翌日の授業中、真菜は美由紀から小さく折りたたんだノートの切れ端を渡された。
開いてみると、「クリスさんから伝言だよ。今度はいついらっしゃるのですか?って」・・・
教師の目を盗んで斜め後ろの美由紀をキッと睨みつける。が、男子でさえ震えあがる真菜の強烈な視線も美由紀には全く効果が無い。
何しろ手紙を送った本人は、ニコニコとVサインをしていたのだから。

「そんなこと、あとで言えばいいでしょ〜・・・」
保健室でちょっと赤ら顔の真菜に抗議された。
「だってぇ、クリスさん、本当に寂しそうだったんだもん。。。それからね、無事にエーレンを放棄したってさ。」
「そう・・・っていうかなんで美由紀までクリスって言う訳?」
「う〜ん、何となく。それとエーレンの兵士さんたちがね、真菜ちゃんがクリスって呼ぶ時赤くなるんだよって言ってたよ。」
「あ、い、つ、ら〜・・・今度行ったらギタギタにしてやるっ!」
つまり真菜もハウザーを意識していることは周知の事実ということになる。この前ちょっといじめた時の仕返しで言いふらしてるのね。今度は3倍くらいにしてやろうかしら。
「ちょっ、真菜ちゃん!殺しちゃダメだよ〜・・・」
「そんなことしないって。決めた、罰ゲームはあたしの脚の長さ分のダッシュ10本!もちろんフル装備でね。」
確か真菜ちゃんの股下は90cmあったはずだから・・・180mダッシュ10本?美由紀はエーレンの守備兵達に少しだけ同情した。

「そうだ、大事な話があった。」
無理やり真菜は話題をすり替えた。
「なに?」
「前に行った時に時計持ってったじゃない?覚えてる?」
「うん。。。」
「こっちに戻った時に午前2時頃だったんだけど、時計は8時を指してたんだよね。つまり、向こうに7時間くらいいたはずなのに、こっちでは1時間しか経ってなかったんだ。」
「じゃあ、やっぱり時間の流れが違うの?」
「そうみたい。で、計算した結果がこれ。」
美由紀は真菜に1枚の紙を渡された。午前1時が大地の日の午前10時とすると、午前2時は大地の日の午後5時・・・午前0時は大地の日の午前3時になる。
「ま、あくまで仮定だけどね。たぶん今は海の日の明け方くらいだろうね。」
「そっかぁ、すっご〜い!真菜ちゃん、ありがとう!」
美由紀はもらった紙を丁寧に折りたたんでスカートのポケットにしまい込んだ。

その日の美由紀はタンクトップにデニムのホットパンツという服装だった。胸元が少し開いているので爆乳の谷間も結構目立つものである。
前日もそうだったが、どうもアレックスとあんな感じになってから、身体のラインが出るような服装を好んでするようになっていたが、アレックスは分かっているだろうか?
それにしても今日は足元がぬかるんでいる。所々地面が光っているということは雨でも降ったのかな?それに以前歩いた時の足跡に少し水がたまっているようにも見えた。
シュナイダーに向かう途中で美由紀は村の異変に気がついた。いつも顔を出してくるはずの村人たちの姿が全く見えなかった。
近づいてみても誰もいない。何かあったの?急に胸がドキドキし始めて、美由紀はシュナイダーに急いだ。
「な〜んだ、そうだったんだ。」
守備兵の話を聞いて、美由紀はほっと胸を撫で下ろした。村人たちは念のため、しばらくの間シュナイダーの城下町に退避することにしたのだそうだ。
「そう言えば、アレックス、さんは?」
「一昨日よりパルメランドへ赴いておりまして、本日お帰りの予定です。」
守備兵のひとりが答えた。確かこの人は副守備兵長さんだっけ?名前は・・・忘れちゃった。
「そう、わかったわ。」
パルメランドというのが少々引っかかったが、美由紀は盛大な地響きを立てながら横の山の裏を回り込んでシュナイダーの反対側に回っていった。

