パルメア時間、翌日。
領主シュナイダーは守備兵長を含めた護衛を引き連れて、前日に魔獣退治が行われた村へ赴いた。
守備兵長の「女神様は凄まじいお力を発揮され、3頭の魔獣を事も無げに退治してくださいました。
我々は1頭を仕留めるのが精一杯、女神様に深く感謝せねばなりません。」などという言葉を
俄かには信じられなかったのだ。
実はシュナイダーは美由紀のことを、『ただうすらでかいだけの巨人女』としか見ていなかったのである。

村の入り口で異様な光景に出くわす。地面がすり鉢状に陥没していた。それが美由紀が座った跡と
知ると、シュナイダーは鼻を鳴らした。
「フン、ダイエットが必要なんじゃないか?」美由紀が聞いたら瞬殺ものの台詞である。
そこを大きく迂回して、村人達が集まっていた中に割って入って行った。村人達も領主の姿を見て、
慌てて道をあける。
そこは、2頭の魔獣が文字通りの残骸となって転がっていた。いや、正確には1頭は地面にへばり付いていた。
それはまるで地面に毛皮が張り付いているような形で、周りに散らばる夥しいほどの肉片や骨片が、
その衝撃の凄まじさを物語っていた。
もう1頭は、黒い毛皮が無ければこれが何なのか判別できないほどにクシャクシャに潰されて転がっている。
「これは・・・とんでもない怪力だな。」だが、その後さらに驚愕する光景を目にすることになる。
村の中央まで進むと、先ほどの魔獣とは比べようが無いほどの大きさの黒い物体が転がっていた。
周りを囲む村人達と比べてもその大きさは桁外れだった。
城下町の建物をも凌駕する巨大熊が、辛うじてそれと分かるまで潰され、身体中の至る所から骨が飛び出し
砕かれていた。そして、その巨体に人の背よりも太い数本の筋が刻まれていた。
この筋が巨人女の指の跡と聞かされて、思わず腰を抜かしてしまったほどだった。
恐らく全軍で対峙しても苦戦は覚悟しなければならないほどの巨大熊を、片手で簡単に握り潰したというのか?
あの女が本気になったら、どれだけの力なのか計り知れない。だが、その力を。。。
シュナイダーの口角がほんの少しだけつり上った。

翌日、守備兵長が領主に呼ばれ、熊狩りをする旨申し渡された。ただし生け捕りにせよとの命令に、
守備兵長は疑問を抱き、領主に問い質してみたのだ。
「あの巨人女の力を万人に知らしめれば、噂がうわさを呼び、我が領土に攻め込もうなどという不埒な
考えを持つ者も出んじゃろう。」
「し、しかし、それは余りにも・・・」
「黙れ!あの化け物を利用しない手は無いじゃろう。それに、あの力。使いようによってはパルメアの
支配はおろか、グロイツも攻め取れるかも知れん。」
守備兵長は愕然とした。少々の野心のある人物とは思っていたが、これほどとは。しかも、美由紀様の力を
利用しようというのだ。そんなこと、彼女が承知するはずが無い。
「お、おやめください。美由紀様は心優しいお方。それを道具としてお使いになるようなことは。」
「黙れと言うのだ!お主も臣下であれば命に従え!それとも、ワシに逆らうと言うのか?」
「い、いえ。そのようなことは。。。」
「そうじゃ、お主、あの怪力巨大女とはよく話をしておるな。お主からあの者を説得せい。」
そんなこと、自分の口から言えるわけが無いではないか。何を言っているんだ、こいつは。
守備兵長の頭の中で何かが弾けた。気がつくと、剣を抜いて領主に向かって突き出していた。
「そんな馬鹿げたことはおやめください。」守備兵長は剣先を領主の鼻先に向けて静かに言った。
「ら、乱心したか。誰かっ!」
守備兵長は駆け付けた警備隊におとなしく捕まり、そのまま地下牢に閉じ込められた。

