はじまりの陽    2014-11-17


 『僕はいつか国際NPOを設立して、世界中の子ども達の笑顔のために尽くすんだ。

  ...うん、所詮はそういう立場に自分の居場所を求めてるだけかもな。

  でも、これだけは言える。僕はこの世界が好きだ。

  誰か好きな人のために尽くせたら、自分は幸せだ。

  なにかを好きになれれば、自分が幸せ。

  みんなを好きになれれば、自分はめちゃくちゃ幸せ。最高にいいことじゃん。』

 ときどき こういうバカマジメなコトを言っちゃう君だもんね。

 そんな君から見える世界を、わたしは一緒に見ていくのかな。

 ずっと君の背中を押していって、歩み寄っていく。そうやって旅が続くのかな。

 ああ、そんなこと言っちゃうわたしもバカマジメなのかな。

 カッコつけたこと言うのやめよう。

 バカ同士でこれから笑ってさ、頑張ってさ、壁越えてくのもいいなって

 君には伝えてないけど、ほんとはそんなこと考えててさ――




【池田 ミツユキ・男・17歳】
 教室の窓から見える午前の晴れた空が薄暗めの紫を帯びて鈍く輝いている。
 紫っぽい空が自然現象として珍しいのか、普通のことなのか、その時の僕にはとても判断しづらかった。
 ただ、個人的な心のどよめきも相まって非常に気持ちの悪い気分を催してしまったのは確かである。中二病の極みかな? あと3年で成人なのに。これから世界のひっくり返ってしまう何かが起こりそうな気がしてならないのだ。それなりの漫画オタクとは言え、今までにそういう痛々しい妄想なんてしたことがなかったのだが。
 これから本当にタイヘンなことが起こる。まともな未来を臨めなくなる。きっとそうなるんだ。胸騒ぎが治まらない。
 街の人達はいつもと変わらず、仲間達とヘラヘラ喋りながら通勤・通学していたり、灰色の瞳を浮かべて退屈な職場に向かったりしていた。平日なので若干自動車の渋滞が見られるが、やっぱりフツー。そんな何気ない景色を見たって僕の頭からパイプオルガンを思わせる隠惨な雰囲気の音楽が離れない。

ニ時間目の授業、緊張と鬱屈にとらわれつつも例の紫の空を眺めていた時だ。
「逃げなきゃ」
脳内に直接吹き込まれたように急にそんな考えが思い浮かんだのだ。何処に逃げよう。 というより自分は何から逃げようとしているのだろう。
 でも急がないと…… 皆を巻き込んで行くような勇気はないが、ここから片道30分の所にいる彼女だけは救いたい。一緒に逃げたい。
 席から立ち上がり、驚いている教師や生徒の目を尻目に教室、校舎から出て行く。自転車に乗り、彼女のいる高校へと飛ばして行く。
馬鹿馬鹿しいけれども、真剣なのだ。

かれこれ20分こいだ。
彼女の高校まで後もう少し……
 その時、街の一区画全体に巨大な影が降りてきて、耳をつんざくような地響きと爆音が響き渡った。その衝撃で僕は自転車ごと地面から持ち上げられ、盛大に転げ回った。
痛い。重症にはなっていないものの左膝を打撲してしまった。
先ほどの地面の振動により、街路樹は根こそぎ倒れ、住宅街に地割れが走り、一部の高層マンションなんてピザの斜塔以上に傾いてしまっている。
一旦なんなんだ? 衝撃の震源らしき場所に目を向けてみると…
震源地である先ほどまで僕が授業を受けていた高校はそいつに踏みつぶされていた。
巨大生物、いや、人間の二百倍ものサイズのそいつこそ僕の感じていた胸騒ぎや嫌な予感の根源であったに違いない。街の建物なんて文字通りそいつの足元にも及ばない大きさである。
 黒地のレディーススニーカーに黒のニーソックス、襞の入った赤地のスカート、灰色のパーカー、ツインテールで束ねられた黒髪、パーカーのポケットから伸び耳に着用されたイヤホン。端正に整った愛らしい顔立ちや美しい線を描くスレンダー体型、色気漂う美脚や"絶対領域"。そういったものが揃っているにも関わらず、大重量、超高層ビルよりも抜きん出た大きさ、怪獣映画顔負けのダイナミックさを誇っている。
 両手を腰に当てては眼下に広がるミニチュアな社会を好奇を帯びた目で見渡している。

