真っ赤に燃えるような赤い壁。これはお嬢様のドレス。
そして、その隣に白い壁を作り出しているのがマキシ丈のスカート。これはまゆみさんの履くスカート。
さらに、そのまゆみさんの隣に黒い壁を作り出しているのが、サラさんのメイド服。スカートと黒タイツの壁だった。
俺は今、三人の巨人たちに囲まれている。

「青いドレスもあるんですね。すごい。これ、どこのお店で売っていたんですか?」
「これ? これは・・・サラが買ってきた」
「わあー、こっちのドレスも可愛い。それに生地がめちゃめちゃいいです。これは? どこで買いましたか?」
「これも・・・サラが買ってきた」

二人の巨人。ブロワお嬢様とまゆみさんの声が響く。
二人はどうやら、クローゼットを開けて、お嬢様がいつも着ていらっしゃる、ドレスを鑑賞しているようだ。
しかし、この迫力といい、足のデカさといい、俺の小ささといい、なんて状況なんだ!
それにまゆみさんまで巨大化しているなんて・・・もうめちゃめちゃで頭を抱えたくなる。
さっきまで俺の背丈よりも小さかった、あの小さくて可愛いあのまゆみさんが今ではブロワお嬢様と同じ大巨人に変身しているのだ。
鈴木工務店で見た、おとなしくて従順そうな、弱弱しいまゆみさんの面影はない。
今のまゆみさんは、体がデカいことも相まって、めちゃめちゃ強そうに見える。
まさに怪獣のような姿で、そこに聳えていたのだ。
それを印象付けるように、今俺の目の前には、まゆみさんの履いている白色が目の前に広がっている。
まゆみさんの履くパンプス。ただの靴。
しかし、それが巨人の履く靴となると話は変わってくる。只の靴が工場の倉庫ぐらいの大きさになり、その靴の中敷きの上に車を何台も格納できそうな巨大な面積を有している。
これがまゆみさん? の、履く靴だって!? いやいや違う。この巨人は全くの別の人物だと、そう思いたいが現実は非情なもので、これがあのまゆみさんだった。
今のまゆみさんは、俺の体を一瞬で踏みつぶせる大巨人に変わってしまったのである。

「こっちもいっぱいあるけど見る?」
「はい。是非。コスプレの参考にしたいので、お願いします」
「うん。じゃあ。見せる」

巨人ブロワお嬢様があっちと指を差すと、ブロワお嬢様とまゆみさんの靴が同時に動き出した。
巨人が左方向へと前進する。

ズウン。ズウン。

怪獣のような地響きを震わせながら、二人の巨人たちが行進する。
それは、俺が今までに見て来た、どんな行進よりも凄まじい物で陸上自衛隊の行進が霞むほどの大行進を見せられている気分になる。

「このドレスも可愛いですね。細かい細工がいっぱい施されていますけど、どうやって作ったんだろう?」
「・・・知らない。でも・・・うん。そこの模様は好き」

天高くに聳え立つ二人の巨人。
まゆみさんと、お嬢様は二人でドレスを鑑賞しているようだ。

「てか、あいつら、お嬢様のドレスを見ていたのか・・・」

まゆみさんは、興味津々といった感じで、お嬢様のドレスのコレクションを鑑賞している。
だけど、お嬢様のコレクションは数が膨大で、ちょっとした博物館のようになっている。
これほどの量と質が揃ったドレスの数々は他ではなかなか見ることができないだろう。
正直俺も見たことがなかった。
ドレスだけが入った、巨大なクローゼットを前に、まゆみさんが目をキラキラさせている。
そして、その隣に立っている無表情のお嬢様が、立っているという図だ。
二人は、なんというか仲の良い姉妹のように見えるな。
お嬢様もまゆみさんに対して、かなり近い距離に立っているし初対面とは思えないほど心を許しているような感じがする。
それにまゆみさんも、いつもよりかはテンション高めといった感じで、お嬢様のドレスのことをあれこれ質問しているし、それを聞いたお嬢様も、そっけない返事をしているが、
それでもいつもより機嫌はいいように思える。
というのも、本当に機嫌の悪い時のお嬢様は口もきいてくれないし怒鳴るし暴力を振るうしで、もう滅茶苦茶。
高圧的になっていない時点で、かなり機嫌のいいと言える。

「この服は前のパーティーで着た。だから結構いいやつ」
「えー。すごい! パーティーなんか行くんですかー。いいなー。いや、いいですねー。すごい。すごい」
「・・・・うん。そう」

きゃきゃとしているまゆみさんと、少しだけ機嫌のいいお嬢様。
その一方で俺は完全に居なかったことにされている。
おーい! 二人共、足元に俺が居るのを忘れていないか?

