「靴の妖精さん その9」





「くすくす…!くすくす…」

ぼんやりとした意識の中、少女の笑い声がする。
俺は何をしていたんだっけ?あおむけの状態から上半身を起き上がらせる。

ムワッ…!!

「けほっ…!?」
俺が動くとチリが舞い、悪臭が鼻をつく。
そうか…夏織ちゃんのシューズの中に放り込まれてそれから気を失って…。

「気がついた小人くん?私、勝手に出ちゃダメだよとは言ったけどそのまま眠っちゃうなんて…。
ハハッ…!よっぽどそこが気に入ったのかな…?」

ニヤニヤと笑ってこちらを見下ろす夏織ちゃん。
気に入っただなんてとんでもない…!
熟成したとも言える程の匂いにたまらず気を失っていたのに…。
どうやら自分が身動きをとるとシューズ内に溜まったゴミが舞い、布地に閉じ込められた汗の匂いがあたりに漂うようだ。
俺は鼻を押さえながらゴミと匂いが舞わぬようそっと立ち上がった。

「お願い!ここから出して…!夏織ちゃん…!お願い…!!」

俺は必死に訴えかける。
夏織ちゃんは愉しげにこちらを見下ろしている。

「えー…どうしよっかなぁ~…。だって小人くん、そこ気に入ってるんでしょ?」
「もっ、もうこれ以上いたら頭がおかしくなっちゃうよ…!お願い…」
「おかしくなってみるのも案外いいかもよ~…?」
「そっ、そんな…」

なんとも情けない状況だ。
今の俺は中学生の女の子に物事を懇願している。
それも彼女が履き潰しているシューズの中にすっかり収まった状態で…。

それでも彼女にあっさりと受け流されて茶化されて…。
悔しくて悔しくて歯を食いしばるけど…あまりにも小さな自分ではどうする事も出来なくて悲しくて思わず涙がこぼれた。

「靴の妖精さんにこれ以上良い環境ないと思うけど…」
にっこりと笑った夏織ちゃん。
無駄だ。とてもじゃないけど俺の願いを聞き入れてくれるような雰囲気ではない…。
思わず絶望から膝から崩れ落ちる。失神してしまうほどの悪臭から抜け出せないだなんて…。

「あれ?どうしたの?元気なくなっちゃった?」
天から夏織ちゃんが尋ねる声がする。俺はもはやそちらを見上げる気力もない。

「う~ん…あっ!良いこと思いついた!ふふふ…仕方がないから小人くんのこと元気づけてあげるね…」
にっこりと笑う夏織ちゃん。

なんだ…?急に俺の周りが薄暗くなっている…。
上を見上げた。すると俺の視界には夏織ちゃんの足が…足が…!!

「ほらね…嫌でも元気が出そうでしょ…?」
どこか妖艶な夏織ちゃんの声…!何を考えてるんだ…?


夏織ちゃんが何を意図して足裏をこちらに向けているのか…。
なんとなく予測はできてしまっていたが信じたくはなかった…。
今自分に向けられている現実から目を逸らそうとしていた。
しかし、夏織ちゃんの足の動きを見ていると予測は確信となり目を逸らす猶予などなくなってしまった。

「うっ、うあ…!」
夏織ちゃんがつまさきを尖らせこちらにじわりじわりと接近させてくる…。
俺は情けない声を出し、その迫力に腰を抜かした。

巨大な夏織ちゃんの足を包み込む紺色のハイソックス…。
足指の股の間が濃い黒色に変色している…。汗をかいているのが良く分かる…。
だんだんとつま先が近づいてくるとたまらない熱気と汗の匂いが俺に襲いかかってくる…!

腰をぬかしている俺は恐怖のあまりに靴底で塞ぎ込み頭を抱えた。


ゴゴゴゴ………!!

振り返る余裕はないが背中にとてつもない重圧を感じる…!
仕方がなく俺はより臭気がこもっていると思われるシューズの内部へと這いつくばって逃げ込む。

「ぐぁ!?ゲホッ…!!ゲホゲホッ……!!」
靴の内部は俺の想像を絶する状態だった…咳がとまらない…!
たまらずUターンしようと後ろを振り返る。するともう夏織ちゃんの巨大なつま先がすぐそこまで迫ってきている…!

「うわわわわわわぁ…!!」
俺は鼻と口を片手で押さえ、再び靴の内部へと潜った。


ズズズズズズズズ…………!!!

シューズとハイソックスの摩擦により巻き起こる轟音。
そして俺をシューズのつま先部へジリジリと追い立てるジットリと湿り熱を持った巨人のつま先…。

「むぎゅぅぅ…!?」
俺は巨大なつま先に圧迫されておかしな声を挙げる。
きっと夏織ちゃんは笑っている事だろう。

鼻を突きさすといった表現では済まないほどの中学生の少女が放つ汗の匂い。
体に染みわたってとれなくなってしまうのではなかろうか…。

そして、つま先から感じられる熱と湿度…。これがとてつもない。
サウナよりも過酷な環境だ。

些細な足指の動きによってさらに圧迫されたり解放されたりを繰り返す…。
地獄絵図のような状況がごく普通の少女の靴の内部で繰り広げられている…。
こんな馬鹿げたことがあっていいのだろうか?