 そう、そいつは巨大化した美少女だったのだ。

 そして何より僕が唖然としてしまったのは、そいつが自分の彼女、ユウカそっくりの姿をしていたということだ。
 街の人達は恐れおののき、仕事や勉強、乗っている車等を投げ捨てたように逃げ出す。中には状況が飲み込めないのか、大切な人が建物の崩壊に巻き込まれたショックに苛まれたのか、全然動き出せない者もいた。
 そんな卑小な人間達を見下してユウカは口角を上げて微笑んでいる。そして彼女はイヤホンから流れる音楽を聴きながら鼻歌混じりに軽い足取りで歩き始める。
 最初に足の下ろされたのは、6,7階のビルの並ぶ、繁華街の一角の交差点だった。
 何がなんだかわからない人々は空から下ろされる女の足をただただ見つめていた。
が、「まさか…ここでしぬんじゃ…」と思ったときには遅く、人々をすりつぶすにはあまりにも十分すぎる重量のそれの下敷きになってしまった。
 何十万トンもの物体が下ろされたときの地面の反応なんて誰が想像しただろうか。
 半径100mの大地が弾性を帯びて沈み、多大なGのかかる振動とともに持ち上げられたかと思うと、道路はクッキーのようにひび割れ粉々になり、地下のインフラ設備の残骸が露骨に浮き出てきた。建物の鉄筋は頼りなく割れコンクリも聴いたことのないような崩壊音と共に崩れ流れ行く。産業の象徴の一つである自動車も人型のしみと仲良くぺらぺらになっていった。
 このたった一歩の大災害に気を取られている隙もなく2歩目の足が下ろされた。
次は彼女の膝にも届かないサイズのビルに下ろされ、数十トンもの粉塵の固まり、瓦礫、家電、そして人間が巻き上がっていく。
 2歩目の後の1秒もしない内に3歩目そして4歩目5歩目と足が下ろされる。一歩踏み出す度に足元の建物は瓦礫や粉塵へと化し、逃げ遅れた者達はミンチになっていく。鉄橋も小さな駅もぱらぱらと無残に散ってゆく。
 小川や小山なども一踏みだけで地形の原型を崩されてゆく。
 直接踏まれなかった者も建物の崩壊や衝撃波に巻き込まれ、首が折れ曲がってすっ飛んでいったり、内臓が破裂していったりしていた。大砲とは比にならないその地響きがなる度に子供の泣き叫ぶ声、大人達の悲鳴がなり響き、街は煙や瓦礫、赤いシミや肉片で散らかる地獄絵図と変化していく。

「…ユウ…どうして…こんなことに…」

 この世の終わりを見ているかのよう、というよりも、これこそこの世の終わりなのではないかと考えてしまう放心状態の僕。
 街で走り回っている者の中には僕の知っている人達も少なくはなかった。
コンビニバイトのややチャラめの若者、厳つい表情を浮かべていた中年の会社員、英会話教室の先生、公園でたむろしてばかりの男子中学生……
 皆、普段の人間らしい表情を失い、バイトも会社も英会話教室も交遊関係もどうなったっていいと言わんばかりの、理性崩壊寸前の表情を浮かべている。
瀕死状態ながらも大型動物から逃げ回るドブネズミの顔にも見えなくもない。
ドライバーが近所に自慢していたであろう高級のインプレッサは踏みつぶされ、青や硝子のビー玉のようなスクラップへと変化。
有名医師の住んでいた豪邸は地割れでモナカのようにさっくりと割れている。
街の至るところで火柱が立ち、空が黒い霧で覆われていく。
 普段、依存していたこの人間社会が文字通り大きな音をたてて変わり果ててしていく際、今まで価値をなしていた様々な財は容易くゴミへと変わり、人も容易く理性や価値観を崩壊させて野生動物になっていくのだと僕は学習したのだった。
そして普段癒着しているこの社会や価値観の小ささを思い知ることになった。

この街や世界の崩壊の震源はあいつ。
大地震を1,2秒おきにおこしているのもあいつ。
街中で火柱を発生させている放火魔(というレベルではないが)もあいつ。
すでに数百人をミンチに変えている殺人鬼もあいつ。
子供も高齢者も身体障がい者も容赦なく踏みつぶしているもあいつ。
数兆円規模の損害を起こしている大怪獣もあいつ。

