「靴の妖精さん その8」






ズシーン!ズシーン!ドゴオオォォォンン!!

突然の大きな揺れ!いつの間にか寝てしまっていた俺はハッとして起き上がった。
まだ寝ぼけていてぼんやりとした意識の中あたりを見回すとそこには茜里ちゃんのものではない紺のソックスを履いた巨大な足が…。

「あーあ疲れた…。茜里~冷蔵庫からアイス取ってきて~」
ギィと椅子に腰かけてその少女が言う。
制服を着ている。中学生だろうか…でもなんだか…。
「う…うん…!とってくるね夏織お姉ちゃん」
その少女の言うとおりに茜里ちゃんはスクッと立ち上がり部屋を出て行った。
あのこの名前はかおりちゃんと言うのか…茜里ちゃんのお姉さんなんだな。
幼い顔つきだなぁ…茜里ちゃんと年が変わらないように見える…。

「ハイ、お姉ちゃん。あの…バニラで良かったよね?」
「ん、サンキュー」
お姉さんは茜里ちゃんを一瞥もせずアイスをサッと受け取り携帯電話をいじりながら答えた。
お姉さんの夏織ちゃんは実に今時の中学生といった感じ。茜里ちゃんと同じくショートカット。
足元に部活用のエナメル鞄がズンと存在感を示しているのを見る限りスポーツ少女なのだろう。
姉妹揃って運動神経は良いんだろうなぁ…。

「ねっ、ねぇお姉ちゃん…?」
「ん、なにー?」
「こっ、今度さ…お友達お家に呼んじゃ…ダメ…?」
「………ダメー。絶対にダメ」
「なんで!?お姉ちゃんが部活行ってる時だけしか呼ばないから…!」
「それでも万が一部活が急に休みになって家に帰ることになるかもしれないしダメー」
「…おっ、お姉ちゃんのわからず屋っ!!私、いっつもお姉ちゃんの言う事聞いてあげてるのに…!なのに…!」
「なのに…?なによっ!?言ってみな!?」

お姉さんがバッと立ち上がる。
うわあ…なんだか険悪なムード…。っていうかアレ…?これって…。

「あんたがそんなに成長しちゃったのが悪いのよっ!
こんなの見られたら恥ずかしくて表歩けないじゃない…!!」

歯を食いしばりながら茜里ちゃんを睨みつけるお姉さん。
しかし、奇妙な光景だ…明らかにお姉さんの方が背が低い…。
下から見上げてわかるのだから身長差が二人の間にあるのは明白だ。

「そっ、そんなこと言われたって…」
「なんであんた小学4年生のくせに身長150cmもあるの!?もう、意味分かんない!」
「うぅ…」
「あんたがそんなにでかいせいで私だって友達家に呼べないんだからね?あんたも呼んじゃダメだからっ!
妹よりも背が低いなんて…!あぁもうやだっ!気分悪い!!」
「あっ、お姉ちゃん…!」

ズンズンズン…!!

お姉さんは巨大な足音を立て部屋を出て行ってしまった。
そうか…高い低いの違いはあれど身長にコンプレックスがある姉妹で…。
茜里ちゃんが家に人を入れないのはこれが原因だったのか…。

しかし小学校4年生で150cmかぁ…!
茜里ちゃんは想像以上におっきい子だったんだな…。

「うぅ…!わっ、私だって…すっ、好きでこんなにおっきくなったんじゃないもん…!
家でも学校でも…なんでこんな苦しい想いしないといけないの…?」

茜里ちゃんはズン!とその場にしゃがみ込み震える声でそう言った。
ふと俺が歩み出てその茜里ちゃんの顔を見上げると歯を食いしばって大きな瞳に涙を溜めていた。


茜里ちゃん…!!どっ、どうしよう声をかけて慰めてあげたい…!
小学校4年生の普通の女の子がこんなにも苦しんでるなんて…。
でもこんな体の僕には何もできない…このまま凛ちゃんにこの事を伝えるべきなんだ…ごめん…!

