Memento 2015-4-28



 梅雨の湿気が、寝起きの髪の毛をうねらせる。
 取りきれていない昨日の疲れ。
…また朝が、今日が来た。…って昨日の朝も同じこと言ってたし…。


 通勤通学中の人々の群れで賑やかな駅前。
同じような顔をした市民の群れに入り込むことで、路地を歩いていた一人から、モブの一パーツに変わっていく自分。
皆、生きていくのに月数十万もの費用をかけているし、中には、大きな夢を持っている人や、敬意を払わざるを得ないような経歴・過去を背負っている人もいる。だから、"モブ"呼ばわりするのは至極失礼なのかもしれないな。

 互いに電車内の単なるモブ同士であるにも関わらず、とある他人がかけてくれた「おつかれさまです。」の言葉。さりげなくその言葉をかけてくれた彼は何だったのだろう。
いつもよく通学電車で見かける彼。制服から判断するに、地域でトップの進学校に通う高校生。時々太刀袋のような物を背負っており、剣道か武術でも習っているのだと想像できる。
それ以外、彼については何もほとんど知らない。
 なんであの春の日の放課後、彼は、友人でも、仲の良い後輩でもないこの自分に労いの言葉をかけてくれたのか。
こちらの事情なんて全然知らなかっただろうに、なぜ、あの時の貴方の言葉はあれ程あたたかかったのだろう。
通学中、古典の手帳を片手にスキマ勉強している彼の横顔を、チラリと見てみる。
あの人の名前はまだ知らないし、訊いたこともない。臆病な私…。

 私の中学校にも、多少はいじめがあるし、男子は奇行生命体だし、夜中のコンビニ前でヤンキーとうんこ座りしてたむろするタイプの子もいる。
私はそんな彼らの行動を第三者目線から眺め、筋書きのないノンフィクションエンターテイメントとして観賞している。
その私目線のエンターテイメント内に私自身は参加していないし、もちろん登場人物である彼らとも直接的なつながりはない。
私ではない誰か目線のエンターテイメントにおいて、私の存在は目立つ役になれているのかな。エキストラ止まりなのかな…。

 ああ…ぼーっとしている間に夜になってしまうものだ。
 寝る前は、椅子の上に体育座りし、Blue encountの曲を流しているFMラジオを聴きながら、机の上に置いた鏡台と向き合ってみる。
透明感のある茶っぽい暗髪、肩の辺りで軽くカールのかかったストレートセミロング、私自身の影の薄さとは裏腹に目力を含んだ丸い瞳、小さく筋の通った鼻。
心なしか、頬やおでこ、顔の輪郭は、小学生の頃のそれとたいして変わっていないように思える。

 あ、話が全然変わるけど、5,6歳の頃にちょっと見たニュース番組で初めて「15歳」を知ったんだったな。
確か、15歳の"男"が刃物で小学生を斬りつけたという物騒なニュース。
幼い頃、「15歳」に対して抱いたイメージは、アアいう感じだったんですけど、実際に15歳になってみると、コーいう感じなんですね。なるほどねー。
 こんなゴチャゴチャとしたことを考えてしまう中身だけど、睫毛をいじりながら、意識の入れ物としての己が確固として鏡に映っているのを確認する。
端的にいうと、実体としての私がこの世界にちゃんと佇んでいることを再確認している感じだ。
いくら周りやクラスメートを観察できていても、当然、自分の姿・表情は直接確認できないものだ。先述の通り、私自身の持っている周囲への影響力には自信が持てないのだからな。
 余談だが、鏡に映る自分の顔のつくりになら密かに自信を持っている。一応、きれいな形をした私の入れ物が物理的・視覚的な空間にくっきりと存在しているのだ。

 聴いているFMラジオ番組は、私が聴いていようが、お便り職人をやっていようが、通常営業で放送されている。
ニュース番組も、その報道対象である事柄も、私とは無関係に起こり流される。
今日のクラスだって、私を置いてけぼりにするかのように通常営業だった。
行きつけのお店も、私とは関係なく、今日も通常営業なのだろうな。うん、まあ、至極当然なことなのだけれども。
 15歳の殺人犯の気持ちもある側面からいうと、共感できるのかもしれない。
社会的に目立つことをやらかして、皆の目を盗めたら、あるいは反社会や厭世観の象徴の如く堂々と佇むことができたのなら、自分はどんなに変われるのだろうか。

 鏡に映った顔をチェックすると、今度は体全体の様子が気になってくる。
ここ数年でよく伸びてきた身長は153cm。胸の発育は周りの女子と比べるとややマイペース気味かな。
情けない話、中身にまだまだ未熟なのに、体だけが成長し、さらに歳をとっていくのは嫌だな。
体の成長も、歳も、時間も、私のことを置いてけぼりにしているらしい。
…嗚呼…うう…………とりあえず寝よう…






 

************


とある梅雨の季節の快晴。地面、空、両方より湿っぽい暑さがじんわり襲ってくる日のことである。

ここは地方の経済や文化を先導するとある都市。
都会の利便性や充実さと、田舎独自の文化で調和され、市民も賑わいを見せている中核市だ。モータリゼーション化に伴って、道路が網の目状に発達。田園と住宅の混在する郊外と、ガラス張りの中高層ビル群の間を結ぶ私鉄も良い仕事ぶりを見せているようだ。
週末らしく、都市の活動拠点である中央公園も多くの観光客や家族連れの人々で賑わっている。