 あいつは大怪獣やら大魔王なのだろうか。
いや、緊張感皆無の態度をしている、気紛れお散歩娘だ。

 爆撃や地震のような衝撃を伴い、地表を地獄絵図へと変えつつも、気ままに散歩しているユウカの表情は純粋な笑みを浮かべる少女そのものだった。
 普段ならカジュアルさを演出するスニーカーも重機とは比にならない建造物破壊兵器に、
17才のみずみずしい美脚も卑小な人間や建物を嘲笑うかのような巨塔へと変わっている。
そして相変わらずイヤホンから流れる音楽を口ずさんでいた。

 ユウカは僕のいる所とは別方向に向かっているようだ。一旦僕自身は無事になる。でもこのままじゃ世界がめちゃくちゃになる。そして僕はあの子のパートナーだ。事態をちゃんと把握して何かやれることをやらないと。
 とりあえずまだ損傷の入っていない6階立てオフィスの屋上に上がり5,6km先にいるユウカの様子をながめてみる。
「そうだ。ユウちゃんは携帯をポケットに入れてるだろうから、携帯で何らかのメッセージを送って宥めればいいんだ。」
 しかし、この災害によりLineやTwitter等のサーバーが重くなり、メッセージの送信は困難な状況になっていた。
 すると遠くにいるユウカは駅ビルの前方500mの町まで来るとその場でゆっくりと腰を降ろし出した。



【某政令指定都市中心部】
 1日における利用者数は30万人を超え、路線数も14を数える巨大ターミナル駅。
 そこでは例の「怪獣災害」により、別の地方へと避難しようとしている4万人の人々で西口,東口ともにごった返していた。
先ほどまで全ての便が停電により止まっていたが、駅員の早急な対応により第一便の避難列車が発進しようとしていた。

 第一便の人々は安堵と「街に残された人々が無事になればいいが、」という心配で入り交じった表情を浮かべている。
「俺達は助かるんだ。あとは自衛隊が巨人を倒してくれればいい」という呟きも聞こえてくる。
 駅前の人混みに揉まれている人々からは当然、緊張感が抜けることはない。
 今まで逃げている最中に見た街の破滅していく様、絶望で人が人でなくなっていく様、飛び散っていく肉体、聞いたこともない爆音、悲鳴、変色していく空。そういった恐怖とは裏腹に穏やかで楽しげな表情を浮かべている巨人。
あんな体験を再び味わうくらいなら…


ヒャアアアア!!
駅前の人混みの中から女性の悲鳴があがる。何かに気付いてしまったようだ。
「大きなお姉ちゃんがこっち来るよ!」
幼稚園児の少年が声をあげた。それを聞いた者達はどよめきをあげる。

