旅行が趣味の人はどれぐらい居るのだろうか?
少なくとも俺の通っている大学には旅行好きは居ない。
旅行に行ったという話を聞いても大体の奴が東京○○ランドとか大阪のユニバーなんとかなど、みんなテーマパークに行きたがる。
でも、テーマパークに行くことが本当に旅行なのか? と前々から疑問に思っていた。
旅行とは本来、その地方の特産物。まあ簡単に言うとその地方のグルメだな。
あとはその地方の歴史、文化。具体的に言うと世界遺産とか国宝、重要文化財など、古い物や建造物を見ることが旅行の本質だと思っている。
歴史資料館に行けば、歴史の勉強になるし、国宝などの建造物に直に触れ、直に感じれば、いい勉強にもなる。
俺は昔から俺は奈良や京都みたいな古都が好きだったし、長崎の出島、日本最古のキリスト建造物である大浦天主堂。長崎中華街など。
江戸時代。中華などの建物が入り混じった、その地方独特の街並みを色濃く残す長崎も好きだったし。
とにかくあれだ。その地方にしかない独独の街並み、歴史ある文化などを感じるのが旅行が俺にとっての旅行であり、それこそが最高の娯楽だと胸を張って言える。
と、熱く語ってはいるものの、理解者は少なく、俺に共感してくれる人はほとんどいない。
大多数が考える、旅行とはテーマパークに行くことが圧倒的に多く、でもまあそれは百歩譲って納得するが、でもみんな夜行バスで行くのだ。
おいおい冗談だろ。只さえ歩き回り、疲れるテーマパークを夜行バス、しかも4列のバスで行くのか?
そっちの方が、俺からすれば信じられないことだった。せめて3列のバスで行けよと言っても、みんな口をそろえて「金がない。あれは貴族の乗り物だと」そう言ってあきれた目で俺のことを見てくるのだ。
しかし不思議だ。4列バスで夜間往復して本当に楽しめるの?
俺がもし、そんな旅行をすればへとへとになって、遊ぶどころではなくなると思うし、寝不足状態でよくもまあ楽しめるというか、みんな体力があるというか、元気というか・・・。
こういう価値観の相違? みたいなものもあって、どうも周りと話が合わなかった。
京都の西本願寺か! とか姫路城の本丸も良かったけど、西の丸の方が良かったとか、そんな話をしても誰も聞いてはくれない。
俺はいわゆる変わり者。寺や神社城が好きな変な奴という、そんなレッテルを大学では張られている。

「はあー。どうしたものか・・・」

だけど、これが生まれ盛った性なのだから仕方がない。自分が面白いと思うことが一番面白いのだから仕方がない。
だから、周りの目なんか気にせず、次の休みも一人でどこへ行こう。
とは言ったものの、行きたいところは大体行っちゃったし、沖縄や北海道は行ったことがないけど遠すぎていけないし、うーん弱った。
俺がまだ知らないマイナースポットがどこかにないか?
とりあえず旅行会社にでも行ってみるか。
旅行のパンフレットにでも目を通しておけば、なにか面白い発見が見つけるかもしれないからな。
というわけで旅行会社に行ってみることにした。なあに、どうせ今日の昼飯も買わないといけないし、ついでついで。
コンビニに寄るついでに、パンフレットの一枚や二枚貰って来ても罰は当たらんだろう。

「・・・・虚台蒸目旅行? って・・こんなところに旅行会社なんてあったっけな?」

駅に向かう途中異変が起こった。
おかしいな。ここは住宅地のど真ん中。駅から10分ぐらい離れた、簡素な住宅地に店なんかなにもなかったはずなのに旅行会社があるだって?
おかしい。普通旅行会社ってのは駅前とか繁華街とか、目立つところにあるはずなのに、なんでこんな住宅地に旅行会社なんか建っているんだ?

「でも気になる。ちょっと前を通るか」

でも、こういうの興味が出るよね? 何というか俺は好奇心が強いというか、ほらあれだ。
寂れた温泉街とか行くと、やっているのかやっていないのかビミョーなお店ってあるだろう?
店の看板が出てるけど、営業しているのかビミョーな感じの店。ああいう店がたまらなく好きなんだ。
昭和を感じる古い看板。誰が書いたのかわからない、パチモン感漂うアニメのイラスト。ああいう昔のお店が好きというか。
ただの廃墟マニアというか、とにかくこういう変なお店には多少の興味がある。
近づいて見て、ヤバそうなら、すぐに立ち去ればいいのだし周りを見るぐらい、損にはならないだろう。
そう思って俺は店に近づいた、もちろん店の中に入るつもりはない。店の外観だけ見て、すぐに立ち去るつもりだった。
だけど。


リーン
自動ドアが開く。するとベルのような音が鳴った。

・・・・
・・・・・・
・・・・・・・・?

「うん? 俺いつの間に・・・店の中に入ったんだ?」

足が勝手に動き、店の中に入っていた。
いや待て。よく考えろ。俺はただ、道を歩くふりをして店の外観を見ていた。
それだけだ。それ以外何もやっていない。
店の中に入るつもりはなかったし、そんな勇気も度胸もない。
ただ、この店は営業しているのか? 店の中はどんな感じなのか? 興味があって前を通っただけだ。
それなのに、なんで? 店の中に入っている?

「いらっしゃいませー。あらあら。へー。うふ♡ 可愛いお兄さん。合格よ」

するとどうしたことだろうか? 鐘の音を聞きつけ、店の奥から綺麗なお姉さんが出て来た。
パンツスーツ。ロングの髪。髪は結構長く、胸にかかるぐらいまで伸びていたが清潔感がないといった印象はなく、逆に長い髪はキラキラと光沢を放ち綺麗だと感じさせる。
これはまあ、俺がロング黒髪が好きだからという好みも入っているかもしれないが、髪が長くても清潔感のある、いかにもOLさんって感じの人が俺を出迎えてくれた。
それに首から名札のような物をぶら下げているし、その身なりから判断して、ここの店員さんなのは間違いないだろう。

「どうぞ。こちらにおかけになってください」

丸椅子をどこからか持ってきて、そこに座るように言っている。
だけど、俺はここの店に来るつもりはなかった。
俺行きつけの大手旅行会社のパンフレット一、二枚もらって、どこへ行こうかと思っただけで、旅行へ行くこと自体、まだ決まったわけではない。
半分冷やかしのようなものなんだから、すぐに立ち去るのが得策だろう。

「すみません。俺。間違えて入っちゃって。すみません。出直します」

ぺこりと頭を下げて店から退出する。入るつもりもないお店に入るなんて、こんの生まれて初めての経験だが、まあそんな気にすることもない。
誰にでも間違いはある。まあこんな人もあるだろう。

ぎゅむ!

踵を返し店の扉に向かおうとした、その瞬間体が重くなる。うん? 誰かに引っ張られている?

「うふふふ♡」

するとどうしたことだろうか? お店に立っていたパンツスーツのお姉さんが俺の腕を掴んでいるではないか。
傍から見たら、彼女彼氏と勘違いするような光景。お姉さんの体が俺の体に密着し放そうとしない。
あ・・・いい匂い。めっちゃいい匂いがする。これが女の人の匂いか・・ってそうじゃない!

「な・・・何やってるんですかー!」
「いい抱き心地。ますます合格よ」
「合格って一体なんのこと?」
「うふふ♡ それはこっちのことです。気にしないでください。それよりお客様。なんで帰っちゃうんですか?」
「それは・・間違えて入ったからで・・・」
「間違い? いいえ。間違いなんかじゃないですよ。お客様は私どもの旅行会社を必要としているのでしょ?」
「それは・・・どうですかね・・・」
「うふふふ♡ ですが、お客様はご旅行をなさりたいと、そうお考えですよね? だからうちのお店に入ったんですよね?」
「そんなことないですよ。別に俺。旅行なんて好きじゃないし」
「ほんとーにそうなんですか? 神に誓っても同じことを言えますか?」

それは意外なほど強めの口調だった。
まるで見透かされたような言葉。子育てをしている母親が子供の嘘を見抜くような、あの感じに近い。
知性で敵わない、大人と子供は話しているような、そんな子供がつくような安っぽい嘘を俺はついている。そんな口ぶりで彼女は話している。
それにこのお姉さん。どれぐらい頭がいいのかはわからないけど、なんというか雰囲気が異常というか、心の中まで覗き込んでくるような、妙な違和感と寒気が同時に襲い掛かってきた。
嘘はつけない。もし嘘をついてもすぐに見破られてしまう。
このお姉さんとは今日初めて会った、いわゆる初対面だが、なんだかそんな感じがする。
嘘をついても無駄。嘘をついてもすぐに見破られ、自分の小賢しさを披露するだけだと、そんな予感がしてならない。
だから俺は認めることにする。旅行がしたいと。

「はい。まあ。旅行は好きな方ですけど・・・」 
「うふふふ♡ 正直でよろしい。じゃあここに座ってください」
「ですが。俺金ないし・・そもそも行くか行かないかまだ決めてないし・・・」
「そんなの気にしなくて大丈夫です。行くか行かないかはお客様次第。もしここで行かない選択をお客様がおとりになられても、わたしたちは一切、嫌な顔をいたしませんから」
「でも、それだとなんだか悪いし・・・」
「いいからいいから、話だけでも聞いてください。ね? ね? いったん座って? ね?」

強引な接客に何も言えなくなる。
ここの店員さん。肩を掴んで強引に座らせてくるし、さっきからめちゃくちゃボディタッチが多い。
肩や腰を遠回しにペタペタと触ってくる感じだ。大学の友達にもこんなペタペタ体を触れてたことない。
知らない女性に、こう体を触られまくると妙な気持ちになってしまう。どうしていいのかほんと分からない。

「ちょっと、体触り過ぎですよ?」
「ああ。ごめんなさい。ではではこちらへ」
「まあ話を聞くぐらいなら・・・」
「うふふふ♡ まあ。行かない選択を取らさないようにするのがわたしたちの仕事なんだけどね。うふふふ♡」

小声でブツブツと何か言っているお姉さん。なにを言っているのかよく聞き取れなかったが・・なんというか強引というかまあ・・・。
しかし旅行するかどうかもわからない、曖昧なお客さんを普通ここまで強引に引き留めるかね? 
そんなんで商売になるのか? もっと旅行に行きそうなお客さんを接客すべきじゃないのか?
俺なんか相手していても時間の無駄じゃないか? やっぱ、これやっぱ怪しいな。
まさかとは思うが、ぼったくりの旅行プランに強制的に参加させようとか、そんな魂胆じゃないことを祈るばかりだ。

「うふふふ♡」
「は・・はあ・・」
「うふふふふ♡」
「ど・・どうも・・」
「うふふふふ♡」

・・・・何だこりゃ? お姉さん。さっきから俺の顔を笑顔で見てくるぞ。
手は動いていない。何もせずニコニコしているだけ。なんだこれ?

「あの。で、話というのは・・」
「え? 話? ああ・・そうでした。少々お待ちください」

指摘すると。ようやく手を動かし始めた。
てか、なんなんだ。この人。俺の顔をじーと。こんな顔(^^)で見つめやがって。失礼だろ。客の顔をジロジロ見るなんて!
それとも俺の顔になんかついているのか? でも家を出る時に念入りに顔をチェックしたし、なんにもなかったと思うんだけどな。

「ところでお客様は学生さんですか?」
「ええまあ。大学には一応行っていますけど・・でもそれがなにか?」
「うふふふ♡ 学生割引が効くか聞いただけです。少々お待ちください。プランプラン・・・学生さん用のプランはどこへ行ったかな・・・」

「お待たせしました。こちらは学生さんにはおすすめのプランになっていますよー」
「えっとなになに・・・。あ。これ知ってる。飛鳥iiですよね?」
「まあー。よくご存じですね。はい。日本一の豪華客船ですよー」

お姉さんが持ってきてくれたパンフレットには海の上に浮かぶ豪華客船飛鳥iiの写真が載っていた。
大海原に浮かぶ真っ白な船の写真だ。
ちなみに俺は結構乗り物には詳しい。旅行好きが嵩じて乗り物に詳しくなるという人もそこそこいるだろう。

「で? 飛鳥iiがどうしたんです?」
「ええ。こちらのプランをご覧ください」

お姉さんのは飛鳥iiの写真が載ったパンフレットをめくり、ある金額を見せてくる。
てか、お姉さんの指。めっちゃ綺麗。女性らしいほっそりした指。
マニキュアが塗られていない健康的でピンクの爪に自然と目が行ってしまう。
これは爪ではなく桜貝だ。そう言われても納得してしまいそうな、透明感のある美しい指先に俺は惚れ惚れしていた。
・・・って! こんなこと思っている場合じゃない。あんまり変なことを考えていると表情に出てしまう。
いかんいかん。今はお店の人の話をちゃんと聞かないといけない。

「えっとなになに。飛鳥ii2023年世界一周クルーズ。横浜、神戸、シンガポール、マラッカ、ゴア、サラーラ経由・・・Sロイヤルスイート料金2500万円って・・これは一体・・・」
「はい。今でしたら2500万円と大変お安くなっております。船の中には映画館、プール、テニスコート、カジノ、バーなど色んな施設がありますし、おすすめです。
 実は私、世界一周旅行から帰って来たばかりなんですけど、本当によかったです。このプランは心からおすすめできますよー」
「・・・・俺やっぱ帰ります」

さて。今日のお昼はどうしようかな? めんどくさいしコンビニのスパゲッティでも買って帰るか。

「ちょ・・ちょっと待ってください。なんで帰るの―」

踵を返し、帰ろうとする俺に対して、お姉さんは慌てた様子だった。
テーブルを大きく揺らしながら立ち上がっている様子。
彼女は驚いている様子だけど、驚きたいのはこっちの方だ。なんだよ。この旅行。こんな贅沢な旅行。行ける人なんかごく一部だろ!

