俺の名前は鈴木秀樹。職業小説家。
今俺は締め切りに追われていた。

「鈴木先生。なんとしても今日中に50ページ書いてください。締め切りがもう迫っているんですから」
「いいや。うちの出版社が先だよ! 鈴木先生。うちの原稿を先にやってください。今日の正午までに50ページ仕上げてくれないと私。首をくくらないといけないんですから!」
「なにを言うか! うちの方が先だ。うちはね。昨日からずっと徹夜で待っているんだよ。よその出版社に横入りされたくないよ」
「こっちだってそうだよ! うちは一昨日からずっと張り込んで、もう4日も家に帰ってないんですよ。うちの方が先に書いてもらいますからね!」
「なにを!」
「やるか!」

編集者たちはもめにもめていた。
うちが先に書いてもらうと両社譲らず取っ組み合いの喧嘩まで始めている。

「やめてください。静かにしてください。うるさくて小説が書けないですよ」
「「喧嘩になったのは先生のせいです。静かにしてほしかったら早く原稿を仕上げてください」」

編集者たちは聞く耳を持たない。みんな、うちが先だと言って譲らない。
でもね。書いている俺の身にもなってよ。
後ろでぎゃあぎゃあ騒がれると、うるさくて全然集中できない。
書けるものも書けなくなってしまう。

「先生。なにペンを止めているんですか?」
「早く書いてください。さもないと、真っ白な雑誌を刷ることになるんですよ」

ああ。もううるせえ。大声で怒鳴るなっていうの。
こうやって後ろを怒鳴られ喧嘩なんて始められたら小説が全然かけない。
仕事の能率も下がるし、ストレスがたまるし、あと徹夜続きで眠いしでイライラする。

(ええい。こうなったらヤケだ。逃げる)

「ちょっとトイレへ」

こんなところで仕事なんてできるか!
ということで俺はトイレに行くふりをして宇宙船に逃げ込んだ。
これに乗って宇宙へ逃げようと思う。

「どこへ行くんですか? 先生」
「先生! まさか逃げるおつもりですか?」

げ! もうみつかった! 
編集者がこっちに走って来ている。

「お・・・お前と一緒に避難する準備だ!」
「先生。そんな死亡フラグは通用しませんよ」
「そもそもあんたは戦闘民族じゃなくて小説家でしょうが! ふざけないでください!」 
「はっはっは・・そうですね。ではお二人さん。さようなら」

ぴ! 宇宙船のスイッチを押す。
するとドー! という音と共に宇宙船が発進する。
人がアリのように見え、そしてそのアリさえも見えなくなって、今や地球の表面の大陸が眼下に映っている。
俺は編集者を巻くことに成功していたのだ。

「やったー! やったー。編集者から逃げきれたぞー。これで俺は自由になれる―・・・・と思ったけど油断はできないか」

編集者は地獄の底まで追いかけて来る。
一時的に逃げられても、すぐに編集者に見つかって缶詰にされる。
そう言う話をよく聞いてきたので対策を練らないといけない。

「さてどこへいくか? でもどうせ行くなら誰も知らないようなマイナーな星にでも行くか。でもどうせなら、そこそこ治安のいい星に行きたいな」

有名な星に逃げると、すぐに編集者に見つかるし、しかしだからと言って治安の悪い星になんか行ってはいけない。
もし治安の悪い星なんかに逃げたら、誘拐、殺人、もしくは身ぐるみはがされて地球へ帰還できなくなる可能性もある。
そう言った星を除外して考えると、候補地がかなり絞られてくる。

「となると行ける星はだいぶ絞られてくるが・・・巨人の星ね」

ある星がヒットする。しかしその星は巨人の星と呼ばれる。いわくつきの星で。

*


惑星No44998924

<惑星松富士>

治安     ☆☆☆☆☆
経済規模   ☆☆☆☆☆
文明レベル  ☆☆☆☆☆
住人モラル  ☆☆
気候     ☆☆☆
ライフライン ☆☆☆☆
観光業    ☆
お勧め度   ☆
知能     ☆☆☆☆
力      ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


巨人の星松富士。松富士人は200倍の巨人で女しか存在しない種族。
身長はおおよそ300メートルから330メートルが平均身長とされる巨人族。
巨人族である、松富士人は女しか存在せず、他星系の星から流れ着いた男を保護し、精子を分けてもらい種を存続してきた。非常に珍しい種族。
松富士人は多産性のヒューマノイド。一度に8人から10人ほど出産する。これは受精する機会が極限にまで少ないため多産性になったと考えられる。
松富士人の力は宇宙最高ランクの☆20 松富士人一人で戦艦一隻分の力を持っているとされる。
治安は比較的よく犯罪率も低めの傾向。
殺人や強盗などの凶悪犯罪は非常に少なく、スリや置き引きなどの軽犯罪もあまり起きない。
治安は非常によい星だが、その一方で男に対する執着心は強く、男は例外なく星から出ないように引き留められるので、一度入国したら出国するまでかなりの時間を要する。
そのため安易に近づくことはお勧めできない。行かない方が無難な星。


*

行かない方が無難な星か。そう宇宙コンピュータが表示されている。
なるほどね。行かない方がいいなら、行かないか。
うん。この時までは思っていたよ。この時まではね。

ビービービー!

<燃料タンクに損傷を発見。修復不能と判断しました。これより星に降下します。目的地。松富士に自動設定されました>


えー! 宇宙船の故障!? それも燃料タンク!
宇宙船は燃料切れ。それにより目的地が自動的に設定される。目的地は松富士。さっきコンピュータが安易に近づくなと書かれた巨人星松富士だ。

「うえええ。巨人の星なんかに行きたくないよ。でも宇宙船が勝手にそっちに向かってる! もうダメだ!


*


「こ・・ここは・・・」


どこかの地上へ、どうやら不時着したらしい。
窓から外を見ればグレーの地面が広がっている。
しかし地上にしては変な場所だ。建造物が何一つ見えない。地平線しか見えない不思議な場所。ここは一体どこだ?

「うーんむにゃむにゃ・・・」

ズズズと轟音が響く。見ればそこに巨人が居た。
目測300メートルほどの超巨大生物。超巨大巨人が宇宙船の前に眠っていた。
これが巨人族松富士人。
一人で戦艦一隻とタメを張れる巨大な力を持つ生きる兵器。生きる戦艦という恐るべき種族が眠っていた。
どうやら俺は巨人が住む星に、いつの間にか着陸したようで、ここは受付カウンターのようだった。
デパートの受付か? それとも空港の受付かは知らないが、どこかの受付カウンターに宇宙船が不時着しているようであった。

「これが松富士人。巨人族の体か・・でけえ・・・」

手を重ねながら眠る巨人。
その巨人の格好は、いかにも受付嬢のような格好をしており、バラのように真っ赤な制服に胸元にはリボンをつけていた。
空港の受付嬢か、デパートの受付嬢のように見える。
だが、この人がどんな人だろうと今は関係ない。
それよりも・・・

「で・・でけえええええええええ!」

デカい。デカすぎてめまいがしてくる。それが率直な感想。
安らかに寝ている巨人。
その重ねられた、あの指さえも厚さ2メートルはくだらないだろう。
指一本が俺の身長よりも確実に高い、像にも匹敵する巨指だった。
手の甲に上に乗せられた、顔は山のようで顔だけで自然物のような雄大さだ。
目測で40メートルぐらいはありそうな巨顔が俺の目の前で寝息を立てながら眠っている。
正直巨人族の寝息だけで体が吹き飛ばされそうになる。

「こ・・・これが巨人族・・・」

眠る巨人を宇宙船の中から見ている俺。
巨人の寝息は、まるで温泉の湯けむりのようで宇宙船の窓が曇るほどの勢いで噴き出している。
そんな巨人の顔を真下から見上げていたから、巨人の鼻の穴がぽっかりと見えてしまっていた。
若い女の鼻の穴を真下から、しかも間近で見る機会なんて、今までになかったから背徳感が凄まじい。本当にこんなものを見てしまっていいのかという罪悪感がこみ上げてくる。
あの鼻の穴の中に、人間が何人も重なって入れるほどの大きさだし、怖えよ・・・。怖い。怖すぎて震えて来る。
しかも巨人と俺との差は目と鼻の先。
比喩ではなく、本当に目と鼻の先にいるのだ。
手を伸ばせば巨人の指に触れてしまいそうな、いや巨人が少しでも身じろいすれば、あの巨人の顎に下敷きになってしまう距離に俺はいる。


「すー・・すー・・・」

安らかに眠る巨人。
巨人は赤ん坊のように、なんの悩みもなく安らかな顔で眠っている。
しかし、その巨人の眼下には俺という小人がうろついている。
眠っている巨人は寝ているのに、俺という小人の存在に気づいていない。
もし巨人族が目を覚まし、小人に鼻の穴を見上げられていると気づいたら、一体どう思うだろうか・・・。

「きゃ! 痴漢よ。誰か。誰か来て! 死ね。痴漢の小人!」

なんて言われて小虫のように叩き潰されるかもしれない。
あり得る話だ。
なぜなら今の俺は眠っている女子の顔を黙って見ているからだ。
寝ている女の子の顔を、しかも鼻の穴を間近で見るなんて痴漢以外の何物でもないだろう。
痴漢! と言われても弁明の余地はない。
巨人族に痴漢に間違われ、そのまま虫のように叩き潰されても文句は言えない。
しかも巨人族である松富士人は全長300メートル。
たとえ若い女であっても、その力は戦艦一隻分もあるのだ。力では絶対に敵わない。
戦艦一隻と生身の人間が戦って勝てるはずがなかった。

「どうしよう? このままじゃあ痴漢に間違えられる!」

とにかくだ。
今、ここから離れよう。さもないと殺される。

「うーんむにゃむにゃ」

逃げようと思った矢先、巨人が身じろいをした。
手を伸ばし、その手が宇宙船に激突する。

「うあああああああああ! 落ちる!」

手の甲が宇宙船に激突し「くの字に」曲がると地面に落下していく。そして地面に激突。
地面に激突した宇宙船は外観が変形するほど激しいダメージを受けたが、幸い宇宙船内部はクッション素材になっているので俺自身の体に傷がつくことはなかった。
だけどそれで助かったかと言われれば、そうとは言い切れず。

「って、全然やれやれじゃねえ! なんだあれ!」

一難去ってまた一難だ。
今度は超巨大パンプスが宇宙船に覆いかぶさって来た。
燃えるように赤いパンプスが迫ってきている。
忘れていたがここは巨人の星。テーブルに眠っているのは巨人族の足元に宇宙船が落ちていた。
無情にも巨人族は足を組み替えていたようで、その組み替えた足が宇宙船の真上に踏み下ろされようとしていた。
全長46メートルの巨足が宇宙船を容赦なく踏みつける。

「うーん・・・」

ぐしゃ! メリメリメリ・・・

巨人は寝たまま足を組み替え、体重をかけて来た。
「くの字」に変形していた宇宙船を、その足でさらに押しつぶして行く。
「くの字」から「1の字」に押し潰される宇宙船。
丸かった宇宙船は棒みたいに引き延ばされ宇宙船の内部から部品が散らばった。



*

宇宙人の入星管理というものは退屈な職業だ。
惑星、松富士を訪ねて来る宇宙人は多くなく、一日ゼロ人という日は珍しいことではない。
一日の大半を待って過ごす多く、退屈過ぎて眠くなることもよくあった。
それにこの日は、特に退屈で眠たかった。
昨日深夜まで飲み明かしたことが原因で寝不足が祟り、少しだけ居眠りを・・のつもりで熟睡してしまった。

「うーん・・うーん・・・あら? あらら・・・これは?」

ここで巨人族のお姉さんは目を覚ました。
あくびをして伸びそすると足元に違和感を感じた。

「なんだか足元がゴロゴロするわ?」

なんだろう? プラスチックのような物が足元に転がっているような気がする。
なにかと思って、机の下を覗いてみると、靴の裏から小さな宇宙船が出て来た。
この宇宙船は・・・間違いない。
小人の乗る宇宙船だ。

「え? え? もしかして宇宙人さん。大丈夫ですか。生きています?」

巨人族のお姉さんはようやくここで目を覚まし、自分がしたことに気づいた。
うっかり居眠りをしている所に宇宙人のお客様がいらした。
これは珍しい。何か月ぶりのお客様だろう?
だけど、今はお客様の来訪を喜んではいられない。
宇宙船がペシャンコになっていることから、わたしは大変なことをしでかした!

「げっ! やばい。人がいるわ・・・・」

まさか入星審査官の、このわたしが宇宙人のお客様を踏み殺した?
こんなことが上にバレたらどうなるか?
少なくとも辞職ぐらいじゃ済まないだろう。
居眠り、業務怠慢、器物破損、殺人、暴行などなど、その罪は数え切れない。
刑務所行きになっても文句は言えない大罪だ。

「申し訳ありません。お客様。お怪我は? お怪我はありませんか?」


*

お客様。お客様。お怪我は?