ズズン..ズズン..ズドオン..ズドドドン..ズドドオオン!!
…メキメキメキ

そいつは時速2400km以上の歩みでやって来る。
地響きがなる度に人々の悲鳴もえげつなくなっていく。
 そして彼女はとうとう駅前広場及び商業地までたどり着くと、足下の人々を容赦なく踏み潰し、足場を定めてから腰をおろしだした。駅の東口前の人々は少女の途方もない大きさに、恐怖を通り越して、感心さえもしてしまいそうになった。
もう自分達はこの畏敬の巨体の前では虫に等しいのだ。
 カジュアルな服装、等身大ならスレンダーであろう体型からは想像もつかないような巨大な臀部が空を覆う。
「よっこいしょ、っと」
 巨大少女はぺたんと女の子座りをした。
 地上で雷がなったかのような轟きをあげつつ、2つの巨大ガスタンクのような臀部が地上に下ろされた。普通の地震とは比べ物にならない揺れ。腰をおろした瞬間の第一波に収まらず、半径100mの中小ビルが一気に型崩れを起こすような震動波が一分強も続いた。直接尻の下敷きとなった3棟のマンションや電機屋チェーンは何の抵抗もなく瓦礫や塵へと変わり、周囲のパトカーや10tトラックも木の葉のように吹き飛ばされていく。人も車も交差点も深さ20m以上の二つのクレーターへとえぐられてしまった。
 駅の東口に集まっていた2万人以上の人々がどうなったかは言うまでもない。
 避難便第一号はのそのそと発信する。しかし発信してまもなく急停止を起こした。先程の地震で架線が崩壊していたのだ。そんなことをいさ知らず、鉄の小箱の中で箱詰めにされた乗客達はキーキーと混乱の声をあげる。
「おい!どーなってんだー!?」「俺達殺す気かよ!? 運転手いい加減にしろい!!」その声は普通の罵声とは違う。
生を求めるあまりに気の動転した人間の命の叫びだ。
すると、電車は不気味な揺れと共に急に時速300kmの進行を始めた。遠心力で皆転げ、圧迫されていく。
「おい...この電車..浮いてるぞ....!!」
 そう、 電車は少女の掌の中にあったのだ。第一避難便5両の内、後ろの2両は前両との連結部が外れ、釣り上げられることもなく架線に残るままで済んだ。しかし、1両目に引っ張られるように浮き上がった2,3両目はぶら下がっている途中で連結部が外れ、そのままフォールアウトしていった。
地表で上がるけたたましい爆音や金属音、そして悲鳴が少女の手中にある車両にまで伝わってくる。
 すると、1車両目で箱詰めにされている人々の真上で鋼鉄の剥がれる音があがる。天井はなくなっており、200倍サイズの吸い込まれるような瞳が覗いていた。
「相変わらず可哀想でうつろな表情してんなー」
 どこかあどけなさの残る、美しい顔をした巨人は欠伸の出そうな声でそう呟く。車両内には150人。150もの人々が少女の私物の如く、文字通り手の平の上に乗せられているのだ。
「蟻さんでも摘み上げた時、必死で逃げようとしたり抵抗しようとしたりするのに、もう降参、絶望、ただただ泣くだけですかぁ? ...まあ実際逃げ道無さそうだし、ちびっこの泣き叫ぶ声聞いて流石に平然としてられないし。」
 乗客の殆どは恐怖にもがいていているあまりに少女の発言の内容なんてあまり頭に入らなかった。喋っている間だけ寿命が伸びているのだとひたすら己に言い聞かせているのみであった。
巨大少女は少し笑みを浮かべると再び話し出した。
「そうだ。この優しい女神様はみんなにチャンス与えてあげる。」
 人々はチャンスという言葉に反応し、少しは生存率を上げようと望む一方で、「女神様」という単語に疑問のような、一種の納得のような思いを抱く。圧倒的な力を司る美しい女神はこんなにも破壊的で、人々の命を弄び、カジュアルな格好をしているものなのかと。
「もうこれ以上ふざけたマネはしないで下さい!!私達はあなたを女神だなんて認めない!!」
1車両目のどこからかマイクなしの演説のような声があがる。
「もうこれ以上生命の冒涜を重ねないで下さいよォ!私達それぞれに家族や友人、営みがあるんです!!」
 車両内の人々に沈黙が数秒たった後、所々から「そうだぞォ!」「もう破壊をやめろ!」と声があがる。
 しかし、その主張とは無関係に車両の幅は毎秒80cmで縮んで行く。
 乗員は圧迫され肋骨が折れようが、そばで密着している者から目玉やどす黒い何かが飛び出し始めていようが、「女神の否定」や破壊行為への反対の抗議をやめなかった。車両の左側は巨大な人差し指と中指、右側は親指に押されている。とうとう元々車両であった鉄板越しに少女の中指と親指は密着。
 その時には当然、乗員の声はやみ、鉄板は赤いヘドロでまみれ、一部分からはストローから飛び出るトマトジュースのように吹き出るものがあった。
 ちなみに一番始めに「女神の否定」を始めたのはNPO所属の30代女性である。
(普段は生半可にしか神を信じないし、生きている意味を考えることがあっても途中で考えるのを放棄していた。この災害で社会システムの卑小さや、死ぬのが嫌だから生の営みを続けているのだという事実を改めて知った。そういうことを教えたり、社会を物理的にも否定するという点ではこの子は女神だったのかも知れない)
心拍数が0に近くなる中、女性はそう考えを巡らすのであった。
「なんか言ってたけど、ほとんど聞こえなかったなー。私に楯突いてるっぽかったけど。
 『チャンスあげる』って言ったのに、急になんか言い出すのって何なの? 死にたかったの? バカなの?」
揶揄のこもった瞳、真顔に近い表情で少女は独り言を呟く。

