足指の間 メイド長編

作:湯田

■注意とお願い
作中に巨大メイドによる破壊描写があります。
メイドや破壊は好みでない方は、読まれるのを控えるの事をお奨めします。
また、フィクションでありますので、作中の名前・地名などは、全て架空のものです

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「ずううううううううううううううううううん!!!!」

そのような音が響いたのでしょうか?
自分の足元のことなのですが、恐縮ながら自分では判りませんでした。
ですが距離にしましたらそう、1万メートル以上離れていますから…
耳まで音が届かなかったとしても、不思議ではありませんね。


私は、ここからはずっと離れたところにあります、ある屋敷で家事に従事しております。
旦那様は、仕えるものであれば誰でも誇りに思うような立派な方。
身よりもなく、技能も持たない私を温かく迎えてくださった旦那様にお仕えして
幾年月、今では奉公人たちのまとめ役を任されるまでになっております。
能力については誇れるようなものはございませんが、旦那様への忠節だけは
誰にも劣らぬと自負しております。
同輩もみな気立ての良い者ばかり。
旦那様とお屋敷と共に働く同僚達
これこそ私にとって誇りであり、いざという時はこの一命に代えても
守らなくてはならないとものと心得ています。

さて、私どもは、以前は女中や家政婦と言われることが多かったのですが、
最近ではメイドと呼ばれることも増えてまいりました。
特に私たちがまとっているお仕着せはいわゆるメイド服ですので、
旦那様にそのような趣味がある、あるいは流行に合わせようとしたと思われる方もいるようです。
しかし、この服は数代前のご当主が洋風の館を建てるにあたり、
使用人もそれに相応しい服装をと考えて設えたものを、
その後の時代の変遷に合わせて細かい変更を施した、いわば最先端でありながら由緒正しき装い。
布地も仕立ても仕事着には十分すぎるほどのもので、実用的であり、しかし一方では飾りなども
さりげなくではありますが見事に設えてございまして、
女心を密かに満足させる逸品なのでございます。
決して安易な時勢に乗ろうとしたものではありませんので、お間違えなきよう。
…いけません、女はどうしても、服のことになると話が長くなってしまいますね。

さて私の今の状況ですが、これは、どう言えばいいものでしょうか。
街中にいる、というのは正確ではありません。私の体の一部、いえ大半は街の外にあります。
街の傍にいる、というのも正しくはないでしょう。私の体の一部は確かに街中に入り込んでいます。
街の上空にいる、というのも厳密には違います。私の体の一部は地面についていますから。
無理やりな表現をするのなら、街を踏んでいる、になるのでしょうか?
もちろん、街を歩いている人はみな街の地面を踏みつけているものですが、
私が踏んでいるのは地面だけではありません。
私の足先が覆い隠しているのは…

もって廻った言い方は止めましょう。
私は今、巨人になっています。
身長は、目安となるものがないので…おおむね一万七千メートルといったところでしょうか?
もとから、この大きさだったという訳ではありません。

…あれは、何だったのでしょうか?
所用で街を訪れた私の前に、突然謎の人物が現れました。
望み通りに大きくなれる力を差し上げましょう、どうぞお好きにお使いください。
あなたのご迷惑になることは、決してありません。
そう告げると、確かめる間もないうちに、その人はいなくなってしまいました。

さすがにその時は本気にしませんでした。
人をかつぐにも、言い方やり方というものがございます。
大きくなれる、と言われて真に受ける人はいないでしょう。
ただ、その人の浮世離れしているといいますか、奇妙な雰囲気は気になりました。
ですからでしょうか。
お屋敷に戻り、棚の上に乗せてあった物を下すことになった時に、
つい、「もっと背が高ければ」と思ってしまったのです。
次の瞬間、私の手はそれを掴んでいました。
私は戸惑いました。棚の高さは踏み台などがなければ、到底背の届く高さではないのです。
思わず周りを見ると、まるで椅子の上に立っているかのようでした。
同僚のメイドたちは、まるで半分に縮んでしまったかのよう。
なにこれ、戻って!?と戸惑うと、すっと視線が低くなり、元に戻りました。
同じ部屋にいる同僚は、こちらを見ていた者を含め、なぜかこの事に気づいてないようです。
私はなんとか気を落ちつけようとしました。
人のいないところ…そうだ。
私はお屋敷の外にある、大倉庫に向かいました。
そこは普段は使われていない道具の類が置いてあり、高さも三階建ての建物ぐらいはあります。
中に入り、誰もいないことを確かめた後、私はそっと念じました。
ゆっくり、大きくなってみよう…
少しづつ、少しづつ、しかし間違いなく、私の視線は高くなっていきます。
もう少しで屋根にぶつかる、というところで私は念じるのをやめました。
ふと思いついて、私は置いてあった農具に手を伸ばしました。
数人がかりで動かすそれが、片手で軽々と動きます。
元に戻ろう。
そう思うと、また視線はすっと下に向かいました。
先ほどの農具を動かそうとしてみましたが、今度は両手を使ってもびくともしません。
どうやら本当に、思い通りに大きくなれるらしい…
私は戸惑いながらもそう実感しました。
しかしこの力は、どう使ったものでしょうか?
先ほどのように、上にあるものを取るには便利でしょうが、
それは踏み台を持って来ればいいだけのこと、その手間を厭うほどの怠け者ではないつもりです。
農機具などを動かすにしても、そのための人手は足りていますから、
私が余計なことをしては彼らの面目を潰すことにもなりかねません。
とすると、この力、好きに使ってくれと言われたものの、さて何の役に立つのでしょう?
不思議な力ではあるけれど、結局使うこともないだろう。
そう思ったのです。その時には。


お屋敷で働く者たちには、折々につけて休暇がございます。
休みはどのように使っても自由ですが、私は山に出かけて歩きまわって過ごすことがしばしばです。
自然の中を歩き回ることで体は健やかになり、心身に溜まっていた澱が洗い流されるように感じます。
その日も、私は山の中を歩いておりました。
うっそうと茂る木々の中、人影は私しかありません。
ふと前を、一羽の鳥が舞い上がっていくのが見えました。
一際高くそびえる一本の大木の上に巣を設けたらしく、雛の鳴声がかすかに聞こえてきます。
しかし、下からは枝と葉に遮られ、その様子は見えません。
…この木と同じぐらいの背丈になったら、様子を観られるかもしれない。
そんな考えが頭に浮かびました。
私は少しためらいました。そんなことのために…いえ、使って何が悪いというのでしょう。
人に迷惑をかけるわけでもなし。
そう思いきると、私は辺りに人の気配がないか、もう一度確かめました。
人に見られると困るというより、見られるのは気恥ずかしいという思いがありました。
改めて人がいないことを確認すると、私は上を向き、静かに念じました。
少しづつ、少しづつ…あの木の上ぐらいまで。
視線が徐々に上がります。何度か枝が体にかかってくるのを払いのけ、私の頭はついに木々の上に出ました。
少し先にある大木と、ちょうど同じぐらいの高さです。
そっと顔を近づけようと…激しい羽音に、私は思わず身を引きました。
親鳥が、私の顔の周りを飛び回っています。
鳥にとって、巣は雛を育てる大事な家。悪気はなかったと言え、そこに土足で踏み込んだ私は
単なる乱入者でしかありません。
元の大きさに戻るように念じますと、また木々の葉を通り抜け、元の道の上に視線が戻りました。
上を見上げると、まだ親鳥は興奮して飛び回っている様子です。
私はこれ以上彼らの気を逆立てないよう、できる限り足音をひそめてその場を去りました。
歩きながら、私は考えていました。この度はとんだ失敗でしたが…しかし、そうです。
あの力、何も仕事で使うばかりではありません。
私のために、私の楽しみのために使ってもいいのだと、そう気づいたのです。

しばらく進むうちに、道の先に水面が見えてきました。
ちょうど向かい側に道の先が続いているのですが、
川からあふれ出た水が溜まってできた沼に沿って、道は大きく迂回しています。
曲がった先は、あいにくのこと坂になっていて、滑りやすく歩くのには難儀する上に、
木々に囲まれて眺めも良くない道でした。
いつもなら気を付けて通るのですが…私の頭に、企みが浮かびました。
辺りに人影は…ありません。
すっと息を吸い込むと、私は一歩を踏み出しました。沼の方に向かって。
大きく、なれ。
ぐぐん、と視線が高くあがります。上がった右足は沼の上を通り過ぎました。
よっ、と。右足が反対側に着くと、私は左足を蹴りだしました。
少し窮屈でしたが、無事に左の足も道に収めることができました。
よし。これで、厄介な道をいかず、行程を短縮できた。
我ながら子供っぽいとは思いましたが、先ほどとは違い上手くやってのけたことに
私は喜びを感じていました。
むやみに使ったり、人の迷惑になってはいけないでしょうが、
この力、うまく使えば結構便利なのかもしれない。
少し浮いた気持ちになって、私はその後一日を過ごしました。