そんな声が耳に入ってくると、鈴木秀樹がむくりと体を起こす。

「ここは・・・」

意識が戻ると、むせ返りそうになった。
見れば宇宙船の窓が曇っていた。雲って視界が奪われていた。
宇宙船が蒸し焼きのように蒸されて、まるで熱帯雨林のような蒸し暑さになる。
温度は32度を指していた。明らかに異常な気温上昇。
それに宇宙船が小刻みに震えているような気がするし、もうなにがなんだか・・・。
ここどこだよ?

「ああ、よかった。お客様。お気づきになられましたね?」
「うああああ。お・・落ちる!」

雷鳴が響く。雷のような揺れと振動が襲い掛かった。
雷鳴と共に宇宙船が異様に揺れ始めた。
鈴木秀樹は知るよりもなかったが、巨人のお姉さんは宇宙船を摘み上げ、その宇宙船を左右に振っていた。
まるでガチャポンの中身を確かめるように、宇宙船を左右に振って、小人鈴木秀樹を宇宙船から外に出そうとしていた。

「うあああ! 揺れる!」

鈴木秀樹は力の限界だった。振り落とされないと、必死に握っていた、手すりを思わず放してしまう。
宇宙船から強制的に降ろされる鈴木。彼は吹っ飛ばされ巨人族のお姉さんの手のひらの上に落下した。

「ひえ!」

そこは純白の大地だった。
お姉さんが付けた白手袋の上だった。
そこは真っ白な大陸。お姉さんの血の通った手袋の上。
それに気づいた鈴木は悟った。殺される・・・と。
そう直感した彼はお姉さんの手袋の上を走って逃げた。
しかし、ここは巨人の手のひらの上。
どれだけ走っても結局巨人の手の中。逃げたうちには入らない。
一方巨人のお姉さんから見た小人を逃がさないようにするのは実に容易いことで、指を「ひょいっ」と指を曲げただけでOKだった。
お姉さんが指を曲げただけで、これまで平らだった大陸が丸まり、指が作った断崖絶壁に鈴木は行き場を失うことになる。

「地面が動くだと・・・」
「よかった。元気そうで安心しました。あら? もしかして、あなた様はもしかして・・男ですか? ちょっとスキャンさせてください」

スキャンと称して鈴木秀樹の股間に機械を近づける。
機械はレントゲンの装置であり、レントゲン撮影することで鈴木秀樹の男の象徴を確認する。
レントゲンに移る影。パンツの中に、もっこりとした一物の影が映っている。
間違いない。本物の男だ。

「やっば! 本物の男。混じりっけなしの本物。しかもこの人。かなり若いみたいだし将来性も抜群じゃない! やばい。やばい。どうしよう・・・伝説の生き物が実在している・・・」
「あ・・・あの・・」

慌てる巨人族。それを見て俺はなにがなんだかわからず、言葉にもならないような曖昧な言葉を言った。すると

「きゃあああああああああああああああああ! しゃべったあああああああああああああああ!! 本物の男オオオオオオオ! 精子をたっぷり蓄えた、いやらしい生き物おおおおおおおおお」

悲鳴をあげる。
喉が裂けるぐらいの勢いで叫んでいる。うるせえ。巨人だからその音量は半端じゃない。
宇宙船が揺れるほどの大音量に思わず耳を塞ぎ、その場にうずくまった。

「ごほん! つい・・大声を出してしまいました。謹んでお詫びいたします。えーっとごほん! 初めまして。わたくし惑星松富士で入星管理官をしております。管里島子と申します。以後お見知りおきを」


大声で叫んでいたかと思ったから、この変わりようだ。
下品な大声は影を潜め、営業トークでそう言ってきている。 
何だこの人・・・。情緒不安定なのか?

「お客様は永住希望のお方ですか?」
「いえ。永住とかそんなんじゃなくて燃料が切れてしまいまして・・その・・・」

無難にそう答えているが内心ひやひやだった。
痴漢のことを追及される。さっき鼻の穴を見上げていたことが、今にバレないかと思うと生きた心地がしない。

「はあ・・はあ・・男・・男・・若い男・・・おちん・・・」

営業トークの次は野獣に目だった。
お姉さんは両手を頬に当てながら、はあはあ・・言っている。
目も♡に変わっているし、なんだこれ・・気持ち悪い。

「おちん?」
「いえ。ごほん。おちんとは大阪弁でお座りという意味です」
「はあ・・そうなんですか?」
「ごほん。ええー。それよりもお客様は燃料が切れて惑星松富士に来られたのですね?」
「はい・・一応。あの!」
「はい。なんでしょうか?」

迷ったが、やっぱり言おう。痴漢まがいなことを謝罪しよう。
今言っておかないと今後後悔する。

「実は俺、わざとじゃないんです」
「わざと・・わわわ・・・わざととといいのは・・その・・あの・・・」

謝罪を受けているはずの松富士人の方が、なぜか慌てていた。
寝顔を見られて嫌な思いをしているのはお姉さんの方なのに、なぜこんなに慌てている?
俺には理解ができない。

「申し訳ありません。お客様。お客様の宇宙船をぐしゃぐしゃに壊してしまいました。つきましては後ほど弁償させていただきますので、どうかご容赦のほどを」

謝った俺の方がなぜか謝られていた。
だけどこれは理解できる話。
俺の乗っていた宇宙船を壊されたのは事実だからな。

「この件に関しましては、是非ともご内密に。お客様の宇宙船を破壊し、勤務中に眠っていたことが上にバレますと私の立場が・・・最悪牢屋行になりますので」
「ああ。そういうことですか。いいですよ。弁償してくれるのなら何も言いません。それよりあなたの寝顔を見たことは・・・」
「寝顔? 寝顔とは一体何のことですか?」
「実は俺、あなたの寝顔を見てしまったんです・・・だから・・その・・嫌な思いをしたのかと思いまして・・・」
「ええ? わたしの・・あっはっはっはっは!」

お姉さんは笑い始めた。狂ったように笑っている。やっぱりこの人情緒不安定なのかもしれない。

「そんなの全然気にしていませんよぉー。寝ていた私の方が悪いのですからー。全然ですー」
「そ・・そうなんですか?」
「むしろ嬉しいと言うか、恥ずかしいと言うか、こんなことになるなら、もっとお化粧を頑張ったらよかったというか、
 昨日お給料を貰ったばっかりだし、新品の服を着てきたらよかったのかしら? あ、そうだ。そろそろ美容室に行きたいと思っていたから、ちゃんと髪を整えた方がもっとよかったとか、
 あとあと・・・ペラペラぺラ・・・・」

めっちゃ早口で言ってそう。よくしゃべる人だな。

「というわけで、こんなお見苦しい姿を見せてしまい申し訳なく思っています。はい・・・・。」
「はあ・・・」

謝ったはずの俺が逆に謝られていた。なんだか変な気持ち。

「それよりお客様」
「はい。なんですか?」
「お客様は燃料が切れて松富士に来られたんですよね?」
「はい。そうなんです。でも肝心の宇宙船が・・・」

お姉さんに踏みつぶされた宇宙船。原型がないぐらい、ぺっしゃんこに潰れたら、もう飛ぶことはできないだろう。

「重ね重ね申し訳ありませんが、今すぐ新しい宇宙船をご用意するのは難しいかと。それまで松富士の方に滞在ということになりますが、そこはご了承ください。はい。申し訳ありません」
「ああ。やっぱりそうなりますか?」
「はい。本当に申し訳ありません」

新しい宇宙船ができるまで松富士に滞在か。
でもそれも案外いいかもしれない。
こんなへんぴな星に滞在すれば、あのうるさい編集者もやってこないだろうし、今流行りのワーケーションになって仕事も捗るだろう。

「あの一つ質問いいですか?」
「はい。なんでも言ってください」
「失礼ですが、この星ってほとんど観光客来ませんよね? 実は俺、事情があってあんまり他の人と会いたくないんです」
「誰にも会いたくない? それはつまり誰かに追われているから? お客様は犯罪者。もしくは借金を踏み倒して逃げているとか?」
「そんなんじゃないですよ。ただ今は人と会いたくないだけです。それよりどうなんです? 観光客は来るんですか?」
「お察しの通り、ほとんど環境客は来ませんね。政府も補助金を出すなど観光事業に力を入れているのですが、あまりうまく行っていないようで・・・」

お姉さんは寂しそうに言っているが、こっちにとっては都合がいい。
観光客が居ないと言うことは編集者も来ないと言うことだ。
そりゃそうだ。誰が好んで巨人の星なんかに来るものかよ。
惑星松富士に滞在しておけば、うるさい編集者に絡まれることなく仕事に集中できる。
ワーケーションするなら絶好のスポットってこと。
よし、ここに滞在しよう。

「わかりました。俺、滞在してもいいですよ。一か月ぐらい松富士に滞在したいと思っているのですが・・・」
「んまーーーーー! 一か月も!」

ピュゴオオオオ・・・・。風速40~50メートルの風が吹く。
ひっくり返る俺。
なんだこれ。すごい風。
巨人の口からピュゴオオオオ・・・と渦が巻き起こっているぞ。
巨人が大声を発するだけで、風がうなり体が吹っ飛ばされた。

「是非。是非。一か月と言わず半年でも一年でも、なんなら100年でも1000年でも好きなだけ滞在してください。お客様の死後もサポートしますわ。お墓も無料で建てられますよー」
「いえ。仕事が忙しいのは一か月ぐらいなので、一か月したらすぐに帰ります」
「わかりました。では、お客様の宇宙船を壊してしまった罪滅ぼしに、うんといい場所を紹介してあげます」
「はあ・・・じゃあお願いします」
「では大変ご面倒ですが、ここに生年月日と住所を書いていただきまして、あと身分を証明できるものを見せてください。それが終わりましたら、お部屋をご紹介いたします」
「はあ」

どうせ宇宙船は壊れているんだ。
地球に帰る手段がないので必要事項に記入するしかない。
言われるまま身分証明書と必要事項に記入をした。

「お客様の職業は? んまーーーー! お客様。小説家なのですね」
「ええ。まあ一応」
「なるほどなるほど小説家なのですか? だから静かな所でお仕事がしたいと、そう言う訳ですね?」
「はあ・・まあ一応」
「では小説家のお客様に合う滞在場所を探してみます」
「お願いします」


*

それから俺たちは移動することになった。
一か月間滞在する物件を見に来たところ。

「ここなんかおすすめですよ。部屋の間取りはですね。木造二階建て。四畳半の一間。冷房無し、トイレ共同、台所共同。一応押入れがあるので収納スペースはありますよ」

だが連れて来られた部屋はひどい所だった。想像していた部屋とはまるで違う、いわゆるボロアパートってやつか。
壁は剥がれているし、天井は波打ってガタガタ、畳はふにゃふにゃだし、なんだこれ!
こんなところに住めっていうのか?

