受験とは戦争。まさにその通りだと思う。
俺は受験という名の戦争を行っている。
大学に行きたい。東京の大学に行きたいと熱望している。
そのためには学力向上は不可欠で、受験戦争に参戦中ということだ。
まあ受験戦争と言っても、俺の場合は元からの成績が悪かったから、なにも一流大学を目指すのではなく、二流大学合格を目標に勉強に明け暮れていた。
一流は無理だろうが、少なくとも平均以上の成績を残したい、
一流は無理でもせめて二流大学には入りたい。
そんな思いで必死に勉強しているのだが、実を言うと、それ以外にも東京に行きたい理由があって。俺は東京に憧れていた。

東京に上京すればシティーボーイになれる。
まあシティーボーイってはもう死語だけど、とにかく東京に出て都会に馴染んた生活を送りたかった。
それが高校三年生の俺の目標。東京の大学に受かることが第一目標だ。
そのためには勉強勉強。勉強あるのみ。
塾にも行ってるし、塾がない日も自宅で勉強している。
大学に受かるためには、娯楽は厳禁だ。
ゲームやネットは禁止。
まあ電車の移動ぐらいは息抜きでスマホ経由でネットを見ているが、それ以外は基本的にずっと家で勉強している。
それが俺の日課。
とくに今日は塾は休みなので家で勉強しようと思っている。
塾の無い日に怠けないのが受験で受かるコツだと思ってる。

「ただいま」

玄関を開けて自宅に入る。

「おかえんなさい。こだま。今日は早かったね。塾休み?」
「ああ。まあな。今日も家で勉強」

こだま。それが俺の名前だ。
漢字で書くと児玉。しかし、なんとも冴えない名前だなと思う。
そんな冴えない名前を付けた名づけの親。かあちゃんが俺を迎えてくれた。

「そうそう。こだま。のぞみちゃんが来てるわよ。こだまの部屋で待ってるって」

かあちゃんが、そんなことを言ってきたので視線を下げる。
すると一足のローファーが玄関に綺麗に並べられてあった。
女物のローファーが綺麗に二つ並んでいる。

「っち! あいつ。今日も来てるのかよ? しつこいやつだな・・・」
「そんな言い方しないの。せっかく今日も来てくださったのに・・・そんな言い方・・・ねえ?」
「なあ、かあちゃん。頼むから。あいつを家にあげないでくれ。勉強の邪魔になるから」
「でも光屋さんのお嬢さんだし、あんまり断るのは・・・ねえ・・・ちょっと・・」
「なんだよ。かあちゃん。あいつに逆らうと村八分にされるって言うのかよ? まったく。これだから田舎は・・・」
「でも地元で一番大きな旅館の娘さんなんだし、あんまり粗末に扱うわけには・・・ねえ?」

どうやら図星らしい。老舗旅館光屋の言うことに逆らえば、村八分になるようだ。

「ああ。もうわかった、うるさい。うるさい。なにが地元一大きな旅館だよ? あんなの古いだけが取り柄のくせに。あいつ。大きな顔しやがって」
「のぞみちゃん。いい子じゃない。それに可愛いし・・ねえ?」
「あいつが? カワイイ? そうか? まあ普通なんじゃね」?
「とにかく、わたしの顔を立てると思って、今日ぐらい会ってあげなさい。昨日も来てくださったのに、昨日はあんた塾でいなかったでしょ?
 今日も帰すのは・・・ねえ? のぞみちゃん。かわいそうじゃない」
「っち!うっせえな。俺はね。これでも受験生なの。今一番忙しい時期なの。それなのに・・ちっ! 会うよ。会ってやるよ。今日こそガツンと言ってる」
「コラ! こだま。口を慎みなさい。相手は光屋さんのお嬢なのよ!」

かあちゃんは怒鳴っているが無視。無視。 
それよりものぞみだ。のぞみに会ってクレームを言ってやる。
俺は二階に上がり自分の部屋の扉を開けた。

「にゃはははは!」

部屋に入るや否や、俺の眉間にしわが寄る。
老舗旅館の一人娘。のぞみが俺のベットの上にうつ伏せになっていたからだ。
制服を着た、のぞみがベットの上でパタパタと足を上げ下げしている。
俺のベットでめっちゃ、くつろいでいるじゃん、こいつ。なにやってるんだよ。

「おい。のぞみ。俺のベットに上がるな」
「にゃはははは・・にゃは? おおー。こだまじゃん。お帰り。勝手にあがっていまーす」
「かってにあがってまーす。じゃないだろ! なんだよ。お前。俺のベットに上がりやがって!」

女子が男子のベットの上に寝転がるってどういうことだよ。
こいつには、本当にデリカシーの欠片もない。
単刀直入に言えば変な女。
だってさ。普通嫌だろ。男子のベットに寝転がるなんて。

「こだまもこっちに来る? 面白いよ。この漫画」

のぞみはポンポンと、ベットの上を軽く叩いている。
「こっちにおいでと」そう言っているようだ。

「あほか。誰がお前の横なんかに」
「とか何とか言って今ドキドキしたんじゃない? ほれほれ。現役高校生の横で寝られるなんて、なかなかないことだよ。こっちおいで、こだま」

うつ伏せになりながら後ろを振り返るのぞみ。
この時の、のぞみは悔しいけど結構可愛かった。
寝転がることで防備に見えるんだよな。これが。

「あほか。お前なんか・・・なんとも思ってないよ」
「にしては瞬きが多いね。にゃはははは。さては図星だな?」
「うるせえ。知らん。もう帰れよ。お前」

無視だ。こんなの。相手にしてたら調子に乗って狂う。

「はあ・・こっちは受験生だってのに、おまえの相手なんかできるかよ」

勉強机の前に座り一息つく。
だが、その神聖な勉強机の上に、黒い靴下が乗っかっていた。
なんだこれ? 靴下か?
のぞみの足を見ると靴下が履かれていなかった。
両足とも素足でベットの上で寝転がっている。
ということは、これ、のぞみの靴下か? 
こいつ。俺の勉強机の上に靴下を脱ぎ捨てやがって!