俺は茜里ちゃんに声をかけたい気持ちを抑えながらも後ずさり、部屋の隅に身を寄せた。


涙がこぼれる前にそれを拭った茜里ちゃんは鼻をズズッとすすると足音を立ててどこかへ歩いて行ってしまった。



二人ともどこへ行ったのか…。あれから数十分が経った。
俺は広大な子供部屋を見渡していた。
存在感ある机と椅子2つ…床に散らばる様々な二人の持ち物…それらの巨大さが俺の小ささを再認識させられる。
机や椅子はまるでビル…お姉さんのエナメルバッグは一軒家のような大きさだ。

こんな巨大な鞄を軽々と持ち上げてしまうような大巨人が身長にコンプレックスを持っているんだ…。
じゃあ今の俺って一体なんなんだ?コンプレックスどころの騒ぎじゃない気がする…。
何か現実から目を逸らそうとしてたけど…俺って…元に戻れるのか…?


ズン…!ズン…!!


俺がふと現実に目を向け始めていると廊下から足音が響いてきた。
茜里ちゃんか?それともお姉さんの夏織ちゃんだろうか…?

俺は踏みつぶされないように部屋の隅に移動し、身を潜めた。


「ハァ…マジありえないっ!なんで同じ姉妹でこんなに差が出るのよ…!?
好きで大きくなったわけじゃないとか…茜里のバカッ…!あーあ!ホントにいらいらする…!」

苛立った声が部屋に響く。お姉さんだったようだ。
轟音をたて椅子を引くとズン!と座った。

「だいたい身長が高くて困るわけないじゃない…。
モデルみたいってもてはやされてさ…スポーツでも活躍できるし…」

一人ブツブツと愚痴をこぼす夏織ちゃん。
そんなことはない…!背が高いことで茜里ちゃんはすごく悩んでるんだ…!

「内心私のこときっとバカにしてる…!
自分よりも背が低いくせに姉とかありえないって思ってる…!
裏ではきっと私の事笑ってるんだ…!茜里のバカッ…!!」」

そう言い放つと夏織ちゃんはバン!!と机を叩いた。
とにかく夏織ちゃんは茜里ちゃんの事を誤解してる…!
このままじゃ…このままじゃ何ひとつとしていいことなんてない…!

「違うっ!!間違ってるよ!!!」

ありったけの声量で口を開くと同時に飛び出した言葉。
それを言い終えた瞬間に僕は両手で口を押さえた。
しまった…!思わず声を出してしまった…!

気付いた時にはもう既に時遅し。
夏織ちゃんが口をあんぐりと開けてこちらを凝視していた。

「なっ、なに…?なんなのこれ…?」

ズン!


突然現れた未知の生物に夏織ちゃんはその足を踏み出し俺に近づいてきた。
逃げなきゃ捕まってしまう…!

そう思った時にはもう既に俺のまわりは巨大な少女の影で覆い尽くされていた。

「うそ…小人…?こんなことってあるの…?」

口に手を当て、驚く夏織ちゃん。
ゆっくりとその場に屈みこみこちらに手を伸ばしてきた。
俺は身動きをとるよりも先に諦めが頭によぎっていた。

逃げることなんか無駄だ。

小人と化してしまってからの経験則からその判断が早くなった。
俺は巨大な人間からは逃れられない。
いや、別に向こうが巨大な訳じゃない、普通なんだ。普通の人間の大きさだ。
だがもはや俺にとっては普通の人間のサイズというものは遠い遠い世界のように思えていた…。


グッ…!!