「これ、いつの時代のアパートなんですか? これ終戦直後のアパートでしょ? 今時こんなアパートが残っているなんて珍しいですね」
「あら気に入りませんか?」
「気に入らないもないも、ちょっと古すぎますね。トイレが共同ってのはちょっと・・・冷房もないようですし」
「あらあら、でも小説家や漫画家の人って、こんな古いアパートで「んまーい」って言いながらラーメンをすすっていると思っていましたわ。ちなみにこの部屋。昔は漫画の神様が住んでいたそうですよ」
「いやそれ。昭和30年代初期の話でしょ? こういった古いアパートはちょっと・・・それに狭いですから」
「狭い部屋はお嫌いですの? では次の物件をお部屋をご紹介しますわ」

そして次の物件にやってくる。

「この物件は4LDKのマンションになりますね。築2年のオートロック付き。30階の景色は素晴らしくて天気が良い日には山も・・・」
「あの・・・」
「はい。なんでしょうか?」
「さっきと違って、随分と高そうなマンションですね。ここ高いですよね?」
「高い? なにがですか?」
「家賃ですよ。家賃。こんなマンション。高くて借りれませんよ。俺あんまり収入ないし・・・」
「心配いりません。タダです。タダ」
「タダ?」
「ええ。政府から補助金が出ますから、このぐらいの部屋なら無料で借りれます。あと他にもオプションが・・・入りなさい」
「失礼します」

誰かが玄関から入って来た。
入って来た人は少女。それもメイドだった。コスプレイヤーと見間違えるような、ザ・メイドさんがマンションに入ってくる。

「ほら。ボーとしてないでご挨拶をしなさい。男の人の前ですよ!」
「申し遅れました。わたし大杉伸江と言います。今日からご主人様のメイドとして配属されました。どうか可愛がってください」

専属のメイドさん?
丈の長いメイド服。長い髪の毛。ロングヘア―の清楚系の少女がスカートの裾を掴みながら、お辞儀をしている。

「あの・・・この人は誰なんですか?」
「オプションですわ」
「オプション?」
「惑星松富士は知っての通り巨人の国です。ですから他星系のお客様のお世話をするメイドが必要となってきます。
 で、ここにいる大杉伸江が鈴木秀樹さんのメイドとして配属されました」
「メイド?」
「はい。大杉伸江は大変優秀なメイドでして、GMの資格を持っているのですよ」
「GRの資格?」
「グレート・メイドのことです。具体的には整理整頓アドバイザー1級。3Sコーディネーター1級、ハウスクリーニングアドバイザー、
 ハウスクリーニング技能士、栄養士と栄養管理士、調理師の免許をフルコンプしているメイドをGMって言うんです」
「メイド? メイドなんて、そんなの聞いていないですよ。それにメイドってことはお手伝いさん。つまり家政婦ってことですよね? 俺そんな金。持っていないし」
「お金は取りません。政府が全部出してくれるのでタダです」
「しかし・・家政婦とは・・・」

静かな部屋で執筆作業。そんな予想は大きく外れることになった。
こんなコスプレメイドが居たら気が散って仕事にならない。

「メイドはちょっとね。できれば一人がいいんですけど。それに俺。メイドを雇うような身分でもないし・・・」
「それは無理なご相談ですね」
「え? なんで?」
「何度も言いますがここは巨人の星です。なので監視・・あと性の管理が・・・ごほん! ではなく世話係がいないとなにかと不便でしょう?
 見てください。このフローリング。お客様からしてみれば砂漠のような所ではありませんか?」

巨人サイズのフローリングが永遠に広がっている。
仮にこの廊下が5メートルであった場合、俺にはその200倍の1000メートルになる。
5メートルが1キロの距離になってしまう。廊下を行き来するだけでも、ちょっとした運動になるぐらい廊下は広かった。

「メイドがいないと生活なんかできませんよ。何もかも巨大な星なのですから」
「まあ・・確かにそうかもしれませんけど」
「ここにいる大杉伸江は、お客様の手であり足であると言うことです。ほら、この滞在許可書にもそう書いてあるでしょ?」

(惑星松富士に滞在する他星系の方は、安全を考慮し必ず世話係を一人配置すること)

確かにそう書かれてあった。

「確かに書いてあるど、ちっさい字。こんな小さな字見えねえよ。完全に見落としてた」

なんというか半分騙された気分。小人にも見えないような小さな字で。そんな大事なことを書くなんてひどいものだ。

「しかし、ここに鈴木さんのサインが入っておりますので契約は既に成立しています。今更取り消しはできません」
「うーん・・確かにサインは書いたのは俺ですけど・・・」
「まあまあ。いいじゃありませんか。メイドにお世話してもらうなんて男の夢ではありませんか?」
「うーん。でもなあ・・・」
「なんです? 大杉伸江のなにが気に入らないのです? 顔ですか? おっぱいですか?」
「おっぱい? 顔? 一体何を言ってるの?」
「いえね。大杉伸江の顔が気に入らないのかと思いましてね。チェンジしますか?」
「チェンジ?」
「他のメイドと交換するのです。この大杉伸江が気に入らなければ他の女と交換。つまりチェンジすることも可能ですよ。ちなみの候補者は山のように居ましてね。18歳ぐらいのメイドたちが山のように待機しています」
「わたし・・が・・チェンジ?」

どうするか迷っていると、大杉伸江の顔はみるみるうちに暗くなっていった。
顔面蒼白と言うか。明らかに動揺している様子。

「わたしチェンジなんだ・・チェンジ・・チェンジ・・・チェンジ・・・死にたい・・・どうすれば楽に死ねるかな・・・」

うわ! こわ! めっちゃ復唱してくるじゃん。
メイドの背後にどす黒いオーラが漂っているし、口から「チェンジ」という黒い文字が吐き出て来るしで、こわ!
そんなに嫌なの? チェンジが。

「いえ。別にこの子でもいいですが、でも俺の言うことをちゃんと聞いてくれるんですよね? 見ての通り俺は小人なので力では敵わないですよ。
 戦艦一隻分のメイドと一緒に暮らすというのは・・・もし万が一、なにかトラブルが起こったら心配で」

メイドの格好をしているが200倍の巨人であることに変わりはない。
こんな可愛い子でも戦艦一隻分と同じ力を持っている。
こう言っちゃ悪いが敵に回したら、手の付けれない怪物なのだ。

「ご心配いりません。この大杉伸江は、今この瞬間を持って鈴木さんのメイドになられたのですから、なんでも言うことを聞いてくれますよ」
「なんでも?」

一瞬、卑猥なことが頭に浮かんだ。なんでも・・・なんでもか。

「そう。なんでもです。自分の手足だと思って、この大杉伸江を顎で使ってやればいいのですよ」
「ほんとかな? そうは思えないけど・・・」

松富士人。それは戦艦一隻と同等の力を持つ、宇宙屈指の大巨人。
そんな巨人が俺の言うことを聞いてくれるなんて、ちょっと想像がつかない。
しかも相手はメイドだ。こんな巨人が俺のメイドになってくれるのだろうか?
急に暴れ出したりしないか心配になる。

「そうだ。鈴木さん。少しこのメイドを試してみましょう」
「試す?」
「はい。ここのいる大杉伸江になにか命令を出してみましょう」
「命令ってなにをするの?」
「なんでもいいのですけど、例えば右手を上げろと言ってもらえますか?」
「じゃあ右手をあげろ!」
「はい!」

メイドの大杉さんは右手を上げた。

「それでは右手を下げろと言ってください」
「右手を下げろ」
「はい!」

大杉さんは右手を下げた。

「今度は一周そこで回れと命令してみてください」
「じゃあ、そこで一周回れ」
「はい」

大杉さんはその場で一周した。

「こんな感じで何でも言うことを聞いてくれます。そこにあるゴミ箱を取ってくれとか、ティッシュを取ってくれとか、なんでも言うことを聞いてくれます」
「はあ・・」
「鈴木様。不束者ですが、なんでもわたしを顎でお使いください」
「なんでも顎で使えって・・・でも本当に何でもは無理でしょ?」
「はい。本当になんでもは無理です」

入星管理官のお姉さんがそう言った。

「なんだ。やっぱりな。できないこともあるんじゃん」
「無理というのはですね。体を傷つける行為のことですね。この滞在許可書にも書いてありますが、体を故意に傷つけることはメイド、お客様共に禁止されています。
 両者共に良好な関係を務めるように努力し、お互いを尊重して、お客様はメイドを可愛がること。それを誓いますと、ここに書かれてあります」
「確かにそう書いてありますね。今初めて知りましたけど・・・」

また小さな字でそう書いてある。

「暴力はダメですよ。暴力は! メイドの手足をノコギリで切断したいとか、崖の上から飛び降りて見ろとか、そう言う命令はダメ。全面的に禁止です」
「足を切り離すなんてそんな怖いこと、やりませんよ。なんですか? それ! 事件。怪奇事件じゃないですか?」
「ならよかったです。暴力と殺人は絶対禁止。あとはそうですね・・。メイドを可愛がればOK それさえ守っていれば大丈夫ですよ。そうよね? 大杉伸江」
「はい。可愛がってくれさえすれば文句はありません。喜んでご主人様の手足となり身を粉にして働きます」

お姉さんに続いてメイドがそう言っている。
要するに暴力は全面的に禁止ってことか。
まあその方がこっちにとっては都合がいいけど。

「じゃあ大杉さんも俺に暴力は振るわないんですね? 乱暴はしないと約束してください」
「はい。ご主人様の御身体を傷つけるなど言語道断。神に誓ってそのようなことは致しません」

大杉さんは間髪入れず 、そう返答した。
よかった。俺もメイドに暴力を振るえないが、巨人族の女の子も暴力を振るえない。
思ったよりも平和的な種族で助かった。これなら安心して暮らして行けそうだ。

「ではわたしは帰ります。松富士での詳しいルールやマナーについてはメイドに聞いてください。では床に降ろしますね」
「うわっと!」

入星管理局のお姉さんに摘まみ上げられて、床の上に降ろされた。

「さようなら~。お二人共、末永くお幸せに―♡」

ズシン! ズシン! ズシン!と怪獣のような地響きを響かせながら入星管理局のお姉さんは去っていく。
可愛い顔したお姉さんからは想像もつかないような荒々しい地響きだ。
そしてメイドと俺と二人きりになった。

「改めましてご挨拶させていただきます。わたし大杉伸江18歳。ご主人様のメイドです。不甲斐なわたしですが、どうか可愛がってください」
「ああ。よろし・・くう?」

地響きを立てながら近づいてくる来る大杉さん。
さっきまでは若干距離があったから、なんてことはなかったけど、こうして近づいてくると、やっぱり怖い。デカい。
遠くに立っていた大杉さんがこっちに近づくことで段々大きくなってきた。

「こ・・・これが大杉さんの足・・・」

大杉さんが目の前で止まる。止まって素足を見せて来た。
で~~~んと音が聞こえそうな巨足が地面を踏みしめている。
200倍の巨人。全長46メートルの巨足が俺の前に聳え立っている。
大杉さんは素足で何も履かずにフローリングの上を立っていた。
聳え立つ足。
上を見上げると、スカートの中はなにも見えない。もしかしたらパンツでも見えるんじゃないかと内心少し期待したがロング丈だから中は何も見えなかった。

「ご主人様? わたしなにか変なことをしましたか?」
「いや・・別に・・・」

あぶねえ! 思わず上を見上げてしまったが、これって覗きだよな・・完全に。
でも大杉さんは気づていないようで、キョトンとしている。
自分の体が見上げられているのに、なんにも思っていない様子。
なんというか、無防備というか、無関心というか、ガードが緩いように思う。
普通なら、こんな真下から見上げられたら嫌だと思うのに、大杉さんは何とも思っていないのか?

「ご主人様。どうかわたしを可愛がってください」

ピュゴオォ・・・と460メートル上空から大杉さんの吐息が吹き付けて来る。
大杉さんの吐息は甘い匂いで、正直その匂いに俺はフラフラだった。
巨人の匂いは格別に強烈に甘く股間に悪い。ムラムラしそう・・・。

「ああ・・よろしく」

そう言うのが精一杯だった。
巨人の星でワーケーション。
ここにくれば編集者を撒けると軽く考えていたが、本当に仕事になるのか今から心配だ。
その悩みの種はこのメイドにある。
ロング丈のメイド服に手入れの行き届いた素足。
毛が生えていないツルツルの足の甲に、桜貝をまぶしたような桃色の爪が宝石のように輝いている。
ペティキュアを塗ったわけでもないのに、この光沢感。
自然に生えて来た天然の爪がこんな綺麗な人。俺初めて見たよ。
大杉さん。超かわいい。顔だって超可愛いし。アイドル顔負けの女の子。しかもメイドに見下ろされるなんて、もう天にも昇る気分だ。
正直、こんな可愛い子が地球に居たとしても、俺なんかに目もくれないだろう。
地球のイケメンが放っておくわけがない。全国の美男子が大杉さんに言いよって離さないだろう。
そう思えるぐらい、大杉さんは可愛く、こんな可愛い子が俺のメイドになるなんて正直夢じゃないかと思う。

「??」

大杉さんは首を傾げた。可愛い。なんだよこれ? 小鳥みたいに可愛いじゃんか。
視線が合うだけでクラクラしてくる。あまりのクラクラに平常心を失いそう。
だけど、こんな巨人をメイドにするなんて、本当に大丈夫なんだろうか・・・。
平常心を保てるか不安だが、それ以上に大杉さんに美貌に平常心を保てるか不安だ。

「とにかく俺、今から仕事しないといけないからさ。仕事部屋ってどこになるのかな?」

そうだ。今はとにかく仕事だ。
締め切りも近いし、少しでも原稿を書かないといけない。
とにかく巨人から距離を取ろう。じゃないといつ踏みつぶされるか分からない。
いくら可愛い子とはいえ、踏みつぶされる趣味は俺にはない。
今の俺は小人。虫のような存在だ。
そんな虫けらがマンションのフローリングの上を彷徨っていると、いつ踏みつぶされるかわからない。
もし俺が大杉さんの立場ならこんな小人。すぐに踏みつぶしてしまいそうだ。

「ご主人様。わたしを可愛がってください」
「ああ。わかったよ。それより仕事部屋はどこなのかな? そろそろ仕事を・・・」
「ご主人様。わたしの話聞いてください。いつ可愛がってくれるのですか?」
「可愛がる・・・いや、そりゃ可愛がるよ。俺、大杉さんに喧嘩売るつもりはないし、暴力沙汰になったら命にかかわるし・・・」
「なにを言っているのです? 可愛がると言うのはですね。物理的にということです」
「物理的に?」
「はい。惑星松富士の可愛がるはスキンシップのことを意味してます。なので今すぐスキンシップを取ってください。さもないと・・・殺しちゃいますよ」
「え?」

穏やかだった雰囲気が一変する。
明るそうに話していた大杉さんの顔も暗くなり、背後にどす黒いオーラが漂い始める。
アイドルが殺人鬼に変身していた。
今に人を殺しそうな恐ろしい目が俺を見下ろしてくる。

「いいですか? ご主人様。主従関係というものは利害が一致して初めて成立するものです。やってもらうばかりでは奴隷と同じですよ」
「奴隷だなんて、そんなこと思ってないよ」
「それはご主人様のお考えでしょ!」

おとなしかった大杉さんが、珍しく声を荒げるようにそう言った。

「わたしたち松富士人の考え方は違います。知っての通り、惑星松富士には男の巨人が居ません。なので男と触れ合える機会が極端に少ないのです」
「それは受付で聞いた。だけどそれとスキンシップとなんの関係があるのさ?」
「大有りです。松富士人は男がいない分、性欲が強いのです。毎日がムラムラ、グツグツなのです」
「毎日がムラムラのグツグツ?」
「考えてみてください。ご主人様。ご主人様は一週間オナニーを我慢できますか?」

一週間オナニーを我慢か。それは辛い。辛いと言うかかなり厳しい。
って! そうじゃない! なんだこの話? ムラムラとか性欲とか、さっき会ったばかりのメイドとなに話しているんだ?
話す内容が、どぎついぞ!

