魔神ゲスカークの憂鬱(上)

作:湯田

■注意とお願い
作中に巨大な女性が出てきます。
そういった話に興味のない方は、読むのを思い留まったほうがよろしいかと思います。
なお、フィクションでありますので作中の名前・地名・文化風俗等は、全て架空のものです。

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「ああ、マーレア様!」
「マーレア様、なんと御礼を申していいか…」
「感謝いたします、感謝いたします、マーレア様!」
「マーレア聖女様!」

布越しに大勢の声が聞こえてくる。
どうやら、傍には沢山の人間どもが集まっているらしい。
マーレアめ、今度は何をやったものか。
「そんな、私は自分にできることをしただけで…いえ、感謝など不要です…
いえいえ、私は決して聖女などではありません…」
マーレアは謙虚ぶった女声で遮ろうとするが、感謝感激の声は止まない。
やれやれ、何が聖女か。
集まった者どもも、マーレアの正体を知ったら果たしてどう思うことやら。
吾輩は白けきった気持ちにしかなれぬ。

吾輩の名はゲスカーク。
魔族の中でも上位、その中でも特に力ある魔神に属する。
かつて知の魔神ゲスカークの名は世界中で畏怖の対象となっていた。
今でも事情を知らぬものは吾輩を恐れているかもしれぬ。
どうだろうか…
判らぬ。
忌々しいことに、吾輩はマーレアの虜になってしまった身だ。
外界のことはとんと判らぬまま、幾星霜が過ぎ去ったのか…
いつのまにか規則正しい揺れが始まっていた。
マーレアが歩き始めたのだろう。
追ってくる叫び声や呼び声が遠ざかり、ようやく辺りは静かになった。
マーレアが歩きながら小声で呟く独り言が我輩にも届く。
「今度も上手くいきました。魔族たちも、無事に捕まえることができましたし。
ああ、身に過ぎるものとはいえ、称賛は聞いていて心地よいものですわ」
くそ、また我が同胞を…!
「そうそう、あなたにもこの心地よさをおすそ分けしてあげましょう」
来たな。
吾輩は身構える。
「んっ」
軽い甘声とともに、ぐいという圧力が吾輩の身体に迫ってきた。
大したものではない、マレーアめが腕で胸を押したのだろう。
むろんマーレアにとっても児戯のようなものだが、それだけで我輩を
乳にへばりつかせるには充分だ。
吾輩が今囚われているのはマーレアの乳当ての中。
今の我輩はマーレアにとって、虫けらの如き存在に過ぎぬのだ。


マーレアと出会った時、吾輩はとある場所に構えた城で年月を過ごしていた。
吾輩の望みは知と共にあることだ。征服や破壊は興を引かない。
かつては世界を巡り、知恵と知識を集めた。
人間の世界で過ごしたこともある。
低級下級の魔族に、様々な知恵や情報を収集・整理させたこともある。
だが、集めるべき知見を集め終えた後は、静かに世界をつぶさに眺め識ることが
最も望ましいと感じるようになった。
そのためには、低級下級の魔族も人間も不要である。
吾輩は魔族とも人間とも距離をおくようになった。
低級下級の魔族には、一言命じればそれでよかった。
人間どもも我輩には迂闊に近寄らぬ。
そもそも我輩たち魔族は魔力の扱いにおいて人間より優れる。
これはこの世界の理である。
魔力を扱うことのできる一部の人間は魔術師と呼ばれ珍重されているが、
せいぜいが低級下級の魔族に抗することができるかどうかだ。
人間たちは国という寄せ集まりの集団を作り、ささやかな武器を持った
軍隊なる集団を持つ。
これが人間の最強の武力という訳だが、その軍隊も我輩には近寄ろうとしない。
当たり前だ。勝てるわけがない。
人間どもは、十何人かが寄せ集まって、やっと低級下級の魔族一人を相手にできる。
