俺はファミレスの窓際でコーヒーを口に含んだ。
その席は柔らかい日光に包まれ、
テーブル全体がまるで光の洗礼を受けているようだった。

俺の向かいには彼女が座っており、
白い光に包まれながらオレンジジュースのグラスを、薄桜色の小さな口にそっと傾けた。

彼女といっても別に付き合っているわけではなく、
友達の少ない俺に明るく接してくれる幼馴染みだ。

その顔立ちは俺の心をざわめかすほど整っており、
天使の羽衣のようなボタン付き白色ブラウス。
下は太ももの付け根まで見えそうなホットパンツ。

そしてもち肌なのがひと目で伝わってくる、スラリとした肌色の太ももの下には、
一度見た者の心を脚で射抜き視線がそのまま動かなくなるほど釘づけになる、
妖美なブーツを履いていた。
彼女の足は俺の心をつま先でトントンと軽く踏みつづけるので、
心臓の動きがぴくぴくと痙攣しそうになる。

そんな彼女と俺は緑色の柔らかいクッション付き椅子に向かい合って座り、
つい1時間ほど前に一緒に鑑賞した映画について語り合っていた。

「私ねー。最後の人間と怪獣が一緒になる所、私も一緒にピースしちゃった」
「へぇ、そうなのか? まあ、いいシーンだったもんな。
……あぁ、あの映画、人気が出ないのが不思議なんだよな」

「うーん、怪獣映画ってあまり人気あるイメージじゃないもんね」
「もっと広まってくれたらいいんだけどさ」

「えー、難しくない?」
「なんか工夫すればいいと思うんだ」

「工夫するの? 例えば?」

彼女の問いに対して俺の生まれ持っての属性というか、夢でもある願望が頭をよぎる。
人間だれもが1つくらいは持っているであろうフェティシズム。
それを他人に告白するなど絶対ありえないのだが、
今日は一瞬踏んだブレーキを取っ払い、そのまま発進させてしまった。

「例えば、怪獣が女の子だったら、とかさ」
「!?」

彼女はぴくりと体を震わせ、寝耳に水を差されたような表情で俺の方をじぃーっと見つめる。
それから何も言わなくなった。

俺は完全に慌てていた。

ただでさえ告白する勇気など皆無なのに、
彼女は笑うこと無く驚きと真顔混じりで見つめ返しているのだから。

この沈黙は気まずい。
入学式で気合を入れた自己紹介が大滑りした感覚だ。
非常事態のサイレン音が俺の頭で鳴り響き、なにか誤魔化さなくてはと慌てて口をひらいた。

「な、な、なーんてさ。そんなのああ、あるわけねーじゃん、冗談だよ、はははあああ」

単なる冗談と言い放った俺だったが、自分でもわかるほど異常に挙動不審になっていた。

「……ふーん、そう」

やがて彼女の驚いた表情が緩み、少女と悪女を混ぜたような意地悪な笑みを浮かべた。
慌てて隠そうとしている俺の心を見抜いたかのように。

「……」

彼女は無言のまま立ち上がり、コツ、コツ、とヒールの音を響かせて歩き俺の横に座った。
緑色の座席にホットパンツに包まれたお尻と太ももの柔らかさをこすりつけ、
スリスリと腰を動かして俺のほうに寄ってくる。

やがて彼女は俺の肩に美しい顔をうずめるように接近させ、
上目遣いで俺を見つめながら口を開いた。

「ひざに手をおいていい?」
「い、いいけど」

「私の指ね、じっとしてるのが苦手なの。だから」
「え?」

「こうやって動きたくなっちゃう」
「お、おい太ももの内側まで指が」

指だけじゃない。
彼女のちょっとした頭の動きによって、サラリとした髪が俺の首元に触れていく。
美しい顔で俺を見つめながらスリスリと頭を動かす。俺の体がじんわりと熱くなる。
さらに彼女のツヤツヤの唇から声混じりの吐息が聞こえる。

「どうしたの? 体……火照ってるね。指から伝わるよ? このままもっと奥まで……、つぅーっ」
「ぅ、おまえ……。それと、あ、当たってんだよ。俺の腕にお前の白くて大きくて……柔らかい膨らみが」

