こっち側は初めてだな。美由紀はシュナイダー領の横の山を迂回して、城の裏手に回っていた。
裏手から見る景色も表側とはあまり変わらない。森と林と小高い丘、丘といってもパルメアの人達から見れば、標高数百mの立派な山ではあるが。
道筋は正面と左右斜めにそれぞれ伸びていた。ひとつ大きく違っていたのは城の位置。城の裏側すぐの場所に正面より低い城壁が立っていた。
恐らく裏側は国境では無いため、過度な守りも不要なのだろう。
もうひとつ驚いたのが城の大きさ、小さいとは思っていたが、城本体だけであれば掌に乗せられるのではないかと思うほどに小さかったのだ。
当然、ひと踏みで難なく踏み潰せるだろう。
「美由紀様、これは何ですか?」
アレックスは目の前に聳える自分の身長の3倍はありそうなこげ茶色のローファーのつま先を見て驚いていた。
「これ?靴ですよ。今日は長く歩くんで履いてきたんです。」
「はぁ、これが・・・」
美由紀が踏みつけた場所は、素足の時よりも大きく陥没し完全に平面になっていた。彼らにとっては単なる靴というより女神用の武器にしか
思えなかったのである。
美由紀もどうしようか寝る寸前まで考えたが、歩く距離を考えて結局新品のローファーを履いてベッドに入っていた。
こんなの見たら、また真菜ちゃんに笑われるんだろうな、と思いながら。

美由紀はアレックスを摘まみ上げ、ペンダントの中に入れるとそのまま歩き出した。今日もお伴はアレックスだけである。
ペンダントの先は、「女神酔い」防止のために掌に乗せられている。とにかくぶら下げられていると揺れるのだ。
もっとも、美由紀の方は違う理由で掌に乗せることに同意したのだが。
「この目印に沿っていけばいいんですね。」
足元には高さ5cmほどの細い棒がおよそ1m置きに立ち並んでいた。
「はい、この100m以内は立ち入り禁止になっていますから、お気兼ねなく。」
どうやら国王の言っていた準備のひとつらしい。美由紀用の道路を作ることは難しいが、通り道を示して国民の立ち入りを禁じれば、
足元を気にせずに歩くことができる。つまり美由紀に余計な気を使わせない配慮だった。
美由紀は棒に沿って普通に歩きはじめる。森や林の中では、木々をバキバキと踏み潰しながらになるが仕方が無い。中に人が隠れていて、
気付かずに踏み潰す方がもっと問題だ。木々やそこに暮らす動物達に心の中で謝りながら、盛大な地響きを立てながら先を進んでいた。

二つの村は何の問題も無く通り過ぎた。ただ、ちらっと見下ろすと、たぶん村人の全員であろう人々が美由紀の姿を仰ぎ見て平伏している光景が見えたが。
「やっぱ、私って女神様なんですかね。」
村が見えなくなる場所まで来てから美由紀が尋ねる。
「美由紀様にとっては不本意ですか。」
「複雑・・・かな。確かにここでは最大最強っていう自覚はあるから。」
それを聞くアレックスの心境も複雑だった。いつのまにかこの巨大な女の子を自分は愛してしまっている。最初は巨大さと心優しさに畏敬の念を感じ、
他の者と同じように女神として崇拝していたのが、いつの間にかひとりの女性として見てしまっている。それを確信したのは彼女の世界に行ってから?
いや、行く前から薄々はそう思っていたのかもしれない。
「あ、あれがパルメランドですか?」
アレックスの思考はそこで中断された。見上げると美しく大きな瞳がこちらを見下ろして、自分達の行く手を指さしていた。
彼は、もう少しこのまま2人でいたいと改めて思っていた。

パルメランドは国王の叔父が統治しているだけあってシュナイダーとは比較にならないほどに広かった。東西南北にほぼ2kmほどの平坦な街は、
ぐるりと城壁に囲まれ、城は街のほぼ中央に位置していた。
美由紀はゆっくりと南の城門に近づいていくと、街の方から歓声ともどよめきともつかない大勢の人々の声が耳に入って来た。
きっと驚いているんだろうな。初めて見る巨人である。しかも魔獣などとは比べ物にならないほどに巨大な女神。そんな人々の心情を考えれば
決してオーバーではないリアクションであることは、美由紀も今までの経験から感じ取ってはいた。