「性欲が高まっているメイドを可愛がらないなんて・・・・最低。男のクズです。
 なので、ご主人様は今すぐわたしを可愛がらなければなりません。さもないと・・・一週間のオナ禁よりも辛いことを、わたしに強いていることになるのですよ。ご主人様」
「そんな・・・無茶な・・・」
「無茶なのはご主人様の方です。そんないやらしいものを股間からぶら下げておいて、なにが無茶ですか?」
「いやらしいもの?」

大杉さんは俺ビジっと! 俺の股間を指差した。

「おいおい。なんだよ。指なんか指すなよ・・・」
「ご主人様のおちんちんから漂う、いやらしい匂いに私はもう我慢できません。今すぐスキンシップを取らないと頭がおかしくなりそうです」
「そんな・・・」
「ご主人様の体に触れられないなんて、そんなの生理的に無理。いいえ本能が許さないので、どうすることもできません。爪を伸びるのを止めることなんか無理なのです」
「そんな無茶苦茶だ」
「どうしても可愛がらないと言うなら、申し訳ありませんが、ご主人様を男として認識できません。なので殺しちゃいます。さようならご主人様」

持ち上がる大杉さんの巨足。電車二両をまとめて踏みつぶせそうな大きな足が持ち上がる。
足が持ち上がると、パラパラと、足の裏からゴミが落ちていた。
しかし、そのゴミも一粒一粒が数十センチはありそうなコンクリート片だった。
大杉さんの足の裏にこびりついたゴミの一粒さえも、当たったら怪我しそうな硬い代物だ。
あんな硬いコンクリートを砕く巨足に踏まれでもしたら、タダでは済まないだろう。大型トラックすら一瞬でペシャンコになる。

「わかった。わかったよ。スキンシップでも何でもするから殺さないでくれ」
「ほんとうですか? 嘘じゃないでしょうね?」

おとなしい大杉さんは消え失せ、魔王のような低い声でそう言っている。
いや魔王というより女王か? 美しい女王が地面に這いつくばる哀れな奴隷に、そう言っているみたいだ。

「うそ・・だったら殺すから。ご・しゅ・じ・ん・さま」
「ほんと、ほんと、本当にやるから。だからその足を降ろしてくれ」

これから踏み殺すぞと、そう言わんばかりに片足をぶらつかせる大杉さん。
その真下に俺という小さな虫が地面を這いつくばっていた。

「よろしい。その言葉信じましょう」

俺の懇願を汲んでくれたのか、ぶらつかせた片足を床の上に降ろしている。
その降ろした時の振動で俺の体が大きく揺れた。

「では抱き着いてください」

とは言ったものの、こんな所に抱き着いていいのか?
相手は女の子の足。しかもメイドの素足に抱き着くなんて背徳感が凄い。
しかも、この足は超絶美少女。
顔が可愛い女の子は足までも可愛いのだ。

「本当に抱き着いていいのかな・・・。あとで訴えられたりしない?」
「抱き着かない方が訴えますよ。死刑です。死刑。裁判なしの死刑です」
「わかった。わかった。抱き着くから」

地面を踏みしめる足。
大杉さんの足は丸っこく女性らしい肉厚の足だった。
だけど、そんな可愛い足も、目測46メートルはありそうな巨足。
そんな足に。いや正確には足の指に抱き着くなんて、なんだか悪いことをしているみたい・・・。

「早くしてください。さもないと踏みつぶしますよ」
「わかった。わかったから。怖いこと言わないでよ・・・えい」

俺は意を決し両手を広げて、大の字になってメイドさんの指に抱き着いていた。

「すげえ。こんなデカいのにすべすべだ・・・」
「えへへへ♡ ありがとうございます。ご主人様」
「はい。はい。これで終わりね」

これ以上は流石にヤバい。女の子の足に触るなんて背徳感が凄すぎる。
なんというか手を握るよりも、もっといやらしいと言うか、いけないことをしている感が凄い。
俺はメイドの指を二度ほど触ってから手を離すことにした。

「終わり? ご主人様。これで終わりってどういうことですか? 死にたいの?」

全て終わった。そう思っていたのに、大杉さんはまだ不機嫌のままである。
遥か彼方上空で大杉さんが怒ったような女王の顔で、俺のことを見下ろしている。

「言っても言うことを聞かない。ダメなご主人様には実力行使が必要のようですね」

大杉さんは足を前進させ、足の指をピンと弾いた。
まるでデコピンするように足の指だけを前に突き出している。
たったそれだけの弾きで俺の体をゴミクズのように蹴り上げた。

「うあああああああ!」

5メートルは蹴飛ばされたと思う。流石は巨人。その脚力も半端ではない。

「いててて・・何するんだよ。暴力反対・・・おい! ひでえな。暴力を振るわないって言っていたのに話が違うぞ!」
「最初に暴力を振るったのはご主人様です。わたしは反撃しただけ。正当防衛です」
「俺が暴力? そんなのしてないぞ!」
「性の暴力をご主人様から受けました。なんですか? さっきの可愛がりは? あれが可愛がりなんですか?」
「それは大杉さんがやれっていうからやっただけで・・・」
「はあ? 何を言っているのですか?」
「なにって・・・まさか!」

まさか! はめられた? 足に抱き着けと言っておきながら、俺を痴漢扱いする気か?
この星の法律は知らないが本当は足を触るのは痴漢行為で、わざと俺に足を触らせて警察に逮捕させる気か?

「ご主人様。あなたはなにか勘違いしているようですね」

メイドは足を持ち上げ、その指をワキワキと動かしている。
足の指が有機的な動きをしていることから、それぞれ独立した別の生き物みたいに見える。

「ご主人様が可愛がったのはここ。ここだけです。右親指を触っただけに過ぎません」
「そうだよ。大杉さんが触れっていうから・・・」
「はあ?」

ズウウウウウウウ!」

「ぎゃあああああ!」

大杉さんの足に踏まれ下敷きになる。
そして、右人差し指、右中指、右薬指、右小指、続いて左親指、左人差し指、左中指、左薬指、左小指の順で頭を踏みつけられた。

「足は全部で10本もあるのですよ」
「そんなの知ってるよ。だけどそれがなんだって言うんだよ・・・」
「他の指が可哀想だとは思いませんか? 右の親指ばかり、ひいきして! 他の足が泣いています。言っておきますけどね。足の指は松富士人にとっての第二の顔なのですよ」
「第二の顔?」
「ええ。そうです。巨人と小人族ですから、どうしても足を見られる機会が多くなるでしょ? 立ち位置的にそうなるはずです」
「まあ確かに」

これが普通の人間同士なら顔と顔を見るが、相手が巨人の場合、必然的に顔の位置が高くなるから顔と足を見ることになる。
俺の目の高さに巨人族の足がある。
だから足が第二の顔と言われてもある意味納得できてしまう。

「足の指を触って可愛がることが、松富士では普通なのです。一本だけではダメですよ。足の指10本全部触って初めてメイドとご主人様の主従関係が結ばれるのです」

松富士では足を触ることが挨拶になるのか・・・。
そして挨拶をしなかった場合、殺されても文句は言えない。
改めて言うけど、すげえ文化だなおい!

「右足ばかり可愛がって、ひどいご主人様。見てください。左足が泣いていますよ。足の指というものは10本揃って初めて歩けるようになるのに、なんで他の指を可愛がらないんですか? 
 親指だろうと小指だろうと役目は同じはずなのに・・・・わかりました。もういいですよ。右足と左足と差別するような、そんな差別主義のご主人様は、このわたしが踏みつぶしてあげます。
 足の指の怒りを受けてください」

ゴゴゴゴゴと音が鳴りながら、メイドは足をぶらつかせ始めた。
そしてメイドの足が作り出す影の中に入ってしまった。
またしても俺はメイドさんの巨大素足を見上げることになる。

「わかった。わかった。他の指も可愛がるから、その足を引っ込めてくれ」

そうは言ってもメイドの足を触るなんて背徳感がすごい。
でも触らないと殺されるし触るしかないのか。
ええい! いいや触ってしまえ! これはメイドの足じゃない。ただの肉の塊だ。肉の塊。

「はあ・・はあ・・疲れた・・・でも10本の指全部終わったぞ」
「えへへへ♡ お疲れ様です。これでご主人様とわたしは主従関係を結ばれました♡」
「はあ・・・・それはよかったね」
「では一日一回。いえできれば二回。いや? 三回。四回?。スキンシップをお願いします」
「え? 毎日やるの?」
「はい。それが主従関係というものですので、よろしくお願いします」
「は・・はあ・・・」
「ご主人様から頂いた温もり。決して忘れません。この大杉伸江。一生ご主人様について参ります」
「はあ・・それはどうも・・」

ふう・・・やれやれだ。
ようやく身の危険が去ったって感じ。

「じゃあ、大杉さんは俺のメイドだね? 俺のメイドになったんだね?」
「はい。男の人に仕えるのはこれが初めてですが、どうぞ。よろしくお願いします」
「ああ。よろしく。じゃあこれから仕事だから仕事部屋ってある? 机と椅子があると助かるんだけど」
「はい。ご主人様。もうご用意はできています。エレベーターにお乗りになりましてテーブルの上に上がってください」
「流石は巨人の星、エレベーターまであるのかよ。すげえな」

テーブルの上に向かうエレベーターが設置されているらしい。
流石は巨人の星。なんでもあるな。
でもテーブルに登るのにもエレベーターがいるなんて、改めて小人になったことを実感させられる。

「ああ。ありがとう」

テーブルの上に上がるとミニチュアハウスの家具が置かれた。
俺からすれば等倍サイズの椅子と机。
この椅子に座って仕事をしろと、このメイドは言っているのかな?