そして我輩たち上級の魔族は、一人で何千何万の低級下級の魔族を圧殺できる。
そもそも、我輩達上級魔族にとっては、人間はまともに相手なぞするものではない。
それこそ虫けらのようなものだ。わざわざ手をだすことはないが、邪魔であれば排し、
邪魔でなくても行く手にあれば蹴散らす。
せいぜいがそのような存在なのだ。
だが、たまに我輩の元にやってくる人間がいるのだ。
一人か、せいぜい数人で「パーティー」とやらを名乗って我輩たち魔族に戦いを挑む、
冒険者とかいう輩である。
数多い軍隊ですら相手にならぬ魔族に、少数で戦いを挑めばどうなるか少し考えれば判るだろうに、
どういう頭の構造をしているのか。
おおかたは低級下級の魔族を相手に勝ちを拾い、舞い上がっている連中である。
そのままの勢いで考えもなく、上級の魔族の領域に踏み込んでくる。
そんな輩である、せいぜいが暇つぶしにしかならぬ。
時間が有り余っていて、たまたま気が向けば、適当に戦ってやって、そして潰す。
気が向かない時、他にやることがあるときは、直ぐに潰す。
それぐらいの相手だ。
マーレアが現れた時も、吾輩は直ぐに冒険者のたぐいと判断した。
マーレアは見慣れない服装をしていた。
吾輩は人間の着るものも大半は心得ているが、そのどれにも該当しない。
真っ当な人間は真っ当な服を着ている。
魔術師と看護師と使い女の着る服を混ぜあわせたような珍妙な格好をして我が城に入りこんだのだ、
冒険者と見做して間違いあるまい。
あの女は入り口からすっと入ってくると、座した我輩を見上げていとも慇懃に挨拶をしてのけた。
「初めまして、魔神ゲスカーク様」
いやに小さい声と思ったが、よく見れば女はずいぶんと離れたところにいる。
「お側に寄ってもよろしいでしょうか?」
「良かろう」
吾輩が鷹揚に頷く。
落ち着いた足取りで女は近づくと、手が触れる距離でまた立ち止まり、我輩に一礼をした。
見知らぬ魔族の近くに躊躇なく寄るなど、考えなしか、それとも勇気があるのか。
吾輩は女を一見した。
まだ若い。面相は、人間の中では美形と言われるだろう。
背は普通だが、手足の肉付きや胸と尻の突出具合から見るに豊満と言われる体つきだ。
栗色の髪の毛を背中の方にたらし、にこやかな笑みを浮かべている。
「貴様の名は?」
「マーレアと申します、ゲスカーク様」
「ここに来た理由は?」
「実は、お願いがありまして参りました」
願い?この魔神ゲスカークに願いと?
…おお、吾輩はなぜこの時、問答無用に始末しなかった!?
思い返す度に酸いた忌々しさがこみ上げてきてならぬ。
だが、冒険者の中には、まれにであるが吾輩の知恵を借りたいという殊勝な者もいる。
結果がどうなるにせよ、そのような相手であれば話ぐらいは聞いてやってもいい。
その時いささか暇だったこともあり、吾輩はついマーレアの言に興味をもってしまったのだ。
「願いだと?」
「はい。お願いは、二つございます」
「言ってみろ」
「ありがとうございます。では、一つ目ですが、人間たちを苦しめる魔族たちをどうか止めてくださいまし」
「知らんな。低級下級の魔族が勝手にやっていることだ」
言下に言い放つ。
実際、知ったことではない。低級下級の魔族には人間どもを襲って苦しめるのを愉ぶ者もいるが、
別に吾輩が命じているわけではないのだ。
「ゲスカーク様のお言葉であれば、彼等とて従いましょう」
「なぜ吾輩がそのようなことをせねばらぬ。人間どもが自身でなんとかするがいい」
「そうですか」
マレーアはさほど残念そうな様子もみせなかった。
「それでは、次の願いです。ゲスカーク様の魔力を頂けないでしょうか」

……
………?
我輩はマレーアが何を言っているのか理解できなかった。
魔力を頂く…吾輩のか?
