「あ・・・」
いつの間にか景色が変わっていたことに気がついた美由紀は辺りをキョロキョロと見回してから立ち上がった。
「ここって、パルメア?来れたんだ・・・」
でも、これであのおねえさんに全部ばれちゃうんだろうな。でも、その時は・・・もし、パルメアに来ることが出来た場合のこと、そして、戻った時のことも決意していた。
よく言われる『世界中を敵に回しても、守らなければならない人がいる』気分は高揚していたが、美由紀の気持ちの中にはそれだけしか存在しなかった。
美由紀はシュナイダーに向かって一気に駆け出していた。もし、足元にこびとがいたら、なんてことはこの時全く考えていない。愛する人の無事を確認することが一番大切なことだった。

あっという間にシュナイダーの城壁が見えてきた。だが・・・いつもと違う。街の中のあちこちから煙が上がっている。だが、こちら側の城壁の外に変わったことは無い。
やはり北側なのか?じゃあやっぱり正夢ってこと?美由紀は横の崩れたままの山の裏を通って北側へ回ろうとした。
「ん?あれは・・・」
南側の城壁上で何かが動いている。旗のようなものを振っているようだ。ひょっとしてアレックス?無事だったの?
美由紀は思わず立ち止り、南側の城壁に向かってゆっくりと歩いて行った。
「気がついていただけましたか。ようございました。」
「こ、国王様!?なんでここに?」
城壁上で白旗を振っていたのは、パルメア国王だったのだ。
「まず、少々冷静におなりください。美由紀様の一挙手一投足が我々には脅威になるということを思い出してください。」
「え?あ・・・はい・・・」
たぶん走って来たことを言っているんだ。美由紀はそう思って少し恥ずかしくなった。そうだった。今の大きさはこびとを数十人まとめて踏み潰せるほどの身体なのだ。
そんな私がむやみに走り回ったりしたら・・・なんでそんなことも忘れてしまったんだろう。
「ご・・・ごめんなさい。」
少し力なく、美由紀はその場に座り込んだ。ズズンッ!城内の全てを揺るがす地響きが沸き起こり、国王もその場によろめいてしまう。この巨大な女神が少し取り乱せば、
街のひとつやふたつくらい簡単に地上から消滅させられてしまうのだ。ここは何としても落ち着いていただかなければならない。
「いえ、落ち着いていただければいいのです。それより今日は太陽の日、何故こちらにおいでになったのですか?」
「実は・・・」
美由紀は夢で見たアレックスの危機と必死に念じてこちらの世界に来れたことを国王に説明した。
『なんと!美由紀様のお心はこちらの世界と通じているのか?しかし・・・』
「絶対に取り乱さないでください。」と前置きして、国王は今日起こったことを語りはじめた。
早朝、突然ドルグランド王国方面からの敵襲を受け、シュナイダー領は大混乱に陥ってしまった。しかも、北側の城壁は南側よりも弱い。またたくまに城壁は破られ、
敵の侵入を許す羽目になってしまった。
だが、パルメランド公とエーレンの軍が救援に駆け付け、間一髪でシュナイダーの陥落は阻止できた。だが・・・
「アレックスは・・・どこに・・・」
女神の巨大な拳が膝の上でグッと握りしめられ、わなわなと震えている。誤魔化すことは出来ない。国王は覚悟を決めた。
「ビッケンバーグは・・・敵の矢を受け、療養中です。」
「で、は、生きて、いるん、です、ね。。。」
女神の声が震えている。もし、ビッケンバーグが死んでしまったら彼女はどうなるんだろう?その時この国はどうなるんだろう?国王はそう思わずにはいられない。
「あ・・・会わせて、くれま、せんか・・・」
「今、城内にて療養しておりますが、昏睡状態です。」
女神の巨体が、グッと立ち上がった。
「お待ちくださいっ!!!」
国王があらん限りの大声で叫ぶ。美由紀もそれにはハッとなって駆け出したい衝動を抑えて下を向いた。
「北側の城外は、我が兵士たちがグロイツ兵の死体の処理などを行っています。もう少しで終了しますのでしばしお待ちを・・・」
「グロイツですって!?」
街全体に響くような大声だった。国王もそれにはたまらずに耳を塞ぐ。
ズズーンッ!一度立ち上がった巨体が、もう一度目の前で急降下してきた。
「なんでグロイツがっ!」ドルグランド方面から攻めてきたのか?と言いかけて美由紀はハッとなった。
王都からの帰りに遭遇したドルグランド兵は、辺境がグロイツ帝国に攻め落とされ逃げ落ちてきたと言っていたことを思い出したのだ。(第7話参照)

