「参ったなぁ・・・ほんっとうにごめんなさい!」
ひとりの少女が水溜りに浸かった状態でしゃがんでいた。謝っているようだが、少女の前には誰もいない。いや、いるはずなのだが肉眼では全く見えていないだけなようだ。

ほんの数十分前、少女の乗ったチャリンコ(正確には一人乗りの宇宙船)のレーダーが捉えた小惑星が、モニター越しに外を眺めていた彼女の目を奪っていた。
「きれい・・・」
緑がかった青色をベースにした、白や茶色やそのほかの色が入り混じった表面の小惑星は、今まで見たことが無いほど美しかった。
チャリンコの進路を小惑星に定めて約5分で到着。宇宙船から降り立った少女の足元には、水深数センチの水溜りが広がっていた。
「水があるってことはちょっとだけど空気もあるんだ。」
ほんの少しでも空気があれば、あの面倒くさいマスクを被る必要も無い。室内着のままで少女は小惑星の探検に出かけることにした。
円周約400mの小惑星は、ゆっくりと見て回っても10分もかからずに一周できてしまうほど小さかった。少女はまず一周すると、次は90度方向を変えて別の方向に一周といった感じで、たいした凹凸も無いのっぺりした星をゆっくりと歩いて見て回った。

一番最初に「それ」に気づいたのが誰だったのか。それは大して重要なことではなかった。重要なのは「それ」の大きさと正体だった。
ピンク色をした楕球形をしたそれは、長さ500km、直径は一番太い部分で200kmを超えているまさに衛星サイズだったのだ。それが突然軌道を変え、この星に迫ってくるのだ。
こんなものが衝突したら、たかだか直径6000kmほどのこんな星などひとたまりも無いだろうことは疑いなかった。それにサイズがサイズだ。全てのミサイルを撃ちつくしたところで、効果はたかが知れているだろう。ほとんど全ての住民が「滅亡」を覚悟した。
その時だった。「それ」は急に減速し、あろうことかこの星の一番広い海に着水したのだ。この人工的な動きに誰かれなく脳裏に浮かんだのが「宇宙人」の文字だった。
きっとあれは母船で、中にはとんでもない数の宇宙船やら大気圏内を航行できる航空機やら武器弾薬やら途方も無い数の兵士がいるに違いない。中にはそう思う者もいた。

それは大海原の上空数kmを浮遊して止まっていた。あまりの大きさに誰もが息を呑んで次に何が起こるかを見守っていた。何しろ全体像が数百km離れた場所からでも分からないほどなのだ。
その「母船」の横腹が急に開いた。幅100km高さ200kmはある巨大な口が現れたようだった。中から何が出てくるのか。沢山の飛行物体がこの星全てを侵略するのか?
それとも・・・ある者は直接、またある者はテレビ越しに固唾を呑んでいたその時、何かが動いたような気がした。
「あれは・・・なんだ!?」
誰もがそう思ったに違いない。巨大な口の空間のほとんどを占めるようなものが中から現れた。それは、たったひとりの、幼い顔立ちの女の子だったのだ。

途方も無く巨大な少女がゆっくりと歩き出した。一歩進むたびに足が一気に水深数千mの海底に達し、そこにあるものを根こそぎ踏み潰す。彼女にとって大海原も大きめの水溜りでしかなく、せいぜい足の甲を濡らす程度の水深でしかなかったのだ。
あっという間に少女は陸地に達し、今度はその足で全てを蹂躙していった。足のサイズでさえ23kmはあるのだ。人々は我先にと逃げ出そうとしたが全くの無意味だった。
ある国の首都は、その中央に踏み下ろされた足によって数百万人が一瞬で消し去られ、さらに周囲10km以上の範囲が秒速数万mの爆風で建物も人も何もかもが根こそぎ吹き飛ばされ、さらに数百万人が塵となった。

世界最大の山岳地帯の更に上に翳された足が、何の苦も無く1万m近い標高の山々の中央を踏み砕き逆に深さ数千mの広大な窪地を作り上げた。周りの山も半分より上の部分が吹き飛ばされ、麓近くの大小さまざまな街が跡形も無く消滅した。