城の裏側の城壁の前で、何人かの子供たちと指先で遊んでいると向こうから数頭の馬が見えてきた。そのうちの一頭が美由紀に向かって走り出した。
アレックスだった。すでに美由紀が来ていたので少し慌てたのだろう。
子供たちを城内に帰してアレックスを掌に乗せる。これもいつもどおり。だが、今日は胸の前で掌を止めてみた。
「どうかな?これ。」
わざとらしく少し胸を突き出してみる。アレックスが目の前の谷間に少し狼狽するのがわかった。
「よ、よく、お似合いです・・・」
この間から美由紀様の服装が少々大胆になって来た気がする。先週も胸を強調していたし、今日も。ひょっとして自分のせいなのだろうか?
やはり女性に関しては鈍感なようである。美由紀としては色々な服装をアレックスに見てもらいたいと思っているのだから。

「エーレンもエミリアも、今のところ異常は無いようですな。」
各方面に放った偵察が続々と戻って報告をする。かなりの長距離なので人も馬もバテバテの状態である。自分が行った方が早いのに。そう思ってはいたが、
先日のこともあるので美由紀も自分からは敢えて何も言わなかった。
「あのぉ、アレックス、さん?」
「もう呼び捨てでもいいですよ。兵士たちも、その、私たちのことは知っていますし・・・というか、国内全土に広まっておりますから。」
「国内全土って?じゃあ、パルメランド公も?」
「はい、今日呼ばれましたのはそのためで、その、かなり嫌味を言われましたが、最後には大切にするようにと仰せつかりました。」
本心かはわかりかねるが・・・とまでは言わなかった。何しろ相手はかなりの策士である。美由紀様と別れさせるために何か謀略を張り巡らせているかも知れない。
何しろ狙った獲物は自分のものにするか、相手が雲隠れするかするまで、とにかく執拗に追い回す人なのだ。グロイツ帝国の脅威が無ければ毎日でもこのシュナイダーに
現れかねない。だが、美由紀はそこまでの人物とはわかっていなかったので、少し安心したような顔をしていた。
「そうですか。それより、本当にグロイツ帝国は攻めてくるのでしょうか?」
「私も正直わかりません。ですが、ここは国境線です。備えだけはしておかなければ・・・」
その時だった。南へ送っていた偵察隊が慌ただしく戻って来た。以前、美由紀とアレックスが魔獣の大群に遭遇し、翌日(翌週)には忽然と消えてしまったあの方面だ。
「た、大変ですっ!魔獣がっ!魔獣の群れがっ!」
「何?あの谷を越えて来たと言うのか?まさか・・・」
あの大峡谷、美由紀だから軽く跨ぎ越せるが、一番狭い場所でも幅は40m以上あったはずだ。そんなところをどうやって?
「で、数はどの程度なのだ?やはり100匹ほどなのか?」
「そんなものではありません!とんでもない数ですっ!」
美由紀は既に立ち上がっていた。城壁に下ろしたアレックスと兵士たちを軽く見下ろす。
「ちょっと見てきます。パルメア兵は城壁から外には決して出ないこと。それと、アレックス。パルメランド公とクリスさんに連絡をしてください。
ただし、援軍はいりません。私とシュナイダーの守備兵で撃退しましょう。」
堂々とした女神の言葉に城壁上や内部のあちこちから兵士の大歓声が上がる。そうだ、女神様と我々で協力すれば魔獣ごとき撃退出来る。兵士たちの士気は一気に上がった。
「なんたること、風格まで備え始めたか。やはり、美由紀様は皆の女神様の方がふさわしいのかも知れん・・・」
大歓声の中、アレックスは独り胸中の複雑な想いに嘆息していた。