「当たり前じゃん。だってわざと当ててるんだから。
こうやって揺らすと、むにゅむにゅって……。 ねぇ、あんた今どんな気持ち?」
「っ、な、なんなんだよ」

「あははっ、私の体で興奮してるんだ。 ねぇ、耳かして」
「ま、まて。ここはファミレスなんだぞ。みんな見てる前でソレは」

「なにを想像してるのよ。そうじゃなくて」

彼女の淡い桜色で彩られた小さい唇が接近して、
耳からキスの味がしてきそうなギリギリの距離でささやいた。

「怪獣が女の子だったら。っていうの、ホントは心の叫びでしょ? ねぇ?」
「ななな、なんだよ、ただなんとなく言ってみただけだよ」

なぜか吐息混じりのささやき声で言い返す、俺。

「うそでしょ。あんたのココ、いま大きくぴくんって反応したよ? ほらほら」
「うっ、や、やめろ。ツンツンとかクリクリって指先で刺激すんな」

俺の体をもてあそぶように、彼女の指が動きつづけた。
遠目から見るだけで体が熱くなるほど美しい顔なのに、
俺の真横にまで近づいて、指でそんなことをされ続けたら……

胸の膨らみ。しっとりとした吐息。サラリと麗しい髪。
じっくりと、確実に、強引に俺の感覚を支配していく。
ああっ、あっ、と声が漏れていたかもしれない。

頭が湯気を出して蒸発しかかっていたその時、彼女の指がそっと静かに離れた。

指は彼女の唇まで運ばれ、ちゅっ、という短く濡れた音を聞こえさせ、
そのままファミレスから見える街の景色を指し、赤くなった俺の顔を向けさせた。

そしてその次に彼女の艶やかな唇から発せられた言葉は俺をひどく惑わせた。
この世界が夢か現実かわからなくなるくらい、俺の思考回路のすべてを。

「私が大きくなって……あのビルを踏みつぶそっか?」

俺の鼓膜は吐息混じりの落ち着いた声を、がっしりとつかんで離さなかった。

声は頭のなかで巨大化した彼女に具現化され、
その姿は何もない暗闇の中にズンとそびえ立った。
やがて巨人は足を振り上げ、闇の大地に巨大な足を踏み降ろした。

ズズウゥゥンという足音とともに見る者の視界を揺らし、足元から黄金に輝く液体が吹き上がる。
金流は闇で見えなかった毛細血管のような溝に染み込んでいき、一瞬にして流れが伝搬していく。
黄金の流れは暗闇を照らしていき、大地から光を浮かび上がらせ、
その光はキュンキュンとレーザービームのごとく俺の脳天を貫いた。

彼女の一言は俺の脳をとろけさせ、心臓をバクバクと揺さぶった。

「ナ、ナ、ナニイッテンダヨ」

俺は必死になって、全裸で調理しろ、と言われた時の中華料理店の店長のモノマネをした。
……じゃなくて、そのくらい発音が崩れた日本語しか出せなかった。
やばい、頭がほんとに溶けているかも。

「あははっ。やっぱりそうなんだ。……じゃあさ、お会計済ませておいて。私、外で待っているから」
「え? お、おい」

そう言うと彼女は立ち上がり、
コツ、コツ、とヒールの音を響かせて店の外へ出ていく。
俺を本気でバカにしているのか、からかっているのか……
頭の中がホクホクとモヤモヤと混同したまま俺はレジに向かった。

財布におつりの小銭をチャリンと入れ、下を向きながら店内から出た。
今日は過ごしやすい日だ。
全身を明るく照らす穏やかな晴天。頬を撫でるよう通っていく風。

ところがそんな平和な一日の満喫感を台無しにするように、
誰かの悲鳴とダダダッと走っていく足音が聞こえてきた。
それもパニック映画と同じような規模の音量と人の数と。

なんだろう、と思って俺は顔を上げた。

そこには入店のときには存在しなかった、
巨大という言葉をあまりにも超えている、規格外の大きさのものが道路の上に置いてあった。
となりにある数台の車がずいぶん小さく見える。