南の城門前には兵士たちが整列し、中央に領主以下の貴族や高官達が馬に乗って待っていた。
遥か遠くから巨大な女性、いや、女の子が一歩一歩近づいてくるたびにその姿が劇的に大きくなっていく。
ズシン!と一歩踏み下ろされるたびに、馬車がすれ違えるほど広い道幅よりも巨大な靴が大地を大きく揺らして平面に変えていくのだ。
あんなものが自分達の頭上から落ちて来たら・・・心臓が張り裂けそうなほどの恐怖やその場から逃げ出したい衝動と彼らは必死に戦っていた。
巨人は彼らから100mほど離れた場所で一度立ち止まり、ゆっくりとしゃがみ込んだ。それでも彼女から見ればたった一歩の距離なのだろう。
ゆっくりと地面に下ろされた左手は、彼らから10mも離れていなかった。
左手からひとりの男が飛び降りた。シュナイダー領の守備兵長である。守備兵長はそのまま馬群の中央に進み出て、恭しく一礼した。
「わざわざのお出迎え恐縮でございます。閣下。」
少々派手に着飾った馬上の男が軽く右手を上げて答える。
「国王陛下の賓客なのだ。お出迎えするのが当然ではないか。それより女神様にごあいさつしたいのだがな。」
周りの心臓バクバクの臣下達とは違い、平静な態度は立派だとアレックスは思っていた。だが、何か気になる。。。
「は、承知いたしました。」
アレックスは短く答えると再度巨人の掌に飛び乗った。巨大な掌がぐんぐんと上昇していく。
1分もしないうちに、掌は再度同じ場所に下ろされていた。
「領主様、どうぞお乗りください。」
上空から街じゅうに聞こえそうなほどの声が響き渡った。

美由紀は掌に馬に乗ったままの領主を乗せ、目の前まで上げていた。既に領主は下馬しておりその場に跪いていた。
「大地の女神様のご尊顔を拝し、この上ない喜びでございます。」
「あ、の、堅苦しいのは苦手なんです。お顔をお上げください。」
「では、失礼して。」領主は立ちあがると、美由紀の目をじっと見つめた。
ん?なんだろう?美由紀は何となく違和感を覚えた。今まで何人かのこびとを掌に乗せていたが何か違う。アレックスの時もシュナイダーの時も
国王の時も感じなかったその違和感。だけど敵意ではない。いったい何だろう?
美由紀は改めて領主を見つめてみた。
「本日はよくおいでくださいました。我がパルメアの守護神、美由紀様。歓迎の支度が整っておりますのでどうぞ。」
領主の台詞に美由紀の背中に何か冷たいものが走った・・・気がした。
「あたし、お酒はちょっと・・・」
「存じ上げております。本日中に首都へ赴かなければならないことも含めて。ただ、我が領民にそのお姿をお見せいただき、
ささやかながらの歓迎をしたいと思っておりますれば。美由紀様はこの場にてご観覧ください。」
「はぁ・・・」名前を呼んでいいのはアレックスだけなのに、最初から随分馴れ馴れしい。。。
領主は後ろを向くと、「始めよ!」と叫んだ。

足を崩して女の子座りになった美由紀のすぐ先で兵士たちのパレードが始まった。
膝に乗せた掌の上には、領主とアレックスが乗っている。美由紀は時折パレードに手を振りながらも膝の上のことが気にかかっていた。
その2人は何やら話をしているようだった。普通の話声なので美由紀には聞こえない。
「そう言えばビッケンバーグ(アレックスの姓です。念のため)あの大きな球体はなんだ?」
領主は巨大な胸元にぶら下がる大きな玉を指さしていた。アレックスの顔がみるみる赤くなる。
「は、はぁ、女神様と移動する際に我々が入る篭と申しましょうか、そんなものでございます。」
「ではそなた、あれに乗ってここまで運ばれけ来たのか?」
領主の目に違う色の炎が灯っていた。その顔を見てアレックスは思わず嘘をついてしまった。
「いえ、私はずっとここに乗せられておりました。女神様もまだどなたもあの中に乗せてはおりません故・・・」
「そうか。」領主の顔が安堵したように見え、アレックスもまた安堵のため息を小さくついた。
間違いない。この方は今度は美由紀様に対して・・・
一方の美由紀もただならぬ気配を感じていた。領主の視線が気になって仕方が無い。この背筋の寒さは?
美由紀は爆乳である。すれ違う男にチラ見されることはよくあることで、嫌だとは思うがそれだけのことと思っていた。
だがそれとは明らかに違う視線の感じなのだ。そう言えば何度か経験したことがあるあの不快感。それに酷似していた。
真菜に相談した時、言われたことを思い出した。
「美由紀は可愛くてその身体なんだから、気をつけなよ。」
美由紀の頭の中にはある単語が浮かんでいた。しつこく舐め回すようなねちっこい感覚。この人はひょっとして・・・