シュナイダーの街は一気に緊張が高まった。城壁の遥か向こう、地響きを立てながら歩いていく女神の後ろ姿を見ながら、兵士たちは出来る限りの準備を始めた。
剣と槍の確認。弓矢の補充、火矢の準備、投石機に乗せる岩塊の準備。そして住民たちの避難誘導。あまり考えられないが、最悪の事態に備えて
住民が早く脱出できるように、城の裏門は開け放たれた。後背はパルメランドに通じる。敵が攻め込んでくる可能性はまずは無い。
アレックスは事前の手はずどおりの指示を終えると、美由紀の後ろ姿に目を向けた。既に数km先まで進んでおり、標高300mほどの山の上に揺れ動く頭しか見えない。
その頭が不意に止まった。後ずさりしている?山の陰で見えなくなっていた大きな身体が見え始めた。魔獣はもうそんなところまで進んできているのか?
美由紀様が振り向いて何やら叫んでいる。声は数秒遅れて轟いた。
「アレックス!魔獣の数が多すぎ!あたしはここで食い止めるから、すり抜けちゃったのをお願いっ!」
既に美由紀は右脚を振り上げていた。

「どんだけいるのよっ!」
美由紀右脚を勢いよく踏み下ろす。十数匹の魔獣が一瞬で巨大な足の下に消え、回りを走っていた魔獣達も衝撃で吹き飛ばされる。だが、それとほぼ同数の魔獣の群れが
さらに襲いかかってくる。それを今度は左足で踏み潰す。巨足の踏みつけから逃れた数匹はひたすらシュナイダーの城壁に向かって走って行く。
どうも、この巨人は眼中に無いらしい。おかしくない?確か魔獣の習性は、目の前にいる動くものに誰かれ関係なく襲いかかったはずで、相手の大きさや強さは関係ない。
以前、魔獣たちの中に足を踏み入れた時もそうだった。
なのになんでこの魔獣達は目の前の巨大な敵には目もくれず、シュナイダーに襲いかかろうとしているのだろう?目的意識がある?いや、植え付けられている?
美由紀は次々と突っ込んでくる魔獣の群れを情け容赦なく踏み潰しながら何かおかしいと感じていた。

「来たぞっ!美由紀様が討ち減らしてくださったんだっ!一匹残らず仕留めてしまえ!」
城壁まで辿りついた魔獣はそれほどの数では無い。その魔獣達に向かって雨あられの岩と火矢が降り注いだ。魔獣とて獣である。火が有効なのは既に実証されていた。
だがそれでも城壁をよじ登って来る何匹かは槍で突き刺して追い落とす。
兵士たちの必死の防戦もあって、未だ城内へは一匹の侵入も許してはいなかった。だが、ここで戦況が変わっていった。

最初に気がついたのはアレックスだった。美由紀が魔獣と対峙している場所から山を挟んで反対側、村の方角から何かがやって来るのが見えた。
美由紀も気がついたらしい。とっさに美由紀はアレックスも驚く行動を取った。何と横の山の尾根に体当たりをして一気に押し流してしまったのだ。
巨大な山津波は、先頭集団の数十匹を一気に呑み込むと同時に、即席の防御壁になって魔獣達の二番手集団以降の進撃を一時的にだが防ぐ効果も発揮した。
「なんと・・・や・・・山まで、崩せるの・・・か」
たぶん今まで見た中での最大の力の使い方だった。アレックスはしばし唖然としてしまった。だが、魔獣の群れはまだまだ続いている。
美由紀がこちらに走って来る姿が見えた。巨大な胸がゆっさゆっさと揺れ、足は泥だかなんだかわからないものがたくさんこびり付いている。
「数が多すぎるのっ!住民を避難させてっ!」
あれだけ退治してもまだいるというのか?アレックスは戦慄した。美由紀様がおよそ1000匹、こちらも約100匹は仕留めているはずだ。
だが、迫りくる美由紀様の後方から追いすがる魔獣と思われる黒い点の数は果てしなく多い。何なんだ、この数は?