その常識外の大きさの物体に圧倒され、頭のなかが一瞬にして真っ白になる。
しかし見れば見るほど頭の記憶の一部分が反応し始め、
難解な方程式を横に一刀両断するように俺の直感が働いた。

避難者がファミレス前を次々と通る中、俺は息を吸うのも忘れて空を見上げた。

そこには女神のように美しく、巨大な彼女が立っていた。
俺のケータイの指先拡大機能が暴走したのではないかと疑いたくなるほどの大きさで。
先の巨大な物体はまぎれもなく彼女のブーツであった。

逃げ惑う人々を上空から得意げな表情で見下ろしていた彼女は、
地上で口を大きく開けて言葉を失っている俺に気づき、
そしてまるで何事もないように話しかけてきた。

「ごちそうさまー」
「え……、ええええええぇぇぇっっっ!?」

「ん?どうしたの?」
「いや……、おま……え?」

「私がなによ?」
「ど……、どうなってんだよ……」

「どうもなってないじゃん。もう、早くいこ?」

そういうと彼女はしゃがみこみ、混乱と理解不能で動けなくなった俺を指先でつまんだ。
街の悲鳴がよりいっそう大きく聞こえる。
彼女の指は胸に女子高生が体当たりしたのかと思うほど、優しく強い圧力だった。

そのまま自身の美しすぎる顔の前まで俺を運んでいく。
透き通った湖のような大きな瞳をぱちぱちさせた。

「こんなにちっちゃいんだ。かわいいー。さっそくだけど、食べても良い?」
「や、やめて……ください」

彼女は俺をつまみ上げて脅しつつ、もう片方の指も動かしていった。
かなり膨らんでいる胸元の白いブラウスのボタンがスルスルっと外れていく。
その下には高層ビルからの景色が広がっている。俺の足はプランプランした状態だ。
足場のない観覧車。は、吐きそうだ。

「あははっ! 食べるなんて冗談だよ」
「ぜ……、全然笑えねぇよ!」

彼女が笑い終えるとブラウスのボタンは半分以上が外れていた。
やがて大きな瞳を少し細め、落ち着いた笑みを含んで話しはじめた。

「あんたさっき言ったよね。怪獣が女の子だったら、って」
「だ、だからなんだよ」

「もしそんなことが起こったらどうなっちゃうか、教えてあげる」
「えっ」

「……よいしょ、はい、じゃあここに入って。」

彼女は胸の形を少し整え、ボタンという鍵を外したての白いカーテン奥へと俺を案内していった。
カーテンの中にはなめらかな肌を大きく露出したU字のシャツがあり、そこから彼女の肌色が見えていた。
光を浴びた分の影をしっかり残した鎖骨。そして俺の身長ほどありそうな長さの胸の谷間。

俺の体がその楽園内の胸元近くのシャツと谷間の境界線に運ばれていく。
彼女の指が谷間に近づいていき俺の腰から下までを、むにゅにゅっ、と押し込んでいく。
肌色をした大胆な谷間は、柔らかい包容でゆさゆさと揺れながら俺の下半身を固定してくれた。

「うわっ、おまえ……」
「私の肩にいたら落ちるじゃん? ここなら安全だし、あんたの顔も見られるしね」

「これで、ど、どうする気だよ」
「ビルの方向はあっちだったよね。ちょっと歩けばすぐ着くよ」

「ち、ちょっとまて下を見ろ! 歩くって、こんな、ごちゃごちゃな道をどう歩くんだよ」
「それじゃ、行こー」

そういうとアスファルトを沈ませている彼女のブーツが持ち上がった。
そして俺の言葉と道路のルールを完全に無視して歩き始めた。
足元では小さな人々が動いている。避難は完了していない。

