あるコンカツ

自分ももう34歳、結婚という言葉も周りからよく聞かれるようになる年齢だ。ただ、今のところそれに結び付けることが出来る相手がいない。というより、彼女いない歴かれこれ10年以上だろうか。
そんなことを思いながら、とあるコンカツサイトに登録したのが何日か前。どうせダメ元だったので、そのメールがそのサイトからだと気付くまでに十数秒を要した。
「はぁ・・・ホントかよ。」
高太朗が呟いたのには理由がある。彼の身長は152cmしかない。つまり女性の平均身長よりも低いのだ。もちろんサイトに登録した時にも本当の身長を書いている。
もし、会える相手が現れたとしたら、サバ読んでも全く意味が無いじゃないかと思ったのだ。
元カノは、身長182cmの美しい女性だった。いや、本当に元カノだったのかも怪しい。身体の関係は確かにあったが、いつも弄ばれていたような気がする。だが、高太朗はそれでも幸せだった。
何故なら彼は、脚フェチだったからだ。彼女の長い脚を足元から見上げるだけで、何とも言えない興奮が彼を満たしてくれていたのだ。

香苗は28歳。彼女もダメ元でコンカツサイトに登録した一人だ。何しろあまりにも身体が大きすぎた。その中で、ある男性のメッセージが目についた。
『自分は152cmの小男なので、相手の女性の身長にはこだわりません。どんなに大柄な女性でも自分との身長差が気にならない方ならお会いしたいです。』
散々悩んだ末に、このメッセージの主にコンタクトを取ることにした。香苗にとっては一大決心だった。彼氏いない歴=年齢だったせいもあるのかも知れないが、それ以上に相手の身長には
こだわらないというメッセージを信じてみたくなったのだった。

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何回かのメールでのやり取りの末、会ってみましょうということになり、高太朗は香苗が指定した待ち合わせ場所に向かっていた。
そこは郊外、というよりもうその先には人が住むような集落は数百kmに渡って存在しないという荒涼とした荒れ地地帯の手前にある自然公園の展望台だった。
その展望台から見える景色はただただ赤茶けた大地とその遠方に見える山々しかない。なぜこんな寂しい場所に?とも思ったが、たぶん大きすぎて人の好奇の目に晒されるのが
嫌なのだろう。と思い、特に反対はしなかった。実際自分だってよく見られるのだから、真逆の理由であれその気持ちはある程度はわかっていた。
「大きいって、どのくらいなんだろう?」
高太朗は元カノのことを思い出していた。自分より30cmも大きな彼女。ハイヒールを履くと40cm差になってしまう。そんな女性と歩くのは少し気恥ずかしかったが、それ以上に真横で躍動する
長い脚への興奮の方がはるかに勝っていたのだ。だが、たぶん彼女は自分のことを恋人とは思っていなかっただろう。身体の関係は持ってはいたが、ずっとそんな気がしていた。

スマホがメールが届いたことを告げていた。見ると香苗からだった。「もう、着きましたか?」とだけ書かれていた。
「はい、着きました。香苗さんは?」と返信する。
すぐに返事が来た。「もうすぐ着きます。」
だが、その後に続く文章が高太朗を少し不安にさせた。
「なにがあっても動くなって、どういうことなんだろう?」
やがて遠方から大地が震動する重厚な音が近づいてくるのに気が付いた。

高太朗は呆けたままで、目の前に突然現れたものを見上げていた。それは、山、いや、そんなものよりも遥かに巨大な女性の恐ろしく大きなパンプスが大地を踏みしめて聳えていた姿だった。
「座りますね。」
高空から澄んだ、それでありながら鼓膜を破るような轟音にも匹敵する声量の声が轟く。
高太朗はメールに書かれた通り動かない、いや、動けなかった。

香苗は胸に不安を抱きながらも少し期待しながら、なるべくそっと地面を踏みしめて待ち合わせ場所に近づいて行った。小さい人が登る展望台の手前で立ち止まり、ゆっくりとそこを見下ろしてみる。
「やっぱり、逃げちゃったのかしら。」
今まで香苗と会う約束をしたすべての男がそうしたように、今回の男も逃げてしまったのか人影が見当たらなかった。今度こそはと思ったのに・・・と思った時だった。展望台の上で何かが動いた。
人がいる。そう直感した香苗は、もっとよく見たい。話がしたい。と思い、「座りますね。」とだけ言うとゆっくりと膝を折り曲げていった。