「たす…けて…」
満身創痍の中震えながら呟いた。
するとスッ…と巨大なつま先が去り俺は広くなった中敷きの上にバタンと倒れ込んだ。

「どうだった?ちょっとしんどかったかな…?」
クスクスと笑う夏織ちゃん。俺の声が聞こえたというわけではなさそうだ。
ボロボロになった俺の姿を見てどこか満足げな様子である。

「もっ…もう勘弁してくだ…さい…」
自然とその言葉が震える口元からポロリとこぼれた。すると涙が次々と溢れ出てくる。
とにかく助かりたい…!もうこの状況から抜け出したい…!という考えで頭がいっぱいだった。

「おっ!敬語が使えるようになったの?偉い偉い!
そうだなぁ~…じゃあもうひと頑張りしたらそこから出してあげようね」

「は、はい…!」
ここから出られる…!
「ひと頑張り」という不気味なワードは気にせず、それだけで俺は希望に満ち溢れた気分になっていた。

「えーっと…どれがいいかな…」
ゴソゴソとスポーツバッグの中から何かを探す夏織ちゃん。
俺は期待と不安の眼差しでその様子を見つめ続けた。

「うん…やっぱりこれが一番…」
夏織ちゃんがニッと笑って一枚の白い布地を取り出した。

「ほら小人くん。これを登ったらシューズの中から出してあげる。簡単でしょ?」
そう言ってその布地を俺の入っているシューズの履き口真上にぶらさげた。

これを登ればいいのか…!
俺はまさしく藁にもすがる思いでぶら下がる巨大な布地へ跳び付いた。

モワァ…!

なんだ…!?俺がしがみついた布地はジットリと湿っており汗の匂いが染みついている…。
これって…。

「ふふ…必死に私がさっき部活で着てた体操服に必死になってしがみつくなんて…ホント、変態さんだね?」

これ…夏織ちゃんが着てた体操服だったのか…!
本当に純粋な夏織ちゃんの汗の匂いを俺は感じていることになるのか…。
少し酸っぱくて生臭いような…でも決して嫌な匂いではなくてずっと嗅いでいると頭がおかしくなりそうだ…。

夏織ちゃんの未成熟な女性ホルモンがたっぷりと詰まった汗の匂いはどこか不安定で儚い。

同じ汗の匂いとは言っても純粋な汗の匂いと靴の中の匂いというものは全く違う。
不純物のない新しい女の子の汗の匂いとはこんなにも人の理性をかきまわしてしまうものなのだろうか。
俺はこの「体操服を登る」という目的を忘れ、もっと匂いを嗅ごうと目の前の白い布の壁へ顔を押し付けていた。

「うわぁ~…これは予想以上の変態さんだな~…。ふふふ…!
ていうかさ、いつの間にか目的が変わっちゃってるんじゃない?」

夏織ちゃんの声が響く。
自分の今の状況。冷静に考えれば異常で情けない。
だけど何故かその夏織ちゃんの言葉に興奮する自分がいる。
そう。俺は変態かもしれない。でもこんな状況…おかしくなるのが普通だ。

俺はこんな異常な自分を妙に冷静に正当化しようとしていた。


「そんなに私の体操服が気に入っちゃったのなら仕方がないね。ふふふ…こうしてあげよーか?」
「うわわ…!?」

そういうと夏織ちゃんは体操服にしがみついていた俺を指で摘んで引き離し、床に体操服を広げた。

「な、なにを…」
「ふふふふ…包み込んであげる…」
「え!?ちょ…!」

そう言って夏織ちゃんは俺を床に広げた広大な体操服の中央部に降ろした。
そして、端をゆっくりと持ち上げて行く…。

「やっ、やめて!!閉じ込めないで…!」
俺は必死に叫びながら走り出した。
しかし、周囲はどんどんと傾斜を増し走ってもしがみつこうとしてもズリズリと落ちてしまい抜け出せない…!!

「ごゆっくり♪」

その一言の後暗闇に射す唯一の光から覗きこむ夏織ちゃんの笑顔が覗きこんだかと思うとすぐ閉ざされてしまった。

体操服内部はものすごい暑さと湿度と匂い…。
「どう?快適でしょう?あははは…!」
夏織ちゃんの声が響く。

「温度」…「湿度」…「匂い」…「音」…全てが夏織ちゃんに支配されている。
視覚も暗闇で遮られている俺の全てを支配している。
手を伸ばしても湿った布地の感触…。「触覚」も支配されてしまった…。
たった一人の普通の女子中学生に…。

「なんだか快適みたいだからもっと包み込んであげるよ」

夏織ちゃんの声がするとズズズ…!と周囲の布地の壁が動き出す…。
「やっ、やめて…!!」

天井が低くなってゆき壁が狭まってゆく…。
ドンドンと空気が濃くなる。湿度も高まってゆく…。

「うぐ…!?」

折りたたまれた布地の重量がのしかかる。
汗を吸っていてかなりの重さになった体操服は脅威だ。

「ぐええええぇぇぇ…!!」

その重さに圧迫され声が出る。

「た、助けて……!!」

情けない声を出しながら俺は涙を流していた。
こんなに苦しい思いも屈辱を受けた思いも初めての経験だ。
なんで俺がこんな目に遭わないといけないんだ…。
こんなちっぽけな俺が人助けなんてしようと思ったのが間違いだった…。


「苦しいの?ふふ…!ハハハハハッ!!!」
夏織ちゃんの笑い声が響く。
悔しい…!悔しい……!!でも俺には何もできない…。なんて無力なんだ…。





「お姉ちゃん…?な、なにやってるの…?」



茜里ちゃんの戸惑う声が響いた。















 ~つづく~