美由紀は城壁の500mほど手前で足を止めた。
「かなり揺れると思うから、みんな、落ちないようにね!」
そう言いながら追いついてきた先頭集団にまず一撃を加える。
ズシンッ!城壁が大きく揺れた。だが、崩れ落ちるほどではない。これが海辺の廃墟で力加減の確認をした成果か。つまり、この距離であれば美由紀様は本気で戦えるということだ。
アレックスはその後のことも思い出して少し赤面していた。だが、感傷にひたっている余裕は全くなさそうだった。
先ほどの即席防御壁を乗り越え始めた魔獣達の姿を認めた時、美由紀がいない方の城壁へと走っていった。

二度目の転機が訪れた。美由紀の視界に他の魔獣とは比べ物にならないほどの大きな影が飛び込んできた。
「なによ・・・あれ・・・」
恐らく今まで見た中で一番大きな魔獣。まだかなり離れているが、その姿形がはっきりと分かるほどに大きかった。巨大な熊の魔獣だった。
美由紀から見れば子猫くらいのサイズだが、パルメアのこびとから見れば怪獣のような大きさだろう。目測で体長40m、四つ足で走っている体高でさえ20mはある。
高さ15mの城壁よりも大きいのだ。こんなものが城壁に体当たりしたら、ひとたまりも無い。
アレックスもその巨大さにも驚いたが別のことも頭に浮かんでいた。単純な魔獣の攻撃であれば速度が速いものが必然的に先頭に立つ。だが、この巨大な魔獣は
ある程度の戦闘が進んだ段階で、いかにもとっておきのような現れ方をした。間違いなく人為的な何かを感じる。

「うそ・・・でしょ?」
巨大な魔獣は1匹だけでは無かった。少し遅れて同じような大きさの熊が2匹現れたのだ。
この3匹だけはとにかく自分がやっつけないと。。。美由紀の心に焦りが生じる。大きく右脚を振り上げ、先頭の巨大魔獣を思いっきり蹴っ飛ばした。
キャウン!腹部を蹴り上げられ、巨大魔獣は短く吠えながら綺麗な放物線を描いて2kmほど飛ばされ、地面に叩きつけられた。だが、これがいけなかった。
足元がぬかるんでいたことをすっかり忘れていたので、魔獣を蹴っ飛ばした拍子にバランスが崩れ、美由紀はそのまま尻もちをついてしまったのだ。
ズッドーーーーーンッ!
「いったぁい・・・」
今までとは比較にならないほどの巨大地震が辺りを襲い、たまたま真下にいた魔獣たちは巨大な尻に押し潰された。長く伸ばした右脚は城壁と平行に着地して、
およそ足の長さ分、170mほどの防御壁を作り上げた。左脚を曲げて立ち上がろうとした時に、2頭の巨大魔獣が左足と壁になっていた右脚の太ももに突っ込んできた。
「もうっ!」
美由紀は1頭ずつ鷲掴みにして、それぞれポイッと突っ込んできた方へ軽く放り投げた。
その瞬間だった。美由紀の手も足も届かない一番端を突進していく2つの影を見つけていた。
同じような大きさの魔獣が向こうからも?いけない!そう思って城壁の上を見た。アレックスの姿が見えた。
本当なら小さすぎて見えないはずだが、間違いなくアレックスだ。危機を察したらしく、城壁上の弓兵や槍兵を城壁から逃がそうとしているように見えた。
助けなきゃ!早く!
焦って立ち上がろうとする。が、足を滑らせてもう一度尻もちをついてしまった。ダメ!間に合わない!アレックスが・・・死んじゃう・・・
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
美由紀は思わず両手で顔を覆っていた。2匹の巨大魔獣はもう城壁から200mにまで迫っていた。