「この靴下、俺んのじゃないぞ。お前のだよな?」
「あー。さっき脱ぎ捨てたからー。多分そんときー」
「お前なー。俺の部屋を何だと思ってるんだよ? 机の上に靴下なんか置くんじゃねえよ」
「えー。いいじゃん。そんな硬いこと。にゃははははは!」

こ・・こいつ! 自分の部屋みたいにくつろぎやがって! 
こっちは本気で怒っているのに、あいつは漫画に夢中のようで本気で取り合ってくれない。

「よく見たら、それ。俺の本じゃないか? しかも去年買った昔の奴」
「にゃははは。借りてますー」

こいつ、どこから俺の漫画本を取り出したんだ? 
この本は、確か受験生になる時に封印したはず。
どっかから取り出してきたんだよ? 押し入れか? こいつ俺の押し入れから持ってきたな!

「のぞみ、帰ってくれ。あとこの靴下も何とかしてくれ。勉強ができん!」
「あー。投げて―」
「投げる?」
「あー」

どうやら、のぞみにはデリカシーが本当にないらしい。
自分で取ればいいものを、この俺に投げろと言っている。
投げる? この俺が? つまりのぞみの靴下を触ると言う事か。えー。やだよ。

「なんか蒸れてね? この靴下?」
「にゃははは。さっきまで履いていた奴だから。ちょっと濡れてるかも?」

うわ。最悪。蒸れている靴下なんか触りたくない。

「お前がここに取りにくればいいだろ」
「あー。ダメ。そっちまで行くのめんどい」
「めんどいって、お前なー」
「でも、それ履かないと帰れないから。 こだまが取ってー」
「っち! じゃあ投げるから、さっさと帰れよ!」

俺は汚いものを掴むように、人差し指と親指を使って、のぞみの靴下を摘み投げた。

「ほら投げたぞ。もう帰れよ」
「えー。やだ。この本おもろいから。もうちょっと」
「もう帰れよ。お前が居たら勉強できないだろ」

デリカシーの無いのぞみだが、腐ってものぞみはJKだ。
俺と同じ18歳の高校生。
18歳の男子高校生と女子高生が同じ部屋の中。
普段俺が使っているベットに、JKがごろ寝しているなんてバツが悪すぎる。
勉強に集中できないよ。この状況。

「勉強。そうだ。わたし、こだまに言いたいことがあったんだ」

むくり。のぞみが体を起こす。

「おばさんから聞いたよ。こだま。東京の大学に行くんだって?」
「ああ。そうだが」
「なんで私に黙っていたの? 初耳なんだけど?」
「別に言う必要ないだろ」
「真っ先に私に言うべきでしょ。こだまも悪いけど、教えてくれなかった、おばさんも悪い人だよ。ちょっと怒っちゃった・・・」
「なに言ってるんだよ? 東京や大阪に行く奴なんて、クラスにゴロゴロいるだろ?」

俺が住んでいる島根県は超が付くほどド田舎で、地元で就職する奴なんかほとんどいない。
ほとんどの学生が都会に就職するか、もしくは都会の大学に進学している。
地元で就職する奴なんか、ほとんどいない。それが田舎の現状だ。

「相談ぐらいしてよ。そういう大事なことはさー」
「別に言わなくてもいいだろ、別に俺達付き合ってるわけじゃないんだし」
「これ」

のぞみは手の甲を見せた。その指先にキラリを光るものがある。

「懐かし! それまだ持ってるのかよ・・・」

のぞみの薬指に銀色の指輪がはめられていた。
一見すると結婚指輪に見えなくもない。

「この指輪をプレゼントしたの? 誰だったかな?」
「それは、お前の誕生日に無理やり買わされた指輪だろ? 確か3000円ぐらいのおもちゃだったから、もう捨てたのかと思っていた」
「捨てるわけないじゃん。これは思い出の指輪だから」
「お前。物持ちがいいんだな。それ買ったの中三の時だろ?」
「あの時はほんと嬉しかったな。まさか買ってくれるとは思わなかったしー」

指輪を撫でながら思い出に浸るのぞみ。
その時に見せたのぞみの顔は、おどけなさを残しつつも大人びて見えていた。
のぞみの、大人っぽい顔、めっちゃ可愛い・・・。
って、そうじゃない。あれは昔の事。勢いって買わされた黒歴史みたいなものだ。

「こだまに東京なんか無理だよ。似合わないよ。新宿の地下迷路から一生出られないタイプだよ」
「ほっとけ」
「あんたは地元に残りなさい。地元に残って光屋に就職するの」

ビシ! そんな音が聞こえるぐらい、のぞみは俺のことを指差している。
それしか道はない、そんな意気込みと確信が、のぞみの瞳から感じられた。

「光屋に就職? お前? 何言ってるんだ?」

一方の俺は口をパクパクさせていた。
「なに言ってるんだこいつ?」それが俺の本心だった。

「なにを言うのかと思えば・・それを言いに、わざわざうちに来たのかよ?」
「そうだよ。進学なんかやめて、うちの旅館で働きなさい」
「あのな。お前。そんな簡単に言うけどな。面接とか資格とか旅館で働くのも結構大変なんだぞ。俺なんか受かるわけ・・・」
「そこは大丈夫。お母さんとお父さんの許可は、もう取ってるから」
「はあ?」

またしても俺は口をパクパクさせた。

「こだまが婿養子になってくれれば万事OKっしょ。いよ! 光屋11代目!」
「誰が11代目だ! 勝手に決めるな」
「でもでも、昨日家族会議で決まっちゃったの。こだまを婿にして、ゆくゆくは光屋を継いでもらうって。そうした方がいいんじゃないかってお父さんが言ってるよ?」
「そんなこと、急に言われても・・俺困るよ」
「とにかく、もう勉強なんかもうしなくていいから。これはもうお終いね」

のぞみは立ち上がり、俺が使ってる神聖なテーブルに手を伸ばし、参考書や赤本を丸め、ごみ箱に捨てていた。
勉強道具が捨てられる。捨てられる? え! 捨てられた!