「うふふふ。忘れていませんよ」

巨人の影が現れた。
黒い靴に黒いタイツ。そして白いエプロンを着たメイドサラさんが俺のことを見下ろしていたのである。

「随分苦労なさっているようですね。良太さん。そんなところにいたら踏みつぶされちゃいますよ?」
「・・・・わかってる。だから早くテーブルの上にあげろって。一体誰のせいでこうなったんだよ」
「あら? 随分と生意気な口の利き方ですね。うふふふふ」
「ほっとけ。生まれつきだ」
「うふふふふ。良太さん。言っておきますけど、その言葉遣いお気を付けた方がよろしいですよ。でないと」

ズン! 20メートルを超える、工場の倉庫のようなメイド靴が、俺のすぐ脇に降ろさた。
その振動で50センチもジャンプする。

「言っておきますけど、今の良太さんの存在に気づいているのはわたしだけなんですよ。お嬢様も良太さんのお連れ様もあなたの存在を認識していないのですから・・・・
 お二方に踏みつぶされるのも時間の問題かもしれませんね」
「そ・・それは・・・」

赤い絨毯の上に聳え立つ、四つの巨塔。
それは言うまでもなく、お嬢様とまゆみさんの靴と脚で、二人共サラさんの言う通り、足元など全く見ていなかった。
今この状態で二人の足元に近づいて行ったら、一瞬で踏みつぶされてしまうだろう。

「それに・・・うふふふ。もし仮にわたしが良太さんを捕まえて、お二方どちらかの足元に良太さんを誤って落としたりでもしたら・・・良太さんどうします?」

口を押えながら、くすくすと笑うメイドサラさん。
漫画で例えると顔に影がかかっている、悪い笑みで笑っている。

「言い換えれば、良太さんを生かすも殺すも、わたしの指次第。違いますか?」
「わわわ・・・よせ。離せ離せよ!」

そういうのか遅いのか速いのか。サラさんのほっそりとした指が俺の胴体を有無を言わさず摘み上げた。
1センチもない小さな俺の体はあっという間にサラさんの細指に挟まれ、空中へと持ち上げられてしまう。

「どうしますか? 良太さん。これまでわたしにした数々の無礼を詫び、誠心誠意謝るか。それともお嬢様と良太さんのお連れ様に踏みつぶされ、あの世に行くか二つに一つですよ」

サラさんの指に力が込められる。その力が尋常じゃないほど強く、肋骨にひびが入る勢いだった。
彼女は本気だ。本気で俺を殺そうとしている・・・のかもしれない。
とにかく、ここでサラさんに逆らったら殺されるか。それに近い罰を受けるのはほぼ確実だ。

「わ・・悪かった。悪かったから、は・・話して・・・」
「うふふふふ。わかりました。では許して差し上げます」

力が抜け、地面にたたきつけられる俺。
だけど、思ったよりあっさり許してくれたな。てっきり、骨の一本や二本折られると思っていたのに・・・。

「では良太さんと仲直りした記念に、少し付き合ってもらいますか? 今から少しお外に行きません?」
「え? 出かける? でもお嬢様たちは? 放っておいていいの?」
「大丈夫です。あの調子なら2時間ぐらい。あの調子でしょう」

サラさんがそう言って指差した。
その指の先にはまゆみさんと、お嬢様がドレスを手に取り楽しそうに談笑している。
なんというか、完全に二人の世界に入ったって感じで、俺たちのことは完全に置いてきぼりだ。

「あの調子なら放っておいても大丈夫でしょう。お嬢様のドレスは隣の部屋までずっと続いているのですから」
「うへえ。そんなにいっぱいあるのかよ? じゃあ全部見回るには相当時間がかかりそうだな」
「うふふふ。では決まりですね。少し外に出ましょうか?」
「でも、外に行くってどこにいくの?」
「まあ行きばわかりますよ。それに今良太さんには拒否権なんかありませんよ」
「ああ。わかったよ。行けばいいんだろ。行けば」
「では行きましょう! おー」

それから、すぐに外に出ることになった。
俺の胴体を挟むため、サラさんの指が降ってくる。
サラさんの細指はクレーンゲームのアームのように、俺の胴体の脇をしっかりと挟み込み、サラさんの手のひらの上へと持ち上げられた。
思えば、この動作も完全になれてしまった。今まで俺は散々、お嬢様とサラさんに持ち上げられてきたから、今更巨人の指に摘ままれるぐらいでは驚いたりしない。

「では、今日は少し遠出をするので、こっちの車で行きましょうか」
「え? 車?」

それは意外な言葉だった。
普段の買い物は、セダンタイプの車で出かけることが多いのに、今日に限ってこの背の低い車で行くと言っている。
車高の低い、いわゆるスポーツカーってやつか?
サラさん。この車を運転するつもりなの? 