「ふあぁ~、ねむねむゥ」
"私"は寝ぼけながらつぶやく。

 中央公園北の六車線の交差点を曲がろうとする車の前に突然、視界を薄桃色に覆う壁が立ちはだかる。
キィイイイー!!!  ガドオォン!!!  ガシャァン!!!  キイイィィィンンドオオゥゥンン!!!
最大ダメージを喰らったのは、壁の存在に気付いた時には急ブレーキをかける間もなく直撃してしまった4台の車である。
何の前触れもなくドライバーの目の前に現れる。状況をさっぱりとつかめないまま、時速4,50㎞でそいつに直撃。
壁の方はびくともせず、衝撃が自動車に跳ね返る。ボンネットや運転席までへこみ割れ上がり、車体が後方3メートルに跳ね飛ばされると、後方より進む車と激突して大炎上を起こす。壁に衝突した途端、四散しゆく運送トラックもあった。
前方の壁にぶつかるまいと急ブレーキをかけたものもあったが、その反応も遅く激突したり、後方車にぶつけられる。一気に十台が炎上。しまいには、前方の巨大物及び急停止車両を避けようとしたタンクローリーが横転し、軽車両3台と歩行者5人を巻き込んで倒れてしまった。

交差点に突如として現れた、2つのドームを逆さにしたような、あるいは大福のような、長径28メートルの丸っこい物体。
30秒も経たない内に、激突・横転・玉突き・炎上、そういった事故が起こり、今まで平和だったストリートは一気に騒然としはじめる。
大損害の根源こそはその丸っこい巨大物であるが、人々の目を奪ったのはそれではなく、そいつの"持ち主"だった。

寝ぼけていて、視界も思考もぼんやりしている私。
………目の前に大小さまざまな四角の箱がぽつり…ぽつりと並んでいて…、……それぞれが…鏡や石のように輝いている…
…夢か。よく夢…を見るだけに、夢か…現実かの判断に……は慣れて、る。そ…れに、これっぽい夢…前にも見た気がする…
……とりあえず、私はロングキャミソールとショーツの下着の格好で…体育座りしてんのか………。
…………お尻にチョコウエハースか何かがぽつぽつとぶつかってきたな………
…………あ……ねむ…お……顔がぬれて……ぬれてな…いだろうけど………とりあえず……力でない……
……………………くそねみィ………………………んぐぅ……………………………くぅ…………………………むぅ…………
……………………………ぷすうぅぅう……!…やだ…力が抜けすぎてオナラもれちゃった。

ばばああぁぁんん!!! どおおおぉぉぉんん!!!

……!!??

炎上した車の炎に、500トンの高濃度ガスが引火し、ダイナマイト二十発分以上の大爆発を起こした。

流石にこの爆発音とフラッシュには私も目を覚まさざるを得なかった。
振り返ると、黒焦げになり、大部分が吹き飛ばされた小箱群が並んでいた。
あれ、見覚えがあるぞ。苗木や、スティック菓子のようなものが、ほぼ均等な配列で並んでいる。まばらに散らばっているキャラメルみたいなのは…車?
「どういう理屈で、車や樹木がこんなに小さくなっているのか」という疑念より先に、「これを眺めている自分はどうなっているのか」「どういった出来事を経て私はこの何所か判らない所にいるのか」という問いが浮かんでくる。
記憶の糸を辿ると共に、この場の状況をぼんやりながらに探っていく。何気に冷静な自分。

ああ、これは…
ミニチュアの街の夢……以前にも2,3回ほど見た、巨人になる夢か。

これを…この夢をまた見たいと思っていたのだ!…夢なんて所詮は私個人の想像の産物だから、何をやっても良いのである!
さも、自分しか読まないラクガキノートや、自分しかいない家並みに自由で、しかも、おもちゃも充実している。
よっしゃ!!!
何して遊ぼうかなぁ。

ピンクのフリルつきロングキャミソールとショーツの姿で布団で寝ていただけに、夢でもそんなアウトな姿で、しかも大通りに体育座りするという形で現れてしまった。
ここでは、通常の100倍サイズ、身長153メートルのとてつもない大巨人として存在している。
インド象よりも、マッコウクジラよりも大きい。
うん、私にとっては最高のシチュエーションだ、私にとっては。
まさに「夢か現実かわからない」といわんばかりの表情で私を眺めている蟻のような市民にとってはどうなのだろう。
ズズズウウゥゥゥと鈍い音と、地面をひっくり返したような土煙をたてて、私は立ち上がる。
うわぁ…やっぱりみんな小さいな。
商業街の大きめのビルですら、このか弱い女の子のへそに届くか届かないかくらいのサイズだもんね。
ましてや人間なんて猫ちゃんの餌みたいな粒々だよね。
お尻をパンパンとはたき、土を払いのける。落とされた土砂が、地上の舗装や車に落とされ、凹みをもたらす。それも一粒ではなく、雨のように。

多くの人々で賑わっていた都市に突如として現れた、身長:高層ビル45階相当という考えられない大きさの女子中学生。
立ち上がったことで、私のダイナミックさに改めて気付かされる。ただただ呆然と眺めている人達が眼下にぽつりぽつりと映る。
けどさ、何かを察して遠くに駆けていったメンツを見習わないの?

まずは自分の大きさや力を再確認するために、たまたま目に入った私のへその高さほどの23階建てマンションをターゲットに軽めの回し蹴りを喰らわしてみる。
ドォオオオオオオォォォォォオオオオオォォォォォン!!!
衝撃を受ける側も、与える側も、数千数万という通常の人間社会とは無縁すぎる重量トン数を帯びてぶつかり合い、かつ目にも留まらない一瞬の出来事として都市をショックの色に暗転させた。
私の足側にかかった鈍的圧力は皆無。ほとんど全ての衝撃がマンションにかかり、爆心地を中心にサイコロの如く四散。
上部は十数メートル級の破片にばきんと割れ、下部も衝撃で数千のピースへと分散していく。
平和な日常を過ごしていた百数十世帯、数百人もろともすっ飛んでいったのだ。
そんな一つの建物の大損害に目がいってしまう。それだけには留まらず、隣にあるほぼ同じサイズのマンションも上半分が消え、回し蹴りによる衝撃波で地面の車や人の群れが散りぢりに吹き飛んでいる。