冒険者とやらがあれこれ珍妙な言い分を並べ立てるのには巡りあってきたが、
それにしてもこれは意味不明もいいところである。
吾輩が人間に魔力を与えなければならぬ理由はどう考えてもない。
僅かばかり分けてやったところで人間の身体には到底収まらぬ。
暴走した魔力は持ち主の身体を破壊する…つまり死ぬ。
するとこの女は、わざわざ吾輩の所に自死をしに来たというのだろうか?
死ぬのはこの女の勝手だが、吾輩が協力してやる義理はない。
「断る」
一思いに潰してやるのも、消し炭にするのも容易にできた。
だが面倒である。頭のいかれた人間の女に、なぜ吾輩がつきあってやらねばならんのだ。
「ぜひ頂きたいのです」
「ほう」
マレーアの声がしゃくに障ってきた。
ならば相手をしてやろう。
吾輩は王座から立ち上がりながら、身の丈を人間の十倍に伸ばした。
上級魔族の間では、身体の大きさはさして意味を持たぬ。
だが、人間や低級下級魔族の間では、でかければ強い、という単純な考えが蔓延している。
実際圧倒的な質量をぶつけてやるのが、連中を黙らせる最も簡単な方法である。
さて、この女にも吾輩の力を思い知らせてやろう。
一歩を踏み出し、わざと足の裏をみせるようにしてから下ろす。
そのまま腰を下ろして屈みこむ。
どうだ、マーレアとやらの様子は?
「まあ。ゲスカーク様は大きくなれるのですね」
恐れる様子も驚いた様子もない。
なるほど。吾輩の前に来る前にそれぐらいは調べてきたか。
少しでも知を示す者にはつい構ってやりたくなる。吾輩の悪癖であろう。
「なかなかに強がりだな」
吾輩はマーレアに向けて手を伸ばす。人差し指がマーレアの顔に近づいた。
「ふっ」
マーレアが我輩に息をふきかけると、指先が冷たく感じた。
「なるほど、少しは魔族相手の術を心得ているか」
人間どもも、魔族に対して全くの無力というわけではない。
物理的な攻撃も通じるし、魔力を使う術ももちろん有効だ。
現にマーレアが放った麻痺術は、魔力の影響を受けやすい魔族に有効な術として
人間の間でも知られている。
ただ、魔族と人間には圧倒的な差がある。
人間が放った攻撃はかすり傷にもならず、魔族の攻撃は一撃で致命傷となる。
そのため勝負にならないことが多いのだ。
現にマーレアの麻痺術を受けても、吾輩の指は少しばかり冷たく感じただけだ。
「それだけか?」
吾輩は嘲笑めいて言い放った。マーレアは吾輩の指に向かい、手を伸ばしている。
さて何をしてくるか?

指先に違和感を感じた。なんだ、これは?

マーレアの手が吾輩の指に触れたとたん、違和感がはっきりとした感覚に変わった。
「貴様…魔力吸いか!?」
魔族と、そして人間の中には、相手の魔力を奪い取り自らのものとする力を持つ、
魔力吸い、と呼ばれる者達がいる。
これは術というよりは体質といったほうがいいもので、後で覚えて身につくという事はない。
数は極めて少ない。だが魔族の間では危険視され、魔族の間では魔力吸いは、監視の対象となっている。
魔族にとって魔力を奪われるのは、それだけ危険なことなのだ。
吾輩の意識が一気に跳ね上がった。油断ならんぞ、この人間の女は。
「ええ、その通りです」
マーレアはにこやかな顔をして言った。
「流石魔神ゲスカーク様です。私の中に、今まで無かったような魔力が流れ込んできますわ」
マーレアめはふてぶてしくもそう言い放った。
ふざけるな!
吾輩は指を突き出し、マーレアを押し倒そうとした。
だがマーレアは素早く身体を入替えて横に廻り、吾輩の指に手を触れながらなおも魔力を吸い続ける。
「ええい、忌々しい!」
吾輩は手を持ち上げた。
とられた量は微々たるものとはいえ、人間ふぜいに魔力を取られたということ事態が不快である。
これ以上やられてなるものか。
だが指の違和感は止まない。
なんと、マーレアめは吾輩の指にしがみついているではないか。
「この!」
吾輩が手を振ると、流石のマーレアも振り飛ばされて飛び、そしてそのまま床に落ちた。
どうやらそのままうずくまっているようだ。
ろくに受け身もとれなかったか。
魔力欲しさに我が身を滅ぼすとは愚かな。
吾輩は始末をつけるべく、マーレアの体に近づいた。
うずくまったマーレアの体は動かない。
おお、なんという油断だったことか!