地響きで尻もちをついてしまった高太朗の目の前には、ドーム型の曲面を持った巨大な壁が聳えていた。それは女性の、香苗の膝だった。しかしその大きさはそれだけで山と思えるほどのもので、
そう言われなければ人間の膝だとはわからないほどだった。
上空で巨大な女性が高層ビルより巨大なスマホを操作していた。と、電話の呼び出し音。香苗からだった。
「あの、はじめまして。日暮香苗です。。。」
スマホから聞こえる声と上空から轟く声がシンクロする。間違いなく目の前の巨大な女性が香苗さんなのだ。
「あ・・・暮林高太朗・・・です。。。」
「やっぱり、驚きました・・・よね。」
「あ、はい。いえ、でもこんなに・・・その・・・大きな人とは・・・」
「すみません。本当のこと・・・言えなくて・・・」
「あ、だ、大丈夫・・・です。」
ややぎこちないながらも、ふたりの会話は始まった。

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「あの・・・失礼を承知で聞くんですけど・・・」
「身長ですか?9200mです。」
「はぁ・・・」
いきなりそんな数字を出されても高太朗にはピンとこない。それを察したのか、
「世界中のほとんどの山を跨ぐこともできますよ。」
「すごい・・・僕の6000倍・・・」呻き声にも似た高太朗の声が聞こえてフフッと笑う香苗の声が周囲に轟く。なんて圧倒的な体格差なんだろう。高太朗の中では恐怖よりも羨望の度合いがどんどんと大きくなっていった。
30cmなんてもんじゃない。6000倍なのだ。その圧倒的な身体と未だかつて見たことのない長い脚。何故立っていた時にもっと見なかったんだろうと高太朗は後悔したくらいだ。
「あの、香苗さん。お願いが、あるんですけど・・・」
「はい、なんでしょう。」
小さな人間と話をすることが楽しいと思い始めていた香苗は、この小さな彼氏候補のお願いなら聞いてあげようと思っていた。
「じ、実は、僕は、メールにも書いたけど女性の脚が好き・・・なんです。」
「はい。私も脚の長さには自信がありますよ。」
「そ、それで・・・た、立っている、香苗さんを・・・見上げ・・・たい、んですけど・・・ダメ・・・ですか?」
高太朗としては勇気を振り絞って言ったのだが、香苗はそんなことなの?なんだか可愛い。と感じていた。
「揺れますよ~。」
楽しそうに香苗はゆっくりと立ち上がる。七分丈のパンツ姿だったのだが、ミニスカートでもよかったかな?と思ったくらいだ。だが、パンツ姿でも高太朗を興奮させるのには充分だ。もし、ミニスカートだったら、
鼻血を出して卒倒していたかもしれない。
「どうですか?私の脚。長いけど、太さもあるのでちょっと恥ずかしいんですけど・・・」
「そんなことないですっ!綺麗です。それに、その・・・凄い迫力で・・・あの、足のサイズってどのくらいなんですか?」
「足の大きさ、ですか?1200mちょっとくらいだと思います。幅も広いですよ。400m以上ありますから。」
少し上体を引いて真下を見下ろしてみると、ブラウスを押し上げている巨大な胸越しに、展望台から少し離れた場所にいくつかの管理事務所のような建物が並んでいるのが見えた。
確かここから何か小さなものが動いて行ったはず。たぶん、中にいた人が逃げ出したのだろう。だったら・・・香苗に少し悪戯心が芽生えた。