「ああー。なんてことするんだ。大切な参考書が・・・おい! のぞみ。いくらお前でも許さないぞ」
「こだまは勉強なんかしなくていいの。来年うちに就職するんだから」
「・・・・」

こだまは小さな声で何かをささやく。

「・・?? こだま。何か言った?」
「け?」
「け? けってなあに?」
「出て行け!」
「ちょ・・ちょっと待ってよ。光屋だよ。地元一の大旅館だよ? 就職先が決まったのに、なんで怒ってるの?」
「誰がお前の婿養子になんかなるもんか」
「でも。指輪をくれたのは、こだまなんだし」
「だからあれはお前に無理やり買わされただけで、それにあの時はお前の誕生日だったから。勢いでやっただけだ」
「・・・・じゃあ、本当に東京に行っちゃうの? このわたしを置いて? 一人で?」
「当たり前だ。さあ出て行け。勉強の邪魔だから、今すぐ出て行け!」
「ちょ・・こだま。背中を押さないで暴力反対! こんなことをして・・・あんた絶対後悔するよ?」
「うるせえ! でていけー!」


*********

「こだまのアホ! バカ! 間抜け! 絶対に、ぜ~~~~たいに、あとで後悔させてやるから」

のぞみはこだまの家を振り返りながら、そう呟く。
そして妄想した。こだまが東京に行く未来を。

<のそみ。俺今日東京に行く>
<うん>
<玉造温泉駅からやくも10号に乗って岡山駅に行き、岡山で東京行き、のぞみ20号に乗換だ>
<うん>
<悪い。のぞみ。でも俺、どうしても東京に行きたいんだ>
<進学じゃ・・仕方ないよ。東京に行っても元気でね・・・>
<東京に行ってもお前のことは一生忘れない。じゃあ8時51発のやくも10号だから、そろそろ行く。のぞみ元気でな>
<・・・・・>

「いやあああああああああ! いや! いや! いや!」

のぞみは両手で顔を隠しながら首をブンブン振った。 
無理だ。こだまが東京に行くなんて、そんなの嫌すぎる。
こだまと離れ離れになるぐらいなら死んだほうがマシだ。
そして、のぞみは神社に向かった。
こうなったら、神頼みで、なんとかしてもらおう。
のぞみは社殿の前に立ち、両手を合わせ祈る。

「こだまの受験が失敗しますように。そして光屋に就職しますように。こだまと一緒に居られますように。神様。お願い!」

のぞみは神社でそう願い、財布から一万円札を取り出し、迷わず賽銭箱の中に投下した。



*********


関東地方の大部分と新潟・長野両県の一部、及び九州地方の長崎県西部と鹿児島県の約半分は異様な物体の落下によってペシャンコになった。
東北、中部、近畿、中国、四国、九州の各地方は、落下の衝撃による激しい地震と津波のために大被害を受け、多くの人が家を失い、避難所暮らしを余儀なくされている。
直接物体の落下により圧死された地方と諸都市をあげると次の通りである。

東京都 全域

埼玉県 全域

茨城県 全域

栃木県 全域

群馬県 全域

千葉県 東側70%

新潟県 佐渡島を含む東半分

長野県 東側30%

福島県 南側50%

福岡県 西側30%

佐賀県 西側70%

長崎県 東側70%

鹿児島県 本土の南部70%


以上が物体の下敷きになった。
東京都、横浜市、浦和市、宇都宮市、長崎市、鹿児島市の全てが物体の下敷きになり、ペシャンコに押しつぶされたのである。
この物体の直接圧死は三千万とも四千万とも言われているが、被害を受けた地域があまりにも広範囲のためあまり調査が進んでいない現状だ。
物体が落ちて来て、既に15日も経過したと言うのに、詳しい被害状況は未だに不明だった。

「物体の直径1000キロ、厚み100キロ、高さ200キロ、総重量2兆トンだって」

呑気に新聞を読みながらそう言う、のぞみ。
のぞみは「ふむふむ」と唸っているけど、こっちはそれどころじゃなかった。
東京が物体に押しつぶされた。
東京が今どうなっているのか分からず未だに連絡が取れていない。

「俺の第一志望の大学。どうなったんだよ・・・」
「さあ? わかんない。でも東京都があった場所は物体に押しつぶされてるらしいから絶望的じゃないかな? なんでも地面に1キロもめり込んでいるらしいよ」

調べれば調べるほど状況は絶望的だった。
落ちて来た物体は兵庫県相生市を中心にリング状に降って来た。
直径1000キロもの、リング状の物体が突然日本に降ってきたわけだが、不思議なことに、その落下の瞬間を見た物は誰一人いない。
気づいたときには、物体はそこにあって、日本をペシャンコに押しつぶしていた。