美由紀に巨大魔獣が迫っている光景を、アレックスは城壁の上から見ていた。
「あれが、ドルグランド兵が言っていた巨大な魔獣・・・」
あんなに巨大な魔獣がいては、美由紀様のような方でもいない限り勝てる見込みなどあるはずが無い。たぶん火か何かで相手の戦意を喪失させて追い払うしか手は無いだろう。
ドルグランド王国も決して弱体化などしていなかったはずだが、これであっさりと辺境を奪われた理由が納得出来た気がする。
美由紀が先頭の巨大魔獣を蹴り飛ばして尻もちをついた瞬間も、アレックスを含めほとんどすべての守備兵の耳目はそちらに注がれていた。
「守備兵長様!」
ひとりの兵士が指さした方向にアレックスは目を向けた。2匹の巨大な魔獣が女神の姿には目もくれずまっすぐにこちらに突進してくる。あの3匹だけでは無かった?
いや、あちらは囮だったとでもいうのか?
「総員退避だ〜っ!」
美由紀様は間に合わない。いや、間に合っても今度は向こうの2匹が襲いかかって来る。いずれにせよ城壁が破られるのは時間の問題だ。
「飛び降りろ〜っ!」
次々と兵士たちを飛び降りさせ、誰も残っていないことを確認すると、自身も城壁下の藁屑に向かって身を躍らせた。最悪の事態に備えて用意していたものが役に立った。
あとはこの藁屑に火をかけ、数秒でもいいから魔獣を足止めする。死ぬかな?とも思っていた。あの大きさだ。城壁は簡単に破られるだろう。
そして、例え足止めが出来ても・・・アレックスは死を覚悟していた。

落下していくアレックスの耳に今までで聞いたことの無い美由紀の声、悲鳴が響いてきた。
したたかに腰を打ちつけたが、すぐに藁屑から転がり出て火を放つ準備を命じる。直後の今までとは少し性質の異なる地響き。だが、魔獣は一向に突っ込んでこない。
「どうしたというのだ?」
美由紀の声も聞こえない。何が起こったというのだろうか?城壁に目を向けてみる。他の魔獣が城壁に体当たりを敢行している音が聞こえる。ふと視線を上げてみた。
「・・・・・・・・」
声が出なかった。これは、なんだ?いや、何となく想像はついていた。だが、その想像が外れていて欲しいとも願っていた。

ドクン!心臓が大きく鳴った。自分の身体が一瞬真っ白になった。美由紀自身はそう感じた。そして静寂。魔獣の鳴き声も聞こえない。
「ごめんなさい、アレックス。。。助けてあげられなかった・・・」
美由紀は恐る恐る顔から両手を離した。巨大な魔獣に突破された城壁を見るのが恐ろしかった。でも、それでもみんなを助けなきゃいけないんだ。が・・・
まっすぐに伸びた右脚の先には何も無かった。それに近くの山々が無くなっている。何やら少し凸凹したほぼ平坦な感じがする。
何だろう?この変な感覚。そう思いながらもシュナイダーの街の方に目を向けた。
「えっ?街が・・・」
美由紀の視界から街が跡形も無く消えていた。城壁も家屋も、少し先に見える城も全て消失していたのだ。
「ど・・・う・・・し・・・て?」
何がなんだかわからない。あたし、混乱してる?その時だった。伸ばした右脚の太股に何かが当たるのを感じた。見下ろすと小さな2匹の魔獣が体当たりを敢行していた。
でも、他の魔獣は?放り投げた巨大な魔獣はどうしたんだろう?そう思いながらも2cmくらいの熊を摘まみ上げて次々と左手の上に落とした。
大きさは普通の熊程度だが、美由紀を見て怯えていないところを見るとたぶん魔獣だろう。
その時だった。魔獣が突進してきたのとは太股を挟んで反対側の地面の色が少し違うことに気がついた。なんだろう?もう少し顔を下げてみる。
小さな粒々が散りばめられ、その奥にはもう少し大きな豆粒大のものが見える。ん???お城???なんでお城がこんなにちっちゃいの?
慌ててもう一度自分の身体の回りを注意深く見回してみた。自分の左側、魔獣達がやって来た方向の山の尾根が不自然に崩れ、赤茶けた色をした盛り土が山の向こうに見えた。
ただ、山といっても、美由紀から見ればたった15cmほどの盛り土でしかない。でも・・・あれってあたしが崩した山だよね。
もう一度太股の近くを見てみる。本当に注意してみなければわからないほどに小さなものが蠢いていた。せいぜい大きくてもゴマ粒大程度のものだ。
太股付近の一番多く集まっている場所を、地面と一緒に少し摘まみ上げて目の前まで持ってきた。
泥にまみれた地面と一緒にさらに揉みくちゃにされていたのは、熊や牛、狼などだった。全てがミリ単位の大きさでしかない。
「魔獣???なんでこんなにちっちゃいの?」
美由紀は改めてとても小さな街並みを見下ろしてみた。街の両側にそれぞれ高さ10cm程度の山といっていいのかわからない盛り上がりがある。
奥の方は右脚で一部をえぐり取っていた。間違いない、山に囲まれた城塞都市であるシュナイダーだ。
「う・・・そ・・・」
大きくなっちゃった・・・じゃあ、これってさっきの巨大な魔獣?掌に乗せた小さな熊のうちの1匹を目の前まで摘まみ上げてみた。身体を巨大な指先で締め上げられて、
キイキイと泣いているようだった。
「あはは・・・ちっちゃ・・・」
プチュリ!美由紀の桁外れの大きさと強さを持った指先が、まるでブドウの実を潰すように体長40mの巨大な熊を捻り潰した。