「今日は少し急ぎますので、これで行きます」
「大丈夫なのなの? サラさん。この車MTだし、運転難しんじゃあ・・・」
「うふふふ。大丈夫です。心配しないでください。これでもわたしMT免許はもちろん、国際A級ライセンスを持っていますので車の運転はプロ並みなんですよ」
「いや・・でも・・・」
「あんまり時間がないですから急いでください。シートベルト閉めますよ」

サラさんの右肩の上に、俺でも座れるような小さな小人用のパケットシートが置かれる。
彼女の肩の上に設置された、パケットシートの上に乗れと言っている。
そして有無を言わさず、サラさんに摘ままれた俺は、その椅子の上に乗せられ、シートベルトで体を固定された。
それにしてもサラさんの指の動きは目を見張るほどだ。
信じられないほど器用な手つきで爪と指の肉だけで細かいシートベルトを掴み上げ俺の体に通していた。

「うふふふ。これで良太さんは、わたしの体から逃げられなくなりました」

笑顔で言っているけど全然嬉しくない。
椅子の上でこんなガチガチに固定されると絶対に・・・いやな予感しかしない。

「じゃあ。エンジンスタート。発進!」

猛獣の咆哮のようなエンジン音が響く。それと同時に頭が痛くなるほどのGが襲い掛かってきた。

「サラさん。ちょっと早すぎ! ブレーキ。ブレーキ。スピード違反で捕まっちゃうよー」
「うふふふ。大丈夫です。この辺りはみんなお嬢様の私有地なので道路交通法は適応されません。ですので飛ばしますよー。それー」

猛獣の遠吠えのようなエンジン音が響くと、すぐにガードレールが迫ってきていた。

「ブレーキ。ヒールアンドトゥー」
「ちょ・・ちょちょちょ・・・サラさん。いくらなんでも速すぎ。ぶつかる!」

ぶつかる! と思った寸前のところで車は横にスライドし、カードレールスレスレの所を走り抜けていった。
ガードレールと車は五センチと離れていない。本当にギリギリのところを車は流しっぱなしで駆け抜けて行った。

「どうです。良太さん。今のブレーキングドリフト完璧だったでしょ? じゃあ次のSコーナーは慣性ドリフトで行きますよ。それー」

猛スピードで車は加速し続け、そしてカーブに差し掛かると車が右に滑り始めた。
車は右に横向いたまま、スケート選手のように可憐に滑りながらカーブを抜けていく。と思ったら今度はいきなり車が左を向き始めた。
滑りながら車の向きが変わったのである。

「ふふふふ! 決まりました。どうです? 今のドリフト完璧でしたよねー」
「く・・車って、こんな動きができるんだ・・知らななかった」

右へ左へ滑り続ける車。車ってこんな動きができるんだ・・・知らなかった。

「大丈夫ですか? 良太さん? なんだか顔色が悪いですよ」
「ちょっと・・・怖くて・・・」

ようやく私有地を抜けたのか。車は滑るのをやめ普段通りの運転に戻っていた。
だけど、俺の体はボロボロ。なんかもう三日分働いたみたいにクタクタになっている。

「もう! しっかりしてくださいよ。あれぐらいのことでへたばっていたら、この先やっていけませんよ」
「と言われても・・・」
「はい。そう言っていたら着きましたよ。ここが目的地です」
「ああ。着いたのね」

一般道を5分ほど走ると車は地下駐車場を走っていた。どうやらここが目的地らのようだ。
てかここが目的地なのね。正直もう帰りたいんだけど、これからが本番なのね。

「はい。ここで少し汗を流していきましょうねー」

そう言って連れて来られたところが機械類が並ぶ異様な空間だった。

「シルバージム? ここってジムじゃん」
「はい。そうです」
「え? でもなんでジム?」
「お嬢様の護衛を務める以上、体力をつけなければなりません、これもメイドと執事の嗜みです」