美由紀ははやる心を落ち着かせながら、ゆっくりと北側に回り込んだ。国王は掌には乗せていない。今の精神状態でこびとを掌に乗せるわけにはいかなかった。
北側は南側とは全く異なる風景が広がっていた。城壁は3ヶ所ほどが崩され城門も破壊されていた。城外で作業していた兵士は全て城内に戻ったようで誰もいない。
壊れた城門から人影が現れた。国王だろう。美由紀は国王の前でゆっくりと膝をついて少し斜めに脚を投げ出して座った。見下ろせば城はもう手の届く近さだった。
でもどうしてグロイツが?この前自分と真菜ちゃんが徹底的に叩きのめしたその復讐?いや、どうしてもパルメアを欲しいということなのだろうか?
美由紀の気持ちの中にグロイツ帝国への復讐心が沸き上がり、いつ沸騰してもおかしくない状態にまでなっていた。

時間は少し遡って、こちらの世界で3週間ほど前、グロイツ帝国首都では御前会議が開かれていた。皇帝はパルメア王国方面への作戦失敗に激怒し、
さらに実働6万人のうち半分近い損失を出し、魔獣に至っては全滅させられたことにさらに激怒していた。
そこで決定された内容は、パルメア王国にとっては苛烈そのものだった。
残存3万と予備兵力4万に20万の援軍を付け、総勢27万もの兵がドルグランドに繋がるトンネル経由でパルメア王国へ攻め込むことになったのだ。
ドルグランドの辺境からはパルメランドが一番近いが、それを落とすためにもまずシュナイダーに10万もの兵を送り込んで陥落させ、パルメランドを囲い込む作戦だった。
パルメア王国もこの情報を察知し、国王自ら10万の大軍を率いてパルメランドに赴き、パルメランド領とエーレンからは合計6万の兵をシュナイダーに援軍として
派遣しようとしたまさにその時、シュナイダーに敵の第一波が襲いかかって来たのである。
援軍はシュナイダー陥落寸前で間に合い、挟撃戦の末、撃退に成功し、グロイツ軍はドルグランド方面に敗退したのだった。