その後、休暇で出かけたとき、私は大きくなることを試すようになりました。
最初は、まれにでした。
普通なら見えない眺めを観たり、通れないところを通り抜けるのに、人がいないことを
見計らってこっそりと。
ですが、徐々にその回数は増えてきました。
展望台より、ずっとから見渡す景色の新鮮さ。
急な崖下にあって、誰も降りたことのないだろう沢に背丈を伸ばして降り立ち、
手つかずの景観を眺める心地よさ。
行く手を塞ぐ丘を一歩で踏み越えてから振り返り、うねうねと続いている小道を眺める面白さ。
どれも、思いがけない喜びがありました。

いけない、考えもなしに、無暗にやってはいけない。
そう思っていても、私は快感を忘れることができませんでした。
数度に一回だったのが、行く度に毎回になり、そして行ってから何度も大きくなるようになり、
やがて大きくなるのが当たり前のようになっていき、私の行動は大胆に…いえ、不注意になっていきました。

そして、私はある日、一線を越えてしまったのです。

その時はもう夕暮れも近く、私は焦っていました。
深い山の中に出かけたのはいいのですが、色々と遊んでいるうちについ長居をし過ぎてしまい
もう夕方になっていたのです。
早く帰らないと、今日中にお屋敷に戻れなくなる。
先の道は長く、その上徒歩以外での移動手段はありません。
以前なら必死に駆け出してでもいたころでしょうが、その時の私はさっと辺りを見回すと、
当たり前のように大きくなりました。
辺りの草木を揺らしながら、それでも道を選び急ぎ足で歩いているうちに、前方にあるものが見えてきました。
山と、その尾根を走るように並んでいる高圧鉄塔の列です。
邪魔だなぁ。
私はそう思いました。普通なら、そう普通なら、邪魔などと思うものではありません。
ですがその時の私の大きさでは、ちょうど前方に立っている塀のようなものでした。
その高さでは先を見越すことはできません。
少し前の私なら、いったん元の大きさに戻るか、またはせめて電線より低い背丈に縮んでから、
その下を潜ろうとしたことでしょう。
でも、その時の私はもう何度何度も大きくなっており、その度に、背丈は少しづつ高くなっていました。
越えられなければ、越せるまで大きくなればいいじゃない。
深く考えもせずに私はぐんと大きくなり、無造作に一歩を踏み出しました。

右足が下についたとき、何か妙な感覚を感じて私は下を見下ろしました。
あ…
私は大変なことをしでかしたのに気づきました。
そこは、無人の谷などではありませんでした。
小さいながらも道が通り、建物も十数軒ぐらいは立っている、人里だったのです。
私の右足の踵は里の裏山を踏み削り、そしてその先は…数件の家々を踏み潰していました。
なんてことを…してしまったのでしょう。
下では小さな人影が動きまわっているのが見えました。
中にはこちらを見上げている人もいます。
何か、カメラのようなものを構えた人もいるようでした。
その様を呆然としてみていた私は、やっと気を取り戻しました。
とにかく、この場を離れなければ。
でも、どうやって?
見ると、村の先はまた鬱蒼とした木々が茂る山々になっていました。
ごめんなさい!
私は心の中で誤ると、そのまま村を数歩で通り抜けました。
木々を踏み潰しながらなおも歩き続け、そして少しづつ小さくなり、先に開けた平野が見えるころになって、
私は普通の背丈に戻りました。

しでかしたことの深刻さに打ちのめされながら、私は機械的に歩き続けていました。
人に迷惑にならなければいい、と言い訳しておいてこの様です。
あの村では、いったいどれだけの被害が出たことでしょう?
家は…いや、それよりも人は…考えたくありません。
暗くなりつつある道を歩きながら、私の心は暗く沈んでいきました。
私の姿もはっきりと見られていたはずですから、
あの惨事を引き起こした犯人として、私は直ぐに手配されるでしょう。
もうお屋敷にも居られない、それどころか犯罪者として逮捕されることになります。
たった一人で心細いのに、傍を車が通るとき、薄闇に人影が見えるとき、
私の心臓は飛び上がりそうになりました。
やがて小さな町の中に入ると、街の中が何か慌ただしいのに気づきました。
しばらく歩いていきますと、先に交番が見えてきました。
その横には赤いランプを回転させたパトカーが止まっています。
私はその場にへたり込みそうになりました。
きっと、私を捕まえに来たに違いない。
私はそれでも、何とか歩みを続けました。というより、足が止まりませんでした。
捕まるなら、いっそ早くしてほしい。その方が楽に…
私が交番のそばに来たとき、中から数人のお巡りさんが中から出てきました。
そこで私はついに歩けなくなり、ぴたりと立ち止まりました。
お巡りさん達は、地図を見ながら何かを話し合っているようです。
と、一人、若いお巡りさんが私に気づいて声をかけてきました。
「何か、用事ですか?」
「あ、あの…」
声がでません。
「道に迷われたとか?」
「あ、ええと、駅か、バス停はどこにあるでしょうか?」
親切そうな声に、私は思わず返事をしていました。
「ああ、駅ならこの道をまっすぐ行って、三つ目の角を左に曲がればすぐですよ」
お巡りさんは、軽い身振りとともに教えてくれました。
「そ、そのう…ありがとうございます」
「いえいえ、いまちょっと立て込んでおりまして、簡単な説明になってしまいました」
すまなさそうな声で、お巡りさんは言いました。
「あの山を越えた隣の村で、何か事故があったらしいんです。人手が必要ということで、急遽集められまして」
「どうした、行くぞ」
年配のお巡りさんに呼ばれて、私の相手をしてくれたお巡りさんはパトカーに乗り込みました。
「それではもう暗くなりましたから気を付けて」
「あ、はい。ありがとうございます」
走り去っていくパトカーを見送った私は、しばらく交番の前で突っ立っていました。
…ばれなかった?
いえ、ついさっきの今ですから、私の姿が広まっていないだけでしょう。
といっても、自分から自首するだけの強さは私にはありませんでした。
やがて、私は駅に向かって歩き出しました。

その夜遅く、私はお屋敷に帰り着きました。
最低限の身支度を整えると、私は直ぐに床に就きました。
あれほどあからさまに姿をさらしてしまったのです。
明日になれば、私の仕出かしたことは明るみに出るでしょう。
ですからせめて、今夜一晩だけは、このお屋敷で過ごしたい。
眠れないかもしれない。横になった時はそう思いましたが、次の瞬間にはもう朝になっていました。
身支度を整え、私は仕事を始めました。
捕まるかもしれない、いや捕まるに決まっています。あれだけのことが、知れ渡らないはずはありません。
でも、それまでは。私はそう思い込みました。
私の朝の仕事は…私の心臓がずきりと痛みました。
旦那様に、朝食と、新聞を持っていくことです。
その新聞には、きっと昨日の惨事が載っているに違いありません。
ひょっとしたら写真入りで。
最悪の状況でした。
私は、旦那様に、自らの凶行を暴かれることになるかもしれません。
でも、それが私に与えられた罰なのかもしれない。
寧ろ、ふさわしい報いというものでしょう。
そう思いきると、私は朝食と新聞をワゴンに載せて旦那様のお部屋に向かいました。