無造作に動くわけにはいかない。こんなに大きいとちょっとした振動だけでシュナイダーを壊滅させてしまうかもしれない。そう思ったので、美由紀の動きは慎重だった。
まず、もう一匹の熊を摘まみ上げ、捻り潰した。少し可哀想な気もしたが、こびとから見たらとんでもない大きさの魔獣なのだ。そう思って処分した。
次に、座ったままの状態で身体を横に捻り、シュナイダーの街の両側の山のさらに外側に、片方ずつ両手を置いた。
さらに右脚を後ろにずらしながらお尻を下げ、左脚を伸ばして、ちょうど寝そべった状態でシュナイダーの街を見下ろす格好になる。
たったこれだけの動作で、シュナイダーの南側約3kmほどが超巨大ブルドーザーに蹂躙され、森も山も押し流されてまっ平らに整地されてしまった。
それは生き残っていた魔獣達も例外でなく、まだ数百匹は残っていた魔獣の全てが、あっさりと美由紀の超巨体にすり潰されていた。
だが、あまりにも小さかったので、美由紀自身は全くと言っていいほど何も感じていなかった。
さらに身体を後ろに下げつつ、ゆっくりと上体を起こし、巨大な胸を1cmにも満たないシュナイダーの城壁から10cmほど離れた場所にゆっくりと着地させた。
その時初めて城壁が突破されなかったことに気がついた。後で気がついたことだが、城壁を襲った2匹の巨大魔獣は、美由紀が巨大化した時に伸ばしていた右脚の踵に押し流され、
足の裏で半分ほどに潰された山の中腹付近にペシャンコになって張り付いていたのだ。

アレックスをはじめとするシュナイダーの守備隊も、唖然とするしかなかった。彼らの目の前には直径300mを軽く超える巨大な二つの球体が鎮座しているのだ。
その上空には見慣れた女神様の顔が見慣れない大きさで、少し困った表情で見下ろしていた。
超巨大な女神様は、指先をそっと城壁に近づけていた。高さだけで城壁を軽く超えてしまうほどの指先が迫りくる光景は途方もない圧迫感だった。
ズンッ!指先が接地しただけでとんでもない地響きが沸き起こる。これがこのまま街に侵入してくれば、自分達はなす術もなくすり潰されるだろう。
だが、その指は、まるで城壁沿いをなぞるように今度は急激な横移動を始めたのだ。女神様の目的は明確だった。未だ城壁に群がっている十数匹の魔獣は、
指先のひと払いだけで全てすり潰され、消滅していた。
「アレックス、無事?」
遥か上空からの雷鳴のような声と同時にシュナイダーの街なかに突風が吹きすさんだ。兵士のうち何人かは吹き飛ばされ、家屋も何軒かが倒壊してしまった。