「今、パルメランド公とハウザーがグロイツ軍への追撃を行っております。また、パルメランド領は我が精鋭10万が守備しておりますので心配ありますまい。」
それで、ビッケンバーグの容体なのですが・・・」
国王の言葉に美由紀の全身が強張る。
「悪いの・・・ですか?」
「申し上げにくいことですが・・・医師の話では今夜か明日がヤマだろうと。部屋はこちら側の最上階になります。小窓から覗くことも出来るでしょう。」
美由紀はゆっくりと上体を動かすと城の中を覗きこんだ。アレックスが眠っている部屋はすぐに分かった。ベッドに横たわり頭以外は包帯で巻かれ、動かないように固定されている。
自分の世界に連れ帰って現代医療を受けさせれば・・・いや、こんな小さな身体にどうやって。もう祈るしかないのだろうか?
「アレックス・・・ごめんなさい・・・守れ、なかっ、た・・・」
涙が溢れて止まらない。たった一粒でこびとの全身をずぶ濡れに出来るほどの大粒の涙がバシャン!バシャン!と地面に叩きつけられている。
あの時、足元を逃げ惑うグロイツ兵を全て踏み潰していれば、掌に乗せたあいつらを全て握り潰していれば、こうならなかったかもしれない。
中途半端な優しさが一番大切なものを奪ってしまう?あたしのせい?そうかも知れない。でも、そうだとしてもあいつらだけは・・・絶対に許せない!
「国・・・王・・・様?」
「はい。」
向き直った美由紀の瞳の中には優しさの成分が消え去っているように国王には感じられた。背中に冷たいものが走り抜け、ただの返事しか出来なかった。
「アレックスを、お願い、します・・・」
女神の巨体がゆっくりと立ち上がり、やってきた山の谷間の方に踏み出された。ズッシーンッ!いつもより少し大きめの地響き。だが、国王の目はその右足に釘づけになっていた。
「お・・・大きくなって・・・」
左脚は既に上げられ、街の上空を通過していった。ひと踏みでこのシュナイダーを消滅させることが出来るほどの巨大な足裏が遥か上空を通り過ぎ、南の城門の遥か先で着地した。
ズッドォォォンッ!
街全体を大きく揺さぶる大震動が破壊されかけた家屋を押し潰し、城壁の亀裂をさらに大きくする。ほとんどの人がその場に倒れ、見上げた先に恐ろしいほど巨大な女神の
後ろ姿が見えた。
これが話に聞いていた、さらに大きくなった美由紀様なのか?あまりにも大きすぎる!こんな巨体と戦うなど不可能だ・・・
さらに街の横の山よりも大きくなっていた右足が、沢山の木々や土砂をこぼれ落としながら上空へと持ち去られ、その先に踏み下ろされた。
ズッドォォォォォォォンッッ!!!
左足よりも大きな大震動?どういうことだ?国王は痛い腰をさすりながら起き上がり、女神が向かった先を見て全身が硬直していた。
まだ巨大になっている女神の右足は、親指の高さがその横で崩落しかかっていた数百mの山よりも高かったのだ。そして、さらに歩を進め、国境線にもなっている標高5000mを
超える山脈を簡単に踏み潰したところで、女神はしばらく立ち止まっていた。
もう誰にも止められない。美由紀様はグロイツ帝国を滅ぼすつもりだ。国王は天を突きぬけるほどの巨大な後ろ姿を見ながら、そう確信していた。

研究所では、美由紀を迎えに来たあの男女は監視カメラの映像を見てしばらくの間口がきけなかった。
先に口を開いたのは男のほうである。
「そんな、非科学的なこと・・・ありえん・・・」
コマ送りで何度再生しても同じだった。制服姿の女子高生があるコマを境にして突然消えてしまう。確かに科学的に説明がつかないことだ。
「しかし、どこにも姿はありません。やはり消えたとしか・・・」
「とにかくなんとしても見つけ出すんだ。どんな手段を使っても構わん!」
女は男に指示されて、まず真菜の家へ向かうことにした。美由紀が消えたことをあの娘に話せば、きっと何らかの反応をするはずだ。そう思ったのだ。

真菜の自宅の前に、黒い高級車が止まっていた。真菜が玄関から出てくると、それを見ていたように車からあの女性が降り立った。
「おはよう、ちょっといいかしら。」
「え?おはよう、ございます。部活の朝練があるので歩きながらでもいいですか?」
「だったら車で送っていくわ。」
「結構です。あたしまで誘拐されたらたまりませんから。」
なるほど、この子はまだ知らないってことかしら。それとも・・・
「いいわ、歩きましょ。ところで、美由紀ちゃんのことなんだけど、昨日はメールしなかったのね。」
「ええ、会った時にだいたいの話は出来ましたから。美由紀がどうかしたんですか?」
やっぱりメールもチェックしてるのね。でも、この女が自分のところに来たということは、美由紀の身に何か異変が起こったということ?
真菜はそう思ってちょっと探りを入れてみたのだ。
「いえ、何でもないわ。ただ、今日は少し元気が無かったみたいだから。」
「それって、つまんない監禁生活が続いてるからじゃないですか。」
「まあ、はっきりとものを言うのね。わかったわ、どうもありがとう。」
女があまりにもあっさり引き下がったので、真菜は少々拍子抜けしまった。だが、美由紀の身に何かあったことは間違いない。ただ塞ぎこんでいるだけで自分のところまでは
来ないはずだ。まさか・・・パルメアに行っちゃったとか?
とにかく夜まで待って、美由紀の部屋からパルメアに行くしかない。そう思って、今は学校へ行くことにした。