なるほどメイドは、お嬢様の護衛もかねているという事ね。
そう考えるとメイドも大変だな。まあ俺には関係のないことだけど。

「なに言っているのです? 良太さんもやるんですよ」
「え? 俺もやるの?」

心を声を見透かされたように、サラさんは平然とそんなことを言ってきた。だけど、俺は・・・。

「なあ。俺は小人なんだよ。体なんか鍛えたってサラさんには敵わないよ。鍛えるならサラさんだけで充分でしょ」

そうなのだ。情けないことに俺は男であるにもかかわらず、サラさんの指にも勝てない、ひ弱な男。
まあ、これは体格差があり過ぎるのが問題なんだろうけど、体を鍛える意味は無いように感じる。
どんなに鍛えたってサラさんの指にさえ敵わない。小さな虫のような存在。
いくら虫が鍛えたところで、サラさんの200倍もの体格に勝てるはずがない。

「そんなことありません。どんな小さな男でも鍛えたら、絶対に強くなりますし、それに精神にもいい作用があるんですよ。メイドと執事は心身ともに健康でないといけません。
 さあさあ、良太さんも一緒に鍛えましょう」
「え? でも・・・」
「これもお嬢様のためです。お嬢様をお守りするため、強くならないといけませんので・・・まあ、とにかく私が手本を見せますので、見ていてください」

そう言って、サラさんはパケットシートのシートベルトを外してくれた。
てか、俺ってジムに入るまで、サラさんの肩の上にずっと乗っていたんだな。
車の件がヤバすぎて今気が付いたよ。

「これはこれはブロワ家のメイド様。こんにちは。今日はどこの部分を鍛えるのですか? いつものようにお手伝いしますよ」

そうこうしていると、店の奥からインストラクターと思われるジムの職員さんが、サラさんに近寄ってきた。
どうやら、その口ぶりから考えてサラさんはこのジムに何度か来ているらしいな。

「今日はいいんです。一人で勝手にやりますから」
「そうですか? ではなにか困ったことがございましたら、すぐにお声をおかけください。それでは」

深々とお辞儀すると、その人は去って行った。

「では良太さん。そろそろ始めましょうか」

始めると言って、やる気満々だけど、サラさんはジムに入ってもメイド服のまま。
てっきり動きやすい服に着替えると思ったのに、全然着替える様子を見せない。どうしてだろう?

「それはメイドだからです。メイド服のまま鍛えませんと、お嬢様をお守りできないからです」

サラさん曰く、メイド服を着たまま動けるようにしておかないと、お嬢様を守れない。そういう理屈があってメイド服を着たまま鍛えるとの回答だった。
しかし、メイド服を着ながらジムで鍛えるって相当な絵面だ。
他の利用者は軽装な格好で鍛えているのに、サラさん一人だけがメイド服を着ていて、かなり目立っている。
だけど、こういう目立つ行為にサラさんはあまり関心を抱かないらしく、というののサラさんはいつもメイドの格好で買い物に行ったり電車に乗ったりしているから、
メイド服を着たまま、何かをするということに、あまり抵抗を抱かないようだった。

「さあさあ、始めますよ。良太さん。見ていてください。ふん!」

サラさんはパンパンと手を叩きながら気合いを入れると、台の上にあおむけに寝転がった。
そして重りの付いたシャフトを持ち上げている。
これ知っている。確かベンチプレスってやつだ。
サラさんは重りの付いたシャフトを10回ほど上げ下げしているぞ。

「ふー! 結構効きますね・・・はい。では次、良太さん。やってみてください」
「え? 俺・・・・」

そう言われたものの、俺には全く自信がない。というのもサラさんは人間の200倍の巨人であり、東京タワーと肩を並べられるほどの大巨人なんだ。
そんな巨人が重いと感じる物を持ち上げれるわけがない。
サラさんにとってはちょうどいい重さでも、俺からすればつり橋を支えるケーブルのように太く、何トンあるのかわからない超重力級の重りなのだ。

「こんなの持てるわけないよ」
「そりゃそうでしょ。良太さんの非力な体では無理です」

なんというか、カチンとくる言い方だな。バカにされたみたいで気分が悪くなる。

「その代わりに良太さんはこれを持ってもらいます」

差し出されたもの。
それはサラさんの指。右手の人差し指だった。
てっきり、小人用のシャフトを上げると思っていたが、どうやら違うようだ。

「わたしの指を持ち上げてください。これぐらいなら良太さんでもできるでしょう」

サラさんは軽く言っているが、それでもかなり怪しい。
サラさんの指は、長さ13~15メートルで、それはクジラにも匹敵するサイズにもなる。
サラさんの持っている巨人用のベンチプレスと比べたら確かに軽いだろうが、しかしそれでもサラさんの指は人間が持てる代物ではないだろう。