だが俺達は島根県の玉造温泉という所に住んでいたから物体からの被害を免れ、直接押しつぶされず済んだのだが、しかし生き残れたからと言って全てが安泰というわけではない。
俺達、生き残り組はリングの中に閉じ込められている状況なのである。
外部との連絡は一切取れない。
携帯電話の電波も、あの物体が全て遮断され外部との連絡は一切取れていない。
連絡が取れないなら飛行機に乗って飛び超えて行けばいいじゃないかと思うかもしれないが、そもそも物体の高さは200キロもあるのだから飛行機で飛び超えていくことは不可能だった。
完全に俺達はリングの物体の中に閉じ込められ、孤立してしまったのである。

「大変なことになったけど、まあなんとかなるっしょ」
「・・・はあ・・お前なあ・・・」

こんな時でものぞみは冷静だった。
世間では緊急事態宣言が出て大騒ぎになっているのに、のぞみだけはいつもと変わらない。
呆れるぐらい能天気だった。

「おまえって、ほんと能天気だよな。近いうちに配給制度が実施されて食料やガソリンが自由に買えなくなるらしいのに、お前怖くないのかよ?」
「別に。まあなるようになるっしょ」
「あのな・・・」

知っての通り、日本という国は、そのほとんどを輸入に頼っている状態だ。
特にガソリンは海外からの輸入に頼っているので、外部との接触が断絶された今、危機的なエネルギー不足に陥ってるらしい。
ガソリンスタンドでガソリンが買えなくなる未来は近い。
下手をすれば、車が自由に乗れなくなるかもしれないのに、のぞみは信じられないぐらい呑気だった。全然危機感を感じていない。

「お前。怖くないのかよ? この先世界がどうなるのか、わからないのに・・・」
「怖い? 別に。怖くなんかないよ」
「おまえなあ・・・」
「わたしね。こだまさえそばに居てくれればなにも怖くないよ。それよりこだまが居なくなる方が怖い」
「あのな・・・・」

ほんとのぞみはズレている。ここまで冷静だと逆にサイコパスじゃないかと思うぐらいだ。

「それより、こだま。これからどうするの? わたしたち繰り上げ卒業しちゃったし」
「ああ。いきなり卒業だもんな。俺も驚いたよ。まあ国としては勉強なんかしている場合じゃない・・ってことなんだろうけど・・・」

巨大物体が降ってきたせいで、俺達は9月に卒業になった。あれは本当に予想外だったな。

「大学にも進学できないみたいだし、これからどうするの? ニートのこだま君? にゃはは!」
「うっせいな。ニートだけは余計だ。そうだな。バイトを探して、とりあえず生きていくよ」
「え? バイトするの?」

キラン☆彡 そんな音が聞こえるぐらい、のぞみの瞳が光る。
こいつ、なにが閃いたって顔してるな。

「じゃあさ。うちの旅館に就職しなよ」
「うちの旅館って、お前の実家? つまり光屋ってことか?」
「うん。うちの従業員になって」
「でも緊急事態宣言が出されている今のご時世に観光客なんて来るのか? 新聞によると、電車も道路も寸断されてズタズタになってるって話だぜ」
「そりゃ他府県からのお客さんはほとんど来ないよ。でも地元のお客さんがね。結構来てる。ネガティブな言い方をすれば、最後の思いで作りで感じじゃないかな?」


最後の思いで作りか。
それもある意味賢明な判断かも知れない。
今はまだ、ガソリンも電気も多少はあるが、この先もずっとあるとは限らない。
世界は今、関東と東北が分断され、九州から西側には行けない。とんでもない状態だ。
物体の壁によって、船が航行できない、飛行機も飛べない。海外からの物資が届かない、
今の現状が長く続けば日本国民全員飢え死にするかもしれない。そうなる前に旅行しておいて楽しんでおこう。
そう考える人が居ても全然不思議じゃないか。

「だからね。毎日が繫忙期で忙しいの。ねえ? お願い。こだま。光屋で働いて。もちろん。給料はできるだけ弾むからさ。お願い」

のぞみは(><)こんな顔をしながら拝んできた。
参ったな。俺こういうのに弱いんだ。
でもどうする?

就職か。進学か?

今までの俺なら迷わず進学を選んでいたけど、俺が志望していた東京の大学は物体の下敷きになっている。
志望校はおろか、東京都の全てがペシャンコになっているから、もう東京に行くことさえ、叶わなくなった。
じゃあ無傷の都市、大阪や名古屋の大学に行けばいいじゃんと思うけど、そこに行く手段がなかった。
電車も道路も、まだ完全に復旧されていない。
どうしても行くとなると大阪まで歩いて行くしかない。
それに都会の大学側にも色んな混乱があって、来年新入生を取らないという噂もあるし、どのみち進学は絶望的と考えられる。

「お前の旅館じゃなくて、よそでバイトするってのはどうかな?」
「言っておくけどバイトの求人もかなり減ってるんだって。経済が混乱しているから。職探しも今のご時世じゃあ難しいらしいよ? コンビニバイトですら争奪戦なんだって」
「そうなのか・・知らなかった」

バイトぐらいすぐに見つかる。そう高をくくっていたけど、経済が完全にストップしている今、求人もかなり減っているらしい。

「どうするこだま? うちの旅館で働くか。それともニートになるか、二つに一つだね」

物体が落下してから全てがわかってしまった。
東京は消滅し、日本経済はメチャメチャになっている。
明日の飯がちゃんと食えるのかさえ、わからないとんでもない事態。
そんな事態になっているんのに、のぞみは俺を受け入れようとしている。
俺に食い扶持を与えようとしてくれている。
なんて優しい子なんだ。のぞみって奴は天使じゃん。
そう思うと、のぞみは、めっちゃ可愛く見えて来たよ。