「ちょっと動かしますね。」
途方もなく長い脚の上の巨大な腰回りのさらに上、砲弾のように突き出した巨大な山の上から顔を覗かせた香苗の声が轟いた。えっ?動く?高太朗の思考が硬直している間に、香苗の右足が上昇し、
展望台の真横にパンプスの踵が踏み下ろされる。踵と言ってもその幅は街のいくつかの区画を簡単に呑み込むほど広く、ヒールの高さは相対的にはローヒールのはずだが、高太朗の前に超高層ビル級の
真っ赤な壁となって聳えていた。
その向こう側に広がるソールの部分は、100mほど上空に静止している。それでもほんの少しつま先を上げた程度にしか見えない。それがゆっくりと降下していくのを高太朗は固唾をのんで見つめていた。
靴裏がメキメキバキバキと林の木々をへし折っていき、メリグシャッ!足裏にあったいくつかの建物まで簡単に押し潰される。そしてズッズゥゥゥンッ!という局地的な地震を起こして、巨大なパンプスが
まるでその下には何もないかのように地面を踏みつけていた。
「すごいっ・・・」
高太朗はそれだけ言うのが精いっぱいだった。上空から香苗の笑顔で見下ろしている。
「ふふっ、踏み潰しちゃいました。怖かったですか?」
「え?あ、はい。。。いえ、ちょっと驚きましたけど・・・」実際は心臓が飛び出るほど驚いていたのだが。

「私が踏んじゃうとみんなペッチャンコになっちゃうんです。」
香苗は足を戻してその場にゆっくりとしゃがみ込んだ。高太朗は、たった今踏み潰された場所と、目の前に聳える巨大パンプス、そして、その持ち主の超巨大山脈級の女性を交互に見比べることしか
出来なかった。
足跡の周りは数十mほど盛り上がり、その中は完全に平たんになっていた。木々も建物も何もなく、完全に潰されて地面に押し込まれ、固められていた。
「高太朗さんのこと、もう少し近くで見たくなっちゃた。」
同時に何かが物凄い勢いで近づいてくると感じた高太朗の身体が急に突き上げられたかと思うと、地面に押し付けられる。展望台が急上昇していく、そんな感じを受けた。
まさか、と思ったのは間違いだった。香苗は左手を展望台の盛り上がった場所の下に差し込んでそのまま掬い上げたのだ。瞬く間に香苗の巨体が下へ流れていき、美しい顔の目の前、文字通り瞳の前で
ようやく止まった。
「ほんとに可愛い・・・」
一言を発するだけで、空気が唸りを上げている。目の前に口があったら、たぶん簡単に吹き飛ばされてしまうだろう。
高太朗も、香苗が見つめる優しそうな瞳を見てドキドキしていた。身体のサイズはともかく、こんなに美しい人に出会えるなんて夢にも思っていなかったのだ。

「高太朗さん、あの、私、今日ここに来て凄くよかったって思ってるんです。」
しばらくの間ややぎこちない、後から思い出してもふたりともよく覚えていないような会話をして、香苗が不意に口を開いた。
「ど、どうしてですか?」
「だって、みんな私の姿を見るだけで逃げ出すのに、高太朗さんは逃げなかったし、それに、小さな男性とこんなにお話しできるなんて思ってなかったので。」
「それは僕も同じです。香苗さんのような美しい人に出会えるなんて思ってもみなかったですよ。」
「まあ、お世辞でも嬉しいです。それで・・・その・・・」
香苗がなんだか恥じらっているように見える。そう思った高太朗は、慌てて大声を張り上げた。
「ぼ、僕から言います!こんな小さな男でよかったら、その・・・お付き合いしていただけますかっ!?」
「はい、喜んで。それに、私から見たら身長が2mくらいでも変わらないですよ。」
確かにそうだ。そう思ったら、なんだか笑みが浮かんできた。そして、香苗も声を上げて笑うのを我慢しているように見えたのだった。

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あれから毎日高太朗と香苗は連絡を取り合っていた。内容は今日何があっただのといった取り留めもない話ばかりだが、それでも少なくとも高太朗は楽しかった。
だが、それとは別に少し疑問も湧いていたのだ。あの荒れ地地帯の向こうには何があるのだろう?と。
ネットを調べたりしているうちに、あの荒涼としただだっ広い地域は軍管轄ということだけはわかった。だが、どの地図ソフトで見ても遥か向こう、数千km離れた海岸線までずっとグレーなのだ。
しかも、大陸を南北に引かれた一本の線を境にほぼ完全に東西を分断し、その東側にしか人が住んでいないようにも思えるほどだ。この前あった公園はちょうどその境界線の南端近くにあるのも
確認できた。
「ひょっとしたら、ここは全部香苗さんの土地なのかもしれない。」
何故なら、香苗は自分の6000倍、少々大柄な女性を基準にしても5000倍以上の大巨人なのだ。つまり、香苗にとっては1000kmや2000kmは徒歩圏内ということだ。
だったら香苗が生活するにはちょうどいい広さなのかもしれないし、人が住めないという理由も納得できる。香苗が人間の街を普通に歩くだけでどうなるかは簡単に想像ができてしまうからだ。
だが、それを聞く勇気は高太朗にはまだ持てないでいた。
「ん?巨人?」
それは、その空白地帯の目撃情報として複数ピックアップされていた。ただ、その想定サイズはまちまちで、信ぴょう性にかける都市伝説のような書かれ方だ。
確かにあんな巨大な人間がいたら、ニュースにならないはずがない。ということはやはり香苗さんはあの遥か向こうで静かに暮らしているのか。そこに自分が行って少しでも寂しさを紛らわせてあげられたら・・・
高太朗は何かにつけて全て香苗に結び付けていた。もう、気持ちのすべては、もう香苗が占めていたとしても言い過ぎでは無かった。