(そしてちょっと屈辱を味あわせてあげよう)
いたずらっぽい笑みを浮かべつつ、少女はパーカーの前ファスナーを下ろし始めた。
キャタピラーの走行音に似ているようだが、そんなちゃっちなモノとは比べ物にならない騒音が響きわたる。ファスナーを下ろす音である。トロッコ線路3つ分の太さのファスナーが完全に下ろされると白色のワイシャツが顕になった。
 満員車両がひょいと持ち上げられ、急に90度近くの傾きに襲われる。
 車両内の惨劇は特筆するまでもないが、少女にとっては車両なんてカロリーメイト以下の大きさや硬度のガラクタに変わらなかった。巨大少女はシャツの胸元のボタンを3つほど外すと、そこから覗く小高い二つの丘陵の谷間に車両を挟み込んだ。“Cカップ”の丘陵で成された、肉地獄へと続く門を前にした時点で、人々は恥辱を露に叫びだす。 
 少女はふと自分の腰を下ろしている場の周囲に目を向けてみた。
巨大な装甲車が紙製の小箱のように潰れている上に、雪崩を成したように潰れ吹き飛んでいった建物郡はさらに建物を巻き込み、町の一区画の原型を改変させている。
潰れた蚊の屍骸のようなものが所々に見られるが、昨日までは学生やサラリーマン、主婦、高齢者、派遣労働者など、それぞれの立場を持って暮らしていた者達だった。

 しかし、鉄片や瓦礫、死体、火炎の広がる駅前広場にまぎれて、何やら大声を出そうとしている元気な者達がいた。
彼らは男子高校生のようだ。学生服をだらしなく着こなし、ピアスや腕輪を身につけている。規則に忠実な生徒には見えない。
200倍サイズの彼女にはその姿は識別しづらいし、なんて言っているのかも聞き取れない。
好奇を帯びた目で少女は彼らを見つめる。彼らは体がのけぞりそうになるほど大げさに驚くが、まだ何かを諦めようとしていないようだ。
 彼らは何かの感情を以て、石や鉄片を少女に向かって投げ出した。
言うまでもなく無謀であり、そんな飛び道具も女の子座りしている彼女の膝に届くか届かないかくらいである。
 少女は彼らへの疑問と蔑視を情に抱えつつ、少々威嚇してみようと、握りこぶしを作って地面を軽く叩いてみた。町の割れ行く轟音、傾き揺れ行く足場に誰一人残らず翻弄される。崩れかけの駅ビルは2階を軸に西入り口側へと倒れていった。例の男子高校生達の内、誰かは逃げたか気を失ったかでどこかに消え、残っている者達もへたれ込み、一部のものに関しては失禁を起こし、ぐちょぐちょになった顔を浮かべている。
 そして、一人が少女の胸元に指をさし、泣き叫びつつも放った一言で、少女は彼らが何を言いたいのかを理解した。

「ッンハーッゥゥウウ!!!ウワアアアアアン!!!! オッオマエノ!!ウェッウェッ!!!
オマエノ胸ニ挟マレテルゥゥゥゥウ!!先輩ヲカエセェェェェェ!!! 胸ノ谷間カラ電車オロセェェ!! ホワァァアアッハッハッハァァァァァアア~!!!!」