「うぐ…!」
加減を知らない少女の手は俺の身体をギュッと締めつけた。

「はは…!なんか可愛い…。茜里ってばこんなもの隠してたんだ…」
手の内で顔をゆがませる俺を見てニヤリと笑う夏織ちゃん。
どうも嫌な予感がする。

「いっ、痛い…!や…めて…!!」
「え?痛いの?へぇ…」
なんとも意外そうな顔をして夏織ちゃんが言う。
そして、少し手に込める力を緩めてくれた。
「けほっ!けほっ…!あ、ありがとう…」
チラッと夏織ちゃんの方を見上げるとニヤニヤと笑っている。
「小人って弱いんだね~…そりゃそうか。ほら、つまようじみたいな腕だもんね…」
そう言って俺の腕をグイッとつまみあげる。
「…!?痛い痛いっ!!は、離してっ!千切れちゃう…!!」
「あ、めんごめんご…」
舌をちょっぴり出して謝る夏織ちゃん。
その仕草はお茶目で可愛らしいがこちらとしては冗談では済まされない。
「でさ。君は一体なに?茜里とどういう関係…?」
「ぼ、僕は靴の妖精…。小学校でニワトリに襲われているところを茜里ちゃんに助けてもらってそれ以来お世話をしてもらってるんだ…。」
「ふ~ん…妖精くんなんだ。まっ、つまりは茜里のペットみたいなもんかー…」
「ペット…!?ぼ、僕はペットなんかじゃない・・・!!」
「だけどさっき『お世話をしてもらってる』って言ってたじゃない?ご飯とか全部お世話してもらってるんでしょ?
しかも、そんなに小さくて弱いし…どう考えたって茜里の飼ってるペットだと思われちゃうんじゃないかと思うけど?」
「うぅ…」
僕は夏織ちゃんのもっともな見解に何も言い返せなかった。
確かに夏織ちゃんが言うように僕は茜里ちゃんにとって世にも珍しい小人のペットなのかもしれない…。
茜里ちゃんは僕のことどう思ってるんだろ…?

「ハハッ!ほら、図星じゃんか~!」
僕に対し巨大な指先を向けて笑う夏織ちゃん。
容姿は確かに茜里ちゃんと似ているところがあるが彼女の方がずっと口が達者なようだ。
でも、負けてられない…!夏織ちゃんは思ったよりも話が通じない相手ではない感じがするしこうなったら直接交渉だ…!

「あっ、あの…それで茜里ちゃんのことなんだけど…」
「何?茜里が何なの?」
俺の口から茜里ちゃんの名を聞いただけで急に夏織ちゃんの声のトーンが低くなった。
表情も明らかに不機嫌になってしまった。でも怯んだらダメだ…!!
「いや、あの…茜里ちゃんは別に夏織ちゃんのことをバカになんかしてないよ。
それに彼女は高身長でいつも悩んでるんだ。学校でも高身長がコンプレックスでいつも控えめに控えめに行動してる茜里ちゃんがいるんだ。
本当はとっても明るくて優しくて素敵な子だってこと…お姉さんである夏織ちゃんにはわかるよね…?だから…」
「だから…?だから何?私が茜里に何をしてあげなきゃいけないって言うの?」
不満げな表情。雲行きが怪しいな…。
「いや、だから夏織ちゃんには茜里ちゃんの相談に乗ってあげたりとか…もっと優しくしてあげて欲しいんだ。
学校で肩身の狭い思いをしてるんだからせめて家ではもっと茜里ちゃんらしくいられるようにしてあげてよ…」

「…………」

俺の話を聞いて夏織ちゃんは黙りこくってしまった。

「はぁ~…!」
「!?」

夏織ちゃんが大きな溜め息を吐く。
その吐息が俺に直撃する。夏織ちゃんの口臭と熱を帯びた風が周り一帯を通り過ぎ支配する。
決して気持ちの良いものではない。だけど何故か色気を感じてしまう…。