「さて、そろそろ仕事に取り掛からないとな。ええと、どこまで書いたっけ?」

パソコンを広げ、どこまで書いたか確認。

(あ! そっか。ちょうど主人公がヒロインのお風呂を覗いてしまうシーンか・・・)

これから書こうとしているシーンは結構エッチなシーンだった。
裸の挿絵が入るような、女の子には見せられないシーン。
でもお、メイドがいる前で、こんなエッチなシーンを書くなんて非常に気まずい・・・よな。
大杉さん。どこかに行ってくれると助かるんだけど。なにかいい方法はないかな・・・。

「じ~~~~~」

背後から何か巨大な物が近づいてきた。
両手を広げたような巨大な物。大杉さんの目玉が近づいてくる。
彼女は俺のパソコンを覗こうとしている。

「じ~~~~」

メイドの目は非常に近い。
手を伸ばせば触れる位置にある。
女らしい大杉さんの長いまつ毛が、俺の背中を撫でられるぐらいの距離で、ぱちくりと瞬きしていた。

「な・・・なにかな? 大杉さん・・・」

気まずい。非常に気まずい。しかも相手は可愛いメイドさん。メイドにこんなエッチな小説を見せる訳にはいかないよな。

「いえ。ご主人様のお仕事ぶりを見学しているだけです。
「はははは・・・そんな大したものじゃないよ・・・」

パソコンを閉める。
一応笑って誤魔化したが、内心はひやひやもの。
あぶねえ。お色気シーンを書いていることがバレるところだった。

「あのう・・・大杉さん?」
「はい。なんでしょう。ご主人様」
「集中できないから離れてくれないかな?」

こんな可愛い子がいる前でエッチな原稿を書けるわけがない。

「わたしの役目は、ご主人様を監視と性の管理 ごほん! ではなく。身の安全を守るのがメイドの役目です。なのでご主人様から目を離すことはできません」
「でもそれじゃあ・・・気になって集中できないから」
「わかりました。では少し離れていますので。お気になさらず・・カッ!」

大杉さんの奴。目を見開いてガン見してくるぞ。
めっちゃ怖い。出目金みたいに、めっちゃ睨んでくるじゃん

「わたしは空気です。最初からいないのですよー。空気。空気。カッ!」

また目を見開いた。こええ・・・。東京タワーのような巨大メイドがガン見してくるよ。

「ほ・・他の部屋に移ろうかな・・・」
「ダメです。ご主人様お一人にではできません」
「それじゃあ、せめてあっち向いてくれない?」
「あっち? つまり後ろを向くということですか?」
「そう。それ。後ろを向いていて」
「無理です。それでは監視・・もとい安全が確保できなくなります。それにご主人様にお尻を見せるなんて失礼すぎますよ」
「失礼じゃない。失礼じゃない。気にしないで」
「男の方にお尻を向けるなど、とんでもない! 絶対にできません! これ以上わたしを困らせないでください」

困ったな。誰にも邪魔されずに、一人で執筆できると喜んだのに、これじゃあ地球に居た時とあまり変わらない。
これはなんとかしないと。あ、そうだ! いいアイデアを思いついたぞ。

「大杉さん。確かあなたは俺の手であり、足であると、さっき言っていたよね? 俺の体と同じように扱えって」
「はい。そうです。私の体の半分は、ご主人様のものです」
「じゃあ大杉さんって料理できる?」
「はい。無論です」
「じゃあなにか作ってよ。台所もあるし料理作れるでしょ? メイドなんだし俺腹減ってさ」
「畏まりました。ご主人様」

大杉さんはスカートを摘まみ、お辞儀をする。
まるでお人形みたいな完璧なお辞儀だった。

「では料理はなにをご用意いたしましょうか?」
「なにをってなにを?」
「わたしは栄養士と栄養管理士と調理師の免許を持っていますのでどんな料理でも大抵は作れますよ。和食、洋食、中華などがありますが」 
「ああ・・じゃあ。和食で。できれば魚が食べたいな」
「はい。では和食をお作り致します」
「急いでね。俺腹減っているから」
「畏まりました」

なんだ。思ったより聞き分けのいい子じゃないか。巨人だからって気負いしなくてもいいみたいだな。

「じゃあ。悪いけど頼むよ」

メイドになにか仕事をさせて、俺から気を逸らせばいい。
流石の大杉さんも料理をしながら俺を見続けるのは無理なはずだ。
いやあ俺って頭いい。大杉さんが料理している間に原稿を仕上げておこうっと。

「ではご主人様も台所へ移動してください」

思いもよらぬ提案を受ける。台所に移動? なんで俺が? 俺も料理を手伝えというのか?

「はあ? なんで俺が? 大杉さんが料理作るんでしょ?」
「もちろんです」
「じゃあ俺に手伝えって?」
「そうではありません。ご主人様にお手伝いなど恐れ多くてできません」
「じゃあなんで?」
「問答無用」
「うわ! ちょっと!」

巨大な大杉さんに、ちょいっと摘まみ上げられる。
大杉さんはメイドであると同時に巨人でもある。
200倍のメイドは、その力も桁違いに強い。
身長170ぐらいの男なら人形も同然、いや虫も同然なのである。

「なにするんだよ。大杉さん。暴力反対!」
「暴力ではありません。はい。ご主人様。着きました」
「ここは?」
「台所の床の上です」

降ろされたのは台所の床の上だった。
巨人サイズの床の上。飛行機が飛び立てそうな広大な床。
かなりの距離まで床が伸びている。
上を見上げると断崖絶壁の壁が見える。
この壁の上に、まな板と蛇口があるのだと思う。
でも大杉さんは、なんでわざわざ台所の床の上なんかに連れて来たんだろう? 
俺なんか小人、連れて来ても料理なんかできないのに。

「ご主人様は、そこでお仕事をなさってください」
「え? ここで? 床の上で仕事を?」
「はい。テーブルとイスは置いてきました。わたしが料理する間、床の上でお寛ぎください」
「あほか! 台所の床の上なんかで寛げるか! 戻してよ。さっき居たテーブルの上に戻してくれー」
「それはできません」
「なんで?」
「ご主人様をお一人になさいますと、虫に連れさらわれてしまいます。なのでどんな時も、わたしのそばから離れられないのです」
「そんな無茶な!」
「では、ご主人様。ごゆっくりお寛ぎください」
「おーい。おーい。大杉さん! おーい!」
「大丈夫です。踏み潰したりしませんから」
「いや、そう言うことを言いたいんじゃなくて、おーい! 大杉さん。おーい! 聞いてるかー!」
「・・・・・」

ダメだ。完全に無視している。俺の叫びを聞こうともしない。大杉さんの視線は完全にまな板の上に向けられていて、俺なんか無視だ。
仕方がない。叫んでも埒が明かないので、おとなしくここで仕事をするか。
でもここは台所の床の上。大杉さんの足元。
こんなところに居たら、いつ踏みつぶされるか、わからないぞ。ほら来た!

ズウゥウウウウウウ

「ひえええええ!」

大杉さんの素足が俺の頭上を跨いで行く。
大杉さんは料理を始めたことで足を左右に動かし、俺の上を跨いだり横切ったりを繰り返している。

「うあああ! 大杉さんの足の裏だ!」

ズンと降ろされる、メイドの足。可愛い女の子の足の裏。
フリフリのメイド服からは想像もつかないような重々しい足音を響かせながら、大杉さんは台所を行き来している。
だけど俺の体が傷つくことはない。直接足に踏みつけられることはなかった。

「人参。玉ねぎ。お肉と・・・」

どうやら大杉さんは、俺がどこに居るのか感覚的に分かるらしい。
その証拠に大杉さんは足元を見ずに、俺の真上を跨いで行き、冷蔵庫に材料を取りに行っていた。

「ということは、ここから一歩でも動くと大杉さんに踏みつぶされるのか・・・」

俺が座っている椅子エリアは無事だが、それ以外の場所は足跡でぎっしりだ。
少し汗ばんだ、大杉さんの汗の付いた足跡が台所の床の上にぎっしりと刻まれている。
いかにも重そうで、ずっしりとしていて、あんな足に踏まれると命はないだろう。
その足跡の一つ一つが40メートルはくだらない。
足跡に隙間はない。ほとんどすべての床に足跡は刻み込まれており、テーブルから少しでも動くと大杉さんに踏みつぶされることを意味していた。

「ここからちょっとでも動くと、踏みつぶされるのか・・・」

仕方がない。ここはおとなしく原稿を書くことにするか。
どうせ逃げても大杉さんに踏み殺されるだけだ。
この椅子とテーブル以外は全てが危険エリアなので仕方がない。

「ええっと。原稿どこまで書いたかな・・・。たしか、お色気シーンだったな。主人公がヒロインのお風呂を覗いて、その後どういったリアクションを持たせるか。それが問題だな」

ズウウウウウウウ!

「ヒロインに悲鳴をあげさせるか。それともバスタオルで体を隠すか」

ズウウウウウウウ!

「それともヒロインが逃げ出すか、主人公をビンタさせるか?」

ズウウウウウウ!

「それとも主人公が両手で目を隠すか」

ズウウウウウウウ!

「うるせええええええええ! 仕事にならんわ!」

なんだよ。さっきからズンズン。うるせえつーの!
まとまりかけていた、アイデアが消えていく。
せっかくいいアイデアが思い浮かぶそうだったのに、なんてことだ!

「ちょっと。大杉さん。もっと静かに料理してくれない? これじゃあうるさくて仕事にならないよ」

トントントン・・・

叫んでいるのに大杉さんは無視して野菜を切っていた。だけどその音もかなりの物。
巨人が使う料理道具も彼女達同様巨大でビルをも切断できそうな巨大包丁だった。
包丁がビルを切断するような物。
単なる野菜を切る音が今の俺には騒音以外の何物でもない。

「大杉さん。大杉さん。おーい! 俺のメイド。聞いてるのかー」
「・・・・・」

ダメだ。返事がない。ただのメイドのようだ。
くっそー! 俺のこと無視しやがって、まな板ばかり見やがって。
もう我慢できない。

「こうなったらヤケだ。大杉さんの足を蹴飛ばしてやる」

原稿が書きたくても書けない。それは小説家にとって死活問題だ。
今後の収入や信用にも関わってくることなので、今の俺はカリカリしている。
俺の叫びを無視するのも許せないし執筆作業を邪魔するのはもっと許せない!

「おい! 聞こえないのか? おいおい!」
「・・・・・」

それでも大杉さんは無言だった。まな板ばかりを見つめ足元に目が行っていない。

「おい! 聞いてるのか!」

椅子から立ち上がり、大杉さんのかかとに向かう。
大杉さんの足に近づくにつれて、巨大なかかとが視界いっぱいに広がるようになった。

「おい! 聞いてるのかって言ってるんだよ!」

ドン! 頭に来た俺はメイドのかかとを蹴り上げた。
しかし蹴ってからすぐに後悔することになる。
巨人族である松富士人に反抗的な態度をどうなるのか? 
身をもって知ることになった。
大杉さんの足が急にバックしてきた。メイドのかかとが、こっちに向かってくる。
それが意識的なものだったのか、それとも無意識的なものだったのか、その真実はわからない。
わからないが、とにかく足がバックしてきた。そして俺の体を大きき蹴り上げたのだ。

「うあああああああ!」

巨人の脚力は伊達ではない。なんせ巨人は東京タワーと同じ大きさがあるのだ。
巨人に蹴られれば、それは車に跳ねられるようなもの。
それを今俺は身をもって体験している。
とてつもない浮遊感が襲ってきて軽く5メートルは吹っ飛んだ。そして放物線を描きながら地面に叩きつけられる。

「いてー・・・なんて馬鹿力だ! って今度は足だー。うあああ」

左足に蹴られた、と思ったら今度は右足がバックしてきた。
右足はかかとをつけたまま持ち上がり、足の裏を見せている。
その持ち上がった足の裏が降ろされようとしていた。

「ひいいいいいい!」

殺される。大杉さんの足に踏みつぶされる。
だが、かかとは床を踏む直前で停止していた。

「ご主人様。そんな所にしたら危ないですよ」

かかとを持ち上げ、足の裏を見せたまま、後ろを振り返る大杉さん。
まるで最初から、そこに居るのがわかっていたような冷静な口ぶりだった。

「お・・おう・・・」

一方の俺はそう言うのが精いっぱいだった。
内心はひやひやしている。
大杉さんに蹴られ、吹っ飛んだと思ったら、今度は踏みつぶされそうになった。
生かすも殺すも大杉さん次第。大杉さんがちょっと足の位置を変えるだけで俺を踏み殺せてしまうんだ。

「そんなところに居たら踏んでしまうので、ちゃんと椅子に座ってください」

大杉さんは後ろを振り向き足の指を開いて見せた。
その開いた足が、俺の体の両脇を挟み込む。

「とととと・・・体が持ち上がる」

足の指に摘まみ上げられ体が宙に浮く。そして椅子の上に降ろされる。
一方、大杉さんはというと料理に夢中な様子で、足を動かしながら、手は野菜を切り続け、俺の事なんか見ずに一心不乱に野菜を切っていた。

「ご主人様。料理ができました」

それから数十分後。どうやら料理ができたらしい。

「ではご主人様。持ち上げます。少し揺れますよー」

高さ2メートルの大杉さんの指に摘まみ上げられる。俺の体は垂直方向へと持ち上げられ、大杉さんの首元付近まで持ち上げられた。

「これが今日の昼食です」
「え? これが今日のごはん?」
「はい。そうです」

空中に浮かんだまま、今日の昼ご飯を見せられた。
女の子の指に挟まれ、浮かんだままご飯を見せられるなんて、生まれて初めての経験だが、しかしこれが昼食か。
なんというかこれが昼飯? 思ったより質素すぎやしない?

「ごはんに豚汁。それに魚の丸干し?」
「はい。その通りです」
「これだけ? もっと他に出るんじゃないの?」
「いいえ。これが全部です」

想像してたのと、だいぶ違う。もっと豪華な食事が出るのかと思ったけど案外普通。
これが松富士人の食事なのか?