 要するに、少女の胸の谷間に挟まれた電車に乗っている先輩を無事に返してほしい、胸の谷間から出してほしい、自分達で取り返したい、と不良青年達は言いたがっているのだ。不良達のボスが女の子のちょっと恥ずかしい所に挟まれ、囚われている実態。その恥辱なる実態を前にどうにかせんと血を吐く勢いで必死になっている虫けら達。そして彼らもそのボスもこの事態に際してどうしようもなく無力になっている様子。そんなシュール極まりない状況を少女は理解した。
 元々下品な表情を隠したがる質だったのか、少女は両手で自分の口元を覆い隠し、その巨体の振動を極力抑えつつも笑い出した。サイズを除いては、カジュアルな服装のおとなしめな女子が大笑いを抑えているように見えるが、その口元を抑える巨大な掌からジェット機の騒音にも劣らない大きさの轟音が漏れ出し、人々の鼓膜を今にも破らんとしている。
 轟音は、女体に阻まれた電車内の人々の恐怖心を増幅させる。電車は地面に対して垂直な方向に向いているので、電車内の者は皆倒れ、圧迫状態に瀕している。また両側面から5階建てマンション一つ分以上の大きさの丘に挟まれ、車体はだいぶ潰れていた。
 車体を潰し、何十もの命を死の淵に追いやっているのが一つの巨大な生物、ただの女の子の"おっぱい"だという事実に車内の者達は自分達の小ささを実感せざるを得なかった。
「おもしろいなあ、君達。じゃぁ先輩を救ってごらんなさい。」
 巨大少女は不良青年達を一人ずつつまみあげては自分の胸元まで運びしがみつかせた。
気球を間近で見たことがあるだろうか。1,2人乗せるだけでも直径20m以上ものバルーンが必要になるが、上空で飛んでいるのを遠くから見ただけではその迫力はわからない。この巨人の胸はそういったイメージ的にも、大きさ的にも気球のようなものだった
 不良青年達はこんなにも巨大な半球状の物体にしがみついたことはなかった。5,6階建てビルと同等の隆起、半球の淵の見えない様、高度百数メートルという現実。それらのもたらす迫力の程度は言うまでもないが、この半球は一つの生命体の体の一部なのだ。一建築物級の大きさのコンピュータが運転している際、低めの轟音、排気音、電子音がなり響くが、その機械の大きさを確認した際、「この大きさならこんな迫力音するだろうな」と感心してしまう。
 この少女の身体も似たようなもので、巨体の活動に相応する程の呼吸音や体内の血液の流れる音が青年や車両内の者達に伝わってくる。その大きくありつつも優しげな音、そしてどこか母性を感じさせる巨大な女体はなにか懐かしいものを思わせる。
 下を見ると上空百数mの奈落。上を見ると大仏の顔、いや大仏全身とも比べ物にならない程、巨大で綺麗な女の顔。そして斜め上前方の谷間の車両に彼らの先輩がいるのだ。

 根性の最も強い青年は少女のシャツの首の裾まで登りつめる。しかし肌に手を付けようとした途端、その滑り具合と斜面によりすべってしまったのだ。巨大な布と隆起の間の溝に青年は落ち、ストレートに転げ滑り、巨体の腹方面へと流れていった。その断末魔に心震わされ残りの青年の数人も握った手を離してしまい、転落していった。言い換えると、彼らは17歳の娘の胸元で滑り回っては、その十数年の人生を転落死でおえていったのだった

「あれ?...ここは?俺はまだ生きてんのか?」
 不良青年はある所で目を覚ます。暖かく柔らかな地面、包容力を象徴するような肌色の巨大な器。上空には、どこかあどけなさの残る、端正で視界を覆うほど巨大な美少女の顔。
そして女神は吸い込まれるような巨大な瞳を閉じ、輝かんばかりの笑みを放った。
(...そういえばこいつどこかで見たことある。
 中学のとき、池田とかいうやつと一緒にいた女かもしれない...。
 しかしあの時からかわいいと思っていたものの、こんなに吸い込まれたくなるような美しさだったとは、今気づいた...。)
朦朧とした意識の中で思いを巡らす不良青年。
すると、少女の横幅8m以上もある唇はすぼみ始め、接吻の型になっていった。そして不良青年の方に唇が向かっていく。
「おっ、おい!....一体何が始まるってんだよ!?」


