私のお兄ちゃんは乱暴だ。気に入らないことがあるとすぐ私に当たる。
 寝転がっていただけなのに蹴られたり、洗面所で歯磨きをしていたら押し除けられたりするし、いつも「お前がそこにいるのが悪い」なんて言うんだ。体が大きいからって調子に乗っちゃって。
 そんな兄と私は同じ部屋で暮らしている。自分だけの部屋があったらいいのにな。
 夜空を見ながらため息をついていると、流れ星が落ちてきた。
 願い事を言わなきゃ!

「大きくて邪魔なお兄ちゃんをなんとかしてくださいっ!」

  その時、星が返事をするかのようにキラリと輝いた。
 「星に願いを」と聞けばロマンチックなシーンが浮かぶけれど、現実のお願いはそんなに綺麗じゃないなと思った。

「あーあ、馬鹿らし……寝よ寝よ」

 お兄ちゃんが部屋に来る前に私は布団に潜った。





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 鳥の声が聞こえる。朝日の眩しさに俺は目を覚ました。なんだか今日は冷えるな。
 寝ぼけたまま手探りで毛布を探すけれど、どこにも見当たらない。
 仕方なく目を開けると寒い理由がわかった。俺は毛布をかけてないどころか、服の1つも着ていなかったのだ。
 訳が分からず体を起こす。寝ている間に服を脱がすなんてドッキリか何かか?
 だとしたら同じ部屋のあいつが何かしたに違いない。
 俺は向こうのベッドで眠っている妹に向かって叫んだ。

「マイ! お前、俺に何したんだ!」

 しかしマイは反応しない。俺を無視するなんていい度胸だ。

「おい! 聞いてんのか! 無視してんじゃねえぞ!」
「ん……う〜ん……」

 さっきよりも大きな声で怒鳴ると小さく声が聞こえた。起きたみたいだな。すぐに起きないなんて生意気なやつだ。
 それにしてもあいつのベッド、あんなに遠かったか?
 違和感を覚えつつも俺は怒鳴り続ける。

「なんで人様の服をわざわざ脱がしてんだ⁈ 嫌がらせか⁈」

 起き上がったマイは当たりを見渡している。
 クソが。気づかないふりでもする気か?これだけ怒鳴ってるんだからそんなの通る訳ねえだろうが。
 マイはベッドから降りてこっちへと歩いてくる。わざわざ足音を鳴らしてんのは反抗の態度か?

「お前もひん剥いてやろ……う……か……?」

 向かってくるマイの姿に言葉が詰まってしまった。
 おかしい。もう目の前にいるはずの大きさなのに、まだ近づいてくる。
 俺はベッドに座っているのに、マイが近づくほど頭が、胸が、俺の頭より高くなっていく。
 妹に見下ろされるなんて屈辱だ。裸だろうと構わず俺は立ち上がる。
 それでも差は縮まらず、俺はマイの腰にすら見下ろされてしまった。

「一体どうなってんだよ……!」

 俺より頭一つ小さいはずのマイに、はるか高くから見下ろされている。
 体をすっぽり包み込む巨大な影に体が震える。
 もしマイが倒れてきたら、逃げる暇もなく潰されてしまうだろう。
 俺は空いた口を塞ぐこともできず、俺を見て驚くマイをただ見上げていた。

「嘘……お兄ちゃん……なの?」

 体よりも大きな手がこっちに向かって伸びてくる。
 俺は「ひっ」と情けない声を上げることしか出来ず、鷲掴みされてしまった。
 高速で動くエレベーターのようなGを受け、顔の側まで持ち上げられる。

「人形じゃ、ないよね……?」

 マイはいつも通り弱気な顔をしている。
 なんだ、ただでかいだけでこいつは結局こいつのままじゃないか。
 顔の高さが同じならそんなに怖くない。ビビって損した。
 こんなやつに腕も脚も抑え込まれてるなんて屈辱的だ。

「何鷲掴みにしてんだ! 放せ!」
「ヒャッ! ごめんなさいっ!」

 マイは俺の言う通りに手を離した。それもその場で。
 そのせいで俺は空中に放り出されてしまった。

「ばっ! ばかやろぉおおおお!!」

 支えを無くし、俺の体は落ちていく。
 ヤバい、死ぬ……!!!
 ぽすっと背中に何かが当たり、床に落ちずに済んだ。マイが両手で受け止めたのだ。
 今のは本気で危なかった。部屋の中で落下死するなんて聞いたことがない。
 心臓がうるさい。息が切れそうだ。