パレードも終わりに近づき、領主が改めて美由紀の方に向き直った。掌は目の前まで上げられている。
「美由紀様、一度お立ちになって臣民にそのお姿をお見せいただけますか。」
「あ・・・はい。」
ダメだ。生理的に受け付けない。だが、気持ち悪いという理由だけでこの男をどうこうすることもできない。とにかく適当にあしらって一刻も早く王都に向かおう。
美由紀はゆっくりと立ち上がると、街の南側に集まっていた民衆を見下ろして軽く右手を上げた。大歓声がそれに応える。
「今日はどうもありがとうございました。皆さまにお会い出来て私も嬉しいです。」
さらなる大歓声と拍手が沸き起こった。
「では、そろそろ王都へ参ります。ごきげんよう。」
美由紀は馬と領主を次々と摘まみ上げて城門の前に下ろすと、軽く一礼をした。
「領主様、ご歓迎ありがとうございました。先がありますのでこれにて失礼いたします。」
足元で領主が何やら言っていたのが聞こえたが、美由紀はそれを無視して歩き出していた。

「ねえ、アレックスさん。」
歩きながら美由紀は不意にペンダントを目の高さまで持ち上げた。
「はい。」
アレックスは美由紀が何を聞きたいのか、おおよその見当はついていた。
「さっき、領主様と何を話していたんです?」
「気になるのですか?」
「話している間、領主様がこちらをチラチラ見ていたので。。。あたしのこと?」
「はい。」
アレックスは美由紀には包み隠さず話をした。隠していても仕方が無いと思ったからだ。
「やっぱり・・・そんな気がしたんだ。あの領主様ってどんな人なんですか?」
これも黙っていてもいつかはばれるので風評も含めて説明した。
領主としての才覚は国王と争ったこともあるほどなので、政治的軍事的には充分であること。兵士や領民はほぼこの領主を慕っていること。
野心も少々持っているだろうが、自己の力量も客観的に知ることができる人物であること。そうでなければグロイツ帝国の脅威があるからといって、
敵対していた国王とあんなに早く和解などしなかったであろうこと。つまり公人としての評価は国王にひけを取らない。
しかし、私事では全く逆の評価だった。
少女ともいえる年頃で、かつ、肉体的には十分な女である女性が領主の好みだそうで、既に亡くなっているが彼の妻もそのような女性で、
彼女が16歳の時に結婚したという。一途な性格だったのか妻が存命中はそのような部分も内に隠していたようだが、妻の逝去後は何人もの女性を追いかけ続け、
それは現在進行形だという。
「つまり、あたしみたいなのが領主様の好みってこと?」
「おそらく。それだけであれば特に大きな問題も無いのですが。。。」
ただ、領主の性癖は執拗に過ぎた。権力で従わせることは決してしないが、とにかく執拗に追い回すのだ。辟易して領主を受け入れた女性も何人かいる。
舐め回すような視線はそのせいだったのね。美由紀の頭の中に『ストーカー』という文字と他の色々な種類のネガティブな単語が浮かび上がった。
はあぁ、全て納得・・・
「そう言えば『お戻りの際も是非お立ち寄りください』って言ってたの、聞こえた?あたしは無視したけど。」
「はい、どうされます?」
「できれば・・・寄りたくない、です。。。」
「私も同意見なのですが・・・まだ時間がありますのでゆっくり考えることにしましょう。」
話している間にも、美由紀はズシンズシンと歩を進めていった。

パルメアに到着した頃には、陽が高く昇っていた。途中で思わぬ時間を食ってしまったためだ。
「はぁ、ここが王都。。。」
見渡す限りの街並みはパルメランドよりもさらに広く、先に見える王宮は荘厳な建築物そのものだった。
城壁もシュナイダーはもちろん、パルメランドよりも高い。それでも美由紀の膝までは全く届かない高さだったが。
パルメランドとは違い城外には誰も出ていなかったので、アレックスが一度城内に入り到着を伝えようとした時だった。突然城門が開いたのだ。
同時に誰もいなかった王宮へ通じる中央の通りの両側にいずこからともなく人々が現れ、あっという間に二重三重の人垣となる。
しゃがんでいても城壁から遥かに高い場所から見下ろしていた美由紀もこれには目を丸くしてしまった。
「すっごい、ひと・・・」
城門から数人の城兵が走り出て、掌から降りていたアレックスに一言二言声をかけていた。
美由紀は掌に再度飛び乗ったアレックスを目の前まで上げた。城兵は既に城門の中に引き上げている。
「国王様からのご伝言です。このまま城内にお入りください。王宮前の広場にてお待ちしております。とのことです。」
「入れって言っても・・・あ・・・」
中央の通りは美由紀が足を踏み入れても周りの建物を踏み潰す必要が無いほどに広かったのだ。パルメランドでも美由紀は城内に足を踏み入れなかった。
いや、踏み入れられないほどに狭かったのだ。何故王都だけこんなに広いんだろう?答えはアレックスが教えてくれた。
「この道の広さが国王様の準備だったのです。道沿いの住民に転居を依頼し、道幅を広げて美由紀様が中に入れるように臣民も力を合わせて行ったとのこと。
しかしなるほど、これは広い!」
アレックスも城内を見下ろして感嘆していた。
スカートの中丸見えだよね・・・美由紀はそう思いながらゆっくりと立ちあがった。
でも、私が大きすぎて中に入れないからってこんな準備をしてくれていて、恥ずかしいから入れません。は、やっぱり失礼だよね。
美由紀は少し躊躇ったが、中に入ることにした。ただ、足元には細心の注意を払わなければならないだろう。

