最強の艦隊

作:湯田

■注意とお願い
作中に巨大な女性が出てきます。
そういった話に興味のない方は、読むのを控えたほうがよろしいかと思います。
またフィクションでありますので、作中の名前・地名・文化風俗等は、全て架空のものです。

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海上に勢揃いした無数の艦艇。
艦隊の先に数筋の黒い煙が上るさまを、旗艦の上で幕僚たちが眺めていた。
「うはは、鎧袖一触とはまさにこのことですな!」
上機嫌の参謀長が提督に話かける。
「当然だ。艦隊の規模、練度、兵器の質、士気。全てこちらの方が圧倒的に上だ。比べ物にならん」
「加えて指揮能力も、です」
提督は世辞には応じなかった。
そんなことは言われるまでもない。
たったあれだけの軍備で我が国に敵意を見せるとは、あの国は愚かとしか言い様がない。
愚行には相応しき報いを受けるべきなのだ。
彼の麾下の艦隊が圧倒的な力で敵を葬るのに、一時間とかからなかった。
「いやー、演習にもたりませんでしたな。少々大げさすぎたというものでしょうか?」
「そんなことはない」
提督は首を横に振った。
「我が艦隊は世界最強だよ。もはや、全世界の艦隊が相手でも恐れるに足りない。そのことを示しただけだ」


「まあ。世界最強の艦隊ですか」
世界のどこかで、金髪の令嬢が少しばかりのんびりとした口調で呟いた。
彼女は呼び鈴を鳴らすと直ぐにメイドが現れて畏まる。
「はい、シルウィア様」
「メリー・アン。私、世界最強と名乗るお方たちを、見つけましたの」
「まあ、左様ですか」
それでは、ご歓待のご用意を?」
「ええ」
そういうとシルウィアは考え込んだ。
「水に関る方たちですから、やはりそのようなところでお迎えするのが相応しいでしょう?
でもお風呂場は前も使いましたし、同じ場所というのは礼を失するでしょう。
なにかよい場所はないかしら。そう、洗い場か炊事場か…」
メリー・アンは咳払いした。
「そのようなところは、その、お嬢様にはあまり相応しくないかと」
「そう?」
「はい」
「といって外にまでいくまでのこともなさそうですし…やはり浴場でよろしいかしら?」
「ええ。お客人が違いますから、非礼になることもございませんでしょう」
「そうね」
「では、早速、準備をいたしましょう。大浴場になさいますか?中浴場になさいますか?
泡風呂や薬草湯、あとは季節柄、露天風呂などもよろしいかと存じます」
耳を傾けていたシルウィアの顔がぱっと輝いた。
「メリー・アン。私、いいことを考えました。内風呂にしましょう」
「あちらでございますか?」
メリー・アンは少しばかり怪訝な表情をした。
「あちらでは、その、狭くてあまりご歓待は…」
「いいの。少し趣向の変わった歓待の方法を、思いつきましたの」
シルウィアはメイドの耳に何かを囁くと、メリー・アンの目が光った。
「まあ、それは面白うございますね。承知いたしました、直ぐに支度をいたします」
程なくして迎えに来たメイドに導かれ、シルウィアは内風呂に向かった。
専用の浴場とは違い、部屋の側にある内風呂には普通の、だがシルウィアがゆったりと入れる大きさの
バスタブが置かれているのみだ
メリー・アンが服を脱がせていくと、シルウィアの豊かな裸身が露わになる。
彼女はそのまま湯に滑り込んだ。
輝く肌を惜しげもなくさらしながら体をゆったりと湯に浮かす。
両手をバスタブに預けるとシルウィアはふうっと息をついた。
さて、そろそろ始めましょう。


「さて、それでは帰路につくとしましょうか?」
「待て。せっかくここまで来たのだ。真っ直ぐ帰るのも能がない」
提督は世界地図を指さすと、ぐるりと巡らした。
「本艦隊はこの進路を通る」
「これでは、ほとんど世界を一周することになりますが…」
「いい、それが目的だ」
提督はこの艦隊の勇姿を世界中に見せつけるつもりだった。
「結構ですな。武器弾薬や燃料、食料の類は余るほどあります。ですが本国は…」
「なに、文句は言わせん」
提督は言ってのけた。
「承知いたしました」
異論を挟むふりをやめ、参謀長もあっさりと引き下がる。
理由など適当に幾らでもつけられる。
国の能無しどもになど、言いたいことを言わせておけばいいのだ。
艦隊は一路、大海に向かって進み始めた。

「ん?」
辺りの海に、急に霧がたち込めてきた。
「天気予報では晴天が続くはずだったんだが」
各艦の動きが慌ただしくなる。
「海の様子がおかしいぞ」
見張りの水兵が首を傾げた。
水平線が見えない。
「急に暑くなったような気がしないか?」
「ああ」
甲板の士官が二人、顔を見合わせた。
おかしい。なにかがおかしい。
だが、何が?