鋭い地響きと、地震が起こったのを境に人々のパニックもより本格的に変化しゆく。
しかし、容赦するつもりは微塵もない。
「夢の世界の皆さんには、私の鬱憤晴らしのおもちゃになってもらいますからね。きゃははっ。」

ズズズウゥゥゥゥンン!!
「がおー 怪獣だぞー」
道路には、曲線を描いた女の足形が掘り込まれる。
そこには自動車や自転車の綺麗なペーストが張り付き、ヒビや溝が残され、巨人の重量がいかなるものであるかを物語っている。
地を深く劈き、雑居ビルやマンション、小高い地帯を土くれのようになぎ払い、子供はおろか大の男をも埃のように吹き飛ばす足は容赦なく歩行を進める。
街路樹や電線はぶちぶちと千切れ、木屑石礫として散らばりゆく。


あれ、この高層ビルのおじさん達、まだ逃げようとしてないんだ。
官庁・オフィス街にそびえる高層ビルの内部を前屈みになって覗き込んで思う。
それなりに頑張って建てられたビルだろうな。私の胸の少し下辺りまでの高さを誇っている。
前屈みになった際に、眺めているビルの向かいにある大手商社の20階建てオフィスをお尻で倒壊させてしまう。気に留めない。
ガラス張りのビルだが、上層部数階にわたってこの私の顔がダイナミックに広がっているのであろう。
ふぬーっ!
口をタコの漏斗のようにすぼめ、白目を向き、眉を寄せると、ビル内部の小さな悲鳴や怒号がいっそう大きくなる。
心の中で必死に笑いをこらえ、なぜか変顔に徹する私。疲れた。そうだ。
「にゃ―――ん!」
声を上げると、強化ガラスや内部の書類、PC、そして職員が渦を帯びて巻き上がり、壁や床に叩き付けられていく。


「カンカンカンカンカン、『逆踏み切り』でーす!」
走行中の電車の10メートル先に手のひらを置き、肌色の壁を作ると、見事に激突して脱線・横転していった。


ん? あっちの街の人達、大人しいけど、もしかして「俺達の所は狙われない。大丈夫だ。」とか思ってんじゃないの?
油断は禁物だよー。
先程までいじっていたオフィスの上部を握り、上から25メートルくらいの所までもぎ取ると、油断している人達の街にめがけてぶん投げる。
あれ、ちょっと違う方向に、しかも予想よりもっと遠い所へ飛んでいく。
その飛距離約700m。平和であった街区に一気に炎獄と人々の悶絶の声が広がる。

雑居ビルや病院といった膝に届きそうな建物は蹴りなぎ払うか、足を載せて地面まで一気に踏み抜くかで処理する。

デパートや地下街を足で弄び蹂躙すると、立方体型の建物の影は残らず、大小さまざまな岩や石の積もり溜まった山と化す。
鉄筋の露出した石礫の山の狭間にちらほらと見当たる商品や店棚、広告、店員の制服が辛うじてデパートの名残を表している。

雑居ビルを根こそぎ持ち上げ、一握りにし、シェイキングして中身をぐちゃぐちゃにする。
しなやかな脚は、想像しがたい圧力を以って、大地を叩き、人ごみも家屋もトラックも何もかもを地面と一体化させる。
羽虫や小鳥のようなものを手首のスナップで軽く叩き落していく。それが戦闘機かヘリだと確認した時は笑ってしまった。
逃げ延びた市民にも、彼らの背丈の数倍もの大きさの火の手が迫る。

「きゃははは!!」
幼児のように馬鹿笑いしながら、ぴょんぴょん跳ねると、私の足元だけで2,30m陥没。
直接触れていない電機販売店や高級タワーマンション等の半径80m圏内の建物さえも、傾き、埋もれ、沈み、割れこんでいく。

そうか、みんな、私の一挙手一投足にいちいち間抜けなまでに震撼してんだな。
いつもなら等身大の一人の小娘が居ようが居まいが通常営業で流れゆく日常を、この手で崩している。
人々が緻密な設計や、血の滲むような労働を呈して建ててきたアーキテクチャーを、床に落ちた菓子の如く軽々蹴り飛ばす。
みんな、美しく、そして、呆気なく無くなっていく。
とてつもなく巨大で、絶望的な力を持っている私の気紛れな行動を、老若男女問わず数十万人が指を加えて眺めたり、右往左往して混乱したりしているわけだ。

所詮は夜に見ている夢・仮想現実だとしても、視界にある全てが自分のものになった気分。
…もう誰にも私を止められない。

アーケード街の屋根を卵の殻のように指先で破ると、内部で年配の人々やその子ども達でひしめき合っている様子が確認できた。
私の視界に入っているのだけで数百人はいるのではなかろうか。
天をつく未知の巨人を見上げては、ツバメの雛の如く口を開け、奇声を上げ、周囲の者達とおしくら饅頭しているようだ。
「私の何がそんなにコワいんですか? 顔? 髪? 手? 下着?
 ただの中学生なのに、怪獣扱いされちゃショックなんですよ。」
"怪獣扱いされちゃショックなんですよ"の部分こそは嘘である。
"ただの中学生"の殻を破ったのだか、"ただの中学生"という仮の姿から開放されているのだか、とにかくその辺の要素によってあらゆる鬱憤が晴らされているのは確かだ。

 ズドオオォン!! ミシィッイイン!! ボガアァンン!! ズドオオオォ!! ドゴオォォ! ベキイィ!

 ひゃあああぁぁぁ!!! やめてえええ!!! キャアアア!!  たすけてええ!!