女神の巨大な足が上がったかと思うと簡単に城門を跨ぎ越し、ズン!と城内に着地した。城門付近の住民のほとんどがその光景に目を奪われ、
突然目の前に降り立った、踵からつま先までで軽く5軒以上の家を呑み込んでしまうであろう途方も無く巨大な靴に驚愕した。
ズン!続いて2歩目が踏み下ろされた。彼らが見上げると、気が遠くなるほどの高さまで伸びる2本の脚しか見えない。
太股のあたりから上を覆い隠す紺色の大きな布はスカートなのだろうか?そしてさらに上空に突き出している白い服のあたりが恐らく胸だろう。
女神の巨大さもさることながら、その身体の線にほとんどの男は息をのみ、女は自分の胸と見比べて驚いていた。
「みなさん、はじめまして。今日はお招きいただきありがとうございます。危ないですから決して近づかないでくださいね。」
上空から響き渡った女神の言葉に、人々は大歓声を上げた。女神はその歓声を背に再び歩き始めた。
「すっ、すげぇっ!!!」女神が歩き去った後、誰かが叫んだ。
彼が指さした先には、水を溜めればプールになってしまうのではないかと思うくらいの足跡がくっきりと残されていた。

美由紀はそーっと城門を跨いで一度その場に止まって足元を見下ろした。足を揃えて立っていてもまだ余裕がある道幅だった。
かなりの数の家が転居したんだろうな。。。そう思うと嬉しさと申し訳なさで胸がいっぱいになる。
こびと達に注意を促して、ゆっくりと歩を進める。それでも城門から約3km先にある王宮にはそれこそあっという間に到着してしまった。
王宮の手前には美由紀でも余裕で座れるくらいの広場があった。これもたぶん準備させたのだろう。何しろこの世界の人を基準にすれば余りにも広すぎる。
両手いっぱいに広げたくらいの幅の王宮の正面バルコニーに何人かのこびとの姿を見つけた。その中のひとりには見覚えがあった。
「大地の女神、美由紀様。本日は遠路のお越しありがとうございます。お疲れになったでしょう。どうぞお座りください。」
国王のバカでかい声が拡声器を通して美由紀の耳に入って来た。まぁ、王様だったら名前で呼んでもいいか。あの領主とは人格が違う。
「お招きいただきありがとうございます。では、失礼して。」
ズッズーンッ!ゆっくりとは腰を下ろしたが、歩いている時とは比べ物にならないほどの地響きが辺りを襲う。何人かはその場にひっくり返ったが、
パニックにならないところは王から十分な説明があったせいなのだろうか。
美由紀はもう一度バルコニーを見下ろすと、着飾った女性の姿が目に止まった。
「国王様、そちらは?」
「わが家内、王妃でございます。」
だが王妃様は驚きのせいか恐怖のせいか、国王の左腕にしがみついたままだった。無理も無い、誰だってそうだろうと思う。
「はじめまして、王妃様。」
美由紀は優しく声をかけてみた。
「お、お初に・・・お目に、かか、り、ま、す。。。」
王妃の声は上ずっていた。可愛いとは思うが責めるつもりは全くなかった。

女の子座りの美由紀の膝の前では盛大にパレードが行われていた。パルメランドよりも規模が大きい。でも、王都なんだから当然よね。
パレードから膝のすぐ前に視線を移す。掌から降りたアレックスと外に出てきた国王が何やら話をしている。余談だが王妃はバルコニーに残され、固まっていた。
何を話しているんだろう?2人が時折見上げては同時に目をそらすのが美由紀には気になった。
何?なんの話?あたしの部屋の話?真菜ちゃんの話?それともパルメランドの領主の話?とにかくそのあたりのどれかか全部を国王に報告しているに違いない。
しかも、2人の態度を見ていると面白おかしく脚色しているんじゃないの?ちょっと腹が立ってきた。
ズンッ!アレックスの真横に、幅2mはある人差し指が突き立てられていた。驚いた国王とアレックスが上を向いて何やら言おうとして黙り込んでしまう。
「あら、ごめんなさい。指が滑っちゃって。」
美由紀がにっこりと笑って、2人を見下ろしていた。『余計なこと話すんじゃないわよ』オーラを肌で感じて2人は黙りこくってしまった。