「はじめまして、みなさま」
艦隊じゅうに声が響いた。
「なんだ!?」
皆が慌てて声のした方を見た。
上のほう。ずっと、上のほうからだ。
「!?」
上空の霧が薄くなりさっと視界が開けた時、皆が絶句した。
顔が。
大きな顔が、こちらを見下ろしていた。
女の顔だった。
蒼い瞳を輝かせて、こちらを面白げに見下ろしている。
「な、な、なんだ…」
参謀長が呻いた。
大きい。途方もなく大きい。艦隊の上空全部を覆っている。
軽く傾けられているのだろうか、こちらの方を覗きこんでいるようにも見える。
ありえない程の大きさだ。
だが、上の方には金髪の髪を垂らし、その下には目があり、鼻があり、頬があり、口があり、あごが有った。
間違いなく顔だ。
「全艦に指令!緊急体制を取れ!」
提督が鋭く指示を飛ばす。
何かは未だわからない。だが、なにやら容易ならざるもののようだ。
油断はできない。
だが、どんなまやかしかしらんが、かならず打ち破ってみせるぞ。
提督は麾下の艦隊に絶対の自信を置いていた。

上空の口が開いた。
薔薇色の唇が優雅に踊る。
やや遅れて、音が届いた。
「私、シルウィアと申します」
艦全体を揺るがす響きでありながら、雅やかな声音だった。
「私、強い方に興味がございます。皆様が世界最強の艦隊と称されるのを聞きまして、
 ぜひ拝見したく思いました。突然のお招き、お許しくださいませ」
何を言っているのだ?
「皆様には、ぜひその最強の所以を見せて頂けますでしょうか?
 不躾とは思いますが、ぜひ遠慮なさらず全力で…」
「参謀長!」
断ち切るように提督が声を上げた。
「はっ!」
「海域の状況はどうか。各艦からの情報および外部からの通信の内容を伝えよ」
「それが、各艦からは巨大な女が現れた、指示を請う、としか」
「ふむ…」
「外部からの通信は、なぜか入りません」
「なに?」
「はい。全艦とも、外部からの通信が一切できない状態であります」
これは容易ならぬ状況だ。
あのまやかしだけでなく、一部とはいえ、この艦隊の通信機能を妨げているのだ。
「いかがいたしましょう、攻撃いたしますか?」
いずれ弾丸を消費させるか、この艦隊の戦力を測るのが目的だろう。
小賢しい。引っかかって手の内を見せてなどやるものか。
だが待て。このまま待つだけというのもつまらんな。
よし。
「第一戦隊に命令。上空の異物を攻撃、撃破せよ」
「はっ!」

第一戦隊の司令官は直ちに麾下の戦艦八隻に指示を下した。
「主砲にて上空の異物を攻撃せよ。撃て!」
最大俯角をかけた主砲が、次々と轟音と共に砲弾を打ち出した。


「始まりましたわ」
シルウィアは心持ち浮いた気持ちで見守っていた。
眼前の小さな船に乗せてある箱がぐるりと動き、見えるか見えないかの針のような
ものが上の方にずらりと揃った。
ぽん、ぽんとかすかな音とともに、指先ほどもない煙が上がる。
「…」
これだけなのでしょうか?
シルウィアは眉をひそめた。
本当に攻撃しているのでしょうか。
そもそも、上の方にしか攻撃していないのは…
ああ、いけない。そういうことですか。
思いついたシルウィアはにこりと笑うと、唇をすぼませた。


