなコーチとも今日でおさらばできるからだ。

「お疲れ様です。コーチ」
「おぅ! 1人で練習だなんて偉いな!」
「私はまだまだなので、練習しないといけませんから」
「いいぞぉ! じゃあせっかくだ、俺がみっちり教えてやろう。手取り足取り……な!」

 コーチの目はしずくの胸に注がれているが、しずくは気付かないふりをしている。

「ありがとうございます。それなら動く前に水分補給をしておいた方がいいでしょうし、よかったらこれをどうぞ。」
「すまんな! じゃあ遠慮なくいただこう!」

 しずくが差し出したペットボトルをコーチは何の疑いもなく受け取った。
 グビグビと勢いよく飲んだコーチが顔を上げると、しずくは見下すように微笑んでいた。

「バカな人……」

 しずくの口からそんな言葉が出るとは思わなかったコーチは、聞き間違いかと思った。
 しかし普段とは全く違うしずくの顔を見て、間違いではないと分かった。
 戸惑うコーチの視界がぐにゃりと歪む。
 ふらふらとよろめいた彼が膝をつくと、しずくの顔がはるか高くへと遠ざかっていった。
 大柄だった彼の視界が一気に下がる。視線ではなく、目の高さが急降下していく。
 歪んだ視界が元に戻った彼は落ち着いて立ち上がる。しかし彼は目の前にそびえ立つ巨大なしずくを前に尻餅をついてしまった。

 コーチが縮んでいく様子を、しずくは前屈みになって見ていた。背を伸ばしたままでは、自身の胸が邪魔になって小さな虫を見ることが出来ないからだ。
 どれだけ小さいかを確認するためにしずくが何気なく足を横に置くと、足元から情けない悲鳴が上がった。
 心の中でゴミのように扱っていたコーチが足首にすら届かないほど小さなゴミになっていることを再認識し、思わず吹き出してしまう。
 このまま踏み潰してしまっても良いが、どうせならこの惨めなゴミで遊んであげようとしずくは考えた。

 しずくが勢いよくしゃがむと、スコートがふわりと広がって舞い降りた。
 それは小人からすると巨大なテントが崩れ落ちてきたかのようで、潰されると思ったコーチは思わず目を瞑ってしまう。
 しかし、しゃがんだ時に起きた強風が過ぎ去っても何も起こらない。
 恐る恐る目を開けると、テニスコートに出来そうなほど大きな太ももがスコートを支えていた。
 スコートの横から巨大な手が伸び、腰を抜かしたコーチのそばを這い回る。

「コーチ、どこに行ったんでしょう?」

 スコートの奥から白々しい声が響く。胸も邪魔してしずくからコーチは見えていないが、しゃがむ前から位置は確認している。
 あえて恐怖を煽るよう、時間をかけているのだ。
 戯れもほどほどに、コーチは握り込まれた。

「見つけました」

 クスリと笑うと、しずくは手を広げてコーチを眺める。
 その大きさはテニスボールよりも小さく、握りしめる必要すらなく潰せてしまいそうだ。きっと、ボールを上から落とせばそれだけで潰れてしまうだろう。
 それも面白そうだが、まだ早い。
 もっと惨めな目にあってもらおうとしずくは考えた。

「コーチ、いつも私の胸を見ていましたよね。ずっと触りたかったんでしょう?」

 ボタンの閉じれない襟元を開き、深い谷間をコーチに見せつける。
 先ほど拭いたばかりだというのに、再び汗が溜まってきている。

「どうぞ。好きなだけ触らせてあげます」

 しずくはコーチをみっちりと締まった谷間にグイグイと押し込んだ。

 胸の中は控えめに言っても地獄だ。
 炎天下どころではない、サウナですらマシだと思うレベルの灼熱がコーチを襲う。
 炎天下であっても風が吹けば涼しくなる。サウナですら、空気がある分幾ばくかマシだ。
 しかしそこは腕1本動かせないほどぴっちりと乳肉の壁に閉じられ、わずかな隙間も汗が満ちていく。
 まるで頭も出せない岩盤浴のような空間だ。
 しかし、本当の地獄はまだ始まってすらいなかった。