「おはようございます」
「おはよう」
旦那様は既に起きて、何かの書類に目を通していらっしゃいました。
「お食事は…」
「ああ、そこに置いておいてくれ。それより、新聞を先にくれないか」
私は旦那様に見えないように後ろを向いてから、息をつぎました。
そして、紙面をできるだけ見えないようにして、新聞を旦那様に手渡します。
旦那様は直ぐに新聞を開きました。
「ああ、昨日遅くニュースで聞いてから、気になっていたんだ」
きた。
私は、体の震えを懸命に止めようとしていました。
「家が何件も、か。しかし、山が急に崩れたとはねえ…」
山が、くずれ…た。
「ほら、ごらん。君も気になっていたんだろう?」
無作法は横に置いて、私は旦那様が差し出した新聞を覗き込みました。
上空から撮影された村の写真が、一面に載っています。
村の裏山が大きく抉られ、はみ出た土が村の真ん中まで流れ込み…
え?
「消防・警察が現在も行方不明者の探索中。目撃者の話では、急に裏山が崩れ、
土砂が流れ込んできたとのことで…」
続く記事を見て、私は戸惑いました。
「君も、休みには山歩きをするんだろう?」
「は、はい」
「めったにないことだと思うが、気を付けた方がいいだろうね」
旦那様は新聞を読み始めましたので、私はそっと下がりました。
「ああ、食事の皿は後でもっていってくれればいいから」
「承知いたしました」
私はそのまま、旦那様のお部屋を出ました。
おかしい。何かが変です。
なぜ、新聞には全然、私のこと、いえ、突然現れた巨人のことを書いていないのでしょう?
山崩れも大事故ではありますが、しかしそれと同時に巨人が現れたとなると、記事にしないわけがありません。
それとも、巨人の目撃情報など、あまりにも馬鹿馬鹿しいと黙殺されたのでしょうか?
そうかもしれません。
しかし、だとしても、あれだけの人が私を見ているのです。
写真を撮られた様子もありました。
いずれそれは噂になり、世間に広まるのはさけられないでしょう。
私は暗い思いと良心の疼きを抱えながら、午前中の仕事を続けました。

昼休みに、休憩所を兼ねた食堂に入るとテレビがニュースを伝えていました。
「それでは、現場からの実況です」
私は、自分の犯行現場の実況中継を見させられる犯罪者の心持を味わいました。
周りの同僚も、手を休めて画面に見入っています。
一人の男がインタビューに答えていました。
「その時は、もう夕方近くてね。で、前触れもなく、急に山が、がって、動いたの」
「揺れか、何かはありませんでしたか?」
「なかったねえ。最初は、何か爆発したのかと思ってさ。
直ぐ裏山を見たら、大きく抉れててさ。大変だと思って、その先を見たら」
男が指差した先にはぺしゃんこに潰れた潰れた数件の家がありました。
「こりゃあ、何かあったなと思ってたら、続けて、どーん、ドーンと音がして、
また来るか、と思って身を臥せったけど、今度はなんもなかったね。
で、慌てて手分けをして、人手を集めて…」
私は頭をかしげました。
彼の言ったことには、巨人はまったく出てきません。
私を、見ていなかったのでしょうか?
いえ、私は足を村に踏み込んでからしばらく、少なくとも数秒は、そのままの姿勢でいました。
仮にそこで見逃したとしても、村を通り抜ける間には、きっと目に入ったはずです。
いや、入らないはずがありません。
では、彼は実は目撃者ではなく、単にでたらめを言っているだけ?
ニュースはスタジオに戻りました。
「以上、目撃者の情報をまとめますと、急に裏山が崩れ、そのあとで何度か大きな音が
響いたということは共通しています。崩れたのはこのあたり一体で、
土砂はこの方角から村に流れ込みました。地質学者の見解では…」
では、既に複数の目撃者の証言を得ていることになります。
なぜ、私のことは出てこないのでしょう?
「目撃者の中に、大きな煙のようなものが上がったという証言もあります。これは何だと思われますか?」
「この写真は、直後にとられたものですが、これを見ますと…」
思わず私は身を乗り出しました。
「このあたりに、確かに雲、もしくは煙のようなものが映っています。
土砂が巻き上げられたものか、それとも雲か…これだけでははっきりわかりません。解析が必要でしょう」
…え?
なぜ?なぜ私は、いえ私の体は映ってないのでしょう?
写真の詳しいことは判りませんが、あの位置から写したなら、私の靴か足が映っているはずです。
なのにそこにあるのは、流れ出した土砂とぼやけた煙のようなもの、だけでした。
見ようによっては足の形に見えないこともありませんが、しかしそれはそういうつもりで見ないと
見えない、といった程度のものです。
ますますもって、私はわからなくなってきました。
「あの、メイド長?」
「なにかしら?」
後輩のメイドが話しかけてきました。
「昨日、山歩きに行かれてたんですよね?あの辺りに行かれてたとか?」
「いえ、行ったのは別のところだけれど。なぜ?」
驚きを隠し、とっさに聞きかえしていたのは、やはり日頃からの習いというものでしょうか。
「とても熱心に見ていたので、何かあったのかな、って気になりまして」
「そう。実は、旦那様に今朝、お前も山歩きをするのなら気を付けないと、と言われたので、気になったのよ。
確かに酷いわ…気を付けないと」
「あ、そうですか。失礼しました」
そういって、彼女は離れていきました。

私はしばし、考え込みました。
なぜ、私の仕業と判らないのだろう…
どう考えても、理由がわかりません。
あるいは、まだ証拠をまとめている最中なのかもしれません。
ならば、いずれ私の仕業と判明するでしょう。その時には…
いけません。これ以上気を逸らしては、仕事に関わります。
私は頭を振ると、食事に手を付けました。


その後しばらく、私は落ち着かない心を抱えた日々を送りました。
今日わかるか、明日呼び出しが来るか。
送られてきた手紙を見て、かかってきた電話の音で、心臓の鼓動を早める日々はつらいものです。
せめて仕事には悪い影響を出すまいと心に決め、それを守るのが精一杯でした。

気にかけないようにふるまいながらも、調査の状況はどうしても気になります。
しかし、見聞きする報道の内容には、私のことは全く出てきませんでした。
ひょっとして、気づかれていない?
そんな馬鹿な、と思いますが、しかし世の中には偶然というものがあります。
突然出現した巨大な足を見ても、村人たちはそれがなんだかわからなかったという可能性も、
ゼロとはいえません。
写真も非常時のことですから、撮りそこなったということもあるでしょう。
でも、そんなことが…
その時、私はもう一つの可能性に思い当りました。

「あなたのご迷惑になることは、決してありません」
あの、謎の人物の言った言葉です。

ひょっとして、私が大きくなったということ、そしてその時にやったことは、
他の人には認識されないのかもしれません。
理屈もなにもわかりません。随分とでたらめで、そしてご都合のいい話です。
が、そもそもからして、巨大化という力自体、理屈や法則に沿ったものではありません。
そんな力をあっさりと授けるような存在なら、起こった事象を捻じ曲げることぐらい、
あっさりできるのかもしれません。
でも、そうとも限りません。
何かの偶然で私と気づかれなかったという可能性も、確かにあるのです。
どちら、なのだろう?
それは心の中で膨れ上がったしこりのように私を悩ましつづけました。
このままでは、いけない。私は決心しました。
確かめてみなくては。
そのためには行き当たりばったりではいけません。
いつ、どこに行き、何をどうすればいいか。
次の休みの前に、私は念を入れて計画を立てました。


休みの日、私は前の夜の間にお屋敷を出て、離れた街に移動しました。
ホテルで一泊し、チェックアウトを終えた私は、更衣室を借りてメイド服に着替えました。
これからのことを行うのは誰なのか、はっきりと認識してもらうには、この方がいいと判断したのです。
私は計画に沿って街の中央にある広場に移動しました。
人影はまばらにしかありません。側にいる人、向かってくる姿がないことを私は確認しました。
さあ、始めましょう。
次の瞬間、私は身長170メートルの巨人になっていました。
息を鎮め、周りをゆっくりと見回すと、おおむね想定していたのと同じ光景が広がっています。
下を見ると、私の両足は広場の半分ほどを占領していました。
裾を引いて真下を確認し、問題がないことを確認すると私は視線を少し上に戻しました。
私の姿を、巨人になった姿をはっきりと目撃してもらうことが、一つの目的です。
いきなり巨大化しても被害が出ない広い場所があり、そして人眼が多くあるようなところ、
そして行くのに手ごろな所、この条件を備えた場所を探すのはなかなか難しいことでした。
私は高所からの視線でゆったりと見渡しました。
今までは大きくなっていたのは山中ばかりでしたから、街中は新鮮な感じがあります。
建物が、まるで箱のようです。あまり綺麗に並んでいるとはいいがたい、不揃いな箱の並び。
その間にあるのが道で、その上には小さな箱、つまり車があります。
そしてさらに小さな姿が、動き回る人形のようなものがあちこちに見えました。
人間です。その姿も、想像していたものとほぼ同じでした。
ほとんどは私から遠ざかっているようでした。
しかし幾つかは止まって何かをしているようです。細い糸のような腕が持ち上がり、顔の辺りに
掲げられた様子が見てとれました。
これもまた、目的の一つです。
写真や映像を撮ってもらえれば、それだけ証拠が増えるわけですから。
幾つもの視線が集まってくるのを私は感じ取りました。
これでもう、目撃者がいないということは有り得ないでしょう。
しかし、私はなおも念を入れることにしていました。
巨人が、それもメイド服の格好をした女が街中に現れた。
まともであればあるほど、信じがたい出来事です。
証言があり、証拠の写真があっても、なお、他の理由、そう、集団で幻覚を見たのだろうとでも、
学者達は考えるかもしれません。
ならば、幻覚では起きえない事象を起こすしかない。
その為の方法は…