「安心してください。良太さんにも持てる重さに調整しますから」
「俺でも持てる重さに調整?」
「はい。力を抜き、指を軽くしておきますので、良太さんにも持ち上げれるはずです。ちなみにわたし指はかなり繊細な動きができますので、どうぞご安心ください。1キロ単位で重さを調整して差し上げます」

なるほど。確かにサラさんの指は繊細だ。
その証拠に、さっき俺が車に乗った時、シートベルトを指で閉めれるぐらい繊細な動きができる。
となると、かなり繊細な動きができるのだろう。
1キロ単位で重さを調整できるって話も、あながち嘘じゃないのかもしれない。

「1キロ単位で調整できるなら、俺でもなんとかなるかもしれないな」
「はい。その通りです。良太さんの体格に合わせた重さにしてあげますよ」
「なら、いっちょ、やってみるか」
「うふふふ。やっとやる気になってくれましたね。では良太さん。今の体重はいくつですか? 良太さんの体重を教えてください」
「え? 俺の体重? 確か前図った時は65キロだったけど」
「地球の65キロですね。わかりました。では仰向けになって、わたしの指を持ち上げてください」
「ああ。任せておけ」

サラさんの白くて細い指が、俺の真上に降りて来る。
こんなクジラサイズの指が頭上に覆いかぶさってくるのはちょっと怖いが、まあ大丈夫だろう。
俺は幅2メートルもあるサラさんの巨指の腹を二本の腕で支えた。

「じゃあ。力を入れますよ」

と、サラさんが言った瞬間、重さが腕に伝わってきた。
そして俺の腕はすぐに曲がった。曲がって胸の上に指がのしかかってくる。

「え? え? 重い・・・い・・・いでええええええええええええ!!」

え? なにこれ? 岩? 鉄? とにかく重い。重くて胸が苦しい。
俺はサラさんの指に押しつぶされる。
遠くから見ると地面を這いつくばるアリを、人差し指で押さえつけているような、あの図に見える。
くそ! このままじゃあ潰れる。サラさんの人差し指に踏みつぶされてしまう。
なんとかして持ち上げ・・・ダメだ。重くてビクともしない。
サラさんの指は岩のように重く、押し返そうとしてもビクともしない。

「助けてサラさん。助けて。潰れる!」

こうなったら、なりふりなど構っていられない。
俺は殺虫剤を受けたGみたいに、手足をバタバタさせて助けを求めた。

「あら? ちょっと良太さん。ふざけないでください。早く持ち上げてくださいよ」
「そんなこと言ったって。ムリムリ。重すぎて無理。潰れる!!」
「え? 嘘・・・ですよね? でもこれ60キロですよ?」

60キロだって!? 60キロってことは俺の体重とほぼ同じぐらいの重さじゃないか。
つまり、もう一人の俺がのしかかっているってことか。
ふざけんな! こんな重い指。持ち上げれるわけない!

「では一度、放します」
「はあ・・はあ・・た・・助かった。潰されるかと思った」

真っ赤にさせながら肩で息をしている俺。そんな情けない姿を、サラは冷めた目で見つめている。

「あの・・良太さんって、これまで運動の御経験は? 学生時代は運動部でしたか?」
「いいや、違うけど。運動部にはいなかった」
「・・・ではベンチプレスの経験は? ジムとかに来たことあります? 体を鍛えられた御経験とかは?」
「そんなのないよ! ベンチプレスなんて今日初めてやった」
「・・・・はあ・・・これはかなり深刻ですね・・・」
「なんだよ。なんか文句あるのかよ。だいたい60キロなんて持ち上げれるわけねえだろ」
「そうですかね?」

ジト―・・・という音が出るぐらい、ジト目で見つめてくるサラさん。
口には出さないが、彼女の気持ちは軽蔑と呆れでいっぱいといった感じ。

「そんな疑う目で見るなら、サラさんがやってみろよ。どれだけきついかわかるからさ」
「60キロですか? 60キロは・・・私には重すぎて持てません。無理です」

呆れて物も言えない。
なんて、わがままなメイドなんだ。
自分はできないくせに、なんでこの俺がやらなきゃならないんだよ。

「60キロは持てませんが、しかし良太さんの体重を考えれば可能なはずです」
「・・・どういうこと?」
「ベンチプレスという物は、その人の体重で決まるのですよ」
「その人の体重で決まる?」
「さっきわたしがやっていた、ベンチプレスは40キロでした。ちなみにわたしの体重は45キロぐらいです。つまり自分の体重とほぼ同じ物を持ち上げていたのですよ」
「自分と同じ重さ? つまりサラさんの腕力で考えれば、俺も60キロぐらいのベンチは上がるはずって言いたいのか?」
「はい。しかも男の人の方が胸の筋肉が多いので、わたしから言わせれば60キロでも軽すぎると思ったくらいです。60キロからスタートして徐々に重くして行こうと考えていましたのに、
 これではお話にもなりませんね・・・」