いつもの城壁の少し手前・・・とは違う場所で、美由紀は目を覚ました。
「ここは、」そう、昨日手を洗った小川のほとりだった。
消えた場所に、次の日(この世界では7日後)は現れるらしい。
美由紀は周りに誰もいる気配が無いことを入念に確認して、大きく背伸びをしてから
立ちあがった。もし、誰かが近くにいて、気付かずに手をついてしまったら大変なことになる。
魔獣の件をどうしても思い出さずにはいられず、今までよりもさらに注意を払う必要があると感じていた。
少し歩くと、昨日の村の着いていた。同じように村人たちが美由紀に向かって一斉に跪く。
「あ、いいからいいから。」美由紀は片手を上げてやり過ごすような動作をして、立ち止まらずに
重厚な地響きを立てながら城に向かって歩いて行った。

「?なんだろう?」
城壁の手前に何かの建造物が見える。扇形に囲う様な形で、建造物の壁面にも周りにも多くの小さい
ものが動いているのが見える。
「コロシアム?」それは半分に切られた古代ローマの闘技場のようだった。扇形を作る中心点には、
小さな箱が見える。そして闘技場の観客席には人、ひと、ひと。こんなに大勢のこびとを見たことが無い。
観客席に入りきれないこびと達は、その周りに陣取っており、大歓声で美由紀は迎えられた。
「なに?これ・・・」美由紀は軽く地響きを立てて座り込んだ。もちろん制服なのでスカートの中が
見えないように注意しながら。
観客席の中央にはちょうど貴賓席のようなものが設えられ、そこに座っていた一人の男が立ちあがった。
「大地の女神様、この度の魔獣退治、誠に見事でございました。」
拡声器のようなものだろうか。領主の声が美由紀にもはっきり聞こえた。
「は、はぁ・・・」他の群衆は、「女神様〜!」「美由紀様〜!」の大合唱だ。
「ついては、女神様のためにこのような場を設けさせていただきました。本日の生贄がそこに」
生贄?美由紀はそこで膝先の小さな箱のようなものに視線を落とした。実際は檻になっており、
その中には2頭の熊が捕らえられていた。
また魔獣化した熊なのだろうか?美由紀は黙って檻を摘まみ上げると、そっと掌に置いた。
2頭の熊は檻の中を落ち着きなくうろついていたが、巨大な目に見つめられていることに気付くと、
怯えきった様子で檻の隅で丸くなっていた。しかも、昨日の熊に比べれば遥かに小さく、こびとの2倍にも
満たない大きさだった。
「これ、魔獣じゃないよね。」美由紀は無表情のまま領主を見下ろした。
「はい、女神様のお力を皆に示していただきたく用意いたしました。」
あたしにこの子達を殺させるために捕まえたってこと?魔獣にもなっていないのに?
美由紀の中に怒りが込み上げてきた。
ふと、この中にいつもいるはずの男がいないことに気がついた。
「領主さん、守備兵長さんはどこ?」
「はい、あの者は所用のため首都に派遣しております。」
美由紀は領主の野心までは知る由も無かったが、この場での意図を完全に理解した。
衆人環視の前で、自分にこの2頭の熊を殺させて女神の力を誇示する。いや、女神の力を自分の力として
誇示するのかも知れない。

シュナイダーは、あの場所では折角のショーが観客から見えないことに苛立っていた。
この場には大地の女神の噂を聞きつけた国内外の多数の者が集まっているのだ。中にはグロイツのスパイや
首都から派遣されてきた者もいるはずで、この光景を青ざめた顔で本国に報告するはずだ。
そうすればこの女の力はしばらくは必要ない。外交圧力をかけて優位にことを運べる。その間にこの女を
説得するか騙すかして、完全に味方に引き入れればいい。
シュナイダーはそこまで計算して、この計画を考えていたのだ。であれば、皆が見ている前で、出来るだけ派手に
やってもらわなければ意味が無い。
「女神様、そこでは皆にお力が見えません。どうぞ地表にてそのお力を存分に発揮なさいますよう。」
「わかったわ。」巨人の手がどんどん下りていく。檻の中の熊はまだ無事だった。
さあ、指先で捻り潰すか、握り潰すか、それとも地面に置いて叩き潰すか、いずれにせよ一瞬で女神の
力が国中に知れ渡ることになるのだ。シュナイダーはほくそ笑んでいた。