「ご主人様の分はこちらになります」
「ああ・・ありがとう」

料理は二人分作られていた。テーブルの上を向かい合うように料理が並べられ、赤いお箸と青いお箸が並んでいる。
俺は青いお箸の真後ろに降ろされた。

「さて腹も減ったし食べるかな。いただきま・・・すぅ?」

目の前に極太パイプが二本並んでいる。
最初見た時は極太のパイプラインが二本並んでいるのかと思った。
なにこれ? これがお箸?
巨大なお箸の前には巨大な皿と鯨のような魚が寝転がっているし、あとガスタンクのような丸い球体上の建物から煙まで上がっている。
なんだ? 火事でもあったのか? いや違う。
これはまさか・・・さっき見た魚の丸干し! そしてこれはご飯の入った茶碗。それに豚汁が入った椀なのか?

「なんだこれ・・でけえ・・」

巨大なテーブル、巨大な家具。そして巨大な器やお皿。
何もかもが巨大な世界。まるで巨人の家に迷い込んだみたいだ。
虫の視点から見上げる食器は恐ろしいぐらいデカく、食器がまるで一つの建物のようだった。
本当に虫になった気分になる。巨大な魚、巨大な茶碗。巨大な椀。その全てがビックサイズ!
茶碗と椀に至っては天井が見えず、煙だけが見えている。
こんな巨大な食い物。どうやって食えばいいんだよ。

「どうしましたか? ご主人様。お召し上がりください」

召し上がれと言っても、どうすればいいんだ? とりあえず箸を持てばいいのか?

「ぐぬぬぬぬ!くっそ上がらねえ」

全然上がらない。巨人用サイズのお箸は鉄のように重く、パイプラインのような重さだ。

「はあ・・はあ・・全然ダメ」
「もしかしてご主人様。小さすぎてお箸が持てないのですか?」
「ああ。そうみたい」
「ですよねー。わたしもそう思います」
「なんだそりゃ! 最初からわかって、やったの?」
「はい。少しご主人様をからかってみました。さっきご主人様がわたしのかかとを蹴ったので、そのお返しです」
「・・やっぱり気づいていたのか」
「はい。ご主人様の行動は全て把握しておりますので」

そう言われると、なんだか怖くなってくる。
思い返せば、結構ひどいこと言っていたかも?
暴言じみたことも言っていたと思うし、どうしよう・・大杉さん許してくれるのかな。

「これであいこです。ご主人様」
「あいこってことは許してくれるの?」
「はい。それではわたしが食べさせてあげます。あ~ん」

メイドさんがあーんしてくれるなんて男の夢。
そう前から思っていたけどメイドは巨人。普通のメイドではない。

「ひえー。魚の怪獣!」

口の開いた怪獣のような魚がこっちに向かってきた。
開いた口に俺の体が入り込むほど巨大な魚。
それが魚の丸干しだった。
本来食材のはずの、丸干しに食われそうになる。
そんな怪獣魚を、巨人メイドが箸でつかみ、俺の前にあ~んしている。

「怪獣ではありません。丸干しです。食べてください」
「これが・・・魚の丸干し? どう見ても怪獣にしか見えないんだけど?」

食べると言うより、逆にこっちが食べられそうだ。
魚の丸干しは通常10センチから20センチぐらいだろう。
それが200倍の大きさになると、20メートルから40メートルぐらいになる。
40メートルと言ったら、それはもはや怪獣そのものだ。
こんな40メートルの怪獣をどうやって食うんだよ? 逆にこっちが食われるよ。

「くすくす・・・冗談です。魚をほぐして、その切り身を差し上げます。どうぞ」

大杉さんは口元を抑えながら笑っている。結構可愛い顔だった。その顔を見るだけでなんでも許せてしまいそうな無邪気な笑い。

「フン! 女ってズルいよな。可愛い顔するとなんでも許されると思ってるのだから」
「そんなことありませんよ。わたしなんて、そんな可愛くなんか・・でへ・・でへへへ! 可愛いですか? そんなに?」

なんか、めっちゃ喜んでいるな。俺なんかに可愛いって言われてそんなに嬉しいのか?

「ところでご主人様?」
「うん。なに?」
「可愛い顔? ってこんな顔ですか? にぱあ」

うお! 眩しい! 大杉さんの笑顔が眩し過ぎて直視できない。
太陽のような可愛い笑顔だ。

「くすくす・・・可愛いのはご主人様のほうですよ? はい。取り分けました。これならご主人様でもお召し上がりになれるでしょ? はい。お箸」
「あ・・・ああ、ありがとう」

そして大杉さんは怪獣のような魚の腹をほじくり、そのほぐした肉を小さな小人用に皿に取り分けてくれた。
そして、ついでにと、ご飯と豚汁も小人用の皿に取り分けくれた。

「はい。召し上がれ」
「うん。いただきます。パク・・・・うん?」

なんだこのご飯? 口に入れた瞬間、甘味が口いっぱいに広がっていく。

「このつやつやとした輝きは、どうだ? まるで宝石みたい。飯が一粒一粒が立っている。しかも飯の大きさは全て揃っている。この香り、この粘り、上手に炊いたな。汚れと余分なヌカだけを
 洗い流して、うまみと米の香りを残すのは至難の業だ」
「流石はご主人様。グルメですね。このお米はササニシキ。それも宮城のではなく庄内米。山形県余目、そのお米を機械ではなく天日で乾燥し、研ぐ寸前で自分で精米しました。
 炊いたのは旧式の釜。燃料は薪、そして最後に蒸らす前に藁を一つかみ入れて炊き上げました」
「とすると、こっちの豚汁は・・・これも美味しい!」
「日本産の大豆と天然の塩で作った本物のみそです。出汁は鰹節。枕崎の鰹節を使いました。しかも芯のいい所だけを使って作りました」
「じゃあ、こっちの丸干しも・・・うまい! こんなうまい丸干し食べたことがないぞ」
「本物の土佐の丸干しです」

何もかもが美味しい。うますぎて涙が出て来る。
豚汁と米と丸干しが、こんな美味しいとは知らなかった。これならいくらでも食べられそうだ。
見た目は質素だけど、すごく地味だけど、中身はものすごい贅沢な豪華な献立だ。

「大杉さんって料理が上手いね。板前顔負けなんじゃない?」
「えへへへへ、ありがとうごさいます。そう言って頂けますと、これまでの苦労は吹き飛びますよお」
「どこかで教えてもらったの? この料理。すごい上手だよねー」
「ええ。わたしは10の時から有無を言わさず親に調理場に入れさせられ、メイトとして、そして板前として修業を積んできたので料理のことならそこそこ自信があります。自惚れかも知れませんが」
「10歳の時から!? 大杉さんってそんな前から料理していたの?」
「はい。メイドなら当然です。料理が下手なメイドは価値が下がりますから」
「メイドになるのも大変なんだね」
「少なくとも家庭料理を超えるような料理が作りたいと思っています」
「いやいや。これは確実に家庭料理を越えているよ。こんなの食べちゃったら、もう他の飯は食えなくなるなー」
「では、ずっといらしてください。松富士に居る限り美味しいご飯を毎日無料で食べ放題ですから」
「あははは、そうだね。いっそのこと移住しようかな」
「では、こちらの書類にサインと実印を」 

テーブルの上に一枚の紙が置かれる。
上手い物を食べて気分が良いので、その紙にサインを書こうとした。しかし、

「これ・・・婚姻届けじゃないの?」
「はい。それがなにか?」
「いやいや、しかもこれ。妻になる人の欄に大杉さんの名前がフルネームで入っているし、しかもハンコまで押してあるよ? なにこれ?」
「何か問題でも?」
「問題しかないわ。なんだよこれ! じゃあ夫になる人の欄に俺の名前を書くと本当に結婚することになるんじゃない? どうなの?」
「たぶん・・そうなるんじゃないですか? しらんけど」
「しらんけど・・じゃなーい! なんだよこれ! 意味が分からないよお」
「そんなに怒らないでくださいよ。ご主人様。ジョークです。ジョーク。松富士人の冗談ですから」

冗談? 冗談には見えない。大杉さんは真剣な目でこっちを見ていた。
だけど、俺が激しく嫌がったから反応を変えた。そんな風にしか見えない。

プルル・・・プルル・・・。

食事中だが電話が鳴り出した。
食事中に電話なんて嫌なタイミング。
そう思って、俺は自分のスマホを見ると、冷や汗が出て来た。
編集者から電話がかかってきている。

「もしもし・・・」
「もしもしじゃありませんよ。鈴木先生! あんた今どこに居るんですか? 原稿の方がどうなっているんですか!?」
「いやあ・・あはははは・・・それがその・・実は色々あって、あまり進んでいなくて・・」
「進んでいなくてじゃないでしょ! 締め切りは明後日なんですよ。本当に大丈夫なんですか? もし間に合わないと大変なことになるんですよ」
「わかっています。わかっていますから。あとでメールで必ず送りますから、もう少しだけ待ってください」
「絶対ですよ。鈴木先生。もし締め切りを過ぎるなんてことがあれば・・・」
「貸してください。ご主人様。変わります」
「あ・・・」

大杉さんにスマホが取り上げられる。え? 大杉さん何をするつもりなの?

「ちょっとあなた! わたしのご主人様に向かって失礼ではありませんか?」

どす黒いオーラが漂う。大杉さんの背後に黒いオーラのような物が漂い始めた。
な・・何が起こったんだ?

「わたしのご主人様に、なんて無礼な口の利き方!? はい、はい、はい、え? あなたも男? あなた馬鹿ですか? 電話の向こう側の男と目の前に男だったら目の前の男の方が大事でしょ。
 それにやっと見つけたご主人様なんですから、あなたより大事なのは当たり前。はい、はい。なに? 原稿? 原稿だか高校だか知りませんが、そんな口の利き方する人は信用できません。
 あんまりご主人様をいじめると後輩を引き連れて地球を踏みつぶしてあげましょうか? ええ。そうです。あなたの街を全部踏みつぶすのです。ええ。わたしは松富士人。
 そのGMメイドですから私を慕う後輩は多いんですよ? ええ。100人は軽く集まるので100人の巨大メイドがあなたの街を襲い掛かります。はい、はい。ええ。ではそういうことで」


ぴっ! そこでスマホが切られた。

「あの・・大杉さん?」
「失礼いたしました。ご主人様。お電話をお返しします」

目を伏せながら、お辞儀をする大杉さん。
その動作はお人形のように正確だった。

「あの・・大杉さん。さっきのは・・」
「はしたない姿を見せてしまい、申し訳ありません。ですがご主人様がいじめられているのを黙って見逃すわけには参りませんので、わからせてやりました」
「わからせたって・・なにをしたの?」
「はい。ご主人様をいじめると、地球の街を踏みつぶす、そう言ってやりました」
「うん。そう言っていたね」
「100人の後輩を引き連れて地球を踏みつぶす、そう言うと相手は尻尾を巻いて電話を切りました。なので締め切りはもう関係ありません。原稿の件はもういいと向こうは言っていましたから」
「なるほど、つまり大杉さんは編集者を脅して締め切りを無しにした。そう言いたいんだね?」
「はい。左様です」
「あははははは」
「えへへへへへ」

俺と大杉さんは笑った。笑って場が和む・・って! 和むか!