サラさんは呆れたように両手を広げて、やれやれといった仕草をしている。

「ちょ・・ちょっと待ってくれ! え? サラさんって40キロのベンチプレスをやっているの?」
「はい。最近ようやく上がるようになりました」

40キロ? それって結構すごい数字なんじゃ?
俺は自分のスマホを取り出して、ある言葉を検索した。
ベンチプレス平均という文字を検索してみる。

男性40キロ。女性20キロ

これがベンチプレスの平均重量だとネットに書いてあった。

「え? 女性の平均は20キロ? ということはサラさんって平均的な女性の二倍の力があるってこと? すげえ、めっちゃ力持ちじゃん」

流石はブロワ家のメイド。頭がいいだけじゃなく腕力も強いようだ。

「自分の体重も持ち上げれないとは・・・情けない良太さん。ここまでひ弱とは思いもしませんでした。うふふふ・・・」

口元を抑え蔑んだ目のサラさん。
腹黒のサラさん(俺が勝手に呼んでいる)のお出ましだ。
しかし、なんというか・・・悲しい。
俺って女の子より力が弱かったんだ。
今まではサラさんが巨人だからとある程度諦めがついていたが、同じ条件の力比べに負けるとなると、やはり話が変わってくる。
ショックは結構大きいよな。

「しかし、良太さんがよわよわの、だらしない男だと早めにわかって助かりましたよ。運動経験が全くないなら伸びしろしかないですね。これは鍛えがいがあります・・・うふふふふ」

うつむきながら目を光らせるサラさん。腹黒のサラさんが全開になる。

「も・・・もう疲れたからさ。帰ろう。お嬢様とまゆみさんが屋敷で待っているよ。ね?」
「うふふふ。なにを言っているのです。こんなひ弱な体でどうするのですか? うふふふ・・・筋肉をつけないといけませんね。
 筋肉を・・・うふふふ。良太さんの下半身から上半身までキッチリ全てオールアウト(限界まで追い込むこと)まで追い込みますので、そのつもりでいてください」
「やめろ・・やめてくれ。サラさん。俺は運動が苦手なんだ! やめろおお。潰されるううううううううう」






***********

そんなことんなで、ジムではとんでもないことが起こっていたがブロワ家の屋敷は至って平穏であった。

「すごい。やっぱり赤いドレスは素敵ですね」
「うん。やっぱ赤色わたしも好き」

??? ここでようやく、お嬢様は気づいた。イータとサラがいないということに。

「イータは? イータはどこ?」
「イータ? ああ。飯山さんのことですね? そういえば姿が見えないですね」
「サラ。サラ。どこ?」

お嬢様に言われて、ようやく気付いたのか、まゆみさんも辺りを見渡し、サラさんのことを探した。
しかし、近くにはいないようだったので、お嬢様は廊下に出てサラの名前を呼ぶ。

「サラ」

しかし、お嬢様がいくら呼んでもサラは返事をしなかった。
廊下にもいない、それならばと、キッチン、応接間、サラの部屋など思いつくところは全部調べてみる。しかしサラの姿はどこにも見えない。
それにイータの姿もない。二人して、どこかに行った。そう考えるのは自然か。

「イータあああああ、それにサラあああ!」

お嬢様の頭に血がのぼる。
屋敷の主人である、わたしを差し置いて、どこかに行っちゃうなんて。下働きのくせに生意気な!
こうしてはいられない。すぐにサラを追いかけよう。

「そこの地球人。出かける。ついてこい」
「え? でも・・・え・・えええ!!」

有無を言わさず、まゆみさんの腕を引っ張り、外に出かけるお嬢様。

「むうー、やっぱり車が一台無くなってる」

ガレージに止めてあったスポーツカーが無くなっていたので、お嬢様のお顔がますます膨れて言った。
そしてセダンタイプの車にキーを差し込みエンジンを回す。

「あ・・あなたが運転するのですか? え・・でも大丈夫? 免許はちゃんと・・・」
「心配ない。サラから教わった」

こうして、お嬢様とまゆみさんは屋敷から出て行った。


**********


「はあ・・はあ・・腕も脚もパンパン。もうダメ。死ぬ・・・」
「うふふふ。だらしない良太さん。まだ初めて10分も経っていないのに。ですが腕が張るのは筋肉に効いている証拠。よく頑張りましたね」