「なんで帰っちゃうの? ねえねえ? なんでー。どうしてー」

ああーもう! 鬱陶しい! さっきからペタペタと体に触りやがって。
またしても腕を掴まれ体に密着してきたので体の動きが封じされてしまう。

「離してください」
「離しません」
「離せー」
「嫌です」

くそ。これじゃあ埒が明かない。こうなったら警察を呼ぶか・・でも

「むむ・・・むー。行っちゃダメ―」

お姉さんは(><)こんな顔をしながら腕を掴んで離そうとしないし・・・ここで無理やり振り払っても、なんだかなあと思う。
暴力を振るった、なんて言われて、いちゃもんつけられても困るし、あまり暴れることはできない。そんな雰囲気だ。

「しょうがない。じゃあこの店が気に入らない理由だけ言って帰ります。言ったらちゃんと帰してくださいよ」
「なんですか? 言ってみてくださいよー」
「高い。以上。それでは」
「ま・・待ってー。待ってー!」

うわわわ。今度は背中に抱き着いてきたぞ。
ぼよよんと、大きな果実のような胸が俺の背中に、あ・・力が抜けていく。
店員さんの胸が、いきなり背中に当たってきたものだから不意打ちで力が入らない。

「よしよし。いい子いい子。君はね。帰っちゃダメなの。椅子に座って。ね? いい子だから」
「はい・・・」

まただ。また体に違和感が!
その違和感はこの店に入った、あの違和感に近く、脚が勝手に椅子の方へと一人歩きしている。
なんなんだ。体が操られていたように一人で体が動いているぞ・・・。帰りたい。それなのに帰れない。くっそ。なんだこれ。

「でもよく考えてください。たった2500万円で世界一周旅行ができるのですよ? 安いでしょ? わたしは安いと思って世界一周旅行に行ったんだけど・・・なんで?」
「なんで? って、アホか。そんな大金。学生が用意できるわけないだろ。そもそも2500万もあったら普通。家かマンションを買う資金にしますよ」
「ってことは、お客様は2500万円の資金が用意できないってことですか。あら・・・あらあらあらお可哀想に。貧乏って辛いわね・・・」
「ほっとけ」

なんだよ。この人。ほんと失礼な人だな。お客さん相手に貧乏なんて、よくもそんな口聞けたな。
インドとかの発展途上国である適当な接客ならまだしも、こんな失礼な態度の店員さん日本では初めて見たよ。この人。これまで一体どんな教育を受けて来たのか追求したいぐらいだ。

「じゃあ。そんな貧乏なお客様に特別サービス」

お姉さんは赤の油性ペンを持ってきて、パンフレットにこんな文字を書き加えた。

250×万円

2500万円の数字のゼロ部分に赤ペンでバツの文字を書き込んでいた。

「お兄さんは可愛いから特別サービスしちゃいます。本来2500万円かかるプランを今日だけ今日だけ、ななな・・なんと! 250万円。250万円の大特価。どう? どうです? これなら行ける金額ですよね!」
「え? ってことはつまり、90%OFF?ってことですか」
「はい。そうです。最初は半額にしようかなって思ったけど、お兄さん可愛い顔してるから奮発しちゃった。どうです? 2500万は無理かもしれないですけど、250万なら出せないことないでしょ?」
「そうですね。確かに2500万が250万になるのは安いですねー。90%OFFかー」
「そうです。安いです。もうこの機会を逃したら一生ありませんよー。うふふふ♡ なら決まり♡ この250万のプランで話を進めるわね。うふふふ♡ 楽しみー。世界一周旅行♡」
「では失礼します」

ルンルン顔のお姉さんを横目に、俺は帰ることにする。さて、帰りは何のコンビニ弁当を買おうかな?

「なんでー。なんで帰っちゃうの―。ねえねえ?」
「うわ。また来た。鬱陶しい。離れろ」

ウサギのようにお姉さんは走りだし、目にも止まらぬ速さで、俺の背中に抱き着いてきた。

「なんで帰っちゃうの―。こんなに安いのに。ねえーねえー」
「そんなの言わなくてもわかるでしょー! 2500万も250万も庶民の出せる金額じゃないですよー」
「え? これでもまだ高いの? 250万円ぐらいすぐに払えるでしょ?」
「払えるわけないでしょ。俺まだ大学生だし、そもそも世界一周旅行なんて話。俺に周りでも聞いたことのないですよー。旅行に200万も使うなんて庶民には夢のまた夢ですー」
「そんなに貧乏なの? お兄さん。可哀想・・・・こんなに可愛い顔してるのにねー」

何だよコイツ。どんだけ金持ちなのかは知らんけど、金銭感覚狂いすぎだろ。
庶民の大学生に2500万円の世界一周旅行を勧めてくる旅行会社なんて見たことも聞いたこともない。
バカにしてるのか? こいつ。

「わかった。わかったわ。じゃあ世界一周はナシ。それでいいわよね。こんな高額な旅行はお望みじゃないって、そういいたいのですよね?」
「まあ。そうですけど・・・できるだけ安いのでお願いしますよ」
「わかったわ。安いの安いの・・・ちょっと待ってください。うちにはあんまりそういうの扱っていないから、奥から資料取ってきます。少々お待ちください」

そう言って店員さん、奥の部屋に引っ込んで行ったぞ。
一人だけ取り残される俺・・・・いや待てよ。これはチャンスかもしれない。
お姉さんが席を離したこの隙に出ていこう。今なら誰もいないし引き止められることもないだろう。
よし決めた。この店から出るぞ。

「お待たせしました。パンフレットです」

立とうとした瞬間。店員さんが帰って来た。ちッ! あと少しだったのに、あと10秒戻ってくるのが遅かったから逃げ出せたのに、くそ。チャンスを逃してしまった。

「お安いプランをお探しのようでしたので、こちらなんかはおすすめですねー」
「えっとなになに・・・大自然の離島でバカンスか・・・バカンスね・・・」

まあこういったジャンルの旅行プランも珍しくはない。
自然豊かな山に行って温泉に入りましょう。もしくは海の見えるオーシャンビューホテル。もしくは古いひなびた旅館に泊まりましょうというようなプランだ。
でも残念ながら俺にはそんな趣味はない。
温泉街に行くことはあるけど、そういう場合は温泉街の建物や、その街の歴史を調べて終わることが多く、わざわざ高い料金を払ってまで天然温泉に浸かることはこれまで一度もなかった。

「いや。そういうのはちょっと・・あと温泉付きの旅館って結構高いですよね。そういうのはちょっと・・できれば安いビジネスホテルなんかを探してもらえれば・・・その・・・」

コスパの悪い温泉宿は結構です。そう言おうとした瞬間。お姉さんの口元が少しだけ緩み安堵したような顔を見せた。
なんだ? なんだ? 客の前で、にやけ出したりして変な人。

「いえいえ。ここはただの温泉旅館じゃありませんよ。その周りにある自然が魅力なんです」
「自然ですか?」
「お客様。珍しい植物に興味はおありですか?」
「珍しい植物・・・」
「全世界でもここにしか生えていない、珍しい植物が生えている島なんですけど、どうです? 面白そうでしょ?」
「全世界でもここにしか生えていない貴重な植物?」

そう言われると心が揺らぐ。世界的に貴重な物。そういうのに弱いんだよな俺。

「しかもこの島。これまで人の手が一切加わっていないんです、つまり環境破壊と無縁の島。全く汚れていない原生林が残った貴重な島なんです。
「つまり環境が破壊されていないから、貴重な植物がいっぱい残っていると、そういうことなんですね?」
「はい。水も空気も一切汚れていない島ですから、体にもいいんですよー。ほら大都会って煙だらけで体に悪いでしょ? 酸素不足は体に毒ですから、こういう離島に行って肺をリフレッシュするのもいいと思いますよー」
「確かにそうかも・・・」

阪急電鉄の創業者、小林一三も同じようなことを言っていたのを思い出した。
煙の街、大阪に住むよりも健康的な風光明媚な阪急沿線に住むべし、と。
つまり都会は空気が悪いから都心部から少し離れた、自然豊かな郊外に家を建てて電車に乗って都心に通勤しましょう。
噛み砕いて言うとそういうことだ。
まあ戦前に比べて今の方が環境対策も進んだから、一概にそうとは言えないけど、一理ぐらいあるだろう。
環境汚染とは無縁の離れ小島で行くのも悪くないかな。段々そう思い始めた。

「この島はほんとおすすめですよ。山あり、谷あり、森あり、食べ物もおいしいですし、ほらほら、この写真を見てください。ものすごい大きな窪地があるんですよ」

窪地の資料写真を見せてくれる。
それは俯瞰写真のようだった。だけどこの写真。窪地を真上から写しているみたいだけど、どうやって撮ったんだろう?
今流行りのドローン空撮なのかな? だとしたら結構金の掛かってる写真だな。 

「ここに写っている、小さな黒い点がバスなんですよ」
「え? これがバス?」

お姉さんの綺麗な爪・・じゃなくて、窪地の横にバスらしき黒い点が写っていた。
ほんとそれは点だった。バスが点に見えるぐらい、この窪地は大きいってことか。じゃあすげえ大窪地ってことになる。

「一説によると、この窪地こそが恐竜を絶滅に追い込んだ隕石のクレーターだって説もありましてね。とにかくものすごいスケールの窪地なんですよー」
「へー。そうなんですか? でもなんでこの写真だけモノクロなんですか? 他は全部カラー写真なのに」
「それはその・・はずかしいから・・・」
「恥ずかしい?」
「いえそうではなくて・・その・・・予算が・・そう! 予算がなかったんです」

予算がなかった。そう言われたら納得できるけど、他の資料は全部カラーなのにこの写真だけモノクロ。
一枚だけモノクロだと妙な違和感を感じるんだよな。

「窪地もすごいんですが、その島ならではの貴重な植物もいっぱい生えていまして、しかもまだ誰もまだ行って事がないんですよー」
「え? まだ誰も行ったことがない島?」
「はい。このほど、うちの会社が新しくホテルを建てることになりましたので、お客様が第一号のお客様ということになりますね」
「第一号のお客・・・ってことは誰も写真を撮っていない未知の島ってことですか?」
「はい。それはもう未知も未知。テレビ局も未だに入っていない無人島ですから」
「テレビも入っていない未知の島・・・。わかりました。俺。行きます。そこの島に行きますよ」
「はいはい。行きます・・・・え?」

そこでお姉さんの手が止まった。彼女はポカンと口を開けて体が固まっている。

「どうしました? おーい。大丈夫ですかー」

手を振ると、お姉さんの焦点が合った。なんだよ。驚かせやがって。てか、お客さんの前でポーとするなよな。
おばあちゃんじゃないんだから。

「すみません。意外だったので、つい」
「はあ? でもパンフレットを持ってきたのはそっちの方でしょう? なんでそんなに驚くんですか?」
「え? え・・えっと。うふふふ。そうでしたね。ちょっとだけ気が動転して・・その、なんかすみません」

何だこの空気。向こうから勧めて来たくせに、行くと決めたらこの態度だ。
あやしい。やっぱ今からでも行かないっていうべきか? 行くと言っておいてなんだか不安に思えて来た。

「では、お客様第一号を記念して記念品を贈呈しますね」
「記念品?」
「ええ。お客様第一号ですから」

ああ。なるほど、ようはおまけってことね。
店員さんは、一旦しゃがみ込んでプラスチックの籠をカウンターの上に置いてきた。
ファミレスのお子様ランチのおまけのおもちゃが入っていそうな安っぽい籠だ。
その籠の中に透明な袋が無造作に積み上げられている。この中から一つ選んで持って帰っていい。要はそういうことなんだろう。

「・・・・?」

籠を受け取った瞬間。俺は固まった。
眩い光を話す石が籠の中に無造作に積み上げられているではないか。
これはダイヤの宝石。こっちはエメラルド。こっちは金延べ棒まである。
しかもコインとかそんなんじゃなくて手のひらサイズもあるでっかい奴だ。
はあ? これは・・なんだ?

「うふふふ♡ サービスですので、おひとつどうぞ」
「え? でもこれって・・・」
「うふふふ♡ もちろん本物の金の延べ棒ですよ」
「・・・え! ええ!!」
「これくらい当然のことです。どこの会社もやっていますから、どうぞ。どうぞ。遠慮なく」

どうぞって言われて、金延べ棒を一枚取ってしまったけど、え・・ええ!
お姉さんは本物だと言っているけど、なんだこりゃ? こんなデッカイ塊、チョコレートのお菓子ぐらいでしか触ったことないぞ。
でも手にずっしりとした重みがあるし。鉄にしては異様に重いし、やっぱ本物の金なのか?