アーケード街を市民ごとぺたぺた足踏みしていく私。
自分でもこれほどダイナミックな音を起こせるとは思わなかったし、また、大人達がこんなにも情けない声を上げるなんてことも想像範囲外だった。

おや? あれは男子かな。それも私と同い年くらい?
アーケード街横の5階建て百貨店入り口付近にて、体の不自由な高齢者を避難路へと誘導しようとしている。
……
…健気な人だね……で…皆が避難しようとしてる原因はというと…



ドン! ズズウウウゥゥゥゥ!! ズズズズズウウウウウウゥゥン!!!

足元の6,7台の車や街路樹を巻き込み陥没させつつ、膝を付き、上体をおろして肘をついて、彼に顔をずいっと近づける。
四つんばいになった大巨人、視界いっぱいに広がる女子の顔、重量感を携えた巨大な顔のパーツ、そんなものが突然彼の眼前に現れるのだから、尻餅をついて驚くのも無理はない。
百貨店巨大看板に映る女性モデルの写真のそれより遥かに大きな私の顔。
私尺度で17,8cm前にいる小さな彼。
使い物にならなくて捨ててしまうようなサイズの消しゴムよりもっと小さい。
「やあ。」
話しかけると、彼は後ずさりし、全速疾走で駆け始める。
「待ってよ~」
 ザアアアン!!
左手を伸ばし、逃げゆく彼の目の前に置いて高さ7メートルの肌色の壁を作る。
ドオオウウゥゥンン…!!
舗装道路やレンガ広場、アーケードの残骸を磨り抉りつつ、寝そべっていた体を起こし、横座りの体勢になる。
右手で5階建ての百貨店にぽんっと手を突き出すと、手をかけられた箇所を中心に亀裂が建物を分断し、四散させると同時に、2階を軸に倒していった。
長年この街に住んでいる人やよく買い物に来ていた人にとってはショッキングだろうな。
一度右手を伸ばしただけでこうだからね。彼もこれで わかってくれた でしょ。

まさに漫画のように露骨に汗をかき、血相を悪くし、震えてこちらをみつめてくる彼。
と、形容することになるだろうなと予想していたが、それを上回ることとなった。
「……うっ……うっうっ……うぁあああああぁ………かあちゃぁぁぁぁん!!」
彼はおいおい泣き始めたのだ。
やれやれ、親の干渉に対して反発したくなる年頃だろうに、いざ未知なる危険を前にすると、大人にすがりつくしかない幼児みたいになってしまうんだな。
長めのスポーツ刈り、腕まくりしたカッターシャツ、運動部を思わせるエナメルバックとがちがちに震える様子のチグハグさがたまんない。
おもむろに超ミニミニサイズの彼のエナメルバックを二本の指で摘む。
そのまま持ち上げようとすると、"うびゃァ!!"と叫びだす。
しかし、わずかな選択肢の中から彼なりに冷静に答えを見出したらしく、バックの肩掛けにしがみつき、一緒に数十メートル上がっていく。
左手のひらの上に乗せ、眼前に信じられないサイズの女子中学生の顔が広がるようにする。
「ねェ、御氏名と年齢をお教えくんない?」
ちびちびに縮んだ消しゴムを見つめるように目線を下ろし、彼にそう話しかける。
未知と恐怖に閉ざされた未来への不安と、「どうして教えなきゃいけないの?」という疑問に苛まれているのか、すぐには口を開こうとしない。
「……み、…い…す。」
「う~ん、ちっちゃ過ぎて聞こえないよ。」
「ミ…ミナミ・シュウゴ、15歳…です。」
「あーね、やっぱ私と同い年じゃん。中三?」
こくりと頷くミナミ・シュウゴ。
心なしか、涙でぐちょぐちょになっていた彼の顔が、赤く火照っていくのが伺える。
「なんだかんだで私のタイプっぽいな…。」
別に聞こえても聞こえなくてもいい独り言を呟いたが、こんなサイズでの声だと嫌でもメガホンを通したように、周囲一帯に聞こえてしまう。
「じゃあさ、ミナミくん、脱いで。全部、」
これでは、ミナミくんでなくても、「はァ!?」と思ってしまうだろう。

「ほら、早く!」
反応にたじろぐミナミくん。
ミナミくんをそっと地面に戻すと、女の子には似つかわないような地鳴りと小地震を伴って立ち上がり、さっさとキャミソールとパンツを脱いだ。
下着を捨て、パンツの直撃したバスターミナルを大気の大渦と共に流しとばす。布がバス停や車両、建物に覆いかぶさり、私のにおいに包まれているようだ。

下着を捨てた姿、要するに全裸で、足元の残骸やミニチュアの都市、市民を悠々と見下ろしている頃には、ミナミくんも背中を向けてせっせと制服を脱ぎ始めていた。何らかの圧力や衝動に迫られているのだろう。
幼い頃よく遊んでいたシルバニアファミリーのドールや、レゴブロックの人間がこの場にあったら、彼の横に並べてみたいな。
そんな人形達よりも一回りも二回りも小さな男子とか……ウケケケケ (≧ω≦)b

ボクサーパンツ一丁になったところで戸惑っている彼。
「ほら、早くっ 脱いでって!」
公に晒すと人間失格同様に扱われてしまうゾーンを隠す最後の砦が解かれていく。

「あ、ちょっと待ってね、私の背中や脚になんか攻撃してくる戦車がいるから。」

ドドオオォン!! ベシイイィイン!! ミシィイイィィ!!