「それで…?話は終わり?ちっちゃなちっちゃな小人くん…?」
「え…」

「小さな君の話をちゃんと聞いてあげた私がバカだったなあ…。
ていうか私が君みたいな小さな妖精くんの言う通りにするわけないでしょ?妹のペットの分際で何言ってんの…?」
「でも…!!ぐわっ…!?」」
僕が再び口を開くと僕を握る彼女の手に力が加わり締めつけられる。
「わかんないかな?もう喋らないでよ。ウザい」
完全に俺を見下した表情で言い放つ。
笑って接してくれていた夏織ちゃんがウソだったかのようだ。

「茜里のペット…ねぇ…。きっと躾なんてしてないんだろうな~…。
うん。まずは上下関係をちゃんと教えてあげないとだね。
妹である茜里よりも姉の私の方が上だってことをちゃんとわからせてあげるからね…」
ニッコリと俺に笑いかける夏織ちゃん。
その言葉と笑みに俺は背筋が凍りつきそうなほどの恐怖を覚えた。

中学1~2年生であろう彼女に手玉に取られる自分。
何故かわからないが制服姿の彼女から年上のお姉さんの色気をやたらと感じる。

とてつもなく怖い…!だけど何故か興奮している自分がいる…。
自分はどうしてしまったのか…。頭の中をグチャグチャにかき回されているような気分だ。


「犬は匂いで人や場所をしっかりと記憶するんだって。
だから君も一番重要な人物の匂いをしっかり記憶しなきゃだね」
「僕は犬なんかじゃ…」
「確かに…子犬よりももっとずっとずっと小さいもんね~…。
でも、そんな小さな君にうってつけの場所があるよ?」
そう言うと夏織ちゃんは俺を摘みあげ机の上に降ろし、
ゆっくりと足元にあるエナメルバッグを開け中から何かを取り出している…。
何か嫌な予感がする…。

「ほら、靴の妖精くん♪」
「うわあぁ…!!?」

ズンンンッ!!!

おもむろに机の上にいる俺の目の前に落下してきた巨大な物体…。
それは鼠色に変色し、かなり使いこまれた印象のあるシューズであった…。

「げほっ…!!げほっ…!?」
少し離れたこの場所にいる俺にもその臭気と熱気が伝わる。
思わず咳込んでしまった俺を見て夏織ちゃんはクスクス笑う。

「どう?さっきまで練習で履いてたんだけど…」

とにかく酸っぱい匂いだ。息を吸うとその匂いで全てがいっぱいになる強烈さ。
夏織ちゃんの部活動で流した汗が蓄積され出来上がったその匂いは茜里ちゃんの靴とは比べ物にならないインパクトであった。

「ふふふ…自分じゃ入るの大変でしょ?大丈夫、私がちゃんと入れてあげるからね…」

夏織ちゃんは匂いによろめく俺をヒョイッと摘みあげると巨大なシューズの履き口真上まで移動させられた。
巨大なシューズはブラブラと吊り下げられた俺に容赦なく熱気と臭気を舞い上げる。
俺は全身に嫌な汗をかきながら咳込んでいる。

「しっかりと覚えるんだよ?」
匂いで混乱して薄れた意識。かすかに夏織ちゃんの声がする…。
下降して行くにつれだんだんとその使いこまれたシューズの内部が目の前に広がってくる…。

激しい運動によってところどころが糸がほつれ破れている…。
白かったであろう生地は全体的に鼠色を帯び点々と黒い汚れが染みついている部分もある…。

ムワァ…!!!

襲いかかるような臭気…!刺さる…!

「かっ……ちゃ…め…だよ?」

そのあまりの劣悪な環境に遠のいてゆく意識。

夏織ちゃんが何かを言っているような気がする。

それほどの認識しかできなくなっている。



少女が部活で使い込み汚れた巨大なスポーツシューズの内部に放り込まれてしまった俺はやがて気を失った。

意識が戻ったら…

そこには茜里ちゃんがいて…

凛ちゃんがいて…

いつものようにご飯を持ってきてくれて…




そんな日常が待っているとこの時の俺はまだ考えていた。

それは元のサイズの自分にあった日常など想像も及ばなくなっている証拠でもあった…。









 ~つづく~