「ではこちらがお会計になります」
「え? 高か。これいくら?」

店員さんが持ってきた、お支払い表にはとんでもない数字が記載されている。
ゼロの数が異様に多い。一体いくらだ? えっと一、十、百、千、万、十万・・・・」

「この旅行代金400万円ってなんですか? これ!」
「なにって御代金ですけど」
「400万のプランなんて払えるわけないでしょ。俺やっぱ帰ります」
「うふふふ♡ なに言ってるの? お兄さん。400万ぐらいポンと出せるじゃないですか」
「なにをバカな。学生にそんな大金あるわけがない」
「うふふふ♡ じゃあ、その手に持っている物はなあーに?」
「手に持っているもの? あ?」

ズシリと感じる重い金属。黄金に輝く延べ棒が俺の手に握られている。

「それをうちの会社が400万円で買い取らせていただきます。さあさあ。ここに置いてください」

お姉さんはカルトンと呼ばれる、お金を乗せるギザギザのトレイを持ってきた。
その上に、さっき貰った金の延べ棒を置く。

「はい。ありがとうごさいます。お支払いはインゴットですね?」

お支払いはインゴットですね? なんて初めて聞いた。そもそもインゴットで普通買い物なんてしないぞ。
ほんと、どうなってるだよ。この店のシステム。

「こちら領収書です」

受け取った領収書には、400万と書かれてあった。
実感はほとんどないけど、400万円の買い物をしたってことだよな? 
でも、これはさっきサービスで受け取った金の延べ棒。それを貰って、そのまま帰しただけで俺は一円も金を払っていない。
それなのにお支払いが完了って、一体どういうことだよ。

「これもサービスの一環です。お客様には快適なご旅行を楽しんでいただきたいので、このぐらいのことは当然です」

と、お姉さんはそういうばかりで、それ以外のことを何も言わない。
あまりに不自然であり得ないことの連続だったので、俺はカッとなって、きつく問いただす。すると店員さんは。

「めっ!」

ピンとデコピンされてしまう。お店の人にデコピンされるなんて、やっぱりこれが初めての経験。
なんだこれ。ほんとどうなっているだ・・・。この店の接客は・・・。

「あんまりしつこいのはめっ!よ そんな男は女の子に嫌われてしまいます」

てか友達か? なんだこれ? 軽すぎるだろ、このノリ。
客にデコピンしてくる旅行会社なんて聞いたことがない。
今更ながらに心配になってきた。ほんと大丈夫なのかよ。

「言っておきますけど、ぜったーに。ぜ~~~たいにこのご旅行。キャンセルはできませんからね。一回行くと決めたからには、たとえ国が戦争を始めても絶対に行ってもらいますから、そのつもりで」
「いや。それは・・流石に」
「ダメダメ。お客様には絶対にこの島に行ってもらいますから、覚悟していてください。おーほっほっほっほ!」

おいおいおい、ついに笑い始めたよこの人。まるで特撮映画に出てくる美人悪役みたいな変な笑い方している。
情緒不安定か? それとも頭いかれているのか? どっちにしろまともじゃないことだけは確かだ。ほんと心配になってくる。

「じゃあ、早速今から行くわよ」
「え? 今から行くんですか?」
「なによ。その顔。なんでそんな暗い顔してるの? せっかくの旅行だっていうのに・・・それともお兄さん。これから予定でもあるの?」
「実はこれからバイトが・・」
「バイト? バイトって、どこのバイト?」
「駅前にある居酒屋のバイトが18時からあるんですよ」
「えー。つまんないー。なんでバイトなんていれちゃうのー。ねえねえ」

また肩に抱き着いてきた。しかも今度は、ねえねえと言いながら、体を激しく揺さぶってきている。ほんとなんなんだよ。この人。友達か?

「バイトは休んで。いい? わかった?」
「全然わかりませんよ。何の権限があって、そんなこと言うんです?」
「えーじゃあ今日は無理ってこと? じゃあ明日は? 明日の朝一番ならいける?」
「明日もバイトが入っているから無理です」
「えーじゃあ、いつならいけるのー?」
「今月はレポートか忙しいし・・・一か月後とかなら・・」
「えー。一か月も待てない―。いやー。絶対にいやー」

いやーって何だよ。だから友達か? おかしいだろこれ。
こっちは客だぞ。俺のライフスタイルにケチをつけられる筋合いはない。

「ぶー。わかった」
「わかってくれましたか?」
「ううん。そうじゃなくて、どこでバイトしているのか聞いてるのー。場所はどこなの?」
「え? だから駅前の全国チェーン店の居酒屋で」
「ちょっと待って。動かないで」
「な・・なんですか?」

店員さんの顔が近づいてきた。どんどんと遠慮なく顔が近づいてくる彼女。
まさか、キスでもする気なのか? そう思えるぐらいの接近。俺は反射的に目をつぶる・・・。

「はい。これ」
「え?」

結論から言おう。俺はキスはされなかった。だけど店員さんは指に何か黒く長細い物を持っている。
あれは?」

「お客様の肩に髪の毛が落ちていたわ。長さから考えて、多分わたしの奴みたい。ごめんね。こんなものお客様の落としちゃって」
「いえ。別に・・・気にしてませんよ」
「うふふふ♡ ありがとう。そうだ。この髪の毛を使って、全部壊しちゃえば・・・確か駅前の居酒屋でバイトしているのよね?」
「はい。そうですけど・・・」
「待ってて。そこを動いちゃダメよ」
「あ。あの・・・」

行っちゃった。
店員さんは店の奥へと引っ込んでいった。
でも、なにしに行ったんだろう? まさかとは思うけど、バイト先に文句の電話をかけたりして・・・。
普通ならあり得ないことだけど、あの人ならあり得る。あの人ならなにするかわからない。
そう思った矢先、突然信じられないような衝撃が襲い掛かってきた。

ズゴオオオオオオオオオオ・・・・これは・・・轟音か?

店全体が波打つぐらいの衝撃。雷でも近くに落ちたのか? そんな凄まじい揺れと響きが起こっている。
なんだ? 一体なにが起こったんだ?

「あらあら。大変。緊急アラートが鳴っているわ」

お姉さんが戻ってくるなり、そんなことを言っている。
え? 緊急アラートだって?

「ほ・・・ほんとうだ」

スマホがバイブしている。その内容は駅前に隕石が落下したという、なんとも物騒な内容だった。
駅前が全滅。そんな文字が俺のスマホに表示されている。
その駅とは俺のバイト先がある、いつも行っているエリア。ここからもっとも近い最寄り駅のあるエリアだ。
なにが起こったのか分からず、あっけの取られていると、スマホにメールが届く。
差出人は店長からで、店が被災し、二三日は絶対に店を開けられないため、そのつもりでいるようにと、そう書いてある。

「へー。二三日はお店開けれないんだってー」
「・・・って、なんですか? 俺のスマホを勝手に覗かないで下ささい」
「うふふふ♡ あらあらごめんなさいー」

絶対に悪いと思っていないぞ。この人。悪びれることもなくケラケラと笑いやがって・・・。ムカつくなあ。
そんなこと行っている場合じゃない。バイト先の店に隕石が落ちて来た。店は当分営業できないいっているけど、やっぱ気になる。
一応今からでも見に行くか。

「よかったわねー。これで旅行行けるわよー。なんてったって、お店が営業できないんじゃどうしようも・・って? あれ? あれ? どこいったのー」

なんて声が、かすかに聞こえたけど、こっちはそれどころじゃない。店に隕石が落ちて来たのなら大変だ。
店長は店を開けられないって言っていたけど、どんな様子か見に行かなくちゃ。

「待ちなさい。ちょっと、待ちなさいよー」

うわ! なんだあいつ。追っかけて来た。旅行会社の店員さんがパタパタと音を立てながら走ってきている。
まさか店の外まで追いかけられるとは思っていなかったから、ちょっと予想外。

「待って。待って。そっちに行っちゃダメだって」
「でもバイト先がどうなったのか気になるし、それに赤の他人に指図される筋合いはありません」
「そっちはほんとダメなの。早く逃げて」
「逃げて。どういう意味ですか?」
「また隕石が降ってくるのよ。だから逃げないと、あなたも死んじゃうわよ」
「死ぬって、まさか・・・・隕石なんてそうそう降ってきませんよ。それでは」
「ああー。ダメだって言ってるのに・・・ぶー! こうなったら」

店員さんを振り切って俺は走り出す。なにが死ぬだ。俺は若いし体力もある。
それに隕石なんてどこにもいないじゃないか。空は綺麗な青空。隕石なんかどこにも・・・どこにも・・」

「え?」

綺麗な青空。そう思っていた空から、何か黒い影が迫ってくる。長細い線。黒い線のようなものが地上へ向けて伸びてくる。なんだあれ・・・。

「あ・・・」

声が思わず漏れる。その瞬間から世界がスローモーションになった。時の流れが遅くなる。
野球のボールが止まったような感覚に陥る。だけど空から伸びてくる影だけは、はっきりと動いているのが視界に入ってくる。
伸びてくる不気味な影。その先端が俺は走る駅に向かって伸びてきて、その先端が触れる。

「あぶない!」

背中に強い衝撃が走る、するとそのまま地面に伏せる。誰かの声と共に、俺は突き飛ばされたのである。
しかし、突き飛ばされた瞬間、世界が暗闇に陥った。
ゴーという不気味な風の音が、世界を覆いつくし、ありとあらゆるものを巻き上げて行く。
昔、アメリカのハリケーンの映像をなんかの番組で見たことがあったけど、それ似たことがここで起こっていたのだ。
家の屋根が飛ばされ、ビルにぶら下がっているような巨大看板が宙に舞い上がるのを俺は目にしていた。
なんだこれ。この世の終わりか。
それから1分ぐらい、コンクリートの地面にうつ伏せになっていると、ようやく竜巻が収まった。
世界はようやく平穏になったのである。

「大丈夫? ケガしてない? ごめんなさい。突き飛ばしたりして、でも、ああするしかなかったの」

眉をハノ字にさせながら、起こしてくれたのは、あの店員さんだった。
店員さんが俺を突き飛ばした? 
爆風が吹き始めたので、地面に伏せるように誘導してくれた? そういうことか?

「もしかして俺・・立ったままだと死んでた?」
「ほんと。ごめんなさい。でもこうするしか、あなたを助けられそうにもなかったの」

看板が宙に浮くほどの風。
もしも、あの時、なにもせず立ったままで居たのなら、俺はビルの看板と同じように吹き飛ばされて死んでいた。そんな想像が容易につく。

「ありがとうございます。店員さんが居なかったら俺・・・」
「ううん。気にしないで。それより怪我無い? どこか痛い所は?」
「ええ。幸い。どこも痛くはないです」
「そう。よかったー」

これまで険しかった店員さんの表情が一気に緩んでいく。安堵感あふれる、こんな笑顔を見せられたら、こっちまでホッとしてくる。

「でも。これで駅には行けなくなったわね」
「ほんとですね。道がズタズタで前に進めなくなりましたね」

さっきの爆風の影響で道路がめくれ上がっている。
それに、ところどころ道路が陥没していて、蛇のようにうねうねになっている。
こうなったら、もう前には進めない。車はおろか歩くことさえも困難だろう。

「ところで、お兄さんのお家はどこなの?」
「おれんちですか? おれんちはアパートですけど。そこの角を曲がったところにあります」
「あらあら。思ったよりご近所さんだったのね。いいわ。すぐそこみたいだし、一緒に行きましょうー」
「ええ」

こうして俺と店員さんは、一緒におれんちまで行くことになった。

「おおー。学生さん。ちょうどよかったー」

角を曲がると、頭の禿げたおじさんが俺を呼び止める。その人は俺の住むアパートの大家さんだった。

「どうしたんですか? 大家さん」

と、俺は大家さんに返事をした。

「どうもこうもないですよー。さっきの隕石のせいでアパートが!」

大家さんの指さす先に大きく傾いたアパートがあった。爆風の影響は、俺んちにまで及んでいたのか・・・。
えらいことになった。こんなアパート危なくて住むことができない。

「学生さんも今のうちに、貴重品を取りに行った方がいいですよ」
「は・・はい」

俺は大家さんの言われるがままに傾いたアパートの中に入り、カメラと財布とスマホ。その三つだけを取ってくることにした。
これが、おれんちにある高い物か。

「さあて、これからどうしますかね。こんなに傾いたら、もうここには住めませんし・・学生さん。どうします? どこか行くあてとかはないんですか?」
「行くあてですか・・・」
「うふふふ♡」
「?? 学生さん。この人は?」

大家さんと店員さんの目が合う。ここに来てようやく大家さんは彼女の存在に気づいた様子。

「わたしはこの子の、お姉さんなのですよー」
「ああー。なるほど。学生さんのお姉さんですか?」
「はい。血のつながった正真正銘本物のお姉さんです♡ ですので、これからわたしが責任を持って、この子を死ぬまで面倒を見ますのでご心配には及びません」
「ほー、それはよかった。ではお願いしますよ。ところで、お姉さん。ご職業は?」
「うふふふふ♡。現在は大手旅行会社勤務。出身校は東大法学部です」
「ほー。東大ですか? これはこれは立派なお姉さんをおもちで」
「うふふふ♡。いやあ、それほどでもー」

・・・??
・・・・・??
・・・・・!!

え? 俺のお姉さん? この人が? 俺にはお姉さんなんかいないぞ。
それにえ? 俺の面倒を見る?
ご心配には及びません?
え・・ええ・・・えええ!!!
なんだよこれ。ありもしない嘘をペラペラぺラと、本当のことのように言いやがって! 何だコイツ。気は確かか?

「違いますよ。大家さん。この人は赤の他人・・・もごごごご!」
「あらあらー、この子ったらなに言っているかしら―、おほほほほー、と言うわけで弟を連れて帰りますので、ご心配なく。うふふふ♡ では失礼します。大家さん」

手で口を押えられる。
くっそ! 何も言えねえ! こうなったら。

「がぶ!」

腹が立ったので、店員さんの手にかぶりついてやった。すると手が開き口元が自由になった。

「あらあら。うふふふ♡ ペロペロ・・・」

うわ・・なんだコイツ・・・。ドン引き。
俺がかぶりついた手を舐めているぞ・・・。それも猫や犬みたいに念入りに舐めまわしている・・・。

「・・・大家さん所にもう一回行ってきます」
「ちょ・・ちょっと待って。もう大家さんとの話は終わってでしょ? それなのに・・なんでまた?」
「そんなの決まってるでしょ? 誤解を解くためですよー。大体ですね。東大卒だの血のつながった兄弟だの、よくもまあ口から出任せをペラペラと言えましたねー。こんなの詐欺ですよ。詐欺!」
「まあ確かに嘘かもしれないけど、死ぬまで面倒を見るって言ったのは本当よ。お姉さん。本気でお兄さんの面倒見るつもりだから―」
「死ぬまでって気色悪い。なんで赤の他人がそこまで・・・・もう我慢できない。失礼します。俺のことは放っておいてください」
「ちょっと待って! 逃げないで! 謝るから。気に障ったのなら謝るから。行かないで―」

店員さんは(><)な顔で今にも泣きそうだ。
俺の袖を引っ張り「いかないでー」と叫んでいる。
あまりにも大声で叫んだものだから、道行く人が何事かと思って、足を止めてこっちを見てきている。
やばい。俺達めっちゃ目立ってるじゃないか?