「この戦車ちゃんだけは特に悪タンな顔してる。投げちゃうぞー!めんごめんごー!」



「…うん、これで腹の虫も治まった。」

ミナミくんは相変わらず背を向けており、裸の私を見ないように、同時に自分のシークレットゾーンを見せないようにしている。
しかし、この特殊すぎるシチュエーションにおいてでもレディへの塩対応をしてはならぬと、異性を知らない処女のようにおどおどと体の前面を向けてきた。

ミナミくんはまずここで、私の反応を伺ってこれからの行動・運命を冷静に吟味すべきだったのかもしれないが、眼前に聳え立つものへの好奇心がマックスになり、判断力が鈍ってしまったようだ。
25メートルプールをも一踏みにできそうな二つの土台、大手商社地方本社ビルの高さを優に圧倒する曲線を描いた二本の塔、大人への変化と若さを演出せんとするキメの細やかな肌、自分の遥か見上げる塔の付け根にある同い年の異性の生殖器、絵取りたくなるような線を描く胴体と腕、もう一度、おしげもなく晒された人の背丈以上の陰毛に視線が映り、見上げた更に上空の気球のような胸を崇拝するように眺める。

彼はまじまじと見上げているわけだが、そういう私も目の前の対象物を放っているわけではない。
「ほら、私の右手に乗りなよ。」

再び手の平に乗ってもらい、目を凝らしてみてみると、小さな小さな男の子に付いているそれがかわいらしくピンっと直立しているのがわかる。
ほぉ、すごいなー。……ってよく考えたら流石におかしくね?
これって私の夢じゃん?夢の中の世界じゃん?
で、妙に街の様子とか、市民の反応とか無駄にリアルなんだけど、なんで男子の×××までこんな再現度なわけ?
あ、いや、実物のそれをまだ見たことない私が「再現度っべーわー」だなんて言っちゃ野暮か。
ひょっとして私の想像の産物である夢じゃなくて、私の本来住んでる世界から隔絶された…ああ、考えるのも面倒になってきた。
どうせ、現実世界とは連続性のない場所なんだし。

改めて右手に乗っているミニミニな男子に目を向けてみる。
ミナミくんの視線の先を確認してみると…。
「え? ちょっ、どこ見てんの?
 てか、君からしたら高さ12,3メートルそこそこの丘や建物クラスの隆起って感じかな?
 片方だけで下手な安アパートよりも全然大きいわけかな? へへん。」
ある悪戯が思い浮かんだが、その前にちょっと訊いてみよう。
「ミナミくんの中学どこー?」
「い、一中だけど」
「学校名訊いてるんじゃなくてー、どこに建ってんの?」
私の声そんなに大きいのかな。十数秒の間、両耳を強く抑える彼。落ち着くと、遠方を指さす。
数十cmから15mまで大小さまざまな建物の破片が散在する官庁街、粉塵を上げて燃え盛るビジネス街の光景から浮き出た足跡の群れ、まだ踏み入られていないもののパニックの波が押し寄せている住宅街、そういったものを隔てた彼方に小高い山があり、麓に校舎が建っている。
その間、距離にして市民尺度で3.5㎞、私尺度で35m。山は標高80m、私からするとソファ以下のサイズか。

「あ、おい、も、も、もしかして俺らの学校潰すんじゃないだろうな。や、、めろよ。」
ミナミくんが初めて好戦的な言葉を発した。所詮は声の大きさまでミニミニだけどね。
右手に乗っている彼の上空から巨大な左手が落ちてくる。
「ひゃァァ」
頭上10メートルすれすれで左手の動きを止め、威圧に屈して頭を抑えている彼の様子を確認する。
「まあまあ落ち着いて、ミナミちゃん。
 で、文字通り大したものでなくて大変恐縮ですが、よろしければしがみ付いてくんない?」
右手を「高さ12,3メートルそこそこの丘や建物クラスの隆起」の真ん前に移動させる。
彼の目の前に乳房の先端部が現れることとなり、過呼吸を帯びて狼狽するが、私のその意図を察して余計に表情が歪みだした。
「君って行動の遅いヤツなの? ほら、早くしないと。」


ミナミくんにねらいの行動をさせると、次なる目標物へと向かっていく。
"落下防止"のため、右の乳房の下方には右手をかざしているが、左胸や、生まれながらに女性しか持っていないそれ、張りのある臀部の割れ目も隠さずに町を闊歩する。
田畑や川の地形はぐにゃぐにゃに書き換えられ、堤防や樹木はひっくり返る。
周辺が突発的な津波を伴って水溜りに飲み込まれていく。
数百件の一軒屋や小ビルディングの破片は放物線を描いて高度30mの空を舞っていった。


「『成長した一人の男の子は母ちゃんの乳から離れ、街で出会った女の子のおっぱいに縋りつくようになったのだ。』
 おお、この表現、我ながらイイ感じだなー。」
とてつもない崩壊音や人々の悲鳴をかき消すように、呑気な独り言の声が大地を叩き、大空へと突き抜けていく。

「よし、ミナミくんの中学校の真ん前まで来たぞ。君もよく最後まで落ちずにしがみつけたもんだね。
 おつかれさま。」
ミナミくんに労いの言葉をかけると、手足いっぱいに乳首にむにっとしがみついていた彼を足元に帰してやった。
人生にして十年分くらいの精神的・肉体的疲労を伴った彼の表情といったらもう…
もっと弄びたくな…じゃないや、もう見るに耐えないですね。
真っ二つにへし折れた若いプライドも、まだ股間を手で隠す程度のエネルギーは留めているそうだ。
「ありがとね。楽しかったよ。」
私はそう言い残すと、目の前の学校の校門と3本のイチョウを踏み抜き、校舎と対面する。
膝に手をつけて見下ろしてみる。

ああ、ちょっと期待はずれかも。
私と同様、性への関心の強い年頃の学生で集っているのかと思ったら、避難場所であるだけに、おじさんおばさんまでいるし。
校舎にあふれる人々や、校庭の一部に集っている人々が、天を突く大巨人であるこの裸の私を見上げて絶叫している。
大人達は小娘に支配される恐怖と逆らえない屈辱に泣き、警官や体育会系を思わせる男性はまさにこの世界にはないモノ ― 実際にこの世界のモノではない― を見るような目で眺め、口をポカンと開けているようだ。
ひたすら、泣き叫ぶ女子の奇声が聞こえる。
男子に至ってはどんな複雑な心理なのだろう。