美由紀はその場に座り込んでいた。山脈のさらにいくつかの峰が巨大なヒップにあっさりと押し潰され、数百mほど陥没していた。
膝の高さにも届かない国境の山脈を見下ろしながら、美由紀はさらに巨大になってしまったことは自覚していた。だがそれも、今の自分にとっては好都合だと思っていた。
夜が明けたら、グロイツ帝国を恐怖に陥れることになるだろう。ただ目的はこの国の皇帝と中枢部。これだけは絶対に消滅させなければならない。
でも、他のグロイツ人が脅しても従わなかったら?その時は国ごと消滅させることになるのだろうか。しかし、それを躊躇う理由は今の美由紀には見当たらなかった。

いつの間にか眠ってしまったらしい。でも、元の世界には戻らなかった。もし、戻ってしまってもこの大きさのままなら何とでもなると思っていたので戻っても良かったが。
回りがだんだん明るくなってきた。
「さあ、出掛けましょうか。」
ひとり呟くと、美由紀は静かに立ち上がった。
ひととおり見渡すと少し先に小さな街らしいものがあった。だいたい部屋の隅から反対側の隅くらいの距離だろうか。美由紀にとってはほんの数歩だが恐らく100km以上は
あるだろう。最初に潰す街を決めるとゆっくりと歩き出した。

街にはすでに誰もいなかった。前日の夕刻、薄暗い空の中で発生した数回の巨大地震と忽然と出現した途方も無く巨大な人影。それが女性で、あの巨大山脈を簡単に押し潰して
こちらを向いて座っている。という話が伝わった時、全ての人が同じことを考えていた。『大地の女神が復讐に来た』と。
守る?冗談だろう。自分たちの武器が通用するはずが無いではないか。先日のパルメア侵攻時の生き残りが声高に叫びまわり、兵士も住民も皆、あの超大巨人がこちらに来る前にと
逃げ出し始めていた。
大地の女神は帝都まで侵攻するに違いない。そう思って大多数の者が辺境に向かっていた。結果、その判断は正しかったことになる。

美由紀はたったの数歩で最初の街を真下に見下ろす場所まで到達してしまった。右足の先には小さな街。城壁の高さは1mmにも満たず、城壁があるかどうかすら顔を近づけて
みないとわからない。街中の建物も同様だった。城が中央に位置していたが立ったまま見下ろしていた美由紀にとっては判別も出来ないほどに小さい。
それに、山脈に座っていた自分の姿がこの街からは見えたはずで、それからもう半日以上は経過している。街に残っている人など、いないか、無謀な防戦を試みる兵士しか
残っていないかのどちらかだろう。それに少なくともひとつは街を踏み潰して自分の強大さをこびとたちに見せつけなければならない。
美由紀は意を決して右足を少し上げて街の上空に移動させる。最初に踵を地面に付け、土ふまずと指の間に街が入るように狙いをつけると、そのまま無言でペタンと踏みつけた。
ズッドォォォォォォンッッ!!!
街の全てが一瞬で踏み潰され、桁外れの力が踏みつけた範囲を数百mも沈みこませる。押し付けられた地面が力の及ばない部分に一気に逃げ出して、右足の回りに
標高数百mの山岳地帯を一瞬で作り上げた。
右足を退けると、一見街は窪んだ足跡の中に入っただけで何も変わっていないように見えた。だが、実際には今まで立体だったもの全てが平面と化していた。
街がどうなったかは敢えて無視して、美由紀はかなり遠方を見渡してみた。砂山にもならないような凸凹とした山地の先にもうひとつの街が見える。
そこから先は少し雲に霞んでよく見えないが、たぶん声は届くだろう。
「私は大地の女神です。」
美由紀はゆっくりとした口調で、恐らく帝都があるであろう南に向けて語りかけた。
自分の声がどこまで届くかわからない。しかし、言わなければならないことははっきりと言い、それから行動を起こす。そう思っていたのだ。
「私が今ここにいるのは、あなた方グロイツ帝国の他国に対する無慈悲な侵略行為に対して罰を下すためです。」
天罰を下すと宣言してしまった。声が届く範囲にいるこびとたちはどう思っただろうか。恐れおののいているのだろうか?それとも理不尽な云い様に怒っているのか?
反応を見ようと思っても、相手があまりにも小さすぎる。美由紀はさらに言葉を続ける。
「私はひと踏みであなたたちの街を消し去ることができます。今もひとつ踏み潰しました。しかし、無条件にこの力をあなたたちに振るうつもりはありません。
私はこれ以上街を踏み潰すことはしません。助かりたければ、武器を捨て、街の中に留まりなさい。もし、街の外に逃げ出すのであれば・・・」
美由紀はここで一呼吸置いた。次の言葉を発することを躊躇わずにはいられなかった。だが、美由紀の強い意志がその躊躇いを駆逐した。
「街の外に逃げ出すのであれば、踏み潰されることを覚悟しなさい。私に敵対する者も同様です。私は今から帝都に向かい、この悪辣な国の指導者を罰します。
それを邪魔する者は全て処罰の対象とします。」
ここまで言い切ると、美由紀は大きく溜息をついた。前夜、座っていた時に考えていたことの半分くらいは言えただろう。
そして、おもむろに左足を振り上げた。