巨人は右手の指先で檻の一部をつまむと、それを簡単に引き千切った。熊の力でさえビクともしない檻を
指先の動作だけで折り曲げ、引き剥がす。そして、檻を摘まんで2頭の熊を掌に転がり落とした。
それだけのことで群衆からはどよめきと大歓声が上がっていた。
握り潰すのか?そう誰もが思った瞬間、巨大な左手は想像とは違う動きをした。
横へグングンと伸びていき、コロシアムからかなり離れた場所で、檻と2頭の熊は転がり落とされたのだ。
当然、熊達は森に向かって逃げ始める。本能がそうさせているのだ。
「な・・・何を・・・」
予想外の出来事に領主は戸惑いを隠せない。何を考えているんだ、あの女。その時、彼の背筋に冷たいものが
走るのを感じた。恐る恐る顔を上げていく。そこには今までに見たことも無いような冷たい視線で自分を
見下ろしている巨人の顔があった。
「ええ〜い!何をしておる!早く捕まえんか!」それでもこのイベントを成功させなければならなかった領主は、
兵士たちに命令を下した。もう一度捕まえてあの女に殺させなければこれから先の遠大な計画が進まないのだ。
だが、それは火に油を注ぐような行為だったことを、シュナイダーは思い知ることになる。
「待ちなさい。」上空から途方も無く巨大で冷淡な声が轟いた。
兵士達も冷や水を浴びせられたようにその場で固まってしまった。そしてさらに決定的な追い打ちがかかった。
「あの熊を追いかけた者は、この場で殺します。」
あの表情にあの声、女神様は本当に怒っておられる。熊を追いかけたら確実に殺される。
兵士たちは誰一人動けなかった。
「何をしておる!わしと巨人女と、どちらがお前達の主じゃっ!」
「巨人女?やっぱりそう思ってたんだ。」
しまった。とシュナイダーが思った時にはもう遅かった。彼の目の前には大きな影が近づいていった。
どんどんと目の前に肌色の壁が迫り、視界いっぱいに広がっていた。逃げられなかった。頭の中では逃げろ!と
命令しているのに、足が竦んで動けなかった。
目の前が真っ暗になった。と思った瞬間には、全身が途方もない力で締め上げられた。いきなり巨大な万力に
挟まれた。そんな感じなのか。身体のどこを動かそうとしてもピクリとも動かない。それどころか、全身の
骨という骨が今にも砕け折れそうな激痛。た・す・け・て・・・しかし、肺も圧迫されて声も出ない。
息もできない。意識がだんだん遠のいていく・・・
いきなり全身を締め付けていた圧力から解放されると、落下して地面に叩きつけられた。地面?いや、違う。
この感触は何だ?薄れかけた意識が戻っていき、視界がだんだんと開けてきた。
「う・・・うわぁ〜っ!」彼の目の前には、恐ろしい眼光で見つめる巨大な瞳があった。