とかなんとか、調子のいいことを言っているけど、こっちは何度サラさんの巨指に押しつぶされそうになったか、わからないのに呑気なものだ。
地面の上にグデーンと寝転がる俺をメイドのサラさんはしゃがみながらクスクスと笑っている。

「うふふふ。では良太さんは椅子の影に隠れて休憩でもなさっていてください。わたしはあそこでスクワットしてきますので、それでは」

うへえ。サラさんまだ鍛えるの? 元気だな。こっちは10分動いただけでヘトヘトなのに・・・。
流石はお嬢様のメイドといったところか。

「ねえねえ。今日は何キロやる?」
「えー、前と同じのでいいかなー」

サラさんが去って行くと、それと入れ替わるように、若い二人組の女性がこっちに歩いてきた。
ショートパンツを履く二人の巨人が、怪獣のような地響きを立てながら歩いてきている。
だけど、その二人どうやら俺の存在に気づいていないらしい。
一応、危ないから椅子の下に逃げておくか。椅子の下に隠れていたら踏みつぶされることもないだろう。

「ここの椅子空いてるよ」
「ああ。ありがとう。水分補給は大事だからね。一服ついてから、やるわー」

ズム!と、地面である椅子が大きく揺れる。
歩いていた、あの二人が椅子の上に座り込み、その生足を滝のように椅子の上からさらけ出していた。

「前さー。こんなことがあってさー」
「え? そんなことがあったの? 大変だったねー」

二人は椅子に座りながら談笑している。
もちろん、椅子の下に俺が隠れていることも知らずにだ。
しかし、この光景・・・たまらん。
ショートパンツから飛び出した、むき出しの生足が映画館の大スクリーンのように広がっている。
片方の足だけでも両手で覆えないぐらい太い脚なのに、この程よい肉付きの脚はなんだ?
こりゃたまらん。これが鍛えている女の子の脚か。そんな綺麗な脚が手を伸ばせば届く距離に広がっている。
健康的な生足が椅子に座りながらブラブラと揺れている。
それがまた男を誘惑しているみたいで、たまらない。
地面に這いつくばりながら至近距で見上げる、ふくらはぎの裏側はまさに絶景。
こんな光景滅多に見られるものじゃないぞ。

「さあ。そろそろやりますかー」
「うん。今日も鍛えるよー」

ズンズンと、怪獣のような地響きを立てながら、二人の女性たちは去って行く。
ああ。行っちゃった。できたらもう少し小麦色の生足を見ていたかったのに残念。

「うふふふ。なにが残念なんですか?」
「いやあ。もう少し見ていたかったなあって・・・」

入れ替わるように黒いタイツが現れた。そしてこの声は・・・」

「げっ! サラさんいつの間に?」
「うふふふ。わたしがちょっと目を離した隙に・・・一体何を見ていたんですか?」
「あはっはは・・・・それじゃあ!」

俺は回れ右をして逃げることにする。

「うふふ。どこへ逃げようというのですか?」

背中を見せたのが早いか遅いか、俺の背中を掴まれ空中へと連れさらわれる。

「良太さん。さっきのはなんなんですか?」
「え? さっきの・・・一体何のことかな?」

自分の身長ほどのある、大目玉がギロギロと睨みをきかせて来た。
これは言うまでもなくサラさんの目玉。
大蛇よりも巨大な目が、俺の体を突き刺すように睨んでいる。

「うふふふ。椅子の下から脚。見ていらっしゃいましたよね?」

ギク! しまった! やっぱり見られていたか・・・。

「どうやら図星のようですね。うふふ・・・ほんと良太さんってスケベさんですね」
「そんなこと言ったって仕方ないだろ! 向こうから勝手に脚を出してきたんだからさ」
「うふふふ。問答無用です」

体を挟んでいる指に力が込められた。サラさんの奴、俺の体を握りしめる気か?