「…」
第一戦隊の将兵、いや全艦隊の将兵が当惑していた。
戦艦八隻の主砲は確かに発射された。
だが、何も起こらない。着弾の気配すらないのだ。
的を外したという恐れはない。あれだけ大きいのだから。
では、まったく変化がないのはなぜなのだ?
「まやかしの類だから、武器は通用しないのか…?」
「馬鹿な、何がまやかしだ」
兵士たちがひそひそ声で言い合いを始める。
「どうします?第二射を撃ちますか?」
「…うむ。
第一戦隊の司令官はしばしの沈黙の後、そう命じた。
指令は目標の撃破である。
最初の一撃では効果がなければ、撃破するまで続けるべきだ。
「第二射用意。次弾は着火弾を装填せよ」
徹甲弾では貫くばかりで効果が薄いのかもしれない。
ならば、着弾と同時に敵を一気に燃え上がらせる着火弾ならどうか。
第一戦隊の各艦が次弾発射準備を進めている間、提督は上空の顔をずっと
睨みつけていた。
初弾は効果がなかったようだな。
だが、次はどうだ。
と、唇が動いた。
また何か、話す気だろうか?
だが違った。
唇は丸い輪の形になった。
「ふーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーう」
ゆっくりと首を巡らす。
今度は一体何を…
ごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
突風が吹き付けてきた。
「全艦、姿勢を保て!」
温かく、そして湿った風が艦隊中に舞った。
いや、艦隊だけではない。
その周りを覆っていた霧にも、突風は吹き込まれる。
風に霧は吹き散らされ、視界がぐっと広がった。
「あれは?」
「ま、まさか…」
「ああああ!!!」
霧が晴れた時、外を見ていた艦隊の全員が絶句した。
あったのは顔だけではなかった。
艦隊の前方に、巨大な島のようなものが二つ、並んで横たわっている。
二つの島の先は肌色の巨大な壁が聳えていた。
どんな岩山よりも、いやどんな山脈よりも高い。
そしてその先は、少し細くなり、先から自分たちを見下ろしている顔につながっている。
顔だけでは、なかった。
で、あれば、あれは…あの島は…乳房?
彼らは、自分たちが途方もなく大きな巨人に相対しているということに気がついた。


「これでよく見えるようになりました」
シルウィアは満足そうに頷いた。
彼女の胸元の少し先に、今回の客たちが浮かんでいる。
少し小さくしすぎてしまったかもしれない。
一隻一隻が、彼女の指よりずっと小さいのだ。
指先だけで、どれくらい乗るだろうか?
数隻?十数隻?いや数十隻?
とはいえ、今はそれを確かめるわけにはいかない。
まずは、招いた客人の力量を見せてもらわなければならない。
「これで十分に見えるようになりましたでしょう?
思う存分に攻撃してください」


「…」
皆が呆然として辺りを見回していた。
艦隊は、ぐるりと回りを肌色で取り囲まれている。
前方にはあの巨大な女の胸、その先から両手が両側をずっと、ずっと先まで伸びている。
遙か後方には、大きな島、いや大陸のように伸びている大地がこれも二本、重なるようにして横たわっている。
「ど、どうなって、い、いるのでしょう」
参謀長が切れ切れの声で伝えてきた。
もし、これがまやかしだとしたら、随分と手の込んだまやかしだ。
それも悪趣味極まりないぞ。
この艦隊が、女が入浴している風呂に閉じ込められた、などと!
よろしい、その幻覚を打ち砕くとしよう。
「全艦砲撃準備!全艦載機、発艦準備!目標、周りじゅうの全てだ!
準備出来しだい、砲撃を開始せよ!」
「はっ!」


「これで、この方たちの実力が見られますね」
シルウィアは頷いた。
今度は艦隊全部から煙がひっきりなしに上がっている。
小さな弾ける泡がシルウィアの方に伸びてきて、やがて彼女の体、
乳房に届くようになった。
「…」
シルウィアは、しかし唇の端を軽く上げた。
ぜんぜん、感触がありません。
攻撃は届いているらしい。
だが、彼女の皮膚は何も伝えてこない。
まったく、何も。
これ以上ないほどの素肌を、それも乳房という感じやすい部位を晒しているというのに。
これは、つまり。
彼らの攻撃は、まったく効き目がないということ。
シルウィアは攻撃を続ける艦隊をじっと見た。
小さな平たい船から、さらにもっともっと小さな、ごま粒よりさらにちいさいちいさい
姿が湯船の中の空に向かって舞い上がっている。
ふう。
今度は意図せず、彼女はため息をついた。


「うあわああああああ」
無線機ごしに悲鳴が聞こえる。
発艦した艦載機たちが、強風にあおられたのだ。
「ああああああああああ!」
発艦途中の機が流されて空母の艦橋に激突した。
順番を待っていた艦載機達は、うねりだした空母の飛行甲板からころげ落ち、
押し流された機が衝突して爆発炎上するなど、次々に失われていく。
「ば、馬鹿な…」
空母の艦長が呻いた。
「この機動部隊が、そんな…」
今までに戦ったどんな敵にも、これほどの被害を与えられたことはない。
そしてそれをもたらしたのが、あの女の何気ない吐息だというのか?
艦長は頭を抱えたくなった。


「あら、まあ」
想定外の艦隊の状況に、シルウィアは小首を傾げた。
ちょっと弱すぎるんじゃありません?
少し息を吹いただけですのに。
…なら、これでは?
くすりと笑うと、彼女は体を少しづつ動かし始めた。