パレードが終わると、美由紀と王宮の間100mくらいの幅に群衆がなだれ込んできた。瞬く間に美由紀の膝の前は人でいっぱいになる。
最前列の群衆から少し離れたところに、国王とアレックス、そして何人かの兵士が立っていた。
「いかがでしたでしょうか。お楽しみいただけましたか。」
「ええ、とても立派なパレードでした。精強な兵士のみなさんもとても頼もしく感じました。」
皮肉ではなく素直な感想である。目の前の巨体に臆することも無く堂々としたパレードは、美由紀に何か凛としたものを感じさせた。
「ありがとうございます。ところでひとつお願いがあるのですが。」
横に控える兵士は、この国でも名だたる力自慢であり、是非とも女神様のお力を肌で感じたいと直訴されたのだという。
確かに国王やアレックスと比べても一回りかそこらは大きいが所詮はこびとである。力の差は歴然だと思うんだけど。。。
そう思いながらも美由紀は国王の申し出を受けることにした。
8人の大男たちは前に出て恭しく一礼した。
美由紀は何をしようか少し考えてみたが、不意に人差し指を立てて男達に伸ばしていった。彼らは一瞬驚愕したが、巨大な指は彼らの頭上を通り過ぎていく。
背後で、「グエッ!」悲鳴とも嗚咽ともつかない声に全員が振り向くと、シュナイダー領の守備兵長が指先と地面の間に挟まれてもがいている姿が見えた。
「では、8人がかりでこの者を助け出してください。」
息もまともに出来ないほど押しつけられているアレックスが何とか視線を上げると、美由紀の嬉しそうな顔が視界に飛び込んできた。
しまった。。。さっきの仕返しか?アレックスが気付いた時にはすでに遅かったのだが。
8人がかりで指先を持ち上げようとするが、ピクリとも動かない。
「殴っても蹴ってもいいですよ〜。」上空から笑い声が聞こえる。
何人かは言われた通り殴りかかり、蹴りかかってはいたが、全く効果はない。
しばらくして男たちは守備兵長の救出を諦めた。
「あら、もうおしまいですか?」女神はゆっくりと指を引っ込める。
「今度は綱引きでもしてみますか?」視界の隅に見つけたロープの束を摘まんで、彼らの前にドサリと落とした。
綱引きも圧倒的な差だった。8人がかりで必死に引っ張っても女神が指先で摘まんでいるロープの端は全く動かない。
逆に女神が少しロープを引くと、なす術も無くずるずると引きずられてしまい、それを見ていた群衆からは喝采があがっていた。

王宮の裏庭に移動した美由紀は、掌にアレックスと国王、そして王妃を乗せていた。やっと王妃も慣れて来たらしい。さっきからアレックスが何やら抗議しているがあえて無視する。
「先ほどは失礼いたしました。王妃のマグダレーナです。」
これぞ貴族という感じの優雅で気品のある動作で美由紀は王妃の自己紹介を受けた。
「こちらこそ、美由紀と申します。王妃様。」
「美由紀様のお噂は、陛下より伺っております。それにしても本当に大きいんですね。尖塔を見下ろすことができるとは思ってもみませんでした。」
尖塔とは王宮の左右に建っている見張り用の搭のことである。この国一番の高さ80mある塔も、座っている美由紀の胸元ほどの高さしかない。
「はい、ここでは大きいのと力が強いだけが取り柄ですが、自分の世界では普通の女の子なんです。」
「まあ、それでは美由紀様のようなお方が沢山いらっしゃるのですか?私たちから見たら想像できない光景ですわね。」
「そ・・・そうですね。」
後の話はそんな光景を垣間見たアレックスにしてもらうのが一番だと思った。
それにしても、ドレスの美しさもそうだが王妃の美しさも特筆ものだった。小学生の時だったら持ちかえって部屋に飾りたいと思ったかもしれない。