その一部始終を見ていた集団がいた。今しがた消滅させられた街から東に200kmほど離れた城下町へ向かおうとしていた避難民の一部だった。
特に勢いもつけずに普通に踏んだだけで巨大な足の両側から土埃が吹き上がるのが見え、何秒か後に彼等を地面に押し倒すには充分程の振動に襲われた。
女神の演説も耳を塞がなければならないような大音量でよく聞こえた。群衆の中にいた兵士たちは、その百倍以上の数の民衆の冷たい視線に晒され、
慌てて武装解除する有様だった。
演説の後に女神が踏み出した一歩は、なだらかな曲線を描く山地に踏み下ろされた。山々がその足裏に吸い込まれるように視界から消え、恐ろしく巨大な足の回りに
新しい山地が盛り上がっていく光景は、人間の所作とは思えないものだった。
少し遅れて地面を大きく揺るがす地響きと轟音が人々を震えあがらせる。次の瞬間には、自分たちの街を踏み潰した右足が遥か南に向かって伸ばされていく。
何という歩幅、何という速度、もし、南に逃げていたら・・・余りの壮大さにその結末が容易に想像できなかった。

美由紀はふたつめの街の数km手前で立ち止まると、軽く見下ろした。やはり街の大きさは足のサイズにも満たない。最初の街と同様にたったのひと踏みで文字通り
消滅させることが出来る。
だが、美由紀はそうはしなかった。この街を踏み潰さないことによって、自分は無差別に罰を下すわけではないことを知らしめなければならない。
ひとつは住民に与える危害を最小限にしたかったため、もうひとつは、出来れば降伏によってグロイツ帝国を消し去りたかったためだった。
しゃがんではみたが、人はおろか建物でさえ小さすぎてわからなかった。ただ、『そこに街がある』ように見えるだけ。これではいくらこびとが攻撃をして来ても
全く気がつかないだろう。
ゆっくりと立ち上がり、美由紀の間隔で1mほど迂回して南へ向かう。帝都に着くまで街らしきものを見つけるたびにそんなことを繰り返していた。

女神が通りすぎた街にいた人々は、程度の大小こそあれ、ほとんど同じような反応だった。
女神がしゃがんだ時、あっという間に近づいてきた巨大な両足のふくらはぎが視界の全てを覆うほどに広がり、その圧力だけで押し潰されそうになる。
はるか上空では、女神の息遣いがまるで嵐のような吹きすさび、吐息だけで吹き飛ばされそうな感覚に襲われた。
人々は女神の言葉を信じて街の中に踏みとどまったが、中には恐怖のあまり城門の外に逃げ出した者も当然ながら続出した。
武器を捨てなかった兵士は、例外なく住民たちに袋叩きにされていた。
やがて女神が立ち上がり、片脚を振り上げて10km以上離れた場所に踏み下ろす。皆が助かった、と思った瞬間に轟音と共に襲いかかった巨大地震で、街の建物の
半分以上が崩壊した。当然ながらこの巨足が直接踏み下ろされたらどうなるかは充分過ぎるほど想像出来る未来だった。