流石に人の命に係わるような事は、したくはありません。
動き出す前に、私は口を開きました。
「みなさん、はじめまして」
名を名乗ることは、どうしてもできませんでした。

私の声が響くと、人の動きが変わるのがはっきりと見て取れました。
私に注意が集まっている。良い兆候です。
同時に私の中になにか、奇妙な感覚が走りました。
不思議な、しかし決して嫌ではない、軽い高揚感のようなもの。
それに乗るように、私は次の言葉を告げました。
「今からこの街を破壊します。みなさん、私から離れてください」

その為の方法とは、破壊。そう、街を壊すのです。
普通の人間なら、いえ普通の方法では起きえないやり方で、街の一部を破壊する。
これなら流石に、幻覚とは主張できないでしょう。
決して良いことではありません。しかし私はもう、あの村を壊しているのです。
ならばそれに重ねても、増えるのは私自身の罪だけ。
自らの罪を明らかにするには、仕方のないこと。
私は自身にそう言い聞かせました。

「今から百を数えます。数え終わったら、私はこの街を壊し始めます。
その間にできるだけ遠くに逃げてください。近づくような事はしないでください。危険です」
人の動きが慌ただしくなりました。みな、足を速めて遠ざかっているようです。
その姿を見ているうちに、あの感覚は少しづつ強くなっていきました。
「一、二、三、四…」
感情を込めず、できるだけはっきりと、声が響くように数字を読み上げていきました。
そう、その間にできるだけ離れてもらわないと。
でないと、本当に危険です。
「三十、三十一、三十二…」
私は周りを見渡しながら続けました。
周辺にはほとんどの人影が…いや、何人かは、建物の中に逃げ込んでいます。
やれやれ、できるだけ遠くに行くように言っていますのに…
「六十五、六十六…」
ふと、奇妙な考えが頭に浮かびました。
鬼ごっこみたい。
数字を数えて、それから相手を追いかける。
ただ、追われる人間は何百人も居て、追う私は人間より何百倍も大きいのですが。
「九十七、九十八、九十九、百」
数え終わった私は、もう一度辺りを見回しました。
先ほどまで街中らしいざわめきが響いていた町は、今はしんと静まり返っています。
「では、始めます。最初は、その建物から」
それは数階建ての雑居ビルでした。屋上には大きな看板が立てられています。
その看板も、しかし私の膝にも届きません。
私は右足を上げ、その看板を軽く蹴りました。
看板はあっさりと弾け、道路に向かって落ちて行きました。
からん、と空き缶が地面に落ちた時のような音が私の耳に響きました。
勿論、普通の人からすれば大変な大音響でしょう。
この様子を見た人たちは、おそらく危険を肌で感じ取ったはずです。
しかし、私はこれで終わりにするつもりはありませんでした。
これでは足りないかもしれない。
私は、看板のなくなったビルの屋上に足を載せました。
この建物を壊すには、何度か踏み下ろすか、それとも横から蹴るかしなくてならないだろう。
そう思っていたのですが、足を載せて軽く体重を載せたとたん、建物はぐらりとゆがみました。
そしてあっという間もなく、私の靴の下で崩壊してしまったのです。
そんな…脆すぎる…
軽く力を入れただけで壊れてしまうなんて、なんて弱い…いえ、私の力が強すぎるのでしょうか?
いえ、ひょっとしたらこの建物は、いわゆる不良建築だったのかもしれません。
念のため、隣に立っているビルにも、同じように足を載せてみると、同じようにあっさりと潰れてしまいました。
私はごく慎重に動かなければならないことを悟りました。
でないと、思いがけない結果になりかねません。
ですが、これで、はっきりとした証拠ができるとも思いました。
どんな集団幻覚でも、流石にビルは壊せないでしょうから。
私は通りを歩き始めました。
左足を道路に、右足は建物の列を踏みしめます。
乗り捨ててあった車が左足の下に消えると、丸めた紙を踏みつけたような感触が伝わりました。
右足は、今度は平屋根の建物に落ちました。
あまり頑丈でなかったのでしょう、あっさりと靴は屋根を突き破りました。
そこから足を引き抜くのも、ごく造作なくできました。
右足と、左足と、交互に下していくうちに、私の中であの感覚がさらに強まっていきました。
…これって、おもしろい。
いつもは見上げる物を上から見下ろし、生身では壊せるはずのない物をあっさりと踏み砕く。
それは、心地よいといっていい感覚でした。
私は、ともかく人影には気をつけるようにしながら歩を進めます。
次の右足が落ちる先には、かなり大きな建物がありました。
この街で一番のデパートでしょう。高さは私の腰に迫るほどもあります。
気に入らない…
どういうわけか、そのような感情が湧いてきました。
この建物を壊すのは、一蹴りという訳にはいかないでしょう。
何度か蹴りつけても、壁に穴が開くぐらいで原型は保っているはずです。
でも、それのどこが悪いというのでしょうか?
生意気。たかが建物の分際で、私の前に偉そうに立っているとは、なんと生意気なのでしょう。
馬鹿馬鹿しいと言われても仕方はありますまい。
ですが、この時私は、この建築物をなんとしても徹底的に壊さないと気が済まなくなってきました。
私はデパートの正面に立つと、腰に手を当てて上から覗き込むように見下ろします。
「これからこの建物を、徹底的に破壊します。百を数えるうちに、中にいる人は出ていきなさい」
自分でも驚くほどの高圧的な言葉が、あっさりと口にできました。
日頃役目で、下役達に指示をくだしているのが役にたったのでしょうか?
「ひとつ、ふたつ…」
先ほどのと違い、数を数えるのがもどかしくてなりません。
見ていると小さな姿が、反対側と側面の出口から、転がるように出ていきます。
「きゅうじゅうきゅう、ひゃく」
私はそれでも待ち遠しいのをこらえました。
まだ逃げ遅れた人が出てくるかもしれません。
しばらく待ち、もう出てくる姿がないことを確認してから、私は右足を一番下の壁に蹴りこみました。
発砲スチロールで出来た箱を蹴ったように、あっさりと爪先が壁に突き刺さりました。
そのまま足を横に滑らせます。軽い抵抗と共に、壁面がばらばらと引きちぎられ、
道路に落下しました。
あら、靴が汚れてしまったわ。
それでも私は止める気はなく、次に何をしようかと考えました。
踏み潰すには、相当に足を大きく上げなくてはなりません。
それは、はしたないことです。それに、万が一転びでもしたら、みっともないだけでなく、
更に思わぬ被害になりかねません。
私は少し足を上げ、デパートの中頃につま先を向けました。
刺さったつま先を動かさず、今度はさっと引き抜きます。
同じように、壁面の別なところに、また一蹴り!
これを繰り返すうちに、デパートの綺麗な壁面はすっかり穴だらけのひび割れが走る、
みじめな姿になってしまいました。
正直に言いまして、私の仕業の証拠を残すというにはやり過ぎでしょう。
でも、その時の私は夢中になっていました。
かがみこんで空いた穴に手を差し込み、ぐいっと引くと、壁全体がぐらりと揺れました。
そのまま何度かゆさぶっていると、壁は外れて私の手に残りました。
薄汚い板切れなどに興味はありません。私はあっさりと壁を地面に投げ出し、デパートの中を
覗きこみました。
それは、珍しい建物の断面図でした。いつも見ているデパートを、輪切りにするとこう見えるのか。
私は目を近づけました。
中ではまだ明かりが残っているようで、奥の方までも良く見えます。
小さな店には小さな商品が並び、小さなエレベーターも、小さなエスカレーターも見えました。
小さいけれど、立派なデパートです。
その中に、私は半ば予期していた、いえ、危惧していたものを見つけました。
小さな動く姿。人が未だ中に居たのです。
考えてみれば、一分と少しでデパートの中から出るのは困難です。
上の階であれば、なおの事。
私は流石に頭の冷える思いがしました。これ以上、このデパートを壊す訳にはいきません。
ですが、最後に…私はまた、けしからぬことを思いつきました。
そのままぐい、とデパートの中に右手を入れたのです。
腕は、デパートの天井と床をあっさりとそぎ落としながら、中に入り込んでいきました。
たぶん、この辺でしょう。
指先にもぞつく感覚を覚えた私は、指をできるだけ柔らかく、しかし動かないように閉じました。
そして、そのまま腕を引き抜きます。
私は、ゆっくりと右手を顔に近づけていきました。
顔の近くで指先がはっきり見えるようになると、目的のものが見えてきました。
一緒に摘み上げてしまった寝具らしきものの間に、小さな小さな、人間の姿が挟まっています。
小さいけれど、しかしそれは人間でした。手足も、顔も、その表情も、見て取ることができます。
もしかしたら、大きくなった姿で人間をはっきり見たのは、これが初めてかもしれません。
真正面にかざすと、その姿がひきつるように動くのがわかりました。
どうやら男性のようです。その表情は、怯えきっていました。
あまり、脅かしてはなりません。
私は柔和な表情を作るように意識しながら、そっと話しかけました。
「私のいうことは、判りますか?」
男の表情が変わりました。
「わかったのなら、首を縦にふってくださいね」
彼の首が、縦に何度も、何度も上下するのを見て、私は可笑しくなりました。
そこまでやってくれる必要はありませんのに。
「逃げてください、といったのに、聞こえなかったですか?」
彼が、けんめいに口を動かしているのが判りました。でも、ほとんど聞こえません。
耳元に持ってくればもっとはっきりと聞こえるのでしょうか…
いえ、もう十分でしょう。
彼は、はっきりと私の顔を見て、声も聞いたのです。
これ以上の証拠はありますまい。
私は彼をもとに戻そうとして、思い返しました。
崩れかけたあそこは、危険かもしれません。
私は、デパートではなく、しゃがみ込むと地面に彼を下しました。
もう、この街の用事は済んだのです。