「おい。やめろ。やめろ。力を入れるな! 俺を握ろうとするなー」
「うふふふ。握っちゃいます」
「ぎゃあああああああああ!!」

アリを握りつぶすような要領で、俺の体を握りしめて来る。
ぶっとい指が体を締め上げてきた。まるで大蛇に巻き付かれた気分になる。
巨大なサラさんの指がとぐろを巻き、俺の体をひねり潰そうとしているのだ。

「うふふふ。良太さん? いかがです? 苦しいですか?」
「く・・苦しい・・死ぬ・・」
「では、お仕置きはこのぐらいにして、はい。良太さん。罰として、わたしの指を持ち上げてください」
「なんで・・また指を・・・」
「うふふふふ。持ち上げないと本当に肋骨しちゃいますよ? いかがです? もっと締め上げちゃいますよ?」
「わかった。わかった、持ち上げるから」
「ぐぬぬぬぬ」
「うふふ。はい一回。あと20回ですよ。はい。一回、二回」

くそ。なんでだよ。なんでまた、ベンチプレスの真似事みたいなことをしなきゃいけないんだよ。
ダメだ。これ以上はもう腕が上がらない。

「イータ! それにサラ!」
「あ・・・」

鬼が二人に増えた。
サラさんの背後に、どす黒いオーラを放ったブロワお嬢様が立っている。
こわ。普段でも怖いのに、今日のお嬢様はいつも以上に怖いよ。

「へー、ここがジムですか? 始めて来ましたけど、すごい所ですねー。機械がいっぱい」

鬼のように恐ろしい、お嬢様とは対照的にのほほんとした声が聞こえる。
お嬢様の後ろには、まゆみさんもついてきていた。
しかし、今のまゆみさん。でっかいなあ・・・。
いつもはおとなしそうで、小動物みたいなのに・・・今のまゆみさんもかなり・・・怖い。
今のまゆみさんはお嬢様と同じ立派な巨人で、堂々とした姿で立っている。
まあ、本人からすれば、ただ立っているだけなんだろうが、それでもやはり大きいものは大きい。
小人が逆立ちしても敵わない。巨人の腕力を持っているというだけで怖いのだ。
こんなのいつもの、まゆみさんじゃない。
こっちに近づいてくるだけで、思わず後ずさりしてしまうような圧倒的巨人に俺はビビっている。

「サラ。イータを勝手に連れ出しちゃダメ。それにイータも! 勝手に出かけちゃダメ」
「そんなこと言ったって。無理やり連れて来られたんだからしょうがないだろう」

俺はベンチプレスしながら、お嬢様にそう言い返した。
うん? そういや今の俺って、サラさんの指を持ち上げているんだな・・・。

「むっ! イータ。それにサラ。二人で何してるの? またイチャイチャしてる」

サラさんの指の腹を上げ下げする俺。
それを見たお嬢様の顔はフグのように膨れて言った。あ・・これめっちゃ怒っている時の顔だ。
早く誤魔化さないと、またひどい目に合うなこれ。

「いや、違う。お嬢様。これはベンチプレスっていう、筋トレの一種で、決していやらしいことでは・・・」
「そうなんです。お嬢様。よよよ・・・聞いてください。実は良太さんが無理やり私の手を・・・」
「イータが? む・・・むう! むうううう!」

なんだ。なんだ! サラさんのやつ、嘘ばっかり言いやがって・・・。
それにお嬢様の顔。フグの顔から今度はゆでだこみたいに真っ赤になってきたぞ。
あ・・・これ完全に怒っている顔だ。

「聞いてください。お嬢様。良太さんがですね。わたしの手が白くて綺麗だから是非舐めたいと・・・もちろん最初は断ったんですよ。ですが、あまりにしつこく頼んでくるので断り切れず・・・よよよ」
「よよよ・・じゃねえ! なんだよ。サラさん。勝手なことばっかり言って・・・・あ」
「イータあああああああああ!!」
「ひえええええええええ!!」
「うふふふ。他の女の子の脚を見た罰です。良太さん。しっかり反省してください」

くっそ! やっぱりサラさんの奴。嘘をついたな。
サラさんの奴。小悪魔みたいにウインクしながら舌を出している。
だけど、そんなこと言ってる場合じゃねえ。背後からお嬢様が・・いや破壊神が迫ってきているんだ。

「イータ。待て。許さない」
「ひええええ!」

お嬢様の履く、ミドルヒールの靴が、俺の頭上に振り落とされる。
真っ赤なお嬢様のミドルヒールのかかとが、俺の体を串刺しにしようと、上から何度も何度も振り落とされた。

「死んじゃうって。お嬢様。そんなことしたら本当に死んじゃうって」
「うるさい。イータああああああ!」
「ぎゃあああああああああ!」

こうして俺は地面を這いつくばる虫のように逃げ回り、お嬢様の赤い靴から逃げ回っていた。
そんな様子をサラさんは口を押えながら高みの見物をしている。
その隣に立っている、まゆみさんはなにが起こったのかわからず??といった感じでキョトンとしていた。