「こだま? もしかして泣いてるの?」
「うるせえ。ちょっと鼻水が出ただけだ。わかった。こんな俺でよければ・・」
「え? いいの?」

そう俺が言い切る前に、のぞみは目を輝かせる。

「ほんと? 本当に本当? うちの旅館で働いてくれる?」
「ああ。のぞみ。悪いけど、お前の・・いやもうお前なんか呼べないな。若女将の旅館で働かせてください。お願いします」

こだまは頭を下げた。できるだけ深く、そして真心を込めて。

「にゃははは。若女将なんて。そんな・・わたしだって、半分見習いみたいなもんだし」
「でも。お前・・・いや若女将は光屋の跡取りなんですよね? だったら礼儀を尽くさないといけません」
「もうー。ほんとやめてー。若女将なんて、そんな柄でもないから、今まで通りのぞみ。呼び捨てでいいよ。あと敬語もやめてね。こだまが敬語なんて、なんかキモいからー。にゃはははは!」
「なんだよ。キモいは余計だろ。まったく・・・」
「にゃはははは! でも覚悟しておいてね。一応、わたしがこだまの上司になると思うから」
「はい。よろしくお願いします」
「にゃははは! あ~~~よかった。これで、こだまもわたしの手のひらの上だね。
 にゃはははは! 覚悟しておいてね。こだまはず~~と、わたしの手の中で転がされて、こうしてウリウリって~~好きなだけ転がしてやるんだから」

のぞみは、左手を水平にして、右手の人差し指で左手のひらを弄っていた。
まるで小さな虫をいじめるように、手のひらをグリグリと弄っている。
つまり、俺はのぞみの手の中。
これからは虫のように扱われるってことか。

「お手柔らかに頼むよ。てか、あんまりしごきがきついと、俺いつでも辞めてやるぜ」
「ああー。ひどーい。それじゃあまるで、こだまをいじめるみたいじゃないのー」
「どうせお前の事だ。従業員を虫けらのように扱ってるんだろ?」
「ひどーい。これでもわたし、みんなに優しんだよ?」
「ほんとかよ? お前の手のひらの上で転がされるのは勘弁だぜ・・・でもとにかく、これから頼むよ。のぞみ」
「う・・うん。ありがとう。こだま。大好き」
「こ・・こら。抱き着くなよ。暑苦しいだろ!?」

こだま抱き着くのぞみ。
こだまものぞみの愛に答え、彼女の肩をそっと抱きしめた。

その時、こだまはあることに気づいた。
のぞみは指輪をしていない。
昨日までは確かにあった指輪が、のぞみの指にはめられていなかった。

「そういやお前、指輪はどうしたんだ? 今日はしていないのか?」
「ああ。あれね。どっか行っちゃった」
「失くしたのか? でもお前、あれ大事にしてたんだろ?」
「別にいいの。今日ね。こだまが手に入ったから。指輪なんてどうでもいい。こだまさえ居てくれたら、他に何もいらないの」

それから一週間後。
同じ職場で働き始めて初めての日曜日が来た。
俺達は休暇と称して海にやってきていた。

「ねえ。こだま。海だよ。海。にゃはははは」
「まったく・・あいつは・・・いつも元気だな」

制服素足の格好で浜辺を走るのぞみ。
そんなのぞみを見て、こだまは多少呆れていた。
あいつは本当に疲れ知らずだと呆れている。

「こだまー。こっちにおいでよー」
「いいよ。俺は。ここ毎日。仕事ばかりで疲れたから勘弁してくれ」
「いいじゃん。せっかく海に来たんだから、入らないと勿体ないって。にゃははは」
「まったく。のぞみの体力お化けめ」
「ほらほら、冷たくて気持ちいから、こっちに来なよー」
「はいはい。今行きますよー。若女将・・・それにしてもさ。なんで制服? お前ももう高校生じゃないだろ」
「高校は卒業しちゃったけど、本当の卒業は3月でしょ? それまでは高校生気分でいたいのよ」
「ほんと変な奴だ。俺達はもう・・・高校生じゃないのに」

だけど、なんというか・・・。悔しいけど制服ではしゃぐ、のぞみは天使のように可愛かった。
巨大物体が落ちて来たから、その日から、のぞみがどんどん可愛くなっていくような気がする。
世間は暗く沈んでいるのに、のぞみだけが前向きで元気に、はしゃいでいる。
まあ、のぞみの楽しそうに、はしゃぐ姿を見れただけでも、ここまで来たかいがあったのかもしれない。

「あー、あー。思いっきりはしゃいだら、疲れちゃった。ちょっと休憩」

そう言いながら、のぞみは俺の横に座って来る。
浜辺には誰もいない。俺だけの貸切状態で、砂浜の上に直に二人で座った。

「お前を見てると、ほんと何もかもが嘘みたいだよな」
「嘘って?」
「あれだよ。あれ。お前にはあれが、見えないのか?」

海の方角を指差す。
海。つまり日本海側を見ると巨大な壁が聳えていた。
空は半分に区切られてしまい、上半分が青空で下半分は物体の壁に覆われている。水平線は姿を消し遠くに壁が聳えている。
あれが世界を滅ぼした物体。高さ200キロもある巨大物体の壁だ。

「あの物体が降って来てから、なにもかも世界が変わってしまったのに、お前は元気というか、能天気というか、頭のねじが外れてるんじゃないかと思うよ」
「そんなこと言っても、私たちの力じゃどうにもならないんだから気にしない方がいいと思うよ」
「あのなー。そう言う所が、お前おかしいんだよ。あれのせいで日照時間が短くなるわ、光の当たらない場所は出て来るわで大変なんだぜ?」