離れたところから魔力を放ち、燃やすなり氷漬けにするなりすれば、今日の憂き目はなかったのだ。
吾輩が数歩近づいたとき、マーレアの姿が急に変わった。
なん…
立ち上がると同時に、ぐんぐんとその姿が膨らむ。
「がっ…」
不意打ちだった。マーレアの頭を腹に喰らい、吾輩は数瞬だが悶絶した。
その隙にマーレアは吾輩の胴に手を廻し、体をしっかり掴んでいる。
…くぅ。なるほど、そういうことか。
大きさを変える術は、魔族だけのものというわけではない。
だが、使いどころが難しい。
低級下級の魔族なら巨大な姿を見ただけでも震え上がるだろうが、上級魔族となれば問答無用で
致死的な術を放たれておしまいだ。
そのことを心得ていたマーレアは、吾輩の隙を誘って近づいて魔力を吸い取り、
飛ばされるように仕向け、巧みに術を使って落下の衝撃を抑え、やられたふりをして吾輩が無防備で
近づいてくるのを待ち構え、そして起き上がるのと同時に巨大化術を使い不意を突いたのだ。
…いかん。さきほどとは比べ物にならぬ勢いで魔力が流れ出している。
「もっと、くださいませ」
吾輩の体にしがみつきながら、そのようなことを漏らすマーレア。
「ええい、離れよ!」
吾輩はマーレアの体をもぎ離そうとした。
だが離れぬ。吾輩の姿勢が悪いせいもあって力が入らぬ。その上、マーレアの圧力が少しづつ強まってきていた。
マーレアの体は徐々に大きくなってきている。
我輩から魔力を奪いながら、その力でさらに大きくなっているのだ。
「離れよ!このっ!」
吾輩は焦って手でマーレアを突き除けようとした。
その手が、マーレアの胸に滑り込んだ。
「う…」
「あ…」
マーレアはなぜか、戸惑ったような、困ったような、怒ったような、言い難い表情をしている。
吾輩はそのままマーレアを突き放そうとした。
おかしい。力が入らない。
マーレアの胸に触れている手から、物凄い勢いで魔力が吸い取られている!
どういうことだ?
その理由を識る暇はない。ともかくマーレアから離れねばならぬ。
だが身体が思うように動かない。
魔族にとって魔力を急激に失うのは、人間が体液を急に失うのに近い。
何れ回復するにせよ、その間は能力の低下、悪ければ失神、酷ければ死に至ることもある。
だが、それだけなら、我輩には逃れることができたはずだ。
「ふううううう」
マーレアは、素早く我輩に向けて息をふきかけ、麻痺の術を使っていた。
先ほどは指を冷たくするだけの術だったが、今は吾輩の上半身に降りかかり自由を奪おうとしていた。
上半身?なぜマーレアの吐息がそこまで届く?
吾輩は、マーレアの体が更に大きくなっていることに気がついた。
もはや吾輩より大きい。いや、もっと。もっとだ。我輩を抱えるようにして、その肌を密着させている。
吾輩はもはや全力で藻掻いた。なんとしても逃げ出さないことには。
しかし、マーレアが我輩を抱きかかえる力は徐々に強まってきた。
ぎゅうぎゅうと押さえられ、藻掻きさえも抑えこまれようとしている。
「むぐうう」
吾輩の顔がマーレアの胸に密着した。
なおもぐいぐいとマーレアは締めつけてくる。
時折りマーレアの吐息が吾輩の身体にかかる。
吾輩の力が徐々に弱まり、マーレアの力はいよいよ強くなる。
「うぐぐぐぐぐ」
吾輩はマーレアに抱きかかえられていた。
そしてそのまま、マーレアはなおも我輩を乳房に押し付ける。
胸の間に抑え込まれるように、吾輩の顔がめり込んでいく。
そのままずぶずぶと、柔らかい脂肪と肉の間に沈み込んでいく。
マーレアはなおも大きくなっているのか?