私はデパートの前を去り、そのまま通りを歩いて行きました。
両隣の建物を見ると、なぜか勿体ないような気がしてきます。
勿体ない?何が?
せっかく、手つかずのおもちゃが残っているのに、それをそのままにしておくなんて…
…いったい何を考えていたのでしょう。私は不埒な思いを頭をふって追い出しました。

街を通り抜け、しばらく歩いてから、私は元に、つまり普通の背丈に戻りました。
そのまま進めば、別の鉄道の駅に突き当たります。
それに乗って帰れば、お屋敷まではさほどかかりません。
後は、お屋敷に帰って、事の成り行きを見守るだけです。
その結果がどうであれ、私は受け入れるつもりでした。


お屋敷に着いたのは、夕方にはまだ少し早いうちでした。
自室に戻り、さっそくテレビを点けると、どの曲も臨時のニュースで大騒ぎになっていました。

「被害にあった駅前から実況です。街は、駅前広場からその先に向かって…」
ついに、来ました。
落第を知らされる生徒の心持で、私は待ち受けました。
「突然の突風と、その後のガス爆発で、建物は大きな被害にあった模様です」
…突風と、ガス爆発…
そんな、そんな馬鹿な!?
私は叫びだしそうになりました。
あんなにはっきりと壊して廻ったのに。私の手足には、あの時の感覚がまだ、はっきりと残っていました。
それが、突風と、ガス爆発とは…信じ、られません。
私はしばし、呆然として画面を眺めました。
そのうち、画面には一人の男が引き出されました。
その顔を見て、私は身を乗り出しました。
そう、あの人です。私が摘み上げたあの男の人です。彼なら、いくらなんでも彼なら、
覚えていないはずはありません。
私の指に摘み上げられた上に、あんなに近くで私の顔を見て、私の声を聞き、
私の問いに答えたではありませんか。知らないはずはない!
「その時の状況は?」
「はい、あの時は、デパートの中にいて、どうしようかと迷ってました。
と、壁が崩れて、明かりがさしたかと思うと、デパートから飛び出して、宙を飛んでました。
上手く着地できたのは、幸運としか思えません」
「デパートから飛び出した?」
「ええ、正確なところは覚えていないのですが、急に、後ろから何かに押された…
いえ、引き出されたと言った方がいいかな?ともかく、体ごと押し流されて、
気が付いたら空中にいて、そこで気を失ったようです」
「そうですか。お体に怪我は?」
「はい、所々痛むのですが、大きな怪我はありません。本当に幸運でした」

なおもインタビューは続きましたが、もはや私の耳にははっきりと入ってきませんでした。
切れ切れに伝わってくる情報を聞きながら、私の体は小刻みに揺れ始めました。
「…ははは…あはははは…」
私は吹き出していました。
随分と、うまく誤魔化したものです。
ああ、おかしい!

ひとしきり笑った後、私はゆっくりと深呼吸をしました。
これで明らかになったのです。
私が大きくなってやったことは、どうやらすべて、都合よく上書きされるようです。
何をやろうと私の自由。巨大化の力を使って何をしようが、私に累が及ぶ事はないのが、はっきりしました。
何を不安に思っていたのやら。今までの心配も、不安も、全て無駄だったのです。
私はひとしきり、開放感に浸りました。

開放感が引いていくと、私の中に次の感情が押し寄せてきました。
これからは、思う存分やれる。
その期待感が、胸を膨らませていきました。
もう、何をやってもいいのです。
遠慮など、する必要もありません。
それは、旦那様と、お屋敷には被害を及ぼさないよう、配慮しなければならないでしょう。
でもそれさえ守れば!
今からは、流石に遅いでしょう。
次のお休みが、楽しみでなりません。
私はテレビを消すと、さっそく次の休暇の事を考え始めました。


それからの私の生活は、一気に変わりました。
でも気づいた人は、私の他には誰もいなかったでしょう。
私は日頃のお屋敷の仕事も、一切手を抜きませんでした。
少しでも休暇を楽しみたいなら、仕事をきっちりと片づけるに如くはありません。
そして充実した休みを過ごしているからでしょうか、心身共に充実した状態で職務に
当たることができたのも結構なことでした。
旦那様からも、近頃はよい調子で働いていると褒めていただいたほどです。
「君、最近血色がいいな。体の調子もいいのだろう」
「ええ、山歩きのおかげでしょうか」
「ふむ。でも、せっかくのきれいな足を汚さないように気をつけ給えよ」
「もう、旦那様!」
旦那様のからかいは、私に取っては嬉びです。
日々を忙しく過ごしながらも、私は休みの準備を片時も怠りませんでした。

次は、いつにしよう?
私の休暇のたびに事故が起きるのは、流石に怪しまれるでしょう。
毎回行きたいのをこらえて、私は数回に一度に留めるように心がけました。

次は、どこに行こう?
これもまた、難しいものでした。
前に行ったところはもういいので、できるだけ面白そうなところで、でも無理なく行って
帰ってこられるところ…地図を広げながらあれこれ考えるのも、また楽しみでした。

そして、最も大切なこと。
旦那様と、お屋敷の皆の当日の行動の把握です。
仕事で遠方に出かけている場合もありますし、皆立派な大人なのですから、休暇の際に出歩く者も当然います。
私が事を始めた街に誰かがいたら、非常に危険です。
万が一、誰かを傷つけでもしたら、大変なことです。
幸いメイド長という職掌柄、旦那様や同僚の予定は自然に入ってきますので、さほどの難事ではありませんが、
皆の予定を間違えずに控えておくように心がけました。


そうやって準備を万端に整えたあと、迎える休日の待ち遠しかったこと!
私は何気ない風を装い、いつもの休暇と偽って、お屋敷を後にしました。


そうして私は、思う存分に家々を、街を、自然を、思いつく限りのものを蹂躙しました。

初めの頃は、やはり山々に行くことが多かったです。
ですが、以前のような配慮はもうありません。
手つかずの森の緑豊かな木々を踏みにじり、引き裂かれた木々から立ち上る芳香をいっぱいに吸い込むのは、
胸のすくような想いでした。
山間の静かな湖に足を踏み込み、水を盛大に羽散らかして湖面を渡った時は、盛夏だっただけに
なんとも涼しげな感がいたしました。
湖といえば、ダム湖を一跨ぎにしたこともあります。
人々がぐるりと遠巻きにしていく道路をはるか下に見下ろしながら、戯れに水面に足を落とせば、
溢れかえった水が時ならぬ放水となってダムの縁を越えていきました。

やがて私の興味は自然から、人々の多い街へと向いていきました。
大自然を相手に巨人になった力を振るうのも趣がありますが、
人間が営々と気づきあげてきたものに圧倒的な力を振るうのはたまらない快感でした。
なにより、遊びには反応があった方が面白いのです。