初めて会ってから1週間が経とうとしていた。今日は金曜、特に仕事も残っていないので定時に帰って香苗さんにメールしよう。そう思っていた時だった。
不意に肩を叩かれ振り返ると、そこには高太朗の上司である課長がにこやかな顔で立っていた。
「暮林君、悪いけど今日も残業よろしくね。」
課長の横には未決済書類の山が積まれている。いつもこうだ。自分より年下だが、上に取り入るのがある意味天才的にうまいこの男は瞬く間に出世頭になった。
だが、能力はせいぜい中の中というところで、しかも上が見ていないところでは遊び惚けているのだから、仕事が溜まってくるのだ。しかも、課内の決済は課長か代理の高太朗にしかできない。
自分の怠慢のせいでため込んだ仕事を高太朗にやらせて、自分は夜の街へと遊びに行く。というのが日常になっていた。
だが、この日の高太朗の態度は違っていた。
「私の仕事は全て終わっていますので、退社させていただきます。」
一瞬、「は?」という顔で呆ける課長。だが、その言葉の意味が分かってくるにつれてその顔は赤く染まっていく。
「お前な、課長命令が聞けないわけ?いいから黙って残業すればいいんだよっ!」
「それはパワハラと言います。このまま労働基準局なりに行っても私は一向にかまいませんよ。」
実は高太朗も堪忍袋の緒が切れていたのだ。それが、今自分の中で一番大切な香苗とコンタクトも取れなくなってしまうと思ったら、爆発してしまったのだ。
「てめぇ!いい気になってんじゃねぇぞ!」
課長が高太朗の胸倉をつかんだその時だった。不意に誰かが怯えたように叫ぶ声とOLの悲鳴が聞こえた。
「んぁ?どうした。てめぇ、逃げんじゃねぇぞ!」
一度高太朗から手を離した課長が窓辺に歩み寄ろうとした時、窓枠のかなり手前で固まってしまう。どうしたんだろう?と高太朗が窓に近づこうとした時、課長の
「なんだ・・・ありゃ・・・」という呟きが耳に入った。

窓の外、かなり遠くの方で何かが動いているのが見えた。それは人影にも見える。だが、遠く離れた標高1000m近い山々の向こうに見える人影なんて・・・
「か、香苗さん?」
高太朗は慌ててメールを送った。「どうしたんですか?会社から見える場所まで来るなんて、何かあったんですか?」
ひと時、人影が止まって俯いているように見えた。そして、香苗からの返信。
「私のこと見えますか?よかった。あの、今から会いに行きますから、会社で待っててくださいね。心配しなくても大丈夫です。海から行きますから。」
読み終わって顔を上げると、また遥か彼方の人影が動き出した。
ほんの数歩で、それは間違いなく人だということがわかり、次の数歩でそれが女性、しかもグラマラスなボディであることが誰の目にもわかった。
「おい、なんか真っすぐこっちに向かってないか。」
誰かの一言で、誰ともなく逃げ出し始めたころには、歩を進めるたびに何秒か遅れて重厚な地鳴りが轟きビル全体が揺れ始めたのだ。それでもまだ数十kmは離れているのに。
高太朗はひとり取り残された執務室の中から香苗が近づいてくるのを見つめていた。今日は濃紺のタンクトップと薄茶色のホットパンツというかなりラフな格好に胸が高鳴る。
だが、その足元では大型船が大波に翻弄され、海沿いでは至る所でがけ崩れや地滑りが起きている。ただ歩いているだけなのに途方もない破壊力を小さな人間たちに見せつけながら、
最初に1000km以上離れた場所にその姿を見せてからたったの数分で、もう手が届くところまで近づいていた。