「お星様、お願い叶えてくれたんだ……!」

 マイが何か呟いてるみたいだが、こっちはそれどころじゃない。
 間抜けな妹のせいで死にかけたんだ。

「このボケ! 危うく死ぬとこだっただろうが!」

 弱気なこいつならいくら怒鳴っても問題ない。
 そう思っていたのに、マイは俺を見下ろしてニヤリと微笑んだ。
 思っていたのと違う態度が癪に触る。

「あ? テメェ、何笑ってんだ!」
「お兄ちゃんさぁ、今の状況わかってる?」

 また鷲掴みされ、持ち上げられてしまう。
 状況はさっきと一緒だが、今度はマイが笑っていた。

「おいまたかよ! 放せ!」
「お兄ちゃんバカなの? あんなに情けない姿晒しておいて、また放して欲しいの? ほら、ちゃんと下見なよ」

 マイが手を傾けると、床がはっきりと見えた。
 高い……
 今俺の目線はマイと同じ高さで普段よりも低いはずなのに、どこかの屋上にでもいるような気分だ。

「あ〜、そっか〜。こんな所全然高くないもんね。自分より小さかった妹の目線なんて大したことないよね」
「えっ? いや、待て。落ち着け……」
「じゃあ放すよ〜」

 本当に放された。今度は床が見える状態で。
 バンジージャンプなんて可愛いもんじゃない。落ちたら本当に死……!!

「はい、キャッチ〜♪ お兄ちゃんは今、小さくなってるんだよ? 放したら死んじゃうってこと、2回目でやっと分かったかな?」
「……お、お前、ふざけんじゃねえぞ!」
「まだそんなこと言えるんだ……. ねえお兄ちゃん。口の利き方考えた方が良いよ?」

 にっこりと笑うと、マイは俺の全身を両手で挟み込んだ。
 両側から発せられた熱は逃げ場を失い、狭い空間をどんどん暑くする。
 上半身を挟む数本の柱がゴリゴリと節を押し付けてくる。柱の隙間から差し込む光が、これは指なんだと知らせてくる。
 指の1本ですら俺の上半身を押さえ込むほどの大きさなのか。

「ほら、今のお兄ちゃんは妹の手の中にすっぽり収まっちゃうくらい小さいんだよ? そもそも持ち上げられてる時点でお兄ちゃんに自由は無いの。私がその気になれば落とすことだってゴミ箱に捨てることだって、トイレに流すことだって出来ちゃうんだよ? 小さい頭だとそんなことも分からないのかな?」

 恐ろしい言葉に体が震える。
 い、いや、ただのハッタリだ。そんなことをしたら人殺しになってしまう。こいつにそんな度胸はない。
 なによりこいつに媚びへつらうなんて、俺のプライドが許さない。
 全身に力を入れ、両手を引き離そうとする。けれどもびくともしない。

「まだ抵抗するんだ〜。強情な所はお兄ちゃんらしいや」

 両手が離れ、俺は片手に寝させられる。離れたもう一方の手は空に留まった。

「でも暴れると危ないでしょ。めっ!」

 留まった手が勢いよく振り下ろされ、パシン!!と叩きつけられる。
 痛い。2段ベッドから落ちたみたいな衝撃が全身を襲う。

「潰れちゃいそうだから優しくしたけど、あんまり暴れると強く叩いちゃうからね」

 一体どこに優しさがあったのか分からない。なんで妹なんかに叩かれなきゃいけないんだクソが。
 頭は怒りに満ちていたが、体はまた叩かれたり落とされたりされるのを怖がっていた。

「小さいお兄ちゃんなんて私の遊び道具でしかないの。お人形さんみたいなもんなんだよ」

 体が折り畳まれ、強制的に体操座りの格好を取らされてしまう。
 丸め込まれた体が手のひらに包まれる。

「あははっ! お兄ちゃんおむすびだ〜」

 その言葉通り、おむすびでも作っているかのように手の中で転がされ、ギュウギュウと力を込めて握られる。
 上も下も、右も左も分からない。

「ほらほら振っちゃうよ〜。シェイクシェイクっ♪」

 グオングオンと振り回される。まるでコインランドリーにでも入れられてるみたいだ。

「ねぇ、このまま握り潰しちゃおっか」

 ググググ…….と手に力を込められる。
 自分の脚で胸を押されて息ができない。足首が無理に曲げられる。頭を押されて首が折れそうだ。
 
「な〜んちゃって♪」

 圧迫感から解放される。けれど手のひらは閉じたままだ。
 閉じられた空間に穴が開き、光が差し込んでくる。蓋をしていた親指をどかしたらしい。
 久しぶりに見た外はマイの顔しか見えなかった。