この校舎をどう堪能してやろうか。

しかし、なんだか、自分の通っている学校の校舎のイメージと、眼下の中学校舎という名目の小箱が重なって見えてくる。

遅刻間際に自分のクラスのある階を見上げていた校舎。長距離走でヘトヘトになった際はなぜかいつもよりも聳え立ってみえた校舎。
そんな校舎全体が視界のごく一ピースとして眼下にちっぽけと立っている。
高い所から校舎を有した景色を俯瞰しているようでもあるが、馬鹿でかい私の二つの足が景色から浮き出ていてなんともシュールである。


朝練や放課後の練習を欠かさなかった野球部。
全国大会へと突き進んでいた硬式テニス部。
時々勝手に"逃走中"なんかやって、後で顧問に厳しくしかられていたバド部。
トイレはなぜか井戸端会議で盛り上がっている女子達の集会所になっていた。
「自分が可愛い」という意識の裏返しで、出る杭をぶっ叩いていた子が、女子達の輪の中心だったな。
夜中に暴走族とたむろするタイプの女子は、校則に喧嘩を売っているような風貌で、皆が怖がっていた。
でも、水泳の授業でばてている私に「おう、大丈夫か。何かあったら保健室までおぶってってあげるよ。」と話しかけてくれたことがあるので嫌いになれない。
学級委員を勤める二人はイイ雰囲気で話し合っていて、まさにお似合いの美男美女だったけど、二人きりになると、恥ずかしい呼称で呼び合ったりしていたのかな。

"俯瞰"と称して、それぞれのメンバーを第三者視点から眺め見ていた。
直接的なつながりのないそれぞれが、あるいは直線で結び合わせようとした際に複雑な構図を見せる点の群れが、足元にある一つの小箱の中で集まっていたのだな。まあ、あくまで私自身の通っている学校とこの校舎を重ね合わせているだけだが。


…梅雨の季節か。汗の膜が153mの身体をぴっしりと張ってきた。

ズズズウウゥゥン ズズズウウゥゥン
校舎の真ん前で背を向けて立つ私。
足場の邪魔である体育館か講堂らしきものは、ことごとく一踏みにされた。
グウウウゥゥン
膝に手を置いて前屈みになり、膝を微妙なスピードでゆっくり、<の形に曲げていく。
腰をゆっくりと屈めていくにつれて、人々の阿鼻叫喚の絵図が残酷さを増していることが、むき出しの臀部越しに伝わってくる。
びききんっと校旗と日章旗を飾る柱が、想像もつかない重さの臀部とぶつかってへし折れる音が上がる。
尻が校舎にくっつくかくっつかない程度までに腰を下ろす。

これ以上腰を下ろした場合、この校舎が、校舎にいるおよそ千人以上の人々の命がどうなるかは想像に難くない。
歴史ある学校舎、そこで歴代数万の生徒が過ごしてきた営み、施設を支える数億の費用、卒業生、在校生、今集まっている住民達の営み。全てが一人の尻の下だ。

阿鼻叫喚の避難民の真上を暗闇に覆う圧倒的な重量・体積の物体。
それを水流のように這う大量の汗の一部が、各地で水滴を落としていく。
人の肌、それも100倍サイズの人の肌による湿気、そして超高濃度の"匂い"がアスファルトの校舎やその内部の人の群れ、校庭の砂、木々、車両に染み込んでは、食欲でも持っているかのようにぐんぐんと飲み込んでいった。

臀部下で嗚咽や嘔吐の声を上げている、老若男女幾千の人々のイメージが思い浮かぶ。
再び、この中学、そして私の中学の営みの絵図が、脳裏を支配していく。
その数え切れないほどの人々の群れの波間で、置いてけぼりにされるが如くぼんやりと佇んでいる女生徒は誰だ。
人から期待されず、嫌われず、注目を浴びずに、流れゆく生徒の群れをただ一方的に眺めているのは誰なんだよ。
いくつもの直線で結ばれ合っている複雑な人間関係の構図の間で、あってもなくても良いかのように浮かんでいる一つの小さな点は、誰を表しているのだろう。

そいつの存在がこの際、圧倒的過ぎるパワーを掲げ、自分の好きなように人の営みを弄び、大地を捻じ曲げ、都市をひっくり返していた。
普段は出しても届かないような声を出すことすら諦め、"におい"を発していない。
だからこそ、この機会に、この学校に"私の匂い"を存分に染み込ませ、悦に浸っているのだ。

私の汗、皮脂、石鹸、尻。
それぞれの匂いが皆を強く取り込んでいって、だんだん嗚咽の声すら弱まっていくのが感じられる。
足元の校庭で、痙攣を起こしてぐったりしている親子の様子が目に映る。
大きめの消すカスのような男性は一端吐いたかと思うと、後ろへ倒れ、後頭部を打ち付けたようだ。


「学校にいるみんな、ごめんなさい。そして、有り難う。」
なぜかそんな言葉が私の口より発せられる。
そして腰をさらにゆっくりと下ろしていく。
まず3階のクラス群が奇声を上げ、スナック菓子の欠片へとプレスされる。
人々の断末魔は、歴史のある校舎のそれと比べると小さすぎた。
職員室、家庭科室、図書室、情報室、校長室、放送室…
鉄筋モルタル構造体もあっけなくただの木材やコンクリート片のピースに分裂していく。
2階、1階も、凄まじい反応と騒音をもたらしつつ、かつ儚げに地表のクレーターと一体化していった。
普段だと重めの石すら持ち上げられないようなか弱い娘の尻の下で、全て圧縮・粉砕されていた。