「どうかしたんですか?」

騒ぎを聞きつけた、大家さんもこっちに近づいてきている。
やば。本格的に目立ってるじゃないかよ・・・。

「大家さん聞いてください。うちの弟が、お姉ちゃんの所にはいかないって言って、言うことを聞かないんですよー」
「それはいけない。学生さん。お姉さんの言うことはちゃんと聞かなきゃ。血のつながった家族でしょ?」
「いやでも、この人俺のお姉さんじゃないし・・・赤の他人だし、全然知らない人だし」
「なにを言うんだ。君は? こんないいお姉さんは他に居ないんだから、もっと大事にしないと。バチが当たるよ」
「バチって・・・いや、ですから、この人は赤の他人で・・・そこの旅行会社で会った店員さんなんですよー」
「何言ってるんだ。学生さん。この人がお姉さんじゃなくて、誰がお姉さんなんだ? お姉さん。あれでしたら警察に一回相談したらどうです? このままじゃ、埒が明きませんよ」
「そうね・・・。お姉ちゃんの言うことを聞かない悪い弟君はお巡りさんに一回、怒ってもらわなきゃねー」

え? 警察? いやいやいや。なんでそうなるの?
しかも、なんで大家さん。俺の言うことを信じてくれないんだよ。おかしいだろ。こんなの。
なんで、見知らぬ、今日あったばかりの人の言うことを鵜呑みにするのか理解できない。

「わかりました。わかりました。わかりましたから、警察だけは勘弁してください・・あとは俺たちで決着付けますから・・・」
「決着も何も、お姉さんの言うことはちゃんと聞きなさい。これは大人としての忠告だからね。君は若いからまだ分からないかもしれないけど・・・・」
「わかった。わかった。わかりましたから・・・はあ・・・大家さんの説教は長いんだよな」
「とにかく、学生さんのお姉さん。弟さんのことよろしく頼みましたよ。では私はこれで」
「うふふふ♡ ありがとうごさいます。大家さん♡」
 
大家さんを味方につけた、店員さんはご機嫌な様子。
ニヤリと笑う彼女。その笑顔からは絶対的な自信がうかがえる。
しかし、なんか腹立つ笑みだな。赤の他人のくせに、なにがお姉ちゃんだよ。

「うふふふ♡ 大家さんに怒られたくなかったら、お姉さんと一緒に旅行。行ってくれるわよね?」
「・・・・・さあ。どうでしょう?
「大家さん! 弟君がやっぱ嫌ですってー」

声が響く。店員さんは道行く人や大家さんに向けて叫んでいた。

「わかりました。わかりましたから・・・静かにしてください」
「うふふふ♡ 大丈夫。大丈夫。お姉さんが楽しい旅行にしてあげるから、行こう行こう」



*********




そんなこんなで、半場強引に旅行に行くことになってしまった。
バイト先である居酒屋は燃え、住んでいるアパートは傾き、いつ倒壊するか分からないぐらい損傷している。
こんな状況で旅行に行くなんて、常軌を逸していると言われてもおかしくないのだが・・・うーん。本当に旅行に行っていいのか?
住むところも働くところも失った、この俺が呑気に旅行してていいのかと不安になる・・・。

「ほらほら、そこ。暗いよー。せっかくの旅行なのに、もっと盛り上がらなきゃ。それでは歌います。嵐を起こして全てを壊すのー♪」

ここはバスの中。貸切のバスの中で店員さんがマイクを持って一人熱唱している。
しかしなんだよ。この歌。俺への当てつけか? 嵐を起こして壊すなんて不謹慎にもほどがある。俺んちは被災して傾いているのに、何だよこの歌。トホホ・・・。

「ほらほら。弟君も歌ってよ」
「だから。俺はあなたの弟じゃないですよ」
「まあまあ。これから一緒に旅行に行くんだから、弟みたいなもんでしょ」
「・・・・そういや、あなたも来るんですか? 俺の旅行に」
「あったりまえじゃないのー。これから行くところは無人島なのよー。添乗員が居ないと色々と都合が悪いでしょー」
「まあ・・言われてみれば、そうですが」

確かにそれも一理ある。
無人島に俺一人だけ送り込まれてもそれはそれで困る。
島でサバイバルなんて、できないし、第一そういうの望んでいない。となると添乗員がつくのもまあ納得か。
でも、この人なあ。なんというか時々怖いんだよ、この人。
さっき俺が、かみついた手をぺろぺろを目を向いて舐めていたし、大家さんにも平気で嘘つくし、ヤバいオーラ全開の人だから、なるべく一緒には居たくない。それが今の本心。

「ほらほら、せっかくカラオケセットをバスに積んだんだから歌わないと損だよ。ほらほらー。弟君。何か歌ってよー」

くそ。こうなったらヤケだ・・・。どうせ歌うなら誰も知らないマイナーな曲を歌って、しらけさせてやる。

「じゃあ、懐かしの昭和の名曲を歌いたいのですが、それでもいいですか?」
「ええいいわよ。何でも好きな歌。歌って頂戴♡」
「わかりました。では歌います。昔恋しい銀座の柳♪ 仇な年増を誰か知ろー♪」

昭和の名曲と言ったら聞こえはいいが、この歌は昭和の中でも初期の初期。戦前を通り越して昭和一桁の歌なのだ。
どうだ。この歌。知らないだろう? しらけただろう? こんなテンポの遅い曲を歌う大学生なんて意外過ぎて、どうしていいのか分からなくなれ。添乗員を困らせてやる。

「ジャズで踊って、リキュルで更けて、明けりゃダンサーの涙雨~~♪」

・・・これは俺の声じゃない。添乗員さんの声だ。

「あらあら。お上手お上手。お姉さんも思わず一緒に歌っちゃったわー♡」
「・・・この歌。知っているんですか? でもこれ昭和四年の曲ですよ?」
「ええ。もちろん。だって私旅行会社に勤めているんだもん。ある程度。歌に関する知識も必要よー。
 ほらお客様と一緒にデュエットすることもあるから、このぐらい歌えて当然よ~。それにしても、弟君って結構渋い歌をチョイスしてくるのねーー」
「・・・・」

しらけさせるために歌った歌が、逆に場を盛り上げさせてしまった。くっそ。ほんとなんなんだよ。この人。
もう訳わからねえ。こんな昔の歌。誰も知らないと思って歌ったのに、なんでこの人。歌えるんだよ? 一体何歳だよ!

「ねえねえ。弟君。お腹空いた? 喉渇いた? お菓子食べない? それともお弁当? 水はなに飲む? コーラ? オレンジ? それともただの水? お酒も一応あるけど、ちゃんと成人してるよね?」
「ああんもう。鬱陶しい」

なんだこいつ。大阪のおかんか?
おせっかいというか、しつこいというか、うざったいというか・・・。
聞いててイライラする。

「それよりも、いつになったら着くんですか?」
「え? ああ。無人島のことね? えっと・・・実はもうついてます。到着ですー」
「ええ?」

思わず声が出てしまった。俺が行くところは無人島。それも自然豊かな島のはずだ。
まだバスしか乗っていないのにもう到着? 船も飛行機も乗っていないのに、どうやって海を越えて来たんだ?

「いつ海を越えたんですか?」
「え? 海・・・あ・・ああ。そうね。島よ島・・え・・えっと・・そう。そうよ。実はこのバス、水陸両用バスで弟君が歌っている間に、海を越えたのよー」
「・・・・ほんとかよ? なんかあやしいな」
「そんなことない。そんなことない。お姉さん嘘はついていないわ」
「・・・・」
「ほんとかな・・」

窓を見る。景色は何も見えない。今は夜で日が落ちているから、窓には反射ばかりが写り、外がどうなっているかはわからなかった。
しかしバスは陸地を走っている。そんな乗り心地がずっと続いていた。一度も海を浮かんでいるような浮遊感を感じはなかったのに、本当に海を越えて来たのか?
どうも怪しい。

「えー。おほん。それでは島に上陸もしましたし観光案内に入らせていただきます。申し遅れました。わたくし虚台蒸目旅行の観光ガイドを務めております。
 神田楓月(かづき)と申します。気さくにかづきとか、かづきちゃん。もしくはお姉ちゃんと呼んでくださいー」

へー、店員さんの名前って、かみだかづきっていうのか。今初めて知った。
でも、かづきちゃんって呼ぶわけにはいかないよなあ。
相手は一応年上みたいだし、今日初めてあった人に、いきなり呼び捨てはできない。

「あの。添乗員さん」
「うふふふ♡ かづきちゃんか、かづき。もしくはお姉ちゃんて呼んで。さっきの話聞いていたんでしょ?」
「・・・・添乗員さん・・・」
「うふふふ♡ もう! 恥ずかしがり屋さんなんだからー。まあいいわ。えー。左に見えますのが、この島一番の窪地でございますー」

へー。窪地が見えるのか? どれどれ。窓を覗いてみる。

「・・・何も見えない・・・」
「窪地の深さは、800メートルと言われています。これは日本最大級の窪地で・・」
「添乗員さん。ちょっと」
「なんですか?」
「外は真っ暗で全然見えないんですけど」
「あらあら・・うふふふ♡ そういえばそうだったわね。すっかり忘れていたわ」

すっかり忘れていた? それって旅行会社としてどうなのよ?
ここが絶景ですって言っても、それが夜で何も見えなかったらクレームが来るだろう。こんなんで今までよくやってこれたな。呆れて物も言えないよ。

「大丈夫よ。明日もここを通るから、その時にまた詳しい説明をするわ。はい。今日はこれまで。後は旅館に入って夕食を食べましょうか」
「夕食ね・・まさかとは思うけど、カップ麺とかそんなんじゃないだろうな?」
「あらあら、お笑いのコントじゃないんだから、そんなことしないわ。まあ弟君がどうしてもカップ麺を食べたいっていうのなら用意してもいいけどね♡」
「いえ。カップ麺は結構です」
「うふふふ♡ そう言っていたら、着いたわよ」
「ああ。やっと着いたんですか」

さあ、ついたのなら降りるか。
とりあえず、カメラと財布とスマホをもってっと。てか俺の荷物ってこれだけしかないんだな。
旅行しているというよりも近所を散歩しているみたい荷物だ。

「・・・・ああ!」
「うわ。びっくりした」

バスの運転席を横切ろうとした瞬間、添乗員さんが声を上げる。
目を丸くしながら、こっちを凝視している。
それは、ものすごく悪いことをしたような顔だった。

「な・・なんですか?」
「その・・あの・・ええっと・・・」

普段は歯切れのいい添乗員さんだが、なぜかこの時だけは口をモゴモゴさせていた。
顔をうつむかせて、喉になにか刺さったような雰囲気。一体どうしたんだ? 急に。

「それってカメラよね?」
「ええ。そうですけど」
「・・・・カメラで写すのはちょっと・・・」
「え? でも旅行と言ったら普通カメラでしょ? それともこの島。撮影禁止なんですか?」
「禁止って訳じゃないんだけど・・・そのなんていうか・・その・・・」

また、口をモゴモゴさせている。いつもは強気な発言が多いのに、この時だけはなぜか弱き。
それに、さっきからしきりに俺のカメラを気にしている感じだ。 

「バスの中にカメラを置いておく・・なんてこと無理よね?」
「バスの中に置いていく? いやいやそんなのあり得ませんよ。旅行と言ったらカメラ。写真でしょー。
 見てくださいこのカメラ。一眼レフカメラって言うんですけど、バイト代貯めてようやく買えたカメラなんですから。写真撮らないわけにはいかないでしょう」
「・・・随分高そうなカメラね・・・。写りもいいんでしょ? 残念なことに」
「ええ。もちろんです。2400万画素。サイズセンサーはAPS-C。拡大しても全然画像が乱れない。いいカメラなんですよ。しかもこれバッテリーも結構持つし」
「・・・・・」

なんか残念そうだな。おい。普通こういう時は「いいお写真を撮って行ってくださいねー」って言われることが多そうなのに、なんでいいカメラ持っていたら残念そうな反応なんだよ。

「俺SNSに写真アップしたいって考えているんですけど」
「ええ! 島の写真をネットにあげる? それってつまり全世界の人達に発表するってこと?」
「全世界に発信できるか、どうかわからないですけど、俺SNSを結構やっていて、そこで旅行の写真とか載せるのが好きなんですけど・・・ダメなんですか?」
「・・できれば撮らないで・・・ほしいかな?」
「写真がダメなら俺。帰りますけど」
「写真がダメなら帰る・・・~~~ッ! わかったわ。わかったよ。お姉さん。一肌脱ぐわ。うん。そうよ。カメラぐらいなによ。カメラなんか全然怖くなんかないわ。さあ好きなだけ撮って頂戴、どこからでも好きなだけ、わたしを写しなさいよー!」

下唇を噛み、うつむく添乗員さん。と、思ったら今度は胸を張ってきた。
おいおいおい。そこまで嫌なのか? 写真。
・・・なにこれ? 俺はただ島の風景を撮りたいって言っただけなのに、これだとまるで添乗員さん本人を撮るみたいになってるじゃんか。

「いやいや、添乗員さんは撮りませんよ。俺が撮りたいのは島の風景なんですから」
「・・・あ・・あ! そうよね。わたしの体じゃなくて島の風景を撮りたいのよね・・・わかったわ。そういうことなら・・いいってこともないけど、いいわ・・いやでもやっぱり・・・」