美由紀は3人を下ろすと、フッと小さく溜息をついた。やはり気疲れがあるようだった。それでも時折群衆が残っている正面前の広場に軽く手を振っていた。
膝の先で王妃を交えて3人で何か話をしている。女性が混ざっているのだから変な話はしていないだろうと思い、美由紀はまた正面の方を見渡していた。
広い、とにかく広い。このサイズでさえそう思うのだから、パルメアの人にとっては相当な広さなのだろう。
だが、建物の大きさはやはり美由紀の足首あたりのものがせいぜいで、城や王宮で無ければ気付かずに踏み潰してしまうかも知れないと思っていた。
ふと小さな丸いものが目に付いた。なんだろう?と思ってよく見ると、それは直径10cmほどの小さなメリーゴーランドだった。
女神が座っていた場所も多少凹んではいたが群衆に解放され、滑り台やメリーゴーランドや様々な遊具がそこに運び込まれ、子供たちや大人も交じって遊んでいた。
その周りには次々と出店が現れ、ひとだかりがいくつも出来上がる。シュナイダーの街のお祭りを規模を100倍にしたほどの賑やかさになっていた。
美由紀もこの前と同じように参加しようかとも思ったが、人の数が全く違っていたので今回は眺めるだけにしておいた。
「あれっ?」何だろう。メリーゴーランドの回りに男達が集まって何やらやっていた。さっきカリッという小さな音がしてから止まったままだ。
気になったので、美由紀は少しだけ身を乗り出した。巨大な胸が大きく揺れ、王宮の屋根に触れそうになった。それを見ていた国王とアレックスが一瞬青ざめる。
いつぞやの櫓のことを思い出したのだった。だが、寸前のところで激突は回避され、2人はホッと胸を撫で下ろしていた。
「どうしました?」
突然女神に話しかけられた彼らが驚いたのも無理は無い。だがその中でも比較的冷静だったひとりの青年が事情を説明してくれた。
メリーゴーランドの歯車の一部が回転している途中でずれて止まってしまったらしい。人力ではどうにもならないので、牛を調達しに行っているところだという。
「なんだ、そんなことならお手伝いしますよ。」
美由紀は右手をすっと伸ばしてメリーゴーランドの屋根を軽く掴み、ほとんど力を入れないで少しだけ左右に回してみた。何か引っかかっているようだった。
少しだけ回す力を強くした途端、バキィッ!気がへし折れる音と同時にメリーゴーランドがくるりと回りはじめた。
「えっ?あっ・・・ごめんなさい、壊しちゃいました。。。」
メリーゴーランドを回すための歯車がふたつ、完全に破壊されてしまったようだった。これでは直接回すしかない。そんなことは彼らには不可能だった。
結局、メリーゴーランドはしばらくの間女神様が直々に回してくださるというありがたい状態が、小一時間ほど続くことになった。
難点は回転が一定しないということくらいだったので、逆に子供達には大喜びで大人たちはあんなに大きなものを指先で簡単に回している力に驚きを隠せないでいた。

だいぶ陽が傾いていた。どの世界でも楽しい時間というのはあっという間に過ぎるものらしい。
城門まで見送ってくれた国王夫妻以下の人々に別れを告げ、美由紀はアレックスを掌に乗せて南の山岳地帯に向かって歩いて行った。
パルメランド領主の話を国王に相談した時に告げられた帰路のコースである。
まっすぐ南に下ると250kmほど先に小さな城がある。昔、隣国と争っていた際に国境の最前線の補給のために使っていた城で、今は誰も住んでいないという。
しかも、このあたりが元々の魔獣出現地帯なので、通る人は皆無だから問題はないだろうという話だった。
そこから南西に100kmほど行けばパルメランドを通らずにシュナイダーに着くことができる。
山岳地帯と言っても美由紀にとってはちょっとした丘を越えるだけだったし、人が通らないということはあまり足元を気にする必要は無いということである。
美由紀は国王の提案に二つ返事で乗ったのだった。

山岳地帯に入ると、美由紀はペンダントを目の前まで持ち上げた。
「さっきは痛かった?」
指先で押し付けた件である。
「はあ、死ぬかと思いました。」
「ふ〜ん、それで、国王様と何を話していたのかしら?」
「は、あ・・・美由紀様の世界のお話とパルメランド領主様のお話を少々・・・」
「変なこと言わなかったでしょうね。」
美由紀はわざとペンダントを左右に揺らす。
「も、もちろんです。って、揺れすぎです。お許しください。。。」
ひたすら低姿勢でアレックスは答える。
「もう、あたしには聞こえないんだから内緒話禁止だからね。」
「は・・・い・・・」
「約束破ったら指先でプッチンね。」美由紀は笑顔でペンダントの先を左手の上に戻した。