住宅街をきれいに均してやったこともあります。
小さな町の雑居ビルを、同じ高さに蹴り揃えたこともあります。
高層ビル群を相手にプロレスよろしく、大立ち回りの真似事をしたこともあります。
ああ、あのときは、本当に愉快でした。
天に向かって聳えていただろうビルを、一つは抱きついてばらばらにし、
もう一つのビルは膝を当てて途中からへし折り、
残る二つのうち一つは腋に挟んで押し倒し、
もう一つは…ヒップドロップ!と叫んで後ろに跳んだのはいいものの、
距離が足らずに途中に地響きを立てて落下し、気恥ずかしさのまま立ち上がると
そのままお尻を当て、ぐいっ、ぐいっとねじるようにしてつぶしてしまいました。

初めのうちの私の大きさは、十数メートルぐらいでしたが、
やがて数十メートルになり、百メートルを超えて数百メートルと、徐々に大きさを増すようになっていきました。
大きければ大きいほど、私の力は増大し、世界は脆く弱くなっていきます。
大きくなるにつれて視界が広がり私の力が及ぶ範囲がぐっと広がっていく、それもまた快感なのです。
そして、私の破壊はさらにエスカレートするようになっていきました。

そのうちに、私はさらに刺激を求めるようになりました。
ただ壊すのではつまらない。
派手に壊れそうなところ、コンビナート、軍事基地など、いろいろと試すようになりました。
コンビナートはガスタンクを蹴飛ばしたところ、勢いよく火と煙が上がりました。
一瞬は焦りましたが、熱くも痛くもないと判ると、それはとても愉快な眺めでした。

軍隊の基地に侵入したときは、これは流石に緊張しました。
なにしろ、相手は軍事の専門家。反撃を受けたら痛い目に合いかねません。
念のため今までの最大、身長千メートルを超える大きさになって向かったのです。
それは案外に脆いものでした。
そもそも、ごく身近に身長千メートルのメイドが現れることなど、想定もしていないのでしょう。
私が思い切って足を踏み入れただけで、建物の数件はあっさり倒れてしまいました。
攻撃は、あったのでしょうか?
基地を完全に踏みにじり、滑走路の全てを私の足型をした窪みに変えるまで
少しぐらいの反撃はあったはずなのでしょうが、全く気づきもしませんでした。
千メートルの巨人は、軍隊でさえ簡単に退ける存在。
改めて私は、自分の巨大さに思い至りました。

ある時は大きな町を襲い、しばらく経った休みの時は工場団地を灰に変え、
その帰りに小腹がすいたとばかりに小さな街を跡形なく蹂躙する。
山奥の温泉街を裏山を手足で崩して埋めてやったこともあれば、
海峡を渡る大橋を太腿で挟んで捻り崩したこともあります。
大都市を四つん這いで移動し、渋滞であふれた車を両の手足で引き潰してやったことも
あれば、地面を掘り、芋掘りのように地中を走る地下鉄を引きずり出したこともあります。


私の愉しみの度に、国中が大騒ぎになりました。
次から次へと大災害に見舞われ、地球規模の大異変の前触れか、
何かの呪いか、それとも外国の工作か。
そんなことまで巷間ではささやかれるようになりました。
どれも、違います。
一介のメイドの、些細な戯れの結果にすぎません。
そのことを思うと、私は可笑しくてなりませんでした。

ある日、私はある港町に来ました。
この国で指折りの国際港です。
由緒ある街並みも、大小さまざまな船も、千七百メートルという大きさの私にとっては、
玩具にすぎませんでした。
私は街並みを遠慮なく踏み潰しながら、港に向かいました。
ざっと見回すと、中に一つ、すてきな物を見つけました。
あれは後に取っておきましょう。
ざばん、と港に踏み込んでみれば、海水は靴の上にも達しません。
靴底に数隻の小船をとらえた私は、軽々とそれを踏みにじりながら歩を進めます。
何隻か、大きな船が見えました。もちろん、それは普通の大きさの人間にとっての事。
私にとっては、おもちゃの船に過ぎません。
一番大きそうなタンカーの上に、私は足を載せました。
人類が作り出した物の中でも最大級の建造物は、流石に私の靴の重みを受けてもすぐには沈みませんでした。
でも、残念。私は力を入れてなどいないのです。
私が重みをかけると、タンカーはしばらく抗った後で徐々に沈み始めました。
それを甲板まで押し沈め、後ろの艦橋までたっぷりと海水につけてから、私は次の目標を定めました。
タンカーより一回り小さな、貨物船です。
これも、重みをかければ沈めるのは造作もないこと。
でも同じ方法は芸がありません。
足を上げて、甲板の上に勢いよく下します。
水しぶきとともに、船は真ん中からへし折れました。
真っ二つになって沈んでいく船に尻目に、私は次の標的に向かいます。
ちょうど荷役中のコンテナー船でした。
軽く爪先を当ててゆすぶってやりますと、船は左右にぐらぐらと揺れだしました。
積まれていたコンテナーが、爪先より小さな箱となって海中と波止場に転げ落ちていきます。
さらに爪先に力を入れて押し上げてやりますと、舟は横倒しになって埠頭にのし上りました。
足先だけで大船を操ったことに満足した私が身を翻しますと、翻ったスカートに弾き飛ばされ、
クレーンが惨めに崩れ落ちます。
そして、私はとっておきの獲物に向かいました。
対岸にいる、ひときわ優美な豪華客船です。
小さくなったとはいえ、それには確かに海の女王と讃えられるだけの威厳を感じさせるものがありました。
だからこそ、おもしろい。
精巧で美しいおもちゃほど、遊びがいがあるというもの。
女王様に相応しい、おもてなしをしなくては。
私は水をかき混ぜながら、ゆっくりと近づいていきました。
船は、水を吐き出してなんとかその場を離れようとしているようでした。
でももう遅い。いいえ、例え全力で航行していたとしても、逃げれっこないのです。
今の大きさの私は、普通に歩いてもそこらの電車や車など、悠々と追い抜くことができるのですから。
私は両足を使って、船を追い立てていきました。
ざばざばと私の両靴の立てる波に翻弄されながら、それでも進もうとする船のけなげな事。
私は船の前に回り込むと、右足を突き出しました。
軽い衝撃が伝わります。
豪華客船の全力疾走は、しかし私の片足に行き足を止められました。
そのまま私は体を回し、左足をゆったりと持ち上げると、少し離れた場所に下してやります。
私はその船を跨いでやったのです。
女王様。メイドの膝下、スカートの下のお気持ちはいかがでしょうか?
そんな言葉が浮かびます。
私はゆっくりと足を閉じていきました。
豪華客船は、私の足の間でぴったりと押さえつけられました。
懸命に逃げようとしているようですが、もうびくとも動きません。
このまま押しつぶしてやってもいいのですけれど…
私はまた、別の弄び方を思いつきました。
足で軽く挟んだまま、ゆっくりと身を屈めますと、船の舳先に手を伸ばします。
そのままぐいっと船首を持ち上げ、もう片方に手を伸ばすと両手でつかみあげました。
三百メートル以上ある豪華客船も、今の私には少し長めの定規といったところ。
両手を使わずとも、片手で持てるほどの大きさでしかありません。
「本当に、立派な船ですね」
上からのぞきながら、私はそう言ってやりました。
「せっかくですから、女王様に相応しい、素晴らしい眺めを見せて差し上げますわ」
私は片手で船の中ほどをつかむと、高々と差し上げて、くるりと手首を回してやりました。
それは、確かにすばらしい眺めでしょう。
それほどの高さで跳べるのは、ヘリコプターぐらいのもの。
船が上がれる高さでも、上がっていい高度ではありません。
私は、船がみしみしと揺れるのを感じました。
今の豪華客船は、私の右手一本で支えられています。
そして、船はそんな姿勢まで設計されているわけではないのです。
私はまた、胸の高さまで船を戻すと、両手で抱えてやりました。
「少し、がたがたしているようですよ?ひょっとして、強度がたりないとか?」
私は、腕をゆっくりと胸に近づけました。
「そんな、大洋を行く豪華客船が、そんな脆いわけはありませんよね?
 試してみても、いいでしょうか?」
無邪気な問いを装った、それは宣告でした。
返事など、もとより待ってはおりません。
私はそのまま、豪華客船を抱きしめていきました。
腕と胸に挟まれた船体は、みりみりとへこんでいきました。
甲板の上で、狂ったように動き回る点たちが見えます。
さあ、どこに逃げましょうか?
ボートを降ろして…でも水面はずっと下、千メートルの彼方です!
その間も、私はゆっくりと、しかし着実に力を込めていきました。
船体は大きくへしゃげ、しわがより始めました。
点達の中で、下に向かって飛び降りて行くものが出始めました。
運よく、といっていいのか、水面に落ちたもの他に、私の体に引っかかってしまったものもあります。
私は、それは無視することにしました。
その始末は後でいい。今は、この船の最後を楽しもう。
「あらあら、ずいぶんと脆いのですね。ちょっと力をいれただけで、これですか?」
少しだけ、わざとらしさが混じってしまったでしょうか?
今の私であれば、豪華客船など抱きつぶすなど出来て当然、結果も判り切っていました。
それでも、あまりの脆さを実感したのも確かです。
さて、あまり女王様を長く嬲るのは不敬というものでしょう。
最後は一息に終わらせてあげるのも、情けというものです。
私はぐっと、力を込めました。
豪華客船の船体は、数か所で切断され、ちぎれた破片が水面に落ちていきました。
私がさっと腕を広げると、大きな塊がその後を追って落下します。
両手と胸についていたものを、私は払い落しました。
それは船の破片であり、あるいは人間の体、あるいはその一部だったのかもしれません。
でも、私にとっては、どれも服に付着したごみ屑でしかありません。
念を入れて払い落とした後で下を眺めますと、あの美しかった船は浪間に漂う無数の破片と成り果てていました。
その時、私はスカートに付着したゴミ屑に気づきました。
どうやら、腕から落ちた時に引っかかったようです。
スカートをなんどか払って、念入りに汚れを取りました。
そう、色々な意味で、お屋敷に戻った時に変な汚れやゴミなどを付けていてはいけないのです。
あとで、お屋敷に戻る前に着替えてじっくりと改めることにしましょう。
最後に停泊していたフェリーを二隻、片足づつで踏み潰しながら陸に上がった私は、
ここでの楽しみを味わい尽くしたという充足感と共に港町を離れました。