物体が作り出す巨大な影は太陽の光さえも奪っていた。
日照時間は短くなり日の出る時間が減っている。
さらに物体は光を反射させる、金属でできているので、常に太陽光が反射してギラギラと暑いのだ。
それがまぶしてくて仕方がない。

「まったく・・・最悪の疫病神だよな。あの物体」
「でもね。わたし、あの物体には少しだけ感謝している・・・かな?」
「感謝だって! 何をバカな!」
「だって、あの物体が降ってきたおかげで、こだまとこうして今も遊べてるわけだし、あの物体がなかったらこだま。東京に行ってたんでしょ?」
「そりゃ・・まあ・・・」
「だから、あの物体のおかげで、こだまと一緒になれたんだから、ちょっとだけ嬉しんだよ」
「はあ・・・まったくお前は・・そう言う話。俺だけにしとけよ。俺はいいけど、周りの奴に聞かれたらサイコパスだと思われるぞ」
「わかってる。ちょっとそう思っただけだから」
「それにしてもデッカイよな」
「あの物体。確か直径1000キロなんだよね。そりゃ大きいよ」
「なんとか、あれを壊せないかな? ミサイルかなんかで」
「もうやってるみたいよ」
「本当か? で? どうなった?」
「それが全然ダメだって。厚さ100キロ、総重量2兆トンもあるから、全く歯が立たないんだって。削ることも考えたけど硬すぎて無理みたい」
「じゃあ、トンネルとか掘れないかな? 物体の下にトンネルを通して、そこから脱出するとか」
「それも検討されたけど無理みたい。あの物体。地下に10キロも沈んでるらしくてね。トンネルを掘るのも大変な手間がかかるんだってさ」
「じゃあ。どうにもならないってことか。俺達はずっとリングの中に閉じ込められたままってことか・・・」
「現状はね。でも落ち込んでいても始まらないし。なるようにしかならない。すべては神様の言う通りだよ」
「ほんと。お前は元気だよな・・・こんな状況でも前向きになれるなんて・・でも、お前の言ってることが正しいのかもしれない。いやきっとそうだと思う」
「お。こだまにしては珍しいー。わたしの意見に賛同してくれるの?」
「ああ。賛同するよ。俺も今を楽しむ。そうだよ。いつ死んでもいいと思うからこそ、今を一生懸命楽しまなきゃな。あははは」
「あ。こだま。わらった。久しぶりに笑ったな」
「ああ。くよくよして、ばかりいられないもんな。だから今日という日を一生懸命楽しむぞ! というわけでのぞみ。ちょっと俺に協力してくれ。こっちを向いて」
「なに?」

真正面を向く、のぞみ。するとこだまの手がのぞみの体に伸びて行った。

「それ!」

のぞみの胸を掴む。掴んで「もみもみ」と、のぞみの胸を制服の上から揉んだ。

「ちょっと・・なにするのよ。こだま」
「わからないのか? のぞみ。今を楽しんでいるんだよ。こういうの。昔からやってみたかったんだよなー、ついに夢が叶ったぞー」
「最低!」

パチンと、甲高い音が鳴る。のぞみはこだまの頬をビンタした。

「最低! ほんとキモいんだから」
「ごめん。ごめん。ちょっと出来心でつい・・・」
「もう帰る」
「のぞみー。待ってくれ。悪かったー。謝るから―」

のぞみを追いかけるこだま。その時のぞみは舌を出しながら少し笑っていた。
まんざらでもない。そんな顔が、のぞみの顔から透けて見えている。

「待ってくれー。のぞみー。俺が悪かった。謝るから許してくれー」

そんなのぞみの後姿を、こだまは走って追いかける。

「ほんと悪かった。のぞみ。謝る」
「ふん!」
「なあ。ほんとゴメンって。許してくれよ・・なあ?」
「じゃあ。約束して」
「約束?」
「そう。約束。一生私からは離れないって言う約束をして。そしたら許してあげる」
「なあんだ。そんなことか。いいぜえ。どうせあの物体のせいで東京に行けないもんな。約束する。俺一生島根から出ないよ」
「にゃはははは。じゃあ許してあげる」
「ほんとうか?」
「うん。それよりこだま。せっかくここまで来たんだから、ちょっと松江の方まで足を伸ばして行かない? 今ね。島根県民会館で、あの物体の縮小模型が展示されているんだって」
「あの物体って・・・あれのことか」

俺は水平線を指差す。
つまり日本を押しつぶしたあの物体のことかと、のぞみに聞いた。

「そうだよ。最新の技術で物体の全容が明らかになったんだって」
「そうか。それは是非見てみたい」
「じゃあ。決まりだね」

それから俺の運転する車に乗り込み、浜辺から松江市の方まで足を延ばした。

「すごい人だね」
「ああ。松江にこんな人が集まるなんて祭りの時以来じゃないか?

島根県民会館は人手に溢れていた。
流石に日本を押しつぶした物体なことはある。注目度はかなり高いようだ。
その模型を一目見ようと、大勢の人が押し寄せ、中に入るのに30分も待たされてしまった。

「へーこれが物体なんだー」

ようやく中に入れると、10万分の1スケールと書かれた、物体のミニチュア模型が一番目立つところに置かれていった。

「なんだか。フラフープみたい」

と、のぞみ。
だが、本当にフラフープみたいだった。
もっと正確言うと金属でできたフラフープ。
この円状の物体が日本を押しつぶしたのか。
こうしてみると本当にデカい。東京から西側へ向けて、九州まで輪が広がっている。
こんなにデカいのか? この物体。東京も全部押しつぶしているじゃないか・・・。