「あほかー。そんなことしたら、編集者に目をつけられて仕事が来なくなるわ」
「ですが、ご主人様はわたしはご主人様です。メイドとしてご主人様をお守りするのは当然のことだと思いますが・・いけませんでしたか?」
「いや、そんなことされたら仕事が無くなるし、今後の収入にも影響が・・・」
「収入? そんなのどうでもいいではありませんか」
「え? 収入がどうでもいい? そんなバカな!」
「はい。地球のことはよくわかりませんが、惑星松富士に居る限り、ご主人様が飢え死にすることはありません。何度も言いますが、今の松富士には一人でも多くの男の方が必要です。
 松富士に滞在している限り政府が保護してくれますよ」
「そうかもしれないけど、やっぱり向こうに悪いよ。俺、今からちょっと電話で謝るから」
「謝る? ご主人様が? それはあまりにも屈辱的では? 謝るなら私から謝ります。わたしが勝手にやったことですから」

大杉さんに任せたら、また話がこじれるかもしれない。ここは俺が謝っておいた方が確実だろう。

「いいの。いいの。これは俺の問題だから。あ・・もしもし? 編集者さん? 先ほどは・・・」

それから編集者に平謝りをした。
幸いにも向こうが事情を察してくれたので、原稿は続けることになったのだけど、なんだかな。
大杉さんのせいで余計な仕事が増えてしまい、ますます原稿が遅れることになったよ。トホホ・・・。

「ところでご主人様」
「なにかな?」
「ご主人様はなんの小説を書かれているのですか?」
「いや・・それは・・・」

言えない。ラノベ作家(R18じゃないけど結構際どい奴)だとは言いにくい。
しかも相手は可愛いメイドさん。メイドさん相手に自分の小説を見せられないよ。

「きゃ~~~。先輩のエッチ! お風呂を覗くなんて最低~~~」

甲高い声が響く。大杉さんの声だ。
だけど俺は知っている。このセリフは俺が今書いている小説のシーンだと言うことを。

「さっき少し見えましたが若い女の裸のシーンを書いていましたね。いやーん。先輩の変態~~~~。こんな感じの文章が見えましたよ?」
「みて・・たの? 見えないように隠していたのに・・・・」
「はい。松富士人は目と記憶力が良いのです。一度見た物は、どんな細かい物でも一瞬で記憶できます。いや~ん。先輩のエッチ!」
「頼むから、そんな変な声を出さないでくれ・・・松富士人は動体視力もいいのかよ。ちっ! 余計な能力だな」
「余計とはなんですか? それよりもどうなんです? ご主人様は一体どんな話を書いてるのか見せてください」
「ああー。それはダメ」

晒される。俺のパソコンが奪われ、大杉さんの目に全て晒されてしまう。

「ふむふむ」

豆粒のようなパソコンを大杉さんは爪を使って器用に操作している。操作して流し読みしている。
正直パソコンの画面が小さすぎて、本当に読めているのか定かではないが、隠していたものが大杉さんの目に晒されてしまった。
やべえ・・・俺の書いている小説がメイドに読まれてしまった。自然と冷や汗が額に浮かんでくるよお。

「変態。この覗き魔。アホ。バカ。きゃ~~~~! だれ。誰がそこに居るの―。キャ~~~先輩!」
「やめろよ。俺の小説を朗読するな!」
「えへへへ。つまりご主人様の書いている小説は、主人公の家に引っ越してきた超絶美少女の後輩と一緒に同居する話ですね? 
 で、ヒロインの裸を覗いてしまう、そんなシーンを書いていたと」

うわ。最悪。全部バレた。どうしよう? 今からでもなんとか誤魔化せないかな・・・。

「そ・・それは・・・」
「どうなんですか? ご主人様?」
「どうかな・・・」

気分は最悪。
なんというか、お母さんに、エロ本を見つかった気分と言えばいいのだろうか?
ものすごーくバツが悪いし居心地も悪い。正直逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。

「・・・わかりました。これはお返しします」

パソコンが返された。てっきりパソコンが破壊されると思っていたのに無傷で帰って来た・・だと?

「あのう・・・俺、ここで小説書いてもいいんだよね? 一応これで金稼いでいるし、書かないと困ると言うか・・一応仕事なんだし」
「困る? 困るのはこっちの方です」
「困る? なんで大杉さんが困るの?」
「二次元ばかりに現を抜かし、三次元に興味が行かなくなるのは困る・・・いえ、それはこちらの話ですね。
 いいでしょう。認めます。ご主人様に余計なストレスを与える訳には参りませんし、お好きなようにしてください」
「いいの? 俺ここでラノベの原稿を書いちゃうよ?」
「はい。ご主人様の性欲が減退・・もとい。体調を崩されては元も子もありませんからね。どうぞ。お好きなようにしてください。そうだ。なんでしたら、わたしが朗読してあげましょうか?
 きゃ~~~先輩のエッチ! また覗いた~~~~」
「いえ。結構。大杉さん。お願いだから、静かにしてくれ」
「そうですか? 残念。ではお食事も済みましたし、わたしはこっちを向いていますからね。じ~~~~~」

あっちを向くのかと思ったら、こっちを向いてきた。
真正面からガン見してくる。

「じゃあ。俺は反対を向くね」

反対を向いて大杉さんの視界から避けた。すると

「ダメです。逃げないでください。じ~~~~~」

クルリと回って、俺の視界に入ってくる。
まるで餌をねだる猫のように視界から消えてくれない。

「じ~~~~~」
「あのさ。そんなに見ないでくれる。上向いて。上」
「わたしはメイドなので、ご主人様から目を離したらいけないのです」

くっそー! 結局振り出しに戻るのか。
原稿を書こうとしたらガン見してくる。
じゃあ、またなにか頼むか?
メイドに仕事を言いつけて、俺を見ないようにさせよう。
料理のあとになにか頼めそうなことはないか・・。あ、そうだ!

「大杉さん。悪いけど掃除しておいてくれるかな?」
「掃除ですか?」
「そう。掃除」

メイトと言えばやはり掃除だろう。
大杉さんは掃除している間に原稿を書いてしまう。そういう作戦だ。

「わかりました。ではご主人様は床の上においでください」
「え? また!」

もしかして、また同じパターンか?
料理していた時と同じように、俺は床の上に降ろされる。

「ではこのモップスリッパを履いて掃除しますので」

大杉さんはモップスリッパを履いて、テクテクと歩き始めた、
てっきり掃除機を使って掃除するのかと思ったけど、掃除機は使わないらしい。
多分、俺は吸い込まれないように配慮がされていたのかな?

「はあ・・やれやれ・・・。結局床の上かよ。まあいいや。大杉さんが居ない間に原稿を・・うん?」


なんか揺れているなと思ったら、大杉さんの履くモップスリッパが見えて来た。
飛行機の滑走路のような広大な床に大杉さんのスリッパが見える。
まだ遠い。そう思っていたのも束の間。次の一歩で一気に俺との距離が詰まる。

「え? おいおいおいおい! ヤバいんじゃないか!」

埃を巻き上げながら歩いてくる大杉さん。
床の上の落ちた汚れをスリッパに張りつけながらテクテクと歩いている。
揺れる地面。大杉さんが足を降ろすたびにダウンバーストが発生し、足の真下の埃が左右に吹き飛ばされていった。

「やだあ? 虫ですか? 汚い。えい!」

大杉さんの顔の周りに、不敬にも虫が飛び回っていた。
だが大杉さんが嫌がりながらも小さなを虫を手で叩き潰し地面に払い落としてた。
そして、その虫をモップスリッパで踏みつぶしている。

「か・・怪獣だ!」

松富士サイズの蚊は当然200倍の蚊だ。
そんな巨大な虫を大杉は一撃で叩き潰し踏みつぶしている。
叩き潰され地面に落とされた蚊は、今度はモップスリッパによって踏みつぶされた。
踏みつけられた蚊は、車に轢き殺されたカエルのようにペシャンコになった。

「う・・うあああああああああ!」

背後に迫ってくるモップスリッパ!
怪獣映画さながらに、俺はモップスリッパに追われていた。
思わず逃げる。だがモップスリッパはあまりにも早く、時速800キロは出ていたと思う。
ジャンボジェットの最高速度のような速度で迫ってきたら、もうどうしようもない。
瞬きしている間に俺の頭上にモップスリッパは迫っていた。

「踏みつぶされる!」

視界が暗くなる。見上げれば、潰された蚊がスリッパの裏側にへばりついていた。
これから、あなたもこんな風になるのと、大杉さんは無言の圧をかけているようだ。
人間よりも硬い装甲で覆われた、蚊がああも無残に潰されているのを見ると、恐ろしくてもう何もできない。
ただ、そこに立ちすくむだけだ。

「はい。ご主人さま。掃除が終わりましたよ」

片足をぶらつかせながら、そう言う大杉さん。
最初から、足元に俺が居るのがわかっているような、イタズラじみた笑顔で見下ろしていた。

「あ・・ああ・・死ぬかと思った」
「くすくす。ご主人様。わたしに踏みつぶされると思っていたのですか? お可愛いですね」

あ・・・ああ! こいつ。
俺が怖がるのをわかって、わざとやっていたのか?

「あら? そんなに怖かったのですか? それはちょっと・・・申し訳ありません。やり過ぎてしまいましたか?」
「ああ。今日ほど死ぬと思った日はないよ」
「・・・・ごめんなさい」

でも作戦は失敗だったな。
踏みつぶされると言う恐怖心が先行し過ぎて原稿を書けていない。
もっと遠くへ大杉さんを行かさないとダメみたいだな。
そうだ。いいアイデアを思い付いたぞ。

「そうだ。買い物。ちょっと買い物に行ってきてよ。チョコ買って来てよ

買い物もメイドの仕事のはずだ。
大杉さんが買い物に行けば、必然的に俺は一人になるから、是非とも買い物に行ってほしい。

「はい。畏まりました。では夕食もついでに買ってまいります」
「じゃあ。今すぐ行ってくれ。その間に原稿を書いておくから」
「承知しました。では支度を致します」

大杉さんのことだから拒否される。そう思ったけど素直に引き受けてくれた。
これは好都合だ。メイドが買い物に行っている間に原稿を仕上げてしまおう。

「ご主人様。タイツとブーツを持ってきました。どれを履きますか?」
「ああ」
「ブーツがお嫌いでしたら普通のメイド靴もありますが、どちらに致しますか?」
「ああ」
「色はどうしましょう? メーカーはいかがなさいましょう?」
「ああ」
「ああ。ではわかりません。ちゃんと聞いています? ご主人様?」
「え? なんて?」
「ですから、靴は? どれを履きますか? ご主人様の趣味を聞いてるのですよ!」
「そんなのどっちでもいい。大杉さんに任せるから、それより早く行ってよね」

大杉さんはピーピーとなんか言ってるけど、気にしない。気にしない。
それよりも今は原稿だ。原稿。原稿を書くスピードが上がって来たし、調子が上向いてきた。
流れるように文章が仕上がって行く。
いいぞ。絶好調だ。この調子でどんどん原稿を書いていくぞ。

「それではこちらのメーカーを使いますね。ご主人様。行きますよ」
「ああ」
「摘み上げますよ。少し揺れます」
「あれ? 体が浮かんで? あれ? あれあれ?」

体が急に浮かび始めた。気づけばメイドの素足が俺の体を摘まんでいる。
大杉さんは母指球と指の腹を使って、俺の体を足で摘まみ上げている。

「ちょっと! 大杉さん。なにをしているの?」
「なにって・・・これから買い物に行くんですよ?」
「じゃあ・・・なんで俺を足で摘まみ上げるのさ」
「それはご主人様も一緒に行かれるからです」
「俺も行く? いやあ俺はここで原稿を・・・」
「ダメです。ご主人様を一人にではできません。監視・・・もとい、常に私と一緒に行動してください。それでは入れますよー」

黒いトンネルのような物が見えて来る。
それは大杉さんサイズのタイツだった。
そのタイツの中に俺は放り込まれてしまう。

「足を入れますねー」

大きなトンネル。そう思えるほど巨大なタイツに。
大杉さんの足が滑り込んできた。

「で・・でかい!」

巨大なトンネルを覆いつくすほどの、巨足が俺の前に迫ってきている。
大杉さんはタイツを履いていたのだ。

「に・・・逃げないと・・・」

出口は塞がれた。大杉さんの足によって塞がれてしまった。
なので俺はタイツの先端部分。つま先方向へ逃げるしかない。
しかし、大杉さんはタイツを履くのをやめない。
当たり前のように、足を滑らせ、タイツの中に足を入れ込んでいる。
その様子はまるで、巨大な芋虫がトンネルを掘り進んでいるような、ものすごい光景だった。
足をモジモジと動かし、指だけを使ってタイツを掘り進む様子はまさに、芋虫のそれである。

「ダメだ・・もう逃げることがない。これ以上がもうない・・・やめろ・・やめろ。大杉さん。これ以上進んだら・・ダメだ。ぎゃあああ! 体が潰れる!」

巨大芋虫がタイツの終点部分にまで到達する。
大杉さんのつま先とタイツがキスをしている。
ほとんど密着と言っていいだろう。
足とタイツがくっつきあい、そのつま先の先端に俺が一緒に張り付いていた。
今の俺は、大杉さんのつま先とタイツにサンドイッチ状態。
前には黒いタイツが後ろからは大杉さんのつま先が俺の体を挟んできてギュウギュウと体を締め上げてきている。

「それではブーツも履いちゃいます。ご主人様。少し暗くなりますが我慢してください」

タイツに続いて、今度はブーツが迫って来た。
タイツを履いた大杉さんの足が、ブーツの中に入れ込まれていく。

「ぐ・・・せ・・狭い!」

40メートルのブーツの中に入れ込まれてしまう。
ブーツは大きい。だけどそれと同じぐらい大杉さんの足も大きかったので、俺に与えられたスペースはあまり多くはなかった。
ギチギチのぎゅうぎゅう。満員電車を思い出すようなものすごい圧迫感だ。
そのとき足が動いた。ブーツの中に入れられた、大杉さんの足がつま先を動かし、身じろいをしたのだ。

「ぎゃあああああああ!」

それはよくある日常的な行動だったと思う。ブーツを履いて、つま先を動かし、居心地の良い場所を探している。そんな当たり前の行動。
しかし、今の俺にはそれが怪獣の暴れのように感じてしまう。
大杉さんが1センチ、ブーツの中で足を動かせば、それは2メートルもつま先が上下することになる。
2メートルと言えば、人間の身長を軽く超えている。像が大暴れするようなものすごい動きなのだ。
猛獣の大暴れのようにも思える、ものすごい動きは俺は、タイツの中で直で感じていた。
逃げ場はない。逃げようと思っても前にはブーツの壁があって、行き止まりだし、後ろに行こうとしても、大杉さんの履く素足が壁を作っていて、前にも後ろにも進むことはできなかった。
結局俺は、大杉さんの履くブーツの中でもがき苦しむことしかできない。

「この匂いは・・・」

ブーツの中だから少し匂い始める。その匂いは酸っぱいような汗のようなにおい。
大杉さんの足の指の股から、じんわりと透明な玉のような物が浮かび上がってきた。
汗か? 足が蒸れて行くのが目に映る。
大杉さんの奴、ブーツの中で汗をかいているのか?
や・・やめてくれ。汗なんかかかれたら体が濡れてしまう!