翌日のことでした。
いつものように朝食と新聞をお持ちした旦那様は、今まで見たことのない、暗い顔をされていました。
「今日は、朝食は要らない」
「どうか、なさったのですか?」
私は不安になりました。
朝の食事は一日の活力の元とおっしゃる旦那様は、体調が悪くても、無理をしてでも朝食だけは口にされる
方なのです。
「友人が、行方不明になった」
「…はい」
「昨日事故のあった港町。聞いているかな?」
「はい、ニュースで聞きました」
「停泊していた客船に、奥さんと一緒に乗っていたんだ。
 長く患っていた奥さんの病気が治った、快気祝いだといってね。あんなに楽しみにしていたのに、
 こんなことになるなんて…」
旦那様は両手で顔を覆いました。
「ずっと昔からの友達だった。何とか、無事でいてくれればいいのだが…」
その時、卓上にあった電話が鳴りました。
「どうだ?」
急いで受話器を取り上げた旦那様は、喘ぐように言葉を押し出します。
返答を聞いた顔が、見る見るうちに血の気を失いました。
「…判った。知らせてくれてありがとう。また進捗があったら、連絡を頼む」
静かに受話器を戻した旦那様の顔を、私はまともに見ることができませんでした。
「一人にしてくれないか。食事は、下げていい」
「はい」
私はただ、そう答えて部屋を出ていくことしかできませんでした。


私は、打ちのめされていました。
ついに、取り返しのつかないことをしでかしてしまったのです。
旦那様のご友人は、私が弄び、そして沈めたあの船に乗っていたのでしょう。
どんなに恐ろしい思いをされたことでしょう。そして、どんなに苦しい思いをされたことでしょうか。
私が殺したのも同然です。いいえ、私が殺したのでなくて、何なのでしょうか。
どんな言い訳をしたとしても、通用などしない。
決して、旦那様には許していただけないでしょう。

もう絶対に、この恐ろしい力は使うまい。
私はそう誓いました。


しかし、数か月が過ぎるにつれ、その決意が緩み始めてしまうのを、私は止めることができませんでした。
いえ、決意は変わりなくとも、巨人になりたいという想いが徐々に膨らんできて、
それを厭う決心を押しのけようとしていたのです。
大きくなったあの気持ちを味わいたい、巨人になって暴れたいという欲求は、
いつの間にか私の心身の奥深いところまで浸していたのです。
休暇の度に山にでかけても、もう以前のような爽やかさを感じません。
賑やかな街中を歩いていても、砂をかむような味気なさがするばかり。

大きくなって、この景色を見下ろしたい。
巨人になってこの街並みを思う存分に破壊し、人間たちに自分の力を見せつけたい。
それは泉に流れ込む汚水のように、私の心を濁していきました。

…いけない。もうしないと誓ったはず。
なぜいけないの?どんなことをしても、決して罪には問われないのに?
…もう一度そんなことをしたら、今度こそ取り返しのつかないことになる。
それがどうしたの?例え全てが分かったとしても、どうということはないでしょうに?
…旦那様をこれ以上傷つけるような事は、皆に迷惑になるようなことは、もうできない。
それくらいは、上手くやりましょうよ。少しばかり気を付ければ、すむ話でしょ?
…またどこで、旦那様に迷惑をになるか知れたものではない。お屋敷の皆を傷つけないなんて不可能よ。
どうせ人間、いつまでも幸せではいられないわ。他の人の機嫌を取るために、
あなたの楽しみをふいにしてもいいの?
…それでも、いけないことはいけないわ。
ええ、そうね。でも一度味わった快感を忘れることもできない。
…例え、そうでも…
それも、あんなに簡単なのに?
…耐えるべきことは、耐えなければ。
思い切って、やったらどう?何も考えずに思い切りやれば、すっきりするかも。
…いけない!そんなことはしては駄目よ!
どうして?何を恐れているの?


仕事をしていても、休みの日を過ごしていても、二つの想いのせめぎ合いはどこまでも続き、
私の心を乱し続けました。
心の乱れは体にも影響を及ぼさずにはいられません。
仕事でも、些細ではありますが不始末を続けて起こしてしまい、心配された旦那様からは
しばらく休みを取って休養してはどうか、というお話までされてしまいました。
その指示に従うことにしました私は、ついに決めました。
もう一度、もう一度だけ、大きくなろう。
最後に思う存分大きくなって、心行くまで存分に破壊しよう。
それでお終い。後腐れなし。
渇え切った人間が、中身は塩水と判っていても盃を飲み干さずにはいられないように、
私はそう心に言い聞かせました。

それでも、私にはいくばくかの良心が残っていました。
今度こそ、身近には被害を出さないようにしなくては。
私は一つの案を建てました。
いつものように山を巡ると言ってお屋敷を出て、そのまま山で数日を過ごした後、
私はとある空港に向かいました。
そこからは、国際線の飛行機も出ています。
隣国であれば、よほどの事がなければ係累に被害は及ぼさないはず。
何の罪もない隣国の人々の被る惨禍のことは、もはや私には取るに足らぬ些事にしか感じられませんでした。


そして飛行機と鉄道を乗り継ぎ、私は目的の街の手前の駅で降りました。
わざわざ移動をしたのは、空港を壊してしまったら、戻れなくなる恐れがあるからです。
戻るのに必要な交通機関は残しておかなければらない。
いつのまにか身についてしまった狡知を恥じることも、もうありません。
私の頭にあるのは、これからの愉しみのことだけでした。
これで最後。なら、今までに無い程に大きくなってみよう。
メイド服に着替えた私は、そう念じながら、街に向かって一歩を踏み出しました。



一歩は、あっさりとしたもの、拍子抜けするぐらいのものでした。
足の裏に、何の変わった感覚も伝わりません。
首を廻して辺りを見た私は、自分の今の大きさを識りました。
おおよそ一万倍の大きさになっているとすると、身長はおおむね一万七千メートル。
今までよりも、さらに数段と規模の違う巨人です。
世界最高峰の山でも、私の太腿に及ぶかどうかというぐらいの高さしかありません。
国際線の飛行機が飛ぶのが約一万三千メートルですから、さらにその数千メートル上に私の視線はあります。
普通の人なら、まず生涯目にすることのない光景でしょう。
ですが、私が感じているのは快感でも爽快さでもなく、物足らなさでした。
建物も何も、良く見えないのです。
地形や地割は見て取れますが、道路や川は、一本の筋にしか過ぎません。
薄い緑は草原か田畑、濃い緑は森林、そして、こちゃこちゃと色々な色が混ざりあって全体に灰色っぽく見えるのが市街地でしょう。
私の靴先は、街に大きく入り込んで分断していました。
とはいえ、靴の全体という訳ではありません。
長さにして二キロ半はある私の足の、爪先だけが街に乗り込んでいました。
それだけでも、今までになかったほどの広さが、私の足底に覆われています。
途方もない規模の破壊が、地上では繰り広げられたでしょう。