途中、魔獣には遭遇せずに目印の小城の近くまで到着したころには、陽もとっぷりと暮れていた。
「ちょっと休憩。」
美由紀は城の横にズシンと腰を下ろすと、アレックスは城の前に転がり下ろされた。
この巨大な少女と比べると城などおもちゃにしか見えない。たぶんシュナイダーの城も似たようなものなのだろう。
城とそれより遥かに巨大な女神のヒップを交互に見ながら、ひとり嘆息していた。
「美由紀様、どういたします?そろそろ元の世界にお戻りにならないと。。。」
「アレックスをここに置いて?魔獣が出て来たらどうするの?シュナイダーの近くまで行ったらその場でおろすから。」
その一言はアレックスのプライドを少々傷つけはしたが、圧倒的な体格差の前にはけし飛ぶような小さなものだった。
結局自分は美由紀様に庇護されるしかないらしい。
その時だった。不意に城から何かが飛び出してきた。一瞬オオカミかとも思ったがそんなに速くはない。二足歩行で手に何かを持っているのが分かると、
彼も剣を抜いていた。剣の交わる金属音、一度後ろに下がる相手も剣士のようだった。もうひとりは少し間合いを開けて隙を窺っているようだ。
「何してるのっ!!」
上空からの恐ろしいほどの声量に、2人の相手は思わず天を仰いだ。ゴウッという風を切る音と共に何かが落下してくる。
「美由紀様っ!いけませんっ!」
アレックスは大声で怒鳴っていた。

魔獣と思ってアレックスから離れた時に指先で押し潰そうとした美由紀は、アレックスの大声で指を止めた。
なに?魔獣じゃないの?そう思い、顔をゆっくり近づける。アレックスと対峙していたのは、剣を落とし腰を抜かしている・・・人間だった。
「こ、びと?なんでこんなところに。。。」
美由紀は腰を抜かしているこびとともうひとり、そしてアレックスを次々に摘まみ上げて掌に乗せた。
「あたし、こびとを潰そうとしちゃったの?」
「暗かった故仕方ありますまい。途中で気がついたのだからよしとしましょう。」
アレックスは腰を抜かしている男に歩み寄った。
「我が名はアレクサンデル・ビッケンバーグ。パルメア王国シュナイダー領の守備兵長をしておる。そなたらは?」
「そ、それより、このデカブツはなんだ?」
「口のきき方に気をつけるがよい。こちらは、我らが大地の女神、美由紀様だ。」
「大地の・・・女神?噂には聞いたことがあるが、これほどまでにでかいのか?」
「あのねぇ、さっきからデカブツとかでかいとか平気で言ってるけど、あんまり失礼なこと言うと潰すよ!」
横から真菜の口調を真似て美由紀が口を挟んだ。
「う・・・わ・・・申し訳、ありま、せん。」
男ともうひとりも慌てて跪く。もういいだろうと苦笑しながらアレックスがまた割って入った。
「それで、そなたたちの姓名、出自、この地にいる理由をお聞かせ願えるかな。ここは一応パルメア国領なのでな。」
「わ、私はカール・イェーガー、こっちが弟のブルーノだ。ドルグランド王国の辺境警備の兵だ。」
ドルグランド王国?この地から西にある国だ。確かドルグランドの辺境もグロイツ帝国と国境を接しているはず。
「なぜこの地にいる?」
カールの説明はこうだった。昨日突然、辺境の出城と周辺の村が魔獣の群れに襲われ、勇戦虚しく敗退し、生き残りの兵士と住民を統率して国境を越えて逃げて来たというのだ。
魔獣の数は100を優に超え、その中には今まで見たことも無い大きさの魔獣もいたという。
「それはこちらの女神様よりも大きかったのか?」
「そんなにはでか・・・いや、大きくはない。立ち上がった時にこの城くらいの大きさの熊であった。」
一瞬だけ彼は異様な殺気を感じた。
「剣を向けた無礼を承知でビッケンバーグ殿にお願いがあるのだが。」
「伺いましょう。」
「今、この城の中に、兵士や住民約500名ほどがいる。多くは怪我もしている。そこで、しばしの間、この城を我らにお貸し願いたい。」
「いいでしょう。国王様にとりなしましょう。」
「かたじけない。それともうひとつ、この件にはグロイツ帝国が絡んでいるようなのだ。一刻も早く我が主にも報告せねばならん。お願いできるだろうか?」
「何故グロイツ帝国が絡んでいると?」
魔獣の奇襲で壊滅的な打撃を受けた後、何人かが逃げる時にグロイツ帝国の一団が迫って来るのを見ていたという。
「ねぇ、アレックス。それって・・・」またまた上空から女神が口を挟んだ。
「はい、恐らく・・・」
だが、ドルグランドとグロイツの国境もまた高い山々が連なっている。どうしてそんな場所から?それにどうして魔獣に混ざって兵士たちが?
そもそも魔獣は誰関係なく人や動物を襲うのだ。グロイツ兵だけが襲われないというのは納得がいかない。
アレックスの疑念はますます混迷の度合いを深めていった。