ならば、機会がある。
天井に頭がぶつかれば、嫌でも姿勢を変えねばならぬだろう。
その時、手が吾輩から離れるはず。その機会を逃すべからず。
だが、その機会は訪れなかった。
マーレアはなおもじりじりと大きくなっていく。
もはや吾輩の体はマーレアの腕にも及ばない。
なおもマーレアは大きくなっていく。
もはやマーレアは我輩を片手で押さえつけるほどに大きい。
なおもマーレアは大きくなっていく。
なおもマーレアは大きくなっていく…
そうか。我輩は気付いた。
マーレアが大きくなっただけではない。
大きさを変える術は、我が身にかけるだけではない。
相手にかけることもできる。
そして大きくするだけではない。
小さくすることもできるのだ。
吾輩は、マーレアに縮められていたのだ。
なおも油断なく、マーレアは我輩を手で押さえた吾輩に麻痺の術を含んだ息を吹きかける。
一息で吾輩の体を包み、麻痺術は吾輩の体を縛り上げ、吾輩の状況を一層どうにもならないところに
落としこむ。
もはや吾輩はマーレアの胸の間に押し込まれた状態だ。
我輩を乳房の間に挟んだマーレアは、笑顔で見下ろしてきた。
「ああ、ゲスカーク様。とってもいい気持ちですわ。魔力もこんなに沢山頂けるなんて…」
そういいながらまた、吐息を吹き込む。
「こうすれば、もっと頂けるでしょうか?」
マーレアは我輩をおさえていた手を離した。
だが、乳房に挟まれた吾輩は身動きできない。
両側から圧力が押し寄せる。マーレアが胸を手で寄せているのだ。
ぴたりと乳房に封じ込まれた我輩は、肉の圧力に耐え、全身から魔力を奪われるのに
ただ耐えるしかない。
なおも縮み、なおも魔力を絞られる。
吾輩は我が身が一片の紙片に化していくように感じた。
もう駄目だ…
だが、そこで圧力は止まった。
じっとりと湿った乳房の間から、吾輩は摘み上げられたのだ。
吾輩の体は、マーレアにとっては指先で摘み上げるほどのものでしかない。
マーレアは懐から布袋を取り出すと、片手で器用に口を解いた。
「さあ、この中に入ってくださいませ」
そういうと、吾輩の体は袋の中に落とされた。
かくして吾輩は、マーレアの虜となった。

吾輩は最初のうちは甘く考えていた。
マーレアの手口を知らぬ故に不覚をとった。不本意ながら認めざるを得ぬ。
だが、上級魔族と人間である。その気になりさえすれば脱出は簡単、と考えていたのだ。
ところがマーレアが実に準備万端整えていたことを、吾輩は思い知らされた。
例えばマーレアが我輩を放り込んだ袋であるが、これは麻痺の術を織り込んだ布を
幾重にも重ねて造られたものなのだ。
中に入られらた魔族はたちまちその影響を受け、まともに動くことすらままならず、
半ば意識が混濁した状況に陥る。
マーレアめはその事を十分に心得ていたようだ。
あの女は袋の口を開けて中を覗き込んできた。
「居心地はどうでしょう、ゲスカーク様?」
「ぬう…」
吾輩はゆっくりと身体を動かすのがやっとである。
その様子を笑顔で見下すと、マーレアは口をすぼめてふっと息を吹き込んだ。
「…!」
あたりにはたっぷりと、マーレアの口臭が麻痺の術の効果とともに広がった。
吾輩の動きと意識はさらに鈍くなる。
「では、ごゆっくりお過ごしくださいね」
閉じていく袋の口を見上げながら、吾輩は屈辱に震えた。
吾輩が、知の魔神ゲスカークともあろうものが、人間風情の虜になって身動きもろくにできず、
身体中に吐息を吐きかけられるなど………!