香苗も小さな人間に対する被害が出るだろうことは想像していたが、それ以上に高太朗に会いたくて仕方が無かった。毎晩電話で声が聴ける。でも、その姿が見たくて、そこにいることを感じたくて
どうしようもなかったのだ。別に少しくらい被害が出ても誰にも文句は言われないし、そう考えてしまって矢も楯もたまらずに出てきてしまったのだ。
香苗にとって好都合だったのは、高太朗の勤める会社が運河からそう離れた場所には無かったことだろう。2km程度なら運河にしゃがんで手を伸ばせば簡単に届く。
実際香苗は、その場にしゃがんでから改めて高太朗にメールを送ってみた。
「すみません。どうしても会いたくて。ご迷惑だったですか?」
すぐに返事が返ってくる。
「そんなことありませんよ。僕も香苗さんに会いたかったんです。」
これは高太朗の本心だ。だが、あんな巨大な香苗が街に入った時の被害を考えると、来てくださいとは言えない。次の週末にまたあの公園で待ち合わせしたいと思っていたのだ。
「本当ですか?嬉しいです。会社の前に小指を置きますので、乗ってもらえますか?」
「いえ、みんな逃げ出してしまったので、たぶんビルの中は僕だけだと思いますよ。」
香苗が街を見下ろすと、確かにとても小さな粒々が自分から離れるように動いているようにも見える。これが普通の人間の反応だから仕方がないとも思うが、あまり気分がいいものではない。
だが、そんなことよりも、ビルの中には高太朗ひとりだけということが、香苗にとっては嬉しかった。
「じゃあ、ビルごと摘まんじゃいますね。」
メールの返信と同時に香苗の人差し指が近づいて来た。隣の12階建てのビルの真上で静止すると、「これですか?」という声が轟く。
高太朗は「違います。隣のビルです。」とメールすると、すぐに人差し指が真上に移動してきた。
「揺れるので机の下にでも隠れててください。」
その声にしたがって、机の下に入ろうとした時だった。
ボゴォッ!グシャァッ!!!
隣のビルが香苗の親指にあっさりと押し潰された瞬間だった。その親指は全ての窓の外を完全に覆い隠すと、今度はフロアの向こうの方から凄まじい破壊音が聞こえ、ビル全体がミシッと
軋んだ気がした。いや、間違いなく悲鳴を上げていただろう。そして次の瞬間に強烈な勢いで床に押し付けられ、フッとビルがすべての圧力から解放された。
高太朗が机の下から這い出して、すべてのガラスが粉々に砕かれた窓辺に近づこうとした時、
「高太朗さん、見つけた。」
外から巨大な、それでいて優し気な瞳が覗き込んでいた。

「でも、来週から仕事する場所が無くなっちゃいますね。。。」
ビルを掌に乗せてから、思い出したように気が付いた。もうビルの中はめちゃくちゃだろうから、仕事になんかなるわけがない。高太朗さんに迷惑をかけてしまった。香苗はそう思ってしまったのだ。
ところが、広大な掌にちんまりと乗っているビルから出て、こうやって見るとずいぶん小さく見えるなぁと思いながら、高太朗は意外なことを口にした。
「いえ、いいんです。もう、この会社嫌になったので辞めようかと思ったので。」
「そうなんですか?」驚いて少し目を丸くする香苗。しかし、何かを思いついたようだ。
「じゃあ、もうこれはいらないですね。」
高太朗とビルを乗せた掌がグゥンと下がって、紺色の巨大山脈の前で停止した。今日の服装は谷間の大峡谷もはっきり見える。
「香苗さんの胸、凄く大きいんですね。」
声が届かなくなったので、慌ててメールを送ると、香苗は超巨大スマホと掌を見てにっこりとほほ笑んだ。
「ふふっ、じゃあ、この大きな胸の中にいらなくなったビル、挟んじゃいますね。」
香苗はスマホを太ももの上に置くと、ビルを摘まんで胸元に近づけ、パッと指を広げた。