「ぼ、暴風が収まるまで艦載機の攻撃は不可能です」
参謀長の叫びに、提督はそれでも声を励ました。
「砲撃だ。砲撃を強化しろ」
「しかし、こちらも強風で狙いが…」
「かまわん、撃てば当たる!」
「承知しました。それと…」
「なんだ?」
「進路をどうしましょう?」
「む…」
艦隊は、巨大な胸の方に向かって進んでいる。
このままの進路を続けるべきだろうか?
だがそれではいずれ、あの巨体にぶつかってしまう。
では、どこに向かえと?
周辺はみな、あの巨大な女の体に取り巻かれている。
前も、後ろも、右も左も。
上にはあの巨大な顔、そして下は…おそらく、あの女の胴体だ。
「進路このまま。全速力!」
「…」
「その方が、命中弾が増える。そうだ、あれが幻覚かまやかしのたぐいなら、
思い切って突っ込めば消えるはずだ」
「…承知、いたしました」

艦隊は全力で胸に向かって進んでいった。
両側に広がる豊かな曲線、それは両乳房そのものだ。
抜けるような、彫刻めいた滑らかさを感じさせる白い肌。
だが、大きい。水面上に浮かんでいる量だけでも、この艦隊全てを圧倒する質量だ。
いや、そんなものではない。
片方の乳房に、この艦隊全部が悠々と乗るだろう。
いいや、そんな小さなものではない。
この艦隊をすべて載せても、載せられた艦隊がどこにあるか一見でわからないほど、
この乳房には広がりがあるだろう。
ひょっとしたら、乳首にだって載りきってしまうかもしれない。
それほどまでに途方もなく大きな、乳房だ。
乳房の島。いいや、乳房の大陸だ。
この女体の大陸、女大陸の近海に、どうやって自分たちは連れて来られたのか。
あのシルウィアという女の仕業だろうか?
わからない。
彼女の言葉で判るのは、ただ思う存分に攻撃しろということだけだった。
ならば攻撃を続けるしかない。
皆は憑かれたように攻撃の手を緩めなかった。

艦隊は胸の中央に向け、全力で進んでいた。
ちょうど胸の谷間が、水を湛えた水道のようだ。
その入り口にさしかかろうとした時、水が動き始めた。
「うわっ!?」
「な、何だ!?」
水がゆったりと、しかし大きくうねり始める。
やがて大きく持ち上がった波が、艦隊を弄び始めた。
「航行、航行不能!」
「どけ、前を通るな!」
悲鳴と叫び声が通信を満たし始めた。
天候に変化はない。なのに、大波が次々と押し寄せてくる。
「ぶつかるっ、よけろ!」
「転覆する!救援を請う、救援を請う!」
「うわああああ!」
ついに何隻かが耐えきれずに転覆しはじめた。
横倒しになった巡洋艦の船体にぶつかって大穴をあけ、同じく沈み始める艦もあれば、
波に誘われてそのまま正面衝突した戦艦と空母もある。
ひときわ大きな爆発が旗艦を揺るがした。
転覆した戦艦が大爆発を起こしたのだ。
「何が、一体…」
大揺れに揺れる艦の中で、それでも懸命に両手で体を支えると提督は周りを見渡した。
原因はなんだ?どうやったら逃れられる?

「うわっ」
跳ね飛ばされそうになって、提督は必死にしがみついた。
この船はまるで木の葉のように揺れている。
揺れている。
揺れている…
まさか。
あれが、揺れているのか?


シルウィアはゆったりと胸を揺らしていた。
彼女の些細な胸の動きが作り出す揺れは、湯面の波となって艦隊に届いている。
「たわいもありませんわ」
彼女は軽い失望とともにその様を眺めた。
胸先のさざ波に抗することもできず、戦闘どころか次々に航行不能に陥り、沈んでいく艦隊。
これでよく、世界最強などと名乗れたものですこと。
しょせんこの程度でしたか。
両手でお湯をかければそれで終わりそうですわね。
いえ、私が湯から上がるときの波だけでも全滅するでしょう。
湯あたりする前に、お終いにしましょうか。
その前に、これだけ小さくしたのですから。
もう一つ趣向を凝らしましょう。
シルウィアは艦隊を見つめなおした。