これほどの恥辱があろうか。
しかし吾輩はまだまだ知らなかったのだ。
マーレアの虜にとって、この袋の中はおそらく一番ましなところであることを。
その事を吾輩はその日のうちに思い知らされることになった。

一日じゅう続いた揺れの後、マーレアはなにやらごそごそやったのち、吾輩を袋からつまみ出した。
吾輩を掌に握ったマーレアが、じっと眺め回してくる。
吾輩の身体よりずっと大きい顔から、吾輩の身体と同じぐらいの大きさの目がじりじりと動く。
吾輩のあちこちを凝視しているらしい。
吾輩はなんとも嫌な気持ちになった。
捕まえた獲物をどうやって喰らってやろうか、じっくりと睨め回す猛獣…
いや、ちょっと違うかもしれぬ。
吾輩を隅から隅まで見渡したらしいマーレアは、なぜか顔を少し赤らめながら、唇を開いた。
「ゲスカーク様、素晴らしいですわ」
素晴らしいとな。
「魔族の方は、なんといいますか、蜥蜴とか、蜘蛛とか、蛸とか、虫とか、あまり気持ちのいい姿形で
無い方が多うございましょう?今までにも、魔族の方から魔力を頂いてきましたが、
正直触るのも気色が悪いぐらいでございました」
失敬な女である。
吾輩は人間どもと同じ姿をしているが、それはたまたまだ。
多種多様が魔族の信条、姿形も様々である。
どいつもこいつも同じような形しかしとらん人間の方が、よほど画一的で無味乾燥というものだろう。
「でも、ゲスカーク様は本当に格好良くいらしていて…見ているだけでもなんだか、
私、胸がどきどきするようでございます」
それは獲物を喰らおうとする興奮ではなかろうか。
「ああ、本当に美味しそうですわ。これは味わっていただかないといけませんね」
そういうと、マーレアは吾輩に口を近づけてきた。
吾輩は懸命にもがいたが、マーレアの手指は我輩をがっちりと絡めとっていて逃げ出すことはできない。
見る間にマーレアの唇が我が身に迫った。
ぶちゅりという感覚が我輩を包む。
ぬらぬらとした大きな唇が、吾輩の身体に押し付けられた。
「んっ…ふっ…」
息を漏らしながら、最初は上の唇で、次に下の唇で、吾輩の身体を舐め嬲る。
その度に吾輩の魔力が失われていくのを感じる。
次に吾輩は、マーレアの唇の中に押し込まれた。
深くではない。唇と唇で吾輩の身体を挟んでいるのだ。
「んちゅ…」
我輩を横咥えながら、魔力を吸い取っているのだ。
「おぃしぃ…」
口の間から声が漏れてくる。
どうすることもできぬ。ここはマーレアの痺れの術が満ちている。
吾輩はマーレアの唇で弄ばれるしかない。
意識が遠くなる。
このまま吸い尽くされるのかと半ば覚悟を決めた。
と、マーレアの口が空き、吾輩は唇からつまみ出された。
「うふふ…ゲスカーク様は本当に美味しゅうございます。私、もっと、もっともっと
味わいたいですわ」
赤らめた顔がまたぐうんと近づいてきた。
赤黒い肉塊がぱっくりと割れると、一抱えはありそうな白いものが間から見えた。
並んだ歯が上下に分かれていく。
噛む。我輩を噛み砕くつもりか。
半ばしびれた吾輩の頭も恐怖を感じざるを得ない。
だが、吾輩を摘んだ指はそのまま歯の門を通りぬけ、さらに奥へと我輩を送り込む。
「あーん」
甘えたような声が喉から響くと、吾輩はぼとりと下に落とされた。
落とされたところは湿ったぐじゅっとしているところだ。
言うまでもなく、舌である。
吾輩はマーレアの口の中に入れられたのだ。
仰向けの我輩は、マーレアの口蓋を見上げていた。
ちょうど中央は盛り上がり、周りにはずらりと歯が円周状に並ぶ。
いかん、逃げ出さなくては。
しかし吾輩が動くより、マーレアの口は閉じ始めた。