尻に張り付いている卑小な粒々は、原型の有しているイメージとは類縁性がないように感じられた。泣きたくなるほどに。







************



「んん…どうかな…。私にできるかな…。やらないで後悔するよりやって後悔だ、っていうけど…。」

今日は運命の日だ。
いや、少し大げさに言ってしまったかな。
端的に述べると、いつも電車内で見かける気になる人に初めて話しかけようと試みる日である。

どうやって話しかけていくかのプロットは決まっている。
頭の中でシュミレーションしてみよう。
金曜である今日の放課後、あの人は、週末の校外施設稽古に向け、太刀袋を背負って駅の構内に立っているはずだ。
そこに私がわざと太刀袋越しに彼と衝突。
「ひゃーごめんなさい、ごめんなさい。」と私が非常に申し訳なさそうに謝る。
それで、「いや、いいよ。」と返してもらう。
その後、私はあらかじめ仕込んでいたハンカチを見せて「これってあなたのじゃないですか?さっきの拍子で落ちたんだと思いますけど」と言う。
「違うと思うんだけど…」と返してもらう。
これで、まあ、なんだかんだで、一応、一分間弱会話したことになる。
そうして、彼の中で私は「電車でよく見かける人」のカテゴリーから「あの時ぶつかってしまった子」「知り合いの女子」のカテゴリーに移され、認識されることであろう。多分ね。
毎日会う度に、挨拶を一言交し合うくらいの関係にはなれるのだと、何パーセントかわからない可能性にずっしりとした未来を掛けてみる。


"巨人になる夢"を見てから一週間半が経過。
一人の女生徒としての"等身大の自分"と、あの夢においての"本性の私"の間には、泣きたくなるほどに連続性がなかった。
グループでの会話では意見や感想を持っていても、同じ意見を持った誰かが喋りだすまで尻込みするような女だ。
あそこでは、恥すべき行動も惜しげなく数十万の群集の目に晒すことで、自分がとてつもないサイズとパワーを湛えた巨人だと自他共々の意識に訴えかけていた。


放課後、校門を抜け、駅へと続く16時台のちょっと寂しげな道路を歩いていく。
右側に見える本校舎を軽く見上げてみる。
校舎をすっぽりと影で覆う尻を以って、学校の全ての上でしゃがみこんでいた私と、駅で憧れの人におどおどと話しかけようとしているこれからの私のイメージが交差する。

「うむ、アクションを起こさねば。ちょっとくだらない作戦かもしんないケド、これでこれからの未来がどうなるか大きく変わるんだ。」
バスターミナルやパン屋、コンビニ、ホームセンターが各所に並んでいる駅前広場まで来ると、私の歩みの一歩一歩も重みが出てくるように感じられる。何だかよくわからないけど、涙まで出てきた・・・。
暖色系のタイルを踏みしめ――勿論、重みで潰れたりすることは絶対にない――肩に力が入り、捕っていない狸の皮算用をして未来に期待する自分がいる。



 ――――――――――ゥゥウウウウンンンッッ!!!!!!


束の間の出来事だった。
地面が一瞬、重さを失って浮き上がり、元の位置に補正し動こうとするが如く揺れ始めた。
私のガチガチになっていた足は地揺れに耐えられず、もつれ、尻餅をついてしまった。
再び大地震に襲われる駅一帯。
叫喚の渦が市民を、駅一帯をほおばり咀嚼していく。
薙いでいったのは、街路樹だけでなく、駅前の15階建てマンションもそうだった。
平坦な広場でこのようなパニックだ。ましてや高い建物の内部はどうなってしまうものか。

「あはははははは!このおチビさん何やってんの?バカでね――の?」

とてつもない大轟音だ、と心の中で呟くより先に、その"セリフ"を言葉として認識してしまった。
人間一人の身体を地面に引き吊り、吹き飛ばしそうな大きさのそれはタイルの地面に、見上げる高いマンションに、ストリートの向こうに駆け、叩きつけていった。
私が何なのかと思考する前に、小さな心臓はばくばく動き、過呼吸を催していた。
見上げていたタワーマンション2棟。その数百メートル向こうのタワーマンションよりも高く高くそびえるグランドホテル。
"腰"にすらホテルの高さは及ばず、ホテルの頭頂部から見上げた所にある少女の瞳は、子猫のようにきらきらしている。
足元のゴミを全て薙ぎ払える力が、その何かの楽しみに満ちた瞳と、見下すような視線に表れていた。
ダンボール箱や牛乳パックの群れに見えてしまうようなミニチュアの人間社会。
その光景から浮き出た、巨大なセーラー服の少女。

たった二回の振動と声だけで、市民は巨人の強さと、自分達の非力さを悟り、営みを停止させた。
なにせ、「巨人が現れる」という未曾有の事態なのだから、意思が破綻に追い込まれるのも無理はない。

「巨人が現れる」という事態とは決して無縁ではない一人が膝をつき、肩を落とす。
もしかして…そうなんじゃないかと薄々思ってたけど…

ドゴオオオオォォォン!!

何かが目の前50mの駅本舎にぶつかり、屋根やホームをことごとく粉砕していた。
耳に優しくない金属音を上げつつ、一つの車両が猛スピードで駅前広場に流れ込んできた。
パニックを起こしていた人々や街路樹が、駅舎の崩壊に巻き込まれ地面と一体化していった。

そして、堆肥の集まった家畜小屋そのものがミイラ状に干乾びたかのような強烈な悪臭が襲ってきた。
瞼の裏にまでピリピリと匂いが襲ってくる。
駅舎を粉砕したのは…やや黄ばんでいる白ソックス…? それも人間を小馬鹿に、クソ馬鹿にするようなスケールの…。
あの巨人が履き捨てて、丸めて投げたのか。あれが悪臭の元なんだな。