美由紀は気がつかないうちに数万人のグロイツ人を踏み潰したり吹き飛ばしたりはしたが、ほとんどのグロイツ人に危害を加えることなく、たった数分でかなり広い街に到着した。
広いな・・・と美由紀は思った。奥行きも幅も今の自分の身長に匹敵するほど広かった。
「たぶん、ここが帝都、なのかな?」
赤灰色の地面を見ながら美由紀は呟いた。立っている状態では街の建物も人もやはり小さすぎてわからないのだ。
少し考えてから美由紀は行動を起こす。まだ全然時間が経っていないことは理解していた。もし、最高指導者が逃げ出そうとしてもそう遠くへは逃げられないはずだ。
たぶん、かなり高い確率でこの街のどこかにいるだろうと思い、その場にしゃがんで人差し指を城壁と思われる線のすぐ横に突き立てた。
それをそのまま城壁沿いに動かしていく。移動のたびに桁外れの激震が街の中に容赦なく襲いかかり城壁と多数の建物をいとも簡単に破壊していく。
城壁の外に幅300m深さ300mの巨大な溝が物凄い速度で出来あがっていき、激震の中で命からがら助かった人々に逃げ場はないという絶望を植え付けていった。

美由紀は少し考えてから城壁のすぐ手前に巨大な胸がつくように寝そべった。たったそれだけの動作でさらに多くの建物が崩壊し、街の中や外に大小様々な亀裂を
生じさせるほどの破壊力だった。
「私は大地の女神です。」
寝そべっても人はおろか建物さえまともに見えないほど小さな街に向かって、美由紀は静かに語りかけた。帝都で発する最初の言葉は、帝都に閉じ込められた数百万のこびとに対して、
自分達をまるで塵のように扱う途方も無く巨大な存在が人間であることを知らしめて更に恐怖を増幅させた。
「私が今ここにいるのは、あなた方グロイツ帝国の他国に対する無慈悲な侵略行為に対して罰を下すためです。ですが、あなたたち全てに罰を与えようとは思っていません。」
そう言うと、右手をゆっくりと伸ばしていった。

帝都では驚天動地の大混乱だった。まだ大多数が眠っていた朝方に突然天空から轟き渡った女神の声。その内容は彼らに恐怖を与えるのに充分だった。
これからどうすべきかを人々が口々に話し始めたころには、女神の途方も無い巨体がこちらに向かってくる姿を見ることができ、更なる絶望を植え付けた。
それでも混乱は収拾するどころかかえって増大し、人々が右往左往しているうちにこの帝都の中に封じ込められてしまったのだ。しかも、たった1本の指先で。
だが、武力による事態の打開を諦めない集団がいた。皇帝とその取り巻き、親衛隊などである。
「あれはどうなっておる?」
宮殿から城壁の向こうに寝そべった大巨人を見やりながら、皇帝は親衛隊長に尋ねた。
「はっ、準備はほぼ完了しております。しかし、よろしいのですか?街に与える損害も大きくなるかと・・・」
「ばかもんっ!臣民などいくらでも代わりがいるではないか!皇帝の代わりはおらんのだ!それにあの新兵器さえあればあんなデカブツなどっ!」
確かにテストの段階ではあの突然変異体の魔獣を黒こげに出来たほどの威力ではある。だが、そんなものとは比べ物にならないほど巨大なあの女に効果があるのか?
親衛隊長は半信半疑ながらも、攻撃続行の指示を出した。
その時だった。あの大巨人が発した声が凶器となって降り注いできた。窓ガラスは砕け散り、既にひび割れた状態の壁は崩れ落ちる。20km近くも離れているというのに
あの声の威力も内容もただ恐ろしいだけのものでしかなかった。
両耳を押さえながら皇帝と親衛隊長は、大巨人の右手が空高く上がり、城壁のはるか上空を侵入してくる光景が見えた。
「よし!まずはあのでかい指に攻撃するのだっ!あれであれば魔獣より少々大きいだけではないかっ!」
10倍近い大きさの指先を少々とは、親衛隊長は溜息をついた。その時、100以上の火球がその巨大な指先に降り注いだ。これ以上ないほどの完ぺきなタイミングだった。