ですが、私は苛立っていました。
あまりに他愛がありません。
何かを壊しているという実感がないのです。
足を下ろした、ただそれだけ。
踏みつぶしたという感触すらありません。
まるで砂場で砂を踏みしめたようなものです。
足の動きに従って、砂は形を変えるでしょうが、だからといって何でしょう?
子供でもあるまいし、そんなことで喜ぶのは馬鹿げています。

苛立ちにまかせて、私は数歩歩きました。
それだけでもう、街から出てしまいます。
次の街も、もう目の前。いえ、靴先です。
でも本当に、ただ歩いたという気持ちにしかなれません。
そう、歩くにつれて私の靴に巻き上げられて粉のようなものが飛び散ります。
それは、恐らく十メートル、何十メートルもある大きな破片なのでしょう。
でも、今の私に取っては数ミリ以下の物体。粉のようなものです。
粉が散らされた複雑な模様の絨毯がひかれた広間を歩きまわるメイド。
奇妙に、仕事中の私に似ています。
いえ、別にお屋敷の絨毯に粉が吹いているというわけではありませんが。

私はもどかしさを感じずにいられません。
骨折って国外に出る機会を作り、これを最後と固心しての行いですのに、
これでは不満が溜まるばかり。
欲求不満を残しては、また仕事に悪い影響を及ぼします。
なんとかして、思いきれるように心の憂さを晴らさなくてはなりません。

その為には、いっそ少し小さくなりましょうか…
でも、せっかくのこの大きさです。
この大きさならでの楽しみは無いのでしょうか?
靴先を見下ろした私は、あることに気づきました。
素足なら?
靴越しには感じられない感触も、素足であれば味わえるかもしれません。
私は、ゆっくりと靴を脱ぎだしました。

それは、どのような光景に見えたのでしょうか?
街の遙か上空に立ちはだかるメイドが、突如屈み込み、どんな建物よりも大きな黒い塊を、
さらにさらに持ち上げると、あっさりと脱いでいく。
皮と布の擦れる音すら、轟音となって響くでしょう。
私は見せつけるように右の足の靴を脱ぐと、隣の街の中に無造作に置きました。
靴は街の何よりも高く聳え立ち、私の名代のようにその威容を見せていることでしょう。
私は、ゆっくりと靴下を脱いでいきました。
街の中で、これだけの衆目の中で身につけたものを脱いでいく。
普段の私なら、考えもできないことです。
例え旦那様の命でも、恥しさのあまり、凍りついてしまうでしょう。
でも、今の私には恥などはどこにもありません。
見せているのではありません。私の姿を魅せつけているのです。

やがて靴下の中から、私の足先が姿を見せました。
あまり自分の体に自信のない私ですが、この足だけは密かに誇りに思っています。
まだ、お屋敷に上がったばかりのころ、バケツを引っくり返して足をびしょ濡れにしてしまい、
裸足で歩き回っている私は、旦那様に鉢合わせしてしまいました。
あまりの粗相に泣き出しそうな私を慰めた旦那様は、こうおっしゃってくれたのです。
「綺麗な足をしているじゃないか。大事になさい、体は、自分の一番の宝物だよ」
その言葉を、私は忘れたことはありません。
入浴の時は念入りに手入れをし、靴下も常に清潔に保つよう、出かけるときは換えを用意しています。
靴は汚れても仕方がありません。ですが、中の足は汚れがつかないように気を使い、
今までの巨大化の際も、素足を晒すことはありませんでした。

ですが、今日は脱ぎましょう。
この最後の楽しみのために。
さあご覧なさい。旦那様も認めていただいた、私の美しい足を!

投げ捨てた靴下が、幾多の建物を下敷きに地面に落ちました。

私は素足を地面に降ろし、今日はじめて心地よい感触を味わいました。
粉の上に足をおろしたようなもの、木目の細かい、くすぐったいような感覚です。
その下にあるのはビルや建物、幾多の建造物。
でも、私にとっては等し並に足裏に敷いてしまうだけの存在です。

私はその感触を楽しむように、ゆったりと歩きまわりました。
素足のメイドが歩きまわるだけで、幾つもの街が崩壊していきます。
ですが私に伝わるのは、ごく細微な心地よさだけ。
その違いのあまりの大きさが、私の満足をより深いものにしてくれます。

地方一体を歩きまわり、街も山も湖も、全ての地面を足裏に敷いてから、
私は大きな都市に向かいました。
この大きさでも、かすかに飛び出ているのが判る建築物があります。
相当な大きさのタワーでしょう。

下調べの際の資料を思い出しました。
完成してから間もない、この国で一番、世界でも指折りの高層タワーです。
ですが、それは私の足指にすら及ばない大きさでもありました。

私は、素足に相応しい戯れを思いつきました。
タワーの手前でごく静かに右足を下ろすと、軽く足を滑らせます。
タワーは私の足の親指と人差し指の間に、すっぽりと入り込んでしまいました。
それとともに、瓦礫となったビルたちも足指の中に挟まっていました。
汚らしい。
私の足指の間にこびりついたごみくずとしか見えません。
私はゆっくりと足指を閉じていきました。
この足を穢した罰は重いのですよ。さあ、私の足指の大きさと力を思い知りなさい!
タワーの先が、断末魔のように揺れました。

その様を眺めていた私の脳裏に、押しつぶされる人々の姿が浮かびました。
それはごみなどではありません。街と、人間だったものなのです。
私の足指の間に、今何人の人間の骸があるでしょう?
そう思うと、私は急に背筋が冷えてくるのを感じました。

私はいったい、どれだけの人間の命を奪ったのだろう?
この罪を、免れることなどできるはずがありません。
私はどのように罪を償えばいいのでしょうか。

その時になって、私は気づきました。
私の罪は、罪として認めてもらえないかもしれないのです。
例え私が自首し、私の仕業だと申し立てても、信じてもらえますまい。
旦那様の眼前で今までの所業を白状し、大きくなってみせたとしても、
今までと同じように何かの現象にすり替えられてしまうかもしれません。
何ということでしょう。

それは…それは…それは…

下を見れば、足指は完全に閉じられ、タワーは跡形もなく全く見えなくなっていました。

…それが、どうしたというのでしょう?

私は可笑しくなりました。

足指の間で巨大な塔をすり潰し、街を文字通り足下に敷ける私が、何を恐れるというのでしょう。
今ですらこの国の軍隊を一蹴することのできる大きさです。
その上、望めばまだ、さらにもっと大きくなれるのです。
そうなったら、全人類が束になっても敵わない。
ただ歩むだけですべての国々は震え、人々は立つことすらできず、地も山も海もすべてが引き裂かれてしまう。
これ以上大きくならないことこそ慈悲です。ええ、楽しみをふいにしないための自制というものでしょう。

私は投げ出していた靴下を拾い上げると、ゆっくりと、見せつけるように履いていきました。
この靴下だけでも、街のほとんどを覆い尽くすことができるのです。
軽く払った塵でさえ、地上では大きな塊となって降り注いでいることでしょう。
そして悠然と、靴を取り上げて右足に当てます。
ごらんなさい。この街のどの建物よりもずっとずっと大きいこの靴を、私は軽々と履きこなすのですよ?
私は靴を収めるため、爪先を下に軽く地面を叩きました。
普段はしない不作法です。でも、そんなことは気にもなりません。
私にとって何気ないこの動作が生み出す振動は、地上の人間たちにとっては
大地震に匹敵する大揺れとなって彼らの体を揺さぶるのです。
その有様を、想像するだけで体が上気していきます。
ああ…もっと!

しかし…
ともかく、今日はこれでお終いとしましょう。
私の足で跡形なく掘り返された大地を見ながら、私は軽く息をつきました。
さあ、これで終わり。
適当な場所まで少し大きさを変えながら移動して、そこから列車に乗り、空港に行き飛行機に乗って、
お屋敷に戻ればいいのです。
そうすればまた、いつもの生活が戻ってきます。
そう、戻ってくるはずです。
今度こそ、思い切らなければなりません。
さて、その為にはどの方向にいけばいいでしょうか?
帰りの列車の時間を思い出しながら、私は一人、思いを巡らしました。