本当に変な人だ。
今に始まったことじゃないけど、この人の考えていることがよくわからん。
まあ分からないことを考えても時間の無駄だから、深く考えないことのする。

「写真はOKなんですよね? 撮っちゃいけない場所はないんですよね?」
「・・・・多分」

すごく自信なさそうに返された。

「多分ってなんですか? ダメなんですか?」
「え・・あ・・あ! えっと・・できれば、トイレだけは勘弁してくれる・・かな? 流石のお姉さんも・・・トイレを撮られるのは・・ちょっと・・・」
「トト・・・トイレなんて撮るわけないじゃないですかー。そんなことしたら一発で警察行きですよ」
「え?え・・あ・・あ! そそそ・・そうよね。普通トイレは撮らないわよね。うん。うん。わかったわ。トイレはナシ・・・。ならいいか・・いやいやでもでも、やっぱり恥ずかしい~。~~~~っ!」

なんだこいつ。体をモジモジさせて変なの。まあいいや。トイレ以外。まあ普通トイレにカメラを持ち込む奴なんかいないが、それ以外場所では写真を撮ってもいいそうだ。
よし。明日からバリバリ写真を撮るぞー。

「とりあえずバスから降りて。写真のことは旅館の中でまた話すから」
「はい。じゃあ降りますねー」
「待って!」
「まだ何かあるんですか?」
「靴」
「靴? 靴がどうしたんですか?」
「流石に土足はないんじゃないのー。流石のお姉さんも怒るわよ」
「え? 外に出るんだから靴ぐらい履くでしょ? え? どういうことですか?」
「靴は脱ぐ。島には居るのに靴履いてるなんてあり得ないわー」

島に降りるのに靴を履く。え? それって常識だよね? なんか自分で言っていて不安になってくる。
でも島は地面なわけだから、普通は靴を履くて上陸する訳で・・・でも、ここまではっきりダメだと言われると、それが常識なような気もしてくるし・・・。

「この島では土足厳禁なの。これ常識。靴履いて上陸とか女の子から嫌われるわよー」
「・・・はあ?」
「とにかく、靴は汚いからダメ。島が汚れるからバスの中に置いていて」
「そんなバカな。靴がないと石踏んで怪我しちゃいますよー」
「大丈夫。ほらほら。お姉さんについてきて」

そう言いながら、お姉さんは靴を脱いで暗闇の中に消えて行った。
辺りは真っ暗だった。バス以外の電灯は何もない。だからバスの周辺がどうなっているのかは全く見当もつかない。

「もう何やってるのよー。早く来なさい―。」

と、闇の中から声だけが聞こえている。くそ。こうなったらヤケだ、靴を脱いだまま島に上陸してやる。

「え? 柔らかい。それになんだこれ? それに地面が床暖房みたいに温かいぞ?」

感じたこともない感触が足の下から伝わってくる。マシュマロみたいな地面。
そう思うぐらいの柔らかな感触。地面は信じられないぐらいブヨブヨしていて土やコンクリートで感じる、あの硬さが全く感じられない。
風船かマシュマロの上を歩いているような、ものすごい反発してくる地面に俺は立っていた。

「ね? お姉さんの言ったとおりでしょ? 靴脱いでも大丈夫だから」
「まさかとは思いますけど、こんな地面がずっと広がっているとか・・・そんなことないですよね?」
「そうだけど」
「そうだけど・・・って・・ええ! ええ!」
「この島は内地とは違うのよ。まあ私からすれば当然というか、これが当たり前なんだけどね・・・」
「はえー。そうなんですかー」

夢見ているみたいだけど、リアルな感触が足から伝わってきているし、夢じゃない。
こんな地面を踏むのは初めだ。

「地面はどんな感触なんだろう? ちょっと触ってみるか」

ふにゅ・・・

「きゃ!」

添乗員さんが急に悲鳴に近い声を上げていた。
だけど俺は何もしていない。地面を素手で触っただけ。

「あの? なにか?」
「いえ・・なんでもないわ」
「そうですか?」

ふにゅ・・

また地面を触る。

「きゃ!」
「あの・・・なんでそんな声出すんですか?」
「それは弟君が、地面を触るからじゃないの」
「地面を触る? それと一体何の関係が?」
「とにかく地面を触るの禁止。そんなことしないで早く旅館に入って頂戴」
「はい。わかりました」

どうやら、地面に触るのもダメらしい。変な島。なんか思っていた旅行とだいぶ違うな。
靴を脱げだの、地面を触るなど。これじゃあまるで北の国の将軍様が居る国みたいじゃないか。
自由に旅行させてくれないって感じで、やな感じ。

「はいはーい。わが社の旅館に到着ですー。どうです? うちの旅館結構イイ感じでしょ」
「はえ。これはすごい建物だ」

案内された建物は某グルメ漫画に出てくる、海×雄×の美×倶×部みたいな建物じゃないか。
立派な門の先に木造の建築物が俺の前に聳え立っている。

「お邪魔します」

うわ。中もすごいな。天井が高いし、なにかの博物館みたいな作り。

「では女将さんを呼んできますね」

そう言って添乗員さんは旅館の奥へと引っ込んで行った。
へー、女将さんもいるのか? じゃあ、一応挨拶はしておかないと。
・・・緊張する。こんな高級な旅館、生まれて初めて泊まるし、学生が一人で泊まるなんて、身分不相応というか場違い感が半端ない。
女将さん相手に、なにか失礼なことをして、変な空気にならないように、気をつけないとな。
俺は気を引き締めて、女将さんの出てくるのを待った。すると、それらしい和服姿の女の人が奥から出て来た。
服装から察するに、あの人が女将さんなんだろう。

「失礼します。女将でございます。わざわざ遠い所をようこそおいでなさいました。ではお部屋の方に案内させていただきます」
「・・・・」

おい!
思わず、そう叫びたくなる。
女将です。現れた和服姿の人は俺もよく知るあの人だった。

「添乗員さんですよね?」
「おほほほ、ご冗談を。わたしは当旅館の女将でございます」
「じゃあ。添乗員さんはどこへ行ったんですか。ちょっと呼んで来てくださいよ」
「はい。では少々」
「こらこら。お笑いコントじゃないんだから奥で着替えようと思ってもそうはいきませんよ。女将さんはここに居てください。女将さんと添乗員さんが並んでいるところを見たいんです」
「・・・・・もーなんなのよ。もうバレっちゃったの―。いくらなんでも早すぎるわよー」

あ。いつもの添乗員さんに戻った。

「やっぱり添乗員さんだったんだ」
「そうよ。何か文句ある? 旅行会社の受付が旅館の女将を兼用したらいけないって法律でもあるの?」
「そんな法律は聞いたことないけど・・・それより旅館には誰もいないんですか? あなた以外」
「ええ。そうよ。二人っきりの旅館よ。うふふふ♡」

ゾクゾク・・・。ヤバい。背中から寒気が!
不安だ。やっぱ不安だ。旅館にその筋の関係者が居ないことも不安だけど、それよりもこの添乗員さんとまた二人っきりになる方がもっと怖い。何をされるかわからない。

「なにやってのー。早く入りなさい」

早く来いと言っているが、さてさてどうしようか?
だけど旅館の周りに街灯らしきものはないし、辺り一面真っ暗。
旅館以外何も見えないし、どこになにがあるのか、さっぱり見当もつかない。
ここでもし逃げたとしても道に迷うだけだろうし、それにここは島なのだから泳がない限り、島から脱出できる方法はない・・・。

「はい。わかりました」

結局。添乗員さんについていくしかなかった。はあー、それにしてもとんでもないところに来ちゃったな・・・。今更だけどそう強く感じるよ。

「ではお部屋にご案内―」
「ここが俺の部屋ですか? なかなかいいお部屋ですね」
「そうでしょう。そうでしょ。気にいってもらえたみたいで、お姉さん嬉しいわー」

部屋の内装はよくわからないけど、結構豪華な和室って感じだ。
半×直樹の常務が接待で使うような部屋と言えばわかりやすいだろうか?
部屋の中央にテーブルがあって、掛け軸とか生け花とかが生けて、あと馬鹿でかいテレビが目立つように置かれてあった。
いわゆる、ザ・和風って感じの部屋に案内されている。

「はいはあーい。では続いて、お料理を持ってきますねー」

そう言って、添乗員さんはすぐに料理を運んできてくれた。
そういえば、もうこんな時間か。これまでいろいろあったせいで忘れていたが時計を見れば夜の8時。晩御飯の時間にはちょっと遅いぐらいの時間だ。

「どうぞー」
「・・・・なんですか? これ?」
「なにって嫌だなー。今日の夕食よー」
「これが? なんだこれ?」

運ばれてきた料理は、正直言って得体のしれない物だった。
気味の悪いというか得体のしれないというか、食欲がなくなりそうなそんな色合いの料理がズラリと並んでいる。

「白一色の料理って一体なんだー!」

並べられたた料理は、どれも得たいが知れず、一面真っ白。
真っ白の魚に、真っ白なステーキか? それにこれは真っ白な野菜に果物か?
お米もおかゆみたいに、ドロドロになってるし、なんだこれ。

「みんな、お米のとぎ汁みたいな色してるんですけど、なんですこれ?」
「なにって? この地方で取れた食材だけど?」
「いや、そんな当たり前みたいな顔で反応してないでください。いやいやおかしいでしょ? なんなんですかこれ?」
「これはエビのお刺身よ」
「エビのお刺身?」

真っ白な切り身。どうやら刺身らしいが、これがエビの刺身?

「じゃあ、こっちは?」
「これはマグロの刺身。どれもうちの近海で取れた新鮮なお魚さんよー」

真っ白な刺身。これがマグロの刺身。
そういえば形はマグロの刺身似ているけど、だけど色が不気味なほど真っ白だった。
どの刺身も、お米のどき汁みたいな気色の悪い色をしている。

「じゃあ、これはなんです?」
「これは牛肉のステーキよ」
「普通、ステーキってもっとこう黒っぽい色していません? これステーキというより白のペンキをぶちまけたような気味の悪い色合いをしていますけど、本当にステーキなんですか?」
「大丈夫。大丈夫。うちの島の牛はみんな白いのよ」
「ほんとかよ」
「嘘だと思うなら、写真見せてあげるわ」

見せてくれた写真は、え? これ合成か?
真っ白な牛。真っ白なマグロ。真っ白なエビ。それに真っ白なトマトやキャベツが写っている。
どれもこれも、この世の物とは思えないほど変な色合い。こんな野菜や魚がこの世にあったなんて信じられない。

「でも味の方はまともだから、安心して。むしろ内地よりも美味しいわよ」
「ほんとですか? なんか信用できないな・・・毒とか入っていそう・・・」
「まあまあ、一口食べればわかるって。ほら、隙あり!」
「むぐ」

油断した。隙を見せてしまった。ボーと口を開けている隙にマグロが口の中に入ってくる。

「あれ・・おいしい・・・いや、これは美味しいって次元を超えている。めっちゃうまい」
「ほんと? よかった~。頑張って育てた甲斐があったわー」
「育てた? え? でもこれって漁師さんが釣ってきた魚ですよね? 育てたって一体なにを? 養殖とか?」
「え? え? その・・ええっと。ほら、あれよ。頑張って料理のメニューを考えた甲斐があったなあーって・・そういうこと。うん。そういうことだから。それより。はいこれ、醤油とワサビ。ちゃんとつけて食べてね」
「すごい。醤油とワサビも真っ白なんですねー」
「ええ。うちの島の醤油とわさびは白いんですよー、おほほほほー」

ほんと変な人だ。笑ったり慌てたり。オーバーリアクションだったり。騒がしくて食べることに集中できない。
・・・・うるさい人だ。これじゃあ落ち着いて食べれやしない。どっかいかないかな。この人。

「美味しくなかったら遠慮なく言ってね。甘すぎり辛すぎたりしたら、ちゃんと調整するから」
「調整? 調整って何の?」
「え・・えっと・・・調整は調整よ。うん。調整・・・。それよりおいしい?」
「はい。結構いけますよ。こんなご馳走。なかなか食べる機会がないので、はい。とてもおいしいです」
「よかったー。うれしいー。やっほー! 幸せよー。わたしー!」

きゃ♡きゃ♡と、うさぎのように飛び跳ねる添乗員さん。
ほんと騒がしい人。これじゃあ、落ち着いて食べれやしない。
ほんとどっか行ってくれないかな。

「ああ・・・・お魚さんが・・・牛さんが・・・弟君の喉元を通って行くわ。お肉と魚が弟君のお腹に入って消化されて、ゆくゆくは血肉になって、体中を駆け巡るのね。し・あ・わ・せ!」
「・・・・・」

ほんとうるせえよな。こいつ。
こっちがせっかくいい気分で飯食っているのに。両手で頬を抑えながら「ほー」と息を吹きかけられたら、たまらないよ。
気になって飯に集中できない。

「あの。悪いんですけど。一人にしてくれませんか。気になっちゃって・・その」
「ううん。いいの。いいの。お姉さんのことは気にせず、ゆっくり食べて」
「いえ。気になるんで・・・その」
「いいのいいの。お姉さんは透明人間だから気にしないで・・・ああん♡ 弟君のお口の中でお魚さんが砕かれていくわー。うらやましい。わたしも弟君の栄養になりたいわー。
 そうしたら弟君と一つになれて永遠の時を一緒に・・・」
「ですから! 部屋から出て行ってください。気が散って食べにくいですし、それに怖いですよ。その顔」

目を♡にさせながら、はあ♡はあ♡されたら、誰だって気にならないはずはないだろう。

「ぶー、せっかくいい所なのに。いいわ。でも食べ終わったら呼んでね。そこに電話があるから、そうそう、1を押せばフロントだからじゃあねー」 

ふう。やっと出て行ってくれた。これで飯に集中できるけど、一つ難点があるとしたら、どの料理が、どの食材なのか見当もつかないことだ。
どの料理も真っ白なため色での識別ができない。口に入れるまで何の料理かわからないのが不便だ。
口に入れて味覚を味わって初めて、ああこれがマグロかってわかる。
少し不便だが美味しければなんでもいいか。俺はその後もパクパクと食った。食ったのだが。ある物がないことに気づく。
水がない。料理は豪勢にあるのに、水らしきものがどこにも見当たらなかった。

「これか?・・うわ。ぺっぺっぺ。醤油だ。真っ白だからわからなかった」

しょうがない。フロントで聞いてみるか。確か一番って言っていたような。

「どうかしたの? 弟君」
「うわ。びっくりした。もう来た。何か言って入ってきて来てくださいよ。いきなりふすまを開けるなんて、非常識ですよー」
「ごめんなさい。それより用はなに?」
「水がないんです。水が」
「ああ。お水ね。そうそうお水。忘れてたわ。じゃあ今から用意するから、ちょっと待てって」
「・・・・?・・・?・・・・!?」

添乗員さんは、パンツスーツのボタンを外して下着を見せて・・ブラ? え?・ブラジャー・・ええ?ええ!?