逆さまになって100mほど落下したビルは、右胸の斜面に激突して簡単に上層階が砕けてしまう。そのまま残った部分と瓦礫と化した部分がいっしょくたに谷間に転がり落ちていき、
左胸とくっついている場所で一度引っかかった。だが、香苗が指先で少し谷間を押し広げただけで、ビルは丸ごと深い谷に落下していき、もう高太朗の目に留まることは無かった。
「もう、粉々になっちゃったみたいです。」
そう言うと同時に香苗は視界の隅を動く何かを見つけ、その方向に右手を伸ばす。その方向には高架駅があり、そこから超満員の乗客を乗せた電車が走りだそうとしていた。
「電車はダメですよ。」
子供を諭すような言い方で駅に向かって話しかけながら、先頭車両の数十m先に人差し指を押し付けると、高架橋が簡単に押し砕かれ、電車の前には指先が巨大な壁となっていく手をふさいだ。
だが、速度はまだそんなに出ていなかったのと送電が止まってしまったため、先頭車両が指にぶつかって2両目までが脱線するだけですんでいた。
まだ生きている。ほっとする運転手の目の前を肌色の巨大な壁が物凄い勢いで移動していった。指先が離れて目の前に広がった空間を見て運転手は絶句した。
完全に切断された高架橋の端の先はには何もなく、ポッカリと巨大なクレーターが出来上がっていた。切断された線路も高架橋沿いにあった建物も完全に消え去って、窪んだ地面に強制的に
貼りつかされていたのだ。
ドゴォッ!
背後から破壊音が轟く。窓の外に身を乗り出して振り向くと、駅の向こう側にあの恐ろしい人差し指が押し付けられているのが見えた。直後に聞こえた巨人の声。
「もう電車は動けませんよ。少し待っててあげますから、皆さん、駅から離れてくださいね。それと車は使わないでください。もし、動いてる車を見つけたらペチャンコにしちゃいますからね。」
それを聞いた乗客たちは、いや、運転手も車掌も、電車を飛び下り、我先にと駅に向かって走り始めた。

高太朗は再び香苗の目の前に上げられていた。
「あの、私のこと、怖いと思いますか?」
まだ会うのは2回目だというのに、ちょっとやりすぎちゃったかなとも思ったのだ。
「はい・・・いえ、凄い力だとは思うけど・・・」
「けど?」
「駅、どうするんですか?」
「そうですねぇ。高太朗さんが望むことをして差し上げます。そのままにして欲しいなら何もしませんよ。でも・・・」
「でも?」今度は高太朗が質問する。
「私のことをよく知ってもらいたいと思って、その、力とか怖さとかも・・・私、本当に高太朗さんが好きになりそうなので、まず私のことを知って欲しいんです。」
少しの沈黙の後、目の前のとても小さな男の声が聞こえた。
「わかりました。人が逃げるまで待ってるんですよね。だったら、駅を潰してみてください。握り潰しても踏み潰してもいいですから。」
「ふふっ、わかりました。」
香苗はの右手の小指で高太朗を掬い上げると、左手を駅に向かって伸ばしていった。

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駅を含めた周囲数百mがまるでミニチュアのように女性の片手に乗せられている光景は、現実離れしていた。
「誰もいなさそうですね。」
香苗はそう言うと、高太朗を駅前ロータリーに降ろした。
駅は何とか形を保っているようだが、ロータリーの中は至る所でアスファルトが折れ砕け、無数の亀裂が走っている。一緒に掬い上げられた周辺のいくつかのビルも多少傾いて窓ガラスは全て
割れ落ちてはいるが、壁面にひびを入れながらも倒壊はしないように見える。だが、香苗が軽く手を握っただけで、これらは全て粉々に握り潰されてしまうのだろう。
でも、握り潰す気だったら自分を降ろしはしないだろう。高太朗は香苗が次に何をするのか、不安そうな顔で見上げるしかなかった。