美由紀は指先で魔獣を全てすり潰した後、思い切って声をかけてみた。とにかくアレックスの無事を確認しないといけない。
ところが、砂粒のような兵士たちが吹き飛び、いくつかの家屋が崩れてしまった光景を目にして自分のあまりの強大さに唖然としてしまう。
ここまで巨大になるとまともに会話することも難しいのだと自覚した。
「無事だったら答えてよ・・・」
今度は手を口に当て、なるべく小声で呼びかける美由紀。ほどなくして、城壁上で必死に両手を振る人影を見つけた。美由紀から見ると身長たった1mmのこびと。
だが、アレックスだとすぐに分かった。雰囲気でとかはないが、とにかくわかったのだ。
「よかった。でも、あたし、こんなに大きくなっちゃった。」
アレックスが何やら叫んでいる。が、よく聞き取れない。美由紀は少し考えて、決心したように小指を立てて慎重に城壁に近づけた。
「あたしを信じて、乗って・・・」

城壁に登っていた兵士たちはアレックスも含めてどんどんと近づいてくる巨大な指先に身も凍る思いでいた。兵士の中には腰を抜かして動けないものもいる。
だが、アレックスは美由紀を信じて、その場に必死に踏みとどまった。
「これに・・・乗れ・・・と?」
城壁の前には小指の巨大な爪が置かれていた。少し伸ばしたそれは、家の3軒は楽に乗ってしまうほどに広かった。これが人の指先の爪なのか?そうも思ったが、
一番戸惑っているのは美由紀様なのだ。そう思うと、無意識のうちに爪の上に飛び移っていた。
直後に、小指が凄い速度で城壁から離れ、ついで急上昇していく。アレックスはその場で腹ばいに寝そべり、強烈な圧力と強風に必死に耐えていた。
「降りて・・・」
美由紀の声が響いた。どこまでも続く一面の肌色の世界。これが今まで乗り慣れた美由紀様の掌なのか?降り立った場所は見た目よりは少し柔らかかったが、
少し押してみても弾力は今までよりは全然無い。それに身体全体が余裕ではまってしまうほどの深く広い溝。これは多分掌紋?
余りにも巨大になったひとつひとつに、アレックスはいちいち驚愕せずにはいられなかった。
「もう少し上げるから、気をつけてね。」
肌色の地面が急上昇していく。今まで美由紀の掌に乗せられていた高さをあっさり超え、さらに上昇していく。遠くの景色の見え方がこんなにも違うのか?
寝そべりながら風圧と必死に戦っていたアレックスは、外を見ながらそんなことを感じていた。
急上昇が止まり、振り返ると・・・そこには途方もない大きさの瞳が自分を見つめていた。嬉しそうな、悲しそうな複雑な瞳。うっすらと溜まっている涙でさえ、
ちょっとした池が出来そうな量だった。

美由紀はできるだけゆっくりと、慎重にアレックスを目の前まで上げることが出来て、内心ホッとしていた。こんな高さから間違って吹き飛ばしでもしたら、結果は明白だ。
「無事だったんですね。よかった・・・」
掌の中央に乗せているゴマ粒よりも小さなこびとに話しかける。目に入ったところで小さなゴミが入ったくらいにしか感じないほど小さい。
「美由紀様のおかげでシュナイダーの街は救われました!ありがとうございます!」
精一杯の大声で叫ぶアレックスの声が、微かに聞こえた。
「それに、美由紀様がいくら大きくても、私の気持ちは変わりませんぞぉ!」
バカ・・・そんなことまでわざわざ言わなくていいのに。。。
でもよかった。本当によかった。美由紀の目から大粒の涙が零れ落ちた。

美由紀はふと思い出して、ペンダントをアレックスの横に乗せてみた。
「これも大きくなっちゃった。。。これじゃあ、乗せられないね。」
真菜に作ってもらったペンダントの先の球体も、美由紀の巨大化に合わせて大きくなっており、その直径は以前の美由紀の胸の大きさほどもあったのだった。