「普段は壁みたいに見えるのに、上から見るとこう見えるだー。ねー? こだま? あれ? こだまどうしたの?」
「・・・・」

俺は黙っていた。なぜなら、この物体どこかで見覚えがあったからだ。
この形。この金属。たしか、確かどこかで・・・

「なあ。のぞみ。これ。どこかで見たことがないか?」
「さあ? こんなフラフープ。わたし知らないよ」
「そう・・・だよな・・・」

それから俺達は島根県民会館を後にし玉造温泉に戻った。
その車中でずっと、あの物体のミニチュア模型のことで頭がいっぱいだった。
あのミニチュア。どこかで見たはずだ。どこかで。
金属。形。色。どこかで俺はあれを見ている。
だけど、それをどこで見たのか、全然思い出せなかった。

「じゃあね。こだま。また明日ね」
「ああ。のぞみ。お休み」

光屋に戻った俺達は、それぞれ別の部屋に戻って行った。
部屋に戻っても、俺はずっとあの物体のミニチュアのことが頭から離れなかった。だけど、どうしても思い出せずにいる。





俺が光屋に就職してから二週間後。物体は突如姿を消した。
高さ200キロという世界を区切っていた物体が消えたことで、今まで抑えられていた、海の波が押し寄せて来たので大勢人が被害を受けた。
だが、壁が消えたことで、徐々に日本は復興に向かいつつある。
だが、その出来事が悪夢でないことを証明するように、物体が消えた後に出てきたものは、完膚なきまでにペシャンコになった関東平野だった。
関東平野が押しつぶされ、今や海の下に沈んでいる。
東京を境に北と西に、海峡が出来て、日本が二つに分断されてしまっていた。

だが、いいニュースもあった。
高さ200キロの壁が消えたことで世界各地から救援物資が届くようになった。
とくに軽油やガソリンと言った、燃料が届くようになったので、エネルギー不足が解消されたことは、日本国民を大いに勇気づけた。

そして俺にとって一番の朗報は来年も新入生を取ると大学側が発表したことだった。
比較的被害が少なかった大阪の大学も、今年から新入生を受け付けると言うことである。
道路も鉄道も復旧して、来週には大阪から島根が鉄道でつながることになっているし、大学が再開される。電車に乗れば大阪に行ける。
そんな報道がされると、俺は居ても立っても居られなくなった。
大学に進学したい。いや絶対に進学すべきだと、俺の中に存在する希望のようなものがメラメラと燃えていた。
早速のぞみに報告しよう。

「なあ。のぞみ。今ちょっと時間いいか?」
「うん? なあに? 今忙しいから後にしてくんない?」
「大事な話なんだよ」

俺の気迫に、のぞみも察してくれたのか、時間を作ってくれた。

「おまえ。その指輪どうしたんだ?」

前に失くしたと言っていた指輪が、のぞみの指に、はめられていた。

「ああ。これ? なんか引き出しの奥から急に出てきたの。失くしたと思ってのに、急に出て来るなんて不思議だよねー。でも見つかってほんとよかったよー」
「よかったな・・・ところでのぞみ。相談なんだけど春から俺・・・・大阪の大学に進学しようと思ってるんだ。いいかな?」
「・・・・はあ?」

のぞみは口開けながら首をかしげ、若干顔を引きつらせていた。

「だから進学だよ。進学。新聞に書いてあったけど来週から大学が再開されるんだって。進学できるんだよ。俺」
「へえ・・・それはよかったね」
「なんだよ。お前。素っ気ない返事だな。大学が再開されるんだぞ。入試が受けれるんだぞ。もっと喜べよ」
「で? 大学が再開されて、こだまはどうするの?
「どうするって、そんなの決まってるだよ。大阪の大学を受けようと思ってる」
「大阪の大学に行くって・・・電車で通うの? 島根から大阪まで? ふーん。結構大変そうだね」
「アホか! 誰が島根から通う馬鹿がいるんだよ! 下宿するに決まってるだろ」
「ええ!? じゃあここはどうするの? もしかして辞めちゃうの?」
「当たり前だ。大学生と旅館の仕事、両立できるわけないだろ」
「ちょ・・ちょっと待って。こだま。前に言ってたじゃない!? 一生島根から出ない。そう言ってくれたのに全部嘘だったの? あれ」
「あれは・・・あれだ。物体があったから、そう思っただけだ。だけど今は違う。200キロの壁も無くなったし、徐々にだが復興が進みつつある。時期に元の世界に戻るさ」
「でも。約束を破るなんてひどくない? わたし、こだまが一生島根に残ってくれるって言ってくれて、すごくうれしかったのに」
「それはあれだ・・勢いで言っただけだ」 
「職も紹介してあげたのに・・・仕事だって、いっぱい教えてあげたのに・・・ひどい。裏切るの?」
「あのな。のぞみ。元の世界に戻ればな。また学歴が必要になってくるんだよ。わかってくれ。のぞみ。なあ? 
 俺を大阪の大学に行かせてくれ! 大卒の学歴だけはどうしても欲しいんだ」」
「こだま」
「お。許してくれるのか? のぞみ」
「バカーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」


あ、行っちゃった。のぞみの奴。泣いていたのか・・・。
でも、なんと言われようと、俺の意思は変えるつもりはない。
大学進学は、ずっと前からの目標だったからだ。
そうと決まれば今から勉強だ。一か月のプランクを埋めるためには、これまで以上に頑張らないといけない。



**************



「ぐすん。ぐすん・・・こだまのアホ! バカ! 間抜け! 一生島根に残るっていたくせに嘘つき! ぜ~~~~たいに、 ぜ~~~~~たいに! 今度こそ許さないんだから!」