美由紀はシュナイダーを摘まみ上げるとすぐに掌に落とした。摘まんだままだとすぐにでも捻り潰したくなる
衝動に駆られたし、今の感情ではそもそも五体満足でいさせることは不可能に近いと思っていたからだった。
掌を目の高さまで上げて、見つめてみる。哀れなほど小さな存在。自分の気分次第で、この存在を永遠に消滅
させることも可能なほどの自分の力。考えてみれば、そんな力を誇示したくなるのが人間である。
でも、そんな人間の都合に付き合う義理は私には無い。でも、守備兵長さんは?そう思ってるのかな?
今までの彼の態度は、紳士と言ってもいいくらいふさわしかった。あからさまに媚びへつらうでもなく、
毅然と、それでいて礼を失することの無いように自分に対してくれていたと思う。彼に限ってそんなことはない。
そう信じようとする美由紀の視界の片隅に、我先にと城門へ動いていく観客達の姿が入ってきた。
領主が捕らえられたのを見て我先にと逃げ出し始めた。
美由紀は小さく溜息をつくと、さらに恐ろしい宣言をした。一度けじめをつける必要があると思ったのだ。
「今逃げ出したものは全員殺します。死にたくなければコロシアムに戻りなさい。」
誰もが凍りついた。そしてその言葉が脅しで無いことを示すかのように、美由紀は右手で拳を作り、
逃亡する先頭集団の真上に翳して見せたのだった。
先頭集団の数人がたまらずにそこに止まった。後ろの集団はもう逃げ切れないと悟ったのだろう。
女神は片手だけを伸ばして、必死に逃げている自分達にあっさりと追いついてしまったのだ。
彼らは次々とコロシアムの方に引き返していく。
「さあ、あなたたちも戻りなさい。」美由紀はそれでもその場に留まっていた5人に声をかけた。
2人は素直に従って戻って行った。だが、残りの3人は動かない。目を凝らしてみたが
腰を抜かしているようにも見えない。恐らくすきを見て逃げ出すつもりだろう。
「そう、じゃあさようなら。」冷酷にそう宣言すると、美由紀は右手を振り下ろした。
まさか・・・本当に?3人はこの一瞬の間に言うことを聞かなかったことを後悔した。だがもう遅い。
強烈な風圧が3人に圧し掛かり、それだけで身体が潰れそうになる。嗚呼・・・
数秒経ってもそのままだった。真っ暗な影の中で3人が同時に見上げると、それは頭上数mで静止していた
巨大な拳だった。
突然その拳が開くと3人の頭上には3本の指が降りてきた。全く動けずにいた3人はひとまとめに
摘まみ上げられたかと思うと、コロシアムまで移動して座席から数mの高さからポイッと少々乱暴に放り投げられた。
「2回目はありませんよ。」
足や腰をさすりながら見上げる3人の遥か上空から、冷たく微笑みなが女神が語りかけた。
美由紀は城門近くにはもう誰もいないことを確認し、城兵に命じて城門を閉じさせた。

「さて、領主さん。」左手の中でガタガタと震えているこびとに向きなおって話しかけたが返答はない。
美由紀は構わずに話を続ける。
「あなた、さっき、私の力を皆に示したいって言いましたよね。」
「力を示すのだったら、何も熊じゃなくてもいいと思ってあなたにしたんですけど、いいですか?」
ヒィッ。という小さな声が漏れてきた。コロシアムもにわかに騒がしくなる。
「あなた達も見たいんでしょう?あたしの、ち・か・ら」今までの笑顔とは完全に異質な笑顔で
コロシアムを見下ろす美由紀。そして笑顔のまま人差し指だけ伸ばした右手を領主に近づけていく。
「どうしようかなぁ、指先でプッチンとやるのと、摘まんでクチャってやるのとどっちがいいですか?」
指先で領主を軽くつついてみた。
「でも、こんな小さなこびと一匹じゃつまんないから、あと何匹か潰して見せましょうか?」
再度コロシアムを見下ろす美由紀。群衆が一気にパニックに陥る。コロシアムを出て逃げようとするが
逃げ場はない。城門は固く閉ざされ、横に逃げてもさっきのように巨人にあっさりと捕まるだけなのだから。
いや、捕まるだけならまだいい、今度こそあの巨大な拳で叩き潰される。誰もがそう思っていた。
「静かにっ!」全員がその場で凍りつき、ざわめきが一瞬で止まった。
「力を振るわれる側に立つことがどういうことか、充分感じたでしょう。」
そう言うと、美由紀は領主を貴賓席に転がり落とした。
「皆さんも聞きなさい。」そう前置きして、美由紀は演説を始めた。
「自分達が生きていくために、食料として殺す。誰かを助けるためにとか、何かを守るために力を
振るう。であればわかります。でも、自分の力を誇示するために、何の罪も無い者の命を奪っても
いいのですか?」場内はシン、と静まり返っている。
「もし、あなた方が、そう思うのならば、私がこの場でその力を振るってあげます。運よく生き残ったら
私の力を国中にふれ回りなさい。どうですか?」全員が押し黙ったままだ。
美由紀も表情だけは冷たくコロシアムを見下ろしながらも、困り始めていた。そもそも脅すだけで、
誰一人殺すつもりは毛頭ないのだ。さて、どうしよう。どうやって収拾をつければいいんだろう。
少し冷静になってはきたが、そこまで考えていなかった。う〜ん、どうしよう・・・