ある軍事大国から飛び立った航空機群は、少女の「足」に向かって攻撃を試みようとした。2万mまで上昇可能な高高度爆撃機でさえ、コクピットから見えるのは少女の足首でしかなかった。
しかも、幅5km以上あるそれが、音速など問題にならないほどの速度で近づいてくるのだ。爆撃編隊は一撃を与えることも離脱することも出来ずに、数十機全てが足首に激突し、四散した。
もっと悲惨だったのは、その下1万m付近を飛行中の戦闘機隊だろう。爆撃編隊との交信が途絶えた直後に空が暗闇に染まったと思った次の瞬間には、踏み下ろされた足によって百機以上の戦闘機全てが踏み潰されたのだから。
少女は、この大兵力をあっさり殲滅したことに気がついたのだろうか?答えは否だろう。彼女にとって、爆撃機でさえたった0.2mm程度の塵のようなものなのだ。それがいくつか当たったところで、意識していない限り気がつかないだろう。

世界は瞬く間に滅亡の時を迎えようとしていた。

少女がそれに気づいたのは縦横にこの小惑星を3周ほどした時だった。特に変わり映えの無い景色に飽きてきたので、足元などをじっくりと見てみようと思ったのだ。
水溜りの端にしゃがんで足元を見ると、陸地に様々な色をしたとても小さな粒々を見ることが出来た。何だろう?と思って指を伸ばして、ほんの一部分だけ摘んで掌に置いてみた。
「んん???」
パラパラと散りばめられた粒々は大小様々で、ほとんどが一緒に摘んでしまった地面にくっついて転がっていた。大きさにして1mmにも満たないものがほとんどで、なんだかよくわからない。
少女が驚いたのは、その中にほんの少しだけ動くものが見えたからだった。
さらに顔を近づけてよく観察しようとしてみるが、とにかく小さすぎるのだ。でも、やっぱり何か動いている。何だろう?と思って少し手を離した瞬間、粒々の全てを吹き飛ばしてしまった。
「う~ん・・・気になる・・・」
今度は片手を地面に突き刺して、掌に収まる範囲を丸ごと掬い上げてみた。

この星有数の巨大軍事国家は大パニックに陥っていた。目測で身長150kmはありそうな超巨人のしかも少女がまさに自国を蹂躙しようとしていたのだ。
だが、超巨大異星人の動きがピタリと止まり、その場にしゃがみこんだ時、半分近くの人が軍の一斉攻撃が何らかの効果を生んだのだと錯覚し、その場で次の成り行きを見守っていた。
突然、上空から何かが近づいてきたかと思うと、途方もない巨大地震を伴って着地し、次の瞬間には半径1km以上の範囲を毟り取ってはるか上空に持ち去ってしまったのだ。
「あれって・・・ゆび・・・だよな」
誰かが呟くと、人々は我先にと逃げ出し始めた。指先だけで街の数区画を持ち去ってしまったのだ。とにかく巨人の手の届かない範囲まで逃げないと、街の中は完全な恐慌状態だった。
しかし、1分も経たないうちにまた巨大な手が伸びてきたのだ。人々は逃げながらも4本の指が並んで海中に突き刺さるのを見ていた。何をする気だ?と思う間もなく、
地面から突き上げられる衝撃に襲われ、人や車は跳ね上げられ、ビルは次々と崩れ落ちていった。そして急激な風圧で全てが地面に押し付けられ潰されていった。

少女は綺麗な地面の一部分を目の前まですくい上げると、じっと観察していた。
とても小さな粒々が雑然と並び、その間にも小さな粒々がある。とても小さな街にも見える。え?まち?・・・少女の思考は一時停止する。
手首側の隅にコロンと2mmほどの小さなものが転がり出てきた。空いている手の小指の爪でそれを目の前まで掬い上げてみた。
「あ・・・船だ・・・」
とんでもなく小さいが、間違いなくそこには船が横転していたのだ。少女もちょっと焦ってしまった。
小さな船を街の中にコロンと落とし、掌に乗せた街をゆっくりと元の場所に戻していく。衝撃と風圧でほとんど壊滅してはいたが、とりあえずは元あった場所に戻されていった。
次に気付いたのは素足の親指付近だった。何かが当たっている気がする。いや、当たっている。何だろう?と思って真下を見ると、時折とても小さな光が煌いているのが見えた。
「ひょっとして、侵略しに来たと思われちゃったかなぁ・・・」
宇宙でも有数の巨大さと強靭さを誇る少女の種族は、当然他の種族の星を侵略することはよくある話だった。彼女たちの種族以外の殆どは、1/100から1/1000程度の「こびと」であり、しかも、科学技術もそれなりに発達していたので、宇宙最強の種族と言っても過言ではなかったのだ。
当然、少女も侵略者としての教育を受けており、実際に侵略した「こびと星」にも行ったことはあるが、ここまで小さな種族は聞いたことが無かったのだ。