「今日は天気いいよねー。風も気持ちいいし晴れてよかったね」
「うわっ、一歩あるいただけで道路が裂けてる……それにお前の足音、お腹と腰にズドンとすげぇ響く」

「雨の日だと気分沈むし、家でゴロゴロしたくなるじゃん」
「まてまて! いま車とか標識とか信号機を踏んだぞ! 人が乗っていたんじゃないか!?」

「そうそう、最近アロマを始めたんだ。これで雨の日もリラックスで――」
「だから下を見ろって! もう5台くらい踏みつぶしてるぞ! な、何人死んだんだよ」

突如、彼女は歩行を止め大きく揺れ動く自分の胸元に視線をやった。
谷間で青ざめている俺をみる表情は、ムッと怒りを露わにしていた。

「ちょっと、うるっさいんだけど!!! 私の話を聞いてよ!」
「うぎゃゃぁぁぁ! ……み、耳の奥が死ぬほど痛てぇぇ」

「だいたい私が人間を踏みつぶすって? ……あのさ、あのビルの入り口を見てて」
「はぁ、いててッッ。ビ、ビルってあの赤茶の……5階建てのやつか?」

「そう。あと15秒で男性が2人、女性が3人でてくるよ」
「はぁ……はぁ、なに言ってんだよお前」

耳の痛みがまだギンギンと残っている俺は、彼女の言っていることが理解できずにいた。
しかし彼女はそのまま黙ってビルの入り口を見つめている。
10秒経過。

「…………。そろそろ15びょ……え?」

「ほら、言ったとおりでしょ」
「当たってる!? なんでわかるんだよ」

「大きくなったら研ぎ澄まされるの。
感覚にミントが降り掛かって、透明な風が全身にスーッと染みてきて、
景色がギュイーンと宇宙を突き抜けて広がるっていうか、スッキリわかるよ。集中しないといけないけど。」
「そうなのか?」

「ふふん。だからあんた達のような生き物は避けて、他の弱くて小さいものをズンズン踏めるってわけ」
「あ、それなら問題は何もない……わけねーだろが!」

「そうそう、あんたの体がどうなっているか、もうバレバレだよ?
私のおっきな胸にはさまれて、街が壊れていく様子をポーッと見つめて、
かわいいあそこが……限界までピクピクしてるよね?」
「ん、んなわけねーだろ」

「あれ? 顔が赤いよ、あははっ。……いいよ。私の体、もっとみせてあげる」

そう言うと彼女は脚を振り上げてズウゥゥン、ズウゥンと破壊の歩行を再開した。
彼女が歩くたびに日光を浴びた車や信号が形を変え、道路が陥没していく。

俺の耳にはいろんな音が同時に聞こえてくる。
道路上の物がアスファルトごと潰れる音。
それをブーツで踏みつぶした後の足音という名の地響き。
そして踏み潰されそうになりながら、振動で転びながら逃げ惑う人々の悲鳴。

映画館以上の臨場感がやわらかな胸の特等席にいる俺の細胞一つ一つに伝わり、
混乱と興奮と快楽で俺の心臓は張り裂けそうになる。

俺は息を深く吸ってそのまま吐き出し、
出来る限り平常心を保つ努力をしながら彼女の歩行に付き合った。

「ねぇ。映画の怪獣って、80mくらいだっけ」
「そ、そのくらいなんじゃないか?」

「ってことは、私のほうが大きいね。あんたたち、どんだけ小さいの?」
「お前が大きすぎるんだよ!」

「私は全然まだまだだよ。今よりもっと大きくなれるもん。けどそんなことしたら、街が大変なことになっちゃうじゃん?」
「今も十分、大変なことになってるよ! あぁっ! お前のブーツがまた車と信号機を」

「別にもういいじゃんこんな街。って、ほら見て! この大型バス、私の足より小さいんだ。
こうやって……あははっ! バキバキってつぶれていってるよ。聞こえてる?」
「や、やめてくれ」

こんな調子で散歩を続けていった。

彼女は絶対的な力から逃げることしかできない人々を、満足そうな表情で見下ろしたり、
時には俺の両脇にある肌色の膨らみを手首でぷにゅーっと寄せ俺を押しつぶそうとしたり、
時には自覚的に――無自覚な時もふくめて――街並みを形成するインテリアの数を減らしていく。