「最初は電車にしましょうか。」
ズゥッシィィィンッ!!!
えっ!?と高太朗は思った。身体がふわっと浮いた感覚がした。ということは今の地響きはどこかに座ったということ?会社から運河を挟んだ反対側は確か倉庫街のはずで、香苗の巨大な尻が
いくつもの倉庫を簡単に押し潰したということなのだろう。しかし、今までしゃがんでいたということは、危険を感じてみんな逃げているはずだ。そう思って何も言わないことにした。
白く美しい、それでいて巨大な指先がさっき止めた電車に近づいていく。指の幅は50mにもなり、電車2両分を隠しても有り余ってしまうほどだ。その指先が高架橋と一緒に電車を摘まんで、
軽々と引き上げてしまった。3両目から後ろがまるで細い糸のようにぶら下がっている。
「やっぱり弱いですね。潰れちゃいました。」
指に隠れて見えないが、先頭2両は挟んだ瞬間に潰してしまったのだろう。
香苗は手の向きを変えて、ぶら下がっていた電車を右手の掌の上に横たえ、手を握ったり開いたりし始めた。そのたびに金属の悲鳴が零れてくる。満員であれば1000人以上を乗せることが出来る
10両編成の電車が、たった一人の女性の手でいとも簡単に破壊されていくのだ。高太朗は身体が震えるのを自覚していた。
握り潰された電車はいつの間にかもう一度指先に摘ままれていたようだ。だが、その形状はさっきとは大きく異なるものだ。香苗は器用に片手だけで10両分をまとめて丸めて、さらに指の間でも
くるくると丸めていたのだ。
「はい、出来ました。」
高太朗の十数m先に降ろされたそれは、ところどころに車両の窓枠やドア枠が見えはするが、もはや電車とは呼べるものではないただの鉄球と化していた。

「高太朗さん、私が本気になったらビルを壊すのに何秒くらいかかると思いますか?」
そんなこと急に言われても、会社のビルだって簡単に摘まみ上げてしまったくらいだ。10秒持てばいい方だろう。
「え・・・っと、10秒くらい・・・ですか?」
「ざ~んねん、よく見ててくださいね。」
今度は人差し指を丸めて、掌に乗せた一番端にある15階建てほどのビルに手を近づけていく。
「行きますよ~、よ~い、スタート!」
ドッゴォォォォンッ!!!
本当に一瞬、たった一発のデコピンで、何とか健在だったビルは木っ端みじんに吹き飛ばされ、高太朗の視界から消失した。

「あとはまとめて潰しちゃいますね。」
高太朗の目の前に香苗の小指が降ろされてきた。たまたま少し先で横転していた路線バスは、小指の爪でいとも簡単に押し潰された。そのバスを押し潰した強靭な小指の爪の上に乗ると、
バスの残骸を張り付けたまま香苗の小指が横に移動していった。
香苗が普通のサイズの女性だとしてもIカップはありそうな爆乳の下に駅を乗せた左手が移動していく。
「ちょっと恥ずかしいけど、おっぱいで潰しちゃいますね。」
そう宣言した瞬間、掌が上昇していく。駅ビルの屋上がタンクトップに包まれた下乳に触れた瞬間、上層階が砕け、さらにその下の階層を押し潰していった。
瞬く間に駅全体が見えなくなり、凄まじい破壊音を伴いながら今まで駅を乗せていた掌で下から胸を揉み始めた。指の間からボロボロと零れ落ちていくのは、クシャクシャに潰された乗り捨てられた
車や、粉々に砕かれた建物たちだ。少しして、胸から手を離すと、掌の上には駅やビルの姿などなく、ただグシャグシャの瓦礫が転がっているだけになっていた。

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結局高太朗は香苗に連れられて行くことになった。この状態で降ろされても移動手段は無いし、何より高太朗が襲われることを香苗が心配したのだ。
「もし、高太朗さんに何かあったら、世界中の人間を皆殺しにしちゃいますよ。」
その一言で、高太朗も覚悟を決めたようだ。香苗の訪問で人的被害があったかは分からないが、街がめちゃくちゃになったのは高太朗がそこにいたのが原因だといわれても仕方がないだろう。
海上を歩きながら進む香苗に、高太朗はメールを送った。
「今度は、香苗さんが踏み潰すのを足元から見上げたいです。」
香苗は立ち止まってスマホを見ると、胸元近くに降ろした掌の上にいる見えないくらいに小さな男ににっこりとほほ笑んだ。
「いいですよ。そう言えば高太朗さん、脚フェチでしたね。すみません、舞い上がっててすっかり忘れていました。」
香苗はそう言うと、まるで水たまりのように浅い海をザブザブと大きな波を立てながら西へと歩き始めた。