「ちょっとちょっと、なんで脱ぐんですか・・・かっかか隠してくださいよー。前」
「え? でもお水飲みたいんでしょ?」
「確かに言いましたけど、それと脱衣となんの関係があるんですかー」
「え? ああ。ええ・・・ああ。そう。そうよね。ごめんごめん。おねえさん。どうかしてたわ」

ほんとどうかしてるよ。一体何を聞き間違えたら、服を脱ぐことになるんだよ。
ほんと大丈夫か? 頭のねじが外れていないか、今更ながらに不安に思えてくる。

「ちょっと待っててね。お水取ってくるから」
「はい。お願いしますよ」

なんだよ。お水を飲みたいだけで、こんな騒ぎになるのか理解できない。まったくどうなっているんだ

ズゴオオオオ!! ズゴオオオオ! ズゴオオオオ!

「なんだよ。うるせえ」

いきなり滝のような音が聞こえて来た。何だこの音。頭が割れる!

「お待たせしました。お水です。よいしょっと」

ズンと畳が跳ね上がるほどの衝撃が部屋に襲い掛かった。

「なんですかこれ?」
「なにって…水じゃない」
「これが? どう見ても大樽にしか見えませんよ?」
「ちょっと出すぎちゃって」
「ちょっとどころじゃないですよ。コップ一杯の水でよかったのに・・・」
「そんなこと言うけど難しいのよ。量を調整するの」
「調整?」
「いいえ。なんでもないわ。はい。どうぞ。蛇口をひねれば出るような仕組みになっているから、ほらほら、もうつげたわ」
「・・・・なんです?これ?」
「なにって水じゃないの?」

プーンと匂う甘い香り。無味無臭を期待していた透明な水とは異なる、濁った白い液体が手渡される。

「これって牛乳でしょ? 俺が飲みたいのは水なんですけど」
「ごめんなさい。うちにはそれしか置いてなくて」
「牛乳しか置いていない。ってどういうことですか?」
「そんなに怒らないで、お水に近い部分を絞って・・・・もとい。飲みやすい牛乳だから弟君でも飲めると思うわ」
「そうですか。くび」

物は試し。水がないと言われたら、これを飲むしかない。
あまり気は進まないが、一口牛乳を飲んでみることにした。

「ああん♡ 弟君の体に牛乳が入って行くわ。尊い。なんて尊いの。お腹の中に入っても元気にやるのよー」
「あ。おいしい。こんなうまい牛乳初めて飲みましたよ」
「そう? ありがとう。お姉さん。とってもうれしいわ。さあさあドンドン飲んで。この樽が無くなったら、また新しいの汲んであげるから」
「いや。もう結構。てかそんなに飲めませんよ。こんなの一年かかっても飲める量じゃないですよー」
「そお? でもまた必要になったら、いつでも言ってね」
「はあ・・・」
「うふふふ♡ じゃあご飯も済んだし、次はお風呂ね。この部屋には天然露天風呂があるから、ゆっくり浸かってくるといいわ」
「はあ・・」
「うふふふ♡」
「な・・なんですか? その顔・・・怖いですよ・・」
「よかったらお姉さんと一緒にお風呂・・・」
「入りません。出て行ってください」
「もう恥ずかしやり屋さんね。いいわ。お風呂はまたの機会にしておいてあげる。じゃあねー」

ふう、やっと行ってくれたよ。あの人。あ。でも牛乳が入った樽部屋に置きっぱなしだ。
邪魔だな。てか、こんな樽どこから持ってきたんだ? 醤油の工房にしか置いていないような本格的な大樽だ。
邪魔だし。どかすか。

「ふん! ぐぬぬぬぬぬ! はあはあ・・ダメだ。びくともしない」

てか、これどうやって持ってきたんだ? 添乗員さんは軽く持っていたような気がするけど、男の俺が持ってもビクともしないぞ。
台車を使って運んできたのかな? でも台車なんか、どこにもなかったような気がするし、ほんとどうなっているんだ・・。

「まあいいや。考えても仕方ないことは考えない。それより風呂でも入るか。せっかく天然風呂があるんだしな」

旅館の部屋に庭が併設され、そこに露天風呂があるなんて、すごい話だが今更このぐらいで驚いたりはしない。
これまでいろいろあり過ぎたし、疲れたから、考える余裕が無くなってきている。
しかし、この風呂すごい色だ。
その風呂の桶は真っ白で、しかも湯に張られた水も真っ白。
多分これ、牛乳風呂が張っているんだろう。
うん。予想は当たっていた。湯船に顔を近づけると牛乳みたいな甘い匂いがする、
牛乳というかヨーグルトに近い生暖かい風呂か。
まあいいや、とにかく入ろう。今は疲れているから、一刻も早く疲れを癒したい。
と、その前にチェックだ。隠しカメラや、盗聴器がないか確かめておく。
まさかとは思うけど、あの添乗員さんならやりかねない。さっきの別れ際も俺の裸を見たそうにしていたし、念には念を入れておいても罰は当たるまい。
幸いなことに、カメラらしきものはどこにもなかった。これなら安心して入れるか。

「はあー。極楽極楽」

カポン。
俺の体を包み込んでいく牛乳。
極楽・・・極楽・・本当に極楽か? いや、これ全然極楽じゃないぞ・・・・うえ。気持ち悪い。体にベタベタと引っ付いてくる。これ・・・。
湯を手で掬ってみると、牛乳がドロドロになって固まりになっている。
大小さまざまなドロドロの塊が手の中に浮かんでいる・・・・うん。出よう。これ以上浸かっていると気分が悪くなりそうだ。

「湯加減はいかがですか?」
「ちょっとぬるい。あとベトベトしてなんだか気持ち悪い」
「あらあら、そうなのー。気にいらなかったー。じゃあ、お詫びにでは、お背中を流させていただきます」
「ああ。頼むよ」

っておい! 思わずそう突っ込む俺。
和装した添乗員さんが、いつの間にか俺の入っている風呂に入ってきているじゃないか。

「断りもなく勝手に入ってくるなんて非常識でしょ? それに俺、今裸なんですよ。出て行ってください」
「まあまあ弟君。わたしたちはもう家族なんだから、裸ぐらいぐらい見られたって、どうってことないじゃない」
「あなたと家族になったつもりはありません。それより早く出て行ってください。なんで当たり前のようにそこに居るんですかー」
「ぶー。せっかくサービスしてあげようと思ったのに。まあいいわ。お風呂に上がったら教えて。じゃあねー」

やっと出て行ってくれた。なにがサービスだよ。余計なお世話だよ。まったく。
それから、俺はすぐに牛乳風呂から上がった。
生ぬるいし、ベトベトして気持ち悪から、長風呂する気は全く起こらない。
旅館側が用意してくれた浴衣へ、そっこーで着替えて、部屋に戻ることにする。

「あらあらー、へー、浴衣姿の弟君もセクシーねー。額縁に入れて飾りたいぐらいだわー」

なんて言いながら添乗員さんが部屋で待っていた。
こいつ当たり前のように俺の部屋で待っているな。おい。

「あれ? それは・・・」

添乗員さんの前に赤を基調したパッケージが積み上げられていた。もしかしてこれって・・・。

「すごい数のゲームソフトがありますけど・・・なんなんですか? これ」
「あら? 気づいちゃった? お風呂上りは暇かな? って思ってゲームを買ってきたんだけど。でも、どのゲームが好きか分からなかったから、とりあえず今売っている奴を全部買ってみたの」
「全部買ったって・・・総額いくらに・・・って、すげえ。入手困難のソフトまである。このソフト前から欲しかったんですよー」
「あらあら、そうなの? じゃあやってみる?」
「え? いいんですか?」
「ええ。もちろん。そのために買ったんだから」

それから俺たちはゲームをすることになった。それも大型テレビでだ。

「ああー、楽しかったー。まさか旅先でゲームを楽しめるとは思わなかったなー」
「うふふふ♡ 喜んでくれたみたいでお姉さんも嬉しいわ。でもそろそろ遅いから、お休みの時間ね」
「え? もうそんな時間ですか?」
「ええ。もう0時を回ったわよ」

もうこんな時間か、時計は0時を表示している。
ということは2時間ぐらい、ずっとゲームしていたってことか。
楽しい時間はあっという間だな。

「じゃあ。お布団を敷くわね」
「ああ・・どうも」

添乗員さんは布団を敷いている。

「あの。なんで二つ敷いてるの?」
「なんでって。一緒に寝るからに決まってるじゃないの」
「なるほど、一緒に寝るから・・・はあ?」
「実は私、一人じゃあ怖くて眠れないの・・・一緒に寝たら・・・だめ?」
「だめ? じゃない。出て行け―」
「きゃー!」

もう我慢の限界だ。
だめ?なんて上目遣いで言われてもダメなものはダメだ。
添乗員さんと客が一緒に、しかも布団を並べて寝るなんて、おかしいにもほどがある。

「ぶー。言っておくけど、わたしを怒らせたら怖いわよ」
「怖いって、一体何のことです?」
「そうね。弟君がいうことを聞かないって言うなら、今夜辺りに嵐が吹くかもね」
「嵐ですか?」
「そうよ。嵐よ」
「何を言い出すのかと思えば。は! 嵐が怖くて一人で眠れないなんて。子供じゃあるまいし」
「島の嵐はほんと怖いのよ。ふーって風が吹くのよ。ふーって」

口を細めフーフーしている。何とも可愛らしい姿だけど、今の俺にはうざいとしか思えない。早く出て言ってくれよ。もう!

「はいはい。出て行った。出て行った。嵐が来ても俺は一人で寝ますからね。それじゃあ」

パン! 勢いよくふすまを閉めて追い出す。
さて、これでようやく一人になれた。はあー、やれやれやっと自由だ。
今まで添乗員さんにずっと監視されている気分だったから、すがすがしさ倍増。
じゃあ。お休み。今日は色々あって疲れたから、ぐっすりと眠れそうだ。

********


なによ。なんなのよ。なんでこのわたしが我慢しなくちゃならないの?
人間のくせに弱いくせに。このわたしに逆らうなんて許せない。
ええい! むしゃくしゃしてきた。本当なら即刻死刑だけど、流石のわたしでも弟君を殺すわけにはいかなかった。
あの子はだけ特別。額縁に入れて飾りたいぐらいの存在。そんな尊い、ガラス細工のような子に傷をつけるわけにはいかない。
でも、そう思う一方で弟君成分が切れかかってきたから、もう我慢の限界。

「嵐を起こして全てを壊すの♪ よ! 弟君。島の神の力。思い知るがいいわ」

添乗員さんこと神田楓月は口をすぼめて、そっと優しく息を吹きかけた。
すると旅館の中が急に騒がしくなり始めた。

「うふふふ♡ 効いてる効いてる。それ。もう一発おまけよ。フ~~~~~♡」

****************


ヒュゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!

「ぐはー!」

爆弾が近くに落ちたのかと思った。
それぐらいの衝撃に俺は吹き飛ばされる。

「なんだ? なにが起こっているんだ・・・」

窓ガラスが突き抜け、ガーテンが激しく揺れ動いている。
カーテンも剥がされる一歩手前で、カーテンを止める金具がところどころ抜け落ちるぐらいの衝撃が窓の外から、いきなり襲い掛かってきた。

「まさか。これが添乗員さんが言っていた島の嵐か・・・」

正直舐めていた。嵐というからもっとこう可愛い物だと思っていた。
だけどこの嵐は違う。俺が今まで経験してきたどんな嵐や台風よりも激しい風。
体が飛ばされ押し倒されるほどの嵐を、まさかこんなところで経験するなるんて想像もしていなかった。

「やばい。また風が来る!」

ヒュゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!

風の渦がはっきりと視界に入ってきた。それと同時に俺は早送りのビデオみたいに、高速で吹っ飛ばされ、廊下の壁に叩きつけられていた。

「い・・いてええ・・・」
「うふふふ♡」

ボロボロになっているところに人影が来る。それは添乗員さんだった。
彼女は平気なのか? こっちはボロボロで風で吹っ飛んでいるのに彼女だけがなぜかピンピンしている。

「どう? 少しは懲りたかな?」
「もう嫌ですよ。こんな島。早く帰りたいです」
「うふふふ♡ まあまあそんなこと言わないの。弟君がわたしと寝さえくれれば、すぐにでも嵐をやませられるわよ」
「そんなことできるわけないじゃあないですか? だって相手は自然なんですよ」
「うふふふ♡ 大丈夫。お姉さんがその気になったら自然なんて目じゃないの。それよりどうする? お姉さんと一緒に寝てくれるの?」
「い・・・いやです」
「そう。ならしょうがないわね」
「ああ。添乗員さん。こんな嵐の中どこへ?」
「うふふふ♡ ひ・み・つ♡」

え? 嵐の中外に出かけたぞ。あの人。大丈夫なのか、てか旅館の中に居てもこのざまなのに外に出るなんて危なすぎる。死んじゃうぞ。


ヒュゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!