その破壊行為は人類を破滅へと導く魔界からの使者となんら変わらないが、
満面の笑みを美しい顔に浮かべて心から楽しそうに歩く彼女の中に、純白で汚れのない少女の面影を俺は見た。

やがて彼女は街の中でも大きめな交差点に到着した。

「ねぇ、みて、ここの交差点。大きいと思ってたけどこんな小さかったんだね」
「お前サイズになればな」

「車がいっぱいだね」
「おい、な、何を考えてるんだよ」

「車……ほんとにこんなに必要なのかな?」
「え?」

「こんなに作る必要ってあったのかな」
「うーん、必要無いことはないんじゃない? あまりに多いとうざいけど」

「ムカつく」
「く、車がムカつくのか?」

「ううん、車が悪いんじゃなくて。
当たり前のように車を買って、古くなったら捨てて、次の新車でまた欲望を満たして。
そのまま運動不足になって、ダイエット食品で痩せないから商品が悪いって文句を言い出して、でも車は乗り続けて。
そういう自分勝手で何も感じないまま、何も変えようとしないまま毎日過ごしてるのがムカつく」

地上を支配している彼女の影が少し震えていた。

「その生活を支えるために一体どれだけ弱い立場が犠牲になっているか、……なんて考えもせずTVやネットをバカな顔して観て寝るだけ」
「…………」

「でも私達は違う! 今日の映画を見て学んだもん。今を変えることができて、きっと新しい未来を作っていけるはず」
「おまえ……」

「だから足元のコレ。私達の邪魔なの……どいて?」

そう言うと彼女は足を持ち上げはじめた。
前の一歩で踏みつぶした瓦礫が、バラバラという音を辺りに響かせて足裏から剥がれていく。
近くの街路樹がゆらりと動く。ガードレールがカタカタと震えている。

彼女は信号機の前にずらりと並んだ、停車中の列の上へ足を持っていきそのまま降ろしていった。

ヒールと接触した白い車は天井をべゴォとへこまされ、そのまま中央を貫かれて地面に接着した。
数刻遅れて降ってきた彼女のなめらかな三角系を思わせる足底は、
白い車の前方にある8人ほど乗れるミニバン、そのさらに前方の2人乗りの高級スポーツカーを、
ドアとタイアをグシャァァと一瞬で外して横に広げるようにつぶした。
彼女の1歩は2台の車を、道路に落ちたアイスを思わせる姿に変えてアスファルトの底へと納めていった。

ズウゥゥンという地響きが鳴り止まぬ内に、もう一方の足の甲が近づいていく。
ボールを蹴り上げる形で。
つま先がアスファルトを地中からドゴゴオオォォッっと抉っていく。
交差点前の無数の車両。周辺の街路樹。ガードレール。信号機。
まばたきする間もなく彼女の足が巻き込んでいく。俺ら人間の日常を。

彼女の足に蹴り上げられた物体はつむじ風に舞う落ち葉のごとく体を浮かし、車道の線など完全に無視して飛んでいってしまった。
たった一蹴しただけでいつも混雑していた交差点前の道路は、横断歩道ごとスッキリ片付いた。

足元の掃除を終えた彼女はそのまま交差点に侵入し、
ちょうど真ん中に右足をズウゥゥンンと踏み降ろした。
四隅で生き残った信号機がグラグラと揺れる。交差点にはブーツの刻印と亀裂が残っていた。

交差点を抜けてすぐさま5歩ほど車を地面ごと踏みつぶすと、彼女が指を指したビルに到着した。
比較的きれいな景観で、今にも日傘のマダムが出てきそうな20階建てのビル。
もちろん避難は終わっているようで人の気配は感じられない。
高さが彼女の腰ほどあるため、踏みつぶすならかなり無理な姿勢にならないといけない気がした。