「あの~・・・ごめんなさい。こんなにちっちゃなこびとさんがいるとは思わなかったんです。」
しかし、当たり前だが攻撃は全く止まない。
「侵略しに来たわけじゃないんでぇ・・・攻撃、止めてもらえますか?」
侵略者ではないということをアピールするために、あえて丁寧な言葉遣いで話しかけてみるが、攻撃は止まるどころか更に激しさを増していた。が、少女には何のダメージも与えられていない。
「参ったなぁ・・・ほんっとうにごめんなさい!」
両手を合わせて拝んでみるポーズを作ってもダメだった。これだけ謝ってもダメなんて、ひどくない?軍隊も弱っちいし、いっそのこと侵略しちゃおうかな。
そう思って拳を振り上げたが、そこで少し前に母と一緒に尋ねたある星の事を思い出した。

少女は母に連れられて、侵略したばかりの星の調査に来ていた。地質学者でもある母は、侵略した星に有害物質がないかを調査するためにまだ蹂躙されていない星に訪れることもしばしばあった。
今回は、1/1000程度のこびとの星ということだったので、社会勉強のつもりで少女も同行させたのだ。
「うわぁ!ちっちゃい!ほんとにこびとがいっぱいなんだね。」
少女は嬉しそうに手を繋いでいた母を見上げた。
「そうね、このくらい小さかったら子供でも安全だものね。」
母はしゃがんで建物をひとつ引き抜くと、少女の目の前で簡単に潰して見せた。
「いいの?そんなことして。この星って降参したんでしょ?」
「あら、優しいのね。でも、ママはこの街の地面を調べようと思っただけでこびとを殺そうと思って殺したわけじゃないのよ。」
「ふーん、そうなんだ。でも、なんかこびとは逃げてるみたいだよ。」
そう言いながら少女は、逃げ惑う群集の上に足を翳すと、近くの建物も一緒に数百人を簡単に踏み潰した。
「ほんっとこびとって弱いなぁ・・・あれ?」
少女の膝から下にかけて、どこからか攻撃されていることに気がついた。母も少女の横に立つと攻撃してくる軍隊を悠然と見下ろしている。
「そういえば、なるべく一般市民には危害を加えないって、調印文書に書いてあったっけ。でも、調査のためだから仕方ないわよね。でも・・・」
背後を見るとまだ沢山のこびとが必死に逃げている。仕方がないといった顔つきで母はズシンッ!と一歩踏み出て、こびとの軍隊にこう告げたのだ。
「攻撃を止めなさい。そうしたら、1時間だけ待ってあげるわ。」
軍の攻撃がピタッと止んだ。
「ママすご~い!でも、あたしたちを攻撃したんだから許せないよね!」
少女が軍に向かっていこうとした時、母は左手で少女を制止したのだ。
「ダメよ。私たちは宇宙で一番強いでしょ?」
「うん・・・だから」
「ママは1時間だけ待ってあげるってこびとと約束しちゃったの。一番強いのに約束まで破ったらかわいそうじゃないかなってママは思うんだけど。」
少女は少し考えて、母に従うことにした。何となく母が言うこともわかる気がしたのだ。
「わかった、じゃあ、1時間お茶でもしようよ。」
「そうね、一度戻りましょうか。」
巨大な母娘は、手を繋いで地響きを立てながら街を後にしたのだった。