「うわ。また来た。ぎゃあああああ!!」

体が・・体が壁にめり込む! これ以上はヤバい。これ以上ダメージを受けたら死ぬぞ。
そう体の痛みが警告してくる。正直こんな痛みは初めて感じた。
恐怖を感じるぐらいの痛みに意識が飛びそうになる。

「どう? 少しは懲りたかしら?」
「凝りました・・・」
「うふふふ♡ 正直でいい子ね。じゃあ一緒に寝てくれるわね?」
「あ・・嵐が止むなら、お願いします」
「よろしい。じゃあ、嵐さん。バイバイ!」

バイバイってなんだよ。そんなんで嵐が止んだら誰も苦労しないっていうの。

「あれ? 本当に嵐がやんだのか?」

さっきまでの暴風が嘘のように静かになった。
嵐が去った、そう言われても違和感ないような静寂に包まれるようになる。

「うふふふ♡ だから言ったでしょ? わたしがその気になったら、自然なんて目じゃないって。うふふふ♡」

ほんとどうなっているんだ? もう意味不明過ぎてついていけないよ。

「うふふふふ♡ 弟君ってやっぱりかわいい顔してるわ。ずっと見て言われる。それにきゃん♡ 胸も硬くて結構立派♡ 触っていい? ねえ? 触っていい?」

それから俺たちは二人で一緒に寝ることになった。
窓ガラスが割れたままの高級旅館で、まさかこんなことになるとは・・・。でも体が痛くてその後は泥のように眠ったから布団の中でなにが起こったのか俺はよく覚えていない。
覚えていないし。思い出したくもない。それが正直な感想だ。


*********


「えー。左に見えますのが窪地でございますー。そして前方に見えますのが島一番の山でございますー」

朝になったら、バスに乗せられ、観光案内が始まったが、どうも目がおかしい。
昨日の嵐の影響か? どうも目が曇って見える。

「窪地の深さは800メートルにも及び、山の高さは」
「あの添乗員さん?」
「はい。なんでしょう?」
「俺の目がおかしいんでしょうか? それとも夢ですか? この景色」
「うふふふ♡ 何を言い出すのかと思ったら面白い人ね」
「・・・じゃあ、あれはなんです?」
「山よ」
「じゃあ。あっちは?」
「窪地よ」
「窪地の下にあるものは?」
「森と砂丘」
「・・・・」

勘弁してくれ。頭が変になる。俺の目に移る風景はまさに異世界の景色の連続。
昨日着いたときは夜だったから、暗くて気づかなかったけど、日が昇った今なら、この異様さに気づく。

「なんなんだよー。このけしきーーーーーー!!」
「うふふふふふ♡」

山、窪地、森、砂丘。添乗員さんはそう言っているけど、これはどう見ても女体。服を着ていない女の人の体にしか見えない。
永遠に続く、肌色の大地。
窪地のおへそ。山のおっぱい、砂丘の太もも。森の陰毛。
どこからどう見ても女の体の上だ。
俺は毛じらみにでもなってしまったのか?
そう思うぐらいのスケール。巨人の体の上に小さなコビトのバスが走っているような、あり得ない光景が現実に広がっている。

「やだなあ。弟君。ここが女体な訳ないじゃないのー。島よ。島。であそこがこの島にしか生えていない貴重な植物です」
「く・・黒い植物なんてあるんですか?」
「森だけど?」
「どうみてもあれ。陰毛でしょ? 陰毛!」

・・もじゃもじゃの森。
森は普通、真っすぐ伸びるように生えているのに。この森はもじゃもじゃ。いばらの道のように入り組んだ形をしている。
それに色も緑じゃなくて真っ黒だし、こんな森があるわけない。

「陰毛なんかじゃないわ。ただの森。この島独特の貴重な植物よ」
「じゃあ。あれは?」
「あれは山よ」
「どこの世界に、肌色の山なんかあるんです? じゃあ山のてっぺんにあるピンクのあれはなんです?」
「あれはちく・・・・もとい。あれも丘よ。山の上に小さな丘があるのよ」
「さっき乳首って言いかけましたよね?」
「さあ、そんなこと言っていないけど」
「じゃあ一回バス。止めてもらえます?」
「止めるの? わかったわ」

このバス。今気が付いたけど運転手さんが乗っていない。無人運転なのか?
まあいい。それより確かめるぞ。俺は迷わず山に向かってカメラのシャッターを切った。

「ちょ・・ちょっと! 山の方はあんまり撮らないでほしい・・・かな? そんなにいっぱい撮ると恥ずかしい・・・~~~ッ!」

ゆでだこみたいに顔を真っ赤にさせている。やっぱり変だ。山を撮られたぐらいでこんな顔をするか?

「どう見てもこれ、乳首しか見えないですって」

カメラで撮った画像データを添乗員さんに見えてあげた。
液晶画面にはピンクの塔。つまり乳首らしきものが高画質な画像として表示されていた。

ピッ!

削除。添乗員さんは削除のボタンを押し、カメラのデータを勝手に消去していた。これ俺のカメラなのに・・・。

「ダメダメ。やっぱり山を撮っちゃダメ」
「なんでです? 山を撮ったらダメっておかしくないですか? やっぱりあれ添乗員さんの乳首なんでしょ?」
「そんなの・・・わからないわよ」
「わかりました。じゃあ次は・・」

よし。次はこれだ。思いっきり地面を手で、くすぐってやる。どうだ! こちょこちょ

「こちょこちょこちょ」
「きゃはははははは!」

予想通り、添乗員さんはこんな顔(^^)で笑っている。やっぱりだ。地面をくすぐると彼女もいっしょに笑い始めている。つまり島地面と彼女は連動している。
理由は分からないけど、この島は添乗員さんの島なんだ。そうに違いない。

「添乗員さん。これは一体どういう事なんですか? それにここは一体どこなんです?」
「あらら。残念ー。もうバレちゃったの?」
「いや、隠すつもりなんてないでしょ。バレバレだし」
「うふふふ♡ まあバレても構わないわ。その時はその時だし」
「一体なんなんです? あなたの目的は? なんでこんなことするんですか? 説明してくださいよ」
「そんなに怒らないで。ほらほら、可愛いぼうやでちゅねー。よしよしー」

誤魔化すように抱き着いてくる。
まるで子供をあやすような感じだ。くそ! こんなことで誤魔化せるか! 徹底的に追及してやるぞ。

「気安く触らないでください」
「あらあら? 今にも噛みつきそうな顔しているけどねー、弟君。ここはね。わたしのお腹。さっき触りまくっていたわよね?」
「お腹? 島の地面のこと・・ですか?」
「うふふふ♡ そうよ。お腹をこちょこちょしたのはだあれ? ええい。お返し」
「あはははは」(^^)

うわ。やめろ。めっちゃくすぐったい。俺の服をまさぐって、こちょこちょしてくる。

「ひー! ひー! 息ができない」
「うふふふふ♡ ね? くすぐったいでしょ。だからめっ! 女の子のお腹は敏感だから気安く触っちゃダメなの」
「と・・とにかく、説明してください。ここは一体どこなんですか?」
「どこって、わたしのお腹の上だけど?」
「・・・質問を変えます。なんでお腹の上に居るんですか? なんの企みがあって、お腹の上に俺を乗せているんですか?」
「なんでって・・・可愛いから? ほら、かわいいっ子って誘拐したくなるじゃない? だから・・・誘拐しちゃった。うふふふ♡」

真顔だ。
可愛い子を誘拐することが、さも当たり前のように言っているよ。この人。
前々から思っていたけど、やっぱこの人ヤバい人だ。
てか、俺・・・誘拐されたのか? この女の人に・・・。え? こわ・・・。

「も・・目的はなんなんです? なんで俺を誘拐したんですか?」
「正座して?」
「正座? なんで?」
「うふふふ♡ それがわたしに対する礼儀ってもんでしょ?」
「礼儀? 礼儀をわきまえるのはそっちのほうでしょ?。むしろ添乗員さんの方が正座して事情を話すべきです! さあ早く話してください」
「あら? このわたしに逆らうっていうの? ふーん。そんなひどいこと言っちゃうんだー。でもね。弟君。一つ忘れてなあい?」
「な・・なんですか?」
「ここはわたしのお腹の上ってことよ。厳密にいうと、おへその横・・・うふふふ」

しまった! と思った時はもう遅い! 昨日の夜に吹いた暴風。あれってもしかして・・添乗員さんの・・・。

「今更気づいてももう遅いわ。うふふふ♡ 嵐を起こしてあげるわ。すー」

息を吸い込む彼女。その顔と連動して山の向こうが振動し始めた。噴火が起こる予兆みたいになっている。まさか!

「うふふふ♡ 嵐を起こして全てを壊してあげるわ♡ ふ~~~」

口をすぼめて息を吹きかけてきた。その瞬間! 世界が制止する。

ヒュゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!

「うああああああああ!!」

添乗員さんのすぼめた口と連動して、山の向こうから、強烈は竜巻が襲い掛かってきた。
ヤバい。飛ばされる。そう思った瞬間、あっという間に窪地へと落ちていった。
奈落の底と言っても大袈裟じゃない、底の見えない。暗黒界。添乗員さんのおへその中に、俺は落下していった。

「やっと止まった・・・う! この匂いは・・・それに黒物がいっぱい落ちている・・・」

柔らかい肌の上を転がり落ちて行くと、そこは地獄の窯の底だった。
異様な油の匂いのする不思議な空間。
ここが添乗員さんのおへその中なのか? うわ。なんだあれ? まさかへそごま?

硬い金属のような物が、おへその壁にへばりついている。

へそゴマ、つまりおへその中に溜まった垢だ。
あれが垢なのか? 垢だけ俺の両腕を伸ばした大きさよりもだいぶ広い、それどころかさっきまで乗っていたバスよりも一回りぐらい巨大なへそゴマだぞ。
それに、へその穴の中は、とてつもなく広く、まるで洞窟の穴の出口を上に見上げているような気分になる。
まさに自然が生み出した広大な風景。それが添乗員さんという小さなへその穴の中だった。

「うふふふ♡ わたしのおへそは気にってくれたかしら? 深さ800メートルもあるおへそなんか、なかなか観光できないわよねー。あ、おへそ名物のへそゴマ饅頭はいかがですか? 10個入りで2000円ですー」

添乗員さんが空を飛んで、へその底まで降りて来ていた。
まるで、ドラゴン×ールのサ×ヤ人のように当たり前に飛んできている。
てか、空まで飛べるなんて、ほんとこの人。何者なんだよ?

「だせ。ここから出してくれよー」

両手を伸ばしても届かない半端な位置に浮かんでいる、添乗員さん。
彼女を掴もうと思って、ジャンプしても、彼女にギリギリで届かない。
それを見て、彼女はクスクスと笑っているありさまだ。
くっそ! 腹立つな! なんというかいじめられている気分になる。

「おい。助けろよー」
「さあ、どうしようかしら? わたしの恥ずかしいへそゴマもバッチリ見られちゃったわけだし。このまま生かして帰すわけにはいかないわね」

生かして帰すわけにはいかないだって? それってつまり。

「ええ。弟君が考えている通り、このおへその中に弟君を幽閉してようと考えているわ。ああ。心配しないで大学を辞める手続きとか、そういう面倒な手続きは、わたしが全部やっておいてあげるからー」

大学を辞めるだって! そんな・・とんでもない。
今まで苦労して、やっと単位を取ってきたのに、勝手に辞めさせられてたまるか!