城門の中に人差し指を差し入れて静止させた美由紀は、無数とも思える小さな火球が指先に群がってくるのが見えた。
ひとつひとつは1mmにも満たない大きさだが、これだけまとまった数が当たると当たったという感触は感じることができた。が、痛くも熱くも無い。
何だろう?一度指を引っ込めて、見つめてみる。何か鼻につくにおいがする。何だっけ?美由紀は記憶を辿ってみた。
「花火?」
子供のころにやっていた花火のにおい。つまりは火薬のにおい、大砲?でも、パルメアには火を使った兵器はあったけど火薬は無かった・・・
美由紀は思考を進めるにつれて、だんだん顔が険しくなってくるのを自覚していた。この世界の文明レベルは火薬の発明前後だとすると、私に新兵器を試したということ?
このこびとたちはまだ抵抗するというの?それにこのままだと大砲や銃を開発するのも時間の問題だろう。銃を持っているのといないのでは戦力に圧倒的な差が生じ、
結果的には銃をより多く持つ陣営が他の陣営を呑み込んでいった・・・歴史で習ったとおり、まさにこの国はそれをしようとしている?
無意識のうちに身体が前に出ていた。山のような2つの胸が城壁やその中の建物、逃げ惑っている人々を完全にすり潰し500mあまり侵入していた。
「そんなもので私に勝てると思うなら、もう一度やってみなさい!的はこんなに大きいのよ!好きなだけ攻撃しなさい!」
美由紀は怒気を込めて言い放った。

大巨人の指先に火球が集中して炸裂する。遠目にはよくわからないが恐らくかなりの痛手を受けたはずだ。その証拠にあの馬鹿でかい指を引っ込めたではないか。
皇帝の満足そうな頷きに、親衛隊長をはじめとする軍幹部は大巨人の表情が全く変わらない方が気にかかっていた。ダメージを全く与えていないのではないか、と・・・
結果、軍幹部の思いが正しいことを、大巨人が発した次の言葉で、その場にいた全員が思い知らされる。
城壁が数kmに渡って胸だけで押し潰され、さらに近くの建物がその巨大な山津波に呑み込まれていく光景を、ただ唖然として見ているしかなかったのだ。
大巨人の挑発と行動にパニックを起こしたのか、『爆裂弾』と命名された火薬玉が次々と白い壁のように聳え立った衣服に着弾していった。
だが、一発で10m四方を焼き払う威力のその炎でさえ、あの山のような胸に比べれば点にしか見えないほどに小さかった。無論、そんな火では衣服も燃えるはずが無い。
「もう終わりにしましょう。」
天空に声が轟いたかと思うと、白く巨大な壁がさらに多くの建物を呑み込み始めた。数秒も経たないうちに爆裂弾を発射する砲台の全てがすり潰され、攻撃は完全に沈黙した。
進行方向にある全てのものを何の抵抗も無く潰しては呑み込んでいきながら近づいてくる山は、瞬く間に宮殿にいた彼らの視界のほとんどを占めるほどになっていた。
もう、手を伸ばしただけで、宮殿まで届いてしまう。それほどに巨大に見えていた。
親衛隊長は、皇帝とあの大巨人を交互に見やっていた。口を半開きにして股間を濡らし、腰を抜かしたまま必死に後ずさりする皇帝の姿にこの国と自身の最期を悟った気がした。
大巨人の振り上げた拳が上空を覆い、この1km四方の宮殿を完全な暗闇に染めていた。