「さっき、侵略しないって言っちゃったんだよね・・・」
振り上げた拳をゆっくりとおろす少女だが、軍の攻撃は一向に収まらない。少女は本当に困ってしまった。
この前のこびとよりさらに小さなこびとの攻撃すら止められないというのも情けないものである。でも、よくよく考えたら別に攻撃が続いたところで痛くも痒くもないのだから放置して別の場所に行ってもいいのだが、少女とて超巨大種族のひとりである。どちらもプライドが許さないのだろう。
「そうだ、『ツン』は侵略じゃないよね。」
あの星に同行した軍のおねえさんがやっていたこと。「ツンだから攻撃じゃないのよ」と笑いながらビルを押し崩していたことを思い出したのだ。これもたしか発端はこびとが言うことを聞かなかったからだったはず。
「言うこと聞けないなら『ツン』しちゃうから!」
少女は人差し指だけを伸ばして、攻撃している軍隊の中心に狙いを定めた。
「ツンッ!」
勢いよく人差し指を突き立て、爪が隠れるくらいまで地面に押し込むと、次の瞬間にはあっさりと攻撃が止まってしまった。
「もう!ツンされたくなかったら攻撃しないでよね!」
言い方は少々きついが、笑顔でゆっくりと少女は立ち上がった。

目の前の途方も無く巨大な足の指、いや、そう言われなければわからない、彼らから見たらまさしく山そのものに対して、地上や空からこの国の軍隊は必死の抵抗を試みていた。
海軍は少女が踏みおろした足が起こしたとんでもないうねりで既に壊乱状態だった。陸地でも超巨大地震に襲われたが、それでも何とか戦える兵力でこの超巨人を1分でも長く食い止め、街の民間人が避難する時間を稼ごうとしていたのだ。
だが、彼らの目の前で街のほとんどが片手で掬い上げられた光景は正直言って戦意を失わせるには充分だった。だが、それでも、ひとりでも多くの市民が生きながらえることを信じて攻撃の手を緩めようとはしなかったのだ。
超巨人の目がこちらを向いていた。どうやら、攻撃されていることに気がついたようだ。侵略はしないと言っていたが今まで行ってきた行為は侵略行為そのものではないか?
相手が少女ということを差っぴいても余りある怒りが、攻撃の手を緩めようとはしなかったのだ。
そして、『ツン』の宣告である。何だそれは?殆どの人間がそう思ったに違いない。だが、その『ツン』は、彼らの心をへし折るには充分すぎる威力を持ってやってきたのだ。

ズッドォォォォォンッ!!!
空気を引き裂く轟音と共に、音速の数十倍で落下してきたそれは、そこに展開していた一個師団を一瞬で押し潰し、さらに地中深くに押し込まれていった。周りに展開していた数個師団は衝撃で人も車両も塵々になって吹き飛ばされた。上空を飛んでいたヘリや戦闘機は乱気流に巻き込まれ次々と墜落していく。
ゴゴゴッ・・・と巨大な指が引き抜かれたときには、半径数kmのほとんどの戦力が全く機能しなくなっていたのだ。彼らは攻撃しなくなったのではなく、たった1回のツンによって攻撃できなくなっていたのだ。
この光景を見ていた人々は、もう完全に諦めていた。指先を軽く押し付けただけで、あの軍事国家の巨大な軍が壊滅してしまったのだ。どうすれば彼女に勝てるというのだろう。
全ての国々は、彼女に対する無条件降伏を決めようとしていた。

「そろそろ帰ろっかなぁ。」
少女はチャリンコに戻ろうとしてふと立ち止まった。あることに気付いたからだ。
この星のこびとはあまりに小さ過ぎるのだ。この前行った星のこびとたちがこの星に来ても簡単に侵略できてしまうだろう。そのくらい小さくて弱いのだ。
「綺麗な星だからなぁ・・・そうだっ!」
少女は一度チャリンコに戻ると、少したってまた外に現れた。近くの陸地の手前でしゃがむと、このあたりで一番高い数千m級の山の頂上に手に持っていた何かを突き立てた。
「これでこびとが来ても、あたしたちのものだってわかるから大丈夫だね。あ、侵略したわけじゃないからね。」
独り言ともつかないことを言うと少女はチャリンコに戻っていった。程なくして超巨大宇宙船が飛び立っていくのが全世界から見ることが出来た。

世界は救われたのか。たった1時間足らずで、地図を書き換えなければならないほどに踏み荒らされ、100億近い人口は半分近くに減らされ、いくつもの国家が消滅し、だがそれを引き起こした張本人は何処かへ去っていってしまった。
また戻ってくるのかもしれない。その時は今度こそ・・・
人々は、ひときわ大きな山の頂に突き刺さった直径約100m、高さ数千mの巨大な棒、というより塔の先に付けられた4km×3kmの長方形の国旗のようにも見えるものを見上げていた。
それは白地に真っ赤な正円が描かれたとてもシンプルなデザインのものだった。