「なに勝手なこと言ってるんだよ! そんな勝手な事させないぞ」
「あら? どうやって?」
「どうやってって・・そりゃ力ずくでも・・・」
「うふふふ♡ あらあら、何を言い出すのかと思ったら、随分かわいいこと言ってるわね♡ でもでもお姉さんに腕力で敵うのかしら?」
「そ・・それは・・・」

ここは添乗員さんの女体の島。言うならばお姉さんの体の上に俺は乗っている。
そんな巨人の添乗員さんに腕力で敵うのかというと、当然敵う訳もなく。

「うふふふ。弟君? これなあーんだ」

添乗員さんは指を一本立てていた。閃いた! そんなポーズを取って、指を一本見せてきている。

「なにって・・・指でしょ・・・」
「うふふふ♡ じゃあ、この指を弟君の居るところに向けたら、一体どうなるかしらー」

目を細め、口を横に広げる添乗員さん。
自信ありげな感じで笑っている。確信のある絶対有利の笑み。なにか・・・くる・・。

「あ・・あれは・・・あわ・・あわわわ」

こ・・腰が抜けそうになった。
大空を覆いつくすソレ。
一本の肉の柱が、まるで気球船のように現れている。ミサイルのような形の流線型の柱。
肌色のミサイル。それは添乗員さんの一本の指だった。

「大空に見えますのは、わたしの指でございますー。全長は6キロ。富士山二個分の指です。さあ、弟君シャッターチャンスですよー」

そんな・・・・観光案内風に言われてもどうしたらいいのか・・・。
俺からしたら、とんでもなく巨大な添乗員さんの指。
一本の指だけで富士山よりも大きな指に、俺はどうしたらいいのか分からなくなる。

「この指を総括しているのは、わたしくこと、虚台蒸目旅行の観光ガイドを務めております。神田楓月でえーす。いえいいえい!」

いえいえい、という声に合わせて、大空を飛ぶ指もピースの動きをする。
やっぱりこの指、添乗員さんの指だ。
彼女を指を動かすと、大空に聳える指も連動して動いている。

「皆様の上空を飛んでいます、この指はわたくし、神田楓月の機嫌によって景色が変わってまいります。美しい山が突然噴火するように、わたくし神田楓月の機嫌が悪くなると
 牙を向けることもありますのでご注意を。え? ふむふむ。皆さまには大変残念なお知らせがございます。皆さまの上空を飛んでいます。指に直接話を聞いたところ機嫌が
 徐々に悪くなっているようでごさいまず。ですので、この先島が揺れることもがありますので、皆さまご注意ください」

皆様なんて言っているが、ここには俺しかいない。だから必然的に俺に向かって話していることは容易に想像ついた。
指が襲い掛かってくる。

「ぎゃあああああ!!」

富士山二個分と評する。添乗員さんの人差し指が急降下し、俺のすぐ脇に降ってきた。
正直、指の爪先だけでも、俺の身長よりも何倍も太い。爪の厚みだけでも壁にしか見えない、とんでもない指なのである。
添乗員さんは、自身のおへその中を指で突っついていた。

「うふふふ♡ どうしたの? 弟君。力ずくで私を止めるんじゃなかったの? だったら、指の一本ぐらい持ち上げてみなさいよ。ほらほら」
「や・・やめてくれー」

指をグリグリと動かす添乗員さん。その振動だけでもうボロボロ。
嵐に遭遇した、バイキングみたいに、体が右往左往と揺さぶられて、立っていられなくなる。

「まさかとは思うけど、お姉さんの指一本にも敵わないくせに、力ずくで止めようとしたの? お可愛いこと」
「くっそ! こうなったら、添乗員さん本体に突進してやる。うおおおおおおおお!!!」

強いのは指だけだ。そう判断した俺は、添乗員さんに向かって走った。
添乗員さんの顔を一発殴ってやれば。少しぐらいは・・・。あれ?」

「うふふふふ♡」

添乗員さんは俺の殴り掛かった右手を、指一本だけで受け止めていた。そして。

「つん!」

指で軽く、俺の拳を突っつく。

「ぎゃあああああああ!!」

なんだこれ・・・なんなんだよこれ。ドラゴ×ボールか? これ・・・。

指一本で軽く突っつかれただけなのに、なんて傷みだ。あまりの痛みで立てない。

「あらあら、ちょっと力を入れ過ぎちゃったみたい? 大丈夫?」
「す・・・すみません。ありがとうございます」

・・・?? いつの間にか、介抱されている俺。いやいや立場が逆だろ?
殴り掛かったのは俺だというのに、逆に添乗員さんに心配されている!?

「離してください。あなたにやさしくなんかされたくありません」
「あらあら。でもね。弟君の前には、わたしの手、口、脚がいっぱい控えているんだけど・・それでもまだ戦うの?」
「そ・・それは・・」
「さっきのは指一本だけだっただけど、こんどは・・・」

そう言いながら、添乗員さんは何かを手でつかんでいた。あれはまさか・・・島?
添乗員さんの手に巨大な島が握られている。

「これはね。すぐ近くにある、本物の島なんだけどね。わたしが握ると・・えい」

グシャという音と共に島が粉々になった。添乗員さんは島を丸ごと持ち上げ、片手だけでその島を握りつぶしていたのだ。
何て握力・・・おそろしい・・・。

「お姉さんの握力はね。島を握りつぶせるぐらい大きくて強いの。それでもまだ戦う? それともさっきの島みたいに弟君も握りつぶされたい?」

ワキワキと上空で手を動かす彼女。その気になったらいつもでも殺せると、添乗員さんの手がそんなアピールをしてくる。

「わ・・わかりました。腕力では敵いませんよ」
「あら? 降参? うふふふ♡ ありがとう。じゃあこれが権利書ね」

権利書と評して、添乗員さんは一枚の紙を手渡していた。

「これ・・なんです?」
「その紙は土地の権利書よ。どこでも好きな土地を弟君にプレゼントするわ」

土地の権利書。そう書かれた一枚の紙には

<胸、鼻、目、口、首、脚、腕、手>

などの項目が書かれていた。これは一体何なんだろう?

「その項目に〇をつけて。そこの部分は弟君の土地になるの」
「ちょ・・ちょっと待ってください。てことは・・俺がもし胸に〇をつけたら、添乗員さんの胸が俺の・・・」
「ええ、あなたの土地になるわ。大きな家を建てて、そこに住むといいわ」
「俺が・・・添乗員さんの胸に住む」

その言葉を聞かされると、同時にムクりと股間が反応し立ち上がった。
こんな綺麗なお姉さんの胸に住む。なんて聞かされたら、誰でもエッチなことを妄想してしまうだろう。
その例に漏れず、俺の股間がギンギンに反応していた。

「胸に住むのはいいわよ。毎日搾りたての母乳が直で飲めるんだもん。しかも、わたしの母乳は水質汚染されていないし。胸の周りは空気がいいしね。
 ほら私の胸って工場なんか建っていないから、空気がきれいなのよー。ほら、いこいこ」
「行くって・・どこへ?」
「下見よ。下見」

体がふわりと浮かび出す。俺は添乗員さん手をつながれ大空を飛んでいた。
すると巨大な裸の添乗員さんが寝転がっている異様な姿が目に入ってきた。
全裸の巨人が海のど真ん中に横たわっている。島のように巨大な添乗員さん。彼女はやっぱとんでもない巨人なんだ。

「やっほー」

と、手を振る巨人。その巨大さは言うまでもない、ただ手を振るだけで台風が起こりそうな規模である。

「うふ♡ そんなに怖がらないで。あそこにいる私も、ここに居る私も同じ私なんだから、もっと気楽にして。取って食ったりしないから、安心しなさい」

ウインクする添乗員さん。すると海の真ん中で寝転がる巨人の添乗員さんも同じようにウインクしていた。
なるほど、俺の目の前に居る添乗員さんと、巨大な添乗員さんの体は連動しているのか?
どっちが本体か知らないけど、顔も瓜二つだし、巨人の添乗員さんからは敵意は感じられなかった。

「あ・・あれは白い魚?」

そういえば、何かが変だ。添乗員さんの寝転がる海は異様なぐらい真っ白だった。
そこを泳いでいる魚も真っ白、まさかこれは」

「うふふふ♡ 気づいちゃった? この海はね。わたしの母乳で形成されているのよ。母乳を飲んで育った魚はみんな白くなるのー」

そうだったのか。だから昨日の夜食べた魚はみんな白かったんだ。
あれは母乳の海で育った魚だったから、あんな変な色になったという訳か。

「はあーい、わたしの乳首に到着~~」
「こ・・これが添乗員さんのち・・乳首の上・・・」

蚤になった気分だ。これが、あの添乗員さんの乳首だなんてほんと信じられない。
なにかの塔の間違いじゃないのかこれ・・・。

「全長800メートルの乳首ですー。どう? 驚いた? わたしの乳首。ぶっとくて大きいでしょ? まるで柱のような大きさでしょ? 
 ここの下から上まで、あと乳輪全体と乳房全体が弟君の土地になるんだから結構広い土地だよねー。こんな広い土地を持てて弟君は幸せだ―」

その幸せが何の幸せなのかわからないけど・・・とんでもない高さだ。
山の山頂に立っているような気分になる。え? ここに住むの?

「すごいでしょ? 乳首の頂上だよ。普段ならこんな経験なかなかできないでしょ?」
「そりゃまあ・・・」

どこの世界に、乳首の頂上に足を踏み入れる機会があるのか? 逆に聞いてみたいぐらいだ。

「この乳腺の脇に家を建てるといいよ。ここなら新鮮な母乳が毎日飲めるし・・・あれ? 弟君どうしたの?」

俺はうずくまっていた。正直頭がどうかなりそうだ。
添乗員さんは何ともないらしいが、さっきから頭がフラフラしている。
力が抜けエッチな気持ちになって行く。股間がギシギシに反応している。
それはここが乳首の上だからということも関係しているのだろうが、さっきから甘い匂いにもう頭がフラフラだ。

「空気悪いですね。ここ」
「そうかしら? 東京と違って工場なんか建ってないし、車も走っていないから空気は綺麗だと思うけど・・・・ははん♡ あら? あらあら、まさか弟君。わたしの匂いに興奮しちゃったの?」
「ギク!」

添乗員さんの悪い笑みが再び出現した。自信満々のその笑みはある意味恐怖すら感じるほど。

「まあ、小さな弟君からすれば、わたしの乳首が猛毒ガスかもねー。弟君を愛する愛のフェロモンがむんむん♡って出てきているから、まあ愛のコンビナートみたいなものかな?」
「・・・あ・・愛のコンビナート・・・」
「うふふふ♡ そうよ。乳首にある、無数の穴から愛の匂いがあふれ出ているのよ。愛のコンビナート。無数の煙突からいい香りがむんむん出ているわ」

添乗員さんは天に向かって大声で叫ぶ。

「島のわたし! 聞いて。もっと匂いを強くして。乳首の匂いを強くするのよー」

OKと指でそんなサインを出している巨人の添乗員さん。
そのサインと同時に、匂いがさらにきつくなってきた。
プシュート音が出そうなほどの勢いで愛のフェロモンが乳首からあふれ出てくる。
やばい。頭が溶けそう・・・。

「ねえ? 知ってる? 弟君が踏んでいる足の下にはね。今でも大量の母乳が今も生産されているのよー。多分匂いの原因はそこにあると思うわー。
 でもね。残念。 弟君が乳首を踏んでいるから、わたしの乳輪が刺激されちゃって。ドンドン母乳を作っている状態なのよー。もう胸の中はタプタプ♡」
「そんな・・・や・・やめてください。母乳をこれ以上作らないで」
「そんなの無理。息を吸うなって言うぐらい無理な相談ね。ほら・・・それより聞こえない? 母乳が作られている音が。ちゃぽ・・ちゃぽって音が地面から聞こえてくるでしょう。うふふ♡」

そんな音聞こえるはずがなかった。だけど、添乗員さんにそう言われると、そんな気もしないでもない。
とにかく、俺の真下から大量の何かが作られている振動だけはなんとなくわかった。これがミルク。添乗員さんの母乳が作られる胸の振動なのか?

「わたしだって、できることなら、今すぐ母乳づくりをやめたいわよ。でもね。うふふふ♡ 体は正直みたい。わたしの体中の血液がどんどん母乳に変わっていっている気がするわ」
「や・・やめてくれー」
「うふふふ♡ これは大変なことになったわね。全世界の牛さんよりも、今ここで作られている母乳の方が多いみたい。
 いってみれば私の胸はミルク生産工場って訳ね。ほらほら。もうすぐ出来上がるみたいよ。わたしの新鮮な母乳がね。もうすぐ乳首から吹き上がるから気を付けてね」

気をつけろと言われても、何もできない。
乳首の中からあふれ出す、甘い匂いがむんむん♡と伝わって来て、もう体がヘロヘロ。立てる元気すら残っていない。

「け・・・煙が・・・湧いてきた」

噴火の時が近い。それを表すかのように、乳首の山頂から白い息を吐き出していた。
その濃密な匂いが、俺の脳細胞を破壊していく。白い母乳雲が薄い霧を生み出し視界が奪われる。
そしてその時が来た。

ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!

ダムが崩落したように、大量のミルクが噴射された。
青かった海が、母乳に浸食されて、どんどん海が白くなっている。


「うああああああああああ!」
「きゃあああああああああ!」

遠く離れた地。東京湾に母乳の津波が咆哮を上げながら飲み込んで行った。逃げ惑う人々。
本土から遠く離れたところを寝そべっていた、お姉さんであったが、その膨大なミルクの量に海が消費しきれず。本土の方にまで押し寄せている。
全長100メートルの白い津波。お姉さんの母乳100%の母乳が東京の街を飲み込んでいく。
電車や車が、母乳に飲み込まれて、プカプカと、車体を縦にしながら、浮かぶありさまだ。
ビルが立ち並ぶ、オフィス区画も母乳の津波は当たり前のように押し寄せ、全てを綺麗に洗い流していく。
地下鉄などが走る地下施設にも大量の母乳が流れ込み、使用不可能にしている。
日本全土へと広がる、お姉さんの母乳の津波。その死者は軽く2000万人を超えていたそうである。
しかし、この母乳を作り出した元凶は弟君と評する、たった一人の青年のために生産された、いわば愛の結晶であり、その愛が巨大過ぎたゆえに、多くの人に迷惑をかけてしまう結果となった。
ドボドボと、お姉さんの乳腺の中では今なお、ミルクが生産され続けている。
そのミルクが行き場を失って、出口を求めるように、乳首から噴射されるていたのだ。
その勢いはとどまることを知らず、日本全土の全てを母乳で飲み込んだ後は、やがて全世界へと広がっていく。

「あらあら。大変なことになっちった。こんなにいっぱい出したのは、お姉さんも初めてよー」

新記録である。流石のお姉さんも普段はここまで多く母乳を出すことはない。これもすべて。

「弟君がお姉さんの乳首を刺激したから、こうなったんだよ。コラ。弟君。みんなに謝りなさい」

世界を滅ぼすきっかけを作った、彼は既に乳首の上で気絶していた。
そんな情けない彼の姿を見たお姉さんは、弟君を𠮟りつけ、巨大な指を使って、その体を乳首から乳腺の中へと放り込んだ。

「多分これから全世界と全面戦争になると思うけど安心して。乳腺の中で弟君を守ってあげるから。それに一時間もあれば多分ケリがつくから、それまでの辛抱よ」

そう言いながら、お姉さんは体を起こし立ち上がる。
お姉さんの巨足が全世界の軍人とこれから戦うことになるだろう。
母乳によって滅ぼされた国が報復してくるのも時間の問題だ。
お姉さんは全長23キロの足を持ち上げ核保有国を踏みつぶし、全世界の上に立つ独裁女王として全世界に名を上げるようになったのは、それからすぐのことであったという。