結局魔獣の死骸の片づけは全て美由紀が行った。何しろ2000匹を超える膨大な数に、巨大魔獣までいるのだ。こびと数千人が総がかりでやっても何日かかるかわからない。
だが、今のサイズの美由紀にとっては全く大したことの無い仕事だった。ミリ単位の魔獣など摘まむのも面倒なので、美由紀感覚で数mmほどの地面と一緒に魔獣達を
両手で押し流して一ヶ所にかき集める。四つん這いになって砂浜で砂山を作る要領で数m四方をかき集め、あっという間に20cmほどの山を作り上げた。
次にその山の横に深さ30cmほどの穴を手で掘って魔獣の山を埋め込み、さらにそこに掘った穴の残土を平らになるように均していった。
城壁に戻されていたアレックスを含めた兵士たちは、唖然としてその成り行きを見守るしか術が無かった。
簡単に標高400mほどの山を作り、その山を巨大な穴に埋め込んでいくというとんでもない大工事。
こんなこと、自分たちだったら何ヶ月かかるか・・・皆がそう思っていた。

少し気持ちに余裕が出てきたので美由紀は立ち上がってみた。いったいどれだけ大きくなったんだろう?たぶん10倍くらいだとは思うけど、そうすると身長3400m?
そんな高いところからの景色がどう見えるか、少し興味があったのだ。
眺めは最高だった。東側には今まで見えなかった海も見える。この前行ったのはどのあたりなんだろう?そんなことを考えてしまった。
北を向けばパルメランドの方向、ひょっとしたらパルメランド公から自分の姿が見えるかもしれない。こんなに大きくてもストーカー行為をするのかな?
西の方は美由紀の膝にも届かないような凸凹がかなり先まで広がっていた。標高数百mの山々それ自体がこびとが通ることを阻んでいるようにも思えた。
そして南、今の美由紀の身長より少しだけ高い山脈が連なっていた。今なら余裕で乗り越えることが出来るかな?ちょっとグロイツ帝国って見てみたくなった。
でも、アレックスが許してくれないだろう。今や大地の女神はパルメアの守護者ということになっているだろうから、攻め入ったと思われてしまう。
さらに足元を見てみる。とても小さなシュナイダーの街並み。街から見るあたしってどんな感じなんだろう。山より巨大なんだからきっと凄いんだろうな。。。
簡単に街全体を跨ぎ越せる大きさ。それに、今だったら街中をほんの数歩歩けばこの世から消し去ってしまえるんだろう。
たぶん他の街も、王都だってそうだ。普通に歩くだけで1分もかけずに消滅させてしまえる。なんという大きさ、なんという力。美由紀は少し身震いがした。
あたしがその気になったら・・・いや、ダメダメ!そんな恐ろしいこと考えちゃいけない。あたしはみんなを守れればそれでいいんだから。

さて、そろそろ戻ろう。これじゃあアレックスともまともな会話が出来ない。と思った時だった。あれ?この大きさで戻ったらどうなるの?
あたしの部屋に戻るんだよね。でも、今のあたしって元の世界でも身長17mの巨大女だよね・・・家、壊しちゃうんじゃない?
まずい!絶対ダメ!どうにかして小さくならないと。でもどうやって?え〜っ・・・どぉしよお・・・
両手を胸の前で組んで、目をつぶって必死に念じてみる。小さくなって、元の大きさに戻って、お願い!
恐る恐る瞼を開くが、ダメだ、変わらない。どうしよう。。。そうするとずっとこっちにいるわけ?でも、寝ちゃったらその瞬間に戻っちゃうんじゃ・・・
美由紀はしゃがみ込んで、そのまま丸くなってしまった。小さくなりたい、元に戻らなきゃ。長い時間念じ続けていた。

ドクン!心臓が大きく鳴った。巨大化した時も確かそうだった。そのままゆっくりと目を開けてみる。あ・・・
戻っていた。近くの山々は美由紀の身長に近づき、少し離れた城壁もさっきより高く見える。よかった。。。これで戻れる。
そう思って、シュナイダーの街に近づこうとした時、何かに足を取られてこけてしまった。
「げ・・・うそ・・・」
そこは間違いなく寝そべった時に胸を置いた場所だった。片方だけで幅400m近い窪みは自分の身長よりも大きい。しかも、綺麗に丸みを帯びて凹んでいた。
魔獣を片づけた時に手でなぞりはしたがそのままにしていたのだ。美由紀も思わず自分の胸と見比べてしまった。
「でかっ・・・」
自分の胸の余りの巨大さに、改めて呆れてしまった美由紀だった。