荒れ狂っていた波が引いていった。
かろうじて難を逃れた旗艦上では、提督が状況の報告を受けていた。
「各艦の状況は?」
「第一戦隊は沈没三、大破五、小破六…」
参謀長からの報告に、提督は血の気が引いていくのを感じた。
「半数が沈没または行動不能か…」
「残りの艦艇も、今すぐの戦闘には耐えられません」
なんということだ。
これでは国防力の低下は避けられない。
世界一周どころではない。直ちに艦隊の再編にかからねば。
…だが、それもすべて、この女大陸の海から脱出してのことだ。
なんとかして抜けださなければ。

…また、周りの様子が変わったのに提督は気づいた。
「あれはどうなった?」
「そういえば、見えませんな」
参謀長が上を仰ぐ。
先ほどから天空を占めていた、あの巨大な顔は見えなくなっていた。
辺りじゅうが薄ぼんやりとしてよくわからない。
「脱出できたのか?」
「それが…」
報告を受けた参謀長が困惑の表情になる。
「今度はどうした?」
「それが、艦が進まないそうです」
「艦が?」
「はい、全力を出しているのですが、まったく進もうとしないのです」
「何かに押さえられているとか?」
「いえ、水の抵抗が急に増えたようである、とのことです」
「水の抵抗?」

ある艦の上で、二人の水兵が水を汲もうと紐で吊るしたバケツを降ろしていた。
「な、なんだこりゃ」
バケツはまるで、ゼリーか何かに弾かれるように水面で弾んでいる。
二人は懸命にバケツを操ろうとしたが、思うように動かない。
「どうも動かしづらいな」
「ああ。それに息苦しい」
「おい。動きにくくないか?」
「そうだな。まるで水の中にいるみたいだ」
二人がバケツを引き上げようとした時、艦は大きく傾いた。
「うわああ」
ほとんど斜めに傾いだ艦。その横に、同じように傾いた水面が見える。
「ええ?」

「け、傾斜が戻りません!」
参謀長が必死に計器にしがみつきながら報告した。
「どうした!タンクに注水して傾斜を戻せんのか?」
「それが、浸水はありません」
「なにぃ?」
「海が、いえこの水自体が傾いているのです」
「水が傾くって…馬鹿なことを」
提督は言い終えることができなかった。
「うわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
「ぎゃあーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
艦隊は傾いたまま、水面と共に猛烈な勢いで動いていた。
周りははっきりと見えないが、とんでもない速度とわかる。
飛行機、いや、それ以上かもしれない。
「ぐ、ぐううぅぅう」
勢いは少しづつ緩み、やがて止まった。
「何だったんだ、今のは?」
「た、助かった」
提督と参謀長が顔を見合わせた。
「ともかく、ここから脱出…!」
その時また、旗艦はゆっくりと傾き始めた。
水面を見下ろしていた提督は、水が割れはじめたのを見た。
「何だ、これは」
今日、何度この言葉を口にしたことだろう。
まるでゼリーが崩れるように、艦隊が浮かんでいるはずの水がゆっくりと崩れていき、
下へと落ち始めた。
「わ、わ、あ、ああああああ…」
「助けてくれ!」
艦隊は不可思議な水とともに、遙か下、奈落の底へと落ていった。



ぽちゃん
軽い水音が響いた。
シルウィアの胸先から垂れ落ちた雫が湯面に落ちたのだ。
彼女は肩に乗った水滴が胸を伝わり落ち、最後は乳首から
湯船に落ちるさまをじっと見ていた。
その雫の上には、更に小さくなった艦隊を載せてあった。
なかなか、うまく航海しましたこと。
さて、どういう眺めでしたでしょう。
流石にそこまで小さくなっていると、もうどのような有り様かを
見て取ることはできない。
微生物、いやそれ以下の大きさなのですもの。

これも、迂闊に最強などと名乗った報い。
本当の最強は、少しばかり小さくしたぐらいでは小揺るぎすらしないもの。

でも、見えないと言っても…
「メリー・アン。聞こえて?」
「はい、シルウィア様」
忠実なメイドが直ぐに姿を現した。
「あのお客様は?」
シルウィアは湯船を指さした。
「そちらに。ああ、小さくて、とても目では見えないわよ」
「はい。そういうことですか」
「それでメリー・アン。私お風呂に入り直しますわ。
「あの方たちの細かい汚れがついているでしょう?洗って、綺麗に落とさなくては」
「左様でございますね。浴場の準備ができております」
「ありがとう。それじゃメリー・アン、申し訳ないけれど、このお風呂は洗って綺麗にしてちょうだいな」
「承知いたしました」
メイドのメリー・アンは腕まくりをした。
彼女が栓を抜くと大艦隊の残滓を溶かした水は排水口へと流れていき、勤勉なメイドがバスタブを洗う手と共に
その欠片もすっかり、洗い流されてしまった。

世界最強の艦隊の行方は、誰も知らない。