「それでは歩きますね。申し訳ありませんがご主人様。少し揺れるかと思いますが我慢してください」

ズシン! ズシン! ズシン!

少し揺れると大杉さんは言っているが、少しどころの揺れではなかった。
まるで遊園地にあるバイキングのような異様な揺れ方をしている。
しかも、遊園地のアトラクションと違って、これは・・。

「ぎゃあああああ! 助けてくれ!」

蒸れたブーツの中は、遊園地のバイキングのような乗り心地だった。
右へ左へと暴力的な遠心力が襲い掛かってくる。
そして遊園地にはない、物凄い痛みまでもが襲ってきた。
ブーツを履いて歩くメイド。
メイドである大杉さんはきっと涼しい顔をして歩いているだろうが、こっちは死にそうだ。

「ちょっと。大杉さん。ストップ。ストップ」
「・・・今日の晩御飯はなにしましょうかね?」

またもや無視。大杉さんは俺の話に耳を傾けようとしない。
破壊神が暴れるようなものすごい破壊を、大杉さんはただ歩くだけで引き起こしている。

「ふんふんふん♪~~」

大杉さんは歩くだけで履いているタイツがギチギチに引き延ばされ、今にも破れそうになっている。
その元凶を作っているのが大杉さんの足の指。
足の指が地面を蹴るごとに指が前に突き出てタイツを引き延ばしていた。
タイツが引き延ばされると、必然的に俺の占有スペースも狭くなり、足の指とタイツにギュウギュウと締め上げられ、今にもペシャンコに押しつぶされそうになる。
さらに蒸れた足が問題だ。
指の股に浮かび上がった汗の球がタイツの中に染みこみ、俺がいるスペースにまで流れ込んできた。

「うわ! 生暖かい汗だ。大杉さん止まって! 止まってくれ!」
「肉じゃがもいいですし、おでんなんかもいいですね」

だめだ。全然俺の話を聞いていない。
どうする? このままブーツの中に閉じ込められたら、骨の一本や二本砕かれ、蒸れた足の熱気で蒸し焼きにされるぞ!
ブーツの中はサウナみたいにムシムシしてるし、汗の球がタイツの中に染みこんで広がっていくしで、とんでもないことになっている。
なんとかして大杉さんの気を引いて足を止めさせないといけない。なんかいいアイデアは・・・。そうだ!

「大杉さん。止まって!」
「止まりません。ご主人様の安全のためにやっているのです」
「止まらないと・・・・俺、地球に帰るよ」

ピタ!と大杉さんの足が止まった。
流石にこれは効いたらしい。
男が少ない松富士人からしてみれば男である俺がいなくなれば明らかに困るからな。
松富士人の心境を呼んだ、ナイスな選択と言えるだろう。

「どうする? 大杉さん。今すぐここから出すか、それとも地球に帰るか。二つに一つだよ」
「・・・ご主人様。それは脅しですか? わたしを脅すおつもりで?」
「脅しているかはわからないけど、とにかく出して。それが嫌なら地球に帰る」
「わかりました。メイドとはご主人様の手足。その御命令には従うもの。あそこに公園のベンチがありますので、そこで脱ぎます」

大杉さんは公園のベンチに腰掛けブーツを脱いだ。
そしてタイツを脱いで、俺を解放してくれた。

「はあ・・はあ・・はあー。新鮮な空気! 明るい空。よかった。出られた」
「・・・・よかったですね。ご主人様」

喜ぶ俺。その隣では大杉さんがジト目で見ていた。
なんだか呆れているように見える。

「言っておきますけど、わたし意地悪しているわけではありませんからね。これもご主人様のためにやっているんですよ?」

ブーツの中に閉じ込めるのが俺のため? いや絶対に違うだろ!

「さあさあ。そんなところに居ないで、早くタイツの中に入ってください。危険ですよ?」
「なにをバカな。そんな所に入ってる方が、よっぽど危険だよ」
「悪いことはいいません。タイツの中に入らないと危なすぎますって」
「嫌だね」
「でしたら・・・今すぐ帰りましょう。ねえ? 早く帰りましょう」
「え? なんで?」
「この状態で買い物なんて、とても・・とても。あまりにも危険すぎます。さあ早くタイツの中へお入りください」

買い物するのが危険? そんなことあるか。それに俺からしてみればブーツの中に入れられる方がよっぽど危険だよ。

「買い物が危ない? 何をバカな。それより早く行ったら? スーパーはどこなのさ?」
「スーパーですか? スーパーならあそこにありますけど」

指差す方向にスーパーがあった。というか目の前にあった。
なんだ。思ったより近いじゃないか。

「行こう。大杉さん。早く買い物して早く帰ろう」
「わかりました。それではご主人様、タイツの中に入ってください」
「だから。あそこは狭いから嫌だって。それに痛いし蒸れるし・・・手の上はダメなのかな?」
「手の上ですか? それはやめておいた方がいいと思います。お勧めしません」
「え?なんで?」
「多分。パニックになるかと・・・」
「パニック? なにそれ? なにかの冗談?」
「冗談ではありません。事実を言ってるだけです」

スーパーで買い物するだけでパニック? 大杉さんはなにを言っているんだ?
パニックなんか、どうなったらなるんだよ?

「パニックなんかにならないだろ。ほら早く行く。手のひらに乗せて」
「でも・・・それだと安全が・・・」
「行くの! これは命令」
「わかりました。でもどうなっても知りませんよ?」

なにがパニックだ。
バカバカしい。スーパーに行っただけで、どうしてパニックになる?
普通にスーパーに入って、普通に物選んで、普通にお会計したら、何の問題もないだろう。

「では入りますよ。ご主人様。どうなっても知りませんからね」
「ああ。つべこべ言わずに、さっさと入ってよ」
「では、入りますよ」

スーパーの自動扉が開いた。すると異様な空気に包まれた。

「な・・なんだ・・・」

店の中は至って普通。カートを押しているお客さんが歩いている。
だけど、みんな俺の方を見ていた。
それもガン見。まるで時間が止まったように俺の方をじっと見ている。
お客さんはもちろん、店の従業員まで俺の顔を見てきている。
な・・なんだ? 俺の顔になにかついているの?

「きゃあああああああああ!」
「男の人よオオオオオオオオ!」
「結婚。わたしと結婚してええええええええええ!」
「きゃあああああああああああああ! 本物の男よ。みんな来てえええええ」

「ヤバい! ご主人様。逃げますよ! 走ります。しっかりつかまってください」

まるで強盗でも入ったような騒ぎになった。
その悲鳴は全て俺に向けられている。


「はあ・・はあ・・はあ・・・ご主人様・・・わたしは・・はあはあ・・メイドなんですから勘弁してください。陸上選手じゃないんですよ」
「な・・なんか。ごめん」

さっきタイツを脱いだ公園のベンチまで戻ってきた。
大杉さんはメイドなのに足も結構速いようである。

「ご主人様。ほんと勘弁してください。姿を見せるのはまずいですって。松富士人は男に耐性がありませんから、国民全員が飢えたオオカミみたいなもんなんですよ」
「なるほど、それで俺をタイツの中に隠したのかな」
「そうです。ご主人様のお姿を他人に見せたら、パニックになりますから」
「うん? 待てよ。それならポケットとかでもよかったんじゃない? 姿を隠すだけなら・・・ねえ」
「えへへへ。そうですね。次からはそうします」
「・・・・なんか。嘘くさいなその顔。最初からポケットに入れていてもよかったんじゃない?」
「えへへ。バレちゃいましたか? 実はご主人様と密着したいから、ちょっとやっちゃいました」

なんか腹立つな。俺の体に触りたいからタイツの中に入れたの? それじゃあオレがやられ損じゃないか。

「ところでご主人様」
「うん? なに」
「前からずっと気になっていたのですが、ご主人様は独身ですか?」
「独身? ああ。独身だよ。それがどうしたの?」
「・・・独身ですか?」にや

うん?笑った? 大杉さんさっき笑ったか?

「では彼女さんはいらっしゃるのですか? ご主人様のことですから女の二人や三人。四人や五人。200人や300人ぐらいいるのでは?」
「彼女が300人ってなんだよ。そんなのいない・・どころか一人もいないわ」
「あら? 松富士では300人ぐらい普通ですよ。一年に一度彼女をグルグルとっかえひっかえ回して交際するのです。なんせ男がいないですからね」
「ああ・・・そうかい。変な種族だな。あいかわらず」
「ところで、ご主人様はメイドはお好きですか?」
「メイド。メイドね」

メイドはラノベの花だ。
必ずと言っていいほどラノベにはメイドが出て来る。
そう言っても過言ではない人気の衣装だ。
それに大杉さんは結構可愛い。丸っこい顔、鼻筋は一本通っているし、髪の毛はサラサラで手入れが行き届いている。
美人と言っても大げさではない。むしろ美人の中でもかなり上位の分類だろう。

「まあ。メイドは好きな方かな」

本当はめっちゃ好きだけど、そう言うことにしておこう。
あんまりガツガツ好きだと言うと、相手に引かれるかもしれないからな。

「好き? 好きとはどれぐらい?」
「どれぐらいと言われても・・・」
「では質問を変えます。女としてメイドを見れますか?」
「お・・女として」
「200倍の巨大メイドを愛せるかと聞いているのです。それにご主人様は散々私のことを見上げていましたよね?
 ご主人様はわたしの体を舐めるように、それこそ盗撮魔のように隅から隅まで見上げておられました」
「そ・・それは・・・」

あながち嘘ではない。メイドを見上げる機会なんかないから、結構じっくり見てしまった。
あと巨大過ぎて恐ろしかったというのもあるけど。

「言っておきますけど、わたし結構男の人に尽くすタイプなんですよ」
「そう・・・ですか・・」
「それにメイド服のまま外に出歩いてくれる女って結構少ないと思うんですよね。ご主人様。メイド服を着た女と一緒に外を歩けるなんて、これって結構な特典じゃあありませんか?」
「そ・・そうかな? いやそうだろうか?」

なんか話が変な方向に行き始めたぞ。これじゃあまるで、付き合ってくれって言っているようなものじゃないか。

「あの・・大杉さん。君は一体何を言いたいの?」
「いえ。特に言いたいことはありません。ただ」
「ただ?」
「ご主人様のメイドはわたししかいないと言うことです。他のメイドではダメ。ずっとわたしを雇ってくださいと言う意味です」
「なんだ。そんなことだったのか」

てっきり、もっと親密な中になるように脅してくるのかと思ったけど案外普通。
メイドをクビになることを、大杉さんは危惧していたようだな。多分だけど・・・いや、もしかしたら違うのかな?

「どうです? 家に帰ったら、また見上げて見ますか? ご主人様はメイドに見下ろされて興奮する。そんなお方でしょう」
「ちゃうわ! と・・言いたいけど、そうかも・・・くやしいけどな」
「存じておりますよ。ご主人様は結構Mと申しますか、メイドに見下ろされて喜ぶお方だと言うことは最初から存じていました」
「もしかして、これまで俺を踏み潰そうとしていたのも、もしかして全部わざとだったの?」
「くすくす。さあ、それはどうでしょうね? さあ、ご主人様。買い物はまた今度でもよろしいので一旦帰りますか。帰ってご主人様のミジンコのようなお体を見下ろして差し上げますわ」 

ズシンズシンと、巨大メイドはフリフリのスカート揺らしながら、歩いて行った。

「ギャアアアアアア!助けてくれ。またタイツの中に閉じ込められるなんて聞いてないぞおおおおおおお!」

タイツの中にご主人様を包み込み、メイド大杉さんは帰路についた。