何人か横たわっている。カッターシャツの制服らしき男子もいるが、もしかして…。

まともに喰らっていると気が動転してしまうような悪臭や奇声に耐えつつ、カッターシャツの方に向かう。

足元をぐらつかせ、精神の底辺をいじくりかえすような地響きがまたも襲ってくる。
それも一発ではなく、連続で、規則正しい間隔で。

倒れている男子は、明らかにいつも電車で見かけている顔の人だった。
太刀袋を背負っており、端正な顔立ちは気を失ってもなお精悍さを失っていなかった。
彼の頭の下から真っ赤な水溜りが広がっている。憧れのあの人との違いを必死に探そうとしたが、どう探ってみてもやはりあの人で間違いなかった。

上空で数個発生している、汚い花火。
小学生のころ、虫眼鏡で光を吸収させ、黒の蝶々を焦がすという遊びのような、実験のようなものを楽しんでいたが、それの破片の数メートル版のものが空に渦巻く。
地面に落ち、タイルに突き刺さるまで、破片の正体がエンジンや機銃、コックピットだとはとてもわからなかった。

有数の規模を誇っていた市民病院が真っ二つに粉砕される。人ごみに建物が容赦なく倒れこむ。
黒のローファーが、車両も人間の集団も、立派な建築物も全て無抵抗に消滅させゆく。
おもむろに逃げゆくスーツ姿の男性の群れに顔を近づけたかと思うと、ふーっと吹きつけ、そこを円状の無に変えていた。

…わかったよ。
そこのデカいあなたは別の世界から迷い込んだんだよね。
私達の世界とは、全てのサイズが違う。私達の100倍ってとこかな。
あと、もしかして向こうの世界では誰かさんみたいに冴えない女やってたんじゃないの?
『これ夢なんだー』とかあほみたいに言って、この世界の街をナグサミモノにする気なんじゃないの・・・?



悪臭に目がくらんでいく私。
地面に横たわっている亡骸に再び目を向けると、頭の中に凄まじい情報量の追憶だか、物思いにふけった時の何かだかがぎゅうんと駆け抜けては、一気に真っ白になり、私の気も遠くなっていった。




************


夕方の心地よい秋風が頬をなでた。
「……んん」
意識を取り戻しつつある私。
ガヤガヤと人の喧騒が聞こえてくる。
ぼんやりとしている視界。かなたには夕陽が見えるがいつも見ているタイプの夕陽とは何か違うような。
そんな夕陽が照らしているのは、灰やベージュといった土っぽい色の高層建築群か。
つまり、ここは都市なんだな。私の意識がはっきりしていないのも相まってぼんやりとしか見えないが。
そして、私の目線は十数階建てビルの屋上にいるかのように高い。

私の住んでいる街よりも、また、以前に夢に出てきた街よりも都会であるらしく、少し遠くには400mくらいありそうな摩天楼が建っている。そいつの片腕だと言わんばかりにサイドに建っているものも高さ300m程ある。
建物の雰囲気からして外国の都市なのだとわかる。喧騒の声や言葉もそういう感じだ。

地べたに目を向けると、下手なビル一つよりも十分太そうな腿が女の子座りを成して、大ストリートに倒れこんでいる。
その腿に蹂躙されたらしく、割れ目から水道の水が吹き出ていたり、二階建てバスが横倒しになっていたり、建物の一部が陥没していたりした。
"私"の周囲はまさに「Keep out」っぽい帯で囲まれ、パトカーが並んでいる。
その向こうには車道にまで野次馬があふれ、私の方を眺めていた。

なんで?また、小人の街かよ。

さて、私、帰れるのかな。

途端に「おチビさん何やってんの?バカでね――の?」という意味の轟音が脳内再生された。
オフィスに向かって「にゃ――――ん!」とか言っていた阿呆面はそいつとは別人物だ。
でも、やっていたことの内容はというと…。


私、本当に帰れるのかな。
彼に初めて話しかける作戦をせっかく考えついたのにね。

駅も潰れてたし、彼もああなったし、つーか、ここどこかわかんないし、
がちで帰れるの、私?


・・・・
・・・
涙腺から溢れ出てくるものは妙に暖かい。
・・・・。


『おチビさん何やってんの?バカでね――の?』ってなんなんだよ。
私の街ぶっ壊したのアイツ誰だっての。


・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・・・・。
・・・。
帰れるの?どう考えても、帰れないじゃん・・・。

ぬるい涙が湧き止まない。
・・・・・・
・・・・。




怒れる猫のように、フウゥ、と息を荒立てる。

・・・
・・・・
なんでこんな所に私はいなきゃなんないんだよ・・・「・・・ふッッざけんなアァァァ!!!!」

そう叫ぶと同時に、身を乗り出し、地べたの野次馬達もろとも思いっきり大地をぶん殴った。
野次馬の喧騒は一気に聞いたこともないような奇声に変わり、崩壊を伴ってフィールドは一気に地獄の形相を見せだした。
火柱や地面の破片が、しゃがんでいる私の肘の高さにまで舞い上がった。

それでも、私の行き場のない苛立ちは低下を見せず、逆に倍加していった。
もう後戻りできなくなった。
立ち上がり、自分より高いビル群に蹴りを入れた。悪ふざけなどではなく、本気の力だった。
ドミノ倒しになり、炎獄を見せる数棟の超高層ビル・摩天楼群。
公民の教科書に載っている、飛行機がトレードセンターに直撃するテロ事件と比べると、物損面では私の蹴りの方が圧倒的に被害が大きかったと思われる。
そんな蹴りは一発で終わらず、別の建物や、人の行き交う道路、橋、あらゆる場に向けられる。




************



とある世界では、何の前触れもなく異次元より巨人が現れた。
突如として表れた巨人は憤怒の赴くままに、その世界の市民を踏みにじり、殺戮し、都市を粉砕し、火の海に変えていったのだった。
矮小で弱く、かつ罪のない住民らの営みは、巨大で圧倒的な力の異邦人の行き場のない怒りの捌け口に扱われていった。


もう誰にも止められなかった。