「ふぅ」


秒速数百mもの突風が吹き、青年の身体を、青年の命の灯を消し飛ばしていった。
ふふふ...
轟音の笑い声を伴い微笑む少女。

ギュウゥゥゥゥン...メキメギィィイ....
そして巨大少女の胸に挟まれた電車はどこか切なげな金属音、いや断末魔をあげて2つに裂けていき、裂けたうちの下方は巨体の下腹部へ、上方は乳の上をすべり、落ちていった。
少女が落ちていく不良青年を両手で掬い上げ、吐息を掛けた際に自然に腕や胸を閉じる格好になるために、胸に挟まれた車両は数万tの力で両方からかかる力に耐えられなくなっていったのだ。裂けては落ち、地表で火の手を上げる車両の残骸。
 それを愚蔑を帯びた目で眺め、大地を震わすようなすすり笑いを浮かべる巨大な乙女。
「おいしょっと」
 少女はおもむろに女の子座りの体勢から足を伸ばした。ニーソックスに包まれた大腿は弧を描きつつスライドしていき、あらゆる瓦礫や乗り物、生き残った人々を砂同然に巻き込み下敷きにしていった。民衆の生を求める悲鳴をかき消すように、地鳴りや少女のすすり笑いが都市を覆う。駅ビルやランドマークと呼ばれていたビルは跡形もなくなっていった。駅地下にも瓦礫が雪崩をなして流れ、地下道や地柱は沈んでいった。とうとう都市の中心をなしていた駅やビル群は更地になってしまったのだ。
 少女は立ち上がり、腰に手を添えてミニチュアの街を見渡してみた。目の前をのろのろと通過していたヘリを吐息で吹き飛ばす。ほんの20分弱で平和な街の大部分が火の海、瓦礫の海、死体の海に変わってしまうことなんてありえようか。主要な自動車道や高速道路は地割れを起こしたり、建物の残骸で封鎖されてしまったりしている。逃げ惑う人々も少女からすると数十cm、長くても6mほどしか逃げ切れていない上に、所々で渋滞やそれに伴う抗争が起こっていてなんとも間抜けに見えてしまう。彼女は地響きを立てつつ人の群れが渋滞を起こしている大通りに歩み寄る。そして徐に二足のレディーススニーカーを脱ぐと片方を持ち上げ、人々の頭上にかざした。たった一足の靴だけで百人以上の者を影で覆い、その重量感、威圧感で絶望に陥れる。
 靴を持っている手を離し、自由落下させる。単なる女の子向けの靴もこの際は隕石となり、黒山の人だかりも、道路もその靴の型にあわせ陥没していった。もう片方の靴も同様に持ち上げ、適当に放り投げると今度は前かがみになって、ソックスを脱ぎ始めた。右手で退屈そうにつやつやの髪をいじり、左手には二足のソックスを摘み上げる少女。どの世界の建設用クレーンでも持ち上げられなさそうなサイズの靴下。それもまたポイ捨てされたが、落下していった場所を確認することでやっとそれらの存在に気づかされた。
 それは陸上自衛隊の戦車群だった。先ほどから少女に砲撃を続けていたが、ダメージを与えるどころか、存在を気づかせることすらできなかったのだ。
 戦車群の後方には数十人の人々。
 多くの逃げ道が災害により遮断され、人々は絶望のどん底に叩きつけられていたが、戦車を盾にすることで一縷の希望を見出そうとしていたようだ。彼女からすればコガネムシの後方にたかる蟻に変わらないのだが…。前長120mの布が戦車群にのしかかる。そのうち5台ほどは砲台がへこみ使い物にならなくなり、まだ動かせる機体も、布の重みで動けなかったり、進路や視界を阻まれたりしている。落下した際に起こった爆風で避難民の多くはふわりと浮き上がり地面へと強打される。
 そして“ソックスに潰されそうになった”とは別件で悲鳴が上がった。その靴下から漏れ出る、ある意味胸を焦がすような香りである。
ゲホッ!ゲホッ!!ゴホオン!!オエェェェ!!!
 分泌されソックスに蓄積されし酸味の効いた女の足臭は、戦車群だけでなくビルやアスファルトの道路にも染み込み、フィールドを飲み込んでいった。臭気に身体を包み込まれ、痙攣を起こすものもいれば、泡を吹きつつ眠りに着くものもいた。気まぐれでソックスを脱ぎ捨てただけでどうしてこんなにも苦しそうになってんだろ、と少女はきょとんと首をかしげた。
 そして地面に置いたソックスの下でもこもこと愛らしい動きをする戦車に惹かれたのか、
その指先で戦車をおはじきのように飛ばしたり、掌の上にのせてころころ転がしたりする謎のお遊びを始めた。始めは幼児のような笑みを浮かべていたものの、すぐにクシャリと潰れるので不満そうに頬を膨らませた。ストレス発散に戦車や避難民を指先や素足でプチプチ潰すと満面の笑みを浮かべる。
 終いにはなんと残りの戦車や避難民をつまみ上げ口の中に放り込んだのだ。ごくん、と轟音をあげると目を細め幸せそうな表情を浮かべていた。
 続いては一軒家や小さなアパートの並ぶ住宅街の散策を始める気紛れ娘。素足になってもなおその破壊力は衰えずむしろ歩くリズムが速まっている。海水浴場に言った際に素足で波打ち際を歩くのは気持ちよいというが、今少女の感じている感覚はそれにかなり似ているようだ。その足裏の感触はいかなるものだろうか。雲の子を散らして逃げようにも巨大な素足や建物の崩壊に巻き込まれる人々、衝撃だけで崩れ火柱を上げる建造物と鼻歌を口ずさむこの少女のギャップである。

某校舎の屋上からとある女生徒が巨大な少女の行動の一部始終を眺めていた。その校舎と少女の距離は800mにも縮んでいる。