 爪先から頭までしっかりとコーチが収まったことを確認したしずくは、置いていたラケットとボールを手に取る。

「しっかり見ていてくださいね」

 胸へと語りかけたしずくは、再び壁打ちを始めた。
 動き出したしずくは止まらない。
 ボールが跳ね返ってくるまでの間もリズムを取るため、胸が上下に大きく揺れ続ける。
 向かってきたボールに対してラケットをいつも以上に大げさに振り抜き、腕で胸を押し潰す。
 せっかく拭き取った体も、すぐに汗だくになってしまった。

 しずくにとっての日常も、小人にとっては地獄だ。
 止まっている時の灼熱でもう限界だと思っていたのに、動き出した瞬間さらなる辛さが襲いかかった。
 動き出したことでしずくの体温が上がったのだ。代謝の良いしずくはどんどん体温を上げ、汗をかく。
 更に何も考えられないほど熱い中、上下左右へと好き勝手揺らされ続ける。
 激しさはバンジージャンプもジェットコースターも、フリーフォールだって比にならない。
 それらはあくまでアトラクションであり、人の安全を考慮されているからだ。
 人の胸で揺らされる人間なんているはずもなく、安全なんて考慮されているはずがない。
 閉じ込められた哀れな小人はシートベルトもないまま急加速も急な方向転換も当たり前に行われ、強烈なGをかけられ続けた。

 動き続けるしずくの汗は止まらない。
 ギュウギュウと押しつけられて動かなかったコーチの体は、汗が潤滑剤となって下へ下へとずりずり動き始めた。
 やがて足先が胸から抜け出し、しずくが激しいスマッシュを打った瞬間にズポッと勢いよく抜け出してしまった。
 壁打ちを続けるしずくの顔は胸で遮られ、地面のコーチからは見えない。
 今のうちに逃げようにもステップを踏むしずくの側は恐ろしくて通れず、離れてしまえばしずくの視界に入ってしまう。
 コーチはただただ頭を抱え、踏まれないように震えて祈ることしか出来なかった。

 しばらくボールの跳ねる音やシューズが地面を蹴る音に怯えていると、しずくが足を止めた。
 ボールは壁のそばでテンテンと跳ねている。ミスショットでもしたのだろうか。

「そろそろ休憩しましょう」

 しずくはゆっくりとボールを拾いに向かった。
 この隙を見てコーチは走り出す。
 こんな整ったコートの中では簡単に見つかってしまう。草むらまで行けば隠れられる。とにかくコートから出なければ。
 恐怖で心拍数は最大限上がっていて、走るだけで胸が張り裂けそうになる。それでも構わず走る。
 ゼエハアと息が荒れても、吐きそうなくらい気持ちが悪くても、ただひたすらに走った。
 コートの端があまりにも遠い。時間が長く感じる。
 とっくに100mは走ったはずなのに、いまだにコートから出られない。
 それでもまだボールを拾いにいったしずくとは距離が離れていると信じ、彼は走り続けた。



 
 彼はあまりに必死すぎて、背後から聞こえるズシンズシンという足音に気づかなかった。
 命がけで走る彼に影が落ちる。
 気付いた時にはもう遅く、何気なく歩くしずくのシューズが彼を踏み潰した。
 しずくはとっくにボールを拾っていた上に、実際に彼が走ったのは2mにも満たない距離だった。

 そのままコートを通り過ぎたしずくはシューズを地面に擦り付ける。
 しずくはコートの上にいるコーチに気付いていたが、あえて力も込めず、ただ歩くだけで踏み潰してしまった。

「ふふっ……バーカ」

 念入りに谷間を拭き取り、コートを後にする。
 コーチは行方不明となり、女生徒たちは楽しく部活を続けられるようになった。
 しずくは何事もなかったかのように、日々練習を続けていくのであった。