美由紀はグロイツ軍の攻撃が終わるのを待っていた。いくら攻撃されても顔色一つ変えなかったのは、彼らに全く効果が無いことを知らしめるのに充分だったろう。
攻撃が止むと、寝そべったままゆっくりと身体を前に進めていく。ブラウス越しだが胸が色々なものを押し潰していくのを感じ取ることができた。
身体の半分ほどを街の中に侵入させ見下ろすと、他の建物とは全く違う広さと高さの建物を見つけることが出来た。といってもせいぜい5cm四方の広さに数mmの高さのものである。
「ここだけ随分豪華なのね。」
指先で、1km四方はあろうかという宮殿の回りに溝を作る。これでこの宮殿はさらに孤立したことになる。
息を止めてゆっくりと顔を地面すれすれまで降ろして、美由紀ははじめてこびとがいることを認識できた。それはあまりにも小さすぎた。
たったの0.1mmしかないこびとは、数十人が集まってようやくこれが人の集団だと認識できるレベルなのだ。
その集団がいくつも集まって必死に攻撃を仕掛けているように見えた。見えたと思ったのは攻撃を受けているという感触が全く伝わってこなかったからなのだが。
総数でどのくらいいるのだろう?千人?1万人?いずれにせよ片手を振り下ろしただけで簡単に全滅させられる程度でしかない。あまりにも一方的すぎるほどの力を
こんなことに使っていいの?自問してみるが答えは見つからない。それでもこの国の支配者だけは許してはいけない。その思いは強かった。
「これだけこびとがいっぱいいるってことは、まだここにいるのかな?」
美由紀のひとりごとが突風となって兵士たちの一部に襲いかかり、瞬く間に数千人が吹き飛ばされていた。
そんなことは気にも留めず、ゆっくりと右手を握りしめて振り上げた。

その時だった。不意に美由紀の頭の中に語りかけるような哀願するような声、というか叫びが飛び込んできた。
『・・・さ、ま・・・もう、おやめ、くだ・・・さい・・・』
アレックス?何故アレックスの声が聞こえるの?視界が涙で曇っていく。私・・・とんでもないことをしてる。いくら敵とはいえ、たくさんの人を・・・
『みゆ、き・・・さまの、お力、を・・・そんな・・・こ、とに・・・』
涙が止まらなかった。大粒の涙が宮殿の手前に降り注ぐ。一粒で100m四方が水圧で押し潰され巨大な池を造り上げているほどに巨大な涙に、こびとたちは溺れ、逃げ回っていた。
だが、そんな光景も美由紀の目からは全く見えない。
「ここだけは許すわけにはいかないの。これでおしまいにするから・・・ごめんね、アレックス・・・」
美由紀は一気に拳を振り下ろした。宮殿を直撃し、回りのものが塵のように吹き飛ばされ、一瞬にして直径3kmにもなろうかというクレーターを作り上げた。
その中央に拳を押し付けたまま、美由紀はしばらくの間ポロポロと涙を流し続けていた。

パルメア国王やシュナイダーの兵士たちの目の前で突然、アレックスが起き上がり、二言三言叫んでからまた昏睡してしまった。
「どういうことだ?何か美由紀様に語りかけていたようにも思えたが・・・」
国王は美由紀が向かった南に向かって呟いていた。視線の先には国境線の山脈の一部が完全に消失している姿が遥か遠くに見えるだけだった。
すぐに医師が呼ばれ、シュナイダーを往診する。息はあるが予断を許さない状況は変わらないという。明日の朝まで持ちこたえればどうにか回復の見込みはありそうだった。
「もう、美由紀様を救える者はお主しかおらんのだ。頼む、何とか助かってくれ。」
国王はそう呟きながらアレックスの手を両手で握っていた。

大巨人はゆっくりと立ち上がっていた。街中の全ての者が、全てが踏み潰されることを覚悟した。だが、巨大な両の脚は全く動かない。
どうしたんだろう?巨人は、いや、女神は自分たちに罰を与えるのを躊躇しているのか?それとも慈悲なのか?
だが、女神はくるりと踵を返すと、元の北側に向かって歩き始めたのだ。そして、街から出て数歩のところで突然消え去ってしまった。
女神の怒りが収まったのか?それともまたこの街を蹂躙するために現れるのか?ただひとつ言えることは、この街の中からはただのひとりも逃げ出すことが不可能という
ことだけだった。