口蓋の天井がどんどんと近づく。
口が閉じるに連れて光量は減り、やがて唇が閉じるとあたりは暗闇となった。
吾輩は暗闇でも困らぬ。辺りは変わらず見える。
しかし、ここは辺りと言ってもマーレアの口の中だ。
見るべきものなど無い。
あるのはマーレアの口腔、歯と歯茎、歯肉、固口蓋に軟口蓋、舌に垂れ下がった
口蓋垂、そして下に続く喉…
吾輩は少しでも口の先に移動しようと身を捩った。
喉に落ち込んだら一大事である。
だが、今度もマーレアの口の動きの方が早かった。
ぴたりと閉じたマーレアの口が、ぐにゃりうにゃりと動き始めたのだ。
じゅぶる、ぐしゅると我輩は口内でこね回される。
舌が波打ち、我輩を口蓋へ押し付け、右左へと突き回す。
ゆっくりと動くかと思えば、小刻みに身体が揺さぶられる。
頬肉が寄せ集まって我輩を挟んだあと、舌は我輩を右へと押しやり、
そのまま歯の列に沿ってごりごりと移動させられる。
前歯に押し付けられた吾輩の背中を、マーレアの舌がぐりぐりと舐め回す。
歯がゆっくりと開き、軽く開いた歯列が吾輩を挟んだ。
痛くはない、しかし逃げ出すこともままならぬ。
吾輩は両前歯で甘噛みされたまま、今度は腹を舌で舐め磨られる。
やがて溜まってきたマーレアの唾液に、吾輩の体は浸されていた。
唾液と一緒に吾輩の体は、今度は舌の下に送り込まれた。
たっぷりと溜まった唾液の中、上からは舌がのしかかる。
重圧をはねのけようとなんとか手足を動かす。
少し動いたか、と思った時、ぐうっと強くなった舌の動きに抵抗もできず、
吾輩は口蓋底にへばりつかされた。
溜まった唾液が我輩を浸す。
溺れる。溺れてしまう。もがくこともできぬまま。
と、くくっとマーレアの喉がなり、唾液が喉の底に送り込まれていく。
マーレアが唾を飲み込んだのだ。
我輩を浸していた唾液の大半がなくなっている。
我輩を飲み込もうと思えば、マーレアは造作もなくできるのだ。
もはや抵抗する気力も、逃げ出す気力もない。
マーレアの口の中で弄ばれ、魔力も奪われるに任すしか無い。
再び動き出した口腔の動きに、吾輩は身を任せるしか無い。
やがて吾輩の意識は溶けていった。

しばらくして、吾輩は気を取り戻した。
明るい。周りは肌色だった。
どうやら吾輩は気を失ったまま、マーレアの掌に吐き出されたものらしい。
「ご免なさいませ。少しやり過ぎてしまったようですわ」
笑みを浮かべたマーレアは、それでも少しばかり済まなそうな声を出した。
「ああ、それにしても美味しゅうございました。それに魔力も、たっぷりと頂きました。
ありがとうございます、ゲスカーク様」
礼を言われても、これぽっちも嬉しくなどない。
「ゲスカーク様、私気付きました。私はなんといいますか…
そう、快いと感じますと、より効率よく魔力を頂くことができるようなのです。
今日お城でゲスカーク様から魔力を頂いた時でございます。
ゲスカーク様を胸に押し当てた時に、私なんとも言えぬ気持ち良さを感じまして、
その途端大変な勢いで魔力が流れ込んできたのです。
もしや、と思ったのですが…これではっきりしましたわ」
こね回され、舐め倒され、魔力を吸われた吾輩は何を言う力もない。
「それにしてもゲスカーク様は素晴らしいですわ。乱暴に扱って壊したり、
焦って吸い尽くしてしまっては勿体無い。これからもじっくりと、味あわせていただかないと」
マーレアは吾輩の体を摘み上げると、やや優しく袋の中に押し込んだ。
「それでは、ゆっくりとお休みなさいませ」
未だにべったりと唾液に濡れた体で、吾輩は袋の底に倒れこんだ。
こうして吾輩の、マーレアの虜としての生が始まった。