のぞみは泣きながら神社に向かい、お参りした。
そして神様にお願いする。

「こだまの受験が失敗しますように。大阪に行けなくなりますように。そしてわたしと永遠に結ばれますように。神様。お願い!」

のぞみは神様に、お願いをして財布から一万円札を取り出し、迷わず賽銭箱の中に投下した。


**********


あれから半日がたった。だけど、のぞみは未だに俺と口を聞いてくれない。
よっぽどショックを受けたみたいだが、まあそれも仕方がないだろう。
田舎出て都会の大学に進学する。
地方出身者ほど、都会の大学に憧れるというものだ。礼に漏れず俺もその一人だからだ。

「さあ。トイレにでも行こうっと」

トイレに行こうと思い階段を降りると、のぞみと出くわす。
もう少しで、ぶつかりそうになった。

「ごめん。のぞみ。でも俺・・・」
「・・・ふん!」

俺が話しきる前に、のぞみはあっちへ行ってしまう。
あいつ、まだ怒っているのか・・・。
すると地面が光る。
なにかと思って光るものに近づくと指輪だった。のぞみがはめていた、指輪が廊下の上に転がっている。

「おい。のぞみ。落としたぞ・・・。なんだよ。あいつもう行ったのかよ?」

のぞみは向こうへ行ってしまっている。指輪だけが廊下に転がっている状況。
しょうがない。あとであいつに返しておくか・・・。

「うん? この形・・・」

指輪。それは何の変哲もない、のぞみの指輪。
だけど、その指輪の形や色が、どうも引っかかった。
この指輪。見覚えがある。
そりゃのぞみにプレゼントした指輪なのだから、見覚えがあるに決まってるのだが

「違う。なんか違う。今まで毎日見ていたような、そうだ・・・毎日。見上げていたような・・・あ・・・あああ! ああああああああ!」

俺はポケットからスマホを取り出し、あるワードを検索した。


<物体。落下。巨大なリング>


そのワードで検索すると、高さ200キロ。直径1000キロのリング状の物体が、スマホに表示された。
こいつが東京を押しつぶした元凶。コイツが日本に降って来たから、4000万の人がペシャンコなった。
それが俺の手ひらにある。

「間違いないぞ。色、形、金属まで。全部そっくり。そうか。物体の正体は、のぞみの指輪だったんだ!」

島根会館で展示されていた模型は10万分の1のサイズだったが、あれでもまだ巨大過ぎたんだ。
実際には、もっと小さく、多分5000万分の1ぐらいが妥当なサイズなんだろう。
直径数センチの指輪が、直径1000キロに巨大化した。
その証拠に、色と形と金属感が、完全にのぞみの指輪と一致している。
つまり、のぞみの指にはめていた、指輪が東京に降って来て、4000万人の人を押しつぶした。
まさかとは思うが、その可能性は充分にある。

「この指輪が東京都を押しつぶして、4000万の人をペシャンコにした。大変だ。早くのぞみに知らせてやらないと! うわわわ・・・なんだ! 揺れた!」

スマホの警報アラームが鳴る。地震を告げる緊急アラーム。

「なんだ。なんだ・・・ま・・まさか・・・」

アラームを切ってSNSを開く。
すると大阪全滅の文字が、滝のように流れて来る。
巨大物体がまた降って来た。
関西地区は全滅だ。
関西が物体に押しつぶされた。
そんな投稿が相次いだ。

「なんだ! なんだ! 今度は大阪がペシャンコだって! でものぞみの指輪はここにあるぞ。どういうことだ?」

SNSを再び開き。物体の画像を検索してみる。
すると空を二つに区切るような巨大な黒い壁が大空に聳えていた。そんな画像が滝のように投稿されている。

「なんだこれ。物体から煙が出ているのか? 待てよ。大阪に物体が降って来たってことは、島根からでも何か見えるんじゃないか!」

俺は旅館を飛び出し外に出てみる。すると、SNSと同じ黒い壁が大空を区切るように聳えていた。
しかも、その黒い壁は、これまでの金属ではなく、布のように見える。
布が降って来た。しかも高さ200キロを超えている・・・だと。

「大変なことになったぞ! のぞみ。大変だ。今度は関西全域が全部ペシャンコになった。直径2000キロ、高さ200キロ、総重量4兆トンの黒い布が関西地方に降って来たって!」

そう叫びながら、俺はのぞみの部屋に向かった。

「おい。のぞみ。大変なんだ。また物体が降って来て関西をペシャンコに・・」
「こだま。そんなことより、あれ知らない?」

のぞみの部屋に入ると物が散乱していた。こいつ。何かを探しているのか?

「さっきまで履いていた靴下がないんだよー。しかも片方だけ。あれ、けっこー。履きやすくて、高校の時からずっと、お気に入りだったのにー、こだま。知らない?」
「知らないけど・・・」
「おっかしいなー。洗濯するつもりで、ここに置いていたのに・・・もしかしてこだまのタンスに紛れ込んだのかな?」

タンスの中をガサゴソと探すのぞみ。
そんなのぞみを背景に、超巨大物体が空を二つに区切るように聳えていた。
物体を中心にスモッグが立ち込め、徐々に世界が黄色く濁って行く。
視界もどんどん悪くなり、晴れているのに、世界が黄色く染まっていた。
黄色い靄が世界を覆いつくして行く。
物体を中心に汚染された汗のにおいが、風に乗って西方向へ流され始めていた。
日本全土がスモッグのような濃い霧に包まれ、汗臭い匂いに汚染されてしまうのも時間の問題だろう。

「ゴホゴホ・・・なんだこの匂い!? のぞみ! のぞみ! 助けてくれ! なんか変な匂いがしてきた!」
「こだま。ちょっと探すの手伝ってー。あれがないと困るんだけど―」



お終い