もし足を上げすぎて、体勢を崩してしまったら。
胸から外れて25階ほどのビルの高さから投げ出され、
地面に叩きつけられた上に彼女の体が降ってきたら……

2つの膨らみに挟まれている俺は、3つに胸が押し潰されそうだった。
半分の不安。半分の期待。そして彼女の大きすぎる胸。

そんな心配をしていると彼女が胸元を見下ろして言った。

「はい、到着したよ。あんた一旦降りて」

そう言うと彼女は胸に指を入れて俺を取り出した。
そして彼女は20階建ての隣のものを指差した。

「ほら、これをみて」

彼女の指の方向を見た。

「ん? 牛丼店、ハンバーガー、フライドチキン、居酒屋……、外食店のビルだな」

それは彼女のふくらはぎほどの高さにある雑居ビル。
もしかしてこっちのビルのことだったのかな、と上をみた。
彼女の手が固く握られていた。

「あのね、お肉って一食作るのに、穀物とかお水とか……生産コスト、ものすごくかかるの。
実は、金持ちの国がその分の穀物を買うから、貧しい国の人は買えなくて餓死しちゃうんだよ。」
「え?」

「それにお肉って物じゃないんだよ。産んでくれてありがとう、育ててくれてありがとうって生きる命なんだよ。
そんな命をお金の力でバラバラに殺して、薬品まみれにして、チェーン展開までして売りとばして、まずかったら簡単に捨てられて、
こういうお店を使えば使うほど、罪のない動物と貧しい国の人たちが死んでいくの。
こんなの弱い者いじめの、下劣な殺人だよ!どうしてみんなそういうことするの!?そんなことしないと私達って生きていけないの!? 」
「…………」

「まだまだ時間はかかるかもしれないけど、みんなの力を少しでいいから合わせていけば、悲しい犠牲は減らせるよ。
その時の感情で安易な選択なんてしないで。私の声を聞いてくれた人が、どうか真実に気づいてくれますように」

そう言うと彼女は目をつむり、両手の10本の指を交互に重ねて祈りはじめた。
そして、ふくらはぎほどの高さの狂塔に向かって足をかけた。
その姿は両手をあわせ国民の幸せを願いながら聖堂の階段をのぼる王女様のようだった。

王女の脚はそのままビルを貫き、塔はあっさりと足元に屈した。
屋上が。壁が。窓が。柱が。看板が。
毎日、俺達を見くだしていた高さが崩れていく。

足が着地すると爆風とも言える強烈な風が巻き起こり、周辺に細かい瓦礫が飛び散った。
俺の全身を貫通する空気の流れ。目を開けていられない。
シャツが後ろにビュュュッッッとなびく。
前髪の頭皮がギギッと釣り上げられ、荒れ狂う風の音しか聞こえない。

少し時間が進んだ。風が止まった。
目を開けると街の景色が少し明るくなっている気がした。
そよ風が飛び立つ先、青空に最も近い王女は元々の姿に戻っている。
可憐で美しい破壊神の表情に。

「あー、楽しかった! 怪獣ごっこまたやろうね!」
「あ、ああ……」

「そうだ、ちょっと座るね」
「座る? どこに?」

「となりにある、この20階建てのビル」
「だ、大丈夫なのか? なんか嫌な予感が……」

「座ったら崩れるだろー、って言いたいんでしょ。
大丈夫だからこれは。だいたい、私そんなに重くないもん」

そう言うとズウゥゥン、ズウゥンと俺の足場を揺らしながらビルに向かっていった。

ビルに腰をかけ、脚を組んで街を見下ろす彼女。
そんな夢のような一場面を地上から拝めるのも時間の問題だ、と俺の欲望達がざわめき始める。
しかしそんな欲望もドン引きするほどの、リアル過ぎる衝撃音が上空から聞こえてきた。

ドゴゴゴオオオォォォォォォンン

着席しただけのはずなのに、まるでの隕石が落ちたような音が下界に響き渡った。
彼女は自分のイスをニコニコと眺めながら言う。

「あはっ、20階と19階が無くなっちゃったよ? それと股の下でいっぱいつぶれてるんだけど」
「大丈夫じゃねーのかよ!?」

「何がつぶれちゃったんだろ。ちょっと腰を動かして当ててみるね。
……んっ、えーっと。えー、……あんっ。」
「な、なんかメキメキって、つぶれてる音が聞こえてるぞ!」

ゆっくりと円を描くように、そして前後に腰を動かしていく。
彼女の温かくて柔らかい腰下が壁も部屋内も床も、めちゃくちゃに破壊していく。
街中に下半身の音を響かせながらビル全体が大きく揺れ動く。