その時、一人の男がコロシアムから美由紀の膝の前に歩み出た。凛とした出で立ちで、
いかにも高貴そうな風格が漂う。その男が跪いた。
「申し訳ありません。女神様のお言葉、しかと承りました。」守備兵長にも劣らぬ大声であった。
それにつられてぞろぞろと、全員がコロシアムから降りて美由紀の前に跪く。
美由紀はしばらく見下ろしていたのだが、やがてゆっくりと口を開いた。
「わかりました。この者の罪は問いません。」
こうは言っていたが内心ではホッとしていたのだ。この小さな救世主のおかげで助かっちゃった。
でも、この人貴族か何かかな?なんかカッコイイじゃん。でも、ビビってないのは流石よね〜。
ちょっと摘まみ上げてよく観察してみたかったが、今日はやめておいた方がよさそうな気がした。
守備兵長さんとかならともかく、そこまでしちゃったら確実にパニクりそうだし、このまま女神様を
演じ切った方が今日は絶対にいいし・・・

とりあえず終わらせよう。そして、今日はもう帰ろう。そう思って、美由紀はゆっくりを立ちあがった。
スカートの中丸見えだけど仕方が無い。
「今日はこれまでとします。皆、城門へ下がりなさい。」
軽く足元を見下ろし、女神様チックに命令すると、こびと達がチョロチョロと動き出した。
散々な目に遭わされた領主は、両脇を兵士に抱えられて引きずられていく。小さくてよくわからないが、
美由紀にはそんな風に見えた。実際にもそうだったのだが。
全員が退去したのを確認するように、最初に進み出た紳士が去って行った。やっぱちょっと、いや、
かなりカッコイイ!でもちょっとおじさんっぽいかなぁ。あたしには年上過ぎるよね。
いや、それ以前にサイズが違いすぎると思うが・・・
「この建物は破壊します。いいですね。」
最後の紳士が城門の近くに移動したのを確認して、美由紀はそう宣言した。二度と同じことが起きないように、
今日だけはこうするしかないよね。そう思っていたのだ。
「よく見ておきなさい。今度このようなことがあれば私の力をその身に味わうことになります。」
女神はそう宣言すると、右足を膝の高さまで上げ、コロシアム目がけて一気に踏みつけた。
衝撃で人々は一人残らず数十センチ程突き上げられ、地面に叩きつけられた。そして、彼らが気付いた
時には、コロシアムは欠片ほども存在せず、地響きを立てながら歩き去っていく女神の後ろ姿が
どんどん遠ざかっていった。