「今、城の外に出ている人っていますか?」
急に女神から質問されて、カールは少し驚いた。
「いえ・・・濠の外には絶対に出ないように申し渡しておりますが。」
女神は「そう」とだけ答えると、濠の外側をぐるりと右手で薙ぎ払い、積み上がった土砂の塊をすくい上げて彼らの前に持ってきた。
土砂に紛れて城外に点在している家々のいくつかが見る影もなく破壊されて呑み込まれ、それ以外にいくつかの動く物が目に入って来た。
「魔獣・・・」3人が同時に呟いていた。
それは土砂に埋もれてもがいているオオカミの魔獣の姿だった。ただその数は少なく見積もっても10匹はいる。
「ここも危なそうですね。」
事も無げにそう言うと、女神は塊をポイッと放り投げた。魔獣達の鳴き声がこだましながら、遠ざかっていった。
何と言う力なのだ。2人のドルグランド兵は完全に放心状態だった。片手でサッとさらっただけであれだけのものをすくい上げ、
簡単に魔獣を退治してしまったのだ。隣にいたアレックスはもう慣れましたという顔で女神を見上げていた。
「いかがなさいます。美由紀様。我らとてこのままこの地には留まれません。」
しばらく考えていた女神は、城のテラスに3人を転がり落とした。
「お城ごとシュナイダーまで持って行きましょう。」
あまりにも現実離れした提案に、3人とも口をあんぐり開けて女神の笑顔を見上げるしかなかった。

無理をすれば片手に乗せられたかもしれないが両手の方がより安定するだろう。
そう思って美由紀は両手を城の両側の濠から差し込んで、そのまま城の真下に指を差し入れ、城が完全に両手の上になったところでゆっくりと持ち上げてみた。
重かったら他の方法を考えなきゃと思っていたが、全然軽い。キャベツひと玉よりも軽いくらいだ。これなら大丈夫。
そう思って、美由紀は立ち上がりながら城を胸の前まで持ち上げていった。
裏手のバルコニーにアレックスが現れた。
「中は大丈夫ですか?」
「はい、特に崩壊したところもありません。けが人や住民は頑丈な小部屋に分けて収容しましたので、少々揺れても大丈夫でしょう。
それより、美由紀様の方は大丈夫なのですか?」
「ええ、このくらいだったら持っていけます。ね、いい考えでしょ?」
城ごと持ち歩くなんて普通は考えません。とアレックスは言いたかったが、人助けをしてご機嫌の美由紀の機嫌を損ねることも無い。
「では、参りましょうか。」
美由紀はゆっくりと歩き出した。

アレックスは城のことよりも斜め上方でゆっさゆっさと揺れている巨大な2つの山の方が気になって仕方が無かった。
彼の名誉のために弁護するが、あの胸が城に当たることを心配していたのだ。王宮の時は大丈夫だったが果たして今回はどうか?
それが気がかりでならなかったのだ。
城を胸より少し下に持って歩いていた美由紀の巨乳の目の前には、必然的に尖塔が位置していた。特に左の尖塔と後ろで揺れる巨大な山の間は数mしか離れていない。
別の生き物のように動くそれは、美由紀の意志に関係ない動きをするのだ。そしてそれは突然起こるのが常である。
美由紀は左胸に何か当たった感触がしたので、すぐに立ち止まった。下を見ると左の尖塔が中央付近から折れ曲がり、そこから上は粉砕されてゆっくりと落下していくところだった。
「あ・・・やば・・・」
思わず声を上げたがどうすることもできない。巨乳に吹き飛ばされた尖塔は300mほどを落下してさらにバラバラに砕け散っていた。
「ご・・・ごめんなさい。」
アレックスは顔を真っ青にしていた。実はアレックスは巨大な胸が尖塔を吹き飛ばす瞬間を目撃していたのだ。
その驚きは、あの櫓を粉砕した時の比では無い。かなり強固な石造りの尖塔でさえこの女神の胸で簡単に破壊されてしまうのだ。こんな城なんかその気になれば・・・
「アレックスさんも危ないですから中に入っててください。」
そんな思いを知ってか知らずか、美由紀はアレックスを城中に引き込ませると、城を身体から少し離して歩き出した。
少し持ちにくくなるが仕方が無い。500人もの人を胸で吹き飛ばすよりは遥かにましだと思った。
シュナイダーまでは、もうすぐそこの距離だった。