心なしか彼女の息から妙に色気のある声が混じっている気がした。
表情は薄く赤らめ、手をかけている部分の亀裂が広がっていく。

「んっ、あっ、……はぁっ。……そっか。テーブルとかテレビとか、何もかもが天井と一緒にたくさんつぶれてるんだ。
いま腰を動かしたから、もっと粉々になっちゃった」
「おい!そんなことしたら、建物が倒れるんじゃねーのか!?」

「大丈夫だって、18階が支えてくれるから。
でも時間の問題だね。ギシギシって天井が音を立てて曲がっていってるし」
「やめろってマジで!」

「じゃ、ちょっとこっち来て。すぐ終わらせるから」
「何だよ。つぶれたテーブルとかソファとかが、お前の太ももの下からボロボロ落ちてる所に行きたくねーんだよ」

「来てってば。じゃないと、あんたのせいでもっと大変なことになるよ?」
「なっ……、わ、わかったよ」

渋々と俺は車道を横切り彼女の元へ向う。
歩道に到着すると彼女は目の前にズゥンとヒールを降ろし、
俺と周りの車の足元を揺らした。

「ねぇ私のブーツ見える?」
「ああ。凶器的に尖ったつま先も、街を踏みつぶしてきた足裏も、
今まさに歩道を突き破っているヒールまで見えるよ。」

「あのさ、私のブーツ汚れてない? なんか付いてたら取って」
「いや、何にもついてない。新品より綺麗だよ。なんでこんなに綺麗なんだよ」

「ほんと? なら舐めてもっと綺麗にしてよ」
「ふ、ふざけんな!」

「だって綺麗なんでしょ。じゃできるよね?」
「だからって、舐めさせるなんて、っつか、さっきから足首をクネクネ動かすな!
おまえの脚の動きだけで地面がメキメキつぶれて、街がグラついてんだよ」

「ほら早くー。……あ、でもそっか。あんた小さいから何時間もかかっちゃうもんね。そしたら私も暇だし」
「そういう問題じゃねーんだよ」

「ふーんそう。まぁ、綺麗ならいいんだ」

ビルから腰を下ろし、両つま先をズウゥゥンッと着地させた。

「だって」

数台の車体の揺れが止まるや否やブーツが持ち上がる。
光を反射してふわりと上がる肌色の太もも。
弱い生き物を冷たく見下している上空の瞳。

「踏みつぶされるなら綺麗な足のほうがいいでしょ? ほら」

ゴオオォッッ

美しい造形を維持しながら一歩ずつ街に跡を残してきた巨大な足が、
俺の全身に向かって振り下ろされた。

「うわあああぁぁぁっっっ!?」

俺はあまりに突然のことにガクンと腰が砕け、
頭を抱えてギュッと目をつむるしかできなかった。

ズズウゥゥンンッッ!

彼女の脚が作った大衝撃は俺の全身を麻痺させ、あらゆる感覚を消滅させた。
俺を支えてくれていた道路が体から離れ、全身が空へ向かっている気がした。

そう俺は死んだ。
死んだ俺の体を天使が運んでいってるのだ。

俺の人生あっけなかったな。
でも死ぬって案外こんなもんなのかもしれない。

今日も誰かが生まれて、誰かが死んで。
生きるべきやつが死んで、死ぬべきやつが生き残って。
絶滅する種と繁栄する種が出てくる。

その役目が俺に回ってきただけだ。
そしてあいつの絶対的な力はそんなことをいとも簡単にコントロールできてしまう。

あぁ、こんなところで死ぬんじゃなくて、
綺麗で可愛くて女神のようなあいつと、もうちょっと一緒の時間を過ごしたかったな。
でもそれを決めたのはあいつなんだから無力な俺は受け入れるしかないんだ。

ごめんな、おまえになにもしてやれないで。
友達が少なくてどうしようもない俺だったけど今までありがとうな。
来世があるかわからないけど、もしもまた出会えたら、いつ――