「手のひらで踊らされるのってどんな気持ち?」

 ニヤニヤと勝ち誇った表情をしやがって。元に戻ったら覚えておけ。

「そんなところから睨まれたって全然怖くないよ」

 ふー、と息を吹き込まれ、蒸れた空気が入れ替わる。
 俺は妹の吐息だということを忘れ、一瞬気持ちいいと感じてしまった。
 見抜かれてしまったのか、マイはニヤリと笑うと顔を近づけ、唇で穴を塞いでしまった。
 甘い囁き声が全身を包み込む。

「ふーん……こういうの好きなんだね。お・に・い・ちゃん♪」

 ASMR動画を流されているような、脳がゾワゾワする感覚に襲われる。
 はぁ、と吐かれた息が肌を撫で、全身がむず痒くてもどかしい。

「あれ? 今度は抵抗しないんだね。私の息、そんなに気持ちいい?」

 ハッと我に帰る。こんなの全然気持ちよくない。気持ちいいはずがない。
 妹に好きにされるなんてありえない。俺は無理だと分かっていながら脚に力を込め、てのひらをこじ開けようと踏ん張った。

「それが本気なの? 嫌なら遠慮しないでいつもみたいにどかせばいいじゃん」

 遠慮も手加減もしてない。お前はさっさといつも通りどけばいいんだ!
 くそっ! くそっ!

「動かせないよねぇ。今のお兄ちゃん、弱いもんねぇ。女の子のおてて1つ動かせないくらい、弱っちいんだもんね〜。ざこ。ざぁ〜こ♪」

 こいつ、完全に調子に乗ってやがる……!
 怒り全開で手のひらを蹴ったが、手のひらの弾力にすら勝てなかった。

「ずっとこのまま閉じ込めててもいいんだけど、それじゃ私の手が疲れちゃうからやめてあげる。感謝してよね」

 ようやく手の牢獄は解除された。暑さから解放され、俺は綺麗な空気を取り込む。
 マイの憎たらしい顔がよく見える。こいつの声や吐息に惑わされるなんて、さっきまでの俺は明らかにおかしかった。

「おい! いい加減に降ろせ!」
「あっ! さすがにもう『放せ』とは言わなくなったね。ようやく学んだんだね〜。良いよ。降ろしてあげる」

 ようやく俺はマイの手から離れ、床に立つことが出来た。
 安定した場所に立てて喜んだのも束の間。俺は目の前に立つマイを見上げて唖然とした。
 ベッドの上で見上げた時よりもマイは遥かに大きかった。
 当然と言えば当然だが、その違いは想像を遥かに超えていた。
 同じ床に立っていると言うのにマイの顔はあまりにも遠い。
 そして恐怖をさらに掻き立てる要因は、そばにある足だ。
 ベッドの上では感じなかった、踏み潰されるかもしれないという考えが頭をよぎる。
 遮るものも無い床ではどこへ逃げても無駄だ。俺は踏み潰されたく無い一心で咄嗟に目の前の足に乗り、足首にしがみついた。か細かったはずの足首は、腕が回らないほど太くなっている。

「急に抱きついてくるなんてどうしたの? しかも裸でなんて気持ち悪いなぁ」

 足がブランコのように振り上げられ、俺は落ちないように腕に力を込める。

「邪魔だよ」

 グオン!と足が振られる。腕はあっけなく滑り、俺は吹っ飛ばされてしまった。

「じゃ、私は朝ごはんでも食べてくるから」

 マイは扉へと歩き、道中で寝転がる俺を跨いでいく。頭上に現れた素足は俺の全身を隠すのに十分な大きさだ。
 そんなものがすぐそばへと振り下ろされ、俺は息を呑む。その恐怖はまるでトラックが隣に落ちたようだ。
 震える俺を見下ろしたマイは特に悪びれる様子もなくニヤリと微笑み、部屋から出ていった。

 人形サイズではドアノブに手なんて届くはずもなく、自分の部屋から出られないと言う間抜けな状況に陥ってしまった。
 整頓された床の上には何もなく、机やベッドに登ることも出来ない。
 俺は広大な部屋で裸のまま床に取り残されてしまった。