守備兵長は牢から出されてすぐに兵士に詰め寄った。
「誰か、犠牲になった者はいるのか?」
「い、いえ。女神様はお怒りを納められ立ち去られました。」
「そうか、」守備兵長の顔に安堵の顔が浮かんだ。美由紀の声はその大きさゆえに城下町は元より
この地下牢まで充分に届いていたのだ。
その声色と地響きで最悪の事態も覚悟していたのだが、美由紀様は何もせずにいてくださった。
そう思うと、心から感謝していた。
詳細な説明を部下から聞き、城門の外へ出る。そして、コロシアムの跡地に着いた。
人の背丈以上も陥没した巨大な足跡の中に、全幅50mはあろうかというコロシアムの残骸が粉々になって
へばり付いていた。城壁を踏み潰した時の足跡でさえ数十センチの深さだったのだ。
この足跡の深さが女神の怒りの大きさを物語っていたが、守備兵長は違う言葉を口にした。
「よく我慢してくださった。」
不意に横から自分を呼ぶ声がした。聞き覚えのある威厳のある声。
もしや、と思って振り返ると、そこにはパルメア国王その人が平民の服を着て立っていたのだった。
慌ててその場に跪く。何のことか理解できない兵士に目配せをして、跪かせる。
「いや、よい。忍びだからそんなことをされては困る。立ってくれ。」
「は、」守備兵長たちはゆっくりと立ちあがった。
国王の顔を見てハッとした兵士が慌てて守備兵長に耳打ちをした。
「な、なんと!そんなことが・・・大変な失礼を・・・」
「よいと言うのだ。ああするしか、美由紀様と言ったかな。あの巨人の少女の怒りを納められんと
思ったからな。しかし、前に進み出るのには全ての勇気が必要じゃったが。」
国王は照れ笑いをしていた。
「あれほどの威圧感は今までのどの敵よりも遥かに凄い。あの力もな。シュナイダーで無くとも
あれほどの力が手にできれば野心も出るだろう。」
国王は領主の策略を看破していた。いや、首都で大地の女神の噂を聞きつけ、それと呼応するような
このような催しの開催に胡散臭さを感じていたので、それを確認するためにやってきたのだった。
領主シュナイダー。そう言えばどうされたのだろう?姿が見えないので、近くの兵士に聞いてみる。
「は、その・・・何と言いますか」
何とも言いにくそうな兵士の顔に国王が割って入った。
「わしが代わりに答えよう。あの娘に散々玩ばれたせいと思うが、心が折れてしまったようじゃ。
自業自得だが放ってもおけまい。首都に送還して然るべく治療を行うことになるかな。」
「そ、そんなに・・・」
「うむ、あの時の目は鬼気迫るものがあった。もし、対応を誤っていたら皆殺しになっていたかもしれん。」
それを聞いていた隣の兵士がガタガタと震え出した。思い出しただけでも相当の恐怖を味わったらしい。
「あ、あれは・・・今までの・・・女神・・・様・・・では、あり・・・ません・・・でした・・・」
絞り出すように話した兵士の言葉で守備兵長はまずい事態が起こったと感じていた。
もしかしたら、もう、二度と来てもらえないのではないかと。
それを見透かしたように国王が切り出した。
「もし、あの娘、いや、大地の女神様が現れたら、一度首都にお迎えしようと思うのだが。」
「しゅ、とにですか?」
「シュナイダーがあの状態なので、ワシは次の大地の日までこの地に留まる。その時にあの女神様が
お出でになったら、正式に招聘するつもりじゃ。お主、取りなしてもらえるかな?」
守備兵長が彼女の一番のお気に入りであることは兵士たちの話からだいたい想像がついた上での
提案であった。もっとも、領主もそう思ったからこそ彼に野心の片棒を担がせようとしたのだが。
「は、それは喜んで。しかし、もう、お出で頂けないかも・・・」
「その時は仕方あるまい、諦めよう。全てが今まで通り戻るということだがな。しかし、わしはまた
お出で頂けると思っておるが。」
「なぜ、そうお考え・・・いや、それより、非礼を承知で申し上げたいのですが。」
美由紀が来る来ないに関わらず、彼には国王に聞いておきたいことがあったのだ。
「非礼を承知で申し上げます。美由紀様を首都に招聘したいというのはどういうお考えからですか?」
パルメア国王は人徳者として名の知れた人物である。その人物がまさかここの領主と同じことを考えているとは
到底思えなかった。が、真意を正さずにはいられない。
「わははは!今日のようなことがあるからな。お主が疑問に思うのも無理はない。わしも、女神様の
お力があれば、グロイツはもちろん、全世界を手に入れられると思っておる。だがな、そんなことを
して何になる?所詮借り物の力ではないか。彼女が居なくなったらどうなる?即座にその座から
引きずり降ろされる。そうではないかな。」
「仰せのとおりです。」守備兵長は短く答えた。至極もっともだと思ったからに他ならない。
「彼女を首都に招くのは、詫びのため、そして首都の人民達にも一度会って欲しいと思ってのことだ。
今日のことを誤って伝え広められては彼女も悲しむであろう。首都からも多く見物に来ていたからな。」
「なるほど、しかし美由紀様は・・・」
そう言いかけて、守備兵長の脳裏にひとつの考えが浮かんだ。
「国王様にお願いがあるのですが。」
「なんじゃ?申してみよ。」
守備兵長の依頼を聞いて、国王はにっこりとほほ笑んだ。そして、早速準備にかかるように命じた。
大地の女神様がもう一度この世界に来てくれる。ということを信じて。