ドガアアアァァァ

俺の背骨に黄色い火花が散るほどの電流が走った。
そしてそのまま細かな小石を全身に押し付けながら転がっていった。

ゴロゴロと5、6回転ほど回った後、俺の体がぐったりと動かなくなる。
動かなくなった頭部は地面に密着し、砂と粒子のような金属のにおいが鼻の中を通っていく。
その香りは、ありがたい形ではないが、俺の意識をすこし戻してくれた。

ううっ、とうつ伏せのままゆっくり目を開けると、
そこは晴天の日光に照らされた見覚えのある道路があった。

どうやら俺は天国から捨てられたようだった。

ゴツゴツした地面に下唇とあごをつけて周りを確認してみた。
爽やかに草木を揺らすそよ風を押しのけて、砂風が吹き荒れている。
歩道近くにいたはずの俺は、どうも反対側の歩道まで転がっていたようだった。

転がされる前の場所には2台の自動車があったはずだが、
1台はコロリとひっくり返り、その衝撃で天井がつぶれている。
もう1台は曲がりきったフロントドアだけが地上にある。
残りの部分は彼女の足の下にあるようだった。

さらによく見てみると俺の頭ほどの大きさはある、
灰色の崩れたサイコロのような物体が道路のあちこちに散乱している。

見慣れない物体群は朦朧とする俺の頭に思考を要させたが、
それは彼女の足によって砕かれ、
火山の噴火みたいに吹き上げられ飛ばされたアスファルトだとわかった。

彼女は倒れた俺を観察するかのようにしゃがみんだ。
そしていつも通りの美しい顔を明るくほころばせて話しかけてきた。

「あははっ。ちょっとだけ飛んだね! ねぇ、どうだった?」
「し、死ぬかと……思った」

「死ぬって……ただ歩くみたいに動いただけだよ?」
「頼むから」

「…………」
「もうあんなことはしないでくれ……」

「やだ」
「え?」

「だって、小さくて可愛いあんたを見ると、いたずらしたくなっちゃうんだもん。
たとえそれで死んじゃったとしても」
「なっ……って、おい何すんだよ」

彼女の2本の白い指が迫り、横向きに俺の体を動かした。
そしてぎゅーっときつく抱きしめるような力で胸骨と背筋をつまんでいく。
すぐさま俺の全身はスポーツカー並の速度のエレベーターに乗ったような速さで持ち上げられた。

「今度は……ほんとに死んじゃうかもね」

死ぬかも?
そう言われた俺は彼女の口の中で何かが動いたのが気になった。

それはシャワーを浴びたての彼女の美体のようにしっとりと濡れた、赤ピンク色の舌だった。
もしかしたら口の中に入れられてその大きな舌で……
俺は彼女の舌によって、何もかもを吸い尽くされるほどペロペロされ、
そのまま世界初のスイーツになるのではないかと思った。

「や、やめろぉぉ!!」
「あんたのごちゃごちゃうるさい口を、今すぐふさいであげる」

彼女はそう言うと、唇……ではなく胸の間に俺を運んでいった。
空いている片方の指で膨らみ同士をにゅっと分け、その空間に俺を押し込んでいく。

白いブラウスに包まれた楽園の柔らかな谷間に、
俺の頭から腰までがすっぽりと挟まり、口だけではなく上半身の動きまでもふさがれる。
その包容的過ぎる空間から逃れようと俺は顔を激しく振り、手と腕をグーッと伸ばしてもがいた。

「やんっ、もぞもぞしちゃだめ! ちょっと我慢してて」

彼女は20階建て……だったビルに向かってなにかをし始めた。
それが終わるとビルの屋上ほどの高さにある、ホットパンツからケータイを取り出した。

白い筆のように綺麗で長い指をちょんちょんと動かし、カメラに濁点をつけると、
建築物の谷間から身長をドンと突き出した女神となった自分と、
胸の谷間で窒息しかけている小さな俺を一緒に撮影した。

ビルには壁一面にわたる大きさの、ハートマークの指跡が残っていた。

おしまい



幼馴染と濁点カメラ / これはペンですか? 違う、だから何本も電柱を引っこ抜くな!